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札幌の友人より、秋深まる彼の母校の北大構内の写真が送られてきた。何かの緊急打ち合わせに立ち寄った際、撮ったものらしい。
彼は九州小倉から、同大土木工学部卒業後、そのまま地元就職し、北海道の各地現場を転々。
鹿島建設札幌支店長を奉職後、一昨年退職したのだが・・本来は現場が好きな土木屋一筋の男。
「佐呂間で竜巻に巻き込まれたのは、むかし一緒にトンネルを掘った仲間で、昼一の打ち合わせ中やられたらしい。
私のすぐ下で、今も家族ぐるみの付き合いをしている現場所長はたまたま一階にいて助かった。
亡くなったのは後輩で、なかなかのスポーツマンでいい男だった。よきは先に逝くと言うところですか・・・。」
以下返事をした。
「報道では鹿島建設をメインとするJVのトンネル工事事務所とお聞きしていましたので、ひょっとして或いは?と思っていましたが・・
インタヴューのベット上で、顔に傷を負いつゝ、「みんなの名前を呼びかけましたが、誰も返事をしませんでした」と部下を傷み、気遣う所長が、貴下の親友だったとは・・全く人生、何が起こる事やら・・・
心よりお見舞い申し上げます、と同時に、優秀な元部下で後輩の、残されたご家族に心よりお悔やみ申し上げます。」
この上は、報道に寄れば、政府も本腰で「竜巻現象」の対策を立ち上げるとか・・一刻も早い実現を切望する。
シカゴで亡くなり、郷里小倉で未整理に近い状態のまま眠っているMr.Tornado (ミスター・トルネード)「藤田博士」の貴重な膨大な資料の数々が、役立ってくれるように、祈るのみ、
(以下 http://www.atkyushu.com/InfoApp?LISTID=202&SCD=m200203 より)
■故郷に藤田記念館を
気象に関する内外のあらゆる賞を受賞したミスター・トルネードも、病気には勝てない。晩年の二年間はベッドの中から学生を指導した。が一方では、自分の体調や痛みまで冷静に測定してグラフ化している。最後まで科学者の魂を忘れていない。
一時はシカゴ大学のワンフロア、三十室を占めた博士の研究設備は、この比類ない指導者の死後、使いこなされずに撤去寸前になっていた。「故郷に藤田哲也記念館を」と、声を上げたのは、博士の母校・旧制小倉中学の同窓生や明治専門学校(九工大)の教え子たちを中心とする北九州の人々だ。
「本当に面白い授業をする先生だったんですよ。次世代の子どもたちの科学への興味を育てるためにも、ぜひ」と、藤田記念館建設準備委員会事務局の今本善之助さんは言う。
シカゴ大学の設備は準備委員会によって日本に引き取られた。三百六十七個もの段ボール箱は壮観だった。
「新北九州空港のニックネームに、航空界で知られたフジタの名を。むろん記念館も空港の中に」というのが会員の大きな願いだ。
新北九州空港。かつて哲也少年が父とともに遊んだ干潟の正面に、その空港は目下開業しているが、記念館は今だに??。」
なを、藤田記念館設立準備 url は下記の通り。
「たつまき博士の研究室」
http://www.fujita-scale.com/news_index.html
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