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以前の日記でJam Dropsのレシピを紹介したのですが、その後ようやく「これだ!」というレシピが見つかりましたのでここに載せておきます。英語だと読みづらいかな?と思ったので、日本語に適当に訳しました。ただ、日本だとself-raising flour(セルフライジング・フラワー◆ベーキング・パウダーと塩があらかじめ混ぜて市販されている薄力粉)やdesiccated coconut(乾燥して、粉状になった・・・粉よりも大きいか)って入手できるのかなぁ?豪に住む人向けになっちゃうかもね。レシピのカップは、オージーサイズ(=250cc)で計算しております。この分量ではかなりの量に(パーティ・サイズ)なるので、半分でも良いかも・・・2カップ self-raising flour 1カップ desiccated coconut 1カップ white sugar (あればcaster sugar) 200g butter, melted 1/4 カップ milk 1/3 カップ plum jam (US jelly) or any other dark coloured jam(私はイチゴジャムを使用) 1. トレイにバターorオイルを塗る。オーブンを180度に余熱。2. 振るった小麦粉、ココナツ、砂糖を大き目のボウルに入れてよく混ぜ合わせる。3. 混ぜ合わせたものに、溶かしバターとミルクを加えてよく混ぜる (この際、少々粉っぽくてもオーケー。目安は、手の暖かさで生地がしっとりとする感じ。 もしあまりにも粉っぽさが残るようなら大さじ1か2杯のミルクで調整するけど、加えすぎに注意)。4. 生地を大さじにとって手で丸め、丸いままトレイの上に載せる。焼いている最中に生地が広がり 平らになるので、生地と生地の間を7センチほど開ける。5. 一方の手でボール状の生地を押さえ、もう片方の手で木杓子の端を使って生地に押し込み穴を作る(約5ミリ)6. スプーンにジャムを取って、指を使って穴の1/4分ジャムを流し込む(入れすぎるとジャムが流れるので注意)7. オーブンにビスケットを入れ生地が黄金色になるまで焼く(目安15分)8. 焼きあがったら、オーブンより取り出し、焼きあがったビスケットに残りのジャムを直ちに追加する。9. 追加したジャムが固まったら、ワイヤ・ラックに移して冷ます(写真のように)出来上がり~熱々も美味しいけど、冷めても美味しい~実は昨晩作ったので、今日のCのランチに持たせ、自分達もモーニング・ティーで楽しみました。
2009年04月30日
先週末は腰の調子が良くなくて、電話する気力が沸かなかった。腰の調子は少し落ち着いてきたかな・・・?なので、実家に電話したのだが・・・前回電話したときより、母親の声が暗い。彼女とは少しだけ話して、すぐに姉と代わった。新しい抗がん剤の副作用が強いらしい。気分がすぐれず、食欲もなく、更に指先なども割れて薬など自分では開封できないらしい。・・・1クルー目の抗がん剤は、(髪の毛は抜け落ちたけど)お陰さまで副作用も少なく元気だったので、ショックだった。。。健康な細胞にも影響が出ているのだから、これで、がん細胞にもちゃんと効いてくれなきゃ!と祈らずにはいられなかった。・・・心を強くして、帰国しないとな。神様、私をどうか支えてください。
2009年04月29日
腰は回復する気配がなく・・・消炎剤を摂り、夜にはパナディン・フォルテの1錠を摂っています・・・じゃないと、痛みで眠れないという・・・参った。さて、頭のほうは、歯痛のほうはかなり落ち着いて殆ど意識せずに済むようになって。本当に痛むのじゃなく、旅行の件で悩ませている状況。。。悩みの種は東京の滞在について。東京に知り合いはいる、色々雑用もある・・・でも滞在期間が限られている。以前だったら、ちょっと無理しても大丈夫なのだけど、現在、腰に爆弾だし、おまけに足も・・・ね。ジーニーからは30分以上歩くのは止めた方がいいと思うと言われ、それ以来体力が向上したわけでもないし。歩く事が腰痛にもつながるし・・・かといって、お金に困らなければ、宿泊先も取って・・・となるけど。最初は、友達のところにお邪魔するけど、そうそうも悪いし。日本を発つ前日に東京に来て一泊するのだけど、それでもまだなので。。。もう一泊しようかしら???うーん・・・望遠で撮ってみた蟹の写真。これから、お風呂にはいって寝ます。腰を温めてみますわ。
