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施設に入っていて、感染予防のため、看取り以外は会うことができない母から、施設のお知らせとともにお手紙が同封されていました。 きている服は、妹が手渡した時には首を傾げていたそうですが、こんな時だから、着たのでしょうね。 虹の戦士に出てくる老婆のように瞳にはなんとも言えない光が燃えているのですが、お花で隠しておきましょう。 昭和7年生まれの88歳です。 その当時、世の中はなんとも言えない自由のない空気だったそうです。 母の2人の兄は戦争に行きました。 良く、かんがえて、という言葉に、明るい服とは違うものを感じています。 だけれど、生き生きとして元気そうだったので、安心しました。 コロナのおかげで、元気になってます(^_^)
2020/04/15
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中村哲さんが、講演で語られたお話だそうです。 アフガンの人たちは、身の安全と衣食住がなんとか足りているだけで、あとはたとえ裸同然でも、とても純粋な笑顔で幸せそうにしている。全てにおいて満ち足りている日本の人たちの方が暗い顔に見える。それは、あまりにも多くの物を持ち過ぎているための不幸なのだと。多くの物に囲まれ過ぎると、それを今度は守るためにどんどんしんどくなっていくのだ。 人生長く生きてくるといろんなものをため込んでいます。 物としても、言葉や出来事や思い出や。 あまりに多くのご馳走が並ぶと、有り難さが薄れてしまうことがあります、私の場合。 身の丈って言葉がありましたね。 そして、ほんのささやかなことに、この上ない喜びを感じます。 今月の言葉、謙虚にもつながるなぁ(o^^o) おごることなく、つつましく。 じぞう文字のご縁が、心に沁みます。
2020/01/24
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子ども食堂に寄付されたおもちゃですが、赤ちゃんがおしゃぶりしてたので、洗ったら、湯上りの赤ちゃんみたいに、にっこりさっぱり、してました。 今日は体操教室の日で、92歳のお仲間さん、眉も素敵に整えて、頬紅も明るくお化粧されていて、満面の笑みでした。 娘さんと同居されていて、小雨だけど送り出してくれたそうです。お昼を作って待っているね、と。 昼ごろには、嵐のような土砂降りでしたが、娘がまっているから、とバス停まで歩いていかれました。 きっと、大丈夫だっただろうと、思いますが、スマホがあるので連絡取り合って、雨宿りしてから見送りするとか、できることはありそうだと思いました。 今日は後ろ向きに歩く練習をしました。地震とかで梯子を降りるとき、後ろ向きだから、と。 自動車ではなくて、歩くことで鍛えられる、普段の努力は非常時に役立ちます。 92歳の方、いつも、バスで通われています。 雨上がり、水色の空が清々しくて、空気は雨で浄められていました。
2020/01/08
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父の一周忌を名古屋のお寺で行いました。妹と2人でささやかに。 母は神奈川県の施設で過ごしています。 そのお寺に掛けられていた掛け軸の書が心に響きました。 大哉心也 大いなるかな、心や その大いなる、の文字の威風堂々とした姿に見とれました。 建仁寺のなんとか?その繋がりの方の書だと聞いたようなのですが、 ネットでその建仁寺さまの法話を読んだら、 「今生きていることに感動を覚える人。 足ることを知る人。 願いのある人。 外には求めず、内に求める人。 質素を愛し、ものをどんどん捨てていける人。 戦後まもない頃、米国人は日本人を見て「日本人は貧しいけれど、気高い国民である」といった。 今日、日本人は貧しいといわれることはなくなったが、気高いといわれることもなくなった。」 12月になってから、あれやこれや忙しく、心を亡くしがち、歯の治療にその腫れも治らないうちの同窓会出席に、子ども食堂やら、ミーティングやら、他の心配事などなど、本当に苦しかった。 それがほんのささやかな、小さなプレゼント、わいわい作った子ども用の小さなおむすび作りで、自然にほろっと涙腺が緩みました。 大いなるかな心や そして、グレートスピリット、大いなるものの力って、動いているとふっと湧き上がってくるのかなと思いました。 この大地の上のさまざまなご縁にささえられて。
2019/12/15
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日本のさくら100選のひとつ、衣笠山公園のさくらを見に行きました。 そこに大きな碑が建っていて、日露戦争に関連するもののようでした。 日露戦争については詳しく知らなかったのだけれど、明治時代の、植民地化されないという気概と、近隣国との関係について思いを巡らせました。 寒気が上空にはあるけれども、海の黒潮の暖かさが山の上を包んでいました。 かつては要塞だった、猿島が東京湾に浮かんでいました。 生死を超えて、今という一瞬に、咲く花の柔らかな風にかすかに揺れる、その下の白いベンチでは、何を語っているんだろう? 山の向こうには、山の嶺の雪が見えて、富士山がそこにあるのがわかりました。 放つ、手放すこと、許すということ、何もかも時を超えて、木の芽は萌えて花が咲く。 あーだこーだと言ってる暇はなし、溜まったものを、凝りをリリースして動いていこう。
2019/04/03
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大地をしっかり潤して、青空が広がりました。 午後は大豆の甘辛煮を作りました。 それから、10日11日の出来事に想いを馳せて、黙祷しました。 こんなに静かに、だけどもずしりと、感じるものがありました。 横浜の戸塚の、道端にふきのとうやら、菜花が売られてて、のどかな10日の写真。
2019/03/11
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