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December 3, 2011
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カテゴリ: 教授の読書日記




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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
著者:増田俊也
価格:2,730円(税込、送料込)
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 木村政彦という人、名前を聞いて誰か分かる人ってどのくらい居るのでしょうか。昭和の怪物的柔道家にしてプロレスラー、かの力道山と日本人同士による頂上決戦に臨み、この試合にあえなく敗れたために歴史からその名を消すことになった悲劇の格闘家。

 この力道山と木村政彦の果し合いは、当時日本にあった2つのテレビ放送局(NHKと日テレ)の両方で放送されたため視聴率100%、日本中の人々を熱狂させ、力道山を昭和のヒーローに押し上げることになった試合であるわけですが、逆に言うと、もしこの試合で木村政彦が勝っていたら、木村こそが昭和を代表するヒーローになっていたはず。その運命の分水嶺ともいうべき試合を力道山サイドから検証した言説というのは既に山ほどあるわけですが、敗者・木村の立場から検証した本というのはこれまでなかった。増田さんの本のレゾンデートルは、まずこの一事にあります。

 で、そういう本ですから、本書は当然、まずは熊本が生んだ怪童・木村政彦が天下無双の柔道家になっていく過程を追っていくわけですが、これがまたすごい。

 熊本で貧しい川砂利採集者の息子として生まれた木村の素質を見抜き、彼を自宅に引き取って無敵の柔道マシーンに仕立て上げた男の名は牛島辰熊。この人もまた「鬼の牛島」の異名をとった天下無双の柔道家なんですが、1929年に行われた「第一回武道天覧試合」の決勝で不覚を取り、4年後の1933年に行われた第二回目の天覧試合の時は直前に罹患した肝臓ジストマのおかげで予選リーグ落ちすら突破できないという悲劇に見舞われる。で、これを機に現役を引退して拓大柔道部の指導者となった牛島は、自分が果たせなかった天覧試合での優勝の名誉を弟子に託すべく、地方を回って自分の後継者を探していた。そして、そんな牛島の目に留まったのが、若き日の木村政彦だったと。

 で、それからというもの、牛島は木村を柔道漬けにして鍛え上げるのですが、木村はそのシゴキに耐えたばかりか、さらにそれに輪をかけたような猛練習を自らに課す。拓大や警視庁や町道場で練習した後、ウェイトトレーニングで体を作り、銭湯に行くにもうさぎ跳びで行き、銭湯から戻る時もうさぎ跳び。巨大な庭石を投げ、同じく庭の巨木を相手に打ち込み数千回、ついには巨木も枯らすという凄まじい練習ぶり。この調子で毎日十数時間を柔道の練習一筋に打ち込んだというのですから、強くならないはずがない。

 ところで、当時の日本における柔道界の様子なんですが、現在のように嘉納治五郎の「講道館」一色というわけではなく、京都を中心とする「武徳会」と帝大柔道連盟による「高専柔道」も盛んで、この3つの団体が競い合っていた。それだけでなく、それ以前からある古流柔道も各地で盛んで、一口に「柔道」と言っても色々あった。

 講道館の柔道は、立ち技中心。きれいに相手を投げればそれで一本、おしまい、ということになるわけですが、西日本の柔道はそうではない。それこそ戦国時代の白兵戦の名残というか、殺す殺されるという中から生まれた武道であり、相手を完全に参らせて初めて勝敗が決するというところがある。高専柔道も系統としては西の系統というか、最終的に相手の息の根を止めるという意味で寝技に特化した柔道なんですな。で、牛島も木村も出は九州で古流柔道出身、所属としては武徳会所属で、しかも高専柔道の経験もあるのですから、もちろん立ち技も強いのですけど、寝技はそれにも増して強い。

 特に木村の場合、立ち技では大外狩りが得意技で、これで畳に叩きつけられると、相手はたいてい失神してしまうんですが、辛うじて失神を免れても、今度は寝技における得意技たる「腕絡み」が待っている。我慢すれば直ちに腕の骨が折れるというシロモノですから、もう「参った」をするしかない。

 で、師匠の牛島に鍛え上げられ、最強の柔道マシーンとなった木村政彦は、まさに師の期待通り、昭和12年の「全日本選士権」を初制覇し、さらに翌13年、14年も制覇して三連覇。そして昭和15年、皇紀2600年記念の天覧試合において、わずか42秒の秒殺で決勝戦を制した木村は、師の牛島辰熊が成し遂げられなかった天覧試合制覇を決め、柔道家としてキャリアの頂点を極めると。

 とまあ、このあたりまでが柔道家・木村の人生の最も明るい部分でありまして、ここから彼の人生は少しずつ軌道を外れていく。

 その手始めは戦争です。第二次大戦が始まって、木村も兵隊にとられてしまうんですな。20代半ばという、柔道家として最も充実しているはずの時期を、彼は無為に過ごさなくてはならなくなるわけ。

 そして戦後。GHQの命令で武道が禁じられ、スポーツ化を宣言した講道館だけが辛うじて生き残る一方、武徳会も高専柔道も解散・衰退の憂き目にあい、師匠の牛島の時代から講道館と対立してきた木村は、活躍の場を奪われるんですな。いや、活躍どころか柔道家としては糊口をしのぐことも出来なくなった木村は、ついには家族を養うために地元で闇屋をやるくらいしか生きる道が無くなってしまう。

 そんな中、牛島が提唱した「プロ柔道」に誘われた木村は、一時、プロの柔道家として興行することもするのですが、当時肺結核を患っていた斗美夫人の薬代を稼ぐという名目もあって、誘われるがままに別なプロ柔道の旗揚げに携わり、ハワイへの遠征を決めてしまうわけ。

 おそらく、師を裏切ってのこの木村の行動は、長年牛島の言うなりに血の滲むような努力をしてきて天下を取った後の慢心の顕れでもあり、またもともといたずら好きでいい加減なところのあった木村が、戦争中、師の監督下を離れていた後、再び、師のもとで辛い練習に明け暮れることが嫌になったということでもあるのでしょう。とにかく、このことを機に牛島と木村の絶対的な師弟関係が崩れるんです。

 かくして、柔道家であると同時に思想家でもあった牛島とは異なり、強い柔道家になるということ以外、思想的なバックグラウンドのなかった木村は、師匠による制御を振り切った後、持ち手のない風船のように、運命に翻弄されるまま、ふらふらと行当りばったりに生きていくことになる。そしてこの時から、あの力道山戦へと続く木村の悲劇が静かに幕を開けることになるんです。(この項、続く)





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Last updated  December 3, 2011 08:49:10 PM
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