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2006年10月15日東大寺で重源(ちょうげん)800年忌法要が10月14日から始まっています。重源(ちょうげん)は西行法師の友人、義経の同時代人です。山田の同人誌小説「義経黄金伝説」にそのあたりかいてますのでどうぞ。http://plaza.rakuten.co.jp/rekishistory/http://www.yamada-kikaku.com/鎌倉時代の[プロジェクトX]「東大寺大仏再建計画」大勧進職・重源 [ 日本歴史 ] ――――――――――――――――――――――――――――――――――鎌倉時代の[プロジェクトX]「東大寺大仏再建計画」大勧進職・重源―――――――――――――――――――――――――――――――――――●関西元気印?はてさて、関西は元気がない。では、昔の関西ベンチャー企業はどうだったか?を考える歴史講談です。昔を省みて今を嘆く話。で、トレンドもとりいれて、 サラリーマンに人気のNHK番組に似せて、平安・鎌倉時代の[プロジェクトX]をとして見てみましょうか。内容は「東大寺大仏再建計画」。(参考資料HPは文末に提示)この話の主人公は、重源(ちょうげん)という大プロデューサーです。源平の争いで焼け落ちた奈良大仏、大仏殿を日宋協同事業として再建しました。(ちなみに奈良大仏・大仏殿は、戦国時代にも焼け落ち、江戸時代に再建されています)動乱の時代にアジアを股に掛け大仕掛けをした人です。●歴史についてのお勉強では少し、この時代のおさらいです。時期は源平の合戦から平泉大乱(奥州藤原氏を鎌倉幕府軍が征服した戦乱1189年)まで。日本で初めて北から南まで武士が大移動し日本が大戦乱の巷にあった時期です。つまりは、平安時代から鎌倉時代への過渡期。武士階級が台頭し、国家が構造変革の時期です。この時代、現在の日本と同じように構造改変が進んでいます。というか国(京都王朝)のお金がなくなってきていました。荘園制が進み、国家に税金が入ってきません。財政破綻です。国家の経済システムを変更せざるを得ない時期です。何か今に似てますね。おなじみ平清盛は、日本の経済機構を変えようとして、奥州平泉の黄金を、宋に輸出し、逆に主に「宋銭」を輸入。当時の日本では永い間、銭(流通貨幣)が鋳造されておらず、この宋銭は急激に普及しました。新しい経済の流通を作ったわけです。さらに平清盛は、日本の首都を福原(神戸市)に遷都。日本の国家構造を、貿易立国に変えようとしていました。また同じ時期、多田の庄(現・兵庫県川西市)に起こった摂津源氏の流れをくむ源頼朝は、この京都西国王朝に対して板東(関東)地方の独立と、武士階級の階級闘争のために旗をあげます。つまり時代が違いますが、アメリカの例に直すと、西部劇のカウボーイ(西部地方の土地開墾牧場主)が首都ワシントンの官僚のいう事を聞かず、自分たちの国「西部地方の武装開墾牧場主国家」を創ろう。日本では「坂東国家」を創ろうとしたわけです。まあ経済特区ともいえますが。●シニアベンチャー・重源?この時期、讃岐出身の重源は武士階級から僧(勧進聖)となり、大勧進職[だいかんじんしき]を執り行う事となります。勧進職とはあの歌舞伎弁慶の勧進帳で有名ですね。勧進とはお寺の再建などをするために民間や貴族から寄金を集めて物事をなしとげる事です。当時の勧進職を、いわばNPO組織を作り事業を始める「ベンチャー事業家」であるとみてみましょう。重源は大勧進職役職についた時すでに61歳。シニアベンチャー。京都王朝はこのようなご時世ですから、お金がありません。資金調達をも、この重源に頼むわけです。重源は資金を調達し、最新技術を持つ人材を組み合わせ、プロジェクトをやり遂げます。「企画から実施まですべてやってよ。あなたのコネクションを使ってスポンサーも見つけてきてよ」と京都から言われるわけです。重源は「スポンサーになって!」と、源頼朝や、奥州藤原氏に依頼するわけです。奥州(東北地方)は奈良時代から黄金の産地。奈良時代の大仏は塗金されていますので金ピカです。この奥州藤原氏の同族である西行法師に資金の斡旋をお願いします。西行法師と重源は、高野山の修行時からの知り合いです。ダチです。西行法師と奥州藤原氏は、平の将門(まさかど)乱(第1次関東独立運動とも言われます)を鎮めた有名な武人、藤原秀郷(しげさと)の子孫にあたります。