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July 21, 2011
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カテゴリ: 教授の追悼記



 フラナリー・オコナーというのはアメリカ南部ジョージア州出身の女流作家です。1925年生まれですから、S先生と同い年ということになります。で、彼女は地元の大学を卒業した後、「創作科」があることで有名なアイオワ大学に進学し、作家の道を志すことになります。

 で、アイオワ大でポール・エングル教授の指導を受けながら前途有望の新進作家としてデビューしようという24歳の時に、「紅斑性狼瘡」という病気に罹ってしまう。

 この「紅斑性狼瘡」というのは、血液が自分の骨を溶かしてしまうという進行性の難病で、薬で病状の進行を遅らせることは出来るものの、根本的な治療法はありません。しかも彼女の父親もこの病気で早くに亡くなっていますから、この病気に罹っていることが判明した段階で、死を宣告されたようなもの。実際、オコナーは1964年に39歳の若さで亡くなっていますから、オコナーの創作活動はわずかに15年、その間、常に死の恐怖と戦いながらの執筆となったのでした。

 ちなみにオコナーが亡くなった1964年に、S先生の最初の奥さまが亡くなっています。つまりオコナーという作家は、S先生と同じ年に生まれ、S先生の奥さまと同じ年に亡くなったわけで、偶然ながら、S先生とオコナーの間には奇妙な結びつきがあった、ということもできるかもしれません。


 ところで、自分がいつ死ぬかも分からないという状況の中で小説を書き続けるというのは、よほど強い精神力が必要なのではないかと思うのですが、初期の作品から晩年の作品まで、彼女の作品を貫くものは常に一定で、揺るぎがない。病勢が募るにつれての心境の変化とか、そういうものが、どうも見つからないんです。

 それはなぜか。カトリックの強い信仰です。

 「オコナー」というのは、名前からして明らかにアイルランド系ですが、アイルランド系の人の多くがそうであるように、フラナリー・オコナーもカトリック信者でした。それも非常に強い信仰心を持っていた。そしてそのことは、彼女の生きた時代にあっても珍しいことであったと思います。いや、彼女の生きた時代では特に、と言うべきかもしれません。

 先にも言いましたように、オコナーは1925年の生まれで、作家として活動を始めたのが25歳くらいの時からですから、時代は1950年代、すなわち戦後、フランス流の無神論的実存主義哲学が勢いを持っていた頃です。いわゆる「不条理」な時代。彼女は、この時代を生きた。

 実存は本質に先立つ、という認識、つまり世界が、あるいは自分が存在することに根本的な意味などない、という実存主義的な認識。これが、この時代の底に流れる空気だったのではないかと。そして、意味のないところに意味を見出そうとすれば、それは当然失敗し、「不条理」というものを発見せざるを得ないわけですが、実際、そういう不条理なものが当時、身の回りに沢山あったわけですな。アウシュビッツが、もちろんその代表例であるわけですが。

 ところがフラナリー・オコナーは、まさにこうした時代の概念に真っ向対立する認識の持ち主だったんです。この世に不条理などないと。

 オコナーには死後出版ながら『秘儀と習俗』というエッセイ集がありまして、この中に「メアリー・アンの思い出」というエッセイがある。メアリー・アンというのは、ある修道院附属の無料療養所に預けられた、顔の半面に腫瘍のある孤児で、3歳のときから12歳で亡くなるまでこの療養所で暮らしていた。で、様々な苦労を背負いながらも彼女なりに精いっぱい生きたメアリー・アンのために、何か追悼文を書いてくれと頼まれたオコナーが、嫌々ながら筆を執ったと、そういう趣向のエッセイなんです。

 なんで「嫌々」か、というと、彼女に仕事を依頼してきた修道尼たちの口ぶりからして、メアリー・アンの健気さを称えたお涙頂戴のエッセイにしてほしそうなのがありありと窺われたからで、オコナーとしては、そんなのはまっぴら御免だったからです。

