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☆★ プライベート・ライアン ★☆ Saving Private Ryan ★ 解説 ☆ 1998年度スティーブン・スピルバーグ監督作品の映画「プライベート・ライアン」は、ジョン・ミラー大尉(トム・ハンクス主演)が第2次世界大戦中のノルマンディー上陸からジェームズ・ライアン二等兵という一人の兵士を救出するために選抜した7人の部下率いてドイツ軍占領下のフランスの敵陣深く侵入し、激しい戦闘に巻き込まれるという流れで展開する内容です。オマハビーチでの上陸戦や市街戦シーンは激しく残酷なもので、戦争とはこんなものだというリアリズムが強調されています。 ★☆『 プライベート・ライアン・Photoで綴る名場面 サウンドトラック 』★☆ ☆ 時代考証 ★ この映画では、当時実際に使用された兵器に対する時代考証がリアルに再現されていた。旧ドイツ軍使用兵器でスクリーンに登場したものには次のものが認められました。→Sd.kfz.251/1(前輪がタイヤ・後輪がキャタピラで構成されたハーフトラック型兵員輸送車) →Sd.Kfz.139 MARDER IIIM(オープントップ式自走砲) →Kettenrad(ケッテンラッド・ハーフトラック型のオートバイ) →20mm単装FLAK30(対空機関砲)→Sd.Kfz.181(タイガー1型・車体のイメージは酷似していたが、旧ソ連軍のT34戦車を改造したものであり、車輪部・キャタピラの形状が再現できずそのままオリジナルだった)★☆『 プライベート・ライアン ノルマンディー上陸作戦 』★☆【中古】期限)プライベート・ライアン 【DVD】/トム・ハンクスDVD/洋画戦争楽天で購入上映時間 170分 製作国 アメリカ 初公開年月 1998/09/ 監督: スティーヴン・スピルバーグ 製作: スティーヴン・スピルバーグ イアン・ブライス マーク・ゴードン ゲイリー・レヴィンソン 脚本: ロバート・ロダット フランク・ダラボン (ノンクレジット) 撮影: ヤヌス・カミンスキー 特撮: ILM 音楽: ジョン・ウィリアムズ 出演: トム・ハンクス ジョン・H・ミラー大尉 トム・サイズモア マイケル・ホーヴァス軍曹 エドワード・バーンズ リチャード・ライベン二等兵 バリー・ペッパー ダニエル・ジャクソン二等兵 アダム・ゴールドバーグ スタンリー・メリッシュ二等兵 ヴィン・ディーゼル エイドリアン・カパーゾ二等兵 ジョヴァンニ・リビシ アーウィン・ウエイド伍長 ジェレミー・デイヴィス ティモシー・E・アプム伍長 テッド・ダンソン フレッド・ハミル大尉 デニス・ファリナ アンダーソン中佐 ポール・ジアマッティ ウィリアム・ヒル軍曹 デイル・ダイ 軍部の大佐 マット・デイモン ジェームズ・フランシス・ライアン二等兵 ハリソン・ヤング シェーン・ジョンソン リーランド・オーサー マクシミリアン・マーティーニ 【受賞履歴】 (■=受賞、□=ノミネート)アカデミー賞 1998年 □ 作品賞 □ 主演男優賞 トム・ハンクス ■ 監督賞 スティーヴン・スピルバーグ □ 脚本賞 ロバート・ロダット ■ 撮影賞 ヤヌス・カミンスキー □ 音楽賞(オリジナルドラマ) ジョン・ウィリアムズ □ 美術賞 リサ・ディーン・カヴァノー トーマス・E・サンダース □ メイクアップ賞 ダニエル・C・ストリーピーク コナー・オサリヴァン ロイス・バーウェル ■ 音響効果賞 ゲイリー・リドストラム リチャード・ヒムンズ ■ 音響賞 ロナルド・ジャドキンス アンディ・ネルソン ゲイリー・サマーズ トム・ジョンソン ゲイリー・リドストロム ■ 編集賞 マイケル・カーン NY批評家協会賞 1998年 ■ 作品賞 LA批評家協会賞 1998年 ■ 作品賞 ■ 監督賞 ■ 撮影賞 ヤヌス・カミンスキー ゴールデン・グローブ 1998年 ■ 作品賞(ドラマ) □ 男優賞(ドラマ) トム・ハンクス ■ 監督賞 スティーヴン・スピルバーグ □ 脚本賞 ロバート・ロダット □ 音楽賞 ジョン・ウィリアムズ 英国アカデミー賞 1998年 □ 作品賞 □ 主演男優賞 トム・ハンクス □ 監督賞(デヴィッド・リーン賞) スティーヴン・スピルバーグ □ 作曲賞(アンソニー・アスクィス映画音楽賞) ジョン・ウィリアムズ □ 撮影賞 ヤヌス・カミンスキー ■ 音響賞 ■ 特殊視覚効果賞 ヨーロッパ映画賞 1998年 □ インターナショナル(非ヨーロッパ)作品賞 スティーヴン・スピルバーグ 放送映画批評家協会賞 1998年 ■ 作品賞 ■ 監督賞 スティーヴン・スピルバーグ ■ 作曲賞 ジョン・ウィリアムズ MTVムービー・アワード 1999年 □ 作品賞 □ 男優賞 トム・ハンクス □ アクション・シーン賞 トム・ハンクス ノルマンディー海岸への上陸シーン 日本アカデミー賞 1998年 □ 外国作品賞 ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2006/07/31
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★☆ 本物の鎧を鑑賞しながらの食事はリアルな戦国気分 ★☆ Samurai restaurant in Japan~ サムライ好きな外国人にも人気があるようです!? ~ 先日、山口県東部の岩国市玖珂町一の滝の国道2号線沿いにあるドライブインの和風レストラン「いろり山賊(Irori-Sanzoku)玖珂店(Kugaten)」に立ち寄り、食事をしました。そこは、さらに「山賊」、「竈(かまど)」、「桃李庵(とうりあん)」にお店が別れていますが、その中の「桃李庵(とうりあん)」に入りました。 奥の座敷の間のたまたま空いた席に座ったところ、目の前の床の間には、な、なんと!戦国時代の古めかしい実物の鎧(よろい)2体分がいかめしく鎮座しているではありませんか!REALISTは、目の前にある鎧をじっくりと観察しつつ、食事を堪能できましたが、この独特な雰囲気は、戦国時代の武将の館や城の天守閣の間の空間に、一瞬タイムトリップした様な感じでした。Samurai's armor and helmetかなり、古めかしくて、本来なら博物館にでもある様なものですが、この店のオーナーの趣味なのか、凄いものが置いてあります。これだけ近くで観察すると、多少の傷みもありますが、鉄板の張り合わせや腕部分の細かい鎖帷子(くさりかたびら)細工など、当時の鎧職人の高い製造技術がよくわかります。背景の壁は、金箔を貼り付けた様に黄金色で、それに長い年月の囲炉裏(いろり)のススが付いた様に見えます。 岩国市と言えば・・・米軍海兵隊の岩国基地があります。アメリカ人兵士とその家族などがかなり住んでいますし、彼らの本国の家族や両親、親戚や友人などが観光を兼ねて遊びに来るわけです。しかも、岩国市に隣接する広島県には、『 世界文化遺産 』に指定されている約1000年前に平清盛(たいらのきよもり)が創建した厳島神社のある『 宮島 』が目と鼻の先にあります。そこを訪れる日本文化や歴史に興味ある欧米人などの外国人観光客もかなり多くいます。その流れで、どうも『いろり山賊』が彼らの間に知れ渡り、意外と外国人も訪れる人が多くなったようです。youtubeでも宮島や山賊を観光で訪れた外国人のビデオを観ることができます。『 いろり山賊を訪れた外国人たちのビデオ 』★☆『A minute at Sanzoku 』★☆Samurai's armor and helmetこの鎧は、前の鎧とは、多少形やスタイルが異なりますが、特徴的なのは、牛の角の様な突起がある兜(かぶと)でしょうか、勇壮で怖(こわ)い様な雰囲気を醸(かも)し出しています。戦国武将は、鎧、具足など完全武装すると、約30kg位の重量の負荷がかかるわけですが、その時代によくもまぁこんな物を着装して戦えたものだと思いました。これで戦うには、普段から武装した状態で訓練を積まないととても実戦では戦えないでしょう。体力の増進と剣道・弓道・槍(やり)などの戦闘技術、恐怖感の克服やモチベーションを高めるための強靭な胆力(たんりょく)が必要になるわけです。『 一風変わったいろり山賊の武者姿の太鼓の呼び込み 』★☆『 いろり山賊 』★☆2体分の鎧の奥には、これまた古めかしい刀や槍、大弓などの武器があります。戦国時代には電灯もなく、夜は行燈(あんどん)の灯(ひ)の明かりだったでしょうから、行燈の光で見える鎧、こんな情景が戦国武将の部屋の様子だったのだろうとイメージを頭で描きながら当時の様子を感じていました。