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January 15, 2006
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カテゴリ: 教授の読書日記



前後のストーリーはまったく忘れてしまいましたが、とにかく私はどこか公園のようなところを家内と歩いているのです。すると向こうから悪魔が歩いてくる。

なぜそいつが悪魔だと分かったかというと、遥か遠くにいる時からそいつの声が私にだけ聞こえたからです。で、その悪魔が私に囁いて曰く、これから人間界のことを少し見て回りたいので、お前の身体を借りることにした、と・・・。

えーっと思ったのも束の間、もう4、5メートルまで近づいた悪魔は、えいっという掛け声と共に、一瞬で私の胸の中に飛び込んできて、あっと言う間に身体の中に入ってしまった。悪魔が私の胸の中でもぞもぞと動き回りながら、徐々に私の身体に馴染んでいく、その感覚の恐ろしかったこと! うわーっ、悪魔に身体を乗っ取られた! と思った私は、胸を掻きむしりながら「あーっ! あーっ!」と家内に助けを求めたのですが、その時、よほどうなされていたのでしょう、隣で寝ていた家内に起こされました。起こされた私は、自分はまだ自分なのか、それとも既に悪魔になってしまったのか不安で不安で、とっさに「悪魔なら、良いことを考えられるはずがない」と思いつき、「今度、日本赤十字に献金するぞ」と頭の中で念じたところ、ちゃんと念じられたので、おお、まだ大丈夫だ! と、ひとまずホッとしたのでした。・・・しかし悪魔に乗っ取られたかどうかの確認法として、赤十字への献金を念じてみるなんて、我ながら一体どういう発想をしているんでしょうか?



さて、話は変わりますが、最近の私のちょっとしたブームは「骨董」です。この間、青柳瑞穂氏の骨董にまつわる名エッセイ、『ささやかな日本発掘』が既に絶版になっているということを知ってがっかりした、という話をしましたが、そうなると余計読みたくなるもので、結局この本はインターネット上の古書店を通じて買い求めることにしました。しかし、それが届くのをただじっと待っているというのも剣呑だったので、同じ骨董にまつわるエッセイということで、少し前に中公新書から出た奥本大三郎氏の『東京美術骨董繁盛記』を買って読むことにしたんです。

ま、古本マニアである私にとって、骨董というのはもともと気になるジャンルではあったんですよ。結局、古本というのは、本の骨董であるわけですし。でも、今まで実際に骨董に手を出したことは、実はあまりありません。ま、強いて言えば2回あるかな。どちらもアメリカでの経験ですが。何しろアメリカはフリー・マーケットの本場ですからね。

で、何を買ったかと言いますと、一つはティーカップとソーサー。感じとしては50年代っぽいものなんですけど、これがまた今見ても惚れ惚れするようなデザインで、5客で80ドルだったかな? ロス郊外のパサディナにローズボールという大きなアメフトの聖地がありまして、その球場を利用して月に一回、大きなフリー・マーケットが開かれるんですが、そこで買ったんですね。「これ、5客下さい」と言ったら、売ってたおじさんに、「お、あんた日本人だね。食器を奇数分買ってくのは、皆、日本人だ」と言われたことをよく覚えています。それからもう一つは、UCLAのあるウェストウッドという小さな大学町で毎月一度開かれるフリー・マーケットで買った、北欧製の琺瑯の皿三枚(大・中・小)。値段は忘れてしまいましたけど、これも、今だにとても気に入っています。

もちろん、こういうのは厳密に言うと骨董でも何でもないのでしょうけど、私に興味があるのはまさにこういう種類のものなんです。刀剣とか、仏像とか、書画とか、そういう馬鹿高い品々は、いくら美術的な価値があろうと、私には縁がないですからね。私に興味があるのは、そこらの骨董市やら古道具屋で二束三文で売っているような食器とか、そういうものです。そういうのを買ってきて、時代がかったデザインの妙を楽しむとか、そういうのに憧れるわけですよ。

何せこういう古道具には、新品にはない歴史がありますからね。前の持ち主はどんな人だったのだろう、その人にとってこれらはどういう意味があったのだろう、それがまたどういう縁で自分のものになったのだろう、なんてことを考えさせてくれる。そこが面白いんですな。私の好きなエッセイスト・林望氏もちょうど私と同じような嗜好の持ち主であるらしく、『リンボウ先生遠めがね』(文春文庫)なんて読むと、そんな骨董にまつわるエッセイが載っています。これ、面白いですよ。

ま、もちろんそんな古道具屋漁りなんて、実際にはなかなかできませんし、またそんな暇もないんですけど、せめてそんな骨董・古道具にまつわる本でも読んで、間接的に楽しもうなんて思っているわけです。ですから『ささやかな日本発掘』、待ち遠しくてしょうがない。早く届かないかな!

で、この本を待つ間に、と思って読み始めた奥本大三郎氏の『東京美術骨董繁盛記』ですが、これ、彼が自発的に書いたものというより、中央公論社に頼まれ、その雑誌に掲載するために、中央公論社の社屋の周辺に多い骨董の名店を訪ねて、骨董を商売にしている方々から蘊蓄を引き出そうという趣向で書き始められたものなんです。もちろん、奥本氏自身、仏文学者にして有名な昆虫標本のコレクターでもある方ですから、もともと骨董とかコレクションとかいうことに興味や造詣がないわけではない。ですから、限りなく玄人に近い素人である奥本氏と、その道の大御所たちとの丁々発止のやりとりを通じ、骨董という奥深い世界を紹介しようという企画本なんですな、これは。企画としては面白そうですよね。中央公論もなかなかいいところを突いてくる。

ところが・・・これが面白くないんだなー。いや、この本の中に登場する骨董の名店のご主人たちの話の中には、そこそこ面白い部分もあるんです。しかしせっかくの面白い話も、それを文章として構成する奥本氏の手腕ゆえに、あまり面白いと感じさせないようになってしまっているんですな。特に会話体で構成される部分が面白くなくて、せっかくいいコメントを引き出したのに、それを受ける奥本氏のコメントが興ざめなものだったりするので、がっかりしてしまうんですよね。第一、この本を読んでも肝心の骨董の世界の面白さがあまり伝わって来ないんですよ。・・・なーんて、ついついこういう辛口評価をしてしまうのは、今日、私に悪魔が乗り移っているからだったりして!

ま、それは冗談として、この本、私にしてみればちょっと期待外れの本でしたなあ・・・。奥本さんって、『虫の博物誌』(青土社)で読売文学賞をとり、『楽しき熱帯』(集英社)でサントリー学芸賞をとり、『斑猫の宿』(JTB)でJTB紀行文学大賞をとり、『ファーブル昆虫記』(集英社)の翻訳で産経児童出版文化賞をとるという具合で、文筆家としてすごく評価されている人だと思いますが、私にはその良さがいま一つ分かりません。昔岩波書店のPR誌『図書』に連載されていた「干支セトラ」という文章も私はあまり感心せず、終いには端から読みませんでしたしね。たとえば同じフランス文学系の鹿島茂さんの文章などは、好き嫌いは別として私も面白いと思うし、売れるのもよく分かる。しかし、奥本さんは、私には、どうも分からないんですね。どうしてだろう? 感性が合わないのかな? 奥本ファンの方で、「これを読んだら、考えが変わるよ」というご推薦の本がありましたら、ご教示下さい。

しかし、奥本さんの本が期待外れに終わったとなると、否が応でも青柳瑞穂著『ささやかな日本発掘』への期待が高まります。果たして、この本は私の骨董ブームにさらに火をつけてくれるでしょうか? ま、変に火をつけられて、おかげで家計が火の車、なんてことになったら困りますが、とにかく、今はこの本が届くのを、首を長くして待っているワタクシなのでした。





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Last updated  January 15, 2006 05:12:28 PM
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