現在形の批評

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Dec 4, 2006
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カテゴリ: テレビ評
現在形の批評 #49(テレビ)

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氷点


首の絞め方






そんな事を考えたのは11月25・26日、テレビ朝日系で放送された 『氷点』 を見たからである。三浦綾子原作、出生の秘密がもたらす人間の原罪とそれを許せるのかという問いを巡るこの作品に首絞めのシーンが出てくる。飯島直子演じる母・夏枝は知ってしまう。養女の陽子が実は3歳で殺害されたルリ子の犯人の娘であったことを。その後「お母さんと死んで」と泣きながら陽子の首を絞める。この時の演技に私は何か違和感を感じたのである。


ルリ子がいなくなってからというもの、抜け殻のようになっていた夏枝であったが陽子を迎えてからというもの生活に張りを持ち、息子の徹(手越祐也)同様、全身でもって溺愛してきた。にもかかわらず夫・啓造(仲村トオル)による歪んだ復讐心のために騙されてきただけだったのだという屈辱、それに-これが直接の引き金になったのは間違いない-娘を殺害したこの世で最も憎むべき犯罪者の子供を長年愛してきたのだ、本当の娘・ルリ子への裏切りの何物でもない事に対する申し訳。屈辱・裏切り、それに気がつかなかった自己内省、さまざまな事が脳裏をかすめどうにもならなくなった夏枝はだから泣きながら首を絞めるしか他なかった。何も知らない陽子は母親の異常事態に戸惑い、しかし自分が今されていることが何やらただ事ではないことを悟り、母親の醜く悲しいその顔を見ないよう目を閉じて抵抗する。


シーンの状況と背景は以上である。私が何に違和感を感じたのかというと、「演技である」ことが今更ながらはっきりとしたことに対してである。ドラマであるから、フィクションであるから「演技である」ということは十分すぎるほど了解済みであるが、しかしそれを承知の上で無きもののような場所へ視聴者をいかに置くことができるかにTVドラマの真髄はあるだが、首絞めのシーンはそうはいかなかった。冷めた視線が持ち上がってきたのである。飯島直子がどれほど力を込める演技をしようとも本当に力を込めてしまえば相手役の子供は死んでしまう。とすればそれは首に手を回しているだけの嘘なんだなと観る者を意識させてしまうのである。


ではどうすれば場を成立させることができたのだろうか。まずはっきりしたことはドラマにおいては「本当らしさ」が求められているのであって「本当」である必要はない、ということである。それは死体を「演じる」という事について考えてみればいいだろう。死体を「演じる」俳優が画面に映ったときにさほど違和感を感じないのは、その俳優がピクリとも動かないからである。もし指先がかすかに動けばそれは嘘だとばれる。唇、足先、指先、まぶた、こういった末端部分が動かないよう俳優が努めてさえいれば「本当らしさ」が伝わり、私達は許容する。俳優は死体であるという「状態」を生きる。つまり身体を動かさないのはその「状態」を維持させるためのひたすらな内向きのベクトルを志向するのに対し、死体と同じくらい矛盾した演技である首絞めが大きく異なるのは、それが首を絞めるという殺人のための「行為」だからである。「受け身」か「行動」であるか、と言い換えてもよいが、己の力が対象物を変性させるという外向きのベクトルを持つことが、首を絞める演技を難しくさせてるのである。そして同じ殺人であっても鈍器で撲殺、銃殺といった凶器を使用する場合は違和感はさほどない。なぜなら鈍器や銃という明らかに殺傷能力のある凶器が容易に連想させる力に、殺意という人間の複雑怪奇な感情が置き換えられることによって可視化させられるからである。


死体の演技と凶器を使っての殺人、この2つの非違和感から導き出させる首絞めの演技を成立させる方法は相手がどう受けるか、その如何にしかない。行為者はただ首に手を回すしかないのだ。歯を食いしばったり回した手に力を込めたフリをするのも徒労に終わるだろう。そういった力を出さば出すほど内へ抑制する同じ力を必要とするわけであって、結局力関係は均衡につりあってしまうだけである。だから行為者はただ首に手を回していればいいのである。問題の鍵を握る被行為者、つまり首を絞められる方の役者の身体が大きく変動しなければならない。『氷点』のシーンでいうと、事情を何も知らない子供が突然首を絞められる。あまりの突然さに呆然とし、すぐ後に優しい母親が豹変したという現実を理解するという変化を見えるような身体の変化として表現しなければ伝わらない。この場合の身体は殺傷能力を容易に連想させる凶器ような可視的な明確さを持たねばならないだろう。首を絞められた瞬間から振りほどくまでの一連の間、流れるように身体で「感情」を表現し続けるのだ。大きく目を見開き、口をパクパクさせる、すぐに無我夢中で身体全体を捩る。映像であったような目を瞑ってギリギリまで耐え、ちょっとの抵抗ですぐに解けてしまうような手の抜いた芝居ではすぐ見破られる。


感情を高ぶらせなければならないのは、シーンを引っ張るのは母親ではなく、子供の方なのであり、首を絞める方法ではなく首を絞められる方法こそが重要なのである。





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Last updated  Dec 4, 2006 04:54:33 PM
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