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次男が崖を掘っていて 謎の碑文を発見しました!
でも、実は発見したのは一年ほど前☆☆
何だかわからないし 読めないし お墓の一部かな~ とか思ったりしながら 崖に飾ってありました。
夏になると草に覆われて行方不明になっていましたが 秋になり草が枯れ また出てきていました。。。
さて、この碑文 『なんだろう??』 と 最近になって気になりだして
『今度ブログに載せよう。』 と 写真だけ撮ってありました。
そして 今日の夕方。
龍神さまのお使いのNさん(なぜかイニシャル)から
「30分 停電です。 何も出来ません。。。」 と退屈してそうなメールが届きました^^
ならばと
「これ考えてください^^」 と碑文の写真を送りました。
すると 30分もしないうちにお返事が来ました!
N氏による見解は・・・
漢字は、下記の表記の一部が残っているのではないでしょうか。
遍照金剛
真言
梵字の部分は、聖観音で
撥音は「サ」
http://kuubokumon.com/bonji.html より引用
梵字の下は、花の飾りがデザインされているように思います。
先日、お送りした延命寺千枚通しが、引き合わせてくれているような、不思議なご縁
の石ですね。
・・・と
まさに驚きの鑑定結果でした
私には上下の区別も付かなかったのに そんなありがたい文字を読み取ってくださるとは。。。
次男もお手柄です^^
それに 『南無大師遍照金剛』 は 先日頂いた延命寺の霊符をいただく時に唱えたばかりで
この碑文の事を 思わぬきっかけでNさんに聞いてみたのも やっぱり弘法大師さまのお導きかな。。。^^
そして聖観音さまには 夫の実家に帰省する途中に寄った 松島の瑞巌寺で声を掛けていただいたような気がしていて とても身近に感じていた観音さまでした。
なんか面白いです
そして 碑文に関連して思い出したのが 崖を含み我が家のある住宅地一帯は むかし 大谷口城 というお城があったということでした。
さっき始めてウィキペディアで大谷口城のことを調べてみました。
興味深かったのは 最後の城主が徳川家康公の五男 武田信吉 という方だったことでした。
去年一年 ずっと家康公と徳川家がキーワードになっていて 旅行に行くと家康公ゆかりの土地ということが度々でした。
『なぜ?』 と とても不思議だったのですが 徳川家のお城の一部に住んでいたのならなんか納得です^^
そして 息子達の通っていた幼稚園は大谷口城と関係が深く 徳川家康に保護されていたという東漸寺というお寺の幼稚園で
通っている小学校も東漸寺の敷地だった場所に作られた歴史の古い小学校です。
そういえば お寺のお宝の家康公の肖像を特別に見せていただいたこともありました。
そして東漸寺には有名な枝垂桜があるのですが その隣にあるのが聖観音像を安置した観音堂でした。。。
なんだか 不思議だった点が結ばれて形が現れたようなかんじです・・・
面白いな
おまけにもう一つ 超不思議な写真を載せたいと思います☆
碑文の写真を撮ったときに 一緒に写したもので 碑文と一緒に 『崖にあった不思議なもの』 としてブログに載せようと思っていました。
しかし、これはちょっと 虫が苦手な人には きつい写真です・・・
ご注意ください 薄目で見た方がいいです。。。
写真に写っているのは アシナガバチの巣です。
アシナガバチは冬になると巣から出て行くので 冬にはよくからっぽのアシナガバチノ巣が見つかるのですが この巣の中には 蜂がいました。。。
しかも 今まさに成虫になって巣の中から出てこようとしているところです。。。
でも、でも、 この蜂さんたち生きていた姿のまま きれいに死んでいるのです
なんなんだ~~~~~な 状態です;;;
気をとり直して
状況を推理してみました。。。
夏の終わりの台風で巣が落ちてしまった。
巣が泥に付いてしまい そこに育っていた蜂は出ることができなかった。。。
で、冬発見された。。。
こんな感じでしょうか。
なんだかなぁ~~~な 感じですが せっかくなので 明るい場所のお花の下に巣を差しておきました。
蜂さん いい夢見てください
崖はすごく狭いのに 不思議なことがいっぱいです。。。
時々 「うぎゃ~~~」 と なりますが とても楽しいです
不思議な碑文を持って 次男と東漸寺の聖観音様のところにいってみようかな^^