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あっとういうまに師走も最初の五日間が終わろうとしている。今年も営業日ベースではあと17日と思うと,怠惰な私もまあ頑張ろうと思う気にもなる。歳末に向けて何かと心躍る行事が続くからなおのことそうだ。ところで,昭和の終わりくらいの頃までは,歌謡界には年末にはテレビ局各局の主催する音楽賞をめぐる「賞レース」なるものがあり,その最終権威がTBSのレコ大であり,さらにNHK紅白歌合戦が権威を持って佇立していたのである。今はその名残は紅白歌合戦のしかるべき視聴率としてしか残っていないが,それでもなんとなく年末といえば歌に親しむ,歌を覚えるシーズンである。わたし的には。しかし,最近のミュージックシーンは,全然だめだ。そもそも昔のように誰もが知ってる曲というものがなくなっているのかもしれない。しかし,興醒めなのはプロダクションのごり押しだけで売れている自称歌手である。そういうのに限って人前では口バクでしか歌えないからなおさらだ。なので,このところ年末年始に歌を覚えてというのがなくなりつつある。その一方で昭和歌謡への傾斜の度合いを強めている。なんやかんやいって,私が子どもの頃くらいの昭和歌謡は最強であると思う。だからというわけではないが,少しだけ洋楽を聴くようになっている自分がいる。もともとエルヴィスとかビートルズはときどき聴いていたのだが,このところ時折聴いているのはカーペンターズとクィーンである。カーペンターズはも少しは聴いてたのだが,最近は"I Need To Be In Love"や"Close To You"をよく聴いている。カレンさんのヴォーカルが,耳に優しい。クィーンといえばまずは"We Will Rock You"なのであって,これはかつて小林幹英が出囃子として使っていた影響もあってもとよりライブラリに入れていたのだが,最近はなんといっても"Bohemian Rhapsody"である。美しいコーラスと,フレディのヴォーカルが,心に沁みるのである。あとは,私にとっての洋楽といえば,以前も書いたがなんといっても菅原洋一翁である。"La Bamba"もそうだが,一番はやっぱりタンゴの名曲"La Cumparsita"だろう。これはなんとかものにしたいのだが,なかなか難しい。洋楽というのは日本の歌と違って譜割りと音節が一致しないから,なかなか反射的に原語が出ないと難しいところがある。ましてスペイン語だから。もっとも,コロナ禍のおかげで,歌を歌う機会もない。昔は歌を覚えることイコール歌を歌うことの予備行為だったのだが,今はそれもなかなかかなわない。だから,何重にも心躍らないのかもしれないが。そろそろ末尾の告知も今日までとしよう。BlogPeopleSIGMA People(後記)弊ブログのオフ会兼忘年会,題して「歳末のバカ騒ぎ2021」について,興味のある方はこちら(PC・スマホ向け)またはこちら(上記で繋がらなかった方)まで。
2021/12/05
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今日で睦月も二週間,もうあと二週間ちょっとでスプリングキャンプが始まるところであるが,これもコロナ禍でどうなるか分からないし,だいいち広島だってどうなるか分からない。そもそも鈍重なカープがまともに動いている姿が見えるわけもない。と,いうわけで,今日はおしまいとするのも芸がないので,ちょっと毛色を変えてみたい。ひさびさに音楽ネタを書いてみることとする。このところ私は,年末に一年の音楽を総ざらえしたうで年始にピックアップして聞くのが習いとなっている。そこでまあ歌を覚えるという算段なのであるが,昨年はそれができなかった。要するに一昨年の歌はほとんど心に残らなかったということなのだが,今年はこれという曲があったのでひさびさにipodのプレイリストを作った。少しだけ年始に書いたが,やっぱり「香水」とあいみょんの「裸の心」は心に残ったところである。しかし,去年を代表する曲と言っていい「香水」を歌った瑛人にしろ,あいみょんにしろ,ひとつだけ不満があるのだ。それは,その歌唱法である。声が伸びないというか,あんなにぶつ切りの感じで歌わないといけないのだろうかという違和感を感じるのである。私の音楽のイロハというのはすべからくピアノの講師をしていた亡き母から受け継いだものと言っていいが,正直あんな歌い方の真似をしたらことごとくダメ出しされただろう。いや,いつぞや書いたとおり母は松田聖子が出るたびに「下手くそ」と言っていたのだが,松田聖子の発声法は非常にオーソドックスである。母に瑛人やあいみょんの歌を聴かせてどう思うか聞いてみたいのだが,もちろんそれは叶う由もない。念のために言うと,あいみょんの曲は歌詞もメロディも非常にいいと思う。そして「香水」のサビのメロディの暴力的なまでのキャッチーさはキダ・タロー翁やつんく♂をも彷彿とさせるものがある。だからこそ,あの発声法が惜しいと思わざるを得ない。意地悪な言い方をすれば歌のうまい素人のカラオケ芸と径庭がないとさえ言えるのだ。しかし,これはあくまでも私の耳が古いだけなのかもしれない。ああいう歌唱法が最近のトレンドなのだろうか。蓋し米津玄師もあんな感じだし,逆に言えば少し練習すれば誰でも手の届きそうな感じと言ったらいいのだろうか。しかし,音楽なんて所詮は個人の嗜好以上でも以下でもないのだ。人の嗜好をどうこういうのは野暮というものだが,最近のトレンドがどうだからと言って自分の考えを曲げる必要だってないはずだ。平成から令和になって音楽のトレンドは変わっているのかもしれないが,やはり思うに昭和歌謡最強である。きちんと声を出してこそのプロ歌手だという思いは,消えない。現にLiSAとかMISIAとかSuperflyはきちんと声を出してるしね。あーそーか。だからライブで生歌歌えない自称歌手が跋扈するんだな。彼ら彼女らにとって,歌える歌手なんてraison d'êtreを脅かすものでしかないもんね。本当にジャニタレとか坂道系とか歌手と名乗るのをやめてくれないかな?でも変える気はないよ。BlogPeopleSIGMA People
2021/01/14
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朝っぱらから申し訳ないが,歌や音楽がお好きな方は雑稿にお付き合いをいただければ幸いである。もちろん,ピーターの話ではない(我ながら古いねえ)。私の音楽の嗜好は,結局のところ亡き母によって方向付けられたと言って過言ではない。母は生前細々とではあるがピアノの講師をしていて,その教え子のひとりに元RCCアナウンサーの楢崎仁美さんがいる。まあそれはさておき。結局のところ母は,音を外さないとかちゃんと声が出ているとかいうのは当然の前提で,声に色艶があるか,そして歌やステージングに華があるかというところを見ていたのだと思うし,私もその影響を受けている。だから,いかに名が通った歌い手でも聞くに堪えないような歌には採点が辛くなるし,ましてや人前で口パクでしかパフォーマンスできないのなんて論外の外である(ただしPerfumeは許す)。母などもっと採点が辛くて,松田聖子のデビュー当時なんてテレビで出るたびに「下手くそ」と言っていたし,二十年くらい前に五木ひろしがテレビで唄っているのを見て「五木ひろしも駄目になった」と言ったものである。もちろん松田聖子と五木ひろしの名誉のために言っておくと,松田聖子だってデビュー前に平尾昌晃のレッスンを受けていたわけであって,別に聞くに堪えないような歌ではないし,五木ひろしもその当時五十路を越えていたから,デビュー当時のドスのある声が出なくなって当然である。ただ,松田聖子の初期の歌い方はいかにも荒削りで確かにただ元気に歌ってますという感じだったし,やがて喉を酷使して声がか細くなるという致命的弱点を抱えてしまう。それを捉えてのものかどうかは,もう確かめようがないので分からない。さて,じゃあ何を持って歌の巧拙を判断するのか。これを語り出すと意外に難しい。ただし声楽や楽器をされている方とかクラシックをたしなまれている方にいわせればそんなの簡単だ,ちゃんと「歌う」んだよと言う答えになるだろうが,それをそうでない人に説明するのは難しい。敢えて語り下すとするならば,感情の起伏,うれしいところや哀しいところ,泣くべきところや嗤うべきところ,艶っぽいところやそうでないところをいかに聞かせるかということに尽きるのではないかと思う。これだって,説明で説明しているようなもので説明になってないのだが。まあ,結局のところは,古今東西を問わずいろんな曲を聴いてみるしかないのかなと思う。こんなところで出す歌の例として適切かどうかは分からないが,アニソンを通り越して女性歌手のレパートリィのひとつになった前川陽子さんの「キューティーハニー」がある。この歌,前川陽子さんのオリジナルを聞いてみれば分かるのだが,実にいろんな技巧が繰り広げられている難曲だ。ただ艶っぽく歌うだけなら零点と言ってよい。倖田來未は色気と勢いだけで突き抜けてそれはそれでよいのだが,歌唱としては赤点だと思う。いや,あーりんの独自の世界で突き抜けている佐々木彩夏版もあって,これはこれで納得させてしまうだけのものがあるので,歌の奥は深い。然るに,歌の巧拙を語るとたぶん百人百様の見解があって,たぶん通説はない。たぶんビートルズとクイーンとエルビスのファンでは見解が異なるだろうし,五木ひろしと森進一のファンでもそうだろう。だいたいクラシックとひとくくりにされているジャンルでさえバロック党と古典派党とロマン派党と近代音楽党と現代音楽党の間には,高い壁か深い溝が存在し,さらに作曲家ごとに同様の壁と溝が存在するのである。私のようなにわかなんでもクラシック党は航空機で超えてしまうのだが。しかしである。歌がうまければ何でもいいかといわれれば必ずしもそうではないのが,またこの世界をCHAOSに導いているところなのである。これも適切な例かどうかは分からないが,「それ行けカープ」を一流のオペラ歌手が,その世界観を無視して単に朗々と歌ったところで,感動が生まれるだろうか。さらに曰く,「燃えよドラゴンズ!」を一番多くリリースしているのはいうまでもなく水木一郎アニキなのであるが,ひとつのヴァージョンとして一番多く売ったのはおそらくバンちゃんだろう。さらにいえば,南利明ヴァージョンもあって(燃えよドラゴンズV2!),味のある歌唱で実によい。ここから先に足を進めると,本当に今日中に出られそうにないので,引き返すこととする。また気が向いたら書いてみたい。え?今日の標題と内容のどこが連関するかって?実は昨晩おそらくは心身の不調から一睡も出来ず,夜通し音楽を聴いていた。その間のぼんやりとした思索をまとめたからである。考えれば考えるほど奥が深い。BlogPeopleSIGMA People
2019/05/04
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昨日今日と,急に昼間暑くなったこともあって,些か疲れが出ているようだ。というわけで,今日は音楽の話を進めたいと思う。私は1969年生まれであるから,音楽といえばまさにバリバリの昭和歌謡世代である。子どものころのヒーローは西城秀樹に沢田研二,ヒロインはキャンディーズ,そして言わずもがなのピンク・レディーである。なんといってもヒデキやジュリーといえばもう本当にスター中のスタアだったのであって,そんなもの今の自称スターなんてハナクソ以下でしかない。というのを前提として。また最近昭和歌謡がブームになっていると聞く。そりゃそうだろう。昭和歌謡世代から言わせてもらえればあの頃の昭和歌謡は斬新さと普遍性が同居しているのである。だから今聞いても新しい発見があるし,かつ古くさくならないのである。それに比べて,「平成歌謡」,まあそんな括りがあるかどうかは知らないが,一時的に流行っても廃りも早い。要は普遍性に欠けると言ったらいいのだろうか。その理由がどこにあるのかは,ある程度の仮説を持っているのであるが,長くなるので今日はやめる。さて,その昭和歌謡華やかなりしころのヒットメーカーといえばこれはもう故阿久悠翁だったのであるが,その一角を担っていた名作詞家がお亡くなりになったことが発表された。有馬三恵子さん。今日のニュースではその代表作として「小指の想い出」「17才」「積木の部屋」とともに,我等の「それ行けカープ」もあげられていたところである。この曲に有馬三恵子さんが込めた思いというのは,「カープ50年 夢を追って」170ページに詳しいので敢えて重ねてここで書くことはしない。本当にカープに対する愛が込められているからこそ書けた詩であると思う。それに宮崎尚志氏(コカコーラのCMソングで頭角を現していた)の作曲にブラスアレンジの編曲,塩見大二郎さんのはつらつとした歌唱がまさに三位一体となったこその名曲であると思う。私はこの1975年ヴァージョン以外の「それ行けカープ」は,基本的に認めない。南一誠さんには申し訳ないが。しかし,応援歌の名曲といえば,さらにこの曲を外すわけにはいかない。その1年前に山本正之翁の作詞作曲,板東英二の歌唱でヒットした「燃えよドラゴンズ!」である。なんといっても30年以上ヴァージョンを変えて歌い継がれているのは,なんといっても昭和歌謡の持つ普遍性の発露ではないかと思っている。何より歌いやすくて覚えやすい。流行歌かくあるべしと言うものを全て備えた名曲であると思っている。この曲について語り出すと,長くなるのでやめる。実は私のライブラリィには,野球関係の応援歌や選手歌唱の名(迷?)曲まで取りそろえているところだ。近年はこれらのデジタル化が進みつつあるのだが,まだデジタル化されてない名曲がたくさんある。一度「野球の歌」についてひとくさり語りたいと思っている。謹んで御冥福をお祈りいたします。BlogPeopleSIGMA People
2019/04/22
