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July 27, 2011
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カテゴリ: 教授の追悼記



 それでも、S先生との間で交わした当時の書簡などを見ると、先生が私の名古屋の自宅宛てに訳稿を送って下さり、それについて私が疑問点などを指摘し、それについて先生が回答され、その回答について私がさらにコメントをし、そのコメントに対して先生がさらにコメントされるというようなやりとりがなお2年程続いていたことが分かります。もう20年近く前のことなので、その辺の経緯をすっかり忘れていましたが、少なくとも私が名古屋に移った当初は、そんな風でした。

 しかし、それでもやはり東京と名古屋の間の距離は埋めがたく、またS先生も私を煩わせることをためらわれたのか、最後の最後の方では、私が先生のご訳稿の一言一句についてチェックする、ということは行われなかったように思います。今にして思えば、どうしてもうひと踏ん張りして、先生の『クラレル』の旅の最後までお付き合いしなかったのかと悔やまれますが、事実としては、先生の『クラレル』翻訳のお仕事の最終段階については、私はほぼノータッチでありました。

 もちろん、S先生は『クラレル』講読を私や、あるいはT君とのみ行っていたのではなく、明治大学の院生さんたち、あるいは先生が長年にわたって行ってきた学外者も含めての読書会のメンバーの方々なども、いずれの時点かでこの講読に参加していたでしょうから、S先生の『クラレル』完訳までの道行きに伴走者が絶えてしまった、ということではありません。

 が、しかし、あれだけ難解で長大な詩を翻訳するとなれば、やはりS先生個人の強い意志が無ければ到底達成できない事業であり、それを先生は一人でコツコツと続けられたのだと思います。何しろ、主人公クラレルがエルサレム及びその周辺地域で歩いた、まさにその道のりを確認すべく、先生は1987年と1990年に2度にわたってイスラエルを訪問されているのですから、一体どれほどの情熱を傾けてこの詩を翻訳されていたか、その情熱の大きさが伺えるというものでしょう。

 いや、それだけでなく、翻訳の土台となるテキストも、スタート当初はウォルター・ベザンソンが編纂したヘンドリックス・ハウス版を使用し、適宜ラッセル&ラッセル版を参考にしていたものの、翻訳作業の途中、1991年に最新の研究成果を反映させたノースウェスタン・ニューベリー版が出ると、S先生は使用テキストをノースウェスタン・ニューベリー版に変えることを決意され、最初の一行から翻訳の見直しを行なわれたばかりか、注もすべてノースウェスタン・ニューベリー版のものを翻訳し直されたのでした。つまり、翻訳の全作業を途中ですべて振り出しに戻すようなことまでされた上で、とにかく可能な限り最善の翻訳を出そうと努力された。もちろん、本作に関わる研究書はすべて読破され、そこからの知見を取り入れた多くの「訳注」も付けられたことは言うまでもありません。

 で、それだけの厳しい作業を経た上で、1985年に先生がこの作品の翻訳を志されてから14年目にあたる1999年、ついに『クラレル』は『クラレル 聖地における詩と巡礼』という標題の下、南雲堂書店より出版の運びとなったのでした。総ページ数982頁、電話帳のように分厚い、上品な薄緑色の函入り装丁で、本の扉には先生ご自身がエルサレムで撮影された、岩のドームにかかる虹の写真までついたなかなかの豪華本。とはいえ、これは自費出版ですから、出版にかかる莫大な費用の大半はS先生の懐から出たのでした。残念ながら我が国には、メルヴィルの大部な詩作品を商業出版として引き受けてくれる出版社など無かったし、またそれを享受する読者層もまた、さほど期待できなかったからです。


 が、それはともかく、14年越しの努力が実ったわけですから、S先生もさぞほっとされたことと思います。そして、そのことをお祝いすべく、私とT君は、ささやかながらお祝いの宴を催すことにしました。東京は初台にある東京オペラシティーの上階にある某レストランにS先生をお招きし、三人で昼餉をいただいたのです。

 で、その時、微々たるものとはいえ、先生の翻訳のお手伝いをしたことを労うという名目で、先生は私に一本のボールペンを下さったのでした。スイスの筆記具メーカーであるカランダッシュ製のゴールドの油性ボールペンで、これを先生は神保町にある筆記具の老舗・金ペン堂で買い求められたのでした。

 実は私は学生時代からずっと水性ボールペンの愛用者であり、黒いインクのボテの出る油性ボールペンを毛嫌いしていたのですが、このカランダッシュのボールペンはボテなど一切出ず、またその黒々としたインクの色に特徴があって、また手に持った時の適度な重みも快く、以後、私はこのボールペンを愛用し続けています。今となっては、これがS先生の形見のようなものだなと思いつつ。


 しかし、私のような部外者にしてみれば、「ああ、これで終わった。14年の戦いが終わった」とか言って、後は知らんふりを決め込めば済むわけですが、S先生は決してそうではなかったことを、私は後で知ることになります。

 というのは、幸いなことに『クラレル』の初版は数年のうちに売り切れてしまい、2006年に初版第二刷を出すことになったんですな。で、その第二刷の「あとがき」によると、第二刷では初版を50箇所にわたって修正・改稿し、また1999年以降に発表された3本の研究論文、1冊の研究書、そして『クラレル』についての論文を書いている人物を主人公に据えたポール・オースターの小説(The Brooklyn Follies)を参考にして注を増やした、と書いてあった。


 一度仕事をまとめられた後もなお、その成果をさらに良いものにするべく努力を続けること。S先生のお仕事の凄さというのは、実にこの執念にこそあったのでした。


 第二刷の「訳者あとがき」の末尾に、先に挙げたオースターの小説の主人公が、結局『クラレル』についての論文を書き上げられなかったことに言及しつつ、またS先生ご自身をも戒める意味も込め、先生は次のようにお書きになっています:


 物事を知らずにいること、行なうべきことを行なわずにいること、それも「人間の愚行のかずかず」に加えられるべきことである、と私はオースターに知らせてやりたい。(978頁)


 この言葉は、まさにこの種の愚行を繰り返すばかりの私の心臓に突き刺さってくるような迫力を今もなお持っていると、私は告白しなければなりません。(この項、続く)





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Last updated  July 27, 2011 09:01:24 PM
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