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今年は、新しいことを2つしようと思っている♪家の側の教会で聖歌隊に参加して歌うことと、ジャズ・ボサノバを弾くこと。昨年1年間は、伝統的なクラシックな教会に、クラシック音楽を聴き弾いていたが、今年はちょっと趣向を変えてみよう。それで、この間、家の近所の教会に友人と参加した。とても広く周りが見渡せるところに静かに建つ、リゾート地にたつような教会だった。内装も、祭壇の両脇が前面ガラスで、天井からも光が沢山入るようになっている。今まで伝統的なカソリック教会のつくりのところに行っていたので、ちょっとカルチャー・ショックだった。嬉しかったのは、その前面のガラスがロッキー山脈の方向に向いていて、小高い丘の上に建つ利を存分に生かし、晴れ渡った空に、雪をいだいた山の姿が綺麗に映し出される。それが、まるで、海の景色のようなのだ。。。^▽^私の大好きな葉山の海の水平線を想像させる。山がそんなに多く見えないから、山の稜線が水平線のように、そして、その上に広がる水色の空が、私を夢心地にしてくれる。伴奏はピアノ、ヴァイオリン、そして美しい声の女性が先導する。タゼイというフランス生まれのミサのことを思い出した。一箇所にずっと行くのもいいけれど、こうして別のところをのぞいてみるのも素敵だな。音楽も、ジャズは今まで聴く専門だったけど、せっかくアメリカに来たのだもの、これを機会に少し習ってみよう。ボサノバは、楽譜を買って少しずつ弾いていたから、これをもっと洗練させてみよう。こうやって、死ぬまでいつも新しいものを取り入れていくのかしら。新しいことをするときはちょっと心配になるけれど、それも楽しみのひとつ。楽しんで行こう♪
2007.01.30
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最近、頭全体で感じるのだ。日本語と英語の周波数の違い。英語を聴き取れるようになるための訓練で「○ティス」なるものがあるが、以前そこで聴覚の訓練を受けた人の話と、それに関する記事を読んでいて、その周波数の違いのことは知識として知っていた。しかし最近、会話をしている中にいるととてもダイレクトに感じるのだ。簡単に言えば「言語音の高さの違い」(厳密にはちょっと違うと思うけど)。まだ完全に英語が聞き取れないのは、もちろん単語や言い回しが分らないということもあるが、聞きなれない高い周波数の子音の聞き取りができてないのだなーと、実感する。私のように言語よりも音楽に浸かっている人たちは、外国語をコミュニケーションの手段としてとらえる以上に、その音にこだわる傾向がある。音楽をしている友人と昔よく話したものだ。英語を聴き取ろうとするとき、彼らのことばの曖昧なところが聴きとりにくい。それが「子音」部分。子音をはっきり発音すると分るが、母音に比べて、音を出す位置が高い。母音は声帯部分だけでだせるが、子音はもっと上の位置、顔の前面でださないとクリアに伝わらない。英語を聞いていると、ことばが浮いているような感じがするときがある。落ち着かないのだ。それは日本語の周波数の位置が低いから、耳がそれに慣れていて、違和感を感じるのだと解釈している。この間、その浮いたような感覚で会話に参加していて、自分も発言をしているとき、「あ、私の声も高い周波数の位置に入っている。」と思った。そのとき、自分の声の位置もいつもよりもずっと高く、自分で自分の声を不思議に思った。日本語を多く話した後、英語を喋ると、完全に日本語アクセントの英語になっている。違いがくっきり分る。日本語英語のアクセントの特徴は、母音中心で喋ること。母音の滞留時間が長いのだ。英語はもっと子音に時間を譲る。子音の発音の練習として、ひそひそ声で、子音だけを話す。こうすると実際声を出したときも少しは母音を発音している時間が子音のとって変わられるのを感じる。言語の統語的なところよりも音に興味がある私は、果たして英語を流暢に話せるようになるのだろうか。音が第一、意味が二の次。やはり右脳が優位なのは、子どものころから変わらないみたい。
2007.01.27
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Look at every obstacle as an opportunity友人から貰って、長い間ほっておいた本を開いたら、上の言葉にであった。なるほど!いい言葉だなあというのが第一印象。「全ての障害物を良い機会だと思ってごらん」そう考えれば、問題が起こっても、強く立ち向かっていけるわね。長所と短所は裏表なことが多いから、その表の面を見ましょう、という心強いエールの言葉これを見て思い出したのが、松下幸之助の「客からのクレームは、関係が築ける良いチャンスです。だから丁寧に対応すること。」ということば。「製品に何の問題も無ければ、お客さんとの関係も深くはならないが、問題が起こったときがチャンス、そのときにこそ、関係を築くことができるのです。」このようなことが書いてあった。物事の見方の角度を変えると、こんなにもありがたい状況になってしまうなんて!ちょっといかした言葉を心にストックしておくと、いつでも味わえていいものね♪
