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ベビーカーで買い物へ行くといろんな人に声をかけられます。「あっ!赤ちゃんだ!!」と小さい子が駆け寄ってくることも多いです。我が子が立って歩くのはまだ先ですが、もし今すぐ立ったらその子と身長や体格は変わらない気がします。私からすると、その子も赤ちゃんに見えます。赤ちゃんが、「赤ちゃん」と言ってくる・・・にほんブログ村にほんブログ村高齢ママ ブログランキングへ
2016.12.20

不妊を意識してからずっと出産が目標でした。これといった不妊の原因も見つからず、諦めが強くなるにつれ出産は目標というより夢のようになっていきました。公立総合病院から不妊治療専門クリニックへ転院を考え始めた頃からは、夢を叶えようではなく血の繋がった子供のいない一生になったとしても、悔いが残らないようにできることをしておきたいという思いでした。妊娠して安定期が終わる頃、出産が現実味をおび、出産がゴールになりました。にほんブログ村にほんブログ村高齢ママ ブログランキングへ分娩翌日の午前中にその後のスケジュールの説明を受けましたが、眠気と痛さで まるで頭に入りませんでした。それでも、決められた時間が来ると授乳。とにかく授乳でした。出産がゴールではなく、スタートになったと目が覚めました。
2016.12.15

分娩翌日午前中から3時間おきの授乳開始。妊娠中昼夜問わず勝手気ままに不規則な生活を送っていたので、深夜でも早朝でも活動することには自信がありましたが、そんなものは入院中に覆されました。分娩5日後に退院。新生児は寝てばかりだからなんとかなると思っていましたが、ショートスリーパーでした。里帰りはせず、近隣に親戚もいないので、床上も一切なく、考える暇すらなくその日その日が終わっていきました。出産前と時間の流れが全く違うことに戸惑いました。 ランキング参加中です 応援のクリック1回ありがとう
2016.12.08

仕事をして多忙な日々を送っていた頃に、妊娠・出産という流れでしたら、仕事と育児こなす内容は別にせよ、忙しさに抵抗はなかったかもしれません。仕事と育児を両立する!から、そのうち妊娠する、妊娠しない、不妊治療専念となるにつれ、正社員から契約社員、単発の派遣と雇用形態もシフトし、ついには仕事一切なし子供なしの専業主婦になりました。 ランキング参加中です 応援のクリック1回ありがとう夫は細かいことが気にならない性格でしたので、私が家事を溜め込んでいても、なにも言いませんでした。ストレスを溜めないほうが、妊娠しやすいと私にどんどん甘くなっていきました。私は小学生よりも遅い時間に起きて、好きな時に買い物に行き、時間に縛られない生活を送っていました。これはこれで幸せでした。不妊治療中は卵が育つのを待ち、妊娠するのを待ち、ひたすら待つばかりでした。流産したら次はないかもしれませんし、あの時どこどこへ行かなければよかったとか、なになにしなければよかったとか、もう後悔はしたくないので、妊娠中の動き回ってもいい時期でさえ安静にしていましたので、更に時間の流れがゆっくりになりました。毎日、時間を持て余していました。出産して退院したら、この時間の流れに子供がプラスされるのかと思っていました。しかし、分娩翌日から時間の流れが激変しました。
2016.12.01

陣痛促進剤で破水後しばらくは陣痛というものを味わいました。想像を絶する痛さでした。これが衝撃1つ目。「産まれましたよ」と取り上げられた赤ちゃんは、泣いて顔は皺くちゃ、赤いというか黒いというか。これが衝撃2つ目途中で無痛分娩にしてもらい、痛さはありませんでしたが、下半身全体の感覚も全くありませんでした。子宮口が開くにつれ、職員の人がどんどん増えなにかしています。感覚はありませんが、なにかされています。まな板の鯉。これが衝撃3つ目。 ランキング参加中です 応援のクリック1回ありがとう産んだら辺りの雰囲気が一変して後片付け。さっと人がいなくなりました。残された職員は掃除と産後の説明。流れ作業のようでした。とても事務的でした。普通分娩で最後まで痛さを乗り切っていれば感動的だったのかもしれないと、後になって思いました。
2016.11.30

たった4ヵ月のうちに自分の感情がこんなに変わってしまうとは。妊娠陽性判定が出てから今に至るまで不思議と「嬉しい」はありません。これはまた別に書こうと思います。不妊治療専門クリニックを卒業となっても、気持ちは不妊治療中となんら変わりありませんでした。いつ流産2回目となるか、妊娠が継続する気がまるでしませんでした。そんな感情に変化が出てきたのは、安定期が終わる頃です。もしかしたら本当に生まれるかもしれない、その可能性が高まるにつれ、赤ちゃんを迎い入れる準備をしなければと思い始めました。同時に幸福感が訪れました。 ランキング参加中です 応援のクリック1回ありがとう出産が衝撃的だったから、育児で時間の流れが激変したから、ホルモンバランスがかわってしまったからかもしれません。もともと回想になっていましたので、出産後に続きを書こうと思っていましたが、出産後「不妊の私が抱いた感情」が書けなくなりました。なにか以前と違います。消えてしまったという感じです。
2016.11.28

このブログは私が妊娠中の2016年4月1日に開設しました。妊娠の実感はなく、妊娠が継続するようには考えられない時期でした。自然妊娠、流産、子供をつくろうとしなかったこと、原因不明の不妊、不妊の私が抱いた感情、想像していたような治療ではなかったこと、思い出そうとしなくても日記がスラスラ書けました。出産を終え日常が育児となった今、日記の続きを書こうとしても、書けなくなりました。「不妊の私が抱いた感情」が消えてしまったのです。たった4ヵ月で。今も不妊の話題に触れた時 断片的に浮き出てくることはあります。この先 書く予定だった不妊治療専門クリニックへの転院、体外受精、妊娠のことをどうするか迷っています。40歳で初産を終え育児をスタートさせた今を素直に綴っていきます。 ランキング参加中です 応援のクリック1回ありがとう4ヵ月以上ブログの更新が止まっていましたので、出産前の日記は2016年4月1日はじめまして! (2016.05.01更新) ~2016年07月06日の調べていないから 悪いところが見つかっていないだけでは?となります。
2016.11.27

病院に通っているのだから、そのうち妊娠する・・・はず・・・?ネットで詮索してあれこれ考えて余計なストレスを溜めても妊娠に良くない。なるべく考えずのんびりしよう。そう思って、私にできることを実行してきました。37歳が終わってしまい、年も越したことで、焦りが上回ってきました。ネットで詮索して考えることがストレスではなく、タイミング法を続けることの方がストレスになりました。このペースですと タイミング法を1年して、(公立総合病院婦人科を受診前の)積極的に子供をつくろうとした1年と合わせて2年。2年間妊娠しませんでした、そこで初めて「あなたは不妊症です。では人工授精してみますか?」になりかねません。子供は2人か3人欲しい、私の年齢、8年も夫婦が一緒に暮らして子供がいない現実、そんなことは全く考慮されていないように感じました。 それ以前に「どこも悪くないって 調べていないから ただ悪いところが見つかっていないだけでは?」公立総合病院婦人科の初診の検査項目を見たところで、何が何だかよくわかりませんが、医者がどこも悪くないと言っているのだからどこも悪くない。そう思うことにしてきましたが、妊娠しなということはきっと何か原因があると思いました。ネットで詮索しないはやめて、自分で不妊について調べていくことにしました。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.07.06

ルトラールを飲んだ周期は少し生理が遅れるようでした。1~3日目の量が極端に少なかったり、最長で5日遅れました。1週間遅れたら妊娠検査薬を買う、フライングはしないと決めていたので、遅れる度に妊娠か?違う?と普段より悶々とする日が伸びました。処方されたのは排卵のない周期と、排卵はあるけれど高温期の途中で急降下する日があり安定しないと判断された周でした。生理が遅れると次の排卵前の受診日も遅れました。その度にお婆ちゃん先生は「来ないからもう妊娠したと思っていた」とおっしゃるのです。なぜそれ程タイミング法に自信があるのか私にはわかりませんでした。私以外の人はこの方法で十分妊娠してきたということでしょうか。この方法で妊娠は無理と思った人は この病院に「無断で来なくなった」のでは?「来ない=妊娠したから来ない」ってお婆ちゃん先生は捉えているのでは?と私の中でいろんな憶測が湧いてきました。私も無断で受診をやめてしまおうか…季節も夏から冬になり、とうとう年も越してしまいました。37歳は終わり38歳になってしまいました。人工授精はしてくれません。「年齢的にきついから他の病院へ行って下さい」とも言われませんでした。なにか原因があるわけではないので、「この病院では無理だから他の病院を紹介します」とも言われませんでした。そう言われた方が、私にとって都合が良かったです。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.07.03