2009年04月27日
ANZAC Dayもあったりするので、長い週末なのですわ。今朝エックスから電話があり、もう既にCがバスでこちらに向かっているとかで・・・その電話の30分後にはやってきた。あ、でももともと金曜日には戻ってきたいと言っていたので、想定内だったけど。天気も良かったので、週末のサーフィン・・・とみんなでビーチへ出かけた。ダーリンのベスト・ショットCのベスト・ショットCのメイトのエアリアル。見えるかな?やっぱりこのズームではクロップしても限度があるし。日本に帰ったら、もっと良いズーム・レンズを買うのだ!が、この撮影中に、猛烈な腰痛に襲われて・・・そう、忘れていたヘルニアの痛み。夏の間、腰の調子はメチャクチャ良くて、ひょっとして完治したのかな・・・なんて思っていた。忘れかけた亡霊がひょっこりやってきたので・・・何だか、治ったと思って嬉しかった分、また昔の痛みに再会して、ガッカリした気分。気長に付き合っていくしかないのね・・・
2009年04月25日
日本から送った荷物整理がひと段落ついた。後はおいおい・・・とりあえず、今のウチに捨てられそうなものを捨てておいた。整理していく中で、気になっていたものを発見!ジョン・カビラさんのサイン入り葉書。東京にいる頃、"Good Morning Tokyo"を聴きながら出勤の支度をするのが日課だった。時々熱くなることはあっても、ジョンさんは結構落ち着いた感じで、ユーモアもあり、朝から程よく知識も刺激されて、お気に入りの番組だった。で、ダーリンとの長距離恋愛時代、番組の企画で旅先から"Good Morning Tokyo"へ葉書を出す・・・というのがあった。普段はGW中は金沢に帰省するの常だったけど、ダーリンと会った後、初めてゴールデン・ウィーク中に、ダーリンに会いにオーストラリアにく機会があり、折角だし・・・と葉書を送ったのだな。日本に帰って、そんなこともすっかり忘れていた朝、自分の葉書が読まれてビックリ!しかも大したことも書かなかったのに(半分はノロケ)だったのが、羨ましがられて絶叫された・・・という。まーバイロン・ベイの雰囲気で、イルカがサーフィンしている写真の葉書を送ったから、そりゃー羨ましいか。でも、まさか読まれるとは思っていなかった(なのでお気楽に書いた)・・・そんなもの?で、カードはお礼だったのだな。が、この半年もしない内に、ダーリンの元へ行ったので、東京のアパートを引き払い、荷物の残りは実家に送ったり・・・とバタバタしていた。この葉書の所在を忘れていたのね。実に、目にして見たのが7年ぶりかーーー懐かしい!でも、もう"Good Morning Tokyo"やっていないのか・・・ん、誰か代わりの人が担当しているのかな・・・里帰りしたら、久しぶりに聞いてみようと思っていたのに。残念。調べてみたら、現在金曜日の朝だけジョンさんが担当しているのか。日本滞在の最後、木曜日東京に泊まるから、朝聴けるじゃない!おお、チェックしてみよう。
2009年04月24日
二ヶ月ほど前の日記に載せて以来、一度も途中経過を載せなかった、カボチャ。その後順調に育って、これが3月12日その5日後3月17日1週間ほど前に収穫となった。そのときの写真は撮らなかったけど、1キロ以上はあったと思う。パンプキンパイを作ったところ、材料が揃わなかったのでテキトーに作ったら、出来上がりはイマイチ。ダーリンには「僕のほうが、もっと美味しく作れる」と言われる始末(ムッ!でも、彼は昔ベジタリアン・レストランを経営していたので、パンプキン・パイはお手の物だったそうな。ま、一度も作ってくれたことがないから、幻のパイだけど)半分以上残ったカボチャをどうするかーと・・・と考え付いたのはパンプキン・ポタージュ。参考にしたレシピはこちら。Cがいないから、この分量でも良かったけど、倍の量にして作った。何故なら、日本行きが迫っており、私が不在の間にダーリンとCが食いつないでいける余分な料理をこれからは作っていかないと・・・かぼちゃを裏ごしにした時点で取り分けて、冷凍保存に。しっかし、日本に行っても、私、実家で「お三どん」をする予定ですので・・・料理してばっかり!このスープの味はおいしい!とダーリンより大絶賛。パイのリベンジができたぜぃ。自家製カボチャの味が良かったのが一番の収穫だと思う。ちなみに、次の実も順調に育ってきているので、次はダーリンご自慢のパンプキン・パイを作ってもらうことにしようっと!
