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August 1, 2011
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カテゴリ: 教授の追悼記




 先生のご自宅は、調布市の深大寺のすぐそばにありました。門前に十数軒も蕎麦屋が軒を連ねる、なかなか趣のある深大寺の前を通り過ぎ、ちょっと入った細い路地をしばらく行ったところにある先生のお宅は、木立と畑と点在する人家に囲まれた、東京の郊外にしても相当のんびりしたところにあって、先生のお宅自体も非常にのんびりした作りになっていました。

 まず玄関先に大きな「こごめ桜」(ユキヤナギの謂いではなく、本当の桜の一種)の木が一本。それを回って玄関に出るのですが、先生のお宅には呼び鈴とかブザーといった無粋なものは備え付けられていないため、来客はとりあえず玄関の戸を開け、そこに吊るしてある小さな鐘、「清風萬古」と書かれた鐘を木槌で叩いて訪問を告げることになります。私が先生のご自宅に顔を出すようになった当初、先生の書斎は玄関から延びる廊下の右手にあって、私が玄関に入ってやや遠慮勝ちに鐘を鳴らしながら、「先生、釈迦楽です」と言うと、その書斎から「ほーい」と声がして、やがてその声の主たる先生ご自身が現れ、私を招き入れて下さると、そんな具合でした。


 先生の書斎は、家の南側に広がる庭に面していました。その庭はかなり広く、私の見立てではざっと50坪くらい。少なくとも家一軒が楽々建つくらいの広さのある良い庭で、四季折々に咲く花々がごく自然に、というか、どちらかというと野趣溢れる体で植えられていた。また書斎のすぐ前辺りには池が掘られ、そこに数種の水生植物が植えてありました。特に鷺草が見事で、一度、この鷺草を一株分けていただいたこともあったのですが、残念ながら、それは申し訳なくも枯らしてしまいました。

 そんなお庭のたたずまいからも想像できるように、S先生は花がお好きでした。少なくとも、ご自分の庭にある草花の名前をよくご存じでした。先生はどんなことであれ、ご存じないものを見たり耳にしたりすると、必ず図鑑や百科事典や地図等で調べられ、決して曖昧にはされないのが常でしたから、お庭の草花についても、一つ一つ「これは何だろう?」と、図鑑などで調べられたのではないかと思います。

 調べると言えば、さすがに先生だなと思ったことがあって、いつだったか夏の終わりごろに先生のお宅に伺った時、お庭に沢山の草花が咲いていたので、そのことを私が口に出して愛でると、先生はすかさず「そうでしょう? 私は庭の花を数えたことがあるのだけど、比べたら春に咲く花より秋に咲く花の方が多いんですよ」とおっしゃった。

 自分の庭に、一体何種類の花があるのか、数えなくては気が済まないのがS先生でした。

 一方、私もまた、小さい時には動物学者になろうと思っていたくらいで、世界各地に住む野生動物の名はもちろんのこと、昆虫や植物についても図鑑をむさぼり読んで、名前くらいは大抵覚えていますので、時折先生から「あそこに見えるあの赤い花、あれの名前をご存じですか?」などと尋ねられ、「えーと、赤い花って、あのタチアオイのことですか?」などとズバリ正答し、しばしば先生を喜ばせたものでした。そういう点では、私は他の多くの客人よりも、先生のよき話し相手にはなっただろうと思います。

 ちなみに、先生と先生のお庭の関係については、先生ご自身が書かれた小説があります。それは前述した『腰に帯して、男らしくせよ』の中に掲載された「清風萬古たり」という作品なんですが、前にも言いましたように先生の小説は基本的にすべて私小説ですから、そこに書かれたことはほぼ実際に起こったことであり、その意味ではエッセイとしても読める。で、これを読みますと、この土地を手に入れられた先生が、家を建てるにあたって雑草とりをしようとし始めたところ、おそらくはすぐ隣にある酒屋さんが何年にもわたって捨てたと思しきゴミ・芥の類が土の中からぼろぼろ出てきて、それらを全部処分するため、1年以上に亘って庭中を隈なく掘り起こすことになった顛末を知ることができます。ですから今でこそ平和な花々の楽園たる先生のお宅のお庭は、実は、先生の苦労の結晶なんですな。

 ところが、先生はそれだけでは満足されなかった。一旦動き出した先生のスコップは、庭を掘り起こすことを止めなかったんです。 

 と言いますのも、ある時期から先生は南側のお庭を掘り起し、その地下に書庫を作る計画を立てられまして。それもすべて自力でなさるおつもりで・・・。といっても、地下に一部屋作るとなれば、相当の広さの土地を数メートルの深さですべて掘らなければなりませんから、これはものすごい労働量ということになります。

 それでも先生は黙々と庭を掘り始められた。その辺は、一旦こうと決めたらきかない先生のことですから、そのまま放って置いたら、本当に自力で地下書庫を作ってしまったかもしれません。

 しかしその計画は、どういう理由であったか忘れましたが、結局断念され、最終的には業者に頼むことになり、その地下書庫はプロの手によって完成したのでした。「私が何ヶ月もかかって掘ったものを、ショベルカーは見る間に掘ってしまうんだよ」などと、感心とも愚痴とも取れることをおっしゃっていたことを、今も覚えています。

 で、その完成した書庫には私も何度か入ったことがありますが、かなり大きな部屋(12畳くらいでしょうか)で、そこに可動式の書棚が何列も備え付けられ、そこに先生の蔵書がたっぷり収納されていました。そんな重厚なトーチカのような地下書庫を見るにつけ、S先生は本当にこういうものを自力でお作りになるつもりだったのだろうかと、私は少々呆れたものです。

 ところが、そんなところで呆れていた私は、まだS先生の本領を呑み込んでいなかったのでした。

 なんと、先生のご自宅には、南側の庭の下に完成した地下書庫とは別に、北側のお庭にもう一つ別な地下室があったのでした。そしてその地下室は、それこそ先生がお一人で、完全に自力で作ってしまった地下室だったのです。(この項、続く)





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Last updated  August 1, 2011 09:29:14 PM
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