この時代も(現代もそうですが)人脈と血縁関係は重要ですよね。キーワードはヒューマンネットワーク。重源は 人々(民間人)の宗教心と日宋貿易の利益を得てベンチャー事業を行ったわけです。日本全国を、阿弥陀の化身が一輪車でまわって行くという奇抜なアイデアで耳目を引き、東大寺再建キャンペーンを行うわけです。 寺の勧進と、兵庫など港の建築にも当たりました。当時の兵庫、尼崎(大物浦)の港改修工事は、重源の仕事と言われています。寺院再建材料である日本各地(特に山口県)の木材を奈良の地まで搬入しなければなりませんでした。ルートは?尼崎から淀川、山崎、奈良坂、を通じ奈良東大寺へ。この大仏殿の再建に当たって木材資材の調達のため全国を歩きその事績が残っています。そのための経済特区も作ってもらっていました。詳しくは末尾の重源(ちょうげん)関連サイトをご覧ください。当時の一流国は宋であり、鋳仏師の陳和卿(ちんわげい)という中国の最新技術テクノクラートを連れてきています。●支度一番になろう!というような具合に、重源は資金調達、材料調達、流通経路の確保、彫金技術などすべての技術と人間をも調達し[プロジェクトX]を成し遂げました。1180年東大寺焼亡。1185年大仏落慶供養。1195年には大仏殿はじめ中門などの造営。この重源の仕事のやりかたは、当時の言葉で「支度一番(したくいちばん)」と呼ばれました。企画・資金調達・実施・運営。プレゼンから報告書書き、式典まで、です。重源は仕事を終えて、建永元年(1206)、86歳でその生涯を終えました。1192年、鎌倉では源頼朝が鎌倉幕府を開き「天下草創」を行いました。新しい世の中を作ったのです。願わくば、関西のベンチャー企業や個人の起業でもいいでしょうが「支度一番」になり個人事業の「天下草創」されん事を願ってやみません。「重源の活動は中世日本のネットワーク構造を利用し、ゆりうごかし、ゆさぶるものでもあったし、そこに行使された数々の経済手段はあまりにも独創的なものだった。」以上の文章は松岡正剛さんの「重源」伊藤ていじ著(新潮社刊)の批評文の一部引用です。http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0063.html現在の我々も、考え方は一つではなく異なる考え方を取り入れながら、いろんな技術者とクリエイター(創造者)の組み合わせで事業をやりましょう。つまり、昔の関西人の方々は世界史上、アジア史上に残る大仕掛けを自らの力、実行力で行ってきたわけです。それゆえ、今の日本人が負けるわけにはいかんでしょう。今の日本人、ベンチャー企業、クリエイターの方々が、自らの人的なネットワーク、技術ネットワークを再確認する。東大寺大仏殿その他、関西に多々残る過去の大プロジュクトを思い起こし、事跡を見て感動し、この日本人の業績を思い起こし、現在の大プロデューサーが出でん事を、願います。●重源の郷http://www.chogen.co.jp/
2006年10月15日
本日、久しぶりに汗かいちゃいました。なぜって。「いたみ学検定」(第1回)を10月1日受けたのですが、別名清酒検定でもあり、そのあたりの日本酒の知識が、、ああ、残念ながらなかったのです。いやはや。どんと疲れましたです。試験なんて5年ぶりです。 で、そのお勉強中に、伊丹の方がおつくりのサイトがあり、勉強の資料にさせていただきました。伊丹の財産、水と緑のネットワークエリアを散策されるなら、我が町「伊丹」http://www.s-oak.jp/itami/index.html携帯版もあります。URLからアクセスhttp://www.s-oak.jp/itami/i/がお勧めです。●で、この検定いたみ学検定をお勉強中に、気になっていた事がわかりました。白洲次郎さんと妻の白洲正子さんって、伊丹(兵庫県)のどこに住んでいたの?です。これはこのホームページをご覧下さい。婚姻届けも伊丹で出されていたのですね。http://www2.osk.3web.ne.jp/~aranishi/saihakken33.htm山田も、子供の折から、不思議なお屋敷町のエリアだなと思っておりました。
2006年10月01日
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