昨日は久々のバランスセラピーの日。
相方のお姉さまが 急なお葬式とかで遅れてくることになり 師匠が遅いお昼のお弁当を たべながら私の話しを聞いてくださった。
思い起こせば 学校に行かなくなった長男の 中学の職員研修 としての講演会に 師匠が来られ、そこに不登校の親も出席させてもらい、終わってから校長室で個人面談までしていただいたのが師匠との出会いだ。長男が家にこもってから半年くらいのときだろうか。
初めてお会いするのに 泣きながら私の思いを全て吐き出したあの日のことは忘れない。ただ私の話しをじっと聞いてくださった師匠。そこで ただ思いを 心を聴く という事を そのことで自分でも気がつかない深い無意識の領域まで降りていく事を 私自身が体験したのだった。
私は運が良かったと思う。すばらしいカウンセラーと出会えたのだから。それはその自分の勘を信じて、自分の本能を信じて、進む道を嗅ぎ分けていたように思う。
全てのことには意味があり、あらゆることは 自己成長につながるのだ。
「休むという事ができるのだから心配要りませんね」
「言って して よかったのか悪かったのかは その後の息子さんを見てわかるでしょ。感じ取れることがすばらしいですよ」
「言ってしまって しまったあ でも良いんですよ。そのことに気付いた 知っているだけでもう充分です」
そんな風に私の質問には返事をいただいた。
そしてその後、実技指導と言うにはあまりにも贅沢なホメオストレッチ。
眠くなってからだがぽかぽかして でも深いところが研ぎ澄まされていく感じ。色んなことをいくつも考えているような思い出しているような その中での静寂間。
まさに母胎感覚。子どもに生まれなおすような心地よさ。
ああ私もこんな風に人の役にたちたい。
仙〇での師匠の講演後、ホテルまで相談に見えたお母さんの一人の方に簡単なホメオストレッチをしてあげたら
「我 と言うものがなくなって 宇宙と一体化してそこに浮遊しているような そういう不思議な感覚に包まれました」と感想を言われたそうだ。
そしてしばらくしてそのお母さんから 家で過ごしていた4人のお子さんが皆学校に行くようになったと電話をもらったそうだ。
至高体験を得たお母さんは家に帰ってから「ああまた子ども達は学校に行かない」とつらい思いがなくなり
「家にはこんなにたくましい子が4人もいたんだ」と気がついたのだそうだ。
その自分を苦しめる母の眼は 実は子どもを責めているだけだったのが、何ができるとかではなく そこにいてくれるだけで という温かい母の眼差しに変わったんでしょうね。と師匠は言った。
こういう師匠の年月を経たいくつもの体験談は 私にとっては一番のお楽しみだ。たくさんの物語がおとぎ話のように宝石のように輝きながら優しく語られる。
昔 どうしても長男が可愛く思えない と言うお母さんが相談に見えた。コタツで足が触れても、次男だと嬉しいくらいでスリスリしちゃうのに、長男だとさっと足を引っ込める自分。そこがまた嫌で苦しくて と。
何回かカウンセリングをする内に、そのお母さんのお兄さんが 父親から、お前は何をやってもダメだ。跡取りとして心配だと小さい頃から言われ続け、実際仕事もしないでグーたらしていて本当に田畑を売り払ってしまうような兄に育った。その兄のようにならないようにと自分の長男を厳しく育ててきたけれど、どうもその兄にそっくりなのだ。その長男に対する不安と嫌悪感が実は自分の兄に対してのものだと気がついた。そしてそれは父から植え付けられたものだった。父もまた同じように親からそのような扱いを受けていたのだろう。というお話し。
この子はもう立派なお父さんで、ここにもきててくれましたが、子供たちと言うのは本当に身体を張って母親を救ってくれるのですよねと。
何かを求める事 そこには必ず緊張を生む。緊張が不安や焦りとなり、そして相手が何を望んでいるか大切な感性を鈍らせる。相手を感じなければかかわり 愛 をもてない。
こだわればこだわるほど、そこにとらわれていく。繰り返されていく。昔から その家の のろい とか お墓のせいで とかたくさんあるでしょう。飲んだくれの父を見て育った娘さんがお酒のみとは結婚しないと選んだ相手なのに、旦那さんは年を追う毎に自分の嫌った父親にそっくりになっていく。そういう例は良くある事です。だから人を心から憎むとか執着を持ってはいけないんですね。
そんな話しもしてくださった。
そして講義は集団欲 の話。
食欲 性欲 集団欲 と本能の欲求はあるけれど 集団欲とは安心と保護を求める 心の栄養。
生命がまだ細胞の段階で最初に身に着ける能力が 触覚。
触覚により細胞は何かに包まれている(細胞膜)という 安心と保護を得て成長していく。
DNAレベルから生命は何かに包まれていたい 守られていたい という安心と保護を感じて生きている。
言葉が通じないときは スキンシップ。
愛されていない 必要とされていない
そう誤った信念が植えつけられた場合、言葉では難しい場合がある。
自分は大切な存在。必要とされている。
それは相手とかかわってこそお互いに共有するもの。
理解されて受入れられてこそ 理解し相手を受入れられる。
スキンシップも何かの手段として使われるのではなく お互いの存在を確認しあうという 事が大事。
ホメオストレッチは集団欲を充足。4キロ~7キロの圧はまさに乳幼児の赤ちゃんの体重。そこでの 感触 は 温 柔 優 快 という安心そのもの。
学校に行ってほしいからと言う 思い でのスキンシップは求める心が働いて緊張が生まれ、本能までは届かなくなるから。
師匠はホメオストレッチを通じて 他のパーソナリティが生まれた と先日発表したそうだ。
波長が合う=チューニング 共感したときに変化が生まれる。
それは長年の言葉によるカウンセリングではなかなか難しかったのだけれど と。
本当に私が求めていたのってこれだと思う。