全950件 (950件中 1-50件目)
本当に自分で感じて決めるものですね。ここ10数年で強く思った事です。今年も後2週間となりましたね。色々あった様で無かった様で、ふわふわと過ごしていました。皆さまは如何お過ごしでしょうか?自分の人生なんだから自分で思った様に進めば良い。やっとそこに辿り着いたのかなそのかわりに自分で決めた事には自分で責任を持つ。出来ればその過程を楽しみながら。上手く進む時もそうで無い時も。他の家族にもそうあって欲しいと願うなら、まずは自分からそうしてみる。子どもたちが不登校になるまでは、ずっと他人軸で生きて来た私だから、そこを自分軸に変えて行くのに、凄く長くかかった様に思います。今も自分軸ばかりで過ごせない時もあります。でもそれも私。そんな自分も認めつつ柔軟に生きて行けたらいいな。8ヶ月余りも放置していて、一体何のこっちゃと感じて居る方もいらっしゃるでしょうが。まあまあ元気です。一大イベントの実家の断捨離も終わり、とても清々しい気持ちです。皆さまにとって来年も良いお年であります様に。なんて書きましたが又気が向いたらきます。お墓参りでお寺にあった大きな山茶花
2022.12.17
コメント(0)
続けて書いておきたい事があったので、書いておきます。読んだ本の事についてです。単なる読書記録なので興味のある方だけ読んで下さいね。図書館にリクエストして居た、平野啓一郎さんの小説。近未来を描いたフィクションです。平野さんの小説は初めてでしたが、考えが斬新で筋も予想がつかず、ワクワクして読みました。主人公の男性が高校中退と言うのも親近感湧きました。ノンフィクションとフィクション。両者に共通しているのは、不条理な環境でより幸せに生きたいと皆感じて居るのだなと言う事。犯罪を犯すのはそうせざるを得ない理由があるのだなと言う事です。両者とも読み応えがありました。最後は東田直樹さんのこちらの本。東田さんの本は詩集も入れて何冊か読ませて頂きましたが、どれも自閉症の方の気持ちがとても分かりやすく書かれて居ます。こちらも自閉症の方と接する上で、知っておきたい様な事が沢山書かれて居ました。勿論個人差はあると思いますが、東田さんがこうして文字で伝えて下さる事で、救われる人も居ると思います。内容についても少しご紹介します。怒ってる人の声人が注意されているのを見たとたん、パニックになる自閉症者もいます。それを見て人が怒られているのが嫌なのだと判断する人もいるようです。パニックになるのは、だめな自分を責められている感覚になるからではないでしょうか「人の気持ち」と「我慢」人の気持ちがわからないということが、そんなに重要な問題なのだろうかと考えることがあります。なぜならそれ以上に大切なのは、自分の気持ちだからです。何をしていたいのか、どう感じたか、今本当に幸せなのか、まずは自分の心に問うべきではないでしょうか。それすらわからない人に、人の気持ちを考える余裕がないのは当たり前だろうという気もします。「感謝」「感謝」で大切なのは、まず感謝できる状況にある自分に感謝することではないでしょうか「褒めらること」自己肯定感は褒められることで、必ずしも得られるものではないと思います。それは褒められるのは人に評価されることであって、うまくいってるかどうか、自分が感じる感覚とは別のものだからです。「僕の考える支援」すぐに成果の出るものだけが、いい支援とは限りません。その人にとって大事なのは二十年後三十年後自分らしく生きていられるかどうかではないでしょうか。ー中略ー僕にとっていい支援とは、パニックを起こさずいつもの日課をこなすことではありません。人によって違うかもしれませんが、当事者が望む支援と周りが望む支援とは、必ずしも一致しないのではないでしょうか。「苦しみ」何があっても翌日には家族は何事もなかったかのように、僕に接してくれます。僕は僕のことだけ心配していればいいのです。ー中略ー自分の苦しさは自分で乗り越えることができます。けれども人の苦しさはどうしてあげることもできないことの方が多いのです。「あとがき」僕は自閉症者としての内面を伝え続けていますが、これは自閉症者だけではなく、普通の人にも共通する思いではないかと、たくさんの方が感じて下さっていることを知りました生き辛さを抱えた人たちに共通するものとは何でしょう。それは言葉にできないほどの苦しい気持ちではないかと思います。ー中略ー心の状態を言葉で表現することで、気持ちの不安定さの理由が理解できます。自分で自分を納得させられれば、人は前向きに生きていけるでしょう。転んでも立ち上がる勇気をみんなが求めています。東田さんも最後に書かれてる様に、沢山の方に当てはまる内容だと私は感じました。参考にされたいと思われた方は、全部読まれる事をお勧めいたします。
2022.03.31
コメント(0)
こちらで日記を書き始めてから、多分こんなに長い間書かなかった事は無いと思います。もうすぐ4月。年度変わりですね。不登校の子の親としては、なかなかにストレスフルな時期。自身を振り返ってもそう思います。卒業式、終業式、始業式、入学式。そんなものこの世から無くなってしまえば良いのにと感じて居ました。当たり前の様に子どもが学校へ通って居たとしたら、きっと気付けなかった事だと思います。今当時の私の様に感じていらっしゃる方が居たら、私はその気持ちに寄り添う事は出来ると思います。でもその方の辛さを無くす事は出来無いと思います。それはよく「やるせない」と言う言葉で表現されたりするけれど、非常に個人的な感情だから。私はこんなにやるせ無くなってるんだよとまず出してみる。そして自分自身で(または信頼出来る方でも良いから)受け止めてみる。そして癒す。そんな作業の繰り返しだった様な気がします。そうして居るうちに、段々とやるせなさが薄れていく。ほっとしたり、楽しいと思える瞬間も出てくる。自分と、目の前の子どもと、自分の家族だけを見ていく。他の情報は極力入れない。そんな風にして自分を守っていた時期もありました。だって人間どうしたって比べちゃうから。比較はキリが無いと知って居ても。半年間の休学を経て、娘が大学を卒業しました。今後どうするかは全く未定です卒業式も参加しませんでした。ひとまず区切りがついて、娘がホッとして居る様なので、その様子をみて良かったと今感じて居ます。沈丁花寒桜鈴蘭水仙水仙雪柳
2022.03.27
コメント(0)
12月半ばで終了するみたいですね。最近は専らスマホで書く様になり、パソコンは滅多に開かなくなりました。私は日記のアプリも利用していましたが、利用される方があまり居ない為終了になったとか。アプリも沢山ありますが、時々は見直して、実際に使うかどうかの検討はしたほうが良いですよね。メール、メモ、アプリも断捨離が必要ですね。お買い物アプリとかも「なんで入れたのかな?」と思う時もありますし。便利な様で却ってややこしくなってしまう事にもなりかねません。それからどんどん入ってくる広告も、これ要らないと思うのもあります。でも何処かから収入を得ないとね。斑入りのオモト。珍しくアプリから購入しました。話は変わりますが、スマホからだと買い物のハードルがより低くなると言うか、ついポチッとしちゃう。お店で購入するより簡単ですしね。郵送→電話→ファックス→パソコン→スマホ の変遷。半世紀以上生きて来たから、一応全部経験しました。それぞれに良さはあると思います。上手く使いこなせたら幸せです。あくまでも主体は自分で。自分の生活の潤いになれば良いなと思います。楽天アプリを作り修正やメンテナンスを重ねて下さった方々ありがとうございました。
2021.10.29
コメント(0)
最近よく考えます。長い間生きて来たのに、自分の土台と言うか、「私ってこう言う人間です」とハッキリと言える様なものが無い。自分の好きなものはわかる。嫌いなものもわかる。今までこう言う風に生きて来て、これからは予定ではこう言う風に生きて行きたいと思うと言うのも何となくだけど分かります。この歳になって就活生の様な事を書いて居ますが、残りの人生も自分がどんな風に生きて行きたいか?を考える為にも、今の自分が「何者」であるかを知る事は、必要な事だと思います。今まで周りの空気を読んで、こうした方が波風が立たないとか、人に何か言われて嫌な気持ちになりたく無い(争い事は苦手)とかで、自分が本当はしたくない事もしたりしてました。他人軸で生きて来たのだと思います。子どもたちの不登校で変わって来た面もあります。まず自分はどうしたいか?を自分に問える様になりました。その通りするかどうかは別にして。自分の本心に気づくって大事。こちらのブログも書き始めてから、この9月で丸10年が過ぎました。有難い事にまだ読んで下さる方もいらっしゃるみたいですね。ありがとうございます。今暫くは、続けてみたいと思います。出来るだけ自分の事を書いていきたいと今は考えています。自分が何者かを知る為にも。一気読みです。流石本屋大賞!
