幕末・坂本龍馬・「一番大切なのは愛という言葉ではない、愛という行動ぜよ」・名言集

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江尻まっこちゃん

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江尻まっこちゃん @ Re:行きたいなー(10/04) 興津子さん >興津を離れて 遠い広島に…
興津子@ 行きたいなー 興津を離れて 遠い広島に住んでるけど …
2009.08.14
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★戦中、唄う歌は「君が代」「明治天皇の御詠」吉田松陰の獄中詩などなど・・・


「かくすれば かくなるものと しりながら やむにやまれぬ 大和魂」
「親思う 心にまさる親心 今日訪れなんと聞くらん」 。(お袋さんも時々謡っていた)

この文章は、小生が古希を迎えて同級生から文集に原稿をということで、丁度八年ほど前に書いたものです。薄れ行く記憶と共に、年々少なくなる友人や先生の思い出を残してゆく使命感のようなものを感じて居ります。昭和一桁のグループの人たちにも末永くお元気でと願うものです。お陰さまで立派な文集「せいくらべ」が出版されたこともご報告いたします。

     「人生七十古希稀なり」

★新年明けましておめでとう この歳になって本当に目出度いか?なんて思う人も居るようだが、叉一つ歳を重ねて老いたと思う人、仕合わせに子供や、孫や曾孫に囲まれて人生の余生を感じている人と様々ではあるが何れにせよ人生の峠を越えて、まずまず七十歳の大きな年の瀬を迎え、更に言えば21世紀と言う大きな節目の年に古希を迎えることが出来た諸兄と共に先ず以ておめでとうと言おう。昭和の一桁に生まれ、戦中、戦後を味わった仲間に改めて親近感を覚える、遠い昔の思い出も日頃思う事のない事柄をたどり、今回の文集作成のチャンスをくれた井口君始め編集諸兄に感謝しながら断片的な拙文をご披露するものです。

★小生は現在、第二の成人式を迎えたと思うのです。
五十歳、再スタートの人生を痛感している。
ネット上のHPにも掲載していますが1931年3月2日誕生、東西の壁を打ち砕き世界の緊張緩和を確立された偉大なる人物、ゴルビーさんと奇しくも全く同じ日の生まれです。
何故こんな事を言うかと言えば、何か彼と共通点のようなものを感ずるからだ。
小生、小学三、四年生位までは近所のガキ大将、別名「喧嘩の大将まっこちゃん」だった。
諸兄の中には随分と厭な思いをして通学した友も居たのではと、今更ながら、心底悔いるものである。然し、それでも一本筋を通しての正義感のようなものを自身でも感じていたが、時として先生も、友達も、どうにも手が付けられなかった低学年時代を強く反省している。

★静岡の大火と言えば昭和15年1月15日。当時火元の壱番町方面から馬が跳ねた様な形で焼けこげた街まちをみて、人々は馬の祟りなんて云われていた。
焼け広がる火の手は、早々鉄道線路を越えて駅南に飛び火、女子商業が燃えていると大騒ぎになっていた。小三だったが、昼の弁当も食べずに皆、家に帰った、火の勢いは強く、当時、南町四丁目の長屋は(杉山大工の借家、英ぼうちゃんの家)焼けなかったが、中田の方の田圃に昼の弁当を持って避難した。田圃の中で食べたお袋の弁当の味は忘れられない、のり弁だった。
 間もなく、焼け落ちた森下小から分散して「中田小」と「西豊田小」へ分かれての通学となった。余りにも大きな火災で國の内外からの見舞い品が数多く寄せられ、学用品、鉛筆、ノート等々が毎日のように給付されたのを覚えている。
小生の家は幸いにして焼けずに済んだ。然し、この給付には差が付いた、これを不満として、教室で給付が始まると、貰いが少ないと云うことで大暴れして、机の上を飛んで歩き女の先生を困らせたことを覚えている。皆さんご免なさいネ!。
クラスの友達にも、折りたたみのナイフを横半分に折って見せたり、悪さの有りっ丈をして粋がっていたものです。
五年生の男女組になる前に同じ組でいた友達にも心からお詫びいたします。

