教授のおすすめ!セレクトショップ

教授のおすすめ!セレクトショップ

PR

Profile

釈迦楽

釈迦楽

Keyword Search

▼キーワード検索

Shopping List

お買いものレビューがまだ書かれていません。
May 4, 2006
XML
カテゴリ: 今日もいい日だ



1867年に生まれ、1945年に没したドイツの女性画家、ケーテ・コルヴィッツ。「日本におけるドイツ年」の一環として企画された彼女の作品展は、昨年の夏の茨城県つくば美術館での展覧会に始まって、新潟県立近代美術館、姫路市立美術館、熊本県立美術館と巡回し、最後に町田市立国際版画美術館にやって来た。私としては、前から見たいと思っていたこの展覧会を、ようやく地元・町田で捕まえることができた、という感じです。

ところで、私が初めてケーテ・コルヴィッツの作品を見たのは、今から15年前の夏。シカゴ大学名誉教授、マーリン・ボーエン先生のお宅に於いてでした。先生のお宅の一室に、コルヴィッツの素描が何気なく掛かっていたんです。それは小さな男の子と、その子の祖母らしき老女の顔を並べて描いた小品だったのですが、小さな子供が時折見せるような、ほうっとした表情を浮かべた男の子と、その子を見守る悲しげな老女の表情から、二人の貧しさと苦しみがじんわりと伝わってくる。そんな絵でした。

おそらく、このお祖母さんには、今日、孫に食べさせてやるだけの食べ物がないのでしょう。そしてこの子の父親と母親は、既にこの世にないのでしょう。

もちろんそんなことは、絵を見た瞬間に私の頭の中で勝手に出来上がったストーリーに過ぎません。表面的に見れば、可愛らしい小さな男の子と、そのお祖母さんらしき老女がひっそりと描かれているだけなんですから。しかし、見れば見るほど「絶対にそうに違いない」と思わせるだけの力が、その素描にはあった。

で、感動した私は早速ボーエン教授を捕まえて「この絵は一体何だ?」と問うたわけですよ。すると教授は「おお、これか!」という感じで、すぐに絵の来歴を語ってくれました。

ま、その話は長いので要点だけ言いますけど、要するに教授がまだ若かった時に、ある画廊でこの絵と出会い、どうしても欲しくなってしまった。しかし、もともと孤児院の出身で、苦学してシカゴ大に進学されていた先生には、当然その絵を買うだけのお金がない。そこで支払いを分割にしてもらって、余計にアルバイトするなど苦労に苦労を重ね、ようやく1年がかりでそれを自分のものとしたというのです。若い時の苦労の証でもあるだけに、この絵には特別の愛着があって、自分にとっては何ものにも替え難いものなのだと、そうおっしゃっていましたっけ。

若かりし日のボーエン先生ご自身が極度に貧しかったからこそ、この絵に描かれた貧しい祖母と孫の絵に吸い寄せられたんでしょうな。

ま、とにかく、こうして私の脳裏に「ケーテ・コルヴィッツ」という名前が刻み込まれたわけですよ。それから少しして、90歳近いご高齢で亡くなられたボーエン教授の懐かしい思い出と共に。

しかし、コルヴィッツというアーティストは、まだ日本ではさほど認識されていないところがあるので、その作品を見ることはなかなか難しい。小淵沢にあるフィリア美術館に何点か所蔵品があるのを見ましたけれど、その位なもんです。ですから、今回、かなり大規模な回顧展があるというので、私は昨年から楽しみにしていたんですな。

で、今日、ようやくそれを見ることができたのですが、なかなか大きな展覧会で、一度にこれだけのコルヴィッツ作品が見られるのは、おそらくこれが本邦初でしょう。中心となるのは版画ですが、素描もあり、また彫刻作品までありました。コルヴィッツに彫刻作品があるとは知りませんでしたけどね。

今回特に印象深かったのは、初期の作品。「処女作に向かって成熟する」というような言い方がありますが、それはジャンルを問わず多くのアーティストに当てはまるものであって、私が思うに、コルヴィッツの作品のエッセンスは初期作品にすべて詰まっている、というところがある。特に木炭画(あるいは木炭画風のエッチング)における光(白)と闇(黒)のコントラストが生み出すドラマチックな効果はものすごい。私にとっては、今回の一番の見どころでしたね。

それから、それぞれの年代毎の自画像、これも素晴らしかった。初期の頃の明るく、そして凛とした自負心の現れが感じられる自画像もいいし、晩年の頃の枯れた自画像もいい。

また、コルヴィッツはさすがに女性の画家だけに、子供を描かせるとほんとに素晴らしい。彼女が描く子供は、いかにも「母の目が捉えた子供」の像であって、そういうところはちょっと日本のいわさきちひろを思わせるところがある。こればかりは、男の画家には出せない味と言っていいのではないか知らん。

しかし今回の展覧会のメインとなったのは、貧しい労働者の暮らしを描いた作品や、そうした貧しい家庭を襲う様々な悲劇を描いた作品、そして「死」そのものを描いた作品です。戦場で夫を失った寡婦、寡婦と子供たち、母親を死神に奪われた子供たち、子供の死を嘆く貧しい母親・・・そういったものをテーマとして描いた一連の絵は、コルヴィッツ流に表現したピエタ(キリストの死を悼む聖母マリアの図像)なんでしょうが、時にムンクを思わせるその画風は、貧しさ・悲しさを通り越してついに狂気に至る、みたいなところがあって、正直、見ているだけで息が詰まります。

展覧会を見るといつも疲労困憊する私ですが、今日はいつも以上に疲れました。

ところで、今回、新たに強く感じたのは、コルヴィッツの絵画表現における「手」の重要性です。コルヴィッツの絵の中では、人間の手がとても大きく描かれているんです。ほとんど顔と同じくらいの大きさ、といいましょうか。で、その大きく描かれた手の一つ一つが、顔の表情と同じくらい、それぞれ「表情」を持っていて、雄弁なんですね。「雄弁」というのは、もちろん、「雄弁に苦悩を語っている」という意味ですが。

あともう一つ、特筆すべきは「耳」かな。コルヴィッツが人物画の中で描く耳の美しさ。これは一見の価値があると思います。ま、それはもちろん、横顔を描いた時にしか分かりませんが。

で、展覧会全体として見た場合の感想なんですが、今回のコルヴィッツ回顧展では「死」や「苦悩」を描いた作品が多過ぎて、展覧会全体がかなり重苦しい調子になってしまったところに、やや不満が残った、かな・・・。私が思うに、コルヴィッツの真骨頂は、「死」や「苦悩」といったテーマを表に出していない絵の中に、そうしたものを秘める、というところにこそあるのですが、今回はその「秘め」た絵が少なかった。私としては、先にボーエン教授のお宅で見たような、パッと見は何のことはない人物画なのに、その意味するところが見る者の心にじんわりと、しかし間違いようもなく響いて来るような絵を期待していただけに、今回はちょっと直球勝負過ぎましたね。

でも、そういう不満があるとはいえ、日本でこれだけの数のコルヴィッツ作品を見られるのは、そう何度もあるチャンスではありません。その意味で、もしまだご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、ぜひこの機会に東京・町田まで足を運んで見てください。教授のおすすめ!です。

それにしても、町田市立国際版画美術館というのは、なかなかいい美術館ですね。とてもいい企画の展覧会を過去、何度も行なっています。大体、「版画美術館」と銘打って、収集を版画に限定しているところからして、素晴らしい。作品の収集にそれほど大金を注ぎ込めない市立の美術館として、相対的に値段の安い版画作品に的を絞って収集と展示を行い、その代わりこのジャンルの美術館として一流を目指すという方針は、とても賢いと思います。たしか初代の館長は、版画の普及に力を注いだ久保貞次郎さんだったと記憶していますが、「版画美術館」というアイディアは、久保さんの発想だったんでしょうかね。ま、それはともかく、こういう賢い美術館が実家の近くにあるということは、幸せなことでございます。今後も、優れた企画力で、大いに我々を楽しませてもらいたいものです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  May 4, 2006 09:24:35 PM
コメント(4) | コメントを書く
[今日もいい日だ] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: