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なんだか1日、きゅーーーっと仕事をしていたら、脳みそが縮んだまま元に戻らなくなったような感覚に陥り、とても家にまっすぐ帰れそうになかったので文字どおり、同僚といっぱいひっかけて帰ってみたらもうたまことシャチョーは寝ていた。寝室に入ってみたら、仰向けになって熟睡しているシャチョーの腹の上で、たまこが、うつぶせになって寝ている。。。。カバの親子みたいで、笑ってしまった。一生懸命、寝かし付けてくれたんだろうな。ありがとうシャチョー。久しぶりにバーのカウンターみたいなところでちょっとおいしい物を食べ、お酒を飲んで(でも後半は母乳を意識して水。コオリミズ。ああ、、、、早く思いっきり飲みたい!)いるところへ、常連さんがきて初めましてのおしゃべりをしたりして、そういうことすべてが久しぶりなので、ああ、昔こういう世界にいたなあとしみじみしながら飲んでいた。水を。なんというのか、男と女の会話ともうしましょうか、世代をあてっこしたり、ちょっとしたことで盛り上がりのメリハリを付けた気のきいた会話、みたいなのが飛び交う中に、本当に数年ぶりに座ってたのですが、いやー、びっくりしましたね。働かないのです、頭が。そういうシャレた会話にスピード、発想ともについていけなくて、ひとりスッピンで(いや、もうほぼこの時間、実際に眉もすっかり麿となり、スッピン同然ですが)座っている感じ。しゃべっている相手の顔とか、会話上手なかわいい同僚の横顔をじっくり見てしまったりして、なんだか我ながら本当に違う星から来たようだった。うーーーーむ。おりてるなあ、いかんなあ。別にそういう緊張感はいままったく必要としていないので、久しぶりに海に潜ってきたような、そういう新鮮な気分で今はいるのだが、そういう、ピアノ線の上を歩き回るようなハレの時間というか、外に打って出る時間って、やっぱり少しは必要なのかしら。必要とさえも思わなくなっている、これってやっぱりやばいかしら。といいつつ、急いで帰ってカバの親子をみつけてすっかりなごんで、またこうして、昼間さんざん向かい合って疲れはてたはずのパソコン画面に向かっている。忙しいのは、怠惰の言い訳です。と、糸井重里さんが書いていて、すごく感心したのだが、本当に、いくら物理的に忙しくても、本当はできないことなんてなにもないはず。すべては、いま、いま、いま、なにをするか。そのとき、何をするのか。その積み重ね。ときおり、呼吸を確かめながら、自分を確かめる。といいつつ、今日も浅かったなあ、吸うほうの息も、吐くほうの息も。
2004年09月21日
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今日会った30代の女性は、なんと政治家だった。セクハラから後援会との付き合い方まで、聞けば聞くほど、特に日本の女性政治家って、本当に大変な世界に生きているんだなということがよくわかったのだが、面白かったのは、相手がどれぐらい自分に会うのを楽しみにしてくれているか、あるいは義理で会ってくれているのかが見分けられる方法があるのだという。それは、女性だったら、アクセサリーなどの装飾品、男性は、ジャケット。相手を思う気持ちがそういうところに出るのだそうです。ひえええええ。その人のワクワクが、女性だとアクセサリーに、男性だと、ジャケットなどの装いにちゃんと出てしまうのだそうだ。お義理の人は何もつけてないとか、上着がないとか、とにかく「ない」んだって。なるほど。むかし雑誌で見たノーアクセサリーのスタイルに憧れが残っていた上に、このごろ、たまこに片っ端からとられるので何もつけないことが多かったのだが、ちょっと考えさせられた。政治家が会う人たちが住む世界のこととはいえ、確かに自分のためのみならず人のためにちゃんと装わなくてはいけないなあと思う今日この頃ではありますが、アクセサリーさえもメッセージのうちだったということにいまさらながら思いがいたった。外側からも自分を創っていかないと、人は見た目、というのは本当にそうだと思う。ふう。思えばノーアクセサリーも、そのほかの服とか姿勢とかがびしっと決まった上での、引き算なんですわな。でも、きらきら輝いている彼女の言葉で1つ気になったのは、その人も子育て中だったのだけれど、「どれだけ働く母親がしんどい、つらい思いをして子育てをしているかを、世の中に伝えていきたいんです!」というそのスタンスだった。もちろん、つらいこともあるかもしれないけれど、それよりも、楽しいぞ、幸せだぞ、面白いぞっていうことを伝えていった方が、幸せな母親や父親や子どもが増えることにつながると思うんだけどなあ。もったいないなあ。政治っていうのはやっぱり欠乏と変革を訴えていかないと支持を得られないのかしら。考えさせられます。ちゅうわけで、少し外見についてお勉強しようと思います。じゃらじゃらすればいいってもんでもないでしょうしな。