★森下小での思いでは数々有りますが、大石先生との出会いが人生を開花させて下さったものと本当に感謝申し上げております。そして、イタズラ小僧を心配して、先生にお願いして日参した、陰の立て役者「お袋さん」のことを忘れることは出来ない。
かーちゃん有り難う。後に、先生には仲人もお願いしました。ご冥福心から祈願致しております。
 全ての悪ガキは、小四で卒業しました。成績もぐんぐんと上がり、男子校二年では工作室の先生の代理として一年生の指導もさせて貰いました。
暖かい同級生の諸兄と出会えた森下小の五年、六年は本当に忘れられません。
クラス会で会っても、厭な顔ひとつせずに同席される皆さんに心から有難うと申し上げます。
 森下小、戦災最後の日。B29の落とす焼夷弾、大型爆弾の雨降るなかで当時十五歳の小生、予科練合格、胸躍る思いで入隊日を待つ。そんなとき、B29が静岡上空を襲った。
学校の校庭に掘られた大型防空壕。空襲と共に降り注ぐ火の海と化した校庭を逃げ惑う人々、為すすべはない。大人も、子供も、男も、女性も逃げ惑う地獄絵だ。
小生は、少年ながら是は一大事と、大声を上げて人々を誘導して歩いた事を今でも鮮明に思い出す。この空襲で、英ぼうちゃん一家は直撃弾にて帰らぬ人となりました。無念!


 是より少し前「予科練の二次試験」のため霞ケ浦の航空隊に行ったときのこと、一年先輩だった「野球投手」の若杉さんと記憶しているが、以前は話もしたことも無かったのに懐かしそうに向こうから声をかけられて「オイ!お前甘いもの持ってないか?」と、云われたことを思い出す。七つボタンの軍服こそ着て凛々しい姿でも、まだまだ子供だった。
 当時は、軍隊に志願しなければ、満州の開拓団へ、女子は挺身隊として國のために命を捧げて報国を誓ったものだった。

先日、会合の後二次会で「海ゆかば」を歌ったら何と百点だった。笑い!
 叉、この空襲以来消息の無い多くの友人の一人、稲川町に住んでいた河合荘介君を知りませんか。彼は、満蒙開拓団でシベリヤ送りか?。親しくしていた友人達に、無念の涙を禁じ得ません。この戦争による犠牲者に改めてご冥福をお祈りします。
 三組の中で、早く別れた「深沢良一君、片岡義昭君」のご両親に捧げます。
戦後間もなく亡くなられた友を悼む詩
 「若き日に 残せし親の寂しさと 幼き友の心ぞ哀れ」


「山田光明君」も急な亡くなり方で吃驚していますが、彼が、結婚を決めたとき、身内に適当な人が居ないからと、司会者を頼まれて浅間神社で結婚式をしたのもつい、この間の様な気がしています。彼は、クラス会と言えば必ず来て、手伝ってくれと云っていた。
実に面倒見の良い男だった。その結婚式で話し下手の小生、一策を講じた「色紙」に詩を書き、お二人の名前と共に「結婚の祝い詩」を吟じ以来、可成りの数の式場で使うことになりました。


「識才兼備良縁を結ぶ 苦楽を共に誓って偕老を宣す
      差し交わす 枝睦まじく 栄ゆらん 千歳を仰ぐ相生の松
                華燭堂に満ちて瑞祥漂う 鴛鶯相い対して祝杯巡る」

 山田君の葬儀に参列したのは、井口君と二人だけでした。山田君の御霊よ!さようなら七十才の今日まで生きられた諸兄に、あらためて人生を想い・・・再会を願う。              明日は、終戦記念日この続きを記載します。  09.08.14                                                                          

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Last updated  2009.08.14 16:25:07
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