Eu sou eu (私は、私)
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正式に離婚届けへサイン・捺印するよう、納得させるまで根気が要る日々だったけど、なんとか説得し、晴れて離婚した。離婚を期に子供たちを連れて、関東地方へ引っ越した。子供たちと、三人での生活。もちろん、不安は大きかった。しっかり食べさせていけるのだろうかと、不安を顔に出さぬように振舞った。生活面での不安にあわせ、借金も120万近くあった。借金を全て引き受けてまで離婚したかったのだ。新しい職につき、その給料で以前住んでいた町のIターン援助金の一部、40数万を返済。そのほか、車検費用及び食料を立て替えてもらっていた知人に約45万、その他にMが一時帰国のときに持ち帰ったミキサーテーブルとパソコンのローン十数万と引越し費用・・・ええ、払いましたとも!知人や町役場へは分割払いをお願いして毎月の給料から食費だけを残し、全部送った。更に、離婚と帰国を納得させるために提案したブラジルの大学費の援助、月3万円を2年間送り続けた。約束では、働きながら生活費を稼いで、学費は私が送ることになっていた。大学は、2ヶ月くらい通っただけで、学費払えなくて退学。後に聞いた話では、母親との共同生活が嫌で不満を撒き散らし、自分の「キャリア」には、賃金が低すぎるとか大ぼらばかりほざいて、仕事を選びすぎ、職にも就けず母親に愛想つかされて、出て行かれた。食事の世話になっていたのが、無くなったものですから一日二回外食で、ビール付。・・・それじゃぁ、学費も無くなるわけだ。それを知らずに、月3万円~送り続けた。二、三回7~8万円送ったこともある。ブラジルの生活費、一般家庭で(2~3人くらい)の生活費だけだったら、月3万円で十分のはず・・・どうりで、羽振りが良かったはずだ。こちらでは、私立高校へ通う娘の学費も危うくなるような有様だったのに、よくもまぁ、そんな生活ができたものだ。Mの妹に電話した時に、その生活ぶりの話が出て送金していることを言ったら、送金を止めるように忠告された。「大の大人、それも健康な大人を養うことは無いし、子供二人引き取ったあなたが送金することは無い。」とね。送金を止めると伝えたら、そこでまた一モメありましたよ~そりゃあ、金づるがなくなるんだもの。訴えるだの、どーのこーの・・・・・・ははっ、大学資金援助?信じた私が、バカみたい。でも、2年間仕事づけで送金や借金返済してかなりきつかったけど、やっと、あの変質的な束縛と理不尽な結婚から開放されたと思っただけで報われたものだった。一歩踏み出す勇気が無かったら、今がどうであったのか想像もしたくない。最初の一歩を踏み出す勇気を持てて、良かった!私自身にも、子供たちにも、絶対良かった!
2006.03.03
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