しんの米国神学生日記

しんの米国神学生日記

2003年11月08日
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Ⅲ-ⅳ:『ヤコブ書』4章
(1)『ヤコブ書』4章を要約してください。

>4章の回答。『ヤコブ書』4章の要約は、「十戒」これを実践しなさい。特に第一の戒めが最優先。この実践により紛争も生じない。紛争の要因は謙虚さを失う事。---> お答えがシンプルすぎて、わかりません。質問を変えましょう。(1)「律法の実践者」(4:11)とは、どういう意味ですか。

4章の再回答。(1)4:11律法の「実践者」と「裁き手」の相違が強調され、前者の理解を深める為に後者が用いられていると思う。「神」に服従を理解する→「悪魔」に服従が理解できる事ではないでしょうか?ヤコブ書にはこのように逆説的説明が目立つ様に見えますが…以上。

ヤコブによれば、「律法の実践者」とは、神の愛に近づく人のことです。が、やもすると、自らの行いを誇りだし、他人の未熟さを責め、裁いてしまう、というおそれがあります。それでは、ファリサイ派と同じです。裁きを行う方はイエス様お一人であるように、「律法の実践者」たる方もお一人なのです。律法主義に陥らないためにも、これを確認しておきましょう。

Ⅲ-ⅴ:『ヤコブ書』5章
5章はヤコブのまとめです。1~4章の関連・流れも意識して、以下の質問にお答えください。
(1)“お金”は、どうして問題なのですか(5:1~6)。(参考、マタイ6:19,24、「金持ちの青年」19:16~29)
(2)「ヨブの忍耐」とはなんですか(5:7~12)。(参考、ヨブ記1:1~2:13、42:1~17)
(3)祈りの効果とは、なんだと想いますか(5:13~20)。(参考、列王記17:1,18:41~46)
(4)もし、山口兄が初心者に、「ヤコブ書」を教えるとすれば、どのような書簡だと説明しますか。また、この書簡のなかで、どの聖句が一番、印象に残りましたか。

5章の回答(1)金は人と人の間に争いを生む根源で、地上の富は、朽ちる物。永遠の命の「神の国」を得るのに傷害を与える。(2)サタンの誘惑に対する信仰の試練。ヨブの主への従順さを示している。(3)前提として「正しい人」「信仰に基づく」祈りは必ず叶えて下さる確信。特に真理から迷い出た人を真理へ連れ戻す事の大切さが強調されていた。(4)キリスト者として必要な点が短い乍エッセンシャルに含まれ、具体的に書かれている書簡と思います。ヤコブ書中興味引かれた聖句は5:19,20でした。教会員でキリストを一度は受入ながら離れて行く兄弟姉妹の為の祈りの大切さを感じました。

私の場合は、なんといっても、“エリヤの祈り”(5:16~17)ですね。信仰と奉仕に関して、具体的に記されているという点で、『ヤコブ書』はなかなか興味深い書簡だとおもいます。山口兄、大変、ご苦労さまでした。

結論: - 『ヤコブ書』を学び終えて - 
「インターネットによる聖研」は、ひとまず大成功した、といっていいだろう。熱心に、返答してくださった山口兄に、感謝したい。やはり、六本木で何年間も、2人っきりで、聖研を守ってきただけあって、たとえ離れていても、我々の結束力は固いのだ(?)。さて、私なりに、この学びをまとめたいとおもう。マルティン・ルターは、『ヤコブ書』はワラの書簡だ、とどこかで語ったらしいが、それはルターの“律法と福音”というコンテキストには、あまり合わないからであろう。保守的なルター派神学を教える、私の神学校ではあるが、前クオーターの新約聖書クラスでは、はじめの背景の学び(使徒1:1~12:24)に続き、『ヤコブ書』にかなりの時間をさいて、学ばされた。それは、“信仰と奉仕”という、パウロとは、また少し違った角度から語られる、この『ヤコブ書』を重要視しているからであろう。ペンテコステ以降のユダヤ人キリスト者たちは、異邦人たちを同じ信仰者として受け入れ、律法主義から、また、閉鎖的な民族思考から解き放たれて、伝道へと旅立った。イエスはこう語っていたのである。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」(マルコ7:27)と。選ばれた神の“子供”がユダヤ人である。しかし、それは、後に彼らの足によって、福音が全世界へと述べ伝えられるためであった。私たち異邦人、“小犬”は、その福音を、ただ口をあけて受け取ればよいのである。習慣的にも、ユダヤの文化にしても、彼らが律法主義から脱皮し、救いをイエスの十字架から、その死と復活から得たという確信にいたるまで、錯誤があったに違いない。しかし、ユダヤ人キリスト者たちは主を愛し、また、主は「わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる」(ヤコブ4:5~6)とあるように、彼らを愛し、導かれたのである。ヤコブの「行いの伴わない信仰が役に立たない」(ヤコブ2:20)という主張は、愛を実践するがゆえであって、決して救われるための行い、というものではない。裁きに打ち勝つ、あわれみに満ちた方、主に従い、ユダヤ人キリスト者とともに私たちも、愛を実践する者とされたい(ヤコブ2:13、5:11)。

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。・・・言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」(マタイ5:17,20)





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Last updated  2004年01月18日 16時37分35秒
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ぷりたん@ 超ラッキー!(* ̄ー ̄) 今まで風イ谷に金出してた俺って超バカスww…
突き男@ 腰痛くなるまでやってきました 綺麗な顔しててあんなに激しいなんて、正…
キタキタ@ イヤッホォォォォォウ! やべーこの女やべー! 終始そんなこと考…
コースケ@ お、俺のおtmtmがぁ――!! もう、もう……なんも出まへぇーん!(TT…
鳥蘭丸@ うにゅぅぅぅぅ…… 可愛がってもらうだけ可愛がってもらって…

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