city girlさんへ

 おお、そうでしたか。それでは直に小野寺先生のことをご存じだったのですね。

 偉い先生というのは皆そうですが、そういう先生に限って偉ぶらない。いつもニコニコしていて、丸みがあるのだけれど、しかし文学に関しては一本芯が通っているというか、ぶれない何かを持っていらっしゃる。

 小野寺先生も、そういう優しさと自信とを併せ持ったいい先生でしたね。ご一緒に御冥福をお祈りしましょう。 (March 22, 2018 11:02:57 PM)

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釈迦楽

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January 9, 2018
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カテゴリ: 教授の追悼記
今朝の新聞の訃報欄に横浜市立大学名誉教授、小野寺健(おのでら・たけし)先生の訃報が載っておりました。享年86。亡くなられたのは今年の1月1日だったんですね。

 小野寺先生はジョージ・オーウェル、アニタ・ブルックナー、E・M・フォースター、イーヴリン・ウォー、マーガレット・ドラブル、そしてカズオ・イシグロなどの翻訳でも知られた英文学研究の泰斗。この世代の英文学の教授では珍しくありませんが、研究に占める翻訳の割合が大きく、優れたイギリスの文学作品を日本の読書家に紹介することに意を用いられた先生でした。それだけ文人肌の強い先生だったと言えるかもしれません。


 私が小野寺先生と初めてお会いしたのは大学院生の時で、小野寺先生が私の通っていた大学の大学院に教えに来ていただいていたのが縁でした。私の代の英米文学研究科は同期が5人居たのですが、その5人で先生の授業を取らせていただいたのを覚えております。有名な先生でしたから、我々としても喜び勇んで先生の授業を取った、というところがありました。

 で、先生は我々大学院生を、上から教える相手という風ではなく、いわば同じ道を歩む後輩として接してくださっていたところがあり、学期の最後の授業では、我々を引き連れて食事に連れて行って、そこで授業では収まらないようなお話を縦横にしてくださるのが常でした。

 小柄で、丸顔で、いつも笑顔を絶やさない先生は、しかしいざ文学の話になるとなかなか手ごわいと言いましょうか、院生の生意気な意見をうんうんと言いながら聞いてくださる時もあれば、納得できないようなことを我々が言い出すと、「いや、そうかな?」と、我々の論点の矛盾を突き、鋭い突っ込みを入れて若造どもをぎゃふんと言わせる、そんなところがありました。

 しかし、なによりも私が先生に親しみを感じるのは、文学がお好きだった、という一点。先生は英文学をこよなく愛され、それを論じて倦むところがなかった。楽しくて楽しくて仕方がない、と思っていらっしゃることがそばにいるだけでわかりました。文学に対して邪念がないと言いましょうか。

 特に先生は、繊細な心の綾を紡いでいくような文学作品がお好きで、それゆえ、特に女性作家がお好きだったのではないかと思います。我々が先生に教わっていた頃は、アイリス・マードックとかマーガレット・ドラブルといったあたりにご執心で、特にドラブルの作品を随分読まされた記憶があります。そんなことでもなかったら『碾臼』とか『黄金のイェルサレム』とか『ピムリコの菓子』とか、そんなドラブルの作品を私が読むとは思えない。ドラブルなんてのは私の趣味では全くないのですが、小野寺先生が面白い、面白いとおっしゃるので、それに背中を押されて読んだ、というところでしょうか。でも、そうやって小野寺先生の薦められる本を読み、先生の文学談義を聴けたことが、今でもいい思い出として私の中にあります。

 先生は英文学で、私はアメリカ文学が専門ですから、大学院を出てからは、直接先生と関わることはあまりなかったのですが、先ほど言った同期の5人のうちの一人がホテル・オークラで結婚式を挙げた時、先生と私もその結婚式に呼ばれたもので、そこで久しぶりに先生とお話しする機会を得たことがありました。