2004年09月10日
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たまこの咳が、お盆以来ちっとも抜けなくて、さすがに気になって、やっと今朝医者に行った。夏風邪かなあ、と思っていたら、なんと言われた診断は「アレルギー」。ハウスダストかダニか、でしょう。いや、きれいにしていないとかそういうことじゃないんだけど、布団もほこりがたまりやすいし、まめに掃除機をかけたりしてあげて下さい。そう言われて、思わず思い当たることがあり過ぎる母ちゃんだった。ごめんよたまこ!とくにこのところ雨ばかりで湿気もいっぱいだったしなあ。さっそく、たまこをそのまま保育園に送り届け、家中の水まわりの掃除をしてから出社。でも時すでに遅く、たまこはさっきも寝入りばなに咳き込んでいたので、久しぶりにホメオパシーだ!と思ってAnt-tを飲ませたらさらに咳き込んではいてしまった。これって、好転反応なのかしら。それでおさまったんだけど。私も成長し、やたらと飲ませることはこのごろなくなっていますがそれにしても。ともかく、本当に、母親の状態がそのまま子どもに出てしまう。ちょっととどこおると、あせもとか、咳とか、いろんな形でそれは出てくるのだった。機嫌がいいのが救いなんだが、つらそうでかわいそう。。。。本当に、まだまだつながっているなあ、とつくづく思う。ホメオパシーよりも何よりもまず、自分をととのえなくては。というお話なのですな。この間の週末は、久しぶりに整体に行った。そうしたら、左脳の使い過ぎで体のバランスが崩れているといわれた。「1日のうちの20分ぐらい、音楽を聴いたり、右脳を使わないと、このままいくと左脳がハタンしますよ」「え? 右脳が使えなくなるとかいうことではなく?」「いや、論理的思考力がハタンするんです」ひいいい、ただでさえ、論理的思考力が苦手だというのに。いや、苦手だからこそ日々テンパっているのが、そのまま出ているんですね。左脳を使い過ぎている人は、右手の親指周辺がガチガチだそうです。たしかにそうなのだ。腱鞘炎だと思っていたら、そうではなかったらしい。右手の親指周辺がカタい方、意識してほぐしつつ、音楽聞いてぼおおっとしましょうね。あした9月9日は重陽の節句といって、菊の節句。お酒に菊の花びらを浮かべて飲むといいそうです。私は昨年、菊を買いに行って、何に使うのかと聞かれて酒に浮かべると答えたら、お花屋さんが喜んで、そこにある咲いてしまった菊を持っていっていいわよ!と100円でたくさん分けてくれた。今年は最初から、咲いてしまった菊を探しにいこうかな。何か菊に喜ばれそうな感じがしてすてき。こうやって自然とか花とか(酒とか?)、大きなものに自分を開いていくところから、だんだんリズムが整ってくる、そういう考え方が好きです。◎久しぶりだぜ、本日の分かち合い◎「クリエイティング・マネー」 サネヤ・ロウマン(マホロバアート)以前、ばななさんの日記に出てきて面白そうだなあと思って、探していたけれどなかなかなかったのが、やっとおととい本屋で見つけて買えた本。豊かになるとはどういうことか、が書かれていて、とても面白いです。分厚くてエクササイズがたくさんあるので、なかなか進まないんだけれど、読んでるだけで気持ちいい。「あなたが豊かさの源泉です」というのは、よくいろんなところで言われているのでふむふむと読んでいるだけだったのですが、お金があったら何をしたいか、ということをイメージして、そのしたいことをいますぐやり始める、というのはすごく考えさせられた。要するに、お金があったら、たとえば自由になりたいとか、のんびりしたいとか、自分のビジネスを立ち上げたいとか、時間に使われる側から使う側に回りたいとか、そういうことだったりするんだけど、それって、お金がたくさん入るまで待つ必要はないこと、だったりするわけだ。だから、いつか豊かになったらこうしたい、と思うことは、いますぐ始めてしまえば、お金はあとからついてくるんだそうです。うーん、そうかもしれない。面白いなあ。よく思い出すのは、大好きなベン・オクリという人の小説「見えざる神々の島」に出てくる、雲の上を歩くシーン。歩けると思う人はすいすいと歩けるんだけど、怖がったり、歩けないと思ったとたん、そこから落ちてしまう。そんな雲の上の話がすぐに文字どおり雲の上の話になりがちので、忘れずこまめに歩くようにしたいものです。