2009年04月22日
最近、色々忙しくて更新が滞っております。。。色々日本行きで調べ物があって。昨日以来また天候が悪化したので、ダーリンは(07-08年)タックス作業でもするかと始めた。が、すぐに私へ呼び出し。書類がないって・・・その年は、バイロンの家を売却した年なのだけど、それに絡んだ書類が見事にない!どーも、何かに必要で、抜き取ってそのまま・・・の線が強いのだけど、何せ売却は07年の9月・・・ダーリンは、慢性疲労・・・のため記憶力の低下が激しいので絶望的なのだけど、1年半前のことはさすがに私の記憶からも・・・しかも1ヶ月ほど前に、ダーリン・オフィスを整理していたからな・・・ということで、ダーリンは自分にも腹立つようで、かなり悪態をついていたのだけど、これが・・・聞いていてもあまり気持ちが良いものではなかった。ま、自分で後で反省して謝ってきていたくらいだが・・・私は、久しぶりに私の名前とエックスの名前を言い間違えられたほうが、もっとムカついたけど。「間違うな!」と言って終わるつもりが、言い訳をするのにさらにムッとした。何でこっちの人って、「ソーリー」だけで終わらせないのじゃ。続けて言い訳をするのがますます腹が立つ。私は「愛は寛容なり・・・」とそれ以上グチャグチャ言いませんでしたが。昼までが書類探しに費やし、成果が出ず、それで、ダーリンはやる気損失でゲームへ(爆)ま、夕食で再び話題にし、再び一緒に探したら、多少役に立ちそうな情報は出てきたのでホッとした。
2009年04月21日
ジーニーのマッサージが終わり、次のダーリンが施術にはいっている間、今度の日本行きの際に姉からリクエストで、彼女の旦那様のパーカーを求めに、バイロンの店をあちこち見て回った。火曜日、歯医者に行ったついでにサーフィンショップに行って偵察してきた。で、大体目安はついてきたのだけど、ダーリン曰くバイロンにはお店がサーフィン系ブランドのお店がいっぱいあるから、バイロンで買ったほうが良いのでは?というのと、具体的にどういうタイプが欲しいのかという連絡が遅れたので、今日まで待ったのだな。バイロンでは-Bay Action-E-scape Byron-Billabong(いわずもがな、ブランド専門店)-Quicksilver(こちらもブランド専門店)-Longboardっつうお店でチェックした。が残念ながら、お義兄さんの好みではグラフトンで見たCity Beachのほうが良さそう・・・バイロンはやはりバイロンらしく、ちょっと奇抜系なものが多かったため。まー元ヒッピータウンなだけに、ツーリストもそういうのを期待しているとうのもあるので、変わったパターンやデザインの品揃えが多かったな・・・で、今日の収穫と言えば、自分用にバックパックを買った。ビラボンの。元値が60ドルだったのが、20ドルに下がっていたので。柄やパターンは違うもので、15ドルまで下がっていたのもあったけど、ピンクだったからなーーーさすがにティーネージャーが持つ感じだったので遠慮しといた。この製品、ペットボトルを再生して作ったポリエステルとか。結構リサイクル品て値段も高くなるから手が出せないけど、このお値段だったら喜んで。触った感じも、普通のバックパックと同じだし。これで日本用の機内持ち込みバックパックをゲットしたわ。お義兄さんのは、来週グラフトンへ行ってみようかな・・・
2009年04月18日