2007.01.16
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最近、とてもとても英語が聴きたい。なので、昼にWeb・BBCのラジオの中にあるドラマなどを聴く。学校のバスの待ち時間などは、ラウンジに流れているニュースを耳を澄まして聴く。家に帰って一息ついたときには、FMのニュースを聴く。綺麗な発音の英語が聴きたいと思うと、どうしてもBBCの放送になってしまう。相変わらず、典型的な英英語の発音が好きだ。米英語もキャスターは綺麗な英語を喋るなあ、とは思うが、私の耳には子音がはっきりでている音の方がどうやら聴きやすいようだ。ときどき耳をふさぎたくなる話し方をしている英語に合うことが、特に学校である。若い人たちの英語だ。国を問わず、若者はやはり「カッコよさ」を追求しているのだろう。コロラドの訛りか、それともアメリカ人の若者の訛りか、そこらへんは知らないが、とにかく鼻に声をかけて、力を声帯に入れてことばをまるめて一気に喋る感じ。日本の若者だと、鼻にかけて、とろーりとろーりと喋るかんじかな。南部出身の先生がいて、その人がゆっくり、歌うように喋る。どうやらそれが南部の特徴らしい。それはなかなか聞きやすくて私は好きだ。ただ、アメリカ人の中でもそれはここでは珍しいらしい^m^この傾向に、実はとても喜んでいるDavinaである。1昨年の秋セメスター、私の初セメスター、英語に興味があって、いろいろ試行錯誤して試して生活していた。聞けないくせに質問をし、相手かまわずしゃべっていた。それが、1年前の冬休みくらいから、音楽を聴くことに夢中になってしまって、英語を話すことに興味が無くなってしまっていたのだ。家にいれば常に音楽番組を聴いていた。頭の中では「ニュースとか見ないと、耳が発達しないよー。」と思っていたが、本当に夢心地で音楽を聴きまくっていたと思う。それが初夏から、自分の弾く音楽への興味も加わった。相変わらず家でクラシックの番組を聴く。以前は夜はジャズが大好きだったが、夜もクラシックになった。英語には興味が無かったー。この冬休み、我が家はアラビックで溢れかえり、全然理解できないときに、ふと英語のニュースが流れるとほっとした。多分、その反動が大きいのかもしれない。また、友人と話していて、ずっと相手の親切に助けられてきたが、微妙な話が上手く伝わなかったり、誤解されたり、歯がゆい思いを敏感に感じるようになったことも理由のひとつだと思う。そして、極めつけは私の修士論文の扱うことが「言語」関連のこと。難読症の子が"W"と"r"の発音が聞き取れないって、読んで、あの、日本人の私も何のことやら。。。しかし、私はこれを扱わなければならないのだ。血、血の気が引く。。。まあ、そんなこんなで、興味しんしんで英語を聴く最近だ。「したい!」と思ったときが、一番吸収率が高いとき。留学して1年半、ようやく本格的に英語のスキルが伸びるときが来たようだ♪英語、聞きまくりまっせー。
2007.01.06
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昨年の春から家主の孫娘にピアノを教えている。最近はなかなか楽しいようで、自分からレッスンの曜日を私に言ってくる。日本でも12,3年教えていた。だから教えるのは慣れている。しかし。教える内容がまるで違うのだ。知っている方も多いだろうが、日本では、最初にバイエル(最近はあまり使用しないようですね)、トンプソンのような、ひたすら簡単な音程を引く練習をするテキストがあって、それが徐々にレベルが上がっていく。まず右手と左手の別々な単純運動を繰り返し、そのうち両手をあわせて弾く。しかしここでは、ビギナー向けのテキストに片手ずつの単純反復練習が無い。そして、かなり早い段階で、単純音だが、すでに両手で弾かせる。それは反復基礎のテキストをして、それと並行してやるならわかるのに~私の街の楽器屋さんにはなかったので、車で1時間くらいの、おしゃれで通っている街に行ったときにも探してみた。。。無い。反復練習のテキストが無い!スズキ・メソッドが唯一そうだったが、とても7歳の子どもに教えるようにはできていない。大人向けと思わせるような、色気の無いプリントなのだ。だから買わなかった。結局、音楽の先生から教えてもらったメーカーにした。一番手順を踏んで進んでくれる内容だ。そうしてもうひとつの特徴は、楽譜にほとんど歌詞がついていて、それを歌いながらできること。1音1音、シラブルで区切られていて、子どもが弾くのに合わせて歌うと、言語リズムが生まれる。これが以外に子どもに受ける。孫娘Lちゃんは、私がそれを歌っていると、とても集中して楽譜を見て弾くことが多い。始めてから半年後くらいから、自分でも歌うようになった。あるときは、音程を全く無視して、ずっとその歌詞を見ながら歌っていた。とにかく楽譜や使われているメロディーは楽しいし、インストラクターの伴奏にいきなり複雑なでもカッコ良い和音が入ってくるから面白い。絵もカラフル。アメリカ人の子どもはこういうのでなければ、見向きもしないだろうなあ。学校でも、明らかにアメリカ人はピアノが上手い人が少ない。音楽療法のクラス20人の中で、即興で伴奏できるのは、私を含め二人日本人とフィリピン人。一人弾ける人がいるが、勧められても即興は弾かなかった。でもアメリカ人は下手でも平気なのだ。ピアノ・クラスなどで皆の前で弾くときも、どんなに下手でもあまり気にしている様子が無い人がほとんど。がんがんと石をたたくように弾いても平気。先生はそれを辛抱強く聴いていて、できると褒める。これなんだなー。日本人は、上手い、下手、間違えたことを気にする。先生もできなかったところを注意することばかり。だから、ピアノがある程度弾けても、「上手くないから。。。」と楽しんで弾こうとしないのだなー、とつくづく思った。私も間違いなく日本の教育をしっかり受けてきたから、演奏が終わっていくら皆が褒めてくれても、間違いがあると「間違っちゃったから。。。」と必ず言う。それを聞くとアメリカ人が「そんなの大丈夫よ。」というような表情とジェスチャーをする。確かに反省の無いところには進歩も無いので、だから多くのアメリカ人がピアノが上手くないのかもしれない。他の州に勉強に行った、まったくつながりのない二人も同じことを言った。「日本の音楽教育のレベルって高いよね。」まさにその通り。音大に行っていなくても、うちの学校のアメリカ人と十分肩を並べるだけの腕を持った人は多いんじゃないかな。そうそう、秋に行われた私の教授の音楽療法セミナーに参加していた日本人は、音大に行ってなかったけど段違いに上手かった。反復練習が辛くてピアノが嫌いになる人が多いのも問題だ。やっぱり楽しく楽器は習得したい。それを考えたら、アメリカのシステムは、将来プロになるつもりの無い子どもには良いのかもしれない。でも最初からこれでは、本人が途中で音大に行きたいと思っても難しいかもしれないけど。。。全く違った教育内容、この二つを体験できて、私は嬉しい。今度日本でピアノを教えることがあったら、もっと楽しくできそうだ♪
2007.01.05
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”Listen to those inner signals that help you make the right choices- no matter what anyone thinks.””If prayer is you talking to God, then intuition is God talking to you.””Trust your intuitive voices and go with them.” Dyer, W. (1993). Everyday Wisdom. Hay House, Inc. 日本で勉強を教えていたひとりの生徒さんから、年賀メールがきた。「今年は私も将来を決める年になりました。」早いなあ、と思う。私が彼女に出会ったのは中学一年の夏。私が留学した年に、希望の高校に特別枠で入学した。あの時は、入試のエッセイの書き方を2人で考えたよなあ。。。私が彼女に”直観で”返事を返した。「何かものごとを決めるときに、自分の直感は結構重要だよ。」昔は自分の直感なんて、怪しくて危なくて根拠がなくて、頼れるものでは無いと思っていた。それは多分、自分が日常生活で、前進する努力をしていなかったから、直感も磨かれてなかったんだと思う。今は、かなり自分の直感を大切にするようになった。最初に感じた直感を物事の決定過程で保持しておいて、理論的に頭で考えて結論がでたところでそれを照らし合わせてみる。そこで納得いかなかったり気持ち悪かったりすると、ちょっとまた考える。この”直感”のことをダイアーの本に書いてあったことを思い出して、本を開いてみた。すると最初に列記した3つが見つかった。「他人が何と言おうと、自分の心の中の声に耳を澄ましてごらんー正しい選択をするように助けてくれる」「もし祈りがあなたから神さまへの話しかけなら、直感は、神さまからあなたへのささやきだよ」「自分の直感を信用して、それを一緒に進んでごらん」訳すとこんな感じかな。とても安心した。というのも、ある決断をして、その結果が私の喜ばしくないことになったからだ。