2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全10件 (10件中 1-10件目)
1

今夜は幼馴染と新年会!みんな相変わらず独身で、気のおけないオンナ4人の友人たちとしこたま飲んできました。コラーゲンたっぷりのだし汁。これが溶けてちゃんこの素になる。 なんとなく、ケムリをあおいで顔にかけてみるわたし。日焼け止めを毎日たっぷり顔につけているせいか、不規則な生活のせいか最近、めっきりお肌の調子がよくないもので、つい…。美味しいちゃんこをつついて、コイバナなどで盛り上がる面々は、み~んな、同じ町内に住んでいて小・中学校が一緒。「小学校のとき誰が好きやった~?!」的想い出ばなしは、特に盛り上がるんです。そして、忘れていた過去。というか忘れさせてくれ、という恥ずかしい過去をなぜかしっかり覚えていて、酒の肴にしてはまた盛り上がる。。私の反抗期は、小学校4年生がピークだったんです。今はとってもよい子なんですけど(たぶん)、その頃は人に言えないくらい結構悪かったような。といっても、家族なんかに対してではなく、ターゲットは担任の年配女性の先生でした。今でいう学級崩壊に近く、男子の大将は森クンという子で女子の裏バン的存在が私…??いやいや、みんな悪かったじゃん!と抵抗しても幼馴染はIamが一番だった!と言うのでまぁ、そうなんでしょう。当然、通信簿にも「困った子」みたいなことが書かれていたようです。今思うと、なぜそんなに先生に反抗したのか全く分からないのですが、好き放題やっていたせいで、その担任の先生は次の学年に上がる前に他の学校にやられてしまいました。どんな悪さをしたとか、そういう都合の悪いことはすっかり忘れてしまっている私ですが、1つだけ思い出したことがあるんです。先生が変わり、5年生に上がった秋。当時、モデル校とされていたわが校には他校の先生や教育委員会などがちょくちょく視察にやってきました。その中に、あの女性教師がいたのです。私は気まずいので、コソコソと隠れるようにしてたのですが、授業が終わると先生はすかさず私のところに歩み寄ってきて、私の手をぎゅっと両手で握って言ったんです。「元気そうでよかった、会えて嬉しい」って。目には涙が光っていたのを、幼い私は見逃しませんでした。なんで?なんでそんなふうに嬉しそうに言えるの??今でも不思議でなりません。同時に、小さな胸がチクっとしたのを覚えています。 そんなこんなで、話は大いに盛り上がりあっというまにちゃんこは完食。夜が更ける…今夜は昔話を真剣に語ったり、相変わらずバカなことばっかり言ってる夜でしたが、仕事とか、シガラミとか、そういうことを考えるヒマがないくらい、最後までみんなで涙をながしてゲラゲラ笑ってました。あぁ、本当にいい夜だった
2008.01.29
コメント(6)
今日は、久しぶりに朝早く起きて1ヵ月検診に行ってきました。退院から1ヵ月、やっとお日様のもとドライブできるぞ~!とはりきっていたのですがあいにくの空模様。ラッキーなんだか、アンラッキーなんだか…月曜日の大学病院は相変わらず混んでおり、やっと診察室から名前を呼ばれたのは予約時間の1時間後でした。開口一番、ドクターから「カオ、やっぱり少し焼けたね」と言われショックー!!普段は薄暗くしているからか、自分では気づきませんでしたまた、入院中は、毎日消毒などがあったので次第に股をおっぴろげるのにも慣れちゃって躊躇なくできてたんですけど、今日は久しぶりなので緊張して力んでしまい鼠蹊部(ソケイブ:太ももの内側から股関節までのところ)がツリそうになっちゃいました。診察は、細胞診と組織診、内視鏡検査、血液検査で腫瘍マーカーチェック、などなど検査のオールスターやぁ!(彦麻呂ふう)ってカンジでしたが頑張ったかいあって、検査の結果はすこぶる良好で一安心♪♪カメラで撮った子宮頸部の写真をみせてもらうと、以前あった赤くただれたような部分や黒い斑点のようなものが、きれいすっかり無くなって素人目でも、「異常なし!」という状態に回復していました。やっと、太陽の下にでることも(但し日焼け止め必須!)湯船につかることも解禁され、心から回復を実感です!本当によかったぁ。暗闇生活は、想像以上にキツかったけど、痛みもなく、熱もなく、薬を飲むこともなくここまで回復できたのは、やっぱり有難いことだと思います。改めて、支えてくれたみんなに感謝です!!次の検診は2月の後半。腫瘍マーカーの結果が出るので、再発していないことを祈るのみです。―余談ですが、検診は保険適用外なので毎回5000円~6000円くらいとられるのが結構イタイ。妊婦の定期健診を含め、がん検診などの予防医療にも保険を少しくらい出してくれてもいいのでは??と毎回思う庶民のIamでした…
