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日野晃先生,まさに達人。 すごいものをみてしまった(最初はやらせじゃないのと思ったが)。 いろんな意味で甲野先生と似ている(甲野先生よりガチンコあがりの人という感じはするけど)。 SRS伝説の武道家 達人 日野 晃 1 http://jp.youtube.com/watch?v=Qr-OxVEdBWE&feature=related 4分過ぎの,「ここを忘れて」というところは,最近甲野先生が言っているのと同じだと思った。 SRS伝説の武道家 達人 日野 晃 2 http://jp.youtube.com/watch?v=3Zhb-sL-pcU&feature=related 「タネも仕掛けもあり」「武道とはテーブルマジックのようなもの必ず身体的仕掛けがある」と言い放つところがいい。 SRS伝説の武道家 達人 日野 晃 3 http://jp.youtube.com/watch?v=On5eEyDvmLs&feature=related この前半,甲野先生の技を受けているから,なんとなく気づいたときには斬られているという感覚はよくわかった気がする。 最後の方で「武道には素直さが一番大事」といっていたのが印象深かった。 「自分の意見を相手をぶっこわしてでも言うというのが正しいと言われているが,武道の場合は自分の意見を一切言わないが,自分の意見を通してしまう。だから素直というのがすごい大事な要素。それで行くか行かないか,そこで分かれる」 素直さが一番大事,これは理路を探求する哲学でも同じだと思う。素直さをもっているかどうか,それで行くか行かないか分かれる。 自分の主張を通そうとしすぎて,自分の意見が通らなくなるということはよくある。 オリジナリティを出そうとするあまり,オリジナリティが認められなくなるということもよくある。 「我」にはできるだけひっこでもらって,理路に素直に耳を傾け,「言いたいこと」を通せるあり方を目指したいものだ。 と思うその一方で,日野晃先生にしても,甲野善紀先生にしても,もの凄い素直だったと同時に,同じぐらい傲慢さも持っていたんじゃないかと思う(じゃなければ自分で作ろうとはしない)。 傲慢さと謙虚さといった一見背反するような性質を,かなり高度な水準で同時にもっていること,これが「達人」になる条件なんじゃないかと僕は思う。 おそらくそれは何も矛盾するものではなく、「技」に対してとことん素直であれば、その結果自分より凄い技は謙虚に受け入れ、自分の技の方が凄いと思ったらそれを示すために、外部からみると背反している性質をもっているようにみえる、というだけなのかもしれない。塩田剛三伝 http://jp.youtube.com/watch?v=eDC2MS5wozI 金魚が攻撃を回避する動きを8年間毎日観察したというのも興味深かった。 きっと身体の各部を同時に動かすとか自然にしていたからこその技だったんだろうけど,それをコトバにしていないので,その神技は神技のままで弟子達は継承しにくかったのではないかとも思う。 達人といわれる人の動きには通じるものがある,というのは素人の僕がみてもなんとなくわかる。 本当に凄い人がいる,ということは嬉しいことだ。
2008/01/11
先日、mammo TVのインタビュー↓を受けた。 http://plaza.rakuten.co.jp/saijotakeo0725/diary/200710290000/冒頭で「学者になろうと興味をもったきっかけからお話ください」と聞かれて、どこから話したものかと考え込んでしまったが、高校生向けということなので、心理学に興味をもった高校生の時点まで遡って語ることにした。 高校のテニスの話や、浪人時代、大学生の頃などを回想しながら語っていくなかで、自分の経験が今やっている学問と有機的に組織化されていっておもしろかった。構造構成主義は僕の生き方を原理的に凝縮したものなのかもしれない、と思った。というか理論は現象をもとに作っていくわけだから、当たり前といえば当たり前なのだが。 物語は経験を組織化するのに役立つということと、語りはインタビュアーとインタビュイーが協同で作り上げるものだという物語論の主張をあらためて実感。