2021.10.05
コメント(0)
午後に、実家の母が亡くなりました。父が亡くなってから約5年が経ち、母の口から出た言葉は「充分生きた」でした。それが母の本心なら良いなと思いました。だって人間長く生きたとしても「満足」とはなかなか思えないと感じるからです。母が発した言葉は母の最期の言葉ではありません。コロナの関係で母の最期には立ち会えなかった。それは残念でした。でも今の状況では致し方無い事だと思います。49日はまだですが納骨までの間静かに母の事を忍びたい気持ちです。色々な手続きに追われる毎日だけど、その合間に母の残した手帳を見たり、遺品を整理したり。母の旅行の時の楽しそうな写真に癒されたりしています。それにしても初めてコロナワクチンを打った日が、母の命日になるとは。きっとずっと忘れないでしょうね。幸いな事に私はあまり副反応は出ませんでした。もう2回打ちましたが。皆さんはいかがでしたか?3か月ぶりの投稿になりました。ご無沙汰しておりました。今年もあと100日あまりですね。年内にあと何回書けるでしょうか。仏花と母の遺品にあった本。
2021.09.13
コメント(2)
凄くご無沙汰しておりました。あまり活動的には過ごして居ませんでした。毎年体調がイマイチの梅雨時です。家事、仕事、必要最低限の事して、後は買い物、犬のお世話(病院に行く回数が増えた)とドラマを観たり本を読んだり。今期のドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」「コントが始まる」を熱心に観てたんですが両方終わってしまった。まだあと少しあって楽しみにして居るのが「半径5メートル」です。脚本が橋田敦子さん。この方の書くものセリフが好きなものが多いんです。古いもので「僕の生きる道」三部作とか、故三浦春馬さん主演の「僕がいた時間」とか、高橋一生さんの「僕らは奇跡で出来ている」とか、新しい所では深夜のドラマ「モコミ」とか。皆大好きな作品。前回の「半径5メートル」は主演芳根京子さんと、元塾の講師で今は非正規雇用でダブルワークの芳根京子さんの知り合いの方との絡みが主でした。就職氷河期にあたり今でも苦労して居る須藤理彩さんの演じる方。「私は失敗さえもさせてもらえなかった」のセリフに胸を打たれた芳根京子さんの先輩記者の永作博美さんが「あなたの経験した半径5メートルの景色と相手の経験した半径5メートルの景色は違う」と言った意味合いの事を言います。言い回しは少し違ったかもしれませんが。考えさせられるセリフでした。他者の目線に立ってみる。勿論自分の目線は大切にしながら。気をつけて居なければ、忘れがちな事でもあると思います。自分でも気をつけようと感じたのでした。図書館で借りてきて読んだ2冊。最近の本ではありませんが、両方映画になって居て「私をくいとめて」の方はつい最近に観ました。綿矢りささんの作品。若い女子の「自意識」ってこんなだったのかな?もう若くないおばちゃんは少し微笑ましく読みました。読んだ本とか観たドラマとか感想とか。記録しておくと便利。忘れちゃうから。
2021.06.21
コメント(0)
前回の記事に入れた写真の花の名前を訂正しました。真っ白の可愛いお花は、インパチェンスじゃ無くて、イベリスでした。最近物の名前をよく間違えたり忘れたり。本も既に読んだのにまた借りたり。危ない年齢なのか?覚えておこうと思う気力も薄れて来てるのかも。ググればすぐに分かるしね。文字も然り。段々と時代は変わりますね。どんどん忘れてどんどん新しいものを入れていく時代なのかも知れませんね。最近実家によく行きます。4月の初め実家の近所を散歩して撮ったお花たち。タンポポ、カラスエンドウ、桜🌸1人でお花見。癒されました。最近読んだ本。最後のは2つある図書館にリクエストしていて、ほぼ同時期に回って来た本娘も読みたいと言うので一緒に読みました。ドラマ「6畳間のピアノマン」の原作です。読みましたよー。笑。備忘録。小川糸さんの本読むと優しい気持ちになります。
2021.04.04
コメント(0)
書いているのを知っている方が、あまりにも更新が無いのを心配して「どうしてるの?」と知らせて下さい ました。ご無沙汰してます。書く事が全く無い訳ではありませんが、何となくブログを書く事から遠ざかっておりました。もう3月もあと少しですね。2月は逃げるの通り、3月は去るの通り、あっと言う間だったと思い ます。この間娘は大学の休学を決め息子は大学の卒業が決まりました。7年間自分のぺースでゆっくりと卒業まで来たと思います。途中であれ大学生だったかしら?と忘れるぐらいのマイペースでした。笑私が全くのノータッチだった事もあります。ただ本人にずっと卒業したいと言う気持ちがあったから続いたのだと思います。「人と同じじゃ無くて良い」「自分のぺースで良い」「子どもと自分のぺースは違う」そんな事が改めて腑に落ちた気がしています。穏やかな気持ちで卒業おめでとうが言えました。上の長男の不登校から約12年と半年が過ぎ、はて自分はどう変わったのかしら?と最近感じます。凄く変わった様にも思うし、本質はそう変わって無い様にも思います。色んな事柄に振り回されにくくはなったかな?それと何か決める時「私はどうしたいか」をまず自分に問える様になりました。ただそれも100%じゃない。あまりにも温度差のある場所と人に触れると、酷く疲れてしまいます。色んな人が居るなとはなかなか思えません。自分の核と言うか芯が揺らぎます。最近よく行動を共にする娘にも「お母さんはもっと自分を優先させても良いと思う」と言われましたしね。人から見える自分。自分から見える自分。どちらも自分なのでしょうね実家の母が長期入院で、3ヶ月以上は老人ホームの部屋を確保する事が難しく退去する事になりました。亡くなった父も一緒に入っていた懐かしい場所でしたが、致し方ありません。退去の荷物が思ったより多く、大きい家具は業者の方に処分を頼みました。後の細々したものは夫と娘に手伝って貰い片付けました。持って帰ったものの片付けはまだですが。親の荷物を片付ける事が最近のメインイベントです。実家の家財も含め。これが気長にやると何年もかかる。自分の終活は早めにしなくちゃとしみじみと感じる今日この頃です。今花盛り。まっ白いインパチェンス。すがすがしい。インパチェンスではなく、イベリスでした。この本凄く面白くて一気に読みました。
2021.03.29
コメント(0)
気がついたら今年初めてのブログとなりました。もう1月も終わりで、もうすぐ2月です。前回書いてからこの約1ヶ月半の間何も書く事が無かった訳じゃ無いけれど、あえて「書いておきたい」と感じた事も無かった様な気がします少し娘の事を書いておきます。自分の振り返りとして。四年前に大学に入学して、最初はあまり順調とは言えませんでしたが、それなりに大学にも慣れ、早くも四年生になりました。後半年で卒業かと思いきや、そうは問屋がおろさず、急に大学に行かなくなりました。何とか取れる単位は取れそうだけど、後少しだけ卒業単位に足りず、3月に卒業とは行かなくなりそうです。娘の通う大学は基本対面授業なので出席日数が足りないとアウトです。本人はある程度休んだらまた大学にも復帰したい様ですが、それも本人次第なので、何時そうなるかは分かりません。色々と娘の気持ちを詮索したくもなりますが、そうした所で娘が元気になる訳じゃ無いし。辞めました。子どもが不登校になった当初に、なかなか自分が出来なかった事を今しよう。「放っておく」「頼まれた事だけする」「心配せずに信頼する」「自分に集中」といったところでしょうか?自分の中にまだまだあった感情。子どもが落ちていると、その感情に引っ張られたり、私を安心させてと思ったり。そんな諸々の感情を否定せず、自分の中におさめていく作業をして居ます。抱きしめて生きていく母親の癖でそう思っちゃうのかな?後自分が抑圧して居た事を、娘にされちゃうと怒りが湧いちゃう。親に八つ当たりとか。それだけ何でも言えるのは、喜ばしい事なんだけどね楽しく気楽に生きたいと切に思う。だってまだまだしたい事があるよ。もうそんなに沢山時間が無いしね。自分の為に自分の時間を使いたい。今はそんな毎日です。寒い日が続きます。皆様は如何お過ごしでしょうか?コロナもまだまだ終息しそうにありませんが、どうぞお気を付けて。遅くなりましたが今年も宜しくお願い致します。苺って美味しそうな赤ですね。大好き。実家に眠って居たお皿に載せました。
2021.01.30
コメント(0)
持っても良いのだと思います。それをお相手に押し付けなければ。押し付けるつもりはなくても親の価値観って滲み出てしまうものだから。大切に育てた子どもだからこそ、その愛で子どもを押し潰してしまわない様にしようと感じます。重い愛は怖い。あまりにも、期待や執着を無くそうとすると、それは余計に強くなる。だからまず認める。自分の中には確かにそう言う気持ちがあるって。そうすると暴れなくなる気がします。別の幸せの形の様なものが生まれる。今はそうなる途中かな?親類の子への愛は、また親子愛とは違うよね。むしろ人類愛に近い。だから意識だけでもそう思うと、上手い具合に薄まると言うか 笑。穏やかな愛って良いよね。私にとってはそんな感じですね。こちらにも結構強い親子愛や家族愛が描かれてますよ。そして表現がストレートでオープン。流石アメリカだわ。
2020.12.10
コメント(0)
親しい親類ぐらいに思っておいた方が良いのかも知れないな。敢えて親友と書かなかったのは、あくまでも年上の大人として接すると言う意味です。親身になって支えるけれど、本人の決定した事を一番に尊重する。気持ちを詮索したり、ジャッジしたりしない。親ってつい「自立させなきゃ」とか「子どもの先行きが不安」とか「落ち込んでる様だけど大丈夫かな?」とか思って、色々と質問したくなったり、アドバイスらしき事を口にしたくなりますよね。少なくとも私はそうでした今は大分控えられる様になったけど。根底に愛はあるのに伝わらない。「親」って思うと変な力が入るのかなその力の抜けた状態が、親類の人なのかも知れません。私は。そう思うと自然な距離感が出来る。それが親子にとってお互い心地良い。と思う。多分。子どもに対する重い期待や執着。もうすっかり手放したつもりですが、まだ「親として」って言う部分では残って居るのかも知れません。今しばらくは、そんな感じで過ごしいけたらなと思って居ます。タイワンフウ。昔子ども達の幼稚園の園庭にあった木。紅葉の時期が特に好きでした🍁またプライムで観ました。「私はお母さんの所有物じゃない」響くわぁ💦親の期待は重いよね。この前ドラッグストアでついフラフラ買ってしまったもの。少しお疲れ気味なのかしら?
2020.12.07
コメント(2)
色々と心配事や、モヤモヤする事が無いわけではありませんが(むしろ多いかも・・・)ここ何年か心掛けて居る事です。日々色んな事が起こり、そう出来ない時もあるけれどねやはり主体は自分。自分がやりたく無い事はやらない。無理もしない。オイオイそれで良いのか?って思う時もあるけれど、いいんです 笑。楽しいって喜ぶよりも、私はホッとする安心感や、ちょっとワクッてする様な期待感が好きです。それが自分の心が喜ぶって事かな。あんまり派手では無いけれど、落ちつく感じです。そんな時感じるのです。心が喜ぶって決して派手なワクワク感では無いって。少なくとも私は。もっとフラットな感じ。日常って言うか。穏やかな凪。どこまでもどこまでも続く、平穏な感じが好き。人それぞれでしょうけどね。家族であっても、其々の課題は本人に任せて、私は自分の心が喜ぶ事を選択しよう。自分の為に。そんなふうに感じる今日この頃ですでもこれは子供がある程度の年齢に達したから、そう思えるのかもしれませんね。本人に任せるしかない。本人の人生だから。皇帝ダリア。どこまでも高く高く伸びる花。山茶花。すぐに散ってしまう潔い花。植物に教えられる。
2020.11.18
コメント(0)
と言うのが本来の私のブログの目的でもそうじゃ無い時も多い。子どもの事だったり、家族の事だったりすることも多いのが現状です。それだけ自分の心が動くと言うか、影響される事が多いのでしょうね。理想は自分の事だけにかまけたい。でも実際問題としてそれは無理。自分以外の事に時間の大半をとられます。理想と現実のギャップ。自分の体力との相談もあります。無理はしないと決めてるけど。昨日娘と衝突しました。思わず感情が高ぶり、なんか言いそうになり、それは避けたいと思ったから「今は話したく無い」と言いました。冷戦状態です。受け止め切れない時もあるよねって自分に言い聞かせてます。以前自分のカウンセリングを受けていた時、カウンセラーさんに言われた言葉を思い出しています。子どもの言う事を受け止める事が大事なのと同時に、受け止め過ぎない事も大事だと言われた事。私は、私でしか居られない。それ以上でもそれ以下でもなく。娘もそう。そのままの娘でしか居られない。今、色んなプレッシャーでイライラして居るみたいだけど。時間が解決してくれるかしらね。はあ。お花に癒されよう。庭のコスモスが綺麗。
2020.10.24
コメント(2)
こちらのブログを書き始めてから、丸9年が過ぎました。丁度息子が17歳。通信制の高校の2年生の時の事です。その息子も26歳。その当時11歳だった娘も、21歳になりました。予定では来年2人共大学卒業の年です。多分だけど。でも私的には子育て終了とは、まだ行かない様です。正直こちらのブログ、出産子育てのジャンルのままで良いのかしら?と感じたりもします。「卒母」と言う単語も頭をかすめたりもします。そんな事を考えていたら、いつか親の会のお友達が言った言葉を思い出しました。「自立ってさせるものじゃないよね。するものだよね。」って言う言葉。自立は本人のタイミングでするものそれならば卒母も周りの人がするからとか、子どもの年齢が何歳になったからよりは、自分のタイミングで、其々の親子のタイミングで、していけば良いものなのかも知れませんね焦ったり無理したりしないでおこうただ自分の意識の中に「卒母」は持っておく事にします。ずっと。この前撮った十五夜の月。次の日は満月でした🌕と言う訳であまり更新できていないこちらのブログも、今しばらくおいておく事にします。過去のブログを読んで下さる方も、まだいらっしゃるみたいですしね。有難いことだと思います。今日レコーダーの録画番組の整理をしていたら、何ヶ月か前に再放送された「コウノドリ」1部の最終話があり観て居ました。その中に「生まれることは奇跡」と言うセリフがありました。至らない未熟な親を母にしてくれた子どもたちに、改めて感謝します。
2020.10.07
コメント(2)
そうですね。自分の経験はすごいとか稀有であるとか、この経験をしたから今の自分があるとか・・・うーん。それにも一理はあるかも知れません。でもそんなに大袈裟なものでも無いのかも知れません。その人それぞれの人生の課題の様なものがあって、その課題に向き合う為に様々な事柄が起こってくる。そう考えた方がしっくり来る気がします。だから経験も人それぞれ。凄い経験とかちっぽけな経験とか、上も下もない。そもそも経験って人と比較するものじゃ無いですしね。ただし例外もあると思います。ご自分の経験を昇華させると言うか、経験された事を書く事によって、ご自分の正直な思いを綴られて、人に寄り添ったり、人を励まされたりする方。やはり言葉の力って大きいです。ここ最近、幡野広志さんの書かれたものを何冊か読む機会がありました。癌患者の方でカメラマン。文章はどちらかと言うと明快で、ジョークも効いてて核心を突いてる。「ぼくが子どものころほしかった親になる」「なんで僕に聞くんだろう」に続き「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために」を今リクエスト中です。楽しみです。ひとりひとり、経験した事は違うけれど、やはり経験から得られるものは尊い。だから知りたくなり読みたくなるのかも知れません。自分と同じ様な考えだと嬉しいし、違う考えだと面白く、考えさせられる。コロナでおうち時間が増えて、読書が出来るのはいい。それにしても暑いっ!本の中に挿入されてる写真も素敵です。
2020.08.16
コメント(0)
たまに更新出来ない月もありますがここ最近は月1のブログ更新が定着しつつあります。とは言っても、先月は1度も書けませんでした。書いて無かった時期を少し振り返ってみます。とにかく「コロナ」「コロナ」に明け暮れた日々だった様な。リアルに身近に感染された方は今のところ居ませんが、それもいつまでかは時間の問題。毎日の様に報告される感染者数も増加してますね。出来る対策をするしかないですね。必要以上に不安視せずに。母の入居している老人ホームも、予約で短時間の面会は出来る様になりました。二回行ったけれど最初は母の体調が悪く、私と娘の顔がわからなかったマスクしてるしね。2度目はわかったみたいです。二回ともラインのビデオ通話で県外の姉とも話せたのは良かったです。息子は通信制の大学の試験が皆レポートに変わって、少しずつレポートを提出している様です。課題が送られて来てから割と短期間で出すみたい。娘の方の大学はリモート授業と対面の授業が半々な様な感じです。休校して居た関係でまだ夏休みにはなってませんね。夫の方の仕事はなかなかオンラインでという訳にはいかないのですが、出勤日数は少し減りました。私は腰を痛めていた時に休んで居た、実家の片付けをまた始め、粗大ゴミを申し込んだり、とにかく捨てたり 笑。私が幼稚園の時のお絵描き帳がまだ実家にありました。母も捨てられ無い人。飼ってる10歳のワンコが最近不調になり、何時もの病院で診て貰ったら絶望的な診断でした。気を取り直してセカンドオピニオンに違う病院へ。こちらは希望が持てる診断。初めてエコーで診て貰ったワンコ。人間と一緒だね。「お利口さんだね」って言われると、飼い主は嬉しいものなんですよね。ワンコに関しては、「もしこの子が居なかったら、我が家は家庭崩壊してたかもね」と娘が言ったぐらい。家族皆を繋ぐキーパーソン。人間じゃないけれど、それぐらい大きい存在です。出来るだけ元気で長生きして欲しいな。益々暑くなりますが、どうぞ皆さまもご自愛下さいね。桃と頂きもののマンゴー。読んだ本。何となく今の状況にリンクする。
2020.08.02
コメント(0)
またまたご無沙汰でした。うかうかして居る間にもう今年も半年が過ぎ様としています。1年の半分です。この前お正月だった様な気がするのに。まだまだコロナの影響は残って居て、でも手洗いも消毒もマスクも慣れてきました。元々車移動が多かったので、電車乗車の不安はありません。ただ行動範囲は狭くなってます。イベントに参加も無いし、親の会もご無沙汰しております。今日は何ヶ月ぶりかにカウンセリングに行って来ました。間のアクリル板も違和感なく。慣れって怖いですね。レジのひらひらな透明なカーテン?も平気になったしこれから何年かは「with コロナ」とか段々そんな気持ちになりつつあります。娘の大学も対面の授業が始まりましたが、zoomの授業も経験出来たのは、良かったみたいですね。学び方も、働き方も色々あると体感したみたい。私は何故か気持ちが鬱々として。「コロナ鬱」?と感じたりもしたのですが、元がそんなに活動的でも無かったから、不思議でした。今思うに家に居て家族を見過ぎて居たのかな?と気付きました。それと独りの時間があまり取れなかったからかな?やはり独りの時間はすごく大切。それが無いと自分を取り戻せないから私はなのですが。今までなんだかんだ言っても、確保できていた独りの時間が、削られていた事に気付きました。実家の片付けが佳境に入り、思わず重いものを持ち過ぎて、腰を痛めました。起き上がるのに痛くて30分位かかる。着替えもままならい時間を過ごして、体力の衰えを感じました半月たってやっとましになりましたその間家族に頼る毎日でした。独りの時間は大切だけど、独りじゃ無い時間も大事。本音も大切だけど本音ばかり出しては上手く回らないそんな事を感じたここ最近でした。生きてるって面白いですね。庭の紫陽花が綺麗。6月の花。
2020.06.25
コメント(0)
コロナウィルスの影響で、3月から約3ヶ月の自粛を余儀なくされました。明日から6月です。やっとボツボツと通常生活に戻りそうです。ソーシャルディスタンスとマスク生活、県外への移動の制限はまだ続きそうですが。コロナ前とコロナの後では、気持ちの上でも社会の仕組みの上でも、かなりの変化がありました。経済活動の落ち込み、雇用率の低下等暗いニュースは続きそう。我が家も例外ではありません。元気で働ける体力と気力を維持していくしか無いのかなあ?何となく危機感はあります。口では上手く言い表せ無いのですが。まず小さな単位の家庭から。家庭で英気を養っていけたら。一人一人が穏やかな気持ちで今に向かえたら良いなと思って居ます。深呼吸しよう。おやすみなさい。紫陽花とシモツケとアベノマスク。
2020.05.31
コメント(0)
前回記事を書いてから、はや2ヶ月が過ぎました。その2ヶ月の間に社会の状況が大きく変わりましたね。今はお家で過ごす事がデフォルト。元々あまり活動的では無かった家族ですが、以前にも増してそうなってます。お家で過ごす時間が長いと、どう過ごすか考える様になります。家事と買い物以外では、今はテレビやDVD観賞、断捨離兼ねて家の片付け、マインドフルネスのさわりの勉強、読書といったところでしょうか。マスクも少し縫いました。でもこれからは季節的に暑いですね。私が住むところでは、まだ公共の図書館が開いて居るので、予約した本を取りに行く事は出来ます。滞在時間は短いですが、そのついでに外を少し歩いたり、運動かねて公園を自転車で通ったり。その時自転車止めて撮った桜。ついでに庭の花も。小手鞠タンポポ芝桜とマーガレット。お花は癒される。家に居る時間があまり無いと、落ち着いて本が読めないけれど、今回は割とじっくり読めた気がします。読んだ本はこちら。図書館で借りて石のベンチでパチリ。身につまされる一冊でした。こちらの本も心のモヤモヤが晴れました。一冊目の「心の傷を癒やすということ」は、NHKのドラマを観て、読みたくてリクエストをかけました。凄く読みごたえがありました。阪神淡路大震災で被災者の心のケアにあたられた精神科のお医者様の書かれた記録です。ドラマでは生い立ちから、学生時代、結婚、精神科の医師になってから、震災その後闘病ののち亡くなる迄が描かれてて居ました。本では主に震災の時の描写が多かったです。私がこの本で1番心に残った所は、被災者の女性に向き合われた時の記述です。 この場合私はただ傾聴するほかはない と思う。しっかりしろ、気にするな、 気持ちを明るく持て、運動はどうだ などのアドバイスは彼女には届かない だろう。私は、ひたすら、彼女の話の 邪魔をせずに、批判や注釈を加えず 聞いた。(中略)一般に心の傷になる ことはすぐには語られない。誰しも 自分の心の傷を無神経な人にいじく られたくない。心の傷にまつわる課題 は、安全な環境で安全な相手にだけ、 少しずつ語られるのである。(中略) 「同じ体験をした人でないとわから ない」という彼女の気持ちは、まさ にその通りである。同じ被災地にいて も私は同じ体験をしていない。わかり ますよ、と言ったとたん、私の姿勢そ のものが嘘になってしまう。だが彼女 は助けを拒絶しているわけではなかっ た。誰にも理解できるはずがないと思 いながら、それにもかかわらず、理解 してほしいとも思っていた。「わかり っこないけど、わかってほしい」ので あった。「心の傷を癒やすということ」 安克昌著よりあと少し前に読んだこちらの本も、とても良かったです。リクエストをかけていて、やっとまわって来ました。今お家でいてこんな素晴らしい本が沢山読めて幸せだと思います。それにしてもコロナこれからどうなって行くのかな?色々と不安ですね。