2004年09月08日
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うわーーー。ごぶさたし過ぎて、何が何だかもうわかりません。あっという間の4カ月間。マコ先生やオープンハートさんも書いてますが、人間、出さないと、くさります。暑い暑いこの夏の間に、すっかり腐敗が進んでおります。いかんです。というわけで、また少しずつですが再開します。お休みしようとしてしていたわけではないけれど、その間にトラックバックとかコメントとか知らない機能が増えていて、ちょっとこわくなっちゃったというのもあり。というわけでせっかくの多機能もよくわからなくてあんまり使いこなせないと思いますが、すみません。ここ3カ月は、新しい雑誌を作る仕事をしている。ことがらや言葉が集まってきて何かを伝えていこうとする新しい場所を作る、それがすごーく楽しくて、すっかり没頭していたのだが、なんていうのか、場所を作るということは、その場所を利用したい人のエネルギーをも受け止めるということで、これが意外に無意識の中でストレスかも、ということに、10分ほど前、気がついた。とても思い上がった話なんだけど、とりあえず感じたままに書いてみる。場所を作るためにはいろんな人にお願いごとをして、いろんな人の才能を分けてもらうことでその場所を作り上げていこうとしているから、どんな人に対してもまずはとにかく聞くこと。これが第一歩になる。何がしたいのか、何を一緒にやっていけるのか、何をしたらいいのか。とにかく耳になる。そうすると、みんな安心していろんなことを教えてくれるし聞かせてくれるし、思いをぶつけてくれる。でも、ここ3カ月、毎日毎日いろんな人の話を聞き続けてきて、その言葉たちはもしや、その場所のため、ではなく、その人自身のためなのか?ということを急に感じた。冷静になってみれば当たり前かもしれないんだけど。みんな自分のために仕事をしていて、たまたま縁があった人が同じ場所でその力をそれぞれ発揮していく、そういうことなのかなあ、仕事って。なんかもう少しビジョンとかがあって、それを共有しながら一つの物を作っていく、そんな仕事ってできないものかな。これからの仕事って、そういうものなんじゃないか、っていうか本当に何かを伝えていく、変えていく力を持つ仕事って、人がそういう風につながったときにしか生まれてこないのではないか、と思うんだけど。イケテないのは、私の力がまだまだ足りないということなのでしょうなあ、やっぱり。でも、仕事の途中でこういうもやもやを感じるのはいい傾向で、ここを抜けると、また違う景色が見えてくる、そういう段階まで来ているということでもある。私は、そこで仕事をしたい人のためにその場所を作っているわけではないはずなのだ。ではいったい何のためなのか。テーマや形は何でもいい、書く人も書かれる人も読む人も、体験してしまった後では、体験する前と違うように世界が見えてくる、そんな場所を作りたいのだ。そういう意味でやっぱりマドレの世界は私にとって常に昼夜問わずお空で輝く大事な存在だ。月はどっちに出ている、っていう、感じですね。一緒に研修を受けた4期生のみんながあまりにどんどんきれいに美しくなっていくので、最近は日記や写真でしか会っていないのですが、まぶしくて本当にパソコン画面も直視できません。真剣さが違うし、すべては自分のため、というところをちゃんと踏まえた上でそこを突き抜けている。遊びじゃないのに遊んでるよーにしか見えない部分があるところもすごい。うん。。。。あ、shim…さんを思い出したわけじゃあ、決して、ないです。と、昼間、たくさんの人のオレオレエネルギー照射を受けてちょっとぐったりしていたはずの私が、やっぱり確かに書いている間にすっきり、楽しくなってきた。たくさんの矢印はさくっと抜いて、カノウ姉妹のようにバラに包まれて寝ますわ。
2004年09月01日
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