家族全員の写真とそれぞれの新年の抱負。祖父母・孫も勢揃い。原因不明の不妊の私は 子供を見たくない心境ではありましたが、「賑やかな大家族」とまだ理解できました。夫婦と子供。更に見たくはないですが、近況などが書き添えてあったりして 「あぁ ○○さんは今こうしているのか」と単純に思えました。私も産んでいたらこうだったのかもしれないと嫉妬もしますが、私とはもう別世界の人達。やはり見たくない年賀状には変わりありませんでした。全く理解できなかったのは、本人や夫の写真は一切なく、子供のみの写真。新年の挨拶ではなく、子供の成長記録を年賀状として送りつけてくるパターン。それは長年 続きました。そういうのに限って、写真専用なのでしょうか 他の人より分厚い用紙で、フレームや文字でアルバムのように装飾してありました。気合い入れ過ぎ!!本人と夫の近況は書いていないので不明。子供が何をしたとしか書いてありません。私はその子供に一度も会ったことがありませんし、そこまで興味ありません。単に子供の成長を自慢したいだけの年賀状。さすがにこれには怒りを覚えました。私が不妊でなければ怒らずスルーしていたのかもしれません。私が通院していることなど周囲には言ってませんので、悪気はないのでしょう。でも、付き合いが長いうえに 結婚してから10年近く子供がいないのです。何か察しないのでしょうか?その年から届いた年賀状は夫に任せて 私は一切見ていません。返事もしていません。考え過ぎかもしれません。私がこういう心情だからそう感じたのかもしれませんが、私が独身の女友達へ宛てて出す年賀状も不快にさせているかもしれないと感じました。だから年賀状を出すのもやめました。私の性格は歪んでしまったと悲しくもなりましたが、不妊治療や赤ちゃん待ちの方々のブログを見ていたら 年賀状や暑中見舞について私と似たような想いがいくつも綴られていて こういう感情も仕方のないことと思えました。年に1度届く葉書き1枚のことなのですが、私がブログに助けられた1番の出来事でした。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.06.27

HMG、ルトラールの次の周に異変が!いつものように排卵前の卵胞チェック、20mm間近。「そのうち排卵するでしょう」。お婆ちゃん先生は「どうする?」と聞いてきました。翌日から公立総合病院は年末年始の休みに入るところでした。夫も仕事が休みになるので、気兼ねなくタイミングをとることができます。これはいつもより有利です。この連休中に排卵するだろうとHCGを打たず帰りました。しかし、ここで思わぬ誤算。タイミングは取れても、基礎体温が上がりません。1週間程あった年末年始の休みも終わってしまいました。年始の診察に駆けつけ診てもらうと、「排卵せずにしぼんでしまった。こういう時は諦めてさっさと流しましょう」と、お婆ちゃんはさらっと言いました。こういうのも慣れているのでしょう サバサバした様子でした。私にとって絶好のチャンスのはずでした。不妊の原因は排卵日がずれているのでは?と 疑うこともありました。夫は仕事から解放され体力的にも精神的にも いつもより余裕があります。この連休は どう考えても排卵日を逃すことがありません。 それが不発に終わるなんて。今までどこも悪くないと言われ続けていたので、まさか排卵しないなんて考えていませんでした。連休前にHCGを打つと自ら選択すればよかった。その日からルトラール2mg2錠を10日。飲み終わって6日目に生理らしきものがきて、その2日後からクロミッド50mg1錠を5日。そこからは自力の周期が復活しました。復活はありがたいのですが、結局また”どこも悪くありません扱い”。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.06.17

人工授精はしてくれないものの、お婆ちゃん先生は少し(他の?やり方を)考えてくれるようになったようでした。私にできることと言えば、病院に通う、基礎体温を付ける、夜更かししない 規則正しい生活をする、栄養を摂る、 余計なストレスを溜めない、家事と夫の世話、年齢に負けて女性的な魅力を失わないようそこそこ可愛くしておくことくらいしか思いつきませんでした。専業主婦で時間はたっぷりあり、自分のペースで事が進み、苦もなくクリアー。外界もほぼ断っているので邪魔する人もいませんでした。摂食障害の反省を踏まえて運動はやめておきました。適度にする方がいいのでしょうけど、適度を間違いつっ走りましたからね。ダラダラ生活していたら運動が億劫になったというのもあります。焦ったり、病院を疑ったり、ネットで詮索すると ストレスが溜まるので避けました。子供を授かるのに この他に何かすることはないのでしょうか、もどかしい日々でした。体が悪くないなら、精神的なストレスが原因と思いたいですがそもそも働いていないし大きなストレスなんて溜めようがありません。のんびりしていれば そのうち妊娠するだろう。一体いつまでのんびりすればいいのでしょう? 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.06.16

お婆ちゃん先生は試行錯誤を始めたみたいでした。いつもより卵胞の成長が遅い周にHMG 75単位2管を注射してくれました。(肝心の卵胞が何ミリかを私は忘れてしまいましたが、)翌日 お婆ちゃん先生は「まさか ここまで成長するとは思っていなかった!! 今日タイミングとって!」と珍しく焦り気味でした。HCGを打って帰りました。HMGの効きが良過ぎたらしく、以降HMGを打つことはありませんでした。余計なことをすると成長し過ぎるということは やはりどこも悪くないということなのでしょうか。その周はルトラール2mg2錠を10日飲むことになりました。いつもと違うことをする、なにかしら初めて薬が出たということで期待しましたが妊娠には至りませんでした。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.06.15

排卵前のエコーで「前の周期の卵胞が残って水を含んで大きくなっている」とのこと。特に薬が出るわけでもなく他に何も言われず、その周もタイミング法でした。それがある方の卵巣あたりが張っていました。歩くとなんとなく痛いような気もしました。夫に話したら「それ大丈夫なの?」って。気になってネットで調べてみました。妊娠には良くないみたいなことも書いてありますし、誰にでもあるみたいなことも書いてありますし、どのパターンなのかわかりません。医者に診てもらっているのだから、それに従うでいいかな…あれこれ考えたらキリがありません。その次の周もまだ残っていたのですが、タイミング法でした。それよりも、どこまでタイミング法を続けるのでしょう?(後に転院した不妊治療専門クリニックの体外受精の説明会では、それを遺残卵胞と呼んでいました。それがあると採卵は見送りでした。) 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.06.14

季節が変わっても妊娠することはありませんでした。公立総合病院の婦人科の初診に訪れた時は清々しい初夏でした。あんなに賑やかだった蝉の声が無くなり 落ち葉も舞って、もう冬 年を越しそうです。毎回 結果が出るまで「もう妊娠したかなぁ」どこか期待しているような表情だった夫が、「またタイミング法なの?人工授精は??」と言い出しました。夫が少し不安げで焦っている様子が見て取れました。私が苛立つ程の無神経ともとれる呑気な夫。そんな夫が焦るとは。私は今まであの呑気さに助けられていたと気付きました。夫が私と一緒におろおろされたら、本当に絶望というか 暗くなります。「人工授精にしてくれないか?」とお婆ちゃん先生に言ったこともありましたが、してくれない!その理由は「1度妊娠しているから」…7年も前の話なのに「30代で出産している人は多いから」…見せてもらった 出産リストに37歳はいませんでした。すぐに妊娠できても38歳で出産。それすら間に合うかどうかも怪しい。私の年齢を間違えていないか?「自力で卵も育って排卵もあるから。」…卵胞の大きさチェックに行ったら、既に排卵していたことも何度かありました。確かに自力で排卵もしています、どこも不調ないです。だから薬も出ません。何か薬とか対処はないのでしょうか?疑心暗鬼になりましたが、大きな病院だし、プロの先生にお任せしてるんだし、他の病院に回されるほど重症ではないみたいだし、そうこうしている間に妊娠するかもしれないし・・・最初から人工授精するものと思っていましたが、結局タイミング法をずるずる続けることになりました。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.06.04

人工授精と体外受精の違いもよくわかっていない夫婦ですが、病院に行けばすぐに人工授精をするものと思っていました。違うみたいです。まずはタイミング法でした。不妊治療をされている方はご存知とは思いますが、私が受けたのを書いておきます。排卵日と予想される数日前に病院へ行き、エコーで卵細の大きさを調べました。直径20mmくらいになったらHCG注射をして翌日排卵するのでそこを狙いました。HCGは自力で排卵しないから打つのではなく、日を確定するためにしました。自己流のタイミング法では、排卵日と思われるような基礎体温の谷と山がいくつもあり、そのたびに夫に仕事を無理やり終わらせて早く帰ってきてもらうのはとても気が引けました。それに比べたら、日が確定するようになったのでかなり進歩したように思えました。それで妊娠してくれればよかったのですが、なぜか妊娠しません。6~7年前ですが基礎体温なんてつけなくても2か3周期で自然妊娠しました。病院の力を借りても妊娠しません。焦りがさらに強くなりましたが、お婆ちゃん先生は「前に1度妊娠しているから焦らなくても」となんだか余裕。「前に1度妊娠しているから妊娠する」というのは私が今まで一番信じてきたことです。でも、妊娠していません!お婆ちゃん先生は「最近は30代で産む人が多いし…。これは私が先月出産を受け持ったリスト。」とパソコンの画面を見せてくれました。20人前後だったか年齢を見れたのですが、確かに20代はほとんどいなくてほぼ30代でした。私が焦ったのは、その中で37歳は見当たらず、最高齢は35、36歳ということでした。今すぐに妊娠できたとしても出産は38歳、この調子だと39歳になるかもしれません。お婆ちゃん先生はカルテの表紙の私の生年月日を見て、「35、36歳でも最近は産んでるから」と私をなだめたかったみたいなのですが、私は「35歳じゃありません!37歳です!」と言いました。お婆ちゃん先生、私の年齢を間違っていませんか?とも思いました。お婆ちゃん先生にしてみれば35歳も36歳も37歳も同じなのかもしれませんが、私にとって35歳36歳37歳は全然違いました。ひと月に排卵日が1回あるとするなら、35歳ならチャンスは24回、36歳なら12回多いのです。もし不妊を疑って病院を受診したのが35歳なら、ここまで焦りません。当時 私はとても苛立っていました。お婆ちゃん先生に八つ当たりしたところでどうしようもないですよね。もっと早くに病院へ行かなかった私が悪いのですもの。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.06.01