2020.04.18
コメント(0)
2月に入ってこちらでは初の更新です。仕事の方が少し落ち着いて来て、ここ最近何本か観た映画の事を書いてみます。娘はわりと映画館でよく映画を観て居ますが、私は専ら家でレンタルが多い。でも最近映画館で2本観ました1本は邦画で「ラストレター」最終日に近づいて慌てて観ました。ラブストーリーです。今風じゃない古典的な手紙の。終始柔らかい落ち着いた雰囲気で物語が進んで行きます。福山雅治さんの若い頃を、神木隆之介君が演じてるのですが、違和感が無かった。映像も綺麗でした。松たか子さん、広瀬すずさんも良かったけれど、豊川悦司さん中山美穂さん演じる少し汚れた中年役も惹かれました。レディースデイだった事もあり女性客ばかり。明らかに福山ファンが多かったです 笑。もう1本は話題の韓国映画「パラサイト半地下の家族」です。凄く観たかったのですが、地方では上映が無いと諦めて居ました。が、アカデミー賞で一躍脚光を浴びたのが幸いし、映画館で観れました。対照的な2家族を描いた作品。富裕層と貧困層。息つく間が無い様に、次々とストーリーが展開していきます。今の韓国社会の格差を浮き彫りにしている作品です。一言で言うならば、「激しい」作品でした。私は「家族愛」も感じたし、抑えられない「怒り」って、ふとした瞬間に噴出するんだなって思いました。そして日本人の、感情を内に秘めていく国民性との違いも印象的でした。とても良く出来た作品だと思った。後1本、こちらは映画館で観れなくて、ブルーレイを借りて来て観た作品です。これも期待通り良かったです。主演のホアキンフェニックの演技。残虐な中にも悲哀と品のある美しさがあり、魅入ってしまいました。「狂気」って突き抜けるとある意味現実感が、無くなって来るんだって感じました。あくまでも個人の感想です。もし機会があれば観てみて下さい。私もよい気分転換になりました。
2020.02.19
コメント(0)
冬の東北へは今回の旅行で3度目になります。1度目は東日本大震災の後2年ぐらいしてから岩手と宮城へ。その1年後ぐらいに山形へ。そして今回の青森。何故か惹かれてしまう場所なのでしょうね。1度目はまだ復興もあまり進んでいない頃で、被災地を回り身が引き締まる様な気持ちになりました。2度目の山形も3度目の青森も平野部にはあまり雪が無く、暖冬と言われていました。何時も旅行を計画してくれる夫に感謝して居ます。北海道も良いけれど、東北もよい所。温泉もあるし、食べ物美味しいし、景色も綺麗だし。主婦にとっては、上げ膳据え膳で有難いですしね。また日常を頑張ろうと思えます。そして留守中の家族の家事スキルも上がって行ってるのも嬉しい。旅行中は何時もの3倍は歩いてるのに、全く体重は変わらないと思って居たら、結構食べてました 笑。帰ってからも買ってきたお土産を食べたり。まあそれも旅の楽しみ。地元の郷土料理。ほたて貝焼きみそ本鮪、白子ポン酢あえ、いがメンチ山菜そばと煮干しラーメンこの他にも沢山食べました。最終日は青森駅近辺を回りましたが、気温が高かったのか、雪ではなく雨が降って居ました。八甲田山の豪雪とは違った。でも八甲田も何時もよりはずっと雪が少ないらしいです。八甲田のホテルのツララ除雪車陸奥湾と青函連絡船とねぶたの飾り旅の記録にお付き合い頂き、ありがとうございました。ここ7年の間でやはり徐々に変化はありました。父が亡くなったり母が入院したり。娘が大学に入ったり。そして旅行中家の事を考える時間が減っているのにも気付きました。変わらないものはない。
2020.01.26
コメント(0)
全く日程も頭に無く、その期間に夫と旅行を計画していて、行って来ました。当日の朝も早朝暗いうちに家を出たから、道中も混む事も無く。飛行機を2回乗り継いで行った先は東北の青森です。今年は暖冬で、東北の方も雪が例年よりは少なめらしいです。でも西の方に住む人間からしたら、すごい雪3日間雪景色を堪能出来ました。初日は青森空港から青森駅に行き、そこから弘前城へ。 雪の弘前城 お堀もカチカチに凍ってる 弘前城公園から見た津軽富士(岩木山)次の日は八甲田に宿泊して、念願の八甲田山へ。こちらも凄い雪。でもお天気が良かったからか、そう寒さは感じませんでした。鮨詰め状態のロープーウェイで山頂へ。そこは一面樹氷の銀世界でした。以前に山形の蔵王に行ったときも見たけれど、本当に自然って美しい。試験を受けられてる受験生や、そのご家族からしたら、それどころでは無かったでしょうね。ごめんなさいね。自分の記録として残しておきます。次に続きます。よろしければお付き合い下さいね。
2020.01.23
コメント(2)
松の内も明け、令和2年も半月が過ぎました。今更ですが今年も宜しくお願いします。昔なら成人の日ですね。今は祝日がいつになってるのか、カレンダーで確認しないと分からなくなります。こちらのブログを書き始めてから、今年で9回目の新年を迎えました。約8年が過ぎました。10年一昔と言うけれど、10年続いたらブログを書くのも一区切りかな?と思ったりします。その頃迄に1000件書くためには、後73件書かないといけない勘定になる。そうすると月に3件以上は必要 笑。あら?出来るかな?ブログを書くのも脳トレです。物の名前も「あれ何だったかしら?」人の名前も「あの番組に出てた?でも思い出せない」と忘れがち。記憶力も衰えて来ています。だから、自分自身の為にも細々でも、ブログに残していけたらなと思います。その時に自分はどんな事を経験して、どんなに感じたり考えたりしたのか?そしてどう行動したのか。動かなかった経験も含めて。そしてそんな自分に関わって下さった周りの方々との関係も、もっと強く、そして楽しいものに出来たら、自分の人生も充実させられる様に思います。人生はもうそんなに長くは無いからね。少し落ちこむ事のあった年始でしたがお笑い観たり、歌を聴いたり、ドラマや映画を観たりしながら、浮上してきた気がします。お友達にも話を聴いて貰う機会にも恵まれました。気にかけて頂き感謝です。ありがとうございました。食べる事も忘れていませんよ。色々なものを買ってきたり、頂いたり作ったりしました。食べたいものが直ぐに食べられる幸せ今の自分の体調にも感謝しなければね当たり前は無いのだから。自分で小豆炊きました。新豆なのに固くなってしまって。1度冷凍して解凍したら、美味しくなりました。ネット便利。娘が福袋買いに行くのについて行って、コーヒーの福袋をゲットしました。蟹も食べたよ。頂きものですが。
2020.01.15
コメント(0)
は無いよねーと娘がクリスマスイブに言いました。うん、残念ながらそんな予定はありません 笑。息子に比べてそんなにゲームに執着が無かった娘ですが、この前に何かの懸賞でDS器が当たりました。それで中古のソフトを見つけて買ったみたいです。小さい頃に枕元にプレゼントが置いてあったのは、やはり嬉しい思い出だったみたいですね。今の子どもたちも、そうなのかな?子どもが嬉しそうだったり、楽しそうだったりすると、やはりそれを見てる親も嬉しくなってしまいますよね。それとは逆に、子どもが苦しそうだったり、悲しそうだと親も、それに気持ちが連動してしまいます。境界線を引こうと理解はしていますが、感情はなかなかついていかない。だからそんな時は何時も深呼吸します。個としての自分を取り戻す時間が、私には必要みたいです。今母として、子どもたちに出来る事は日々あまり無いと感じて居ます。それこそ毎日のご飯作りぐらいですね昔ほどそんなに行事食は作らなくなりました。今年のクリスマスはケーキは買って、チキンのかわりに焼き鳥で。ローストビーフはフライパンで簡単に。後何年家族でクリスマスを過ごせるかわからないけれど。もしかしたら、ずっとそうかも知れないけれど、1日1日を穏やかに過ごせたら良いなと思います。とりとめの無い事ばかりですが、今年も後わずかになり、この1年は早かったなあと感じて居ます。皆さまはどんな1年でしたか?最近リビングのテレビを新調しました。めちゃ綺麗な映像。益々テレビっ子になりそう。
2019.12.26
コメント(4)
来ましたね。そんなこんなでブログの更新が1ヶ月以上空いてしまいました。毎日何かと気忙しいです。この週末には義父の法事もあったり、実家の母の事で病院や施設関係の用事もあったりで、バタバタして居ます。子ども達の事も本人にお任せとは言え色々と気にかかる事もあり、かと言って私が何か出来る訳でも無く。ご飯以外。気持ちがザワザワと落ち着かない日々ですね。家族の中で1番手がかからないと言うか、安心して見ていられるのは夫です。私は。放置とも言う 笑。やはり気持ちの上で信頼してるのだと感じて居ます。先日の親の会で感じた事。アサーションで自分の気持ちを伝えた方が居て、非常に清々しい気持ちになりました。他の方のお話を聴かせて頂いて、過去の自分の傷が疼き、それを認める事で自分が癒されるのを感じました。ごめんなさい。抽象的な事ばかりで。急に寒くなって来たから、煮込み料理や鍋物が多くなって居ます。お友達に新しい鍋を教えて貰ったから今日は作ってみようかな?スーパーのポイントを貯めて、少しお安く電気圧力鍋を手に入れました。豚の角煮やビーフシチューなどが、とても美味しく簡単に出来て幸せです。毎日楽しい事ばかりじゃ無いけれど、小さな楽しみや幸せを見つけて、なんとかやって居ます。皆さんそうなのかしらね。今年もあと1ヶ月あまりですね。お互い体調に気をつけて、あと少し乗り切りましょうね。いつか春が来る事を信じて。他力本願も悪くは無いよね!晩秋の夕焼けは綺麗で物悲しい。
2019.11.26
コメント(0)
少し思いつくままに書いておきます。まとまりは無いし、そんなに為になる様な事でもありません。ただ書きたくなったから、書いておく。本来の日記ですね。10日ほど前の事ですが、こちらのブログを通して、繋がりを頂いた方々と、女子旅に行きました。とてもとても楽しかった。私は人見知りで怖がりです。その私がネットで知り合った方々と、こんなに深いお付き合いをする事になるなんて、想像もつきませんでした。過去は。本音で話せて、何でも言い合えて、受け止めていただける。有難い事だと思いますソウルメイトですね。子どもたちの不登校があったのが、知り合うきっかけですが、前世から繋がりがあったのかもと感じるほどです。しっかりものの方が、計画や宿や乗り物の手配までして下さり、ただボーッとついて行っただけですが 笑。美味しいお店の予約からレンタカーの手配から、何から何まで大変お世話様でした。空気も水も美味しくて、景色も素晴らしく本当にリフレッシュした旅。そんな場所が今回の台風で大きな被害を受けたのです。テレビのニュースの映像を見るたび、あの場所は今どうなってるんだろうと胸が痛みます。他の場所でも、被害に遭われた方々、怖い思いをされた方々心よりお見舞い申し上げます。ここまで書いて来て思い出した事があります。それはずっと昔に読んだ「幸福論」と言う本の中にあった言葉です。こちらのブログにも書いた事があります。色んな方の「幸福論」が書かれていたのですが、その中で私が一番インパクトがあったのは柳田國男さんの言葉です。どちらかと言えば重いそして深い言葉。「人は基本不幸の中に生きている」「不幸の中にこそキラッと光る幸福の種 がある」「不幸を経験せずして真の幸福はない」 そんな内容だったと思います。 よく言われる光と影。禍福は糾える縄 の如しと言う事なのでしょうか。 比べるものでは無いですが、私自身 子どもたちの不登校の初期は不幸の ドン底でした。家族関係も最悪で、 ギスギスしていました。 今は家族で笑いあえる時間も増えま した。非日常も日常も楽しめる様に なりました。問題が無い訳じゃない けれど、「まあ何とかなるかなぁ?」 と緩い感じになりました。 だから大丈夫なんて事ではなく、不幸 も幸福も、誰にでも平等に訪れるもの だと気付けた事は大きいと思います。 勿論そう思えなくても全然良いし、私 も正直そう思えない時もあります 爆。 でも幸福と不幸の境は、自分の捉え方 で変えられる。 人と比べず自分なりの幸福を感じられ たら、きっと幸せに生きられるのだと 今は思っています。 今読んでる本です。興味深い内容が多かったです。借りて読んでるのですが買いたくなりました。まだまだ悩み多いと言う事かな?