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咳が辛い。そして腰が痛い。約1週間半ほど前からこじらせた風邪もようやく抜けてきたのだが,なぜかこの症状だけが消えてくれない。もちろん因果関係及び相関関係は分からないが,どうも気持ちが悪い。なので,あまり突っ込んで物事を考える気にならない。正直,カープとかサンフレッチェのことなどどうでもいい気分だし,またどうでもいいニュースしか今のところ流れていない。なので,しばらく書かないこととする。なに,歳末には,思いっきり解き放つ機会もあるしね。せっかく歳末だし,たまには違う話をしてみたい。そう,年末といえば,歌のシーズンでもある。歌についてつらつら書いてみよう。年末に歌といえば,かつての「賞レース」(分からない人は近くの大人に聞きましょう)の名残の歳末歌番組が繰り広げられているのであって,毎年録画して見ているのであるが,今年は,ついに見るのをやめた。理由は簡単,つまらないのである。てゆーか,そもそもプロレベルに達していない自称シンガーやパフォーマーが多すぎて見るに堪えないのである。まあとにかくいいたいのは,自分の世界観を押しつけるのではなくまず心で歌え,下手は下手なりに生歌で勝負しろということに尽きる。EXILE TRIBEなんて一昔前ならまずNHKに出してもらえないチンピラ風体以上でも以下でもない。だから何を歌われても心に響かない。そして秋元プロデュースの彼女たち。哀しいくらい歌は下手くそなのは分かっているが,悔しかったらまず自分で歌おうよ。とくに欅坂。君たち最初から口パクで何が悪いと開き直ってるだろ。だから私は全く評価しない。何もももクロのように一切口パクをせずに歌い踊れという気はないが,せめてPerfumeのように口パクでも納得させるようなパフォーマンスを見せてよね。まあ,悪口はこのくらいにして。年末の音楽番組の金字塔といえば,今や12月30日に移動したレコード大賞と,大晦日の年忘れにっぽんの歌,もとい紅白歌合戦なのだが(いや,年忘れにっぽんの歌はいいよ。ただテレ東が映らないんでねえ),前者は完全にあの周防のクソジジイがぼろぼろにしてしまっているし,後者も周防とジャニー,秋元で完全に蹂躙されている現状では,どこに突っ込みを入れるかという観点からしか見ることができない。私に言わせれば,レコ大は今や過去の映像とレジェンドのパフォーマンスを楽しむ場でしかない。そもそもAKBが大賞を取った時点でもう終わった,まして近藤真彦が最優秀歌唱賞を取った時点で死んだと思っているから,「賞」としての価値はないと思っている。今年?どーせDA PUMPなんでしょ?あの西城秀樹の「ヤングマン」ですらレコ大の賞取りレースに乗れなかったのに,あれが乗った時点でもう結論先にありきだというべきだろう。え?楽曲としてどうかって?宴会音楽としては認めるよ。紅白は,NHKも手駒が少ないんだねえというのみである。結局盛り上げるとなるとサブちゃんとサザンしかないのかねえって感じ。サザンだってまさか「女呼んでブギ」なんか歌わないだろうしねえ。まあ,あと1週間でどんな隠し球があるかお手並み拝見と行きたい。私に言わせれば,平成の紅白を一番盛り上げたのは小林幸子だろうという気がする。彼女が一番最初に宙づりで歌い,NHKホールの舞台袖に空を飛んで去ったことが紅白豪華衣装伝説の始まりなんだから。しかし,なんやかんやでここでも悪口のオンパレードとなってしまった。まあ,私の愛した歌手は,自業自得ではあるけれども今や此の世にいない。それだけならともかく,あの百田尚樹とかいう剽窃売文屋によってその思い出までズタズタに切り裂かれているのである。本当に,頭の皮引っぺがしたうえ八つ裂きにしてやりたいよ。今日もまた御意見無用。BlogPeopleSIGMA People(後記)引っ越し,新規開店しました。ろー・ふぁーむ・かるぴおANNEXもよろしくお願いします。
2018/12/18
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以前標題に引用し,今日も使わせてもらったのは言うまでもなく欅坂46の「不協和音」のラストの歌詞であるが,もちろん私は彼女らについてほとんど知らなかったしあまり興味も持っていなかった。ただ,センターの子をはじめメンバー3人が昨年の紅白でパフォーマンス後に倒れたのを録画したビデオで何度も見返したり,娘が聞きたいというのでアルバムを借りてこの曲と「サイレントマジョリティー」を何度か聴いたりしたら,やっぱりいっぱしの音楽好きとして少しだけではあるが興味をそそられることとなった。もちろん,以後はあくまでも私見であるし,ひょっとしたらこれこそまさにDiscord以上でも以下でもないだろう。で,まずは歌詞を眺めてみた。この曲をしっかりと聴いたのは紅白が最初だったが,改めてこの曲をituneに取り込んだのと一緒に歌詞も取り込んだのだが,なるほどなかなか良い歌詞だと思う(本来なら歌詞を引用してもいいし,今の楽天ブログの規約上それは可能だけれども,めんどくさいのでそれは省略)。確かにアイドルオタクとしても名高い枝野君が喜びそうな歌詞ではあるし,その点は措くにしてもこれほどまでにメッセージ性の強い歌詞というのはアイドルポップスとしては異例だろう。なかなか挑戦的な曲のようにも見える。しかし,私が思うに,なんとももったいない気がする。その理由は,曲として聴いたらそれがどうも水割りされて聞こえるのだ。理由はいろいろ考えられる。まずは,端的に言って彼女らがこういう歌を歌いこなすには力不足であると言うことが言えるのかもしれない。娘に付き合って車の中で聞き流すだけで判断したら失礼だと思い,ちゃんとipodに入れてしっかりと聴いてみたのだが,なんとも歌声に力がこもっていないように聞こえる。もし力不足と行って失礼ならば,この歌の持つ世界観にメンバーの大半がついて行けてないのかもしれない。まあ,彼女らにとって歌は二の次で,歌に合わせてのダンスをが表芸だと割り切っているのであれば仕方ないのだが。でも,それを原因と断ずるのは些か早計なような気もする。以下はなんとも意地の悪いDiscordだが,敢えて書いてみる。言うまでもなくこの歌詞を書いたのは秋元康だ。少なくとも今の彼の立ち位置は,「不協和音」であるとか「サイレントマジョリティ-」の歌詞の世界観とは真逆にある。どちらかと言えば,「声を上げない者たちは賛成している」と嘯く向きに近い,というよりそのものだと言って過言ではあるまい。そういう意地の悪い視点でこの歌詞を俯瞰するならば,「支配したいなら僕を倒してから行け」とか,「欺きたいなら僕を抹殺してから行け」といういわば「決め」の歌詞も,なんだか聴いてる君たちにそれだけの度胸はあるのか?どうせないだろう,ならば大勢に付けよ,というカウンターメッセージにさえ聞こえてしまうのである。それは考えすぎだろうって?いくら欅坂46が乃木坂やAKBグループとは違う立ち位置を与えられているとはいえ,秋元康と不即不離,彼の存在なくしては存在できないことには変わりはない。その意味では,いかにこの曲に,あるいは欅坂46の他の楽曲に違うメッセージ性が与えられているとはいえども,それはやはり秋元康の世界観の上で踊る踊り子以上でも以下でもないのではないかという感じがするのだ。この感覚はこれをお読みになっている皆様と共有できるものとは思っていない。あくまで私の音楽に対する感性がそういうものを読み取ったという以上でも以下でもない。正論であると振りかざすつもりもないかわりに,異論反論は一切受け付けない。これは一種の神学論であるから。まあ私の中のMuseはももクロだからかもしれないが。BlogPeopleSIGMA People(告知)姉妹サイト「ろー・ふぁーむ・かるぴおANNEX」もよろしくお願いします。
2018/01/21
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すでに弊ブログをご愛顧の方には先刻御承知のことではあるが,年の最後のご挨拶は紅白歌合戦に突っ込みを入れながらというのが定番である。と,いうわけで,どうせ歳末なんてろくなネタは転がっていないんだし,今のうちからいろいろと突っ込みを入れていくこととしたい。したがって,興味のない方は読み飛ばしていただいて構わない。いくら視聴率第一位番組とはいえただのテレビ番組に過ぎないのであるから。という書き出しは,全く昨年と同じであるのだが。さて,すでに出場者は発表されたところであるが,はっきり言って誰が出て誰が出ていないかということなど,正直興味がない。もはやだれを出すかということについてはNHKには当事者能力がなく,某事務所の某氏が一手に差配しているということなど,常識の範疇である。その某事務所の某氏に秋元康などは見事に日和って配下のグループの出場枠を確保しているし,ジャニーズ事務所など近年急に出場枠を増やしているから,実にわかりやすい。今回ももいろクローバーZが落選し,即座に「紅白歌合戦卒業」を公式ブログで発表したらしいが,これは本心ではないだろう。きっと某事務所の某氏ににNHKが屈服していることに対するレジスタンスではないかと睨んでいる。逆に言えば,そういうことを見せないようにする切り札が,企画枠での小林幸子の復活であり,総合司会に抜擢された黒柳徹子なんだろうと想像している。それでは,例によって,現時点で「ここに注目すべし」という点を挙げていきたいと思う。1 綾瀬はるかの司会ぶり2年前の紅白歌合戦をご記憶の方にとっては,まずこれは気になるところだろう。前代未聞,ほとんど放送事故寸前だった。あれはいくら何でもいただけない。確かに司会は本業ではないかもしれないが,指名された以上はそれなりにやってもらわなければいけないのである。今度こそはちゃんと台本を覚えてそれなりのフリートークが出来るかが1つの見物と言える。2 和田アキ子の歌唱ぶりはっきり言わせていただくが,和田アキ子の歌唱力は年々劣化の一途をたどっており,聞いている方が辛い域に達している。本人はいたって一生懸命に歌っているのが分かるからあまり悪口は言いたくないのだが,高音部が出ない,音程も外し気味というのが見えるだけに,なんだかなあと思いたくなる。しかし,それでもトリやその近くを勤めなければならないほど,紅組の出場歌手には軽量級が多いというのがまた1つの問題点ではあるのだが。3 紅組のトリはだーれ?昨年は松田聖子だったが,近年紅組が負け続けているのはトリを取れるほどの重量級歌手がいないことが1つの原因だろうと思っている。結局例年和田アキ子,石川さゆり,天童よしみあたりが輪番で勤めてみたり,あるときはドリカム,高橋真梨子となんとなくトリですというような面子が並んでいるのが現状である。さあ今年は?やっぱり松田聖子?ありそうだ。それともAKB48?まさか。4 美輪明宏が何を歌うか今や白組の切り札と言ってもいい美輪明宏だが,今年は果たして何を持ってくるか。「黒蜥蜴の歌」あたりを歌ってくれれば楽しみが増えるのだが。「暗い日曜日」だったらもっと楽しいことが起こりそうだが,NHKが許さないだろう。今のところはこのくらいにしておこう。次は紅白での歌唱曲が決まったときに,また考察してみたいと思う。やっぱりももクロには出て欲しかった。BlogPeopleSIGMA People(告知)姉妹サイト「ろー・ふぁーむ・かるぴおANNEX」もよろしくお願いします。(加えて)合同オフ会兼忘年会の専用窓口はこちら。
2015/11/27
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どうも地上界では,なにやらかまびすしいことになっているようであるが,いざ天上界のたかじんは今頃何をやっているだろうか。きっと気が小さくて優しい彼のことだから,たぶん政財界の元重鎮が門前雀羅のごとくなっているであろう三宅久之氏には裏口からこっそりと不義理を詫びに行き,今頃数少ない盟友である河島英五と裏道の酒場で酒酌み交わして河島英五にさんざん説教されてるんだろうな。そんな気がする。晩年はずいぶん変節してしまったが,やしきたかじんはあくまでも歌手である。確かにミリオンヒットこそないが,佳曲をたくさん残している。そこで,あくまで私の好みで,たかじんの名歌撰を作ってみたいと思う。それがせめてもの地上界でのごたごたを見て憂慮しているであろうたかじんへのせめてもの供養ではないかと思うのである。それでは,ジャンル別に始めていきたい。やはり最初はこの一曲となると「ゆめいらんかね」だろう。この曲には同種異版がある。たかじんのデビューシングルであると同時に,「やっぱ好きやねん」のB面に収録された別アレンジの「ゆめいらんかね」である。どちらも捨てがたいのだが,別アレンジ版は甘い感傷となっているのに対して,オリジナルは何となくささくれ立った男の咆吼のようなものを感じるのである。ちなみにこの歌からしてなかなかの難曲である。たかじんの歌と言えば男女関係のウェットな曲が多いのだが,中にはそうでないものも存在する。その代表格は「晴れ時々TAKAJIN」だが,これはまあ当たり前だ。そのほかに言えば,コメディータッチなラブソングである「It'S crazy love」,さばさばとした別れを男の立場から語る「思い出オン・ザ・ロック」,MBS骨髄移植啓発キャンペーンなどというおよそたかじんに似つかわしくない大役を引き受けたときの「見えない糸」などが非常に軽快でよい。カラオケで歌われるたかじんの歌の定番と言えば「やっぱ好きやねん」「大阪恋物語」「東京」で,半可通が挑んで玉砕するのが「黄昏のベンチ」といったところだろうが,定番曲の中で選ぶならば「ICHIZU」「さよならが言えるまで」が私の好みだ。とくに「さよならが言えるまで」は決め所がたくさんあって歌ったあとの陶酔感に浸れる(ただしやり過ぎると鼻につくので難しい)のがなおよい。定番曲以外で決めてみたいと思う向きには,「女の純情知らんくせに」に挑んでみられてはいかがだろうか。女の泣き言と思わせておいて,実はじわじわと男を追い詰めていくというイメージが付けば,結構うまく決められると思う(難易度やや高し)。「エゴイズム」もよい。ただし,百田尚樹が「殉愛」で書いた解釈は間違いだから気をつけれなければならない。あれは「女の怖さにおびえている男の言い訳の歌」である(難易度普通)。あとはやはり,「最後のネクタイ」だろうか。夫婦の死別を歌った「黄昏のベンチ」をたかじんに歌わせたのはほとんど反則だと思うが,夫婦の別れのその日を歌にしたこの曲もなかなかの反則技である。これも情念を込めすぎてはいけない。語るべきところは語り,思いを込めるべきところは込める,そのメリハリがないとうまく聞かせられない難曲である。さて,時間も22時を過ぎてきたのでそろそろたかじんの本領発揮の曲と行きたいと思うが,まずは淡々と語りながらあとからじわじわと効いてくるタイプの曲として,「いいがかり」「ついてくよ」「空車」「ミナの物語」を挙げておきたい。そして,絶望的な暗さに浸りたい向きには,「決心」がお勧めだ。許されぬ恋の合瀬の一夜があけて,ついにその男と別れる決心を綴った曲で,まさにたかじんの泣き節の本領発揮とでも言うべき名曲である。カラオケに取り上げられていないのが,不思議なくらいだ。JOYSOUNDかDAMあたりにリクエストが出来ないものだろうか。と,ここまで綴ってきたが,なんでこの曲が入ってへんねんという向きもあろうかと思うけれども,そこはあくまで「私家版」と言うことでお許し願いたい。そうだ,もし通信カラオケ各社にリクエストできるものならしておきたい曲を,最後に挙げてこの「名歌撰」を終わりにしたい。「夜のピアノ」。思いを募らせている女性が全く自分に振り向いてくれない憂さをピアノ相手に晴らしているという設定なのだが,出だしからして「僕の神経は 三角形になって 尖っているよ ピ・ア・ノ」というなかなかアバンギャルドな曲である。たかじんフリークを自認するなら,ぜひ歌ってみたいと,思うんじゃないかなあと思う,人は少ないのかなあ。まずは大阪駅の「発メロ」を聞きに行ってみたい。BlogPeopleSIGMA People
2014/12/04
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すでに弊ブログをご愛顧の方には先刻御承知のことではあるが,年の最後のご挨拶は紅白歌合戦に突っ込みを入れながらというのが定番である。と,いうわけで,どうせ歳末なんてろくなネタは転がっていないんだし,今のうちからいろいろと突っ込みを入れていくこととしたい。したがって,興味のない方は読み飛ばしていただいて構わない。いくら視聴率第一位番組とはいえただのテレビ番組に過ぎないのであるから。とはいえ,現時点で発表されているのは,出場歌手だけだ。これをざっと見回すと,なんだかなあと言う気になる。いくら当年のミュージックシーンに疎い私とはいえ,ジャニーズと秋元康グループとEXILEグループだけでこれだけ堂々と多くの歌手を招木上げするほどの技量はないのではないかということぐらいは,分かる。まあ仕方あるまい。これも視聴率対策なんだろう。それにしても,彼ら(彼女ら)を見ていると,いかにもスターというオーラが出て売れていると言うよりは,プロデューサーの,プロダクションの力で,なんか売り出されているというイメージが私の中では強いのである。まあ今日はこれ以上は言うまい。ネタは後々まで取っておこう。それでは,まずは今の時点で「ここに注目すべし」という論点を,いくつか挙げてみたい。1 美輪明宏が何を歌うかこんなのもう数週間もすれば分かることなので敢えて筆頭に持ってこさせていただいた。過去2年間に見せたあのステージングはまさに見事というべきものであったのだが,あれだけが美輪明宏の世界ではない。というより,なにかNHK的な美しさに誘導されているような気がする。ここはひとつ「黒蜥蜴」とか,本来の持ち場であるシャンソンのレパートリーを歌っていただきたいものだ。できれば,美輪明宏訳の「愛の讃歌」「暗い日曜日」をメドレーで歌ってもらうというのはいかがだろうか。たぶん会場は静まりかえるだろう。ちなみにいうと,今日本で広く歌われている「愛の讃歌」は岩谷時子氏の訳なのであるが,あれは越路吹雪に歌わせるために,いわばまあ翻案したようなものなのであって,もともとはエディット・ピアフが恋人が死んだときに作った歌なのである。美輪明宏訳はまさに忠実に訳しているから,非常に悲しい愛の唄になっている。ついでにいうなら「暗い日曜日」の美輪明宏版は初心者にはお勧めできない。まずは淡谷のり子版からどうぞ。2 水森かおりの衣装小林幸子が放逐されたあとに,あの豪華セット,もとい衣装路線を引き継いだ彼女の衣装は,もちろん見物のひとつである。なぜあんなものが引き継がれたのかというのは,また後にでも触れたい。水森かおりが抜擢されたのは,「ご当地ソングの女王」として,そこそこ毎年演歌としてはヒットを出しているからであろう。3 中島みゆきはNHKホールに来るのか今回の紅白に彼女が出場したのはもちろん「マッサン」の主題歌「麦の唄」を歌っているからだろうが,聞くところによると彼女のステージははまさに彼女の独特の世界観に基づくものであると聞く。だからこそ前回「地上の星」を歌ったときは黒部峡谷からの中継だったのであるが,果たして今回はどうか。「マッサン」の舞台と言えば大阪と竹原だが,敢えてそこからでないとという必然性もない。紅白のスタッフが彼女を納得させるような演出をしてNHKホールで歌う姿を見せることが出来るのか。3年前,東日本大震災からの復興が旗印となった紅白ではあの松任谷由実がNHKホールのステージで「春よ,こい」を歌ったのであるが,果たしてどうなるか。4 森進一の体調毎年毎年ネタにさせ手いただいて恐縮なのだが,一時体を壊された影響からか,いかにもやせ細ってしまって歌っていて今にも倒れるんじゃないかというような感を抱いていた。ここ数年は徐々に回復していているようにお見受けするのだが,全盛期の朗々とした歌唱と違っていかにも見ていてもだえ苦しみながら歌っているような感を毎回受けるのである。しかもただでさえ森進一の歌は難曲が多い。今年はどのタイミングで,何を歌うか。本来であればサブちゃんの後釜にどんと座ってもらわなければいけない人なのであるが。まだまだ取り上げればあるのだが,今日はこのくらいにしておく。しかるべき時期には曲目の発表がある。そのタイミングを見計らって,さらに注目すべき論点を挙げていってみたいと思う。なお,弊ブログでは人の懐具合は論点としないので契約更改については論及しません。BlogPeopleSIGMA People
2014/11/27
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昨夜報じられたとおり,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の前芸術監督であるクラウディオ・アッバードが亡くなられた。享年80。長生きした方に入るのかもしれないが,十数年にもわたる病魔(胃癌)との戦いを思うとまだ志半ばだったのかもしれない。さて,アッバードの芸術性は,とクラシック好きを気取るなら能書きの一つも垂れてみたいところなのであるが,実は私,ベルリン・フィルの歴代芸術監督のうちヴィルヘルム・フルトヴェングラー,ヘルベルト・フォン・カラヤン,そして現芸術監督であるサー・サイモン・ラトルのCDは持ち合わせているのだが,じつはアッバードだけは持ち合わせていない,もちろん聴いたこともないのである。だから見てきたような聴いてきたようなことが書けない。私のクラシックCDのコレクションの大半はヘルベルト・ケーゲル,オットー・クレンペラー,そしてセルジュ・チェリビダッケというちょっとばかし偏った傾向にある。その理由は,光文社新書の「カラヤンがクラシックを殺した」でクレンペラーとケーゲルの世界にはまり,洋泉社の「クラシック名盤&裏名盤ガイド」でチェリビダッケの世界にはまってしまったからなのであって,いわば手引き書の問題なのである(加えて言えば,一時期貪るように読んだクラシック関連の本でのアッバードの評価があまり高くなかったこともある)。と,いうわけで。これは私からのリクエストなのであるが,もし弊ブログをお読みになっておられるクラシック通の方で,これぞアッバードの名演,これこそまさにアッバードの芸術の神髄と思われるCDがあれば,是非ご紹介いただきたい。もちろんこれからCDショップのクラシックコーナーにでも行けばアッバード追悼企画などがされるかもしれないのでそれを見て好きな曲を買えと言われればそれまでだが,どうせなら選りすぐりの1枚というものを聴いてみたい。死んでからそんなこと言うなんて虫がよすぎるわと天国のアッバードに怒られそうだが。ちなみに,私の別の手引き書である洋泉社の「名指揮者120人のこれを聴け!」によれば,アッバードの推薦盤は次の通り紹介されている。・ウィーン・モデルン(リーム・リゲティ・ブーレーズ作品集)ウィーンフィル・ハイドン交響曲第102番,第103番(太鼓連打) ヨーロッパ室内管・ブルックナー交響曲第5番 ウィーンフィル末筆ながら御冥福をお祈りします。
2014/01/21
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まだ,心の中の整理が付かない。何をどうまとめていいのかも分からない。もう御存知のとおり,去る1月3日に,食道癌で闘病中だったやしきたかじんが帰らぬ人になったと,昨晩所属事務所から告知された。確かに食道癌の闘病による休養も長引き,いつかはこんな日が来るのではないかと言うことは予想されたことなのであるが,それにしても唐突すぎる。早すぎる。そして若すぎる。いくらたかじんが常軌を逸した大酒飲みでかつチェーンスモーカーと言ったって,天上界に行くのにはいささか急ぎすぎだろうという気がしてならない。彼もまた,「浪速の急ぎ星」となってしまった。もう,彼の人となりとか,サクセスストーリーとか,数々の武勇伝とかは,たぶんワイドショーなどで取り上げられていただろうし(見ていないので分からないが),それこそWikipediaで検索すれば自明のことだ。だからそんなことは書かない。今日は私小説的に書いてみる。ただし,筋なしネタなしオチなしの酒場トークといきたい。その方が彼を見送るには相応しいだろうから(ただし今の私は素面であるが)。私が最初にやしきたかじんという歌手,というかタレントを認知したのは,ABCラジオの帯番組だった「聞けば効くほどやしきたかじん」からである。とにかく達者なトークで一気にファンになった。そして,「あんた」をええ曲やなあと思い,「やっぱ好きやねん」で魅力にはまり,「ICHIZU」で一気に引き込まれてしまったのだ。それが1985年から1987年。ちょうど私が高校生,特に受験モードになっていたころと被さるのである。大学受験が一段落付いたときには初めてベストアルバムをCDレンタルで手に入れて聞き込んだ。しかし,私は1988年春の最初の大学受験で挫折するのである。そして予備校生活。そのときに出来た心の傷に,たかじんの歌はじわじわと効いてきたのである。彼の歌がなければ,私はそこでへたばっていたかもしれない。彼の歌で,立ち上がることが出来た。そして再び迎えた1989年の大学受験。結果だけ見たら2勝2敗だったが,大本命の大学に失敗してしまった。以前も書いたが,その結果流れ着いたのが,ほかならぬ広島大学の法学部である。正直言って,ひとつ間違えば,私はどんな曲がった道に進んでいたかもしれない。しかし,それを救ってくれたのは,確かにカープの存在も大きかったのだが,ABCテレビの帯番組「晴れ時々たかじん」をなぜか広島ホームテレビがネットしていることを知ったからである。広島でたかじんの番組が見れる。それだけで十分だったのである。さて,今でこそたかじんの曲はかなりレアな曲までカラオケに入っているが,昔はそうじゃなかった。特に私の大学時代は広島でのたかじんの認知度はまだ低かったから,カラオケで歌うのも勇気がいった。でもほかの誰よりも聞き込んでいるという自負のあった私のこと,カラオケと言えば絶対にやしきたかじんを外さなかった。といっても,ごくわずかなシングル曲しか入っていなかった時代である。それでも歌い込んだ。新曲が出たらとにかくマスターした。まだ若かったし市民球場や藤井寺球場で鍛えられていたから声には自信があった。そして通信カラオケが普及し始めてカラオケにもたかじんのレパートリーが増え始めたら,もうたかじん一辺倒である。好きだったのは「雨の日はバラードで」と「ICHIZU」,「さよならが言えるまで」,そして「大阪恋物語」である。当時はたかじんのコピーに近いくらい歌える自信があったのだが,今は声が出なくなってもう無理だ。特に高音部がもう伸びない。こういうところでも改めてたかじんのボイストレーニングのすごさを思い知ったのである。なんせレコーディングのリハは3度までという伝説があるくらいなのである。先日私の好きな曲である「午前2時のモノローグ」があったので喜んで入れてみたら高音部が全然出なくてがっかりしたものである。コンサートには,1989年,90年,91年と3年連続で行った。3年連続でメルパルクホールだったが,とにかく歌とトーク,いやトークと歌のシンプルな構成。歌に酔ってトークに沸いて,とにかく楽しかった。そもそも歌はそこいらの凡百な歌手の何十倍もうまいし,話術は天才的だったから,それだけで余計な仕掛けをする必要がなかったと言うことも言えるだろう。ただ,1991年のコンサートのアンコールに,「見上げてごらん夜の星を」をチョイスしたことだけが,妙に心に残っている。まだまだ話は尽きないのだが,これ以上書いても同じことをだらだら並べることになるだけなので,もうやめにする。だからこそ,最後に,私は弊ブログのネタによく替え歌を用いるが,たかじんからも「なめとんか」と「ICHIZU」をチョイスした。だから,このたびのたかじんとの別れにあたっても,たかじんの替え歌で送ることとしたい。曲は,たかじんのシングルデビュー曲,「ゆめいらんかね」から最初の2節を。♪ シャイな歌唄いが ひとりいた コアなファンには 愛されてた 春になれば 病が癒えて テレビに出てくる 約束やった ゆめひとつ いらんかね・・・(×4) 不幸はこっそりやってきて 知らん振りして 通り過ぎる ある年の正月 天に召されて 男はそれきり 姿を消した 取り立ての涙 いらんかね・・・(×4)御冥福を衷心よりお祈りいたします。BlogPeopleSIGMA People
2014/01/08
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もう永くご愛顧いただいている読者の方には先刻ご承知のことだろうが,弊ブログの大トリ記事には紅白歌合戦を取り上げるのが恒例である。そして,2年前まではその更新のタイミングまで決まっていたところである。そこで,紅白歌合戦の出場者が決まった今現在で,勝手に今年の紅白歌合戦の傾向と対策を予想してみたいと思う。紅白歌合戦の出場歌手といえば,数年前まではいかにも紅白歌合戦を見てくれそうな層を狙ってるなというのが見えていたのだが,どうも昨年あたりから傾向が変わりつつある。どうも,あらゆる世代をターゲットにして視聴者を取り込もうとする方向へシフトしているように見える。私など流行歌に弱いので年末の歌番組で初めて歌の名前や歌手を知ることも多いのだが,今年だけでも知らない人がいっぱい出ている。これは,民放の大晦日番組が「ドラえもん」と「年忘れにっぽんの歌」以外壊滅状態で,それまで民放に流れていた層を取り込むことが可能であるとの判断によるものであるとみている。話は逸れるがとみに近年の民放の年末年始番組の質の劣化は目を覆わんばかりであって,私などニューイヤー駅伝と箱根駅伝以外にまともに見ていない(もちろん,サンフレッチェが決勝に進出すれば天皇杯ね)。元日の夜などETVでウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見ているくらいだ。話を元に戻して,今年の紅白歌合戦の演出的に鑑みれば,今年は必ず紅組を勝たせたい年であろうと思われる。十数年前くらいは見事なまでに紅組と白組が勝利を分け合っていたのであって,これははっきりと演出面でも顕れていたからである。ところが,一昨年に紅組が勝つまで,白組が6連勝をしたことがあった。これは実は紅白歌合戦史上でも事件というべきことであって,それまでは実はどちらも3連勝が咲いた連勝であったのである。この白組6連勝の時期はちょうど紅白歌合戦の審査にお茶の間審査,すなわちモバイル審査や地デジ審査が始まった頃と軌を一にするのだが,因果関係は不明である。それはさておき,一昨年が紅組,昨年が白組だったから,今年は紅組の番と考えることは容易だ。ところが,ここにきて,情報の確度は低いのであるが,北島三郎が出場50回を記念に紅白を勇退し,その代わりに大トリを取らせてほしいとNHKに打診しているとの情報が漏れ伝わってきた。もしこれが本当で,その通りにNHKが受け入れたら,まさかNHKは白組を負けさせる演出をするわけには行くまい。となると,サブちゃんに「風雪ながれ旅」や「まつり」を歌わせて,前者なら大量の紙の雪吹雪を散らし,後者なら派手なセットで盛り上げれば,これだけで一丁上がりと言ってもいい。それにSMAPやEXILE,五木ひろしに森進一に氷川きよしに嵐を23時台の後半に持ってきて,それぞれここ一番の勝負曲を歌わせれば完璧だ。実は紅組がここのところ不利な傾向になっていたのはトリを取れる,あるいは23時台の一番の佳境を飾れる歌手が減っているのが原因のひとつであって,だからヒット曲に恵まれてるとは言えない和田アキ子や石川さゆりが気を吐かなければならないのだが(石川さゆりなど毎年毎年「天城越え」ばかりである意味かわいそうだ),サブちゃん卒業紅白に仕立て上げるのであれば,そういう演出になるだろう。一方,あくまでも紅組を勝たせようとすると,これがなかなか難しい。理由は前述した。紅白の勝敗など正味23時台で決まると言ってもいいのであって,この時間帯で白組の大御所や中堅組と張り合えるだけの人材がいないのだ。そのためには,相対的な差を付ける,すなわち大御所に勝負曲を歌わせない,あるいは早い時間帯に上げる,その一方で紅組の23時台メンバー,今年でいえばおそらく和田アキ子や石川さゆり,天童よしみやドリカムや坂本冬美あたりにはとびっきりの勝負曲を歌わせるという作戦しかないだろう。いや,トークではおそらく全く使い物にならないであろう司会の綾瀬はるかに露出度の高い衣装を着せた方が一番手っ取り早いかもしれない。いや,ひとつだけある。いわゆる「サプライズ枠」である。実際は数日前には丸わかりなのでサプライズでもなんでもないのだが,ここでインパクトの高いアーティストを持ってくれば話は変わってくるかもしれない。となると,もう候補は絞られる。ずばり小泉今日子だろう。理由は野暮だから書かない。聞くところによると小泉今日子が大晦日は仕事をしたくないというので出場させることがかなわなかったとのことだが,NHKはまだ説得を諦めていないらしい(これもあまり確度の高い情報ではないのだが)。うまく口説き落として,彼女の往年のヒット曲に「潮騒のメモリー」を歌わせれば,紅組勝利に視聴者投票を誘導することが出来るような気がするのだが。と,与太話を続ければ長くなるので,最後に三つだけ今年の演出上の興味ある点を締める。まずは,島倉千代子をどう扱うか。なんといっても30年連続紅白出場という紅組の連続出場記録保持者であった方である。紅白歌合戦の演出上も無碍には出来ないだろう。オチ予算と公私ともに親交があったという石川さゆりに往年の名曲を歌わせるということも考えられる。そして,これも先日他界された岩谷時子氏の楽曲を取り上げるかどうか。かつて故阿久悠氏が他界されたときにはトリとトリ前で阿久悠の曲の勝負で締めたという前例があるだけに,今回もそれがあるかもしれない。そして最後は,個人的な興味なのだが,美輪明宏に果たして何を歌わせるかである。「ヨイトマケの唄」を2年続けて歌わせるのか,あるいは本職であるシャンソンの名曲を歌わせるのか。もし「暗い日曜日」を歌わせればNHKも立派なものだが,まあ難しいだろうな。カープ?今さらどうでもいいさ。BlogPeopleSIGMA People
2013/11/29
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疲れている。もちろん,赤い帽子の野球チームのことなど心配しているのではない。今週は,まさに悪魔に魅入られたような一週間だった。詳細は書く気になれないほど今私は心身ともに深く傷ついている。非常にまずい。よってまともなことを書く意欲がない。したがって,久しぶりに軽く音楽ネタでお付き合い願いたい。心身ともに疲れ果てて,深く傷ついたようなときに,気分高揚系の曲を聴いて盛り立てようとするのは私に言わせれば無意味だ。そんな気分の時はそういう曲は右耳から左耳へ通過していくのが落ちであって,それで治ったというならそんな心の傷は絆創膏で治る程度の一過性のかすり傷だったと言うべきだ。本当に深く傷ついたら,頭が真っ白になって,それどころではなくなる。こういうときは,むしろ逆に思いっきりディープな曲をセレクトするのがよい。それでは落ち込むだけ落ち込むだけじゃないかといわれそうだが,むしろ気分を一度谷底にまで落としてしまった方が,かえってその後の気分がすっきりとして来るのだ。嘘だと思う向きは一度試されたい。それではどんな曲がよいか。クラシックからチョイスするならやはり「アルビノーニのアダージョ」にとどめを刺すだろう。中でも,旧東ドイツの指揮者だったヘルベルト・ケーゲルが振ったものはまさに空前絶後の凄みがある。冷酷なまでの極辛口といえばいいか。あまりにも凄すぎるとだけ言っておきたい。シャンソンで行くならやはり「暗い日曜日」が定番だろう。なんといってもあまりの暗さに自殺者が出かねないとして放送禁止になった国もあるくらいの曰く付きの名曲だ。日本では美輪明宏がカヴァーしている。これまた壮絶なる熱演である。美輪明宏のベスト盤には必ず収録されていると思うが,この曲と「ヨイトマケの歌」と「メケ・メケ」が入っていれば元は取れると言っても過言ではない。しかし,私がチョイスするのは,やはりなんといってもこういうときこそのやしきたかじんだ。とにかく「午後10時からの音楽」と自ら評するとおり,心の奥底にまで沈み込んでよりディープな世界に誘う名曲が揃っている。この中で私の好みでいくらかセレクトしてみたい。シングル曲では,やはり「ICHIZU」,「愛することを学ぶのに」,「さよならが言えるまで」がよい。いずれも聞けば聞くほど心の奥底にじわじわと効いてくるのである。アルバム収録曲では「大阪恋物語」,といいたいところだが,私に言わせればあれはむしろ明るい曲の部類に入る。こういうときには案外向かない。私の好みから言えば「雨の日はバラードで」,「決心」(アルバム「ICHIZU」収録),「雨の吐息」,「ひとり覚え」(いずれもアルバム「THE VOCAL」収録)である。とくに「雨の日はバラードで」は大好きで,あれを聴くとまさに心の傷に塩を揉み込まれるかのような気持ちになるのだ。もっと直接的にディープな世界に浸りたいなら,これはもう「黄昏のベンチ」(アルバム「PROCESS」収録)しかない。これはもう圧巻だ。聞いた人によっては本当に涙してしまうかもしれない。ちなみにカラオケにもなっているので,自信のある向きはあの独特の節回しと盛り上げ方を完璧にマスターして歌ってみるのもよいかもしれない。ただし,極めつきの難曲なので失敗すると座をしらけさせるだけに終わるのだが。と,ざっと気の赴くままに並べてきたが,我ながら雑然として全然まとまった文章になっていない。ならばついでに,こういうときのための私の秘蔵曲を2曲挙げて締めとしたい。まずは,藤田まことの「十三の夜」である。実に藤田まことらしい朗々とした曲なのだが,独特のペーソスがあって,何か心にじわじわとこみ上げてくるものがあるのだ。そしてもう一曲は,アニメ「魔女っ子メグちゃん」のエンディング曲「ひとりぼっちのメグ」である。これはもう理屈ではない。かつて仕事で本当に辛くて泣きそうだったときに癒やしてくれたのがなぜかこの曲だったのである。魔女っ子アニメらしからぬマイナーコードの曲調にアニメソングの二大クイーンである前川陽子(もうひとりは言うまでもなく堀江美都子)の凄みのある表現力が重なった賜なんだろうと勝手に後付け講釈を付けてはみるのだが。もちろんこれからまとめて聴くつもり。BlogPeopleSIGMA People
2013/11/22
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義理の叔母がコーラスとして参加するということもあって,「第九ひろしま」のチケットをいただいたので,2年ぶりに鑑賞に行ってきた。一昨年は佐藤しのぶのソプラノに感動し,広響の第九とともに感動したのだが,今年はもう本当に凄かった。少なくともライヴで聞いた限りでは大絶演といってよかったと思う。音楽というのは儚いもので,これを仮にCDやDVDで売り出しても,そしてこんなことを言うとRCCの営業妨害になるかもしれないが,後に放送されるテレビやラジオで見聞きしても,果たして同じ感動がえられるかどうかは,分からない。これまで指揮者は第1回の渡邉曉雄,第4回,1988年12月のハインツ・レーグナーとベルリン放送交響楽団(このときだけ広響でなかったのは,まあその時期がどういう空気だったかを思い起こしていただければ分かるだろう)を除けば,広響の指揮者が勤めてきた。今や世界に誇るマエストロである下野竜也も4回振っている。しかし,今回は何と大植英次である。ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー名誉指揮者,そして朝比奈隆の跡を継いで大阪フィルハーモニーの音楽監督になり,現在は桂冠指揮者である。冗談抜きで,世界のトップクラスの指揮者を呼んだのである。そして,ソリストも3人ドイツから招き,テノールは錦織健。まさに超豪華キャストである。さて,2年前の「第九ひろしま」では,横山雄二と藤村伊勢が司会進行を勤めて,さらにソリストに一曲ずつ十八番を歌わせるという演出があった。そのときの佐藤しのぶの「ある晴れた日に」の美しさ,まさにトップのソリストだけが持つオーラに包まれてそれだけでも堪能できたことは,確か2年前に書いたが,今年は進行もすべて大植英次,そして第一部には広島から選抜されたジュニアオケが大植の指揮でベートーベンの交響曲第7番第1楽章とバーンスタインの「キャンディード」を演じたのである。まあ前座にしてはよい企画だろうと高を括っていたが,これがまさにめちゃうまの大感動ものの大絶演。もちろん,技術だけならプロに及ぶわけもない。そんなことをいっていたら広響が怒る。しかし,何故にそう感じえたのか,ひとえにいえば,マエストロがジュニアオケに託した魂だと思う。大植英次の師は,故レナード・バーンスタインである。レニーは指揮,作曲と旺盛な音楽活動の傍ら,次世代の音楽教育にも熱心に心を砕いたというのは,クラシックファンの方には蛇足だろう。大植英次もまた師の教えを次いで,熱心に次世代の指導を行っている。その魂が,ジュニアオケに乗り移ったからこそだと思う。事実,大植英次の指揮ぶりは,プロのオケを振るときと全く代わらぬ熱演ぶりだった。それに乗せられたと言うところもあるだろう。さらに,ベートーベンの第7番をやりたいといったのはジュニアオケのリクエストだったらしいが,実はこれ,バーンスタインが最後の来日公演で振った曲だという。そして,「キャンディード」は組曲仕立てに仕立て直してあったのだが,何と世界初演だという。そして,準備していたのはバーンスタインが最後の来日公演できたタキシードのジャケットを仕立て直したものを用意し,タクトもそのときバーンスタインが使ったもの。まさに大植英次にとっては,たとえ相手がジュニアオケであろうが精魂込めて取り組んだことがよく分かるのである。それがきっと,そして天国のレニーの魂が,ジュニアオケに乗り移ったに違いない。もちろん演奏後は大拍手に包まれ,大植英次が感涙にむせぶという一幕もあった。実は,大植のトークがやたら長かったこともあって,3時開演でここまでで4時半過ぎ。肝心の第九は5時から。2年前はとっくに家路についていた時間である。しかし,広響と大植のコラボは,ちっとも中だるみを感じさせなかった。まさに大植のタクトが魔法のようにオケを,そして合唱団(念のために言うとこれもアマチュアの混成部隊である)を操り,第4楽章はもう大盛り上がりである。ソリストもめちゃうま。ちょうど錦織健は私の目の前に当たる場所で歌っていたのだが,まさにめちゃくちゃかっちょええーっ,である。これぞまさに音楽の神が与え給いしオーラと言うほかない。実は,第9とバーンスタインには,これまたちょっとした因縁がある。1989年,レニーがなくなる1年前だが,ベルリンの壁が崩壊したことを祝してかつてベルリンの壁があったところで第九の演奏会,しかも全くの混成部隊で催したことがあるのだ。しかも歌詞のfraude(歓喜)をfreiheit(自由)に置き換えて。大植がそれを知らないはずはないから,当然入魂のタクトだったに違いあるまい。もう最後は本当に身震いするような感動に包まれ,終わったあとに生まれて初めて「bravo!」と叫んでしまった。当然,開場からは万雷の拍手である。で,おわればただの感動物語なのだが,大植英次はそこからのサービスが凄かった。とにかくステージ中を走り回って演者と握手を交わし,席を立たせて観客の拍手を促し,ソリストに関係者までステージに引き上げて手を繋いで何度も例を繰り返し,挙げ句の果てにはステージの前に出てきてお客さんと握手を始めたのである。私と娘ももちろんマエストロに握手をしていただいた。これだけならまだいいのだが,興奮状態になっていたマエストロは,ステージの前に飾ってあったポインセチアの花鉢,ホームセンターでも980円ではすまないような立派な花を,何とお客さんに配り始めたのである。私の娘などわざわざ「ください」といったら別の場所から取ってきてくれる大サービスぶりなのである。これが,大植英次が最初からRCCに頼んで準備してもらってそう言う演出をするつもりだったのか,それともそんなことは話になくてRCCは唖然としてみていたのかは,定かではない。それにしても,やはり芸術に,いやおよそプロスポーツにでも大事なものは,その一瞬に賭ける熱い魂であるということがよく分かった。本当に一昨日は,大植英次の熱い魂を存分に堪能させていただいた。これだけのコンサート,そうざらに聞けるものではない。本当にチケットをいただいた義理の叔母(コーラスで参加していた)には感謝している。そうなると,その一瞬に賭ける熱い魂を存分に発揮した紫の集団と,そんなものなどなーんにも感じなかった赤い帽子の野球会社の栄達と凋落が,よーく分かることにもなるのである。赤い帽子の「歓喜」はいつ来るのやら。BlogPeople
2012/12/11
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弊ブログは,ことある事に替え歌を使ってネタのアペリティフにしてきた。よく使ったのは言うまでもなく松山猛にPANTAだが,まあそれだけではいつまでも銃をとって叫べになってしまう。昨年末は「愛の賛歌」美輪明宏ヴァージョンを使ってみたが,この線で行ってみようと思う。今日のネタは,昨日書いたからと言うわけではないが,やしきたかじんにしようと思う。やしきたかじんの替え歌はかつて「なめとんか」を替え歌にして供したことがあるが,今日のお題は,私をやしきたかじんの世界に引きずり込んだ思い出の曲,「ICHIZU」である。 ♪ いつもそう 快勝の夜の 明くる日は 負けだから 球場はもう 空にしましょう 溜息と 一緒に 負けるのは いつものことと 落ち着いて 見せたって カープの負けた 闇の深さに 心まで 寒いわ ICHIZU ICHIZU 泣かされるけど 弱いの たまにくるその勝ちに ICHIZU ICHIZU 離れないから 勝ったなら いつもの嘘を 聞かせて ファンになったころのあなた ぎらぎらとした眼力で 優勝という 目標に向かって まっすぐに 見てたの いつかしら 時は流れ 球場が 変わったら あなたはすっかり あのころのように 輝いちゃ いないから ICHIZU ICHIZU 流行ってるけど 涙が出る程辛い人 ICHIZU ICHIZU 不器用だから それでも鯉を追うのは やめれん ICHIZU ICHIZU バカな奴だと ハジメの信者は笑うけど ICHIZU ICHIZU 最後に戻る 港だけ 忘れないでね ICHIZU ICHIZU 流行ってるけど 涙が出る程辛い人 ICHIZU ICHIZU 不器用だから それでも鯉を追うのは やめれん原曲のイメージと,私の思いが分かっていただければ幸いである。本当は年末シリーズにとっておこうと思ったのだが・・・BlogPeople
2012/11/08
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カープのことばかり書いていると,精神的に疲れる。たまには,軽いネタでお茶を濁したい。そうなるともう年末が近づいてきている。大晦日吉例「NHK紅白歌合戦」の出場歌手が云々され始める頃で,やれSKE48とかももいろクローバーZが確実とか言う話も出てきている。私の年の締めの記事は紅白歌合戦とともにあるので,ちょっと今年は出場するんじゃないかという歌手を予想してみたい。もちろん,サブちゃんとか五木ひろしとか森進一とかSMAPとか嵐とか和田アキ子とか石川さゆりとか天童よしみが出るのは当然だから,いわば企画枠とでも言うべき歌手を予想してみたい。と,なると,もう確定なのは由紀さおりだろう。何といっても今や世界で最も評価されているジャズシンガーだ。昨年はヒットの時期がほぼ紅白の歌手が確定した時期だったので枠を食えなかったが,今年はもう1年間もう大活躍である。もちろん,歌の実力は申し分ないので,出場は固いと見ていいだろう。話は変わるが,紅白歌合戦の出場歌手や演出を読むためには必ず見ておくべき番組がある。それは夏に行われる「思い出のメロディー」である。あんなの懐メロ番組だろうと高を括っている向きもあるようだが,本物の懐メロが出てくる割合は少なくなったし,出てきても最近の歌手が歌うようになっている。今年など荻野目洋子,麻倉未稀,森川由加里が出て歌っているのである。要するに自分が年をとったんだろと言われればそれまでだが。で,ある年の「思い出のメロディー」に,唐突にザ・ドリフターズが出た。ドリフの往年のコントと歌を織り交ぜて最後は「ドリフのビバノン音頭」で締めくくったのだが,その年の紅白に,ドリフターズが史上最高齢の初出場(当時)を果たし,しかもあの「8時だよ!全員集合」のオープニングの衣装で歌ったのである。そのほか,「思い出のメロディー」で頭出しをして紅白に使うというケースが,結構ある。今年の由紀さおりのケースも,実はそうだ。その線から行くと,もう一人確実なのは,舟木一夫である。芸能生活50周年だとかで,往年の青春ソングをメドレーで歌うという破格の待遇だった。そういえば舟木一夫は芸能生活30周年の時も紅白に出たことがあるはずだ。ほぼ確定と言っていいだろう。しかし,舟木一夫様。不肖この私,確か「学園広場」だったか,歌い始めのところで思わず椅子から転げそうになりました。プライドが許さないかもしれませんが,ぜひキーを下げて歌ってください。さらに言えば,小林旭も確実ではないか。思い出のメロディーにも前半後半の間にニュースが挟まるのだが,前半のトリが舟木一夫で後半のオープニングがアキラさんだったのだ。しかも十数本のサックスに囲まれて,「ダイナマイトが百五十噸」「自動車ショー歌」「恋の山手線」を歌い上げる姿は,かっちょええーっのひと言である。とても御年74歳とは思えない。アキラさんの場合は,まあちょこちょこ出てきていたのだが,数年前,暴力団との交遊が表沙汰になって,NHKから事実上締め出しを食った。で,徐々に連座していた歌手も紅白に復帰してきていたのだが,アキラさんはまだ残っていた。おそらく,そういう意味での「みそぎ出場」という形があるのではないだろうか。さて,今年は名曲を残して二人の歌手が逝ってしまった。一人は,「また逢う日まで」の尾崎紀世彦,そして「セクシャル・バイオレットNo.1」の桑名正博である。桑名正博はちょっと時期的に遅かったので何か紅白に絡ませることは難しいかもしれないが,尾崎紀世彦の場合は,例の「思い出のメロディー」で彼の盟友だった尾藤イサオが天国の尾崎紀世彦に語りかけてから歌うという演出があった。じつはこれ,河島英五が亡くなったときに彼の盟友だった堀内孝雄が同様に歌うという演出があり,紅白でも使われたから覚えておられる方もいるかもしれない。当然その手を使いたいだろうが,今更尾藤イサオかということもあるし,尾崎清こと尾藤イサオとではキーが逢わないこともあって,同じ演出はないかもしれない。むしろ誰かほかの歌手が(秋川雅史?)歌うというのが妥当な線かなと思われる。ところで,ここ3年,紅白は必ずサプライズ枠を設けている。矢沢永吉,桑田佳祐,そして去年のレディー・ガガ。さあ今年はと考えると,そろそろ種切れだろう。何せ紅白に出て欲しいけど本人の意思で出ないという歌手がもういないのである。十数年前なら宇多田ヒカルを口説き落としてと言う話もあったかもしれないが,今やもう旬から外れている。いや,一人だけ候補がいる。歌手仲間からは推薦が相次ぎ,事実歌のうまさは天下一品,しかし,徹底的なNHK嫌いで死んでも出ないと言い続けている男が。そう。やしきたかじんである。もちろん,病を得ているので,治っていれば,歌えればと言うことが条件になる。NHK大阪ホールのこけら落としの公演すら断ったと言うたかじんだけに,可能性はきわめて低いと思うが,かつて「二人のビッグショー」という番組があったときに,親友堀内孝雄の引きでNHKホールの舞台に立つと言う話が九割くらい実現していたのである。阪神大震災さえなければ。彼は,今や日本の歌謡界に唯一残っているサプライズだと思う。それが実現すれば,何せナニワの視聴率男だけに紅白の視聴率も上がるんじゃないだろうか。紅白の出場歌手の正式発表は今月末頃だという。そして,サプライズと言いつつ12月29日頃にはそのサプライズの種が割れてしまう。まあ今は,それでもゆっくり待つこととしよう。といいつつ,案外面白くない並びだったりして。BlogPeople
2012/11/07
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今日もオールスターが行われているが,ものの見事にスルーして,久しぶりに音楽ネタで行きたい。今回は,音楽といっても今や伝説となった浪曲漫才ヴァラエティ,宮川左近ショウでいきたい。昨年3月に発売されていたようだが,当時私は体調を崩していたので目の中に入らなかった。【送料無料】 宮川左近ショー / That's浪曲ショー 【CD】 である。今でこそテレビの笑いは吉本興業一色になってしまったが,私の子どもの頃は,少なくとも関西では,吉本興業制作の番組と松竹芸能制作の番組がほぼ同じ割合であった。それでもだんだん吉本興業に占拠されていってのだが。その松竹芸能の漫才の看板がいとし・こいし師匠であり,かしましさんであり,そして宮川左近ショウであったのである。この世界は説明するより見ていただいた方がいいので,動画を載せておく。しかし,1986年9月に宮川左近師匠がお亡くなりになった後(奇しくも同月には6代目松鶴師匠,そして平参平師匠もお亡くなりになっている),ライヴでのその迫力ある浪曲ショーを見ることが出来なくなってしまった。そんな中,このCDの発売である。1年遅れでようやく買った。CDは2枚組。1枚目は”THAT'S 浪曲ショー”と題して,左近ショウの名作,「桃中軒雲右衛門」「花の講道館」「殿中松の廊下」「武士の情」の4作が収録されているが,残念ながら,これはスタジオ録音である。ライヴ録音でなかったのが少し残念だったが,何せ貴重な音源だから文句を言えない。それに,私が聞いていた宮川左近師匠の声がさらにキーの高いこと。迫力とともに美しささえも感じるのである。しかし,お楽しみは2枚目にあった。”LET'S浪曲&歌謡ショー”と題して,その筆頭を飾るのは唯一のライブ音源,おそらくは浪曲大会にゲストで呼ばれたときの音源と思われる「瞼の母」。もちろんお客さんにとっては筋も内容も先刻承知のこのお題を,左近師匠はまじめにまじめに進めようとするが松島一夫師匠が崩そう崩そうとしてそれを暁照夫師匠が皮肉っぽく締めるというまさにライヴの醍醐味。寝ながら聞いて涙を流しながら笑ってしまった。これぞ左近ショウである。あとの「歌謡ショー」は松島一夫師匠と暁照夫師匠が吹き込んだものが納められている。いずれも貴重な音源で,暁照夫師匠のまさに人間離れした三味線の曲弾き,松島一夫師匠のまさにこれぞ浪曲歌謡というだみ声は聴き応えがある。が,松島一夫師匠の場合,どうもその性質上歌の内容が「任」と「侠」とが出てくることが多いため,今では残念ながら放送で流すことは不可能だろう。特に「任侠道」など,思いっきり♪神戸~山口~三代目~と歌い上げるのである。今じゃ放送どころかどこだって無理かもしれない。その一報で「あゝおやぢさん」など国民全員に聴かせてやりたいような曲であるが。さて,こういうものを仕掛けたのは誰かとみれば,やはり澤田隆治氏であった。さすがに目の付け所が違う。このシリーズは次々と続編が出るらしいから,楽しみではある。特にこの後にはフラワーショウさんやタイヘイトリオさんが予定されているらしいから,待ち遠しい。さあ,これからはやわなJ-POPなど聞いてる時代じゃない。みんなで唸ろうじゃないか。♪毎度~皆様~おなじみ~,お聞きくださる一節は,流れも清き宮川の,水に,漂う,左近ショウ・・・その力業をしっかり堪能すべし。BlogPeople
2012/07/23
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2月1日。多くのカープファンブロガーがバカの一つ覚え,もとい大喜びでキャンプインを記事にして,プレスから出たばかりのこの時期の当てにもならない情報を垂れ流すこの日。なんとかこれを透かしてやろうと過去の記事などを昨日めくっていたいたのだが,そんな中に私にとっては大きなニュースが舞い込んできた。私が高校生の頃から,その歌とトークを敬愛してきた,やしきたかじんが,初期の食道癌と言うことで入院,休養ということになったようで,たかじんが絶対に番組を流さない東京キー局の朝の情報番組でも盛んに取り上げられていたところである。そのニュースを聞いて私が思ったのは,こんなことを言うと他のファンに叱られるかもしれないが,ああ,来るべき時が来たかということである。もちろん私は伝聞の伝聞でしか知りようもないのだが,チェーンスモーカーでしかもとてつもない酒豪。よく交友のある芸人と一緒に北新地を朝まで飲み歩く通称「新地引き回しの刑」などなど,武勇伝には事欠かない彼のことである。それに加えて,昔から家にテレビを何台もおいて全番組を録画し,それらをすべてチェックしていたという仕事熱心さ。歌を吹き込むときはリハーサルは絶対に3回までと公言しているが,その裏には血のにじむようなボイストレーニングとレッスンがあることは,想像に難くない。すなわち,いつか若いうちに癌のような軽からぬ病を得るのではないかと言うことは,容易に想像できたからである。本当に初期の食道癌であるということを信ずるならば,長期離脱ということはないと思うが,それにしても休養期間の番組をどうするかという問題はあるだろう。「そこまで言って委員会」にしろ,「胸いっぱい」にしろ,「たかじんNOマネー」にしろ,たかじんの個性で持っている番組だから,代役は効くまい。いずれにせよしばらく休止と言うことになるんだろうが,非常に違和感を覚えるのは,一部プレスが「このまま引退へ」という方向へリードしていることである。何か,そこには裏があるに違いないと思っている。一つ考えられるのは吉本興業の圧力だろう。昨年の8月島田紳助が引退に追い込まれたときに,その後出てきたミナミの競売物件の権利関係の始末を暴力団組長の意向を使って解決したという話を,真っ先にTwitterでリークしたのがたかじんである。おそらく吉本興業は怒り心頭だっただろう。それに,たかじんとてまあ売れない頃は流しをやっていたこともあったのであって,その筋との交友が,絶無とは言えない。その線を使ってこのまま葬り去ろうとしているようにも思えるのである。もう一つは,政財界からの圧力も考えられる。「そこまで言って委員会」は私にいわせればそんなにたかじんが無茶をしていないが,テレビ大阪系(広島ではHTVで土曜日11:55から約1ヶ月半遅れで放送される)の「たかじんNOマネー」は,はっきり言ってやりたい放題,言いたい放題である。青山繁春や大谷昭宏などの多士済々の論客が言いたい放題喋りまくり,時に収拾が付かなくなる程で政財界をぶった切りまくる。これが,はっきり言って面白かろうわけがない筋が一杯いることは,容易に想像がつく。まあ,「そこまで言って委員会」には,三宅久之というご意見番がいて,三文役者じゃ鼻息で吹き飛ばされてしまうのだが。たかじんは今日の「ミヤネ屋」にコメントを寄せて,「やめるわけがないわ」とあっさり切り捨て,65歳ライブのために新曲も作っているとのことで意気軒昂だから,ひとまずは安心している。ぜひ早期に復帰して,自分のことを取り上げた記事を「胸いっぱい」や「たかじんNOマネー」でぶった切る日を,楽しみに待っている。でも,もう20年も前にコンサート中に倒れて救急車で運ばれたりしてこともあるし,数々の病気でそのたびに治療に当たっていたのだから,やっぱり,ゆっくり養生して欲しいと思う。「やっぱ好きやねん」や「ICHIZU」で,多感な高校時代の私をその世界に引き込んだ責任は,もっともっと長くとって欲しいと思っているから。やっぱ好きやねん。BlogPeople
2012/02/01
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弊ブログはずっとカープのことばっかり書いていて,サンフレッチェさえすっ飛ばしてきているのであるが,実はサンフレに相撲,そして音楽も守備範囲にするはずだったのである。長く書いていないが,今年もNHKより紅白歌合戦の出場者が発表され,曲目も昨日発表されたことであるから,これに食いついてみることとしたい。実は紅白歌合戦,数年前までは仲良く談合的に紅組と白組がかわりばんこで勝つということが続いていたのだが,実は昨年まで白組が6連勝中なのである。これは前代未聞のことで,過去の歴史を紐解くと紅白とも3連勝が最高だったのである。理由はいろいろ考えられるが,かつてはあでやかな着物姿やドレス姿の演歌勢と松田聖子を筆頭とするアイドル勢が花を添えていた紅組が,特に23時台以降に出てくる,いわば局面を変えるような歌手がいなくなったことが挙げられるだろう。いや,トリを取れる歌手すらいないといっていい。毎年毎年ドリカムと石川さゆりと天童よしみと和田アキ子だけじゃ,そりゃ飽きられる。本来なら小林幸子が割り込まねばならないのだが,何と言ってもあの衣装のおかげであんまり遅い時間に出せないという点もある。それに対して白組は,サブちゃんに五木ひろしに森進一が健在だし,それより何より,SMAPと嵐とEXILEと氷川きよしがいるから強い。NHKも知恵を絞っているのか,中居正広を紅組の司会者にしてみたら笑福亭鶴瓶の年季の入ったトークに跳ね返され,五木ひろしや森進一や細川たかしの順番を上げて,サブちゃんには比較的軽めの「帰ろかな」などを歌わせる(何と言ってもトリで「風雪流れ旅」や「まつり」などをやられたらたまらない)という手を取っているようなのだが,どうにもならないようだ。特にモバイル投票,デジタルテレビ投票が始まってから,その傾向は顕著であるように思われる。昨年など松下奈緒という最強の兵器を投入しても打ち返されてしまった。そこで,別に赤いチームが好きだからというわけではないが,紅組をなんとか勝たせる演出が可能かどうか,お遊びで考えてみる。まず司会だが,これは勝負にならないかもしれない。確かに井上真央はかわいいし,「おひさま」もだいぶん好評だったようなのだが,嵐と比べるといかんせん軽量だし,フリートークについても未知数だ。ここは小林幸子とか川中美幸とか天童よしみとか和田アキ子とか,とにかく明るくてパワーのある面々でカバーしないといけないだろう。で,まだ発表されていない歌唱順だが,今年は言うまでもなく震災復興特集として,関連楽曲が一連の流れで歌われることが考えられる。それは比較的早い時間だろうから,そこにまとめてしまえば,白組の大御所はそこにまとめることも可能だ。となると,勝負を分ける23時台で紅組が相対的優位を取れる順番が組めるのではないかと,考えてみたが,なかなか妙案がない。松田聖子と神田沙也加のコラボはどうも中継らしいし,楽曲が「上を向いて歩こう」では,やはり震災復興特集枠に押し込められてしまうだろう。松任谷由実も,我々の世代ならユーミンブランドが少しは残っているが,今はどうなんだろうか。と,なると,最後の手段は1つしかない。AKB48の大トリである。私は興味もないし,とてもじゃないが曲を聴く限りでも大トリにふさわしいアーティストとは思わないが,何せオリコン調べで年間シングル売り上げ上位5位までが全部AKB48で,しかもすべてミリオンヒットというのだから,まあやむを得ないところがあるだろう。ただし,問題は労働基準法との関係である。私はメンバー構成とその年齢などよく分からないのだが,労働基準法上18歳未満のメンバーは23時台に仕事として出演することはできない。それがクリアできるのなら,まさに天下の奇策として考えられてもいいんじゃないだろうか。と,ここまで書いたところで,NHKがレディー・ガガと録画出演交渉をしているとの報が入ってきた。こうなると,少しは流れが変わるだろうか。それとも視聴者層の多くを占める層からは「なんじゃこれ」と思われるかもしれないが。今日は冬至,今年もあと10日。まあ,本番を楽しみにすることとしよう。これもあくまでもお遊びですから。BlogPeople
2011/12/21
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たまには,カープでもサンフレでも相撲でもないネタを書いてみる。私は受験生時代にのめり込んで以来,やしきたかじんの音楽を愛聴してきたが,ここ数年はあまり聞いていなかった。それは,やはり新曲のリリースが8年近くなく,純然たるオリジナル曲となると十数年新曲を出していないこともあった。要するに,やしきたかじん=歌手という等式が私の頭の中で崩れつつあったからといえばいいだろうか。そんな中,本当にひさびさに新曲を出すという情報を得た。しかも作詞が秋元康,作曲が小室哲哉だという。喜んで「その時の空」買った。聞いた。そして驚いた。何と言っても,やしきたかじんのこれまでの曲と言えば,通称「午後10時からの音楽」である。真夜中に豆電球の下で聞くのがよく似合う曲がほとんどである。そして,その世界は常に男女関係,男の強がり,女の嘘,成らぬ恋,離別,今生の別れ,というのが定番である。特に,女性の立場からの歌は定評があり,「Ballad for Woman~女性のためのバラード集~」というベスト盤もリリースされている。それがである。男女関係なし。別れも涙もなし。ただひたすら明るく前向き,お天道さんの下で堂々と聞ける音楽に仕上がっているのである。しかも子どものコーラス入りである。何もかも違うのである。彼が会長をしているという「OSAKAあかるクラブ」のテーマソングであるということもあるだろうが,それにしても驚いた。そして,改めに彼の表現力の多様さに感じ入った次第である。百聞は一見に如かずと言うことで,さて,これで終わればなんてことはないが,私が書くからには,やはりその先がある。焼け木杭に火が付いたように久しぶりにたかじんを聞き始めたところ,今の私の思いにぴったりな替え歌を思いついた。元ネタはこれもたかじんの名作「なめとんか」(作詞・作曲鹿紋太郎」である。久々の替え歌シリーズで行きたい。ちなみに元歌はこちら。 ♪ 球場の灯り見てたら 少し涙こぼれた 今年の結果 物笑いの声 聞こえないふりしたけど 気付かないと思うとるん? 所詮ファンは 金づるだと 正直者の ハジメの考え 子どもかて 見破るわ なめとんか ほんまなめとんか カープはあんたの おもちゃやないよ 言うたろか 今日は言うたろか 思い続けて もう二十年 今朝新聞を見たんよ ろくな記事がなかったよ 来年はこれで戦えますと いつも通り 小さな記事で 傷だらけのチームをファンは, どう応援したらええんやろ そやけど初めて 本当に初めて 好きになった チームやから なめとんか ほんまなめとんか 勝てないカープを もう待てへんよ やめたろか ぜんぶやめたろか 何でカープファンだけ 不幸やねん なめとんか ほんまなめとんか カープはあんたの おもちゃやないよ 言うたろか 今日は言うたろか 思い続けて もう二十年 ♪やしきたかじん/その時の空ハジメよファンをなめとんか。BlogPeople↑ポチッと,クリックしていただけると励みになります。よろしくお願いします。(モバイル環境からもクリック可能になりました。「画像を表示」をクリックして,出てきたバナーをクリックすればOKです。)
2010/12/05
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公式なニュースとして出されたのは16日のことなので,もうニュースとしては賞味期限が切れかけているところだし,何より当ブログにはそれより前にコメント欄でインサイダー情報?をいただいていたところであるので,何を今さらという気もするが,昨日のくだらない試合と明日以降繰り広げられるであろう悪夢のような試合の谷間にかかる群雲を払拭すべく,今日取り上げることとする。そのニュースとは,5月16日の中国新聞に掲載されたこの記事である。「それ行けカープ」再発売へ(09/05/16)ここでいう「それ行けカープ」は,私が唯一正統として認める塩見大二郎氏歌唱のオリジナル版である。それだけでも感動ものなのに,カップリング曲だった「勝て勝てカープ」,それに「CARP讃歌」「ヴィクトリーカープ」に「燃える赤ヘルぼくらのカープ」までオリジナルで復刻されるという。このデジタル音源化をどれだけ待ち望んできたことか。実は不肖この私,今からおよそ1年と数か月前の記事で,「それ行けカープ」「勝て勝てカープ」「燃える赤ヘル僕らのカープ」3点セットのCDの発売を主張していたところである。旧市民球場で当たり前のように流れていたにもかかわらず,デジタル音源がほんの一時期発売されたCDしかなく,それが当時Amazonのマーケットプレイスで法外な値段が付いていたこと,いや,諸般の事情でシリーズ化が打ち切られたコロムビアの「選手別応援歌」CDの過去のヴァージョン(これは南一誠氏の歌唱のそれ行けカープが収められている)ですら定価の倍近い値段で取引されていることをみて,それはおかしいだろうと思ったからであるが,まあ自分がブログ上で提案したことが形になったようで(いや絶対に違う),感無量である。本当に神様仏様ソニーミュージック様である。そうそう。もうひとつ念願が叶ったといえば,これらの入手に成功したことである。に,そして, である。特にV1記念LPは,一度手に入れていたにもかかわらず,引越の際に手放してしまい,最近になって後悔して粘り強く探していたところを,ヤフオクで見つけて,お手頃な値段で再度手に入れたものである。これはもうカープファンにとっては涙ものの編成なのであって,選手自身が自分のことを歌う数え歌が収録されていることでも名高い。そうそう,前に挙げた「ヴィクトリーカープ」は,このLPの最後を締める名曲である。これらはもう私が死ぬまで手放すことはないだろうし,結構ヤフオクなどを粘り強く探せばまだまだ入手可能なようであるが,これは今のカープファンにも聞かせてあげたい名盤であると勝手に思っている。今度は,このカープV1記念LP「VICTRY CARP」を,デジタルリマスタリングしてくれないかなあと,勝手に思っている次第である。いやもうひとつ,RCCのアーカイブスに眠っていて,何年かに1回虫干しされる1975年10月15日,後楽園球場のジャイアンツ戦の実況録音に,映像をかぶせてDVD化すれば,きっとつまらない企画もののDVDより売れるんじゃないかと,妄想は膨らむのである。いや,それが非現実的ならば,次なる目標はとりあえず目先の小さな一歩にするべきだろうか。そう,「鯉してるオールキャスターズ」版の球場からの追放。スタジアムで直に聞いても,テレビラジオから流れてくる音声からも,もう本当に聞くに堪えないし,私の聴覚はそれを完全に拒絶してしまっている。まあ,実際はマーティ・ブラウンの首を飛ばすより難しいのかもしれないが。オリジナル音源とともに快進撃希望,だけれども・・・BlogPeople↑ポチッと,クリックしていただけると励みになります。よろしくお願いします。(後記その1)こちらも引き続きご尽力をお願いしたい。現行広島市民球場を「登録有形文化財」として保存しよう!(URLは「http://www.shomei.tv/project-773.html」)の署名プロジェクトである。(後記その2)本文ではさらっと書いたものの,実をいうと「CARP讃歌」だけは,音源も持って折らず,聞いた記憶もない。若山彰氏が歌った「カープ讃歌」というレコードは所有していて,まさにカープがおいら岬の灯台守になってしまったような名曲なのだが,それとは違うのだろうか。ご存知の方がいらっしゃいましたら,ぜひ教えて下さいませ。
2009/05/21
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4月3日の発売以来,ずっと引っ張ってきたが,日程の合間に当たる今日記事にかけることとする。それ行けカープ ~広島東洋カープ Stadium Sound Track一部ファンには異論があるかもしれないが,これは私がカープファンとなりしより三十余年にふりつもるカープへの思いと,自分の音楽観,まあ大きく出るなら我が審美眼に耐えうるかどうかという譲れない一線が私の中にあるのである。いわば哲学論考にもあたるため,批判を承知で突き進むこととする(←いつものことだろうって?おっしゃるとおり)。さて,このCD,「Stadium Sound Track」とあるとおり,新球場で使われるあらゆる音源を集めたもの。それを含めて,全編デジタル録音,は当然として,明らかに音作りはシンセサイザーへの打ち込みで済まされている。もちろん,新応援歌と位置づけたいらしい「勝利を我らに」や我らが国家「それ行けカープ」までそうである。ただし,ペットとサックス,トロンボーンは入っているようなのだが,存在感非常に稀薄である。したがって,ものすごく音が貧弱でかつ安っぽい。決して私はシンセによる音作りを否定するものではない。それにしても,全く音に魂が籠もっていないのである。新球場を飾るサウンドのために全身全霊をかけて作った音だとはとうてい思えないし,そんなことは死んでも言わせない。非常に残念なのは,そのためにホームランファンファーレが何の感動もないチープなものになってしまっていることだ。あのオーケストラサウンドばりばりで作られた1979年頃までの余情たっぷりのファンファーレや,1980年ころから1992年まで使われたあの聞くだけで鳥肌が立つようなまさに地響きのごとくうなりを立てるファンファーレが,今となっては非常に懐かしい。さて。これにあわせて生ビールの売り子がダンスをするという「勝利を我らに!」だが,メロディーは悪くない。歌詞と相俟ってあえて昭和テイストにしたような感じもするのだが,ちゃんとした音でしっかり歌えばいい曲に聞こえるだろうなと思う。ただ,私に言わせれば歌詞がちょっと説明的すぎる。こういうものの歌詞は七五調と言わずとも短いキャッチーなフレーズを積み重ねる方がうまくいくのだ。かつて「近鉄バファローズの歌」「炎えろ!近鉄バファローズ」(註・誤植でも編集ミスでもありません。これで「もえろ」と読みます)のうえにさらに「ドリーム&パワー」を作ったときには,この線でうまくいったという例もある(それに,あの歌の音楽は相当しっかり作り込まれてましたぜ,制作者さん)。加えて言えば,残念ながらこの歌の歌詞からは「カープ愛」がちっとも感じられない。まあ,作詞の有馬稲子氏をして「私のカープに対するラブレター」と言わしめた「それ行けカープ」と比較したらどの歌も太刀打ちできないのかもしれないが。さらにけちをつければ,サブタイトルでもある「Let's win!」というのも気に入らない。これだとイメージとしては「みんなで勝とうやあ」くらいの非常に軽ーいものになってしまう。やはり,本当にカープの勝利を強く唱道するならば,「will」もしくは「shall」がベターだと思うのだが。えっ,こんなの未来形の助動詞じゃないかって?いけません。受験英語に毒されてますな。かの有名な「WE WILL ROCK YOU」の「will」は?「WE SHALL OVERCOME」の「shall」は?ただの未来表現じゃないってことくらい,分かりますよねえ。話が大幅にそれた。問題の「それ行けカープ」である。まずは音楽から。こんな改悪は許せない!とにかく元の譜面から何からずたずたにされているし,イントロからして何かよく分からない不協和音まで入り込んでいる始末である。まだその改変に編者なりの思いや世界観が感じられるのなら分かるのだが(ちなみに,オーケストラでもマエストロクラスの指揮者になるとスコアに忠実どころか勝手に削ったり果てはこんなのおかしいとばかり改変することはざらにあるようだ)もう聴けたもんじゃない。実は私,これを1回目に聴いたのはカーステレオでなのだが,思わずハンドルを持つ手が怒りで震えた。いや,私心なく聞こうと思って場所と日にちを変えて何回も聞いたのだが,ついに耳が拒絶反応を起こして聞けなくなってしまったくらいである。いや,そうなってしまった理由は,実はこいつらのせいかもしれない。藤村伊勢深井瞬森拓磨松藤好典よ,なにが「鯉してるオールキャスターズ」だ。おまえらは今後一切,たとえ仕事でも二度とカープに関わるんじゃねえ。「お仕事でやってます」とばかりに,カープ愛もなく適当に歌われてたまるか。まだ聞かれていない方は,ぜひ反面教師の意味で一聴をお勧めする(我ながら悪魔的だな,販売妨害にならないような書き方をするのは)。ちなみに,問題の「それ行けカープ」だけなら,こちらからダウンロード可能である。きっと,ごく少数でも心ある方は,私の見解に同意いただけるものと信じている。私に言わせるならば,あの4人の歌唱は,はっきり言って素人のカラオケ並みであって,これで金を取って印税を得ること自体あり得ない所業である。せめてこれを歌う前に,この歌の世界観とはどんなものか,どういう思いが込められているかというのを考えたことがあるのかといいたい。それすらも出来ないのならば,もう二度と野球実況やら関連番組に関わるなと思う(特に松藤。私は君をカープ戦中継をする資格に足りるスポーツアナとして認めていない。)。ちなみに,さすがにこれではまずいと思ったのか,この2曲は「Marquee Marbish BAND」の歌うヴァージョンもある。こちらは,よほどしっかり歌えている。「それ行けカープ」も塩見大二郎氏のあの朗々たる歌唱法を基本的に踏襲していて,こちらはまだ好感が持てる。それにしても,こんなもんで,新球場のサウンドを彩って,いいのかねえ・・・その効果がいかほどのものは,4月14日,ホーム開幕第2シリーズの対ベイスターズ戦の初戦に不肖この私が遅ればせながら出陣をして,自分の耳で聞いてみるつもりである。サントラはあくまでもサントラである。スタジアムで使われると,ひょっとしたらうまくはまるかもしれないのだ(一応フォローのつもりですからね,制作者さん)。このやるせないくるしさのすくいはないだろかBlogPeople↑ポチッと,クリックしていただけると励みになります。よろしくお願いします。(後記その1)こちらも引き続きご尽力をお願いしたい。現行広島市民球場を「登録有形文化財」として保存しよう!(URLは「http://www.shomei.tv/project-773.html」)の署名プロジェクトである。どうも署名数が停滞している。またアジテーションをやってみるかな。(後記その2)お詫びである。昨日いただいたコメントに対する私のコメント返しの中に,一部書いた本人ですら意味不明のそもそも日本語になっていない文章が散見された。睡眠導入剤と精神安定剤を飲んだ後にもかかわらず書き込んだために,その副作用でもうろうとしてしまったまま書いてしまったらしい。いずれにせよ非常に申し訳ない。
2009/04/06
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最近,家にいても活字が頭に入らないので,暇さえあれば音楽を聴いて知らないうちにまどろむという非生産的な生活を,しかもお日様の高いうちから送っている。私のiPodはクラシックから演歌まで,デューク・エリントンから三波春夫まで,しかも植木節付きというとんでもない代物であるので,うっかりシャッフルで聞いたら大変なことになる。最近は16ギガバイトに買い換えたのをいいことにどんどんいろんなものが増殖しているから,クレンペラーやケーゲルの指揮するクラシックの後に植木節が流れ,その後オバマの演説で盛り上がってたかじんのディープな世界に落とし込められ,最後は大至の相撲甚句でとどめを刺されるという仕掛けになっている。そのなかで,最近勢力を伸ばしつつあるのが,70年代から80年代前半にかけての歌謡曲である。もともと松田聖子とか小泉今日子その他同時代のベストアルバムはひとしきり持っていたのだが,最近キャンディーズのベスト盤CDを手に入れ,加えてピンク・レディーの曲をiTune music storeからダウンロードして,ついでの岩崎宏美あたりもアルバムに加えた。その中で1曲,ぼーっと聞いていて脳天にガツンと一発食らったような衝撃を受けた曲がある。それは,これ→→である。かつてこの稿では私は真剣に,ビッグバンドやフルオケとエレキサウンドとの融合がこの時期のポップスの音楽を豊かにした理由であるとさんざん述べてきたが,この曲のサウンドは,完全にエレキベースが勝っていて,ところどころオケのサウンドが聞こえる,というくらいである。しかし,よくよく聞くと,編成が極めてチープなのである。多分あまりスペックの高くないシンセサイザーとエレキギター,エレキベースとパーカッション,それに編成を極端に少なくしたオケ(ストリングスだけかも)と言っていいかもしれない。その点は,ピンク・レディーのサウンドの最大傑作とも言える「UFO」と大違いである。しかも,歌詞の合いの手に入るメロディーの音をよく聞いてみたら,なんとシロフォンである(あるいはマリンバかもしれぬ)。この曲のメロディーは,シンセサイザーとエレキストリングスと木琴によって全て完結していると言っても過言ではないのである。しかし,あの当時を知る人からすれば,この「サウスポー」がピンク・レディーの曲の中でグレードが低いなどと思う人は誰もいるまい。結局,エレキもシンセも使いようなのであって,さらにその出来の良し悪しを決めるのは,音楽に対する心がすべて なんだろうと思う。どうも最近前衛性を失って退化著しいJ・POPの底流には,案外そんなところがあるのかもしれぬ。いや,私に言わせれば,昭和10年代や20年代の曲に現代的な想像を絶する前衛性の塊のような曲がごろごろしているのだが。この点については,また追い追い書いてみたい。ただし,「サウスポー」もたいがい凄い着想の曲である。若い女性のプロ野球投手が「背番号1の凄い奴」である前田智徳,ではなくて王貞治を相手に真剣勝負をすると言う舞台設定を考えた阿久悠もさすがは当代一流の作詞家だったと言うしかない。と,いうわけで。RCC藤村伊勢HTV森拓磨HOME松藤好典TSS深井瞬の4人の歌唱による「それ行けカープ」。ちゃんと曲に対するリスペクトがあるかなあ。この曲に真剣に向き合って歌ってくれてるかなあ。(←結局それかい)ところで,本編とは関連はないが,キャンペーン中なので呼びかけたい。心あるカープファンの,いや全国の皆様に呼びかけたい。私が渾身の力を込めた大署名プロジェクト 現行広島市民球場を「登録有形文化財」として保存しよう!(URLは「http://www.shomei.tv/project-773.html」)である。御賛同いただける方は,ぜひご署名をいただきたい。そして,友人知人の方にご紹介をいただきたい。ブログ,WEB-SITEをお持ちの方は,この署名ページへのリンクを,そしてブログパーツを貼っていただきたい。どうもいまのところ数が伸びない。今は雌伏の時と思って辛抱して宣伝する次第である。なお,このサイト,私からも軽々に個人情報を見ることが出来なくなっている。もちろん,頂いた個人情報は今回のプロジェクト以外の目的には一切使用しないことをここに宣言する。そういえば「UFO」は山内泰幸。BlogPeople↑ポチッと,クリックしていただけると励みになります。よろしくお願いします。
2009/02/25
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うちの娘が,「2代目アラジン」(そう書いた理由はやがて分かる)の「陽は、また昇る」を聞いて,なぜか唄い踊るようになった。まあまあ歌詞も悪くない曲なので,そんなに喜ぶならと言うことで,↓これを買ってやったところ,以後カーステレオで死ぬほど聞かせられる羽目になってしまった。ヘキサゴンオールスターズ / WE LOVE ヘキサゴン(CD+DVDスタンダード)結論から言えば,真剣に聞こうとするとCDを割りたくなるが,まあ企画ものだと思えばええんじゃないかという仕切りで聞いている。ただし,これに収録されている中でも出来不出来の村は相当大きいようだ。まず社会的現象にもなって私のブログの記事や小ネタにもさんざん出てきた「羞恥心」。はっきり言って歌は素人以下である。しかも野久保は声も細い。元横浜高校野球部レギュラー捕手の上地と比べるとどうにもならない。もっとも,上地も声がでかいだけなのだが。さて,問題の「羞恥心」は,本人らの情熱と面白いことをやってやろうというベクトルと楽曲のスタンスが珍しく融合したのがヒットの原因だと思う。もっとも,しょせん素人芸は素人芸の悲しさからか。やはりこの線で押し続けるのはどだい無理だ。どういうイニシアティヴがあってかは分からないが,「羞恥心」というセット売りをやめたのは賢明だと思う。なにせ,「泣かないで」は明らかに場違いな冗談音楽としか言えないし,「我が敵は我にあり」は島田紳助の説教節全開(それは「アブラゼミ」にもいえる)で聴けたもんじゃないし,これには収録されていないが「弱虫サンタ」なんてチープ極まりなくて歌わされている彼らに同情の念すら起こる。もっと哀しいのがPaboである。里田まいはさすがにそれ相応に鍛えられているのが分かるのだが,あと二人は本当に素人のお嬢さん以下だ。特に,何を勘違いしたか数十年前のアイドルよろしくブリッ子テイストをぷんぷんさせるスザンヌは浮きまくっている。まだスレッからし全開の木下優樹菜がましに聞こえるくらいだ。さて,悪口はこのくらいにして,問題の「陽は、また昇る」である。いかにも歌詞は島田紳助らしいあざとさの塊で,北京オリンピックに便乗してついでに国内景気好転を祈願して作りましたというコンセプトが見え見えだが,曲自体が奇をてらわずにそのまんまで突っ走ってるからまあ好ましく聞こえるのだと思う。すなわち,「ヘキサゴン」系の楽曲があれほどまでにヒットした所以は,島田紳助,もといカシアス島田の才能ではなく,そのほとんどが高原兄氏の力である と言うべきだと思う。高原兄。もう全国ネットでは忘れられているのかも知れないが,あの伝説の「アラジン」のリーダー兼ヴォーカルである。よくよく聞いてみると,これらの曲のテイストはまさに「アラジン」の時代の音楽のそれと類似性があるように思われる(ただし,企画やアレンジの段階で高原氏がそれだけイニシアティヴを持っているかは知らない)。特に,「天下無敵の一発屋2008」。元がアラジンの曲だから当たり前だが,これを聴けば私と同世代の方々には,あの1982年にヒットした前衛的な名曲,「完全無欠のロックンローラー」がシンクロして忍び寄ってくるはずである。まあ,それだけ今のJ-POPはチープで古くさいのである。ちなみに,「完全無欠のロックンローラー」は,iTune music storeからダウンロード可能である。その他で言えば,掛け値なしに面白いのは「ラクダになるぞ」だろう。今時親が子に説教するときでも使わないようなチープな脅し文句を大まじめに歌っているのがかえって笑えるのである。まあ,このくらい褒めてやれば充分だろう。さすがの島田紳助もこんな素人芸では持たないと悟ったか,当分は痩せても枯れても歌手としてトレーニングを受けている里田まいとmisonoを前面に押し出すつもりのようだ。まあそれが賢明だろう。問題は二人とも「おバカ」のイメージが強すぎて華がないことだが。で,最初は娘に聞かせたことを後悔しかけた。でも,よく考えたら自分だって「8時だよ!全員集合!」や吉本新喜劇や吉本コメディ(しかも今と違って比較的放送上でも何でもありの時代)を見てここまで一応まっとうに生きてきたという自負はあるから,まあ良しとしようと思っている。やはり,音楽について語ってみても面白い。最近クラシックの聞き比べなどもしているので,ネタがまとまったらこれもまたシリーズ化してみたい。次回以降も乞うご期待(いつだ?)。にほんブログ村↑ポチッと,クリックしていただけると励みになります。よろしくお願いします。
2009/02/14
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どうせこの時期のキャンプネタなんて実のない話ばっかりなので,久しぶりに全く関係なさそうな話からいつの間にかカープに昇華するトリックをやってみたい。ひさびさに音楽ネタにしよう。ほな,ぼちぼち騙しにかかるよ・・・(by ゼンジー北京)最近,通勤途上とか業務上の電車での移動中,時には休日のシエスタにも,iPodを耳にしていることが多い。これは,念願かなって5年間使い続けた初代iPod mini(あれだって最初は革命的だと思ったのに)をiPod nanoに更新したことから,なら徹底的に付き合ってみようというのがそもそものきっかけだ。いや,かつて中学高校と電車通学をしていたとき,大阪の予備校の講習に通っている間の電車中は,レコードから録りためたカセットでずっと音楽を聴いていたから,まあそのときのパッションを取り戻したいというのが頭と体のどこかにあったのかもしれない。で,また絶妙のタイミングで目にした広告から衝動買いをしてしまったのが,SHURE社の高遮音性カナル型イヤホン,SE102である。これがまたすごい。これを付けた途端に頭の中がお気に入りの音楽一色になってしまう。バスや電車,はてはディーゼルカーの中だろうと,やたらとヴォリュームを上げなくてもストレスフリーで音楽の世界に浸れる。ただし,あんまり静かだと逆に歩いているときの足音とか唾を呑んだときなどの体内ノイズが耳の中で籠もってしまうのだが。もうひとつ,音楽がらみで言うならば,ひさびさにクラシックを聴き始めたことである。理由は至って簡単である。以下の2冊をほぼ同じタイミングで読んでしまったからである。カラヤンがクラシックを殺した (光文社新書)証言・フルトヴェングラーかカラヤンか (新潮選書)これについても,おいおい書いてみたい。(←どうせペナントレースが始まると書けないくせに)さて。私はかつて,フルオケやビッグバンドとエレキサウンドとの絶妙な融合こそが日本のポップスのサウンドを豊かにしたと書いたことがあるが,実際にそのころのアイドルポップス,たとえば80年代前半の松田聖子や中森明菜,小泉今日子(例示ですよ,あくまでも),70年代の山口百恵,それに桜田淳子(諸般の事情でCD化は困難なようだが,iTune music storeで往年の曲がダウンロード可能である)の曲,さらに言えば私の子どもの頃のヒーローである沢田研二の曲などを聴いていると,やはり最近の曲より音が豊かなように聞こえるのだ。それがやがてエレキがサウンドの中心になってブラスやストリングスの肩身が狭くなってから,少しずつ変化していったような気がする(実はそのさきがけもまたジュリーだと言っていいのだが)。そして時代は流れて90年代。今や刑事被告人におなりあそばされた小室哲哉君が,薄っぺらくて常にデジャヴを感じさせるような音楽の大量生産を始めてから,J-POPは吹けば飛ぶほど軽くなってしまった,というのが私の見解である。実際に,一度解散して昨年再結成した,かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだった某少女ユニット(←特定できるだろ。そんな書き方をしたら)のベスト盤のCDを入手してiPodに入れて聞いてみたのだが,あまりにも音といいヴォーカルといい,右の耳から左の耳へあっさりと流れていくほど軽かった。いや,これは同時期に活躍した女性歌手と聞き比べての感想である。プロデューサーのI氏は小室君を意識していたのかどうかは知らないが,実はその後ろから糸を引いていたのはヘルベルト・フォン・カラヤンだったのかもしれない(註・分かる方だけ笑ってください)。ところで。その日本のポップスが最もダイナミックで豊かだった頃に作られた,1枚の名盤がある。1975年に発売され,その後何度もレコード,CDで再発売された名曲中の名曲である。そう,(勘のいい方はもうお気づきだろうけど)塩見大二郎「それ行けカープ/勝て勝てカープ」 である。私は,南一誠氏には申し訳ないが,あの塩見大二郎氏の朗々と声の通る歌唱と,ビッグバンドをベースとしたブラスの力強いアレンジこそ唯一正統とされるべきもので,たとえ歌い手が変わろうともアレンジが少々エレキサウンド寄りになっても,これぞプリンシプルであって変えてはならないもの,だと考えていた。そこに,まさに真っ向から冷や水を浴びせかけられるような話が湧いてきた。RCC藤村伊勢HTV森拓磨HOME松藤好典TSS深井瞬の4人の歌唱で,「それ行けカープ」をリニューアルするという。批判を承知であえて言い切る。最も私のここでの物言いは全てそうなのだが。こんなのありえない。実は,「それ行けカープ」というのは,CBSソニーの広島支社長,本社制作ディレクター,作詞の有馬稲子氏,作曲の宮崎尚志氏,そして塩見大二郎氏のカープに対する熱い思いが融合して出来た情熱の曲なのである。現に,有馬稲子氏(実は故佐々木久子氏に誘われてカープファンになった)はこの曲を,「私のカープに対するラブソングでもある」と仰っておられるのだ。しかし,今回のメンバーを見る限り,そしてそこから垣間見える制作コンセプトを見る限り,そういうものは極限まで水割りされる,いや完全に換骨奪胎されることは,容易に想像がつく。選手別応援歌版で歌った南一誠氏は,いうまでもなく熱烈なカープファンである。私は何かの機会に角川博氏が歌ったものを聞いたことがあるが,もちろん彼もまた大のカープファンである。しかし,はっきり言って,あの4人にどれだけカープへの思い入れがあるというのだ。「仕事だから割り切ってカープを扱ってまーす」という軽さというか薄っぺらさしか感じられないのだ。唯一広島出身でスポーツアナでもある松藤君は,はっきり言ってカープどころか野球にも興味がないことが聞いていてよく分かる。軍神・大下剛史氏に質問を振ってもそれにまともに答えてもらえないことがほとんどだから。近鉄バファローズの試合だけでなく,野球そのものに熱くのめり込んだアベロクさんの爪の垢でも煎じて飲めと言いたいところである。まあ,できばえは,聞いてのお楽しみということにしよう。そのできばえ次第では,このブログのまな板の上に乗ってもらってぶつ切りになってもらうかもしれない。
2009/02/03
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今はそういう時代ではないが,かつては,プロ野球選手,いやプロスポーツ選手にとって,自らの歌うレコードを吹き込むこと自体がステイタスである時代が,確かにあった。不思議なことに,レコードがCDに取って代わられるころに,その流れはぱったり消えた。理由はよく分からない。もちろん,カープの歴代のスター選手もその例に漏れない。ミスター赤ヘル・山本浩二は昭和54年に自らの歌うレコードを出した(題名失念)ところ,広島ではヒットチャートベスト10に入ったという伝説がある。これに対抗してさすらいのサウスポー・江夏豊も「俺の詩」というレコードを出したが,これはさほど売れなかったという。ちなみに,この両方とも中古レコードで手に入れるチャンスがありながら,結局買わずじまいだった。今となっては非常に残念だ。ところで,この方面でも傑出しているのは,やはりというか何というか,夜の盗塁王赤い流星・高橋慶彦である。「君の声が聞こえる/青春の一ページ」「うわさのセクシークイーン/ハッピー・ナイス・デイ」「鏡の中のメモリー/想い出は風のように」の三部作は,いかにもヨシヒコらしく荒削りではあるが味のある歌唱に仕上がっている。特に,「鏡の中のメモリー」は,青春ドラマのオープニングにありそうなアレンジと歌詞で,なかなか良いと思う。さて,プロ野球選手の歌うレコードには,元阪急・大熊忠義氏のようにプロ顔負けの喉を見せた人もいるが,中にはその選手が歌っているから許せるという内容の作品も,ないわけではない。その方面での白眉は現読売ジャイアンツ監督・原タツノリ君の「どこまでも愛」なのであって,私も初めて聞いたときあまりの内容に凍り付いたし,ラジオでキダ・タロー氏に酷評されたのも聞いた覚えがある。しかし,我らがカープだって負けていない。昭和60年に発売されたこのレコードを,今どれだけの人が覚えているだろうか。左に座っている髪が中分けの青年は,誰あろう赤ヘルを頼りなく支える親愛なる打撃コーチ・小早川毅彦である。題名もすごいが,初めて買ってレコードの針を落とした(意味の分からない人はお父さんかお母さんに聞きましょう)ときに,聞き終わって本当に凍り付いた。その後,何度かこの曲を知らない者に遊び半分で聞かせてみたことがあるが,非常に強いインパクトを与えるようである。さすがは小早川,やっぱり並じゃない。実はこの曲,当時カープファンの必須アイテムであった雑誌「月刊カープファン」で盛んに宣伝され,かつ,球団が持っている顧客名簿(通信販売でカレンダー等を購入した人など)を使って,ワーナーパイオニアレコードから宣伝告知のダイレクトメールが来たくらい,球団総出でプッシュしたという経緯がある。しかし,これが爆発的に売れたという話は聞かない。いや,中古レコード市場ですら見たことがない。かつて,サンモールの5階に中古レコードショップがあって,そこにはわざわざスポーツ関連のレコードのコーナーがあった。私のコレクションの大半はそこで仕入れたものであるが,そこですら見たことがない。その意味では,こうやって私の手に保管されて残っていること自体が奇跡的な名盤 といって過言ではないと思う。まあ,小早川毅彦本人にとっては,あまり触れてほしくない過去かもしれないが。特段の意味とオチなし。BlogPeople↑ポチッと,クリックしていただけると励みになります。よろしくお願いします。
2008/01/27
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この1月,月曜19:00からあの名作アニメ「ヤッターマン」が復活するとのことで,第1回の放送をちょっとだけ見た(全部見たかったのだが,娘にテレビを取られてしまったので中身はよく見ていない。残念ながら)。なんといっても三悪の声優が昔のままというのも懐かしい限りだったが(のび太とジャイアンは退役されたが),それはさておき。オープニングテーマはかつての「ヤッターマンの歌」だったが,聞いて唖然とした。はっきり言ってしまう。アレンジもだめ。歌い方もだめ。そしてテンポもだめ。これなら,わざわざ復刻する必要もない。世良正則と野村義男のコラボで作ったらしいが,不出来きわまりない。作者の山本正之氏も憤慨したらしいが,スポンサーからの圧力がかかったか公的には口をつぐんだようだ。「ヤッターマンの歌」というのは,誰がどう歌って表現してもいいものではなく,すでに厳然とその世界観が存在して,それ以外の解釈はあり得ないような歌だ。自身のアルバムにお遊びで収録するならまだしも,「ヤッターマン」の代紋を背負う以上は,それに外れるような表現は不可なのだ。また,外した場合は絶対に聞くに堪えない代物に出来るようになっている。そういうことだと思う。さて,ヤッターマンのオリジナルは昭和51年。その1年前に発表されたのが我らが国歌「それ行けカープ」である。これも,コロムビアでかつて発売された「選手別応援歌」CDでは,若干アレンジを変え,かつ歌手も南一誠氏のヴァージョンが新たに作られていたが,これも正直出来がいいとは言い難い。これも,あの塩見大二郎氏の朗々とした歌唱とブラスを前面に出したフルオケアレンジが完全にカープと渾然一体となってしまったため,それ以外の解釈が困難になっているのだと思う。実際,かつて角川博氏が歌った「それ行けカープ」を聞いたことがあるが,全くの別歌かというくらい冴えがなかった。角川博氏の歌唱力に問題があるとは思えないので,演歌系の発声はこの歌には不可ということだと思う。加えて,次のような原因もあるのではないかと思う。以下は,私の独自の見解なので,異論は相当多いと思うが,あえて書く(←いつものことだろ)。昭和40年代後半から50年代までは,従来のフルオーケストラ,またはビッグバンドを主体とした演奏に,エレキサウンドがうまく融合していたのだと思う。その頃のアイドルポップスは,まさにその集大成のようなものだと思う。ところが,昭和60年代ころからは,完全にエレキサウンド,はっきり言えばエレキギターとエレキベースとシンセサイザーだけでの曲作りに取って代わられたため,非常に薄っぺらい音楽が量産されるようになった,そんな気がする。まあ誰とはいわないが,一時期ミリオンヒット曲を量産したが現在音沙汰のない某氏の音楽なんて,その象徴だ。誰の何の歌を聴いても同じように聞こえる。今の「ヤッターマンの歌」に違和感があるのも,南一誠版「それ行けカープ」に違和感を感じるのも,それが原因だと思う。どんなに手を加えてみたところで,電子音楽にはフルオケやビッグバンドの音は作れない ということだろう。もちろん,別にエレキミュージックを全否定するわけではなく,持ち場が違う,得意分野が違うということを言いたいだけのことである。ただ,取って代わるに早いといいたいだけだ。オリジナルの世界観がその曲と不即不離にあるような場合は,オリジナルのアレンジやスコアにまずは忠実たるべし,というのが私の思いである。ヤッターマンの歌/音屋吉右衛門[CD] ←一応罪滅ぼし。全国の女子高生のみなさーん(by ボヤッキー・意味なし)BlogPeople↑ポチッと,クリックしていただけると励みになります。よろしくお願いします。
2008/01/26
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前回予告では,第1回は「それ行けカープ(若き鯉たち)」について語る,予定で準備を進めていましたが,この訃報に接し,急遽緊急追悼企画からはじめさせていただきます。植木等さん死去=「スーダラ節」「無責任男」で一世を風靡(時事通信)もちろん,私は「大人の漫画」や「シャボン玉ホリデー」や「植木等ショー」など見たことがあろう訳もなく,かろうじてビデオで「ニッポン無責任時代」や「怪盗ジバコ」を見たことがある程度です。当然全盛期など知ろう訳もありません。でも,「クレイジー・シングルス」は発売当日に買いに行ったし,「ハイお呼びです!」や「クレイジーキャッツ・レア・ディスク」も揃えている遅れてきたクレイジーキャッツ・フリークの一人。こうなったのは,以下の理由によります。今から約20年前,ちょうど大学受験を目の前にしていたころのこと。とあるレコード店で,「ハナ肇とクレイジーキャッツ全曲集」のカセットが目にとまりました。当時,「スーダラ節」や「ハイそれまでョ」くらいは聞いたことがあるくらいでしたが,ちょっと気になって買ってみたのがそもそもの始まり。ちょうど,何もかもが不安で精神的に落ち着いていなかったこともあったのか,見事なまでにはまりこんでしまいました。運悪くその年は大学受験に失敗し,不本意ながらもう1年受験勉強をしていたときも,とにかく聞き込んでいました。それが数少ないストレス発散だったのかもしれません。以後,とにかく,飽きるくらい聞き込みましたね・・・もちろん,今もことあるごとに聞いていますが。とにかく,その魅力は,何もかも超越するかのような突き抜けた世界という一言に尽きます。そして,見落とされがちですが,音楽としてのクオリティの高さ。それだからこそ,ただのおふざけ歌でない世界がキープできたんだろうと思います。今頃は天国で,渡辺晋,青島幸男,ハナ肇,安田進,石橋エータロー,いかりや長介といった面々と昔話でもされているのでしょうか・・・合掌。クレージーキャッツ 日本一ボックス〈4枚組〉ニッポン無責任時代(DVD) ◆20%OFF!【Aポイント付】クレイジーキャッツ / 結成50周年 クレイジーキャッツ コンプリートシングル...また一人,戦後のヒーローが消える・・・
2007/03/27
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何か音楽をネタにして連載しようと企んでいたところ(←ほかに放置されているカテゴリもあるだろ),ちょうどいつもお世話になっている鳴らないシンバルさんの記事を見て,このバトンを受けて走り始めようと思い立ちました。まずは,いかにわけのわからんミュージックライフを送っているかという暴露もかねて・・・1.最近良く聴く曲は?ずばり,「それ行けカープ」「勝て勝てカープ」「燃える赤ヘルぼくらのカープ」 別に,このブログのコンセプトに無理矢理あわせようとしているのではありません。この曲をカーナビに入れたところ,娘(もうすぐ3歳)が異常に反応して,車に乗るたびに「カープ,カープ!」とせがまれるものですから・・・でも,音楽的にもいい曲だと思うし,何より今流行の言葉を借りれば「美しい日本語」だと思うので,いいかな,と思ってます。2.テンション上がる曲は?・ベートーヴェン 序曲「エグモント」 いいですねぇ,まさに天地をも動かすパワーがあります。私のお気に入りは,フルトヴェングラーが戦後ベルリンフィルに復帰したときの最初のコンサートのライブ盤に収録されているもの。もちろん録音技術も低いし,雑音も入っているし,モノラル録音だけれども,それをも吹き飛ばすような,天から降り注ぎ地からわき上がってくるパワーに圧倒されそうになります。・冠二郎 炎(ほのお) 一度聞いたら,とにかく血湧き肉躍ります。そして頭の中をぐるぐる回転します。何をおいてもまずやるぞ!というときに最適です。3.切ない気分になる曲は?・やしきたかじん「雨の日はバラードで」 20年来のたかじんフリークで,よく聞き歌いもするのですが,この曲はまさに心の傷にじわじわとしみこんで増殖してきます。今までのいろんな感傷を走馬燈のように巡らせてくれる困った名曲。・シューベルト 交響曲「未完成」第1楽章 まさに,暗く,悲しく,そして美しくということばがぴったり。シューベルトという人の悪魔的な感性に踊らされてしまいます。・前川陽子 「ひとりぼっちのメグ」 ちょっと,心身共に辛かった時期に,たまたまこの曲を聴いて(要はこの手のCDを持っていて,それをiPodにも入れていたのですが),思わず胸の中があふれかえってきたことがあって,それ以来思いっきり辛いときに聞いています。4.カラオケでよく歌う曲は?・やしきたかじん 「ICHIZU」 「大阪恋物語」 「さよならが言えるまで」 私のカラオケは,たかじんがないと始まりません。延々それだけ歌い続けたこともあるし・・・そういえば最近カラオケ自体に行ってませんけど。・広瀬香美 「幸せをつかみたい」 「ストロボ」 高音域をがっちり効かせて,思いっきりストレスを発散したいときによく歌ってます。・大瀧詠一 「幸せな結末」 ちょっと,かっこつけたいときに。個人的には,C/Wの「Happy Endではじめよう」が大好きなんですけどね。5.癒される曲は?・Kiroro 「Best Friend」 余分な体の力を抜いてくれるような感じというか,心がほどけていく感じになります。そういえば,あの頃の国仲涼子,本当に輝いていてかわいかったな・・・・小泉今日子 「Smile Again」 彼女の曲の中で一番ほんわかして大好きな曲。6.思い出のある曲は?・シベリウス 交響詩「フィンランディア」 音楽部時代,ことあるごとに練習していた曲。クラリネット泣かせでしたね・・・・やしきたかじん 「やっぱ好きやねん」 この曲で,たかじんの世界にはまっていきました。ある意味自分の中の記念碑的一曲。・アンタッチャブル 「南海ファンやもん」 今レコードで聞き返しても,南海ホークスをサポートしていた頃の熱い思い出がよみがえります。世間では忘れられていても,私の中では忘れられない一曲。7.ライブで聴きたい曲は?・サラサーテ 「ツィゴイネルワイゼン」 ライブで,いや至近距離でヴァイオリンの調べを聞きたいですね,一度。 もっとも,関西で生まれ育った私には,これを聞くと思わず「神様ー!」と叫びたくなるのですが・・・(←分かる方だけ分かってください) あとは,叶わぬ夢ですが,全盛期のクレイジーキャッツのライブ。そして端田宣彦,加藤和彦,北山修の揃ったフォーククルセダーズ。8.このバトンを5人に回してください どなたか,このあとを引き取ってくれる奇特な方はいらっしゃいますでしょうか。という感じで,好き勝手に音楽を語っていきたいと思います。第2弾は,「それ行けカープ(若き鯉たち)」をまじめに語ってみようと考えていますが・・・ぜひ次回以降もよろしくお願いします。
2007/03/18
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