月イチ恒例のバイロンへ。Cをエックス宅で降ろして(彼女と会わないで済むと思ったら、Cがモタモタしている間に出てきて・・・まあ、最近では大きなトラブルはないのでいいけど。あ、彼女が我が家サイドに来ない限りはないか。)バイロンへ。いつもの如く、バイロンのメインビーチの近くにある、スポット(Wreck)で、波を見ていた。。。というか、ダーリンがサーフィンする、しないで30分くらい見ていた。行くなら行く、行かないなら行かないとさっさと決めてくれい!とせっかちな私はイライラしてもうた。彼曰くサーファーとはこんなもん・・・ってさ。結局、サーフィンには行かない・・・ということで、一緒にご飯を食べに出かけるので、靴を履き直す彼。ま、ビーチではラッキーなこともあった・・・亜熱帯の東海岸に住んでいると、そう珍しい光景でもないけど、やっぱり目にすると嬉しくなっちゃうもので・・・
2009年04月17日
昨日Cが芝生を刈ったため、鳥達の鳴き声がいつになく賑やかだった。鳥の中には雑食のタイプも結構いるので、芝生が短くなることで、食物が探しやすくなるよう。久しぶりのお客さま雨降りの間も、我が家には来ていたかもしれないけど、雨降りだと自分がそんなに外を見ることもないからなーー今日は、クッカバラのほかに人間のお客様(チャーチのメンバー)もいたので、ちらし寿司を作っておもてなし。奥様は、日本食には慣れていたけど、旦那様は初めてだったので心配だった(二人ともオージー)旦那様の反応はまずまず。しいたけも大丈夫だったみたい。ちなみに、写真がないけど、調理したしいたけと人参を酢飯に混ぜ込んで、トッピングはきゅうり、アボカド、えび、錦糸卵、しいたけ、刻み海苔だった・・・海老の頭でだしをとり、味噌汁もつけてみました。
2009年04月16日
なんの写真・・・って、家の隣のサトウキビと青空。終日晴天で、天気が崩れなかったのって3月31日以来。久しぶりの終日晴れの日!!家から2時間ほど下ったエリアでは、洪水により数千人が非難したほどだった。家のエリアは幸い洪水には免れたが、芝生をぐちゃぐちゃ。一応轍というか車道があるけど、今回の雨量で水がかなり溜まって。車種によっては家まで来る間に水没するらしく、芝生の上を走られたので・・・自分達が四駆だったし、車高もあったので気づかなかったのよね。。。でも、この晴天も明日までらしい・・・いつになったら、天気が安定するのかしらん。
2009年04月15日
歯医者に着いて、受付でA先生と12時の予約していた・・・と告げると、受付の女性から、「変えたって言ったでしょう?」って。こちらは初耳だし、『変えた』のが先生なのか時間なのか分からないし、時間を変えられたら帰りのバスの時間に間に合わないかも・・・と焦り、「は?どういうこと?何も聞いていないけど???」と。普段の私ぽくない反応だったけど、あまりの先制攻撃に、普段よりもちょっと攻撃的・・・とは言わないか。どちらかというと、異国での母国語じゃないことによる危機感から、切羽詰って聞き直した。そーしたら、もう一人のスタッフが、「大丈夫・・・」ととりなしてくれる形。とにかく、予約が入っていないわけではなかったので安心した。やっぱり、担当が変わっていたけど、まー別にひいきの先生がいるわけでもなかったのでいいけど。で、新しい担当と話して、夜中に痛むことはないけど、根元を触るとまだ痛い・・・という話をしたら、痛むうちは治療を終了できないそうで、3度目の根元掃除治療(Root canal treatment)。過去は麻酔を打ったけど、今回はナシで。でも、神経を取っているから痛みは殆どなかったけど。で、詰め物を取ってから、レントゲンを撮って、治療後示して説明してくれた。まだ、炎症を起こしているそう。かなりひどかったのだなーそりゃあ夜中に痛くて目が覚めるレベルだったし・・・3度も掃除し、薬も入れたけど大丈夫な筈。でも、次の予約は期間を置いて、1ヵ月後にしましょうって。日本行きの週に当たるから、忙しいだろうな・・・それまでには完治してますように!
2009年04月14日
最後の終日快晴だったのは、3月31日・・・今日で雨降り12日目。金沢の北国育ちで、日本海側だから、雨降りには慣れている・・・と思ったけど、いーかげん、すかっと晴れて欲しい!イースターホリデー中も、土曜日にビーチに向かったが、途中で激しい雨降りとなったのでヤンバを往復しただけ。昨日は教会のサービスに行った・・・とこれくらい。まあこの休み中に、日本から送った荷物を再度整理し直そうと思っていたので、雨降りのほうが作業がはかどるかもね。実家に滞在中、最低かかる送料で荷物が送れることが分かってからは、時間もなかったので、最後は全部まとめて持ってきた!状態。小さい頃に遊んだぬいぐるみやら人形やらも持ってきてしまい(それでも半分は処分した)自分的には、あまりぬいぐるみを集めるタイプじゃなかったけど、トータル10個くらい持ってきたような・・・まあ、学童の子供達が使っても構わないので、商売道具となりそうでよいか(レゴとかは既に活用中)。ただ、相変わらず男の子しか来ていないので、やっぱりみんなCのコレクションであるアクションもののフィギュアにしか興味がなく、ぬいぐるみには関心がないけど。2週間で捨てれそうなものは捨てるつもり。
2009年04月13日
3月14日の日記に記している、S君の件。ちょっと落ち着いて書ける時間が出たので、書いてみます。これまでも、このブログにS君については書いてきた。彼と彼の家族とのトラブル。彼の妹ばかりを溺愛する母親、彼を憎む母親のパートナー、彼を馬鹿にする妹・・・と、愛が得られない環境で育ってきた彼。知り合って3年経つけど、状況は良くなるどころか、悪くなるばかり・・・抑圧されてきたから、彼は今17歳なんだけど、今が反抗期・・・というか、自立しようとする心が芽生えたけど、それもさらに家族との摩擦を起こしているのね・・・もう母親のパートナーと一緒に住みたくない・・・ということなので、先月我が家に来て、9日間住んでみるトライアルをした。結論から言うと、彼自身は問題なかったのだけど、彼が来たことによってCの態度が悪くなって・・・ダーリンと私を無視して、S君だけしかコミュニケートしない、尊大な態度、S君が来る前に約束した、家の手伝いは元より、学校の勉強もしなくなった・・・こういうのが重なったので、S君には家で長期で生活するのは無理と告げた。私たちに子供がいなくてだったらS君が家で暮らすのは構わないけど、既にCがいるから、彼が最優先なわけで。Cが扱いにくくなって、ダーリンが手を焼いて、ストレスで彼の健康が悪化するのも嫌だったし。残念な結果になって、S君が家に戻ったところ、彼の部屋の荷物がまとめられて、彼の部屋を妹が取っていたそうな・・・事前に母親のD子と話した際、ダーリンは「あくまでもトライアルだから」と話していたのを私は横で聞いていたぞ。なのに、先走り。母親のパートナーはS君に家を出て行って欲しかったのは知っている。でも、母親は・・・?こういう罰みたいな扱いってどうよ。学期休みに入り、学校がないからますます家には帰りたくないらしく・・・まあ昨夜は家に泊まったけど・・・そのときも、母親から連絡があって話したのだけど、家に泊まることを話したら、「彼はイースターチョコを食べ損なうわね」って。・・・絶句した普通は、息子のために残しておいてやらないのか?