 エッセイの中でも書いていますが、オコナーに言わせれば、「なぜメアリー・アンは、こんなに若くして不幸にも死ななければならなかったのか」なんてことは問題ではないと。自分だったら「なぜメアリー・アンは、そもそもこういう形で生まれてきたのか」と、そちらの方を問う、というのですな。つまり、こんなに素晴らしい子が若くして死ぬことに不条理を見るのではなく、その子をこの世に使わした神の条理に思いを馳せる、というのがオコナーの立場なんです。そして、表面的な不幸にいちいち絶望するのではなく、もっと深くモノを見ろと。オコナーは同時代人に対して、そういう警告を発するわけ。以下、「メアリー・アンの思い出」の一節を引用しましょう:


 子どもの苦しみをもって、神の善を疑うのが現代の傾向の一つである。そして、一旦、神の善への不信に陥れば、その人と神の関係は断たれるのだ。(中略)イワン・カラマーゾフは、子どもが一人でも苦しんでいる限り神を信じられない。カミュの主人公は、罪のない幼児が大虐殺のめにあうという事態がある以上、キリストの神性を受け入れることはできない。この種の現代的な憐みの情に流されれば、われわれは、感受性の面で得るところはあるだろうが、確実に視力は落ちる。もし過去の時代が、感情的反応において劣っていたとしても、あの時代の目はもっと見たのである。盲目的に一途で、感傷を排した、預言者的な、受容の目、それはとりもなおさず信仰の目であるが、これでもって見たのである。現代には、この意味の信仰がないから、ただ優しさだけが支配的である。それは長いことペルソナから切り離されて、理論でがんじがらめになった優しさである。優しさが、優しさの源とのつながりを断ち切られたりすれば、論理的に行きつく先は恐怖である。それは、強制労働収容所やガス室の煙となって終わるのだ。(上杉明訳を元に一部改訳)


 感傷的な優しさでもって世界を見れば、至るところに不条理なことがある。その不条理をただ悲しみ、絶望すれば、この世に生きる意味はなくなる。生きる意味がなくなれば、善をなす意味もなくなり、他の人間への配慮もなくなり、自分勝手に好き勝手なことをして一生を終わればいい、ということになる。それはいわばヒトラーの肯定であって、第二のアウシュヴィッツの登場まであと一歩ではないかと、まあ、オコナーはそう言うわけですな。

 で、オコナーのすごいところは、この「信仰の目」でもって、自らをも見たというところにあります。死病にとりつかれた、だから何? と。早世を運命づけられたことの悲しみよりも、そもそも自分はなぜ生まれたのか、そのことを問う。それがオコナーの人生観であり、それは絶望ではなく、希望を見ることに他ならない。オコナー自身、「人々は常に、現代作家には希望がない、現代作家の描く世界は耐えがたい、と不平をこぼす。これに対する唯一の答えは、希望のない人間は小説を書かないということである」と言っています。しかし、もちろんそれは楽な道ではない。オコナーは、続けてこう言います:


 小説を書くのは恐ろしい体験であり、書いているあいだに髪はばらばら抜けおち、歯はぼろぼろになる。小説を書くのは現実からの逃避であるといった意味のことを口にする人に私はいつもひどく腹が立つ。小説を書くことは現実のなかに突入することであって、全身に強烈な衝撃を受ける。もし小説家が金銭的な希望によって支えられないならば、神の救いという希望によって支えられなければならない。そうでなければ小説家がこの試練を生き抜くことはまったく不可能になるだろう。


 オコナーという作家は、こういう気迫をもって小説を書いていたんですな。

 そして「なぜ自分は愛する人を失ったか、ではなく、そもそもなぜその人と出会えたのか、そのことの恩寵を考えろ」というオコナーの声が、S先生を励ましたことは言うまでもありません。

 その後、S先生はオコナーの最初の長編、『賢い血』(ちくま文庫)を翻訳され、また彼女の代表的な短編を『オコナー短編集』(新潮文庫)として訳されていますが、そのご訳業は、私なぞが評するのもおこがましいようなものですが、恐ろしいまでにオコナーの世界を捉えた、本邦一のものであると言っておきます。(この項、続く)





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Last updated  July 21, 2011 11:19:26 PM
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