2019.10.13
コメント(0)
以前から行きたいと思っていた、傾聴の実用講座を受けに行って来ました。そんなに近くでは開催されて居ないからなかなか日程の都合がつかず、前回基礎講座を受けてから、ほぼ4ヶ月半間が空いてしまいました。なので基礎で習った事もほぼ忘れてしまって居ました。でも最初に復習から入って下さったので、段々と思い出す事が出来た様に思います。忘れないうちに前回の講座の様に、簡単に振り返ってみます興味がある方は読んで下さい。はじめに講師の方が仰った言葉が、私は印象的でした。それは「実用」とは応用ではなく、実際の日常に生かせる様にと言う意味だと言う事です。いくら学んでも、それを机上の空論にせず、失敗しても上手く出来なくても、使ってみる事が大事と言う事なのかなぁ?その為にロールプレイの時間が多くとられて居ました。基礎講座の時の倍の人数の方がいらっしゃって居たので、ロールプレイの内容もバラエティに富んでいた様に思います。詳しい内容は全く書けないのですが、深い繰り返しの練習沈黙への対応伝え返しや確認質問(気持ちを分かる為の質問。事柄 の質問ではない)主訴をとる違いをわかりあう聴き方などについて学びました。今振り返ってみて、私がここを学べて良かったと思う事は、「傾聴」は決して苦しいものでは無く、自分のフィルターを確認しつつ、目の前の人をジャッジせずに、そのまま受け止め支える姿勢だと、あらためて気付けた事です。傾聴したからと言って、お相手の気持ちが変わるか変わらないかは、相手が決める事です。じゃあ聴く事によって何が変わるのかしら?私がこの講座を受けたいと思った一番の理由は、家族を傾聴したいだったのですそれによって家族の関係性が、良い方向に向く事を期待して居た様に思います。でも講座を受けて思う事は、やはりそれはそんなにたやすい事では無いなと言う事です。「聴く事で相手の気持ちが数%でも軽くなれば良い」ぐらいに思っておいた方が楽に聴ける様に思いました。その間と言うか、リラックスした柔らかい空気があるから、傾聴出来るのかも知れません。先ずは自分自身を傾聴して、余裕を持つことなのでしょうね。何時ものバナナケーキに梨を入れて焼いてみました。風が強くてめちゃ蒸し暑い。台風の接近のせいかしら?進行方向の方々、どうぞお気をつけくださいね。
2019.09.07
コメント(4)
って昔よく聞いたけど、これって本当にそうだなあって最近とみに感じます。例えば同じ様に子どもの不登校を経験した親同士であっても、その辿る経過は人其々。それはそうですよねー親も子も、皆違うのですものね。自分より短時間で上手くいってる様に感じるあの人も、実は陰では大きな障害や、大きな悩みや困難があるのかも知れないし、無いのかも知れない。でもそれを知った所で、それは其々が超えて行く課題だしね。これは親子と言えどもそうですよね。人の課題を肩代わりする事は誰しも出来ません。応援はできても。だからこそ人は自分の人生を、自分で試行錯誤しながら進んで行くしかないそんな覚悟の様なものが、この年にしてやっと出来てきたかな?と思います遅いのかな?でも多数派と違う生き方をした子の親だから、覚悟に気付けた部分もあるのかしらと感じて居ます。ある意味、のほほんとは生きてこられなかった。それはそれで自分の成長には、良かったのかなぁ?デザート作りにハマってます。左上は作っていません。左下もよそで頂いたものです私にとってデザート作ったり、食べたりする時間は、とても良い気分転換になります思考を緩め、ゆったりした気分になれるからだと思います。「美味しくて幸せ」って良いね。幸せって実はあちこちにあったのですよね。気付けて良かった!
2019.08.27
コメント(2)
って思う時と、アドバイスして欲しいって思う時とがあります。私の事です。でも、子どもたちも一緒かな?と思いました。誰かのアドバイスが欲しい時と、そうじゃ無い時があるのかな。自分だけの考えで進みたい時とそうじゃ無い時とが誰しもあるのかしらね。その見極めがなかなか難しい。自分に当てはめてもそうです。放っておいて欲しい時と、気にかけて欲しい時とありますね。自分の考えだけで進む事が不安でたまらない時もあるのです。誰かの言葉にすがりたい気持ちになる時もあります。何時も何時もでは無いけれどね。私は迷った時は、ひと呼吸置きます。損とか得とかでは無く、自分が何が必要なのか?考えてみます。誰かのアドバイスが必要なのか、それとも自分の心の声に従った方が良いのか?じっくり自分の感情と向き合ってみます。そうすると自ずと進む方向が見えて来る気がします。何時も何時もアドバイスが要らない訳じゃ無いし、何時も何時も自分だけの考えや感覚で進みたい訳じゃ無い。人との関係性の中で生きている自分。でも自分を尊重したい自分。両者のバランスが大事なのかしらと今は思って居ます。映画観たり、昔のテレビドラマ観たり。そんな時間が1番落ち着く。
2019.08.22
コメント(2)
結婚して何十回目かのお盆です。昔と比べたら楽な楽なお盆です。親類も帰ら無いし、最近亡くなった家族も居ないし。家事の量が格段に違うし、お墓詣りに行く位で済んでる。今日も夫と2人で、お寺さんに管理料やお盆供養のお布施も払いに行きました。高校野球を観る時間がある。ざ、夏休みって感じがします。昔は台所に立ってる時間が長かったなぁ。ご飯の段取りしたり片付けをしたりに追われて居ましたねー。それはそれで懐かしい感じもするけれど、あまり余裕が無かった。へたすると、食料買い出しが息抜きみたいでしただから今は格段に自由な時間があります。おまけに今娘が家に居ません。自分の趣味の事で県外に遠出してます。好きな事があるって良いなあ。あまり趣味らしきものが無い私は、羨ましく感じます。私は時間が出来ても、せいぜい録画みたり本読んだりするぐらいです。実家に1度行って実母の施設には行きましたなんかガラッと変わった事がしてみたい。明日は久しぶりに中学校の時の友達と会う予定です。楽しみです。一気に昔にかえるのでしょうねー。お盆ならではだと思います。おばちゃんの細やかな楽しみですね。読んだ本。ほのぼのするのや、ドキッとするのやら。
2019.08.12
コメント(0)
ここ最近の娘の事です。私自身の記録の為に簡単に振り返ってみます。6月に入ってから大学を休む事が増えつつあります。3年に入ってからは、少し安定したのか、淡々と通って居たから、大学生活にも慣れて来たのかな?と思って見て居ました。でもまだだったんだなまだしんどいんだなと今は感じて居ます。長年受けて居た病院のカウンセリングも無くなり、1年生からの2年間に受けていた学校でのカウンセリングも、中止になってました。でもお休みが続いてから、また受けてみる気になったのか、自分で予約して1度受けました。そして今日もカウンセリング受けに大学へ行きました。気持ちがおちつくみたい急にお休みなく行ったり、また行かなかったりを、繰り返して居ます。休む日は計算して休んでる様ですが。やはり私の気持ちは娘の元気に左右されてしまいます。自分の安心の為に娘の行動を変えさせる事はしないし、出来無い事もわかって居ます。また新たに「境界線」を意識する時が来たのかな?一緒に映画を観に行ったり、買い物に行ったりして楽しい時間も、娘とは共有出来る様になりましたそんな時は境界線を意識する事も、あまりありませんね。でも順調に進んで行く事ばかりでは無いですよね。いや息子の時も娘の時も子育てって順調じゃない時期が多い。特に思春期以降は嵐の様な時期が多かった様に思います。でもそんな時期もあったから、お互いに成長出来たのですけどね。順調じゃない時程、境界線を意識して子ども自身の成長する力、生きていく力を信じる時なのですよね。改めてそう感じだので久々にここに書いてみました。私は自分の事をしよう。自分に必要な事や自分が楽しいと感じる事に、自分の時間を使おう。読んで頂きありがとうございました。映画アラジンの、ジャスミン役のナオミスコットさん。凄く綺麗でした。そして真っ直ぐで、強そうな女性でした。
2019.07.12
コメント(0)
ですね。5月は何やかやありなかなか更新出来ませんでした。そんなに元気ではありませんが、そんなに落ち込む事も無く、時が過ぎていました。娘は今週はよく大学をお休みしました子ども2人とも体調がすぐれない時期。息子も何となく不調。そう言えば毎年この時期はそうだと思い出しました。気圧とか自律神経とか気候などの関係で、身体が不調になり気持ちも落ちる時期なんです。私もそんな傾向にあると自覚しています。そんな所に追い打ちをかけて、昨今の色んなニュースもあり、非活動的になってます。何時もの事かもしれないですけど。ニュースの全容はまだわから無いですが、一方的な報道だけを鵜呑みにしない様に、気をつけたいと思いますね。勿論犯罪は許される事では無いけれどそこまでしないといられなかった理由や、深い深い闇の様な気持ち。誰1人相談出来なかった疎外感。そんな所に思いを馳せたいなと感じます。比べるものでは無いけれど、私も子どもたちの不登校の初期は、世間から疎外された様な気持ちになった時期もあります自分の周りだけ色が無い、モノクロの世界だった。そんな事を思い出しました。昨日は私のカウンセリングでしたもう9年来のお付き合いの先生とお話ししてると、気持ちがやわらかくなります。事件のお話しにもなり、先生が「同じ様な気持ちの人は世間に一杯いるだろうね。働いてるとか働いてないとかに関わらず」と仰ってました。私はこうやって自分の気持ちを話したり、相談したり出来る場があります。でもそうで無い人はたちも多いのですよね。不登校の子や、引きこもりの人たちの中には、身近な家族にさえ言えないし、話したくないと言う事も多いのでは無いかな?もう話す気力も無いし、振り返りたいとも思わない。なかなか説明出来ないし、わかってくれそうもないから言いたく無いって気持ちの人も居ると思います。キーワードは「信頼関係」かな?信頼関係を築くためには、時間も根気もかかるのだと思います。たとえ家族だとしてもそうなんだろうなあ。いや何時も一緒に居る家族だからこそ、本音が言い辛いって事もあるのだと思いますね。以前読んだ碓井真史氏の著書「誰でもいいから殺したかった」の中にあった言葉を思い出しました。親にさえ愛されない無価値な自分だと感じたら、良い人間になろうとは到底思えないだろうって言う様な事が書かれていたと記憶しています。やはり母港は家族なんでしょうね。そして子どもを受容するためには、親自身も自己受容する事なんでしょうねそれは私自身がここ何年かで痛感した事です。まず自己受容が先。今月はカウンセリングもあり、親の会も2度あります。有難い事に。過剰に不安にならず、かと言って過信せず、淡々と自分に向き合い、自分の気持ちを整えたいなと感じています。今の時期紫陽花が綺麗ですね。
2019.06.07
コメント(0)
私がブログを書く目的の1つに「記録」の為があります。その時に自分が行動した事や経験した事、それによって感じた事などを文章で記録しておくのです。記録しておくと「忘れにくい」し、後で読み返して思い出す事も出来ますそれなら自分のメモやノートに残す方法もありますが、ブログに書く事でより整理しやすいし、わかりやすく書く様になるから、自分の為にもそうして居ます。以前に受けた講座の事も書いてきましたしね。今朝は自分で作った苺ジャムをのせたトーストとヨーグルトで朝ごはん。昨日は朝からほぼ1日、「傾聴講座」を受けてきました。以前にビジネス用の傾聴講座を受けた事はあります。その時は「人の話を出来るだけ正確に聞く」事「視線の位置」「姿勢」などについて教えて頂きました。今回はビジネスでは無く、もっと広い意味で「傾聴」の基礎を学ぶ講座です。自分が今1番学びたい事だったし、日帰りで参加出来る日程で、講師の方のお人柄が(ブログからの印象です)とても好ましい感じがしたから申し込みました結果自分にはとても合っていました。時間があっという間に過ぎて、学び甲斐のある講座でした。また機会があれば、是非参加させて頂きたいと思いました。以下学んだ事を簡単にまとめておきます。興味がある方は読んでみて下さい。本などにも書かれてる一般的な事ですが、丁寧に例をあげて説明して下さったし、ロールプレイしたり、その都度質問も出来たので、私は理解が深まった気がしています。傾聴とは、アメリカの心理学者カールロジャーズによって始められた、来談者中心療法の事。今相手がどう感じ、周りの世界をどう見ているかを、相手の内側から理解する。相手の伝えたいものをしっかり受け止める。その前提条件は、人間は自己成長力を持っている と言うことと、問題を解決するのは本人であると言う2点。そして傾聴の基本的態度は、「受容」「共感」「一致」である。その中で「一致(自己一致)」が1番大事だと講師の方は仰ってました。こちらには詳しくは書けませんが、同感と共感の違いや、自己一致の説明をとても丁寧にして下さり、私は大分腑に落ちました。そして傾聴の目的は「支える」「寄り添う」「そのまま受け止め」よき理解者になろうとする事であり、気付かせる、わからせる、喜ばせる、気分よくさせるある方向に誘導する事ではない。目的と結果を一緒にしない。結果は相手に任せる。私がこの講座を受け様と思ったきっかけは「家族を傾聴したい」「自分を傾聴したい」だったのです。でも講師の方に聞くと「家族の傾聴はエベレスト登山並みにハードルが高い」そうです 笑。なのでまずやりやすい所から始めてみようかな?と今考えています。まず自分からですね。相手が喜んでくれてもくれなくても、自分のために聴く。まず自分自身を聴く。聴きたかったら聴く。聴きたく無かったら聴かない。自分のフィルターを理解し、自分の理解者になれる事が、大きな一歩かなと思います。講座で話された事はこちらではあまり書けないから、少し伝わり辛いかと思いますが、傾聴ってやはり素晴らしいなと感じた1日でした。日々少しの時間でも、傾聴出来たら自分も周りも穏やな気持ちで過ごせるのでは無いかなあと思います。最近私自身の事ばかり書いてますね。
2019.04.21
コメント(0)
アダルトチルドレンとは思っていなかったのですが、今日アダルトチルドレンかどうか調べるテストをしてみたところ「アダルトチルドレンの可能性があります」と出ました。まあそれでどうするか?って事でも無いのだけど何となく生き辛く感じるのはそれかも知れないなあと思いました。ついでに書くと以前「HSP」の検査でも「間違いなくHSP」と出たのでした。自分ではどちらかと言うと鈍い方だと感じて居たから、この結果にはちょっと驚きました。あら私かなり頑張って来たのかもなぁと感じましたが。その分自分に優しくしなきゃね。頑張って生きて来た自分を褒めてあげないといけないなあ。それは私だけではなく、同じ様な境遇にある方々も皆そうなんですけどね。みんなもっともっと自分を褒めようね。そんな事を感じた春の夜。急にブログに書いておきたくなりました。今日朝母のホームから連絡があり、体調不良だとお知らせがありました。病院にお連れしますと。でも今日は自分の予定を優先させて、私はホームには行きませんでした。やはり罪悪感は感じてしまいます。でも以前の様に自分責めはしなくなりました。自分の選択を大事にしようと思えるようになったのだと思います。ごく当たり前の様に。今年は桜が長く楽しめますね。
2019.04.13
コメント(2)
と私が以前から思っている繋がりがあります。リアルでお会い出来るのは、数年に1度ぐらいの頻度なのですが。ネットでお話してるからか、リアルでもすぐ打ち解けられます。怖がりで、ガードが固くて、あまり喋りが上手では無い私でもです。自分にとっての暗黒時代と言うか、一番大変だったと感じる時を一緒に乗り切って来た方々だから。昨日と一昨日、そう言う方々と久々にお会いして、沢山喋って、笑って来ました。愚痴や悩みも聞いて頂き傾聴してもらったり、アドバイスもしてたもらったりもしました。ああ。楽しかったなぁ。と今余韻に浸って居ます。私は息子の不登校の時には、まだ地元の親の会には行け無かった頃だから、こちらの繋がりだけが頼りでした。ブログでも励まして頂いたりで、感謝して居ます。ネットでもリアルでも、大事な事は自己開示と自己受容。そしてお人を頼る事なのでしょうね。人は1人では生きられないですものね。子どもたちの不登校はその大切な事を、私に気付かせてくれたんだと思います。今回お会い出来たのは4人の方々です皆さまお忙しいところを、時間を割いて、会って頂きありがとうございますお陰様で非常に有意義な楽しい時間を過ごす事が出来ました。またお会いしましょうね。お嫌で無ければ 笑。桃の花かいどうさくら水仙フリージア芝桜新しい元号「令和」が発表されましたね。私は馴染みが良い文字でした。違和感なく受け入れられそうです。梅の花の写真が無かったのが残念。アップしようかと思ったら、ベリーさんのお父様の訃報が。以前からよくコメントを頂いて居ました。お会いした事はありませんが、お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2019.04.01
コメント(0)
子どもたちの事で、オロオロしたり、悩んだり、一喜一憂したりしないといけないのかしら?自分自身が「手放す」と決めて、一切関わらないと覚悟を決めれば良いのかしら?子どもときっぱりと線が引ければ。「見守る」って何だろう?放任とは少し違うね。でも自立に向かう年頃の子どもを、見守るって難しい。経験は取り上げない。失敗も成功も。そこは大丈夫かなぁ?頼まれた事だけして、決して出しゃばらない。手も口も出さない。指差し確認が必要ですね。私は未だに。しかし、自分の感情まではコントロール出来ない。そこが一番難しい。色んな感情を感じつつ、表面上は淡々と接して行く。動じない。まだまだ修行は続きます。出来れば楽しく修行したいものです。軽くありたい。軽やかにありたい。希望はそうです。なかなか軽く居られない。体重では無くてね 笑。精神的にも依存しないって事かなぁ?自分とは切り離して考える。影響されない。特に負の感情に。何時だって自分は頑張ってる。そこは認めてあげようと思う。恩着せがましく無くよくやってる。真っ直ぐに自分と向き合おうとしてもがいてもがいての今だなと思う。子どもたちも自分自身もね。ちっぽけだな 私。でも愛しいな私。どんな私もOK。自分を虐めない。大切に扱う。この世の中でいちばん大切に扱う。ありがとう私。大好きだよ。私。なんか照れた 。お花見て気持ちを落ち着けよう。距離的に近いと色々難しいです。みんなどうしてるのかなあ?お家で成人した子たちと一緒に暮らしてる方々。自分の器の問題もあるけれど、どっしりとした母であり続ける事ってなかなかだね。 ↑の記事は2、3日前に下書きしたものです。自分には珍しく。今読み返してみると、気分的に落ちてますね。やはり季節的なものもあるかしら?3月から4月位にかけては、自分にとっては嫌な思い出も多く、気持ちも不安定です。気候の変化も大きく体調も安定しません。でもそういう経験をした自分を受け入れたい気持ちもあります。出来るだけ予定をゆるくして、自分がほっと出来る時間を多くとったり、好きな事に集中したりして、乗り切ろうと思って居ます。仕事以外のプライベートではね。仕事は忙しい時期です。アップしようかどうしようか、迷いましたが、私と同じ様な気持ちになる方も、いらっしゃるかな?と思い書いてみました。今は少し上向いて来ました。同じ様な気持ちの方、一緒にこの時期を乗り切りましょうね。
2019.03.14
コメント(6)
以前よく作ったご飯の写真をアップしていました。その最後が確か18だったと思うから19と言うことで。以前にも書いたと記憶してますが、私は朝食や昼食にはそんなに労力はかけて居ません。夕飯はそれに比べたら、まあ頑張ってるかな?と言う程度です。そんなに拘りを持って作ってる訳でも無いのですが、足りないよりは余る位が良いかな?と思い、つい多目になる傾向はあります。余っても次の日の1品になるし、お弁当にも入れられるし。あと値段の点や栄養面から、出来るだけ旬のものを使う様にしてる事と、揚げものばかり、肉ばかり、野菜ばかり魚ばかりにならない様にしてるかな?まあこれは努力目標です。夫と私は家飲みするから、それに合う料理を好みます。子どもたちはご飯が進むもの。特に息子はボリュームと品数がいる。義母は基本自分で作れるから、一品持って行く程度です。とは言ってもついマンネリになりますし、なかなか献立が決まらない事もよくあります。献立たてるアプリとかも入れてみたりしたのですが、なかなか使い勝手が良いのが無く、今は入れてません。やはりその時の気分で、食べたいと思う食事を整えるのが、やる気も出るし家族にも評判が良い様に思います。長々と書きましたが、最近作ったご飯です。簡単で美味しいのあれば教えて下さい。な感じです。赤飯はひな祭りの時に義母が作りました。私は次の日に、ちらし寿司を作りました。ポトフ、天ぷら、刺身、筑前煮、牡蠣フライ、一口カツ、クリームシチューなどです。
2019.03.09
コメント(0)
今日から3月です。地元のショッピングモールに行ったら卒業式帰りと思われる高校生が、多数居ました。「コサージュつけたまま来るんだね」と娘。友達と来てる子が多かったけど、中には親子の組み合わせも。子どもたちが不登校真っ只中の時は、もっと心中ザワザワしてたけど、今は少し俯瞰して見られる様になったかなと思います。いや。正直に言うと、やはり苦手です。出来れば見たくない。でも卒業おめでとうございます。卒業式ってやっぱり切ない。うちの子たちは中学の卒業式には参加して居ません。だからどうってことでは無いんだけどね。私の中では未だにトラウマになってるのかも知れないなそこだけポカンと抜け落ちた感じ。卒業式に参加しないといけないとかはもう全然思って無いんだけどね。私自身は中学も高校も大学も、卒業式には参加しました。自分の子どもたちも当然参加するものだと、無意識に感じて居たのだと思います。寂しいとも違う。虚しいとも違う。何なんでしょうね。親の感傷かな?娘は高校の卒業式には参加しました。でも私には来ないで欲しいと言いましたね。見せたくなかったのかな?今切ない思いをされてる方々も沢山いらっしゃると思います。子どもの不登校を経験しなければ、私も一生気づく事は出来なかったと感じます。一緒にその気持ちを抱きしめて、今夜は眠りたいなと思います。貴方はとても頑張ってるよ。だから大丈夫です。きっと。ミモザが綺麗。
2019.03.01
コメント(0)
これで落ち着いて、また書けます。何故か自分のブログじゃないみたいで落ち着かなかったです。なにせ基本怖がりと言うか、ビビリなんですね。今世間は入試とか、試験とかあって、卒業入学のシーズンも近づき家にはあまり今は関係ないけれど気持ちはザワザワしてます。苦手な季節です。あっ、試験を受けられる方は体調の管理に気を付けて、実力を発揮出来ます様に♡お祈りしています。娘は2年の後期を終え、待望の春休みに入りました。息子の方は何故か卒業が延び 笑 、でも本人は想定内なのか、割と落ち着いて居ますね。なので私も焦らず見て居られます。本人に何もかもお任せです。当然と言えばそうでしょうが。大学の通信制は学費もお安いですしね。ショッピングセンターの下がり雛2月もあっという間に過ぎてしまいそうですね。事務仕事の方は、少し一段落かな?割と気忙しい時期に入りますが、今のところ猛威をふるっているインフルエンザにも罹患せずです。このまま春まで乗り切りたいなぁ。最近本当に本が読めなくなりました。目も調子良くないし。でもスマホや録画観たりは出来るんですけどね。年末の紅白で松任谷正隆さんを久し振りにお見かけしました。夫がJAFの会報誌に、松任谷さんのエッセイが載ってるのが、何時も面白いと言うので読ませて貰いました。いやこの方文才もある。面白いです。軽めの本なら読めるかな?とこちらを図書館で借りてきて今読んでます。相変わらず写真が大きくなる。懐かしい歌手の方のお名前も沢山。自分は音楽の素養は無いけれど、聴くのは大好きです♪音楽つながりで先日話題の映画をやっと観ました。「ボヘミアン・ラプソディ」ストーリーも良かったしライブの映像も迫力がありました。そして自分でも思いがけず、歌の歌詞に涙が出たんです。なぜかな?自分の琴線に触れたんです。「ママ人を殺してしまった。人生はまだ始まったばかりなのに。でもママは気にせず生きていってくれ」みたいな・・・間違ってるかもしれないけど。ボヘミアンはマイノリティーを指す言葉みたいです。
2019.02.06
コメント(4)
えらい事になってます!そして少し、いやかなり驚いてます。いったいどうしちゃったのでしょう?こんな放置気味のブログに来てくださる方々が、そんなにいらっしゃるとは思えないのですが。昨日のアクセス数は、なんと1000超え。最近ずっと100から200の間ぐらいだったのにね。話は変わりますが、スマホから投稿するアプリが変わって居て、使い勝手が分からず、写真が大きくなってしまいました・・・(*_*)文字の間隔も変わってますねー。新しいものになかなかついて行けない(^^;そして新しいやり方に慣れるのに、時間がかかる年齢になって来てます。私がブログを書き始めた頃と今とでは、発信の方法も変わって来てますし、不登校1つとっても、その捉え方も周りの理解も変化してきているのでしょうね。頭も体も柔らかく、自分の思い込みやべきを外して行きたいと思ってます。これが言うは易く行うは難しです。発信は細々と続けて行こうかな?自分の為にもね。
2019.01.25
コメント(0)
平成最期の年が明けました。皆さま何時もブログをお読みくださり、ありがとうございます。昨年の12月は1度も更新出来ないまま、約1ヶ月半ぶりの更新となりました。何故更新出来なかったのかなぁ?と考えてみると私の中に、少し気負いがあったのかもと感じたのでした。何か役に立つような事を書かないといけないかの様な。長年不登校の子どもたちの親をやって来たのだから、何かその経験に基づいた気づきの様な事を書かなきゃの気負い。勿論そんな記事を書いた事もあります。多分。でも今1番感じるのはそう書いてしまって良いのか分からないけれど、「人其々」だと言うことです。だからその人其々のやり方で良いし、逆に言えばそうしか出来ないだから私も私のやり方で良いし、子どもも子どものやり方で良いのですよね。でもともすれば私たち親は子どもに対して「こっちが良いのよ」と誘導してしまいがちだと言う事には、気を付けて行かないといけない。自分の人生の主役は自分であると言う事。私にとってはそう気付かされたのが子どもたちの不登校だったのだと思います。其々が其々の人生の主役であるなら、その生き方は自由だし、人の生き方は尊重する。そんな事にもやっと気付けた様に思います。昨年の年末は終わり頃になって仕事が立て込んでバタバタしていました。年末押し迫って、不動産事務所や銀行に行った時、暗くて気づかないで、ちょっとした段差に足を取られ転倒。物凄く痛かったです。帰って家族に痛さをアピール。今までの私なら黙ってたなあ。いや骨折しなくて良かったなぁ。それ位痛かったです。でももう我慢しない。実際めちゃ痛かったし。もっと気をつけないといけないな。今年は。年齢的に体力も落ちて来るしね。掃除も片付けも料理も、自分がしたいと感じる事だけして、あとはしなかった。自分で決められて満足です。そして案外家族は気にして無いって事も良くわかりました。あと親類関係の事は、夫にふるとなかなか良い感じに収まりますそんなこんなで、今年も役に立つ事と言うより自分が感じた事を感じたままに、書いていきたいなと思って居ます。気ままに。年末の紅白も凄く良かったです。録画して何度も観ています。ユーミンも桑田さんも米津さんも素晴らしかったですねー。とりとめの無い事ばかり書きましたが今年もこんな感じで良ければ、お付き合い頂けたらと思います。全然大した事は書けませんけれどね 笑。今年のおせち料理も何とか完成。
2019.01.01
コメント(2)
もう1つのブログで「動き出してからが大変」と言う記事を書きました。でも書いた後に少しだけ違和感を感じてしまい、でも削除するほどでも無くたしかに自分の正直な気持ちを書いたつもりだからそちらはそのまま置いておく事にします。で、その続きをこちらに書いてみる事にしました。長い間動きが無かった子どもがやっと動き出す。やはりそれは親としては嬉しい事だと思います。安心もするでしょう。私もそうです。ただそれだけで手放しに喜べるものではない。子どものアップダウンに付き合って、一喜一憂してしまわない様に踏ん張る覚悟。でもね、一喜一憂はしちゃいます。正直なところそれを表情に出さない様にする事は少し上手になりました。あと、子どもの気持ちを想像する余裕の様なものも出来てきたかな?間を取ると言うか距離感を持つ。目の前に居ると本当に難しいことだけど。そして1番大変かな?と私が感じてるのは、親であり続ける覚悟です。子どもを絡め取って自分が安心する様にするのではなく、大らかに見守り、何処までも信頼を寄せて行けるか?と言う覚悟を持ち続けられるかどうか。自分は自分。子どもは子ども。何方も大事に丁寧に尊重していく。それは人間関係全般に言える事だと思いますが。そんな事を考えていたら、過去の読書記録のノートが出て来て。何となく開いたページにこんな事が書かれて居ました。小川洋子さんの「とにかく散歩いたしましょう」の中にありました。穂積さん(歌人穂積弘)はお母さんを亡くされた経験について無償の愛が出ていた蛇口が止まったようであり「人を何人殺してもあなたはいい子」と言ってくれる人がいなくなったと表現している。ー中略ーここで春日先生(精神科医春日武彦)は家族病理に多く接してきた立場から自立の重要性を説く。親子関係が健全であればあるほど子供はスムーズに家族から脱出していき、病理性のある砦が最後まで残る。ー中略ー子どもが自分の身を自分で守るすべを獲得すれば、あとはもう親の役割などほとんど残っていないも同然である。ー中略ー死に際して動物は決して取乱したりしません。これらを読んで今感じるのは「無条件の受容」と「条件付きの受容」、「慈愛」と「渇愛」、「執着を手放す」など色んな言葉が浮かんできます。精神科医の方のお話は、子どもの資質もあるから、一概には言えないとも思いましたが。今1度自分にも問うてみたいです。覚悟はありますか?って。娘のリクエストで作ったパンプキンプリン。覚悟とは関係無いけど。
2018.11.15
コメント(10)
書こうかなぁ?と思いながら、なかなか書くに至らずに・・・はや11月も10日になりました。来年のカレンダーもそろそろ考え無くてはいけない時期になりました。なんかウソみたいです。今年は日が過ぎるのが本当に早かった気がします。日々一生懸命生きた様な気もするし、何にもしなかった様にも感じます。昨年は実家の母が入院した記憶しかない。今年はそう大きな出来事が思いつかない。ある意味平和と言えば平和でしたね。娘も大学2年になり、苦手なのは相変わらずですが、大学に通ってます。息子も定期的に落ち込みの波は来ます。でも私が何か出来る事も無く、(たまに話を聴く位で)淡々と日々が過ぎていってます。私自身も、たまに焦り?と言うか(このままで良いのか?)系の気持ちの波はあります。でも日々の忙しさに紛れてしまい、1日が過ぎて行ってる感じがします。ここ最近は実家の母の老人ホームに行く用事がわりとありました。部屋を引っ越ししたり、衣替えをしたりです。今まで父と一緒に入った2人部屋のままでしたが、1人部屋に変わりました。有難い事に、ホームの方が全部荷物も移して下さったから、私は少し整理したり移動したりしただけで済みました。後は母に慣れて貰うだけです。ガラッと話は変わりますが、娘の用事で県外の植物園に行く機会に恵まれました。これが思いの外自分の気分転換になりました。緑と触れてマイナスイオンを浴びてリフレッシュした気がします。温室のカトレア薔薇(キング)秋に咲く桜ダルマギクトリカブト板根カリンコムラサキススキ
2018.11.10
コメント(0)
どうでも良い様な事ですが、約半年前に「900件めの記事です」の中で、こちらで日記を書き始めて約7年半と書いてましたが、間違えてましたね💦今で丁度7年が過ぎた所です。訂正しておきます。息子が五月雨登校し出したのが、約10年前です。なのでブログを書き始めたのは、その時から3年後と言う事になりますね。私はなのですが、ブログに書く記事はリアルタイムでは無い事が多いです。子どもが不登校になり始めた頃は、ブログを書く余裕も無かったし、書こうとも思わ無かった。自己開示する事も元々苦手です。そんな自分でも、ブログを書くのは楽しかったから、こんなに続いたのだと思います。日記は続かないのにブログを始めたきっかけは、リアルに繋がりたい方々が居たからです。これはリアルでもネットでもそうでしょうが、人と仲良くなる為には自己開示が必要ですよね。ブログはそう言う面では便利なツールでした。自分の気持ちの整理にもなるしね。自分の内面と言うか本心にも気づける様に思います。そして書き始めた時と今とでは、ブログに対する自分の気持ちも変わって来て居ると感じます。書きたい気持ちの時に、書きたい事書くと言うのは変わって無いけれど、更新の頻度も減りました。自分にとって大切な場所であるのは一緒です。今はSNSの様な便利な繋がりが沢山出来たけれど、私はやっぱりブログが好きです。自分でもまだ気付いて無い様な、自分に出会えたのもブログです。これも読んで下さる方や、コメントを下さる方のお陰でもあると思います。ありがとうございます。彼岸花夕陽海と空と雲
2018.10.02
コメント(2)
を育てるのが今楽しいです。ほんの少しだけ、私の生活に余裕が出て来たのか?それとも、どうしようもない問題(子どもの事とか親の事とか)自分が頑張ったところで、解決しない問題は、本人に任せるしか無いと思う様になって来たからかな?渦中には殺風景だったベランダが少しずつ賑やかになって来て居ます。もともと、庭は以前から義母のテリトリーです。私は写真を撮って、綺麗な花を愛でて、たまにお手入れするぐらいでした。でもベランダは完全な自分だけの空間なのです。何をチョイスするのも自分の好みです。その分自分のセンスが問われますが 笑。朝顔。恋しぐれ。観葉植物。アメリカンブルー。ミニ薔薇。多肉植物。純粋に可愛い子たちです。毎朝癒されてます。台風の時は家の中に避難させて居ました。手間はかかるけれど、そう言う面も含めて大事な子たちです。あれ?子どもと一緒ですね。私はまだそんな段階なんだなぁ。ベランダは今憩いの場所でもあります。
2018.09.15
コメント(0)
非常にご無沙汰です。2ヶ月放置してました。ついに8月は1度も更新出来ませんでしたね。こちらのブログも閉じてしまおうかとも考えたりもするのですが、思い入れもありなかなか決心出来ずです。お休みしてる間に大きな台風や地震があり、今も大変な思いやご苦労をされていらっしゃる方々も沢山おられると思います。お見舞い申し上げます。さて私の方は台風被害が少しありましたが、今は平常の生活がおくれています。何か災害の様な事が我が身に降りかかると、日常の平穏な生活を送れて居る事が、どんなにに有り難い事かと感じます。やはり「起こってみないと気付けない」「経験しないとわからない」からこそそこから「学ぶ」のでしょうね。人間は。私にとって、その最たるものは子どもたちの不登校でした。災害と言うには語弊がありますが、ある日青天の霹靂の様に我が身に降りかかり、その事により自分のそれまでの生活が一変し、考え方も変わり、右往左往しながらも自分が成長し学ぶ事が出来たからです。それもこれも自分や子どもたちが、今生きて居られるから。楽しいと感じたり、笑い合えたり、出来る時間があるから、感謝出来るのですね。当たり前は無いのです。そこに気付けた。なんて人生訓の様な事を長々と書いてしまいましたがお休みしてる間に起こった事を少し書きます。まずは息子の事。以前から鼻に疾患を抱えていましたこの度自分で決心して、鼻の形状(中)を治す手術を受けました。何せ痛みが強いらしいので、受けるのに大分葛藤がありました。手術時間は3時間程。その後1週間入院。今は週1の通院中です。これで生活や睡眠の質が上がって、気持ちも上がるといいなと私は欲張りに考えてます 笑。生活の質と言う面では、息子は食生活にも気をつけてるみたいです。また部屋の片付けをしたり、身体に合った椅子や机を購入したり。散歩に行ったり筋トレしたり。病院も含め全て自分で決めて自分で動ける様になりました。年齢的なものもあるけれど、ひところの焦りや葛藤からは、少し抜けつつある様に思います娘の方は大学2年の前期を終えて、まだ夏休み中ですあと少しで後期が始まります。カウンセリングの方はこの前確認したら、まだ続けたいとの事でした。まだ吐き出したい事や、聞いてもらい整理したい事があるみたいです。つい最近も私にも過去の嫌だった事の吐き出しもあり、傷は癒えて無い様です。私は相変わらずザワザワしますが、平常心で聴く事を心掛けて居ます。言いたいだけなのよね。自分の不安をくっつけない様にしよう。私自身の事で言えば、実家の父の三回忌の法要が無事終わりました。実家の母が高齢で姉も遠くに居るから必然的に私がメインで事を進めます。自宅でする訳では無いからそう負担にはなりませんが最近よく忘れるから、抜けてる事がないか心配でしたお盆、三回忌、お彼岸と宗教活動が続きます。そんなに嫌いでは無いけれど、好きでも無いから淡々とこなす事になりそうです。シャインマスカット。月一度申し込んでるふるさと頒布会で今月届きました。幸せです。
2018.09.13
コメント(4)
子どもたちの「不登校」と言う面では、もう卒業したのかも知れません。2人とも大学生で、「休学」や「中退」と言う選択はあるかも知れませんが、それも全部子ども自身の決める事であって、親が出る幕は無いから。親はどうしようも出来ないからです。相変わらず、ざわざわはしますが。笑。私がこのブログを書くのは、自分や子どもたちの「今」を書きたいからでした。なので、今の自分の当面の課題「子どもの自立」と「自分の気づき」や「成長」「子どもたちとの関係性の変化」「親や家族との関係性」について書いていけたら良いな、と今は感じています。皆目の届く事ばかりだから。とは言っても、目に見える事と、実際感じる事とは少し違うし、深い事まで書けなくて、日常の瑣末な記録だけになるかも知れません。最近更新の頻度も減ってきて居ます。書きたい気持ちはあっても、なかなか文章にできない事もあります。でも「不登校」で検索されるからかな?時たまビックリする位アクセスが多い時もあります。有難い事だと思います。何か自分の経験した事が、皆様の役に立つのであれば、それがどんなに小さな事でも嬉しいです。娘と息子も、今は割と元気です。急にドカンと落ち込む事はありますが。これは私も一緒です。上がったり下がったりしてる。でも生きて居れば何とかなる。なる様になると思って居ます。子どもの不登校を経験した親って、強いし強くなります。だから今深く悩んでいる方も、きっと大丈夫。こんなへたれな私でもね。そんな事言いながらまたネガティブな記事をあげるかも知れませんが。自然の流れでね。その時の「今」の正直な姿を書いていけたらと感じています。アガパンサス。涼し気なお花です。
2018.07.14
コメント(0)
ご無沙汰していました。なんかモタモタして居る間にはや6月も半ばを過ぎ、夏至も終わり、1年の半分の時間が通り過ぎてしまいました。ここらで更新しておかないとと思い、今慌てて書いてます。前回はあまり精神状態が良くない時に書き、その後も不調でしたが、やっと少し戻って来た様に思います。皆さまはいかがお過ごしだったでしょう。地震の被害は無かったでしょうか?私の所は震度3だったので、そう被害は無かったです。何事にも敏感な娘が、「避難袋を作りなおさないと心配」と言うので、一緒にぼちぼちと準備しようかな?と考えて居ます。まだですけれど。パッと動く事が年々出来なくて、のんびり構えて居る間に、うやむやになります。よく言えば「時間薬」に期待してるのかも。何事もなる様になるだろうから。「備えあれば憂いなし」の諺の「憂い」という感情に鈍くなって来てる。憂い過ぎない様にして居る。これは子どもたちの不登校から学んだ生き方なのかも知れませんね。元々はどちらかと言うと、不安が強い方だったと思うのですけれどね。備えもよくして居たし今はめちゃくちゃ元気でもポジティブでも無いけれど、むしろネガティブですが、そんなに不安は強くなく、普通の生活が送れるぐらいですね。これも波がありますが。息子も娘も5月と6月の時期は不調です。娘は5月は沢山お休みしましたが、6月は少し持ち直した様です。娘と会話して居たら「1年生の時は来てたのに、2年生から来なくなってる人も居るのに最近気がついた」って言ってました。大学はお休みしてても、なかなか周りには気づかれないですよね。みんな自分のペースでって事なのでしょうね。私も自分のペースでいけたら、不調も緩和されるのでしょうね。なかなかそう出来ない時に、不安や不調が強くなる様です。周りのペースに巻き込まれ過ぎない様にしようと思います。本を読むペースもゆっくりですが、何時も何かは読んでます。ドラマはよく観てます。1番熱心に観て居るのは朝ドラ「半分青い」です。もう終わってしまったけれど深夜にして居た「おっさんずラブ」はよく笑いました。映画は直近では「友罪」を観ました。観たあと重い重い気持ちになったけれど、非常に心に残る内容でした。上映期間も短く上映回数も少なかったから、観れて良かったなと思いました。ガラガラだったけどね。梅雨どきって案外お花には良い環境なのかな?植物は生き生きして居ますね。自然にエネルギーを貰って居ます。紫陽花ビヨウヤナギテッセン
2018.06.22
コメント(2)
今の私の状態。客観的に見て落ち着いた状態ではありません。なので人様に安心を送れるブログは書けません。自分が明日どんな精神状態にあるかも、予想がつかないからです。かと言って今の状態を不幸だとも感じて居ないのです。 家族の中での事です。自分のそのまんまの状態を、飾らず話せる人が居ます。受け止めてくれる人も居ます。だから大丈夫。生きていけると思います。先の事がどうなるか?なんて誰にもわからないのですよね。今を出来るだけ穏やかに、出来れば楽しく、生きて行く事しか私には出来ません。1昨日は親の会でした。初めて来られた方がいらっしゃいました。まだお子様が不登校かどうかもわからない様な時期です。其々の親子でどうするか決められたら良いのかしら?と感じました。私たちはお話を聴いて、お母さんの思いを受け止める事しか出来無いように思います。まず会に来れた事がすごいと思います。不登校は人それぞれ。私が言える事など何も無いのです。親子の信頼関係を、損なう様な対応だけは、しないでと言いました。それは私がここ10年で1番強く感じた事です。「親子関係」そこさえ押さえておけば、後はなる様になるよね~と自分にも言ってます 笑。紫陽花シモツケアマリリスドクダミ
2018.05.21
コメント(0)
全950件 (950件中 1-50件目)