2008.01.28
コメント(8)
![]()
入院中、ここぞとばかりに本を読みまくった私ですが大学病院というタイムリーな舞台設定と、引き込まれるミステリー小説ってことで一番ハマったのが、コレ。チーム・バチスタの栄光 海堂尊/ 第4回「このミステリーがすごい!」大賞受賞 チーム・バチスタの栄光(上) チーム・バチスタの栄光(下)「パラサイトイヴ」を読んだとき以来の衝撃でした。作者が現役医師だから、文章にリアリティと説得力があるし現代日本の医療現場が抱える問題なんかも、フィクションをとおして考えさせられる内容です。どの職場も変化や競争が激しく忙しい、ストレスフルな日本。うつ病になったり、ココロが壊れてしまう人も少なくありません。だけど、ひとのいのちを扱う「医者」がキレてしまったら・・・??それが実際に起き得るかもしれない現状が、ストーリーの内容に追い討ちをかけるようでぞっとしました。キャラ立ちがすごくて登場人物みんなイメージしやすいので、文章も軽快ですらすら読めちゃいます。映画化したくなるのも分かるなぁ~~。私だったら、田口先生は誰にするかな~。白鳥は…。なんて、ついつい妄想したくなっちゃうカンジ。他のシリーズも読んでみたいです。
2008.01.24
コメント(2)
先日、毎日新聞のコラムに「日本人の二人に一人ががんになるのに、がん教育については後進国である」というような内容が掲載されていました。がんという病気のこと、予防や検診、治療のこと。とても大切な事だと分かってはいるけど、なかなか知る機会がないですよね。私も実際自分がなるまで、全く無知だったし。このブログを見た一人でも多くの人が、子宮頚がんのことを知って考えるきっかけになったらいいな。子宮の事だけど、頸がんは男性にも深い関わりがあるので、一緒に考えて欲しいです。 子宮がんには、頸がんと体がんがあるけど、発生の原因は全く違います。子宮頸がんは、性感染症の一種とも言われます。性交渉のさい、HPV(ヒトパピローマウィルス)というウィルスの長期感染によって、がん細胞になるのです。つまり、性交経験のある女性ならだれでも成り得る病気。ただ、HPV感染しても多くの場合(約90%)は通常持っている免疫力で消滅させることができます。感染者の1割が長期化し、細胞の一部が異形成を生じます。その中でさらに、がん細胞に進行する人がいるというワケ。感染して異形成からがん細胞になるまでは、10年以上の歳月がかかるとも言われてますが、最近は、私のように20代の発症が急増しているようです。ここまでが、私が医学書やネットで調べた内容。あと、治療法は「円錐切除」又は「子宮全摘出」と書いてありPDTについて触れた本はなかったです。※0期の場合の治療法ですさて、これからが先生とお話して知りえた情報。私はこれまで、自分はいずれ結婚したら子どもを生むんだろうとフツーに思ってたけど、この病気になってそれが簡単なことではないんだって、危機感のようなものを覚えたんです。自分が努力したり気をつけることで、もう2度とこういう病気にならないんだったら知りたい!そう先生に訴えると、「コンドームである程度は防げるけど、感染しない確実な方法っていうのは、今はないんです。」と言われました。HPVは100種類以上あると言われていて、現在アメリカで使用されているワクチンはうち2種類に有効だとされていますが、日本では未承認。そして、性交渉によるウィルス感染とはいえ、感染している男性には全く症状がないのです。だから、うつした相手は全く気づくことはないってこと??それって、なんかずるい!なんでオンナだけ?!先生に怒っても仕方ないんだけど、でもやっぱり不公平じゃない?!「そうですよね。犠牲になるのはいつも女性です。」先生は深くうなずいておっしゃいました。「頸がんに限らず、最近は性の多様化によってオーラルセックスなどで喉に感染する病気もあり、女性の喉頭がんへの影響も指摘されています。」ただ、子宮頸がんの場合「検診」で、がんになる前の異形細胞の状態がほぼ発見可能なので、予防という意味では、定期的に検診を受けることが一番有効です。とのことでした。話を聞いて、私は改めてセックスのリスクについて考えさせられました。でも、今まで誰もそんなこと教えてはくれなかった。「犠牲になるのは、いつも女性です」という先生の言葉がとても印象的です。こういうふうに書くと、まるでセックスが悪いことで禁欲を勧めてるみたいだけどそうではなく、私が言いたいのは「知っている」のが大事だということ。だからこそ、がん教育は必要だと思うし日本が「がん教育先進国」になって欲しいと願ってます。
