悠遊自手記@kyoto

悠遊自手記@kyoto

PR

プロフィール

ふろう閑人

ふろう閑人

サイド自由欄

カレンダー

お気に入りブログ

光の差し込みが 低… New! 歩楽styleさん

あらら(^o^;) New! maria-さん

介護ボランティア … New! 柳居子さん

[11/24] 今年のボジ… New! ちゃおりん804さん

私流の、編み目リン… New! naomin0203さん

コメント新着

曲まめ子 @ Re:紅葉の定番・真如堂へ(11/23) New! 京都の紅葉散歩、居ながらにしてありがと…
naomin0203 @ Re:紅葉の定番・真如堂へ(11/23) New! 真如堂は、本当に穴場ですね。 私は逆に、…
ふろう閑人 @ Re[1]:初めて知る素晴らしい紅葉(11/22) New! ひろみちゃん8021さんへ おっしゃるよう…
ふろう閑人 @ Re[1]:初めて知る素晴らしい紅葉(11/22) New! naomin0203 ひとつでも参考になれば嬉し…
ひろみちゃん8021 @ Re:初めて知る素晴らしい紅葉(11/22) New! こんばんは(^^) それぞれにピッタリと似…

フリーページ

2024.10.13
XML
カテゴリ: 散策
10/4に書きましたこの本ですが・・・


詠めば読むほど目からウロコの内容が次々なのですが、その内のひとつを!!!

枕草子を書いた清少納言
が仕えたのは ​一条天皇​の定子(ていし)皇后 だったのですが、 源氏物語を書いた紫式部 が仕えたのは同じく 条天皇の彰子(しょうし)皇后 で有ったこと、そして定 子皇后と彰子皇后はいとこ で有ったことを知りました。 

枕草子と源氏物語 がそんな狭い世界で書かれていたとは夢にも思わなかったのでした。

さて、ここからが本論なのですが・・・・その 定子皇后の御陵 がホン近くの今熊野観音の横にあって 鳥戸野陵 」であると書いてあったのです。

鳥戸野陵 と言えば昔訳も分からず一度お参りはしたけど​、それだけで、その前をしよっちゅう通りながら関心もなかった御陵だったのです。
その読み方も「とりどの」と思っていたのですが、「とりべの」と言うのも初めて知ったのです。

・・・・で早速その鳥戸野陵へ行って来ました。
みなさんご存知の東山トレイルの泉涌寺を過ぎ、今熊野観音を過ぎて直ぐの山側です。


(この写真は通り過ぎて逆から撮っています)

この石碑はいつもいつも見ながら通っていたのですが、階段を登ってお参りしたのは今までたった一回だけです。




階段と石畳を歩くこと3分ほどで御陵です。






確かに一条天皇皇后定子 の名前が・・・・・


お参りを済ませて引き返そうとすると・・・何んとこんな景色が・・・

そう言えば、ネタ本の「女人京都」にも御陵から京都タワーが見えると書いてあったのです。

ついでながら、一条天皇陵の所在地を調べると、嵯峨の天龍寺内に、彰子皇后陵を調べると宇治にある事が分かりました。
さて、紫式部のお墓は前に数回書きましたが堀川通り北大路下ルにあるのですが・・・
清少納言のお墓を調べると、何と四国は徳島の鳴門にあるとか。
定子亡き後数奇な運命を辿ったようです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.10.13 20:59:48
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: