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4ヶ月ぶりにpcから見に来た。いろいろ生活は変わってきたけれど、私は変わらない。いつか私が元受刑者だと人に知られる時が来るだろう。その日に向かって生きているような気がする。 その時が私にとって、本当の意味の再出発になるんじゃないかなと思う。隠者となって生きるのが償いか?それとも恥をさらして生きるのが償いか?まだどちらも分からない。男だって、前に進むしかないんだよね。
2008.02.19
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久しぶりの我が家に戻ってきました。しかし、また荷物をまとめて親戚の家に居候です。相変わらず実家には意味不明な問い合わせの電話が2~3日おきにかかってくるそうで、他都道府県ナンバーのフルスモークの車が近所に路駐していたりするのを見かけるそうです。さすがにまだ近所の人に私の所在を確かめたりするような分かりやすい行動はしていないようですが、時間の問題かもしれないです。 こういう風に書くと、「被害者妄想が強いんじゃないの?」、と思われる方がいらっしゃるかもしれません。確かに色んなナンバーの車がそこら辺を走っていてもなんら不自然ではないかもしれませんが、私の実家は行き止まりの手前の道に面しており、住人かその親族でなければめったに入り込むような場所ではないので、とっても怪しいのです。 (もしかして公安?っつっても私の犯罪はそんな反政府主義的なものじゃなかったし・・・もしかして興信所?雇い主がわざわざそんな一従業員の身上調査に金掛けるか?)とまあ、疑心暗鬼は尽きません。 またしばらくの間、流浪の生活になるので、更新は超不定期になると思います。たまに立ち寄ってくださる方、いつもありがとうございます。 それでは、また・・・ 仮釈が切れるまであと・・・ヶ月・・・
2007.10.13
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ここ数日、実家から離れて親戚の家に身を寄せていました。というのは、また例の仮釈放された同囚からの電話がしつこくかかってくるようになったからです。 このまま放っておいたら、実家まで押しかけて来そうな雰囲気だったので、緊急避難的な意味で実家から15キロほど離れた山の中にある親の実家へ泊まらせてもらっていました。 保護司の方は、ただ連絡に応じるな、の一点張りです。これといって特別な対応をしてくれるわけじゃありません。保護司さんも、自分の仕事をしながらこちらの事を世話するわけですから、何から何までかまってられないのかもしれません。厳しいようですが、もと受刑者からの連絡や家庭訪問から逃げるのも私の責任の範囲に入っているみたいです。 立場や意味合いが違いますが、映画「逃亡者」のような気分です。 このまま一生逃げる生き方しか出来ないのかな、と、あまり明るくない未来を想像してしまいます。 私は時が来れば、いつか身分を全て明かして白日の下にさらすつもりでいます。というのも、私のように、足を引っ張りに来る元受刑者から逃げ続けなければならないような元受刑者が、無事に社会復帰するための道しるべが必要だから、と思うからです。 私が訴えようとする意見は、普通に生きてる人にとってはとても想像できない話で、元受刑者などとは関り合いたくない、というのが通念だと思います。 意味が無いかもしれない主張を、まずは誰かが発しなければ変化は始まらない、そう思うのですが。さて、どうなるでしょうか。
2007.09.21
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昨日は一日中例の電話が気になってしまい、集中力を欠いたまま仕事に出勤してしまいました。教育係の店長は、凡ミス連発の私を見て苦笑いをして、「もう慣れちゃいましたかぁ?」、などと皮肉ってきて、赤面ものでした。 仕事が終わってからすぐに、連絡しておいた保護司さんの所へ出向き、今後の対応策を相談しましたけれど、「返事をしちゃいけない」、それだけでした。家を訪ねてきたらどうするのか?、そうなったらその時に考える、とまあ、なんとも便り甲斐のないお返事でした。一体これからどうなる事やら。 さて、何故彼がわたしの所に連絡をしてきたか?その理由をいくつか挙げてみました。☆自分の仮釈満期も過ぎた事だし、とりあえず知ってる人の所に行って、務所話でもして懐かしむか。 ☆仮釈満期が過ぎて、更生保護施設から退去を勧められたにも関らず、まだ定職につけずにいるので金がない。 刑務所出身者と分かっていて、とりあえずでも住まわせてくれる人といったら元同囚くらいだから、知ってる所から訪ねてみよう。 ☆金がないから、たかりに来る。 ☆次の犯罪をする為の助っ人を探している。 ☆前科者だというのを近所じゅうに言いふらして困らせようと目論む。所謂ゆすり。 どれもありそうな理由です。刑務所の話が出来る相手は経験者しかいないし、住む場所が無ければホームレスになるしかないし、金が無けりゃ手っ取り早くたかれる相手だし、捕まらないように犯罪をするにはパートナーが必要だし、のうのうと社会復帰しようとしてる同囚を見れば足を引っ張りたくなるのです。 ~9月8日の日記~ 朝・・・かつお味付け缶、ユズ味噌、味噌汁(カブ・ふ) 昼・・・ガーリック炒め、はんぺん・大根葉炒め、炒り卵、胡瓜浅漬け 夜・・・豚ロース一枚肉付け焼き、すまし汁、冷奴、小女子・白菜煮浸し 応援団の練習にモタ工(‘もたこう‘と読む)が混ざるというので、わざわざ出張指導してきた。初めて中に入って目の当たりにしたモタ工の様子は想像以上にひどく、空気には死臭に近い饐えた匂いが混ざっていた。なんでこんな無害そうに見える老人が刑務所に入っていなけりゃなんないんだ?っていうか、何してここにはいったんだろうか? 予想していた事だが、30分という限られた時間の中で彼らが覚えられたのは、三・三・七拍子の拍手だけだった。 夕点検後、なじみの工場担当のオヤジが珍しく舎房まで自分達の様子を見に来た。挨拶を済ませてオヤジが見えなくなったのを確認してから、「しっかりしてや~」とささやいたら、反対方向の扉に別のオヤジが立って全部聞いていた。「お前がしっかりしろ!!」とどやされたが、そのまま苦笑いして立ち去って行った。冷や汗もんだった。これだから、自分はオヤジに胡散臭いといわれるのかなあ。 配食後に、かなり時間の余裕があったため、廊下で配食してる配食係と話す事ができた。どの工場も応援合戦にはかなり気合を入れているらしい。 (解説)◎『かつお味付け缶~』←美味そうに響くメニューですが、物は猫の餌です。ユズ味噌は味噌にユズ風味のついた小袋です。弁当に添えるあれですな。ガーリック焼きは、鳥のかしわ肉(刑務所の中で出る鶏肉は全てかしわです)と、スライスしたにんにくを炒めて煮た物で、結構いける。ロース一枚肉の付け焼きは、目玉メニューの一つで、大きさや焼き加減のばらつきが喧嘩の元になってました。◎『応援団の練習~』←私の工場は人数が少なかったので色んな工場と混成になってました。でなければ、よぼよぼのじーさん達と同じチームにはなりません。上は90歳になろうという高齢の方もいて、毎日ずっと車椅子に座って作業の様子を眺めてるだけだといいます。なんで医療刑務所に行かず、一般の刑務所にいるのか謎です。岡崎医療刑務所では、知能障害者や、要介護老人の世話を健康で若い受刑者にやらせています。ヘルパーの資格をもっていない素人に、です。◎『なんでこんな無害~』←後で話を聞いた所、ある老人は銀行強盗をして逃げる時、逃走車がガス欠になってつかまったそうな。逃げる時に背中にぶつけられたカラーボールの跡が2週間消えなかったそうです。この話は二箇所がおかしいです。まず、よぼよぼのじーさんが銀行強盗をして、それが成功して、たとえ一瞬でも現金を手に入れられた事。そして逃げるための最低限のガソリンさえ買えないほど金が無かった事。またある人は年金詐欺、またある人は道路交通法違反(無免許で40年間通し、何度も捕まり、今回初めて収監されたとか。)と、意外(?)とエキセントリックな犯罪の方も多いのです。◎『冷や汗もん~』←オヤジによってはこんな事でも懲罰で引っ張っていく人もいます。「看守に対する暴言」という違反行為です。こんな事も遵守事項の中に含まれているんですよ。「受刑者遵守事項」という冊子が各舎房に置いてありまして、それも全て書き写したのですが、出所の時に破棄させられてしまいました。内容があまりにばかばかしくて、外に見せられないからでしょうかねえ。 何度も書きますが、私は刑務所で刑法の定める懲罰を懲役で過ごしてきましたが、それで自分の罪が消えて償いが済んだとは思っていません。被害者が生き続けてる限り、私が生き続けている限り、犯罪の記憶に終止符は打たれる事がないと思っています。 生活する限りは、確実に社会復帰しなければ何も始まりません。どのような形で贖罪するにしても、まずは生活を安定させる必要があるのです。それすら認められないなら、死ぬか、また犯罪に手を染めるか、です。 受刑生活を無駄な時間っだったと終わらせたくない。少しでもまじめに社会復帰しようと志している前科者にがんばってもらいたい。いや、そうしなければ社会はどんどん悪いほうへ傾いていってしまう。 一度犯罪を犯した人は、初犯の人とは比べようも無いくらい悪知恵がついています。それは刑務所が更生機関としての役割を果たしておらず、新たな犯罪者の養成所になっているからです。塀の中ではありとあらゆる裏情報がやり取りされているにも関らず、まったく必要な手段が講じられていないのが現状です。 このブログの開設動機は、このようなおそまつな刑務所の現状を広く万人に知って欲しかったからです。また社会復帰を望む前科者の灯火にもなりたい。私には何かができるでしょうか。
2007.09.14
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私の一番恐れていた事が、とうとう現実の事になろうかとしています。 刑務所の中で長い間同じ工場で一緒に働いていた男から、今日家に電話がありました。何故相手が私の家の電話番号なんて知っているのかというと、刑務所にいる間に私宛の手紙の差出人住所をこっそり控えていた可能性があります。 雑居房の中に、プライベートは一切ありません。房長(厳密に言うと、そういう特別な呼び名は存在しません。その舎房の中で刑の起算日が一番早い人が普通房長という立場になります。)が仕切るその正味12畳の空間は、さながら治外法権特区のようです。 そこではありとあらゆる人間の醜態が連日のように拝めます。囚人同士のいじめは日常茶飯事、些細な理由で起こる大の大人同士の殴り合いの喧嘩は流血沙汰になるのも珍しくありません。 人の手紙を盗み見るなんていうのは、そんな激しい肉弾戦に比べたらむしろ生易しい事かもしれません。 娑婆に出てからじわりじわりと効いてくる個人情報の流出は、まるで三年殺しを目の当たりにしているようです。 で、連絡してきた彼が一体何の用で連絡してきたのかは、私が直接電話に出て対応した訳じゃないので真意はつかめませんが、ロクな用じゃないな、と想像するのは容易です。 彼は仮釈放の満期が先月中に過ぎているので、もう好き放題動き回れます。という事は、今回の電話を無視して何の返事もしなかったら家庭訪問される可能性だってあります。 私が刑務所に収監されていた事がバレるのは、私個人だけの問題だったら、もうしょうがない事だと諦められます。 しかしバレた事によって家族達に迷惑がかかることが耐えられません。犯罪者の家族も犯罪者、というレッテルは理不尽ながらも歴然と存在します。 この文章を読んだあなたも、そういった考え方には抵抗ないんじゃないですか? おそらく、収監経験者でないかぎり、家族に同情する気持ちを常識的に持ち合わせてるような人は稀だと思います。 防ぎようのないこの訪問者に対して、私はどう対処すればいいのでしょうか。 保護司の先生にも相談してみますが、きっと協力にも限界があるでしょう。 やはり、素性を隠したまま前科者が社会復帰するなんていうのは、ムシの良過ぎる妄想だったのでしょうか。 賽の河原で小石を積む餓鬼が石塔を鬼に崩されるように、どれだけ社会に順応しようと努力しても、その努力は報われないのでしょうかね。それが罪の報いなのでしょうか。 分かっていてもむなしいものです。
2007.09.12
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今日は月に一度の保護観察所出頭の日でした。仮釈放中の私にとって、一番怖いのが仮釈取り消しで再収監(‘引致‘といいます)される事ですから、観察官と面談する時はいつも緊張します。 まあ、だからといっていわれのない難癖をつけてくるわけじゃなく、更生のために毎日きちんとまじめに暮らしているか、反省の様子はどうか、就職の様子は、など1対2形式で面談して、判子をもらっておしまいです。再犯防止教育プログラムも一緒に行われまして、出所してから娑婆で生活する中で、最も自分の犯した犯罪について振り返るひと時です。 犯罪について語ることは、自分を振り返ることにつながり、再犯防止にとても有意義だと思いますが、その後の自己嫌悪がいつも辛いです。被害者の方は未だに事件の記憶に苦しめられているかもしれませんが、私も自分の犯した罪に苛まれています。それが私の一生背負う荷なのだから、どうかその気持ちを忘れないように、と、諭されました。被害者の方も背負わされて生きているのだから。 帰り道、地元にある刑務所の前を通ってきました。あの8メートルある壁を見ると、悲しみ・いかり・後悔などが入り混じったなんともいえない感情が湧き上がってきて、車の中で嗚咽しました。 何度も何度も声を出して泣きました。 もうあんなところは二度と御免です。 迷惑をかけてしまったたくさんの人達、ごめんなさい。 刑務所日記は今日はお休みさせてください。
2007.09.10
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私の受刑生活におけるバイブルといえる珠玉の一冊、それは安部譲二著「塀の中の懲りない面々」でした。昭和時代の刑務所模様がつぶさに描写されていており、今でもだいたいその内容が通用してます。新法で何だかんだと人権をとりあげるようになってきた昨今ですが、そう簡単に刑務所の中身は変わるもんじゃありませんです。 本文の中に、風呂場や舎房での刺青観察風景が書かれておりまして、その百花繚乱振りや、滑稽さがよく伝わってきます。私のお気に入りは、左腕に彫られた、時間の動かない時計の刺青のお話です 私のいた施設でも刺青を入れた人はたくさんおりました。ただ、ヤクザや、テキヤ稼業でもない普通の若いアンちゃんが、ファッション感覚で入れたと思われる、いわゆるタトゥやトライバルといったものがとても目立ちました。唐獅子牡丹や、登り龍、般若などのオーソドックスなお背中の横に、十字架に磔されたイエスの画、ミッキーマウス(!?)、のっぺらぼう(?)が並んでいるのですから、風呂場はイレズミの生きた博物館です。 ここで、少年刑務所や、鑑別所出身者を簡単に見分ける方法をひとつ。 手の甲や手首など、比較的見やすい部分に3角形のほくろがある人がいます。道路工事の基準の印じゃありません。それは、つまり、施設出身者の証みたいな物です。皆、中で知り合った仲間同士が入れあう馬鹿げたしきたりです。 お客さんの手の甲にそれを見たとき、つい「はっ!」とその人の顔をみてしまいました。普通に見える青年でしたけれど、いろいろあったのだな、とお釣りを渡す手に微妙な緊張感が走った瞬間でした。 ただ、それは単なるヤンキー兄ちゃんの証とも言えるので誤解の無いように。 ~9月7日の日記~ 朝・・・しば漬け、金時豆(9粒)、味噌汁(なめこ、ねぎ) 昼・・・回鍋肉、鶏肉の親子煮、いとこ煮、インゲン味噌和え 夜・・・ニラレバ炒め、キンピラ、三色酢の物、ハムフライ、なし 試験は滞りなく行われた。練習の甲斐なくさんざんな結果に終わった人がいて、同情を感じ得ない。この一年は彼にとって一体なんだったんだろう。試験官の風貌がいけなかったのかも。誰もが皆、試験官を見て肩を震わせていた。エスパー伊藤がそのまま背広を着てやってきたかのような貧相なおっさんが、茨城弁を丸出しにして監督するもんだから、見られている方はたまったもんじゃない。精密加工の試験官には向く人とそうじゃない人というのがいるって事くらいわかってくれ。 午後の最終レクの時間、皆に協力してもらって応援のおさらいをやった。問題点が分かった気がする。皆、なんだかんだ文句言ってても、勝ちたい気持ちがよく分かる。去年も当日は相当アツくなってたものなあ。 大縄跳びの練習も合わせてやってみたが、60回も飛ぶと息が上がってしまって続かない。100回を越す工場もあるという。はっきり言って迷惑だ。その工場のレクを観察していると、選手が皆けんけんしながらグラウンドを走ってる。折れちゃえばいいのに、そんな足。当日雨が降らないかなと、本気で願うようになってきた。 (解説)◎『金時豆(9粒)~』←豆の数が1つでも少なかったりするだけで受刑者同士の喧嘩の原因となります。朝から小皿に盛られた煮豆の数をじっと数える大の大人の様子を想像してみて下さい。情けないもんです。この日のメニューは比較的充実していて、当りの日でした。驚くほど美味い味じゃないですけれど、珍しいメニューだとそれだけで一日が楽しく思えるもんです。◎『午後の最終~』←レク(運動)時間というのは誰もが好きなように使いたいもので、そんな時くらいは指図されたくないのです。だから、協力的な態度がとても珍しかった。 ◎『その工場の~』←グラウンドの様子が望める工場にいると、他工場のレク時間の様子が見れますが、ずっと見てると看守に怒られます。作業中は、ちょっとしたよそ見すらゆるさない看守もいて気が休まる時がありません。逆に受刑者に世間話や身の上話をする看守もいるんですけどね。そんな時はここぞとばかりに話します。
2007.09.09
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関東は台風一過のさわやかな、とはいえない蒸し暑い晩夏なこの二日間です。私の勤め先は小売販売業のために、休日がかきいれ時となりまして、この週末二日間は休まず出勤です。しかも、勤務時間の合間をぬって歓迎会を開いて頂き、出所してから初めてのアルコールを口にしてぶっ倒れてしまいました。逮捕されてから考えると、約4年ぶりの酒でした。 そんな状態なので、更新は短めです。すみません しかし、私が仮釈放中の、いわゆる前科者とは誰も知らず、こうやって娑婆にとけこんでいるとは、とても微妙な気持ちです。本当ならまだ刑務所の中で毎日クサイ飯を食って、看守にどやされて、狭い舎房で遠くに見える娑婆の家の屋根を眺めてため息ついているはずなんですよね・・・ すぐ近くに住む家族の中にも、私が元受刑者だった事を知らずにいる人がいます。身内でも知らせられない微妙な関係の人っているんですよ。その人に知れたらアウトですな。
2007.09.08
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まだブログ作成に慣れていないので、少しづつ見やすく出来るように日々改良を続けていますが、凝ったデザインのページを見るといつも凄いもんだな、と関心させられます。PC歴20年(NEC-pc8801時代から)にも関らず、ぜんぜん進化に追いついていない。自分にとって、パソコンて単なるワープロ代わりなのかもしれないです。 さて今回のタイトルは、事件以後に変化した人間関係について紹介しようという所から思いつきました。 家族(実家に住む両親・近所に住む姉夫婦・結婚して独立した弟・祖父)らは、私が逮捕された時に逮捕の事実を一切口外しないように、緘口令をひいたそうです。もし、私の収監が近所に知れたら、家族達の生活にも支障が出てしまうからでしょう。犯罪者の家族も世間からは違う目で見られてしまう、それはよくある、よくありすぎる事です。 映画にもなった東野圭吾の小説『手紙』には、その辺の家族の辛い現状がつぶさに描かれています。興味のある方はご覧下さい。 で、紆余曲折・打打発矢があった末に、結論として、出所した私を社会復帰させるため、家族は最大限の協力をする、となったそうです。「ウチの敷居は二度とまたがせねえ!!」などという、アツアツの言葉も飛び交ったそうですが、長老の鶴の一声で受け入れが決まったそうです。 友人は、事情を知らせた3人のうち2人は音信が途絶えました。1人だけが未だに収監前と変わらぬ付き合いをしてくれています。家族ぐるみの付き合いをしていたという事情もあるでしょう。あらゆる場面において、私のためになるような援助をしてくれる頼もしく、ありがたい友人です。 幼馴染や近所に住む友人達には長期の入院をしていた事にしています。3年ぶりに会って、そういった偽りの事情を鵜呑みにしてもらって騙してる現実が、毎日とても重たいです。 親戚達が、犯罪者に対して一番よく目にする対応をしていると言えます。それは、無視すること。一切関りを断つこと。おそらくこの先冠婚葬祭の時以外には会う事はないでしょう。 昔なじみのおじさん・おばさん・従兄弟連中と会えなくなるのは、自業自得とはいえ寂しいものです。 ~9月6日の日記~ 朝・・・鮭フレーク、瀬戸風味ふりかけ、味噌汁(白菜・わかめ) 昼・・・豚生姜焼き、ひじき・はんぺん煮、キャベツ・ベーコンソテー、 南蛮漬 夜・・・親子丼、コロッケ(小)、土佐煮、白菜浸し、オレンジ 明日の試験で使う材料を用意した。いよいよ最後の試験が間近に迫り、それなりに緊張している。学校を卒業してからこんなに緊張する試験を受けるなんて想像してなかった。しかも刑務所で、とは・・・ 昼休みに、他工場へ応援合戦のリハーサルに行ってきた。初めて行く工場で、見ず知らずの懲役衆を目の前にするとさすがにちょっとビビる。何か珍しい物でもみるような目で見られていい気はしなかった。こんな思いをしても、何の得にもなりゃしない。 音楽講座が平日にあると、ホントに疲れる。せめて作業中にしてもらいたいもんだ。夕食後は寝る身体になってしまった。 紀子さまが、帝王切開で無事に男の子を出産されたそうだ。明日あたり、例の右翼崩れが鬱陶しいくらいはしゃぐのだろうなあ。 (解説)◎『瀬戸風味ふりかけ』←ふりかけは全てアルミの小袋に入っています。よくお弁当に入れるあれです。その小袋を箸箱の角でごりごりこすり、中身を細かく砕いてから振り掛けるのが刑務所流です。意外とこれ、風味が増していいですよ。◎『明日の試験~』←職業訓練の締めくくり、国家試験です。娑婆からちゃんと試験官がやってきて、試験に不正が行われていないかチェックします。 それでもいざ実技本番ともなると、替え玉が活躍するのですけどねえ。海千山千の受刑者の監視は、それこそ海千山千の看守じゃなきゃ、務まりません。◎『こんな思い~』←あらゆる面倒な打ち合わせやら、応援スタイルの調整をやっても、他の受刑者と扱いは一切変わりませんでした。くたびれ損とはこの事をさす。◎『音楽講座』←刑務所の中では、各種教育講座・教養講座・宗教講座がありまして、受刑者が希望すれば受講することができます。どんな講座があるかは、別欄にて紹介しようかと思います。◎『例の右翼~』←まあ、自称何々という人は数多おりまして、その肩書きででかい顔してる人というのが少なくありません。得体の知れない素性の人もたくさんいます。調子に乗っていい気になってる人は、刑務所中に張り巡らされた受刑者ネットワークの検索によって正体が暴かれてしまい、ただでさえ住み辛い受刑生活が針のむしろになる事があります。 (←受刑者ネットワークについての説明もまた別欄に書く予定)
2007.09.06
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元福岡県職員の飲酒運転によって、一気に3人の子供を失った事件の裁判が始まりました。原告側の妻の取調べ調書を、夫が被告の前で被害者証言した様子がワイドショーで細かく解説されていました。危険運転致死傷罪の刑の上限である25年以下の判決だったら、被告人を子供を殺したのと同じ方法で殺す、と言った母親の心情は同意できます。そして、少しでも刑を軽くしようと未だに細かい点で罪状否認を続けてる被告人の気持ちも分かります。おそらく裁判を通して、弁護士などから減刑するための知恵をつけられたに違いありません。 何しろ業務上過失致死なら最高刑は懲役7年半ですから。25年と比べたら3分の1以下です。相手の過失を突っ込んで裁判官に少しでも減刑理由をアピールしておきたいのでしょう。 法治国家で生活する日本国民は、憲法の定める所の刑法に従う義務があります。しかし、どれだけ細かく近代的に明文化された法律であっても万人を救えるわけじゃない。それが法律の限界点だと思います。人の感情までは、裁けないし、救えない。 私の裁判の時にも、被害者の関係者が法廷に来て被害証言していきました。被害者になった方も法廷の隅の方に座っているのが見えました。被害者の家族も傍聴席の一隅を占めていたのが雰囲気で伝わってきました。被害者が加害者に直接顔を合わせる機会なんて、法廷意以外で滅多にある事じゃないです。娑婆で会えば必ず何がしかのトラブルの元となるでしょうから。私の犯した事件についても、おいおい紹介しようと思います。 しかし殺人事件ともなると、遺族の心情は極限にまで煮えたぎっているのでしょうから、その法廷の被告人席に立つ被告の気持ちは私の想像を絶します。人を殺すくらいなら、自分が死んだ方がましだと、私は思います。 ~9月5日の日記~ 朝・・・小カップ納豆、はりはり漬け、梅干、味噌汁(白菜・ふ) 昼・・・醤油ラーメン、ゆで卵、牛蒟蒻甘煮、大根葉煮 夜・・・焼き魚(鮭)、豚・大根煮、かぼちゃカレー煮、春雨サラダ 運動会の応援練習は、明日以降他の工場に出張って教える事になり、休み時間を削っていかなければならなくなった。応援団長なんて引き受けなけりゃよかった。 15人縄跳びの練習は最高で29回と、なんとも情けない回数だ。平均年齢が比較的若い工場にも関らず、この体たらくとは。まあ、自分が引っかかっておいて、文句の言いようもないのだが・・・ 今夜の配食係り担当の看守は、刑務所イチ厳しいと有名なオヤッサンだった。何度か別の工場でお世話になった事があったので自分の顔を覚えていたらしく、「しっかり面倒見てやるからな。」と言われた時は、肝が縮んだ。 (解説)◎『小カップ納豆~』←週に一度納豆が出る日があります。よく吉野家や松屋の牛丼屋 の朝定食についてくる小さな納豆、あれです。それが一日一回納豆を食べる派の私には 週楽しみで楽しみで。納豆が出るときは比較的おかずの多い朝食です。◎『醤油ラーメン』←これもまた、週に一度必ず出る麺類の一種です。他にスパゲティや冷麦、棒そば、棒うどんなどが出ます。麺は絶対に伸びきってしまっていて、まるで離乳食のようでした。◎『焼き魚(鮭)』←月に一回出るか出ないかという、魚のメニューです。とても貴重品です。◎『運動会の~』←貴重な休憩時間を否応なしに削られるのは、一定時間しか働かない受刑者にとって、はなはだ迷惑な話でした。何の役得もないし。文句ばっかり言われるし。◎『配食係りの~』←舎房の配食時には、不正が行われないように看守がずっと配食係りの後にくっついて見張っています。しかし、それでも受刑者というのは看守の目を盗んであれこれ悪だくみを試みるものです。配食係りが媒介してどれだけの物品が不正に他舎房へ流出したか・・・見てみぬ振りする看守もなかにはいるんですけどね。そんな受刑者 寄りの看守の事を、『神様』と呼んでいました。やる気満々の看守、定年まで賞罰なしで、のほほんと過ごしたいだけの看守、色んな看守がいましたので、そういった個性あふれるキャラについても後日解説したいと思いま す。 看守に顔を覚えられるのはけして決してマイナスではないのですが、相手によります。 仮釈放後、しばらくしてから販売業に携わるようになり、一日中立ちっぱなしで仕事をしています。慢性的な運動不足の環境で3年近く過ごした私にとって、単なる販売でも今のところ重労働です。足のむくみが妊婦さんみたいです。娑婆ではたらくって大変だなあ。楽じゃないっす。まだ30代なのになあ。 変な話、懲役生活っていうのは慣れてしまうと余計な考え事を一切しなくてよくなるので、究極に楽です。そのかわり、人間らしい自由を捨てる事になりますが。
2007.09.05
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出所してから実家に戻り、住み慣れた家から少し離れた貸家に住むようにしています。実家にいると、いつどんな人が訪問してくるのかわかりませんから、ひとつの予防策として別居しています。何に対する予防か、といえば、それは受刑者からの家庭訪問に他なりません。出所した元受刑者で更生保護施設に入れた人もいれば、入れなかった人もいます。更生保護施設の入所期限が過ぎて、定住地が決まらぬまま退去させられてしまう人もいます。行き場のなくなった元受刑者は、在監中に知り会った同囚の住所を頼ってくる事が珍しくありません。 また、再犯を目論む人は手っ取り早く元受刑者と手を組んで一仕事しようとたくらんでいます。そういった根っからの犯罪者というのは人の弱みに付け込むのを大の得意としています。再犯刑務所には、そういった事件の共犯に巻き込まれてしまった人が数多くいるそうです。千葉のマブチモーター社長夫人・令嬢殺人放火事件も、結局受刑者同士が手を組んだ結果の事件ですから。 「そんな誘いなんて断ればいいのに。なんだかんだ言って、犯罪を犯すのに抵抗はなかったんじゃないの?」と思う方もいらっしゃる事でしょう。しかし、穏便に社会復帰しようと努力してる元受刑者は、前科者というのが世間に知れてしまうのを一番恐れているのです。犯罪を犯しておいて、都合のいい事を言ってる、と思う人もいるでしょう。ならば、受刑生活は一体なんだったのか、刑務所の存在理由とは何なのか、という問いに答えて頂きたい。私刑が許されれば、日本は法治国家の体をなさなくなってしまいます。法を犯した者が、皮肉な事に、一番法治国家のたてまえにすがっているのです。 ~9月4日の日記~ 朝・・・まぐろフレーク缶詰味付け、きゅうりのキューちゃん漬け、味噌汁(ねぎ、高野豆腐) 昼・・・にんにくの芽炒め、厚揚げ煮つけ、わさび和え、たまねぎスープ 夜・・・串カツ、刻みキャベツ、トマトサラダ、ウインナーソテー、イカ・ほうれん草バター炒め 運動会で行われる応援合戦の練習を始める事になった。初めての練習だったのにそこそこうまく唱和できて意外だった。思いつきでアドリブを盛り込んだりするパターンもあるので当日は大丈夫だろうか。他工場の練習する声がちらほら聞こえてくる。さて当日はどーなるか。 旋盤の試験まであと3日。尻が割れるほど集中して取り組んでいるがあまり上達しない。指導補助が言うには、旋盤作業は急激に上達しないと言い切っている。そんなわかりきった事を言われてもすんなりあきらめきれない。 領置しておいた残りの本38冊が一気に舎房に入ってきた。バッグに収まりきらない。極端すぎるんじゃい。 配食された食事を完食しても、体重が増える所か減っている。気になる。 (解説)◎『串カツ~』←一月に1~2回程度、揚げ物がでます。一応それがその月の目玉メニューでして、月初に配られるメニュー表に皆印を付けたり赤く塗ったりして待ちわびます。刻みキャベツをはじめ、刑務所で出される野菜は全て例外なく湯通ししてあるのでしなしなです。もちろんサラダに入ってるきゅうり、たまねぎもばっちりしなってます。◎『運動会で~』←一年に一度行われる運動会、それは受刑者にとって唯一怒声、叫び声を心おきなく発せられる時。応援合戦もまた自己主張の場として大いに盛り上がるセレモニーなので、皆一様に子供に帰ったつもりで練習します。特徴のある目立った応援をして盛り上がりたい心理が働くので、その時々で流行りのフレーズを多用する事があります。◎『旋盤の試験』←私は一年間職業訓練工場に所属していて、旋盤の訓練をうけていました。毎日しっかり機械に向かって練習していたにもかかわらず、試験が近づくと自信がまったくなくなり、落ちることばかり考えてしまいました。◎『指導補助』←職訓生で成績の良かった者が、次の年度の職訓生の面倒を見るようになっており、その役を負った人を指導補助と言います。同じ受刑者なのに、偉そうにしてる人が多いです。◎『領置して~』←新法になってから受刑者の私物は原則本人管理となり、個人用の保管バッグを与えられるようになりました。ちょっとした旅行かばん程度の大きさで、その中に私本や下着、石鹸、タオルなど、所持の許可を受けた私物が収められます。本はそれまで3冊までしか舎房に所持できなかったのが解禁されたとたん、それまで保管されていた本が一気に渡されるようになったのです。 ◎『配食された~』←普通、刑務所の飯を食べていると、誰でもある一定の体重で落ち着くようになっているのですが、このときはどんどん減少し、何か病気になってしまったかと気になってしょうがなかったです。 ちなみに糖尿病の人、肥満の人、脂肪肝の人は大抵半年も務所暮らしをすると一般的な体形、数値に落ち着きます。定時に定カロリーの食事をして間色をしないだけで充分ダイエット効果がある証拠ですね。 元力士という人が入所してきましたけれど、3ヶ月で130キロが90キロまで減りました。小学生一人分のお肉が刑務所の中に落とされたわけです。
2007.09.04
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最近就職したので毎日勤め先に通っている訳ですが、娑婆で働くっていうのがこんなに充実しているものだったか、と感動しています。刑務所の中でも、ちゃんと月~金、毎日朝8時~夕方4時まで働くのですけれど、選択できない単純作業の連続と職員達の監視下での作業・そして何より時給が数十円のレベルではまったく働く喜びというのを感じられませんでした。ちなみに給与の事を刑務所では「作業報奨金」といいます。平成18年の監獄法改正前は「作業賞与金」といいました。法制度が変わって色々名称が変わりましたけれども、内容は何も変わっていません。お役所ってそういう無意味な手間が大好きですよねえ。 ~9月3日(免業日)の日記~ 朝・・・魚肉ソーセージ、中華山くらげ、味噌汁(油揚げ・なめこ) 昼・・・カレーライス、ゆで卵、らっきょう、キャベツサラダ、ミルクプリン 夜・・・中華風煮、ねぎ・わかめの酢味噌和え、はんぺん金平、あさり大根煮 今週のカレーの味はケチャップがよく効いていて、先週のものとは比べ物にならないくほどうまかった。炊場工場の菜方の技量に差がありすぎるのも問題じゃないのか。 (解説)◎「昼・・・~」←日曜日のお昼はカレーと決まっています。海上自衛隊の金曜カレーみた いなものなのでしょうか?免業日がカレンダー通り、と決まっているのに。甘味デザートが つくのも基本日曜日限定です。この甘味をかけて色々な賭けが行われていまして、半年 間ありつけなかったという人もいました。賭けの対象はスポーツ全般、競馬中継、職員の出欠などあらゆる物事に対して賭場が開帳されています。◎「中華風煮~」←これに限らず献立の名称はうまそうな物ばかりですが、所詮素人が作るごった煮料理でして、このメニューも単なる「里芋の煮っ転がしごま油和え」に過ぎません。はんぺんというのは、さつま揚げの事です。初めのうちは皆これにだまされます。◎「炊場工場~」←一応炊場工場のベテラン受刑者が菜方というおかず担当になるのですが、料理のセンスがない人もいるわけで、ただでさえ味気のない懲役飯が食えた物じゃなくなる事もありました。そんな料理は自然と受刑者の涙でしょっぱくなるものです。 受刑生活で辛い事はたくさんありますけれど、甘い物がほとんど食べられないというのはかなり上位にランクされると思う。旗日とか、集会(後日解説します)のあるときだけ娑婆のお菓子類を食べられるのですが、制限時間内に食べなくてはならず、取って置けません。もし隠して後でこっそり・・・なんて、野リスみたいな事をすると大抵職員に見つかって懲罰です。今、自由にコンビ二などに行って陳列棚を見ると、甘味に飢えていたあの頃をふと思いだして、すぐに忘れます。
2007.09.03
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昨晩は保守点検作業とかで、夜中の操作が一切出来ませんでした。刑務所の消灯時間はどこも基本的に夜9時と決まっているので、こんな時間にPCを操作しているなんていうのがちょっと前では考えもつかない事でした。 受刑者は一日の動作時限に絶対に従って生活して居ますが、消灯時間だけはもう少し何とかのばして頂きたいものです。消灯後、常夜灯の暗い明かりの元で、見廻りの看守の目をかいくぐりながら本を読んでいる受刑者の姿が今も目に浮かびます。 9月2日(免業日)の日記 朝・・・赤貝味付煮缶詰(2cmくらいの佃煮風赤貝が5~6粒) わさびふりかけ(お弁当に使う小袋のもの) 味噌汁(わかめ、ねぎ) 昼・・・コッペパン、ぜんざい、みかんジャム、マーガリン、チーズ、竹輪入りサラダ パックコーヒー牛乳(200ml) 夜・・・ケチャップ煮、牛スジ煮込み、白菜朝鮮漬け、ニラ卵スープ (雑居の)着座位置が変更になってから、はじめての夜だ。両脇を人に挟まれながら寝るのは久しぶりだ。夜中は毛布がなければ寒いほど。 他人様の姓名判断占いを一日中やっていた。占いというのはやればやるほど結果の不思議さに驚かされる。数字の組み合わせだけで導き出されてくる結果がおそろしく正確に人の人生を物語っている。 配食テレビは『えびボクサー』だった。『イカレスラー』のもとになったという作品だけあって奇妙極まりない作品。イカ~もひどい作品だったが、えび~も甲乙つけ難いほどひどさだった。この作品の企画書をみて、製作許可を出したプロデューサーの顔を見てみたい。娑婆でわざわざ借りてみなくてよかった。 (解説)◎「着座位置が変更~」←雑居房では、古い順に着座する位置が厳格に決められていますの で、受刑者は好き勝手な位置に座る事は出来ません。◎「両脇に~」←この頃はだいぶ順番が古くなってきていて、壁際の位置にまで出世していたものですから、片方だけ気遣えば良い生活だったのですが、着座位置の指導方法が急に変更になったため、両脇を人にはさまれるようになってしまったのです。一人一畳の雑居生活では隣が居るいないで、だいぶ生活が変わってきます。◎「他人様の~」←何気なく始めた占いが評判になってしまい、休日になるとあちこちから鑑定を頼まれていました。遵守事項違反ですが、報酬も頂いてました。(バターとかチーズとかジャムとか。受刑者にとって超貴重品です。)◎「配食テレビ」←受刑者に食事を配る係りに選ばれた人を配食係といいます。この係りは食事時間も配食作業に従事するため、月に一回特別に映画を見せてもらえます。◎「えびボクサー・イカレスラー」←作品に関する詳細はネットで検索してください。おそろしくいびつな設定の映画で、B級とかC級とかつける以前のくだらな面白作品です。果たしてこの作品が受刑者の更生に何らかの寄与をするかは、はなはだ疑問です・・・ さて、タイトルの「家族のささえ」について。今夜、弟と久しぶりにゆっくり話しをしました。今秋結婚する予定ですが、弟の嫁は私が収監されていた時から弟と一緒に刑務所まで面会に来てくれるなどしてくれた子です。面会室のアクリル板を挟みながら、「結婚式までには絶対出所してきて、ぜひ私たちの結婚式に出席して下さいね。」と励ましてくれました。 世捨人にでもなって放浪しようか、とまで考えていた私に社会復帰の光明をともしてくれた一言です。血の繋がっていない赤の他人にまで心配してもらい、支えてもらって、今の所私の社会復帰は順調に進んでいるのです。 私の場合のように、収監されていた事情を知る人全てがバックアップしてくれるような環境にあれば社会復帰は果たせるのでしょう。そして被害者に対する弁済なども行えるはずです。しかし、前科者というレッテルをはられ、定住地・定職を持てない元受刑者の末路はとても厳しいものだと想像します。前科者を支えるのは、社会であり、法務行政であり、家族であると思います。それをそのまま受け入れられない事情があることを、私は出所してから知る事となりました。それはまた明日に書こうと思います。
2007.09.02
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私が某刑務所を仮釈放で出所したのは今年のことです。詳しい日付や場所を書いてしまうと、このブログの趣旨に沿わなくなる恐れがありますので、とても漠然とした書き方になってしまうと思います。しかし、そうしない限り私は自分自身を守れないし、収監されてる人達、刑務所職員達に対しても公正中立の立場は守れないと思います。ですから、あらゆる内容の詳細はできる限り秘匿させて頂きたいです。このブログの構成は、刑務所の中で雑記帳に書いていた日記の内容を一年遅れで同時に書いていくようにして行こうと考えております。受刑者が3食何を食べ、どんな生活をしているのか、一般人には決して知ることのできない塀の中をとくとご覧ください。初日に書こうとした日記が、どこか荷物の中に仕舞い込んでしまったので、明日から書きます。いきなりこんな空回りですが、どうぞ、長い目で見てくださいませ。
2007.08.31
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