 その時、先生と何をお話ししたかはすっかり忘れてしまいましたが、一つだけ印象に残ったことがありまして。

 結婚式の後、先生と私と二人だけで地下鉄の駅の方に歩き出したのですけれども、実は先生も私も極端な方向音痴だったんです。

 それで私は「先生の歩いていく方向に行けばいいんだ」と思っていて、先生は先生で「釈迦楽君は道を知っているのだろう」と思っておられて、それで結局、いつまでもグルグル歩き回って全然駅に着かなかったという。しまいに、「釈迦楽君、ここはさっきも通ったんじゃないかね?」みたいなことになり、二人で大笑いしたことを、本当に昨日のことのように思い出します。

 それからまたしばらく時間が経ち、2002年に私が初めての研究書を出版した際、不覚にも先生にそれをお送りしてはいなかったのですが、先生はどこかで拙著を読んでくださったようで、「釈迦楽君の文章はいいからなあ」と褒めてくださっていたと、これは人づてに聞いたことでした。先生の直接の教え子ではない、ただ大学院で先生の謦咳に触れただけの私を覚えていてくださったばかりか、お褒めの言葉までいただいたと聞いて、私は欣喜雀躍したのでした。先ほども言いましたが、先生は文人肌のお方だったので、その先生に文章を褒められるのは、この上ない名誉であったからです。

 横浜市立大学を定年でお辞めになってから、文化学院や、各種文化センターなどで文学を講じていらっしゃると聞いていたこともあり、まだまだお元気なのだろうと勝手に想像していて、そのうちにお会いしたいものだと思っていたのですけれども、結局、その後お目にかかる機会もなく、この日を迎えてしまいました。今思えば、せめてお手紙でも差し上げていればと、残念でなりません。


 先生の数多い御著書の中で、今、推薦するとしたら、やはり晶文社から出ていた『イギリス的人生』がいいのではないかと思います。これはイギリス的感性と先生の感性がマッチしたところから醸し出される好エッセイでありまして、イギリス文学伝統の散文芸術を体現したような本。

 実は私がこの本を入手した道筋はちょっと変わっていて、十年ほど前に八ヶ岳(小淵沢)で遊んだ際、名古屋に戻る前に「カントリーキッチン」という地元のレストランで夕食を取っていたのですが、会計を済ませようとしてふと見ると、レジの前に何冊か本が置いてあって、「食事をされた方は、どれでも一冊、お好きな本をお持ち帰りください」と貼り紙がしてある。で、おや、どれどれ、どんな本があるのかな? と思って置いてあった本を眺めていたら、この小野寺先生のエッセイ集の美本が鎮座していたんです。私がそれをひったくるように持ち帰ったことは言うまでもありません。

 おそらく八ヶ岳あたりに別荘を構える老紳士が、この本を蔵書に入れていたものの、その後、その方が亡くなり、蔵書の処分に困った遺族が、レストランのオーナーに頼んで、そんな風に処分をしたのではないか・・・。これは私の勝手な想像ですが、もしそうだとしたら、これはまた実に小野寺先生のエッセイ集にふさわしい成り行きであり、またそれが偶然、先生のことを知る私の手に落ちたのであれば、これもまた面白い成り行きであったと思うのです。このことを、先生にお伝えすればよかった・・・。



【中古】イギリス的人生 (1983年)

 私は今、この本を手にしながらこれを書いているのですけれども、今日はこの後、この本をしばし再読して、今は亡き、懐かしき小野寺先生のことを偲びたいと思います。先生の温顔を思い浮かべながら。合掌。





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Last updated  January 9, 2018 03:14:22 PM
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Re:追悼・小野寺健先生(01/09)  
city girl さん
初めまして。

小野寺先生の訃報を本日初めて知り、検索しているうちにこちらのブログにたどり着きました。
私は大学時代、小野寺先生の英文学の講義を受けました。

今も先生の格調高い講義の内容、お声やお姿をありありと思い出すことが出来ます。

本当に残念です…ご冥福をお祈りしたいと思います。 (March 22, 2018 04:31:07 PM)

Re[1]:追悼・小野寺健先生(01/09)  

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