2008.01.23
コメント(8)
今日から、センター試験。いよいよ受験シーズンの到来!ですね。わが家にも、受験生が一人。年の離れた弟が、頑張ってセンター受けています。一生懸命頑張ったんだから、希望どおりの結果が出て欲しいなあ。フレ!フレ!ネットで面白いのをみつけたので、私も受験してみました。↓↓第3回日本語テスト“口説き力”判定http://www.atok.com/test/結果は、日本語力80点、口説きタイプは「つねに正論勝負の大魔神型」だって。 『曲がったことがとにかく嫌いなあなたは、口説き方も筋を通すことが最優先。どんなときでも堂々と正論で勝負するタイプです。ただしあまりに潔癖すぎると、人から煙たがられる存在として扱われる危険性も。TPOに応じた柔軟性をもつと吉。』『なにごとも理詰めで考え抜く合理的な思考力があなたの持ち味。それに加えて、熱い正義漢の側面も持ち合わせています。日本語力は上々。ただ、正論だけの日本語は時に反発を買いそう。表現のバリエーションを増やすことで、説得力アップをめざしましょう。』う~ん。そういわれてみると、私は感情的に大声を出して威圧するタイプの人が大の苦手だし、そういう相手に仕事の話をするときは、特に理路整然と議論をふっかけて相手を負かしたくなるんですよね。あはは。しかも、かなり頑固・・・。今年はもっと柔軟になって、相手の考え方も取り入れる人になろー!!
2008.01.19
コメント(4)
一ヶ月もの入院期間があるので、せっかくなら楽しく過ごしたいですよね。運のよいことに私のところに来てくれるナース達は、とっても楽しい人ばかり。ヒマで死にそうな私に色々おしゃべりして、なごませてくれました。担当ナースは同い年で、世間話するのも楽しかったし20代前半の若いナース達は、仕事の愚痴や病棟の裏話をたまにポロリしてくれそれを聞くのも楽しかったし、年配のナースに人生相談を聞いてもらうのも、楽しかったです。個室なので、周りに遠慮せず結構ワイワイ話すことができるし、6畳くらいの部屋から一歩も外に出られない私にとって、面会時間外は本当に退屈で誰かとおしゃべりするのが一番のストレス解消だったので、本当にありがたかったです。また、担当の若先生も同様でした。治療後20日間くらいは、毎日膣内の洗浄や消毒をしに来るのですが、それ以外でも、様子をみに必ず毎日、時には1日2、3回きてくれることもありました。ある日、いつものように「調子はどうですか。」と来た先生に「お医者さんって、お休みないんですか?」と思わず聞いてしまいました。先生は、ちょっとびっくりした顔をしたけど、すぐに笑いながら「ありますよ~」と答えてくれました。「でも、先生毎日来てくれてますよね。お医者さんって大変なんですね。」「あぁ、消毒に土日もないからね。でもどの職業も大変なんじゃないですか。」「それはそうかも・・。だけど、今日もテレビでやってましたよ。産婦人科医は過重労働でうつになったり、自殺する人もいるって。先生、大丈夫ですか?」「うちは大学病院で、比較的人数もいるから個人病院に比べるとわりと大丈夫ですよ。 それに、ここはチームワークがよくて、忙しくてもそれぞれが補ってやってます。」「大変なほど燃えるって人が多くて。まあ、確実にみんなマゾですね(笑)」「あはは!それって、なんかイイですよね。そういうお医者さんばかりだと安心。」「楽しそうな職場ですね。」「う~ん、楽しいといえば楽しいかな。毎日分からないことだらけですけどね。」この日は他にも、どうして産婦人科医になったのかとか、色々お聞きしてかれこれ1時間くらいおしゃべりしてました。だって、「分からないことだらけ」と言える先生は信頼できる先生だ!と私は嬉しくなったのです。臨床心理学をやっていた頃から、たくさんのカウンセラーや心理士に出会ってきたけど、すごい人ほど、「人のこころなんて分からないことだらけだ」と言うからです。逆に、自信もって「こころが分かる!」なんていう人は胡散臭いな~と思ってしまう。それは、心理士に限らずお医者さんでもなんの職業でも、同じ気がします。中途半端に知った気にならないで、極めれば極めるほど次々と疑問がわいてきて成長していく、そういう仕事のあり方に私は尊敬します。そしてこの日をきっかけに、私の中で先生への信頼感がより深まったような気がします。「お忙しいところ、長々とお引止めしてすみませんでした」と言うと「いやいや。いい時間サボれちゃいました。」「こういうむだ話をしてるときが実は一番楽しかったりするんですよ。」なんて、笑いながら答えてくれました。その言葉に甘えて、これ以降私は「おっ、今日はゆっくり話してオッケーだな」という空気を察しては、先生にあれこれ教えてもらうようになったのでした。本題に入る前に、長くなっちゃったので教えてもらった内容はまた今度。
2008.01.18
コメント(2)
自分の体は自分で守らなきゃ!と思った時から、私は担当のドクターに疑問に思ったことや、気づいたことなどを、ここぞとばかりに遠慮なく聞くようになりました。入院前の検診では、絶対この2つは聞いておこう!と思ったことをちゃんと言うことができました。1つは、私が何期なのかということ。子宮頸がんの場合、進行の度合いが0期から1期a、b、2期・・・と段階的に分かれています。そして、同じ初期でも0期と1期では生存率に微妙な差があるようなのです。たった数パーセントの違いでも、やっぱり気になるものは気になります。もう1つは、初期といえど「がん」である以上進行するのではないかという不安。治療までの期間に、もしステージが上がったらどうしよう。この心配がずっとぬぐえなかったのです。私は、幸い0期でした。そして、子宮頸がん0期の人の場合、進行の割合は3割3割3割だと説明を受けました。つまり、進行が進んでいく人が3割、そのままの状態を保つ人が3割、徐々に小さくなっていく人が3割、というワケです。どういう人がどの3割に入るかは、分からないそうです。前々回と、前回との組織診では進行はみられないから、念のため今回も採るけれど1ヶ月後の治療でも問題ないと思いますよ。と言われ、初めて心から安心できました。聞いてよかった~と、その日は軽やかに病院を出たのは言うまでもありません(笑)入院後は、診察したこの先生ともう一人新しい先生が担当につき、主に新しく紹介された若い(?)先生が私の診察にあたってくれました。年齢がわりと近いだろうと思われ、なんだか優しそうな雰囲気だったのでいい機会だと思って、さらに色々と質問することができました。子宮頸がんという病気のこと、予防のこと、今後のことなどなど・・・長くなりそうなので、続きます。
2008.01.17
コメント(0)
「がん」っていう言葉は、私に予想以上にダメージを与えました。いままで、手術や入院さえしたことのなかったのに、いきなりすごい病名を告げられ自分では冷静だったつもりでも、やっぱり平常心ではいられません。私の持っていた「がん」のイメージは、再発とか転移とか、副作用とか最終的に「死」をも連想させる悪いイメージばかり。今思うとかなり大げさだけど、そのときは初期だとか、子宮頸がんがどんなものかとか、そういうことは関係なく、ただただ怖さが迫ってくる感じでした。自分の体にがんがある。と思うとたまらなくて、一刻も早く取り除いて欲しいし、悪いところをやっつけて欲しい、元のフツウの状態に戻して欲しい、という強い思いに駆られました。だけど、PDTを選択したら少なくとも2ヶ月は病室が空くのを待たなければいけなかったしかといって、早産や流産の可能性のある円錐切除をするのも私はイヤでした。一人で悶々と考えてもらちがあかず、同じような病気をした姉に告知された日の夜電話しました。これまで検査した経緯を知っている姉に「子宮がんがみつかったって」と言った途端、今までこらえていたものが一気にあふれてきて涙が止まらなくなりました。泣いて次の言葉が出ない私に、「初めは驚くけど初期だから大丈夫だよ」と励ましてもらいやっと少し落ち着つことができたのです。いざというとき相談できる相手がいるって、なんて心強いんだろうとあの時ほど感じたことはありません。姉の助言もあり、翌日から治療についてもっと詳しく調べることにしました。なにせ、このときの私には告知のときに医師から説明された情報しかなかったので。他の病院で、もっと早く治療することができないのか問い合わせてみると、子宮頸がん初期の治療では、円錐切除が一般的で、PDTという治療法は、全国でも数箇所しか行っていない先端医療だということがわかりました。また、診察した医師からも電話があり「不安だと思うけど、ゆっくり決めて大丈夫です。 ネットでもPDTや光線力学療法と検索したらいろいろ情報がありますよ。」と教えてもらいました。図書館にある医学書などで、子宮頸がんのことを調べ「生存率」という言葉にクラクラしながらも、初期では5年後の生存率ほぼ100%だということも分かりました。そうやって、少しずつ調べていくうちに、私の体にある得体の知れない恐怖の正体がわかってきたのです。「がん」と向き合うって、多分進行が進んでいればいるほど怖いことだと思うので一概には言えないけれど、私の場合はそうやって相手の正体を知ることで向き合い恐怖から解放されました。また、自分の体は他でもない自分で守ってあげなきゃ。とも強く思いました。医者や病院は、もちろん最大限の努力をして助けてくれるけど、主体は常に患者である自分なんだ、と。今回、がんという病気でたくさんのことを学んだ気がします。さて、病気のことも治療法のことも調べて、十分検討した上でPDTを選べる病院にたまたま初めに受診したのは、私にとってラッキーだったと思いそちらを選択することに決めました。しかし、もう1つ気の重い作業が残っています。それは両親への報告。その時我が家は、祖母の具合ももうだいぶ悪く、姉の結婚式や弟の受験などを控えており母はストレスで円形脱毛症になっちゃった、と話していたばかり。だから、また心配事を増やしてしまうことが本当につらく、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。何度か帰省したものの、結局言い出せず時間ばかりが過ぎていきました。9月も終わりのことでした。
2008.01.08
コメント(6)
退院後の暮らしは、入院中とあまり変わらず毎朝全身に30分かけて日焼け止めをぬり、昼間はなるべく日光の当らない所でダラダラしています。お日様に浴びたい!外に出て遊びたい!そういう欲求もあるけれど寝たいときに寝たいだけ寝て、食べたいときに食べたいものを食べて、やりたいことだけする。やっぱり自宅は最高!!こんなノンストレスで幸せな暮らしを続けていると、社会生活に復帰できるかちょっぴり不安になります(笑)入院前のこと、忘れないように続きを書いておきます。正月早々、あまり明るい話題でないのが申し訳ないけど、どうぞお付き合い下さい。前の日記で書いたように、予兆があったあと始めに女性科外来に行き一般的ながん検診、その後異常がみつかり、婦人科で精密検査(組織診)となりました。パリから帰ってきた2日後、半休をとって結果を聞きに再度婦人科外来へ。大学病院の外来は予約しても1時間くらい待たされるので、旅の疲れもありウトウト・・・名前を呼ばれても、半分寝ぼけまなこで診察室へ向かいました。「Iamさんね、検査の結果なんですが」「はァ・・・」「子宮がんがみつかりました」「はっ?!・・・?!」その後、先生は ・子宮頸がんの初期であること ・治療方法には2つの選択肢(円錐切除とPDT)があること ・それぞれの治療法についてのメリット・デメリットについて、紙に書きながら説明してくれました。実に淡々と、あっさりと告知され、私もボーとする頭を必死におさえ、なるべく冷静に聞いていたような気がします。とりあえず、治療法についてゆっくり決めて下さい。と、3週間後の予約を入れて病院を出ました。外はまだ残暑厳しい9月の初旬。夏の暑い日ざしを浴びて駐車場に向かいながら、時折吹くざわざわとした風が私のこころまでもかき乱すようでした。重い足どりで一歩踏み出すたびに、得体の知れない怖さが増してきて、車までがやけに遠く感じたのを覚えています。長くなったので、この話続きます。
2008.01.07
コメント(2)
あけまして おめでとうございます!!皆さまが、元気に楽しく幸せに過ごせますように。私も、薬投与から1ヶ月がたち実家で年始を迎えられる喜びをかみしめています。昨年は、本当に大変な一年だったけれど、そのぶん周りの方々の優しさや暖かい言葉や、親切をしみじみと感じることのできた一年でした。感謝、感謝です。しょーもない私ですが、この29年間で得た財産はこうやって支えてくれる人たちだと心から思います。三十路を迎える今年からは、親をはじめこれまで支えてくれた方々に、ちょっとでもお返ししていきたいです。ブログで出会った皆さまにも、この場をかりてお礼を・・・ 本当にありがとうございます。 そして今年も、どうぞよろしくお願いします!!
2008.01.03
コメント(10)
全10件 (10件中 1-10件目)
1
![]()