と同時に“その物語”に沿った出来事を話すようになるため、それに沿わないことは非自覚的に語られないということも実感。 インタビュアーの尹雄大という名前が、どこかでみたことあるなあと思っていたのだけど、あの『FLOW』の著者だと知って、道理で、と腑に落ちた。『FLOW』は最近読んだ武術系の本では、一番おもしろかった。韓氏意拳は武術の原理論とでもいうべきもので、武術とか興味がない人でも、身体論、時間論、認識論といったいろいろな観点からおもしろく読める。韓氏意拳がわかりにくい理由を、わかりやすく書くことにより、とらえどころのない韓氏意拳の姿をいわば地を描くことにより影絵のように浮かび上がらせてくれる本。ということで、その後ユンさんと医学書院の鳥居さんといっとく君の4人の濃縮還元100%のメンツで飲んだ。かなり笑った。 飲みも後半にさしかかったころ、こんな出来事があった。僕が氷の入った水をついでいたときに急にフタがはずれ、大量の氷水がユンさんに直撃するかと思ったその刹那、ユンさんは瞬時にすべてを避けてほとんど水滴すらかかっていなかった。おかげで僕は失態を犯さずに済んだのだが、あの動きに感動を覚えてそれどころではなかった。これは今でも鮮明に映像が浮かんでくるほど印象に残った。 あれは「速い」と表現する他ないのだが、みたことがないぐらい素早い対応だった。いや、「対応」というのは違う。対象に対して応じるという感じではなく、“即応”という表現の方が相応しい尋常ならざる“迅さ”だった。 その前にいっとく君の「韓氏意拳って何ですか?」という質問に対して、ユンさんが「緊急時に対応できるよう動けるようになる力を養うこと」(かなり不正確な記憶)といったことをおっしゃっていた。 K1の選手はルール上ではその強さを発揮できるであろうが、いきなり拳銃を突きつけられたときに、即応できるかといえばそうではない。そういう不測の事態に即応できることが、生存を目的とした武術的には最も重要になる。 とそういう話をユンさん&鳥居さんがしてしばらくしてから、上記のようにそれを目の当たりにすることになり、韓氏意拳ってすげえと思った(それを体現できている雲泥斎さんが凄いのだが、少なくともそこに韓氏意拳の凄さの一端を見た気がした)。 現場の最前線では、「考える」なんてことをしていたら、死んでしまう。身体が事態に即応すること。これが決定的に重要になる。 これは頭では分かるが、実際突然そういうことが起こったら、「あっ」と思っている間に、水がこぼれてきたり、コップが割れたりするのを「眺めている」ことになる。 韓氏意拳には理論的には構造構成主義との近似性から興味をもっていたのだが、今回のことで実践的にも俄然興味が湧いてきた。直観もそうであるように、こういう即応能力はかなり使える能力だと思う。
2007/11/20
読書といえば、一昨年ぐらいから「韓氏意拳」に関する本も一通り読んできた。ある著書では、韓氏が,甲野先生に「現代スポーツに相対する姿勢をとるのはやめた方がいい」といったことを言っている箇所があって,今まで公の場でこういった指摘をした人はいなかったように思うので,何か新鮮だった。 韓氏意拳は「武学」というだけあって,この理路だけみても相当な深度をもっている。 そして、その理路は構造構成主義とかなり似ていて驚いた(もっとも韓氏意拳の意義は,理路そのものにあるわけじゃないのだけど)。 もちろん,武術と哲学という領域は違うため,その分表層的な違いはあるのだが,その思想的な同型性という点からみれば,構造主義,構成主義,プラグマティズム等々,その他の思想と比較しても,圧倒的に類似性が高い。とても原理的なのだ。 なぜそうなるのか? それは双方とも原理的であろうとし続けるから同型的になっていくのだろう。だからこそ、構造構成主義にとっても、この武学の考え方には学ぶべき点がありそうだ。 いろいろ思うところはあるので、この論件については機会があったらどこかで論じてもおもしろいかもしれません。いずれにしても韓氏意拳の動向からは目が離せないな。
2007/06/24
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