ちょっとショックだった。しかしその結果を考えているうちに思ったことがある。それは、それを決断したときに、「今がこのチャンスだ。」と心の底から思ったからだ。そう、声が聞こえた感じだった。だから、この決断をした時期は適当だったんだ、と思った。思うことにした。結果が自分の思うよりも悪かったが、これはこれで良かったんだと。きっとこれは未来へつながる大切なことなんだ、と思うようにした。過去にこんなことがあった。この留学へ来る前の大学への編入が、単位計算ミスで1年のびることが分ったときだ。分野を間違えて履修したたった2単位の科目。それを出願当日に気がつき、ショックでショックで、東京の地下にある喫茶店で2時間ぼーっとしていた。なぜか記憶は鳥瞰図、私がテーブルに座っているのを上から見ている絵。なぜ?よっぽどショックで記憶が曖昧なのか、それともあまりのショックに幽体離脱していたのかしら?だって、その編入のために1,2年前から準備していたんだもの。「若くないのに、どうしてこれ以上時間をかけられるわけ?」のようなこと思った。しかーし。その1年の遅れのおかげで、現在の留学プラス奨学金つき、があるのだ♪そのまますんなり入っていたら、日本の2人の教授には会えなかった。メインの教授が居なかったら今の研究にはたどり着いていないし、奨学金を得られた強力な推薦状は得られなかった。そのときは、このまま1年先の再度出願をするかどうか迷った。結局再度出願して最善だったが。だから今回はクリアに”今だ!”という直感が働いていたので、もうこれはこのときだったんだな、と思う。その結果は数年先にならないと分らないかもしれないが、きっと私にとってベストな道へ進んでいけると信じている。常に直感を磨いておかなければ♪
2007.01.04
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元旦の午後、家に向かって歩いていると、短く太く淡い虹が家の方面、東の方向に見えた。ここのところ大雪が1週間に1回は降って、まだ雪が歩道を覆っている中で、太陽の光に照らされて空に浮かんでいた。このかたち、あの時みた虹と同じだわ。。。もう何年も前、7,8年も前くらいなのかな、同じように太くて短い虹を葉山の海の側の空で見た。やはり時刻は同じくらい。秋に、大学の構内で、ものすごく立派な虹を見た。激しいスコールの後、誰もいない晴れた構内を歩いていたとき、完璧なまでの円ではっきりとした色がついた虹が、ある校舎のバックにくっきりと浮かんでいた。そしてもうひとつ、その外側にも虹。ダブルの見事な虹に、思わず声を上げたのを覚えている。このダブルの虹は、以前にも見た。2002年だったか、お台場で、やはり雨上がりの午後だった。そのとき付き合っていた人と車の中から見たので、「きっとこの人と結婚するんだわ~♪」と思ったものだ。そうなってないが^▽^;虹を見ると、いつも思う。「約束の虹」。これは聖書の中のノアの洪水のところにある記述で、洪水が終わって神さまが虹を空にかけ、これからの繁栄を約束するというもの。今年初、元旦に見たこの虹は、何を約束してくれているんだろう。ちょっとショックなことがあったが、それもきっと、何か素敵なことにつながっていくに違いない。。。!いつも私はそうだから。虹って、本当に夢を与えてくれる♪
2007.01.03
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今まで、がんがんと力いっぱい前進することが好きだったのだが、今年のテーマは”Comfortable”昨年、"Comfortable"を経験することが多かったからかもしれない。勉強が本当に大変で、徹夜続き、オルガンの演奏も、大きい曲を2曲弾いて、そのときもひとつは時間が無くて「石にかじりついてふんばった」というのが、今から思う感想それで成功することもあるが、いくらがんがんしても失敗することもある。この異国の地で、力だけではどうしようもできないこともある、と自分の限界を知ったこともあるかもしれない。緊張しているとき、それをほぐしてくれようとする人たち。ほぼ年配の方々。人生経験豊富な分だけ、そんな気持ちを理解して、どのようにすればいいのか心得ている。さすが!私にはそのような包容力はほとんど無いので、今は甘えているだけ。自分がほぐれてくると、自然に良い笑顔が顔に浮かぶ。このナチュラルな自分の笑顔が、自分で嬉しい。そして、そのリラックスしている状態が"Comfortable."多くの人に、助けてもらってるなあ。余裕の無い今は無理かもしれないけど、そのうちもっと気持ちに余裕がでてきたら、私もしてもらったことを他の人に自然にできるかなあ。
2007.01.02
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