戦国の世では、いつ敵の軍勢が襲ってくるかもわからない、だから・・鎧や具足は、すぐにでも着装できるようにこんな状態で置いていたのだろうと思います。部屋の内部の上の方を見上げると、6体分の様々なスタイルの鎧、兜がズラリと見えました。「わぁ!これは凄い!」と思い、中央の2体分だけを撮影しましたが、周囲には他のお客もいるので、これ以上の撮影は遠慮しました。この2体は、陣羽織(じんばおり)を着ていました。周囲に気遣いしたためか、画像が微妙にぶれてしまいました。『 いろり山賊のTVCM 』★☆『 いろり山賊「山あいの異空間」篇 』★☆物々しい鎧兜(よろいかぶと)とは趣(おもむき)が違うのが、お店の前にある高さ4~5mはある巨大な看板です。「節分」も近かったので、子供の豆まきのイメージの看板にリニューアルされていました。ここのお店では、季節ごとにその時々のイメージの看板に随時変更されているようです。 ★☆ 『 いろり山賊(Irori-Sanzoku) 』のホームページ(HN)リンク ★☆ ここの名物料理は、大きな「山賊むすび」、鳥のももの肉の豪快な串刺しの「山賊焼き」、それから、あっさりした「山賊うどん」のようです。これも店舗前の様子で、大型看板の手前左下付近に設置された「立春」をイメージしたコミカルな飾り付けが施されていました。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2011/02/05
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★☆第2次大戦後期におけるドイツ軍歩兵部隊の戦車乗車シーンを再現!★☆ It reproduces the tank ride scene of the German military infantryman corps about the latter period of World War II! ~戦車と歩兵のコラボシーンのPANZER RIDERS~ 第2次大戦中に活躍した戦車(PANZER)という兵器は、そのヨーロッパでの大戦初期(1939年9月)から終戦(1945年4月)までのわずか5年余りで急速な進歩を遂げました。ドイツ軍で言えば、初期の貧弱な最大装甲13mm、機銃のみ搭載、重量4.5tの小さなⅠ号戦車から最大装甲180mm、長砲身88mm砲搭載、重量70t余りのタイガーⅡ型(キングタイガー)に至るまでもの凄い進歩と変化がありました。 戦闘方法にも変化があり、そんな強力な戦車と言えども、車内から外部への視界が極めて限定され死角だらけのため、戦車のみでは、偽装して隠れた歩兵部隊からの対戦車兵器を使用した近接攻撃でいとも簡単に破壊されることから、そのような敵歩兵部隊をいち早く発見・排除する必要性及び歩兵の効果的な攻撃力を高めるためにも、強力な破壊力を持つ戦車との共同作戦のためのコラボが生まれたわけです。 では、既にご紹介した4体のドイツ歩兵による戦車とのコラボを再現します。 4体のドイツ歩兵を下のDRAGON社のbox art(箱絵)を参考に配置してみました。箱絵でもドイツ軍のパンサー戦車だったので、以前作成した大戦後期の基本塗装色だったダークイエローのパンサー戦車を使用しました。これが、まさに箱絵にあるように、1944年のドイツ国境に近いフランスのロレーヌ地方で英米連合軍と激戦となった当時の記録写真にあるシーンと言って良いでしょう。英米仏加連合軍が1944年6月6日にフランス北西部のノルマンディー上陸作戦を敢行した西部戦線では既に制空権を失っており、ドイツ軍の必死の抵抗にもかかわらず、8月23日にはパリ市を放棄、撤退します。9月1日には東部戦線では、ソ連軍の大軍がドイツ軍の防衛ラインを破りドナウ川に到達しました。まさに、このシーンはこの間の出来事だと言ってよいでしょう。 DRAGON社のbox art 大戦初期の統一された軍服にピカピカのブーツ姿で連戦連勝を誇り世界に冠たるドイツ軍だったはずが、繰り返す戦闘で最前線では次第に将兵の消耗が進み補充にも持ちこたえられなくなり、大戦末期には、各部隊の生き残り兵で再編成された新たな部隊となるわけで、ベテランの古参兵と子供の様な新兵との組み合わせで服装や手に持つ武器も新旧の組み合わせとなるケースが多かったようです。 この兵士達は、みんな視線が同一方向で、何か注目すべきものがその先にあったのだろうと思います。