公立総合病院の婦人科を受診する以前のことです。数年前 夫は人事異動で忙しくなりました。夜23時~1時に帰ってきて、朝5~7時起き。休日も出勤か、家で仕事。たまに早く帰ってこれても家で仕事。なかなか任せてもらえるポジションでもないし、仕事内容が魅力的で夫もやりたがっていたので、私も応援したくて、できる限り仕事がし易い環境作りに努めました。この異動は、私が無月経を治そうとし始め摂食障害が発覚した時期です。そもそも無月経を1年放置している時点で子供は無理。このあたりから完全レスでした。私が無月経と摂食障害を克服し、子供をつくらなくてはと焦り始めてからは基礎体温で排卵日らしき日を狙ってはみるものの、高温期に入るはずがまたさらに体温が下がったりで、今日が排卵日?とまた挑戦。排卵検査薬なるものがあるらしいけど、私の性格上あれこれ考える要素が増えそうでやめておきました。夫にとても気を遣います。放っておけば、夫は疲れてすぐに寝てしまいます。意図的に仕事を後回し?早く終了させて帰ってきてもらわねばなりません。そんな自己流のタイミング法を1年してみましたが、妊娠には至りませんでした。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.31

出産したわけでもなく、完全に不妊から卒業したという気にまだなれませんが、病院での不妊治療の内容を綴る前に、不妊治療中 気持ちを楽にする為にしたことを書き記しておきます。不妊である事実がだんだんと明るみになるにつれ、子持ちの主婦が疎ましくなり、医者と自分の捉え方のズレなど、不妊治療中のストレスは半端ありませんでした。夫が激変して協力するようになったことも大きいですが、ただでさえ精神的に弱く、不器用で要領の悪い私が折れず、珍しく乗り切ることができました。1~2年後するであろう移植の時 この日記を読み返してみようと思います。まずは反省と自己分析。摂食障害に陥ったことのある私。頑張らなくていいことを一生懸命 追及した結果です。過去にも完璧主義だの神経質だの周囲から散々注意されて、自分でも気を付けていたつもりでしたが、30代半ばでコントロールできませんでした。ここは大いに反省すべき点でありました。育った環境や受けた躾は今更 変えられませんし、変えれるのは今の自分。不妊治療において知識不足なところは学習していくとして、細かいことは追求しないとこにしました。頭がごちゃごちゃとなってきたら、自分を絞めるところと甘やかすところ、本当にそれでいいか確認することにしました。その際 夫に相談しました。もちろん夫の手の空いている時を見計らって。具体的には・フライング検査はしない。予定日より1週間生理が遅れたら妊娠検査薬を買いに行く。フライングしたところで一喜一憂が増えるだけ。1週間の時点で妊娠継続していないなら、その先もない諦めるしかない。結果的に体外受精後クリニックで陽性と言われるまで、1週間遅れたことはなく妊娠検査薬を買うことも使うことも1度もありませんでした。・細かい数値を医者に聞かない。ヤバかったら医者も何か言ってくるでしょうし、聞いてネットで調べて他人と比べたところでどうしようもない。・友達をつくらない。先に不妊治療を卒業されて、笑顔で見送れる包容力が私にはないし、逆に私が先に卒業したら罪悪感を感じてしまうだろう、だったら最初から友達はつくらない。・仕事しない 外界を断つ 要するに引きこもりたまに仕事に未錬を感じましたが、私には子供を産む能力すらなかったのです。仕事と子育ての両立に憧れていましたが、もともとそういう能力は私にはないと諦めました。専業主婦ができる環境・夫に感謝。夫の仕事を第一優先にして私が支えてきた結果ですし、夫もそう言ってくれていたので、そこは甘んじることにしました。書き出してみたら4つしかなく意外でしたが、独りでいることが好きな私には有効でした。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.27

昨日の日記 無知過ぎる 痛い37歳 を書く際 改めて不妊について調べていたら、卵子の生存時間や排卵日のことなど知らなくても、7年も夫婦が一緒に住んでいたら子供はできるものだったのでは?とも思えてきました。流産とレスの期間を除けば公立総合病院の婦人科を受診するまでに4~5年はありました。年齢とともに妊娠率が低下すると言えども、32歳や33歳の時もあったのです。流産の後から なにかしらの不妊だったのかもしれません。公立総合病院の婦人科に通っていた頃、下記のサイトはおそらく拝見していません。昨日 検索に出てきて拝読し、目から鱗が落ちました。 浅田レディースクリニック「不妊症の目安は結婚して1年」より抜粋・よく「結婚して3年たちますが」「5年たちます」といって、「まだ子供ができないのです。不妊症かどうか検査するためにはどうすればいいですか」と聞く方がいます。残念ですが、答えは「検査などしなくても、もうとっくに不妊症です」ということになります。・一般に結婚を考える年齢で、避妊せず、通常の夫婦生活を送っていれば、だいたい結婚して半年で7割、1年で9割、2年で10割が妊娠するといわれています。「避妊やめたらできちゃった」「避妊していないとすぐ次の子ができて困っちゃった」というのが自然なのです。ここまではっきり言ってくれる先生に出会っていれば、悶々としてさらに時間を無駄にすることはありませんでした。のんびりな先生と勉強不足で知識もなく焦る私との差で 余計なストレスを溜めてしまいました。当時の不妊症の定義自体が2年以上で今とは違うので仕方ないところもありますけど。またいつか書きますが、私が一時的にホルモンのバランスを崩す時はありますが、私達夫婦の不妊は原因不明です。検査で異常が出ず、健康と判断されます。タイミングがずれているだけ?と思い続けたり、どこも悪くないのだから 次は妊娠できると大きな期待をしては、裏切られの連続でした。不妊治療専門の病院ではないというのも大きいですが、どこも悪くないから先生ものんびりでした。決定的に対処が無理という なにか原因があれば、もしかしたら他の病院を紹介してくれたのかもしれません。子作りに消極的な時間が長かったから、妊娠することもなく高齢になりさらに妊娠できなくなったと今までずっと思っていましたが、かなり早い段階からなにかしら不妊だったのかもしれません。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.22

具体的な子作りの話題が出ることなんてありませんでした。周囲の女性は、子育て中の主婦か未婚 真っ二つに分かれていました。子育て中の主婦とは疎遠になり、付き合いがあったのは未婚。子供無し主婦は私1人だけ。基礎体温は以前から測っていました。ダイエット日誌で知り合った人から教えてもらいました。脂肪や水分を溜めこみやすい時期(高温期)と溜めこみにくい時期(低温期)があると。目的は子作りのためではありませんでしたが、排卵日の見方は知っていました。子供を作ろうとしてからは排卵日を狙ってタイミングを計ってはいました。不妊治療の助成金は42歳まで、焦る切っ掛けとなったあのニュース。それを見てからネットで調べるようにはなりました。まず女性35歳過ぎあたりから急激に妊娠率が低下することにショックを受けました。 (一般社団法人日本生殖医学会 年齢が不妊・不育症に与える影響 Q18.女性の加齢は不妊症にどんな影響を与えるのですか?) 初診で男の先生が「卵子の生存期間が24時間」と言っていました。お婆ちゃん先生も同じことを言っていました。もしかしたら小学校高学年の性教育で習っていたのかもしれません。私にとっては初耳でした。今思えば、痛い37歳、無知過ぎます。「卵子って24時間しか生きられないんだって!」夫に話したら、夫も知りませんでした。ここにも痛い35歳がいました。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.21

お婆ちゃん先生は「どうしてこんなにも検査したの?どこか不調だったの?」と驚きやや不満気に私に聞きました。検査項目と前回診察の経緯は こちら(公立総合病院婦人科の初診) この公立総合病院婦人科と不妊治療専門クリニックの方針(?)・治療に雲泥の差があることを 当時の私は分かっていませんでした。実は このお婆ちゃん先生の一言で既に差が出ていたのです。後に不妊専門クリニックに転院することとなる私。今 聞くと、「なぜそんなに驚かれるの?調べてはダメなのですか。」と思ってしまいます。前回の診察で素人の私が検査項目を選んだのではありません。男の先生が「クラミジアに感染してたりすると不妊になることもあるから調べましょう」とか、ひとつひとつ説明してくれたうえで検査を受けました。この婦人科の中でも先生によってお考えが違うのでしょう。もしかしたら この男の先生の曜日に通っていたら後々の対応が変わっていたかもしれません。この公立総合病院婦人科で始めに受けた検査はここまで。卵管造影も子宮鏡もしないのです。不妊専門クリニックでは初診の次に受けた検査です。今ならこの2つの検査の重要性がわかりますが、当時はそんな検査があること自体 私は知りませんでした。この日は特にエコーをする訳でもなくただ話して終わり…顔合わせみたいな…前回の検査で特に問題がなかったということは教えてもらいました。当時の明細やスケジュール帳を見返して気付きましたが、この顔合わせの次の周期に初めてエコーで卵胞の大きさを観ています。お婆ちゃん先生不在で1周・顔合わせのみで1周 この2周もったいない。(この2周も自己流でタイミングはとってはいますが、自己流が駄目だから病院へ足を運んでいるのです)不妊専門クリニックも初診は問診のみでしたが、転院するのにも関わらず その期間1周も無駄にはしていません。合い間に検査を入れていく感じでテンポにも雲泥の差。私がこの差に気付くのはまだまだ先になります。不妊治療に対する私の意識と知識が全く足りていなかったのです。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.20

お婆ちゃん先生は不在で、代わりに50歳代くらいの男の先生が出てきました。ガタガタの基礎体温表を見せたところ、おそらく排卵日っぽく見える谷と山 何か所かを指し、ここでタイミングでもいいしここでもいいし…みたいな説明。やはりそんなにシビアに日を決めなくてもいいのかという印象を持ちました。問診票の「子供が欲しいと思ったのはいつからですか?」には、ここ1年くらいと書きました。摂食障害の頃はほぼレスで その後 積極的に妊娠しようと挑戦し始め1年くらいでしたので。もっと大袈裟に書けば、医者の捉え方もその後の対応も違ったかもしれません。レス期間の前 私が空白の時と呼んでいる期間 31歳から30代半ばまでは、確かに積極的に子供を作ろうとしてはいません。しかし、全く何も無かったわけではありません。健全な男女が一緒に暮らしているのです。子供はそのうちできるでしょうというぐらいの気でした。ただ妊娠に至らなかっただけです。この期間も含めて4~5年と書けば良かったのかもしれません。にこやかに先生は言いました。「まぁ1年だと不妊症とは言わない。不妊症と言うのは2年以上妊娠しない時」。この定義、私が不妊治療期間中に1年以上に変更になりました。(平成27年8月発表 日本産科婦人科学会不妊の定義の変更について)私も1年で十分、2年は長過ぎると思います。37歳から不妊症と判明するのに39歳まで待つのでしょうか?いろいろ検査を受けて(明細を載せておきます)、次の周期に予約をしました。その時は病院に行ったというだけで大進歩したかのように感じていました。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.19

以前「子供は男の子が欲しい!」と言ったら、「男女産み分けをしている病院がある」とクリニックの住所を教えて貰ったことがあります。教えてくれた方の娘さんが2人目を妊娠中で、そのクリニックでお世話になったそうです。偶然クリニックの前を通りかかったことがあります。小さな個人病院でした。娘さんが後に流産したことを知り、特殊なことはしない方が良いかもと候補から外しました。ネットで検索すると、いくつか病院名が出てきて少し安心しました。有名で評判の良さそうな病院は遠くて通えそうにありません。交通費もいくら掛かるのやら。口コミを検索すると、人工授精・体外受精・顕微授精とか、違いが分かりません。AIH・IVF…アルファベットが並びだすと更に混乱(今なら分かります)。個人のブログを読んでも、アルファベット・数字・専門用語が飛び交っていて何の事だかさっぱり分かりません。1度に知識を吸収するのは無理そうです。「不妊専門のクリニックへ行くのが良い」という書込みが多く目に留まりました。理由は難しくてほぼ分かりませんでした。私が理解できたのは「総合病院は産科と婦人科が同じで、待合に妊婦がいてストレスになる」ということでした。病院へ行けばすぐ解決すると思っている私は「妊婦はストレスにはならない」と自信さえありました。重症ではないだろうし、初っ端からわざわざ専門の所へ行かなくて良い。大きい病院は小さい病院より優れている。もし畑違いだったら、違う病院を紹介してくれる。勝手な印象と思い込みから、公立総合病院の産婦人科に決めました。お婆ちゃん先生のいる曜日にまず受診してみよう。お婆ちゃん先生は月経を取り戻すでお世話になった先生です。結果論ですが、妊娠できたなら この選択で良かった。しかし、この病院選択によって さらに苦脳が増えてしまいました。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.18

妊娠しない。基礎体温を測って排卵日らしき日に挑戦はしてみたけどかすりもしませんでした。私の周囲は結婚1年後くらいには妊娠している夫婦が多く、早いと結婚1周年の日には産まれていたりしました。「子供を早く欲しい」と言っていた主婦の友達からは半年後には妊娠したとメールが来ていました。流産に終わりましたが 前回はおそらく2か3周期あたりには妊娠していました。6~7年前の話ですけど。その時は排卵を調べた訳でもなく、そんなにシビアにいつと決めなくてもいいくらい妊娠は簡単なことではなかったのか?数ヵ月あれば子供はできるものだと思っていました。「一度 妊娠したことがあるならまた次もできるよ」っていろんな人に言われてきたし、私も当然そうだと思っていました。なぜか予定通りに進まない、そこで病院に行くことにしました。当時は「日本の医療は凄い。病院へ行きさえすれば、なんでも解決すると」思っていました。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.17

仕事も遠ざかっていたので復帰しようかな?摂食障害をほぼ克服して直すところは見当たらず、次になにかしようという余裕が生まれました。37歳を迎える頃、テレビでなにやら難しそうなニュースが流れてきました。不妊治療の助成金42歳まで。43歳から打ち切りにする案がでているとかで・・・「ん!? 43歳なんてまだまだ余裕でしょ。芸能人で産んでる人いるでしょ!?」不妊なんて考えたこともありませんでした。ニュースは続きました。打ち切りの理由は財政もあるけれど、43歳過ぎたら治療しても効果が見込めないから らしい「そうなの?打ち切りするぐらい 子供ができるって無いことなの?」寝る時ふと頭に、「今のままいくと子供をつくろうなんて夫婦ともに気がかわるのに38歳。」私が摂食障害のことで頭がいっぱいの頃、夫は人事異動で仕事がこれまで以上に忙しくなり、子供のことはすっかり頭になく、ほぼレス状態になっていました。「1人目は…あっ そうそう十月十日だったかな、1年くらいはお腹の中にいるから1人目が産まれるのは39歳。2人目が40歳。1人目産んですぐに2人目ってつくれるの?」年子って滅多に見たことがありません。これは流産なくストレートに進んだ時の話であり、流産したらまた体力的・精神的に立ち直るのに時間がかり、どんどん遅れていきます。「子供2人で決定なの?3人目は無理では?」「43歳で助成金打ち切りレベルって、40代で産めるの?もしかしたら私ヤバくない?」焦るのが、気が付くのが遅すぎました。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.16

摂食障害は過去の話です。通院を終えてから、食べ過ぎはありますが、過食・拒食はありません。不妊治療の初診などで体重が必要な時は測りましたが、36歳から現在の妊娠に至るまで体重計に乗ることはほぼありませんでした。確かに太りはしましたが、健康を害する程の肥満でなければいいです。妊娠して管理が必要となり体重を測ることが増えましたが、特に影響はありません。人付き合いは格段に減りましたが、痩せの大食いだのお手本にしていますとチヤホヤしてくる人に囲まれ間違った方向へ走るよりよっぽどましです。念には念を入れ お菓子は完全に断っていましたが、先日 戴いたロールケーキ1本を切り分け数日に分けて食べることができました。摂食障害と無縁の人からすれば「それが何?」と笑うでしょう。私には大きな出来事でした。それ以降 たまにお菓子を食べますが、もうやめておこうとかコントロールできています。不妊治療中、夫の食べ放題・お菓子持ちこみ・買ってきてはなくなりました。そこにいきつくまでに私は折れずに拒否し続け口酸っぱく説明しました。私が妊娠して夫はさらに変わりました。不妊治療卒業前クリニックで つわりのこと まごわやさしいの食事を心掛けようとお話がありました。夫はそれ以降「まごわやさしい摂ってる?」と聞いてくるようになりました。『んーっと、「ま」は豆、「ご」は…』とか言っています!!!私が食パンを摘み食いすると、夫は薄切りの食パンを買ってくるようになりました。あんなに栄養バランスやカロリーに無頓着だった夫が!驚きですし嬉しいです。結局 5周期 薬を飲んで月経を取り戻し、その後 自力で通常の周期が回ってきました。油断してまたどこかで摂食障害にならないように今も注意はしています。私はもともと健康志向が強く、栄養バランスには人一倍気を配っていました。不妊治療開始前にはいつもの健康志向に戻っており、不妊検査も異常なく原因不明でした。摂食障害は時間のロスではありますが、摂食障害=不妊ではありませんでした。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.15

