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元禄四年当時四十七歳の芭蕉が
、 第二の故郷と慣れ親しんだ大津を立ち、
江戸へ向かった目的は何であったのか・・

色々考えられるが
、当初 俳名「桃青」と名乗った二十九歳、
寛永十二( 1672
)年の春
初めて江戸に
下って以来、活動した永年の来歴や蓄積もあり、
その折々弟子入りし
た、江戸蕉風門下の高弟
、 杉風・其角・嵐蘭・曾良らの
、
たっての催促も並々ならぬものだったのであろう
・・
流石に芭蕉の名声は江戸中に知れ渡っていたとは言え、元禄四~五年当時の江戸の俳諧は 元禄景気に沸きかえり 、 座敷芸で、出来不出来に点附けして金銭を授受し、江戸商人受けす る御用俳諧師が横行する風潮があり 、
「軽み」を良しとする蕉風とは中々相容れぬほど退廃後退し、 芭蕉には苦々しい限りであったようだ 。
元禄五年五月 、 杉風らの尽力で新築なった芭蕉庵に転居し 、 後に蕉風門下の重要な支柱となる、彦根藩の森川許六が 、桃隣の紹介でほどなく入門し、 芭蕉の心強い弟子も増えたりはしたが 、 江戸での芭蕉自身の私生活面では、 思ったほど経済的にも精神的にも余り恵まれなかったようで、色々あって江戸に見切りをつけたのか
『 奥の細道 』 最終稿を曾良に書かせ 、 それを基に第五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保に仕え 、 能書家で蕉門下でもある柏木素竜(儀左衛門)へ、清書依頼し、やっと清書が完成したのは、江戸下向三年 目 の元禄七年四月のこと 、
翌五月には江戸での選別句会を催し 、 その清書を江戸で発行するでもなく大事に持ったまま 、 曾良と、親戚?の二郎兵衛を同道し 、 伊賀へ帰郷の途についている 。
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