きっと普段、家ではこういう扱いをされているんだろうな・・・というのが分かって胸が痛んだ。Cが協力的だったら、家にしばらく滞在することは反対しなかったけど、Cのあの態度じゃあ、ねーーもうちょっとしっかりしてからじゃないと、再トライアルも無理・・・でも、S君の状況を考えると・・・心が苦しい。我が家では行き詰まってきたので、今日のチャーチのサービスの後、彼について話したことのあるメンバーにこの話題をしたら、パスターに相談してみたら・・・ということで、エリックと話した。神様、どうかS君に心の平安を与えてください。
2009年04月12日
私の10年旅券が来年で切れる。今回は日本に割りと長期で滞在するので、日本にいる間に旅券の切り替え発給をしようと思いついた。オーストラリアでは、私の近くにある領事館がブリスベンで、片道3時間。例え申請は代理人が行えても、旅券の受け取りは本人じゃないといけないので、そのために往復6時間は大変・・・それが日本なら、公共交通機関で片道1時間だから・・・しかし、私は日本に住所がない。確かパスポートって、住所を確認するからどうするのだろう。まず外務省のサイトを見た。けど、全国統一されているようではないので、申請する実家のパスポート・センターのサイトに飛んでみた。しかし、ここでも明記されていなかったので、パスポート・センターに連絡することに。応答した受付嬢らしき若い声の女の子では分からないようなので、ベテランぽい人に変わった。都道府県によって微妙に違うらしいけど、とりあえず石川県では日本に住所がない事を証明するために、戸籍の附票(ふひょう)というものが必要なのだそうだ。それによって居所申請が認められるのだってさ!私の本籍は石川ではないので、本籍地がある県のサイトに行って、戸籍抄本と戸籍の附票の請求書をダウンロードし記載して、家族に申請依頼をお願いすることに。次の課題は、ビザ。新しい旅券が出来たら、ビザを貼ってもらわないといけない。勿論、今回の旅行では有効なビザ・シールがある旅券(切り替えされれば、旧旅券となるけど)と、新旅券の両方を持っていたら、オーストラリア入国は問題ないのは分かっている。ただ、旅券と同じ問題で移民局に行くのが大変。。。移民局はゴールド・コーストにあるから、大使館よりは近いけど、それでも片道2時間・・・今回の日本行きで東京にも滞在するので、もし東京滞在中にオーストラリア大使館でビザ・シールを貼ってもらえるのなら、大使館に行ったほうが私には手っ取り早い。それと、以前婚約者ビザ申請の準備で、オーストラリア領事館でにいった際のこと。NOIM(Notice of Intended Marriage)という書類が、オーストラリアでの結婚では必要で、かつその宣誓のサインをする際、領事が証人とならなくてはいけなかったのだな。そこで、予約を取って領事待ちしていたら、オフィスの電話が鳴った。その会話が筒抜けで、しかも内容が「送られてきたパスポートが違う人の物だった・・・」というーーーあれ聞いてから、人的ミスで大切なパスポートが失くされては困る・・・と心配になって。実は永住権が取れた際、移民局へ郵送してシール貼ってもらうように依頼したけど、手元にない間、気が気じゃなかったし・・・出来たら自分の管理で行いたいーという気持ちなのだな。大使館のサイトを見たけど、私の探している回答がなかったので、メールしてみた。返事来るかな?