やはり愚行過ぎる部分はブログには書けませんでした。過食症の可能性のある人が真似をしてエスカレートすることも考えられますし。以前の私がそうでした。通院を始めて半年から1年で急速に回復していきました。危険な代償行為は止めることができました。スーパーのバランス弁当1つにサラダ1つ足せば、1食にすることができるようになりました。食べた後に空腹が襲ってきません。夫のお菓子 揚げ物インスタント好きは放置して、食べ放題のお誘いも無視 出来るようになりました。通院も終えました。その後 元に戻らないように注意を払ったり、細かい修正は続けました。自分を立て直すことだけを考えていたので、子供とか将来の事は全く頭にありませんでした。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.14

体重と体脂肪率を測るのを止めました。ジムも辞めました。無月経で低体脂肪率なのに筋肉をつけろというおかしな指導から解放され、かなり気分が楽になりました。同時に外見を褒めてくる人達とも係らなくてよくなりました。モデルと直接会うこともなくなりました。ダイエット日誌と交流を止めました。仕事の出勤回数を減らしました。痩せの大食いとチヤホヤしてくる人達との接触を断ちました。ネット ゲームなんでもいいので、食べるとかダイエット以外で集中できることをしてみました。お菓子・サプリメント・プロテイン等 過剰摂取の可能性のある物を買うのを止めました。他人からお菓子を戴いたら、夫の職場へ持って行ってもらいました。自炊ではなくスーパーのバランス弁当を買って、まずはこれが一人分だと目安を付けました。夫が食べ放題に誘ってきても、「私は過食症!」と極力断りました(最終的に完全に断ちました)。夫は3日で忘れるでしょうけど、お菓子を持ち込んだり「お菓子買っきて」と頼んできたら、私は怒りを露わにするようにしました。夫に買い物を任せると揚げ物とインスタントの麺類ばかりになるのでドロドロ血のリスクや添加物のことなど何度でも説明しました。テレビで生活習慣病の特集が流れると夫に見せました。とにかく夫の食生活に屈しないことにしました。薬は一切無く、食事管理のみ 通院。先生に言われとても同感したことですが「摂食障害って生活習慣病みたい」です。悪しき食生活や代償行為を自分で分かっていながら、習慣になってしまっていて止められないところがあります。私にとって必要だったのは、夫の食生活改善と協力、摂食障害であるという明確な診断と自覚でした。勿論 自分で治そうという前向きな気持ちも必要ですが、それだけではどうにもならず夫と医者に頼らなければならない部分がかなりありました。不妊治療のようにエコーで確認やホルモン量を測って判定ではなく、目には見えず 摂食障害であると自覚がないままどんどんエスカレートするのが最も厄介で恐いところでした。摂食障害と判明した後は、愚行に走りそうになると「私は過食症。私の認知はズレていないか?」とまず自分を疑うことでスットプできることが増えていきました。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.12

35歳が終わる頃 子供を作ろうという考えは全くありませんでした。子供がいない状況に焦りもありませんでした。摂食障害発覚の数ヵ月前 無月経を治そうと婦人科へ行きました。もしかしたら過食症?このままでは体が壊れる。お金も無くなる。変なダイエットを止めた方がいい 少しでも現状から抜け出したかったからです。何も気にせず 仕事はガンガンできるし 遠方の通勤も自転車で行けます。ジムもいつで好きなことができますし、無月経の生活はとても快適でした。スポーツ選手の運動し過ぎて月経がなかったという話をきくと、「格好良い。よくぞそこまで体を創り上げた。」とさえ思っていました。しかし、無月経の放置が1年になり このままでいいのだろうかというのも頭のどこかにありました。無月経になって最初に受診した病院へは行きませんでした。流産手術でお世話になった産婦人科へ行きました。見るからにベテランぽいお婆ちゃん先生が特に深刻そうでもなく、ルトラール2mg2錠10日分を処方してくれました。飲み終わって5日後生理が来ました。1週間後 お婆ちゃん先生が「薬で戻ってくるようなら、そんなに心配いらない。」と。それまで大きな病気をしたこともなかったので「病院に行けさえすれば いつものように治る」ぐらいに私は思いました。(その後 不妊治療ではそんな呑気な考えも吹っ飛びましたが)その後プラノバール1錠63日分(3ヵ月分)とクロミッド50mg2錠5日分と当時のお薬手帳に記録が残っています。本来 薬嫌いの私が今 見ると こんなに薬を貰っていたのか…親からもらった健康な体を自ら壊す 己の愚行を恥じるばかりです。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.11

極端な書き方で、気を悪くされたらごめんなさい。不妊が深刻になるにつれ、テレビでモデルや美魔女(最近いない?)が痩せる秘訣だの話しても「あっそうですかっ」て感じになりました。現在は妊娠中で出産のリスクを高めないように体重増加に注意はしていますけど、自分の外見よりもお腹の子が安全に無事に育って産まれてくれることが最優先です。高校生の頃から 周りの女子も「痩せたい」だの「ダイエットしている」が挨拶みたいでした。20代の頃 女性ファッション雑誌のコーディネイトを真似しようとしました。服を買いに行っても、どれもこれも細身。標準体重では同じようになりませんでした。だってモデルが着てるんですもの。人生1度だけ激太りしたことがあります。BMI 24.5前後です。それでもまだ標準範囲内ではあります。通勤を自転車にして仕事に追われていたら1年~2年で元に戻りました。私としては一時的に太ったというだけで 気にしておらず 激太りしたことを忘れることも多かったのですが、周囲は忘れてはいません。太った頃に出会った人って 太った私が基準なのです。「以前はふくよかだったけど、スリムになったね」とよく声を掛けられました。男性に言われたことはありません。女性ばかりです。下に見られているというか 可哀相に思われているというか…明らかに言葉を選んでいるのがわかりました。太るとこうも周囲の扱いが変わるものかと身をもって知りました。ダイエット日誌を公開している頃、コメントも戴きました。「(私が)食べても太らない体をダイエットで手に入れた!」と勝手に決め付ける人もいました。その頃ですよ 私が無月経になったのは。私が「ダイエットは卒業します」と宣言すると、そういう人に限って「皆で日誌で監視し合あわないと駄目だ。ダイエットは継続だ。」と厳しかったです。標準体重の時はジムでも普通の人扱いでしたが、BMI18台 体脂肪率20%以下で無月経なのに明らかにチヤホヤされました。既に知れ渡っていて、職場で初対面の人に「痩せの大食いなんでしょ!?凄い!」と羨ましがられました。どれもこれも男性ではなく女性にです。今も雑誌にしてもテレビにしても標準ではなく痩せの人が持て囃されていると思います。肥満を標準にするならまだいいですけど、サプリメントやエステ テレビCM ネット広告1日1度は痩せる宣伝を目にします。私は世間の痩せ志向をスルーせず過敏に反応しただけなのかもしれません。痩せの大食い神話から私が一気に目が覚めたブログをご紹介します。テレビなど大食い大会で活躍されていた方のブログです。大食い フードファイターの裏側~摂食障害に病んで~これを読んで痩せの大食いを褒める人 まだいますか? 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.09

私が摂食障害で通院しても、夫は食べ放題に誘ってきたり、お菓子を買って来てと頼んできました。『アルコール中毒の人に「居酒屋行こう」とか「お酒買ってきて」と言わないでしょう』と何度も説明して協力を求めましたが、3日もすれば忘れるのかまた振り出しに戻りました。摂食障害を抜きにして、将来糖尿病になりそうな量のお菓子が部屋に散乱していて、「せめて私の前では見せないで」と頼んでも、冷蔵庫や隣の部屋に移動しているだけでした。よくてせいぜい透明のスーパーの袋に入れてあるだけで、自然と目に付きました。私は とても難しいことを協力して下さいと夫にお願いしたのではありません。学生時代から夫婦で月1~3回 食べ放題に行くのが習慣でした。ダイエットして食べ放題に行くこと自体矛盾しています。回数に関わらず 食べ放題で食べる量を調整すればいいのですが、摂食障害のどつぼにはまっているとそうもいきません。食べ放題を拒否したこともありましたが、普段めったに怒ることのない夫が怒るのです。不妊治療に入り結果が出ず不妊が深刻と分かるにつれ(この頃は無月経ではなく原因不明です)夫は協力するようになり、食べ放題は止め、自宅にお菓子を持ち込むことも、買ってきてと頼むこともなくなりました。しかし、未だに当時の夫の食生活と非協力は理解できません。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.07