そんなこともいろいろ想像するとさらに他の新たなシーンに発展させることもできるでしょう。 ★☆[ドイツ軍歌] ローレ (森林官の娘) ★☆森林を管理する森林官の娘「ローレ」に恋い焦がれる若い兵士の思いを歌った歌です。 これは、「G43セミオートマチックライフルを手に持つ歩兵」1体を後方に移動させてみました。こんな風にいろいろと想像を膨らませて組み合わせアレンジに変化をもたせるのも面白いと思います。 戦場のワンシーンですが、緊張感があるものの少しのんびりとした様子もうかがわれますので、前線に向かう途中に何か興味をひく物を見かけて、それを眺めているということでしょう。 様々な角度から撮影すると、また違った雰囲気になるのが、こうしたコラボの魅力でもあります。プラモデルは作成して、それで終わりではなく、その作品を通してその時代背景や歴史考証にまで触れることで、より一層の興味が湧き、それまでの未知だった領域の新しい歴史的な事実にも行き当たることができます。 ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2018/10/21
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★「キーーンッ」鋭いジェット音!、黒いシュワルベ(Schwalbe)の雄姿 ☆ The first fighter jet "Me262" being by historic~ 1945年1月1日、ボーデンブラッテ作戦に挑んだMe262 ~ 写真は、前回に続き、自作プラモデルを使って史上初の実用ジェット戦闘機であったドイツ空軍の「Me262」・・その中でも比較的少数が生産された”夜間戦闘型の『メッサーシュミットMe262B-1a/U1』が、1945年冬の白銀世界となったの北ドイツ上空を偵察飛行しているイメージシーン”を再現してみました。 1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦以降、フランス本土に上陸した英米軍はベルギー、オランダにも侵攻、ドイツ本土爆撃のための飛行場を各地に建設、ますますドイツ各地は連合軍のB-17大型四発重爆撃機を中心とする大編隊による無差別爆撃にさらされました。一方、東部戦線では無尽蔵のように繰り出すソ連軍の大戦車軍団が迫っており、ドイツ軍部隊の3分の2以上を東部戦線に配置していたのは、英米連合軍をソ連軍に比べ弱小戦力と見ていたためでした。しかし、連日の猛爆撃や次第にドイツ本国に迫りつつある英米軍に対する大反攻として決行した作戦が、1944年12月16日発動のドイツ地上軍による『ラインの護(まも)り作戦(「バルジの戦い」とも呼ばれる)』であり、さらに、これにリンクして1945年1月1日に発動されたのが、ドイツ空軍最後の航空攻勢となった「ボーデンブラッテ(基礎地盤)作戦」でした。 これは、昼間単発戦闘機を主軸とした約1000機の航空勢力で午前9時過ぎに各飛行場を出動、ベルギー、オランダ、フランスにある計18か所の英米連合軍飛行場を一斉に強襲攻撃した作戦であり、連合軍機400機余りを破壊する戦果をあげました。しかし、ドイツ軍自身も貴重なパイロット214名と航空機293機を失い、結果的にはドイツ空軍に致命的な損失を与えてしまいました。この作戦のオランダのアイントホーフェン飛行場に対する攻撃では、「Me262」の戦闘爆撃型(単座型『Me262A-2a』)が 実際に使用されました。 ★☆映像に見る「Me262」の実像★☆ 「Me262」に関する実写映像を発見したのでご紹介します。これらの実際の映像を見ることで、「Me262」が史上初の実用ターボジェットエンジンを2機搭載した戦闘機であるにもかかわらず、意外と機体が小ぶりに設計されていること、また、1944年5月22日に自ら「Me262」に乗り込み、模擬空戦性能テストを試みた戦闘機総監アドルフ・ガランド少将が、 『Me262は、ものすごい成功作!プロペラ機が相手なら戦闘はきわめて有利になる、飛行性能も素晴らしく、革新的な戦術を可能にする飛行機だ!』と感想を伝えたように、そのスムーズな離着陸能力、非常に優れた空中飛行安定性があることもよくわかります。↓↓↓↓★☆ 『 Flying the Me 262 』★☆ これは、アメリカにおいて、65年前に実在したかつてのドイツ空軍のMe262の実機を基に、実際にそれを忠実に復元するプロジェクトが取り組まれ、その復活完成後に飛行可能な状態でデモンストレーション飛行が行われた記録映像です。ところどころに、大戦中の実機の飛行記録映像も比較する上での参考として挿入されています。 ★☆ 『 Me262 Jet 』 ★☆ これは、ドイツ本土を「空の要塞」と呼ばれたB-17(フライングフォートレス)四発重爆撃機の大編隊で爆撃に向かう途中、迎え撃つドイツ空軍のレシプロプロペラ機の攻撃に応戦するB-17の機銃手が次に目にしたのは、見方機が次々と命中弾を受け墜落する模様とその直後に聞きなれないジェット音とともに突如現れた「Me262」の機影でした。思わず機銃手は驚いて他の機銃手や機長に「あれは何だ!注意しろ!」と叫んでいるようです。 ★☆ 『 ME262 flies again at Berlin 2006』★☆ これは、アメリカで見事に再現され生き返った「Me262」が故国ドイツのベルリンに里帰りしてデモンストレーション飛行をしているシーンであり、2008年のベルリンで開催された「航空ショー」でも同様のデモンストレーション飛行行い、訪れた観客の目を楽しませています。 ★☆ 『 ME-262 Documentary 』 ★☆ これは、大戦当時の「Me262」に関する構造、機能性、そのメカニックな部分、歴史的な背景についても焦点を当て、大戦末期の実機や装備に対する記録映画を参考に説明されています。 (Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2009/05/15
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★☆ どんな著名な登山家でも山の事故に遭遇するという事実 ★☆ The death of the woman mountaineerNot be careless!~ 登山を絶対になめてはいけない!・・ということ ~ 平成27年12月21日午後から北海道の大雪山系・黒岳(標高1984m)で行方不明だった国際女性登山家の谷口けい(43歳)さんが翌22日に発見されたものの、滑落による死亡が確認された。テレビ報道等では、山頂付近でトイレのために、男性仲間とつないでいたザイルを離して移動した際、何らかの原因で約700メートル下の北側斜面まで滑落していたもので、その後、脳挫傷で死亡していたことが確認された。確かに、登山中のトイレの問題は悩ましいものがあるのは事実だ。 谷口さんは、国際的な女性アルピニストとして活躍されていたそうで、今回の事故に遭遇されたことは、とても悲しいことであり、日本にとっても貴重な人材を失ったことは非常に残念なことだ。今はただ故人の冥福を祈るばかりだ。しかし、今回の事故で言えることは、どんなに高い登山技術や豊富な経験を積んだスキルの持ち主(プロ)であっても、山上での行動では、常に危険を意識した細心の注意が絶対に必要不可欠であるということだ。 関連リンクCLICK!! 『 谷口ケイのでこぼこ登山(谷口さんのブログ) 』 『 “世界の山を巡る旅人”Kei Taniguchi 』 読売新聞の2015年12月23日(水)掲載記事 『 安全な登山のために必要なこと 』 私なりに、安全登山のために必要なことをまとめてみた。 第一に、「危機管理」では、 あらかじめ、目的の山の事前の登山計画を作成することが重要であり、「登山計画書」を必要とする山では、必ず作成して、登山の際に提出できるようにしておくことだ。その際も、必ず、計画書をいつでも確認できるように、そのコピーを携帯しておくことだ。また、万が一の遭難事故に備えての、「山岳安全保険」に加入しておくこと(年間で5000円程度)、また、実際に登山に行く前に、必ず家族や職場、信頼できる知人に対して、事前に具体的に目的の山や宿泊先、登山の同伴者がいれば、その名前や連絡方法などを知らせておくことが必要だろう。携帯電話やスマホでは、充電済みの予備電池についても準備したほうが良い。 第二に、「事前準備」では、 主に、目的の山のレベルにあった装備、雨天などの天候の異変に対応できる装備、暑い夏、寒い雪などの季節に応じた服装や装備の事前準備のことだ。もちろん、長時間を要する登山やテント泊などでは、水や食料、非常食などについても対応できる準備が必要だ。荷物の軽量化はもちろん必要なことだが、必要な物まで省略するような安全意識を欠いた極端な軽量化は望ましくない。 第三に、「事前情報収集」では、 まずは、目的の山に関する情報収集で「登山ルート」の詳細、ルートに関する所要時間、危険個所の有無、登山口までの交通手段、付近駐車場の位置、登山後の入浴のための温泉施設の位置、登山路に関する「山地図」の入手、登山の予定日や直近の天候の変化を知るための天気予報、長期予報に関する情報収集、特に、台風、大雨、大雪などの悪天候では、「勇気ある中止」とするべきだろう。こうした情報収集は、複数の場合は、他人任せではいけない、参加する一人一人が自分のこととして事前にしておく癖づけが必要だ。 第四に、「登山中の安全行動」では、 歩行中は、浮石などに注意し、安全な歩行を意識して移動する、特に下山中の転倒、岩登りの転落防止のためには、常に三点支持を意識する。単独でなく複数で行動する場合は、その間隔を空けすぎず、相互に安全な状態を確認できる範囲内として、適当な時間に互いに声掛けなどで確認するのが望ましいだろう。途中、体調が悪化した場合は、無理をせずに「名誉ある撤退」で登頂を断念することも重要だろう。 ・・・これは、ざっと、自分の反省点も含めて短時間に思いつく範囲内でまとめたものに過ぎない。登山をされる方は、無計画、無謀な登山は不可、今回の事故を教訓として、自分のため家族のためにも命を大切にしなければならない。♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2015/12/30
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★☆切手に見る歴史的事実★☆ 久しぶりに趣味の一つの切手収集品のチェックをしていたところ、ぎっしり詰まった外国切手ばかりのスタンプブックの一部の切手の中に「Deutsches Reich (ドイツ国)」と記載があり、その肖像画をよく目を凝らして見ると・・・・な!、なんと!・・・・これは、紛れもなくあのナチス・ドイツ第3帝国の独裁者「アドルフ・ヒトラー」総統であった!。 今まで注意して見ることもなく、まったく気づかなかったけど、新しい発見である。確かにその人物であるのは間違いない。と、するとこの切手は、ヒトラー政権下のナチス・ドイツ時代である1933年1月30日から終戦の1945年4月30日までの間、ドイツ国内で流通していた切手であることがわかる。これら16枚のうち2枚のみが未使用で他はすべてスタンプが押されて使用済みであるが、まさに、この切手は、ドイツ国内に存在していた当時は、ヒトラーも存在していたという歴史的真実を如実に示す歴史考証資料である。 保存状態が良いからか、60年以上前のものとは思えないほど紙質もしっかりしてインクの色も劣化していないのは不思議だ。ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2007/01/06
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★☆ 「長野」が男女ともに長寿日本一!最下位は「青森」と判明! ★☆ 前回まで7回連続女性1位の「沖縄」を抜く!~ 厚生労働省最新調査結果(2010年) ~ 厚生労働省の発表によると、2010年の都道府県別平均寿命の最新調査結果によると、男女ともに「長野」が長寿日本一で、前回まで7回連続第一位の「沖縄」が第三位に転落、また、「青森」が男女とも最短の最下位であることが判明した。これを見ると、やはり自分の住む「山口」が気になり見ると、・・・あまり良くなかった。ドイツ軍憲兵と軍用犬(35/1 Scale)日々の犬の散歩でも体に良い運動習慣となる。 都道府県別によるこの格差は、様々な原因があることが推測できる。長野県では、「高い高齢者の就業率、野菜の摂取量、食生活の改善や医師の地域保健活動などにあるのではないか」と推測している。この結果から、ファーストフードなどの野菜摂取の少ない偏った食生活、仕事や社会活動に参加しない怠け者的ライフスタイルでは、長生きできないという結論になる。つまり、長寿の秘訣は、野菜摂取の多い食生活と日々の体を動かす運動機能の維持に尽きるだろう。 厚生労働省発表最新調査結果(2010年現在) 統計表の出典は、読売新聞2013年3月1日掲載記事と同一のもの。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2013/03/01
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★☆ 武器商人・ならず者国家など、現代世界にも通ずる社会派SFマンガ ★☆ To the modern world, such as arms merchant and rogue States social conservative SF manga ~ 小学校低学年で『サイボーグ』や『ロボット』の軍事化を感じた先進アニメ ~ 『サイボーグ009(CYBORG 009)』と言えば、石ノ森章太郎氏の代表的アニメ作品であり、これが発表された当時(1964年以降)は、手塚治虫氏の『鉄腕アトム』、横山光輝氏の『鉄人28号』と並ぶSFマンガの金字塔的作品でした。当時の少年マンガ雑誌やテレビ・映画館でのアニメ放映を愛好する多くの子供たちは、誰から教えてもらうわけでもなく、この様なマンガを通して、正義と悪の意味、個人と社会の関係、サイボーグやロボットの意味、戦争を画策する武器商人と世界制覇を目指す悪のテロ集団や軍事独裁国家の関係などの現代社会にも通づる現実世界のしくみを自然と学ぶことができました。 ★☆ 『サイボーグ009(CYBORG 009)』関連動画(YOUTUBE) ★☆ 「Cyborg 009 -tagatameni-サイボーグ009 ~誰がために~」 この『サイボーグ009(CYBORG 009)』は、暗躍する世界の武器商人の協力のもとに軍事力で世界制覇を目指す超軍事組織『黒い幽霊団(ブラック・ゴースト:BLACK GHOST)』が、戦争に勝利するために実験用に開発したのが、001から009までの9人のサイボーグ戦士たちであり、世界中の民族から拉致(らち)・誘拐され、それぞれに特殊能力を組み込んだサイボーグ(改造人間)に変貌されます。しかし、騙(だま)されて人間のサイボーグ化の作業に従事させられていたアイザック・ギルモア博士は、『黒い幽霊団』が悪の組織であり、世界制覇のための軍事力として有効なサイボーグを利用する計画があることを知り、9人のサイボーグとともに反乱をおこし、悪の組織を相手に戦うというストーリィです。 ★☆ 『サイボーグ009(CYBORG 009)』関連動画(YOUTUBE) ★☆ 『Cyborg 009』 Opening(1968年)オープニングテーマ1968年にTV放映化された『サイボーグ009』の服装は白色でした。★☆ 『【本予告編】 映画『009 RE:CYBORG』(サイボーグ009)』 ★☆ 歌はなく演奏のみですが、迫力があります。★☆ 『サイボーグ009(CYBORG 009)』関連動画 ★☆ 平成版『サイボーグ009』のオープニングテーマ2001年~2002年にTV放映化された平成バージョンです。★☆ 『サイボーグ009(CYBORG 009)』関連動画 ★☆ Cyborg 009 Ending. 002と009の最後のシーン『サイボーグ009』40周年記念切手シートに付属していたアニメ画像 ★☆ 『サイボーグ001~009』の人種・能力編 ★☆001➜ロシア人(名はイワン・ウィスキー) 赤ん坊でも電子頭脳に勝る頭脳の持ち主でテレパシーで会話ができる。 テレキネシス、テレポート、サイコメトリーなどの超能力がある。002➜アメリカ人(白人種で名はジェット・リンク) 空を飛べ、マッハ5の速度が出せ、009以外で唯一加速装置を持つ。003➜フランス人(女性で名はフランソワール・アルヌール) 50km四方の物音を聞きわける耳と遠くまで見える目をもっている。004➜ドイツ人(名はアルベルト・ハインリヒ) 全身が武器になっている。005➜アメリカ人(インディアン種で名はジェロニモ・ジュニア) 鋼鉄の皮膚と100万馬力の力を持つ怪人。006➜中国人・広東省出身(名は張々湖(ちゃんちゃんこ)) 口から高熱火炎を吐き、地中にもぐりこめる。007➜イギリス人(名はグレート・ブリテン) 細胞組織を変化させ、どんなものにでも化けることができる。008➜アフリカ・ケニア人(名はビュンマ) 体内で酸素が製造でき、強い体組織で深海での活動が自由にできる。009➜日本人と白人種のハーフ(名は島村ジョー・物語の主人公) トータルバランスの取れた高い性能と強い力を持っている。 002を上回る高い性能の加速装置をもつ。 (Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2010/07/24
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★☆ BMWと共に活躍したZ?ndapp(ツェンダップ)製オートバイ ★☆ Germany " Z?ndapp KS 750 mit Beiwagen" in WWII~ ヨーロッパ、東部戦線、北アフリカでも活躍した雄姿 ~ 第二次大戦中に主にドイツ軍偵察部隊の中核部隊として活躍したオートバイ(サイドカー)としてBMW(ベー・エム・ヴェー)社の"R75"の他に忘れてはならないのは、 Z?ndapp(ツェンダップ)社製の"KS-750"でしょう。 1940年だけで18,000台以上の"KS-750"がドイツ国防軍向けに生産されているからです。そこで、その雄姿を偲(しの)びつつ、動画の第4弾を作成し、YOUTUBEに投稿しました。 当初から軍用として開発され、高性能と無類の耐久性を誇り、BMW R75同様に傑作と言われたオートバイがツェンダップKS-750です。750ccの排気量を持つ水平対向2気筒エンジンに、シャフトドライブ方式を採用したメカニズムを備え、サイドカー付きでも最高速度95km/hと優れた性能を誇りました。動画第4弾!Z?ndapp KS-750(German motorcycle in WWII) オートバイ兵は、ヨーロッパ、北アフリカ戦、東部戦線とあらゆる地域の戦場を駆け巡り、命令を伝え、必需品を運び、負傷兵を乗せました。また、偵察や連絡に活躍したばかりではなく、時にはサイドカーにMG34機関銃を装備し、攻撃の先頭に立つこともありました。動画では、当時のKS-750の写真を添えて、その雄姿をイメージ的に再現してみました。 戦後になっても生きながらえたBMW社と対象的に、Z?ndapp社は、1984年に破産、廃業、その生産設備は中国の天津(てんしん)のオートバイ製造会社へ売却されました。 写真は、1943年の東部戦線、集合したタイガー戦車部隊の戦車長たちに、ソビエト軍部隊に関する偵察部隊からの報告内容を説明するドイツ軍戦車将校の様子。背景に、タイガーI型戦車が見えます。 登録番号の「WL」は、「ドイツ空軍」を意味するものです。他に「SS」であれば、「親衛隊」であり、「WH」であれば、「ドイツ陸軍国防軍」を意味しました。 この写真は、その独特な編み上げブーツや背景のヤシの木の様な亜熱帯植物の様子からして・・・北アフリカ戦におけるチュニジア付近を走行するドイツ国防軍オートバイ部隊のようです。 写真中央のメタリックの部分が変速ギアと前進・後進切り替えギアです。オートバイなのに後進が簡単にできるのです。 このサイドカーを見ていると、先日の高速道路のパーキングエリアで見かけたハーレーダビッドソンのサイドカーで旅行をしていると言っていたとてもオシャレな老夫婦のことを思い出します。ライダージャケットにおそろいの水玉のネッカチーフを身につけていました。若いころは、さぞ美男美女だったのだろうと思いました。 70年も昔に製造されたオートバイなのに、その斬新なデザインや凝縮された機能美は現代でも通用するものです。ドイツ人の物づくりのこだわりや職人の徹底的な仕事ぶりが想像できます。 Motorcycle Kick Start Demonstration: 1942 Zundapp KS750 1942年製のKS-750のマニアの動画を発見、整備もよくされており、走行可能なようです。欧米にはこの手のオーナーが多いようです。 1944年、イタリアのローマ市内を進軍するKS-750のオートバイ部隊の様子。なんとなく、兵士たちの疲れた様子が感じられます。だとすれば・・・北に向かって撤退中なのかもしれません。(Thanks) !! ↓(ありがとう)^^)/~~ ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2012/06/13
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