2009年04月09日
また久しぶりのアップになってしまいました。歯はようやく良くなったかな。まだ鈍痛はあるけど・・・次の火曜日に再度歯医者だけど、それまでに治っていますように。タイトルの準備というのは・・・実は、私の誕生日のプレゼントへダーリンからもらったのが、「日本行き」。格安のジェットスターを使ってでも、ちょっと予算オーバーだったので、自分でも負担したけど、3週間ほど日本に帰ることになりました。急に決めたので、あと5週間・・・主に、母親のことがあっての里帰りなのと格安時期が学期中だから今回は独り。なので、前回出来なかったことをしなきゃ・・・と計画も練らないとね。
2009年04月08日
これまでは、家族に祝ってもらっていたのだけど、当地では40歳とは盛大に祝うということで、今回は友達を招待しました。島のエリアに引っ越して、友達・・・といえばチャーチ・メンバーが主。バイロンの友達にも声はかけたけど、結局チャーチのメンバーのみ。車が止まっているのが壮観だったから撮ってみました。この5日間は雨降りで、車で2時間南下した地域では洪水で数千人が避難したらしいので、降り方も半端じゃなかった。当初はプール・サイドでBBQも考えていたけど、リスクがあったので室内を会場に。前夜もずーっと降り続き、今朝は曇り。でも、準備を進めているうちに青空が見えたり、でも雲が覆ったり・・・ダーリンがプール・エリアを掃除している間、「どうか雨が降らないで・・・」と神様にお祈りしてくれたって。願いがかなったのか、幸い、雨に遭わなかった~!なので、子供達はプールに入って遊んでいました。神様、ありがとう~前夜、確認がてら連絡した時点では、子供達も含めて少なくとも22人かなぁーーーところが、いざパーティが始まると、連絡取れなかった人もやってきたので、35名の人数!!自宅で、かつ自分達で食事を準備したので大変だったぁー。ダーリンは彼とっておきのキッシュを作ってくれ、私はいなり寿司と、のり巻き、サラダ、ズッキーニの前菜。考えたら、人を招いてお祝いしたのって30年ぶり・・・?準備が大変だったけど、大勢の人で祝ってもらうのって良いねぇ。。。
2009年04月05日
自分が歯痛で不調な間に終わってしまった感じ。なんつーか、これまでも色々ジャッジについてはあったと思うが、今回のは越えてはいけないものを越えてしまったっていう印象。フィギュア・ファンのサイトから情報を得たのだけど、旧採点法に戻すべき!という運動があるらしい。旧採点方は、審判の名前は出ないけど、どこの国のジャッジがどんな点数をつけていたのかが明白だった。つまり、「国」を代表して審判していた。だから、国の事情によって審判するのは既成事実だったな。例えば、タラソワが教えたクリモア&ポノマレンコ。優勝候補であるデュシネ兄妹の国で冬季オリンピックが開催されるという超ド・アウェイのアルベールでのフリーダンス。このとき、フランスのジャッジはテクニカル・メリットに5.5、プレゼンテーションに5.8をつけたのだな。他国のジャッジがテクニカル・メリットを5.7から5.9の間でまとめ、プレゼンテーションはフランス以外は5.9だったのに。客席からブーイングがあったくらい。それでもテレビを観ている私でさえ、「ああ、デュシネたちのために下げているのだな。」ということが、一目瞭然だった。ところが、現在の採点方法。試合で、審判団の情報を得ようとしたら、"Nationality(国籍)"がどの審判も"ISU"、つまり、国際スケート連盟からとなっている。匿名性にし、一般人はどこの誰がこの採点をしたのか分からなくさせた・・・これが、一部の選手に対する不可解な爆上げ点となったのではないかな。欧米では「アメリカン・アイドル」、スターがダンスで競う番組・・・などがあったけど、ああいった番組では、ジャッジのコメントや評価が番組では重要なファクターでもある。批評が週刊誌の記事にもなることもあったし。でも、彼らは自分の発言に対し、説明できるだけの根拠を示している(納得できないこともあるけど)。今のフィギュアスケートの採点法では、不透明で、審判の責任がはっきりしない。不正をなくすために考案されたはずが、匿名性を利用して暴挙がまかり通っているのが現状だと思う。旧採点法に戻す運動をしているサイト、私も探して参加しようと思っている。見つけたら、お知らせします。
2009年04月01日
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