摂食障害のことはどこまで掘り下げて書くか迷っています。私の育った実家の環境や夫の事も関わっていて書くと切りがありません。明るい内容ではなくブログをお読みの方も引くかと。今となっては私にとって摂食障害はただの通過点で不妊治療や高齢妊娠の観点からすると、摂食障害は時間のロスでしかありません。流産経験は今 振り返っても辛い記憶でしかないのですが、摂食障害は辛いうえに 私の愚行で具体的な事を人に言うのも恥ずかしいです。摂食障害は範囲が広いです。嘔吐を繰り返して明らかに痩せている人や夜中に冷蔵庫を漁って食べ続ける人が摂食障害と私は思っていました。私は嘔吐は無くBMIからも肥満でも痩せでもないので、ダイエットの範疇なのか過食症なのかわからず続行していました。婦人科医・スポーツジムのインストラクター栄養士に何も止められなかったことで拍車が掛かりました。愚行の一部 変な食生活になればなるほど、周囲から称賛を浴びました。「たくさん食べても太らない!どうしたらそのスタイルが保てるの?」運動もたくさんするわけですからジムでもいろんなことが上達し知らない人からも「凄い!お手本にしてます!」ですって。ますます愚行が進行します。誰も止めない、止めるどころか褒めるのです。一緒に住んでいる夫でさえも気付いていない?理解していない?倫理的にもアウトで愚行を公言できません。罪悪感もあり隠します。止めるのは自分しかありません。都道府県の心の相談みたいなところにまず電話しました。NPO法人や大きい精神病院を紹介されました。大きい精神病院に電話してみたところ、あまり相手にされていない感がありここは違うと感じました。ネットで心療内科を探し受診、そこから専門医に回され摂食障害が発覚しました。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.05

私と違って賢い人なら、無月経になった時点でダイエットを止めるでしょう。子供を望むなら尚更です。健康な状態をわざわざ害するなんて愚かでした。自然妊娠に挑戦できたかもしれない年月をたくさんロスしました。30代半ば ダイエットと言っても、無暗に体重を落としたいのではなく貧相な体形になりたいのでもなく、私が拘ったのは体脂肪率で、どこでどう測っても20%未満をキープするように食事制限と運動を続けました。婦人科医・スポーツジムのインストラクター 栄養士が止めるレベルでもないので、続行可能と判断しました。仕事をバリバリするわけでもなく、今までジム通いに時間を費やした変なプライドもありました。もう子供を産むとか考えていませんでした。無月経になっている以上 妊娠も無理ですし、その時はそれでもいいと思っていました。 そもそも「頑張りが足りない」って何でしょう? ジムにはモデルの方もいまして上を見ればどれだけでも上はいました。目指そうとすれば上限はありませんでした。 私 特有かもしれませんが、育った家庭環境が悪かったのです。家庭の教育方針で実力以上の事を求められました。達成しないと躾と称した暴力を受けました。強迫観念みたいなのが身に付いてしまっています。育った環境を変えることはできないので、思春期ぐらいから意識して軌道修正しています。夫も「頑張り過ぎる!」といつも注意してくれていました。当時「まだ頑張れる」が軌道修正や夫の注意を上回っていたのだと思います。 応援クリック1回ありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.04

医者だけでなく、私は肩書きに弱いです。 特に資格が有るということは、自己流ではなく、 その資格を取れるだけの正しい知識を積んでいると証明できているのですから。 ジムの女性インストラクターが、パーソナルトレーナーと(管理栄養士だったか?)栄養士の資格を持っている」と言いました。 30代半ば 私はダイエットやり過ぎか頑張り足りないのか判りませんでした。 体重はどこで測っても一緒、痩せ気味ではあるが痩せ過ぎではありません。 メーンで通っていたジムの計測器では体脂肪率18~20%と出るけど、 サブのジムだと16%、自宅のだと14%を下回っていました。 おまけに月経が止まってしまいました。 別に相談した訳ではなく雑談でしたが、 「主食の炭水化物は減らしてるけど、お菓子は食べる。 これでいいのかな?」と私が言ったところ、 その女性インストラクターが「お菓子食べるなら一緒。大丈夫。 私はパーソナルトレーナーと(管理?)栄養士の資格も持っている。 見たところ全然ガリガリではない。」 と、かなりバカにした表情で言いました。 それで、ますます「誰も止めない、まだ大丈夫なんだ。頑張りが足りない。」と思ってしまいました。 医学もダイエットも素人の私。 医者や栄養士が大丈夫と言えば、大丈夫と思っていました。 でも後に発覚しますが、私は摂食障害(過食症)でした。 クリック1回お願いします 励みになりますまたいつか書こうと思いますが、 不妊治療中 己と学んだ事の1つに「医者もいろいろ、病院もいろいろ」というのがあります。 時には疑うこと、合わないと思ったら転院する選択が必要でした。 今、冷静に考えれば、その女性インストラクターって武勇伝を語った人と同一人物なのですよね。 私が無月経だということも、体脂肪が極端に落ちたことも知りません。 その場で「無月経でも大丈夫?」と聞くなりすればよかったのかもしれません。 ジムによって判定が様々でした。 メーンのジムでは体脂肪が多目に計測され、もっと筋肉をつけなさいとインストラクターから指示が出ました。標準体重を理想としていました。 そのジムの理想基準を満たし指示は特に出ないという女性に会ったことがありますが、かなりたくましい体形で、中肉中背でした。 (お洒落するには?と当時は思いましたが、子供を産むには良いかもしれません。) サブのジムは美容体重を理想としていて、自分の目指すところと同じでした。 そこでは運動能力も優秀と褒められるだけで、特に何かプラスしなさいと言われることもありませんでした。摂食障害になる前に インストラクターを疑うこと ジムを変える選択が必要でした。 応援クリックありがとう。赤ちゃん待ちのブログ 他にもいっぱいあります
2016.05.03

30代半ば BMI20.3から19へ落としました。体脂肪率もダウン、多く表示される計測器で20%、少ないので16%。ドラッグストアで市販されているダイエットドリンクに食事を置き換えて、ひたすら運動。こういうダイエットはそれまでに何度もしたことがありましたが、体に変調をきたすことはありませんでした。いつもと違うことと言えば、体脂肪率が過去最低になったのと、ネットでダイエット管理日誌を利用したことです。1日の食事内容と運動のカロリーを入力すると、無料で評価とアドバイスが貰えるものでした。今 思えば、低炭水化物過ぎたのかもしれません。生理周期は合っていましたが、ほとんど量がなくなりました。自宅から1番近い総合病院の産婦人科を受診しました。原因はダイエットしか思い当たらなかったので、先生に伝えました。「誰にでも生理が狂うことはある。体重が落ちたことが原因なら、あなたより痩せている人はみんな生理が無くなる。あなたより痩せている人でも、生理があって妊娠して出産もしている。ダイエットは関係ない。もし来月も生理が来なかったら もう1回来て。」とのことで、薬も出ませんでした。「2度と行きたくない!物の言い方と態度が凄く偉そうな先生」と思いつつも、「自分磨きは切りが無い、ドクターストップでもかかればダイエットなんてやめるのに」と少し期待していたのですが、薬も出ないレベルとは・・・その医者の言葉を「まだまだダイエットしてもOK。(私の)頑張りが足りない」という風に感じました。結局 翌月からも生理はなかったけれど、私が再診に行くことはありませんでした。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.05.02

33歳、34歳の頃です。子供を産むわけでもない、かと言って一生勤めれる職場にいるわけでもない私。年上の未婚女性は、仕事をしてその後はジムで自分磨き、自由で格好良く私には映りました。夫は 私に仕事ではなく家事優先、子供を希望していましたし、もともと温和な性格であれやこれや言わないので、私は野放しでした。フルタイムの仕事は好条件でしたが、仕事中心の生活になってしまうので契約更新せず辞めました。1Kアパートはとっくに引越して、夫の実家が干渉してくることもなく、いつ子供ができてもいい環境に整っていました。30代半ば 妊娠するまでは極力 働きたいので、短期・単発の仕事をしました。ジム通いも長くなり、体力を活かせる軽作業をメーンに受付やイベント関係でした。倉庫や工場の軽作業では お洒落はできませんが、ジムで体を鍛える延長感覚でとても楽しく、汗だくになって働くと充実感がありました。自分の服や靴を買える程度に働き、残りの時間はジムを掛け持ちして通っていました。今 体を作っておけば、今後 妊娠して太ってもそこそこ綺麗でいられる「えっ!?妊婦なんですか?そんな風に見えない!」と言われ、産んだ後もすぐ元に戻す。子持ちには見えないママになりたいと思っていました。そして、頑張り次第でそうなれると思っていました。この仕事観がこの後 (無月経となり)無月経の放置へと続いていくこととなります。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.05.01

主婦がいないこともありませんでしたが、子供は既に高校生や大学生。子供なし主婦の私とは別の世界の人です。知り合う女性は 私よりも年上で未婚ばかりでした。仲良くしてもらっていたのは、実年齢45歳前後で見た目は30代の女性が多く、彼女達は、仕事が終わってから ほぼ毎日 ジムに通っていて、自己投資に余裕があり ジムの中でベテランでした。彼女達もまた子供なし主婦の私とは別の世界の人でした。私は10歳以上若く 結婚しているので 子供には一歩近いように感じました。一緒にいると焦ることもなく、どちらかというと「あれ?私だけ既婚?」「今 子供なんて考えなくても、もっと好きなことをしていいんだ」という感覚になりました。出産 育児の生活に移行したばかりの主婦と出会って話すことはほとんどありませんでした。そういう人は夜ジムに まずいません。私とは生活時間帯も生活場所も違うのです。ますます疎遠になり子供や育児の情報は入らなくなり、私は置いてけぼりをくらっていることを意識しなくなりました。きっと保育園でママばかりに囲まれたら、このままでは駄目だと焦ったでしょう。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.29

私の知り合いの同年代の既婚女性は20代のうちに全員 出産し子育ての生活に既に移っていました。もともと残っているのは私だけでした。31歳から30代半ば 私が「空白の時」を過ごしている間、唯一出会った同年代子供なし主婦からも 半年後に妊娠したというメールが来ました。この頃 私は自分が不妊とはわかっておらず、嫉妬もなく、「あぁまた別の世界に行ってしまう人が増えた。出産後も子育てに忙しいだろうからもう一緒に遊べないね」ぐらいにしか思っていませんでした。年下の女友達ができ婚になりました。彼女としてはただ話を聞いてほしかったのかもしれませんが、私が流産したことを知っていて、私がわかるはずもない 妊娠についてメールを何度も送ってきました。「看護師なのに流産した人に妊娠のメールを送るってどういうことかわからないのかな?私でなく妊婦さんか経験者に相談した方がいいのでは?」と思いました。流産のショックを引きずりながら他人の妊娠の話を聞ける程 私は心が広くはありません。それとなくフェイドアウトして以降 彼女とは連絡は取っていません。私より後から結婚した人も皆 出産して子育て 別の世界の人になっていきました。この頃は 置いてけぼりをくらっているのに 寂しさや焦りはありませんでした。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.28

夫も「積極的に子供をつくろうとしないからできない。その気になればすぐ妊娠する」という私と同じ勘違いをしていました。さらにそのうえ 人を見た目でしか判断していませんでした。「仕事で36歳で出産した人に会った。このくらいの年齢で産む人は最近多い。」それは流産後の私を励ますために言ったことなのかはわかりません。確かに30半ばで産む人も増えています。夫は普段から私の見た目が年齢より若いと満足そうでした。でも見た目と女性の体力や(後に知ることとなる)生殖年齢は別物です。私も簡単に妊娠して 簡単に子供のいる家庭をつくることができると勘違いしていましたが、「36、37歳からのスタートでは体力がもたないのでは?その年で産み始める人もいるかもしれないけど、私はそんな超人ではない。一体 夫は私をなんだと思っているのか?」とその時は思いました。夫は「今の人は皆 (見た目や体力が)若い」だのしょっちゅう口にしました。私が年配の人が苦労されている話をしても、「…んな割に 若いよね」でなんでもかんでも結論付けました。夫は何事も見た目が若いとすぐに安心しました。不妊治療が進む途中 私が夫に本気でぶちギレるまでこの思考は続きました。夫は人間が年を取ることを受け入れていなかったのだと思います。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.27

「子作りからの逃避」の根底には子作りは「いつでもできる」・妊娠は「いつでもできる」・子供のいる家庭は「いつでもできる」という私の大きな勘違いがありました。数年後から無月経・摂食障害・原因不明の不妊が待ち構えていると知る由もなく、そんな近い未来 少しでもわかっていれば31歳から30代半ばまで「空白の時」にしてしまうこともありませんでした。逃避なんてしている場合ではなかったのです。でき婚・できちゃった結婚、 結婚するつもりの無い相手と子供ができて結婚した人達が周囲にいました。それぐらい子供はつくるつもりがなくてもできるものと私は思っていました。学校で避妊について学ぶことはありましたが、不妊について学ぶことはありませんでした。そもそも「不妊」なんて言葉を知りもしませんでした。妊娠は誰にでもとても容易いこと、避妊しなければ、子供はできてしまうという認識でした。流産に終わりましたが、自然妊娠はすぐしたのでその気になりさえすれば 次もまたすぐできると変な自信もありました。「昔は30歳で高齢出産と言ったらしいけど、最近は35歳かららしい。37、38歳から出産・子育てでは遅い、35歳前後には子供がいて そこで夫婦二人の気ままな生活は終わり。 だから33歳くらいまでは思いっきり好きなことをしよう」そんなつもりでいました。40歳でママ デビューなんて考えたこともありませんでした。35歳前後で子供ができるのなら、その計画で良かったのですが、現実はそうではありませんでした。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.26

私は31歳になりました。流産のショック。独りで抱えた辛さ。非協力的で父親最優先、頼りにできない夫、育てられない生活環境。子供のことなんて考えたくありませんでした。しかし、「そのうち子供は欲しい」と口では言っていました。先々 全く子供がいらない訳でもありませんでした。この頃 初めて子供無し主婦と出会いました。彼女は、私より少し年上で 短時間の仕事を探していて、「子供を早く欲しい」と言っていました。彼女といると、私も「子供が欲しい」で年相応と思えました。私の夫は残業が多く、私が短時間の仕事をして一切の家事をする方がバランスが取れて生活が安定するのは今までの生活でわかっていましたし、夫はそれを希望していました。しかし、良いお話をいただいたこともあり、私はフルタイムの仕事に就きました。今更 産休を取れるような会社に就職は無理ですが、スキルを付けておけば 出産後、仕事に就いて子育て仕事の両立がいつかできるかもしれないと私はまだ夢を見ていました。自分で収入があると、この生活で良いと自分を肯定できました。新しい仕事に就くと覚えることがたくさんあり没頭できました。職場でもいろんな人と会話できますし、ジム通いも続けていて、忙しい方が流産・夫・子供のことを考えずに済みました。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.25

今日は日記を書いてみて、当時 夫は28歳になったばかりでしたし、仕方がなかったのかなと思えました。私も若かったなぁ現在 私は子供も仕事もなんて能力は私には無いと認め、専業主婦ができる環境と仕事を頑張ってくれる夫に感謝しています。しかし、当時の状況がないと話が繋がりませんので公開します。流産後 長い空白の時に突入する経緯は…私は夫にああして欲しいこうして欲しいと口うるさく言えばよかったのかもしれませんが、いつもの仲の良い雰囲気を崩したくありませんでした。妊娠しても出産しても育児しても働いている女性がたくさんいるこの世の中、辛くても我慢すれば私もなんでもできると信じ込んでいました。流産手術の日にもし夫が付き添いにいてくれたらというのは後にならないとわからないことでしたので、防ぎようがありませんでした。しかし私は流産のことを独りで背負いすぎました。流産手術の日にタクシー代を用意してくれた以外に夫がなにかしてくれたという覚えは私にありません。夫が気遣う言葉を私に掛けてくれたのは流産以降です。「妊娠を喜び過ぎても流産することもある」という会話をしたことはありますが、私の妊娠中に夫がなにかしたとういう覚えもありません。少しの間でしたが妊娠中の辛さも私だけが背負いました。夫は自分の生活ペースと自分の父親が私のことよりも優先で妊娠中も流産後も私の体への配慮と協力が足りなかったのです。そして その先の生活環境を何も考えてはいません。次にもし妊娠したら、また同じ状況になるかもしれません。妊娠中すべてを背負うのは私です。出産しても子育ては私 独りでするのは目に見えています。もう夫は当てになりません。今の状況で子供を産んで育てるなんて到底 無理と私は判断しました。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.24

もし次に妊娠したとして、出産と育児なんてできるのでしょうか?学生時代から二人で暮らしていましたので、小さい一つの部屋に二人でいることはごく普通のことでした。荷物がいっぱい、足の踏み場もない、かろうじて寝る場所があれば生活できました。社会人になったら二人とも仕事で自宅にほぼいないので、さらに部屋なんて気にしなくなりました。妊娠が継続すれば必要に応じ、生活環境も変えようとしたでしょう。でも、今回は流産で終わってしまいました。流産後も夫は単身用の1Kアパートで出産から子育てをすることになんら疑問を感じていない様子でした。二人の荷物だけでいっぱいの1Kアパートで一体どう育てるのでしょうか。一瞬でも妊娠したのです。一瞬でも夫は赤ちゃんがその場にいるのを想像しなかったのでしょうか。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.23

夫は父親の言いなりなのでは?確かに結婚式はいらないと思いつつも、強い否定をせず、妊娠中にもかかわらず遠方の式にしたのは私です。それは私に非があります。私の実家も結婚式を開かなくてもいいという考えでした。結婚式を開かなくてはいけないという強い拘りは夫の実家でした。夫は、私が結婚式は要らないと言えば要らない父親が結婚式が要ると言えば要るという感じでした。流産手術後、私は完治していない体が不安で、慣れない所に泊るよりも、自宅で誰にも気を使わず安静にしていたかったのです。夫は、私の体調よりもお正月に実家で1泊することをなんの迷いも無く選びました。夫にとって父親の言うことを聞く・本来ある習慣に従うことは私の体のことよりも優先でした。義父は威圧的な言い方はしませんが、良い子の夫は言われれば従うようでした。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.22

現在 私は40歳 目前。夫はもうすぐ38歳になります。ここ2~3年 不妊治療が進んでいくにつれ、夫は変わっていきました。私が妊娠してさらに変わりました。不妊クリニックを卒業する時にもらったガイドブックを何度も読んでいます。仕事が大変な中 毎日「お腹の調子はどう?」と気遣ってくれます。買い物も手伝ってくれます。とても協力的です。結婚したて、妊娠して流産した頃、私は30歳になったというのに、まだまだ中身は幼稚だったのです。未熟でした。一方で夫は…私の妊娠中のつらさが夫には伝わっていませんでした。「本当にオエッて(吐き気が)くるの?」と聞かれたことがあります。テレビドラマでしか見たことがないけど、本当にそうなるのか興味があったのでしょう。これはさすがに馬鹿にされたようで腹が立ちました。その表情がなんだかワクワクしているような 茶化す様に見えたからです。ほぼ毎日 夕食を終えるとすぐに 夫と私はジムへ向かうのが習慣でした。ジムへ出かける時でさえ、私が、以前より疲れやすくなり、気持ち悪くてゆっくり進みたくても夫はどんどん先へ行ってしまうのです。遅れないようになんとか私はついて行きました。夫はジムに行くということだけが頭にあり、私の体調のことは忘れてしまっているのです。私が妊娠したところで、夫はいつもの生活ペースを崩しませんでした。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.21

30歳で入籍 結婚から流産。31歳から 摂食障害が発覚する30代半ばまで「空白の時」が流れます。排卵日を予測したりすることもなく 子作りには消極的で、私は仕事をしたり、お洒落にジム通いとにかく好きなことをしました。夫も仕事。休みの日は一緒に遊びに出掛けました。仲が悪いわけではありませんでした。周囲からは寧ろ優しい旦那・仲のいい夫婦と言われていました。(これも勘違いへの落とし穴でした。)夫婦共に子供はつくろうとすればすぐできると過信していました。後から結婚した女友達は出産して育児の生活に移っていきました。結婚している同年代の女友達の中で子供がいないのは私だけになりました。それでも私は まだ好きなことをしていたい、そうこうしているうちに子供はできるものと過ごす日々でした。今 思えば、この時期をどう過ごすかで高齢妊娠・40代の新米ママになることを避けれたのではないかと思います。(こんなこと考えるのは贅沢過ぎるのもわかっています。不妊治療中はとにかくなんでもいい、妊娠して!と必死でした。40代でママになれるかもしれない今の状況はありがたいことです。でもそれとは別で もっと早くにという後悔はなくなりません。)不妊に気付いていれば、もっと積極的に子供について考えただろうしもっと早くから治療を開始することができたはずです。長い長い「空白の時」に突入するのには、切っ掛けがあります。それは、私の「夫への不信感」「子作りからの逃避」「いつでもできる勘違い」です。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.20

私はすぐに人の意見に流されるところがありますので、ブログを開設してからはめったに他人のブログを見ないのですが、私の参加しているブログ村 不妊治療体験記のこれだけは読みました。「38歳、早くあかちゃんに会いたいな」さんの熊本の地震にネットで義援金…手軽に募金できる時代です。情報ありがとうございます。熊本地震の被害報道を聞くたびに、何かできなかと思っているところでした。これなら私にもできるかもとYahoo!ネット募金から【Yahoo!基金】熊本地震災害緊急支援募金へ飛んでみました。引き続き募金の受け付けは行っていますが、「上限の2000万円を達成しましたので終了」(2016/4/19 0:00現在)となっていたので日本赤十字社にしてみました。ネット経由の募金は初めてでしたが、意外と簡単でした。トップページの”寄付する”からたどっていったら、熊本地震専用ではなく日本赤十字社に通常の募金にしてしまいましたが、(何もしないよりは微力ですがどこかで誰かのお役に立てるかも。)後で細かく見ていましたら、トップページの”最新情報”(4/15)と”義援金・救援金募集一覧”のところに 日本赤十字社「平成28年熊本地震災害義援金」というのがありました。体外受精の移植の時に見た、1つの丸い細胞が お腹の中で成長してどんどん人間の姿になっていくのを目の当たりにしていると不思議で、一つの命っていくつもの奇跡の連続でできていてとても尊いと感じます。不妊で悩み、不妊治療の通院をしている時は「他人どころではない!誰か私のこの状況なんとかして下さい!」としか思えませんでした。妊娠して もしかしたらこの先 出産できるかもしれないとなってみると自分の命・子供の命・他人の命 全部大切と 少し気持ちに変化が出てきました。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.19

ブログ開設当初 1ヵ月後の妊婦健診までに自然妊娠・流産・不妊治療を回想し以降は高齢妊娠について綴る予定だったのですが、流産までのことだけで半月かかっています。とてもじゃないですが、1ヵ月で終わりそうにありません。当分 回想ブログになりそうです。いつか現在に追いつく時が来るのかもしれませんが、そこは成り行き任せでいこうと思っています。文章を書くことが苦手な私が、次から次へと書きたいことが湧いてくるのには私自身 驚きました。ずっと溜めこんでいたんだと。読み返してみても、このブログ 暗いです。前向きに明るいことを書いてコメントのやりとりをした方がたくさんの人が集まって、多くの方のお目に触れる機会が増えるかもしれません。現在 体外受精で妊娠中とは言え、今まで散々でしたので、手放しで喜ぶことができません。先の見えない不妊で落ち込んでいる時も、外では平常とニコニコ。疲れました。ブログではしないことにしています。励ましたりすることも殆どないかもしれません。私が見たまま思ったままを綴ります。それをどう捉えるかはお読み下さる方それぞれです。私が不妊治療で独り戦っている時、夢や希望よりも、厳しい現実や事実を伝えてくれるブログに助けられました。同じような人に見つけてもらえたらと思っています。楽しいとは言えない内容ですし、きつい表現になることもありますが一個人の体験談として読み流していただければ嬉しい限りです。ブログ村の不妊治療体験記へブログ村の高齢不妊から妊娠へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.18

あくまでも私の持論です。流産したことのない人の中には一度の妊娠で出産する考えしかなく、妊娠には流産することがあるという前提が無くお話する方がいます。他の女の人も自分と同じであると疑いもせず時に無神経な言葉を放つことがあります。自らの武勇伝を語る人もいます。芸能人も妊娠発表した後の 流産・死産は報告しますが、実は流産の経験があるとか後々になってでてきます。妊娠発表はしても、流産発表はしないですよね。流産だけに限ったことでは、ありません。いろんな問題を抱えた人がいます。それを周囲に伝える人、伝えない人 様々です。おめでたい事は発表されることが多く、おめでたくない事は発表されないことが多い様に思います。不妊もそうだと思いました。仲間同士で情報交換したり、職場の休みの関係で周囲に伝える人もいますが、私は不妊ですとか治療中ですなんて皆が皆 発表しません。(これはいつかまた書こうと思います。)私が流産したと話すと、友達もしたことがあるとか、母が2回したことがあるとか、結構 経験談が出てきます。発表しないだけで、流産した人はいます。にほんブログ村へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.16

ジムにいる時は、いつもと何も変わらない時間が流れていました。ここは実家でもなく病院でもなく、ほっとできる場所でした。私がハードな運動をしていないことに ジムの友達が気付いていました。女友達二人が「最近 前みたいに運動していないけど、妊娠したんじゃないの??」とにこやかに聞きました。「流産手術があるからシフトを変えて下さい」と職場に電話した時と同じノリでさらっと「あぁそれね。妊娠じゃなくて流産した。」と答えたら、二人の表情が一気に曇りました。「私の友達も流産した人いるし・・・」とかそういう会話になりました。明らかに二人が気を遣っているのがうかがえました。流産手術後 暫く休み 職場復帰した日もそうでした。仕事場に向かっている時点で、気持ちは仕事をする通常モードでした。しかし、職場に着いて挨拶すると、そこにいた人達が「大変だったね」と硬い表情。「流産しました。」なんて自ら進んで言いませんが、聞かれたり、必要あらば、言います。でも、それで その場の雰囲気が暗くなっちゃうんですね。にほんブログ村へ高齢赤ちゃん待ちブログランキングへ応援のクリック1回が励みになります。ありがとう↑↑ 赤ちゃん待ちのブログいっぱいあります ↑↑
2016.04.15
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