吉里吉里国立病院地下3階「植物温室」隣りの手術室は
数秒間、宇宙空間のようになった。時刻はちょうど10時30分。
「さすがは吉里吉里医学だねぇ。吉里吉里国立病院付属老化防止
研究所が 大ヒットばかっ飛ばしたんだねぇ。」
日本医師会すなわち開業医と病院医は犬猿の仲である。
我々吉里吉里人はこの医療機関の調和と協力を
是非実現させようと決心した。
ゼンタザェモン沼袋の言う3つの病巣とはこうだった。
第1 日本医療は一部の人々に完全に乗っ取られている。
第2 医療機関の間に好ましい調和や協力のないことである。
第3 治療中心で、予防と予後の医療開発が全く遅れている。
ホームナース制。吉里吉里語では「母ちゃも婆様も助手助手制」と言う。
マーキュロクロムは俗称赤チン。
吉里吉里医学が可能にした臓器移植の数々。
ミドリ橋本はセンザブロー沼袋の遺書をカメラに向けて掲げた。
僕はお父さんを心から尊敬しています。
僕はお父さんに感謝しています。
僕はお父さんを愛しています。
吉里吉里医学と言う切り札、これは確かにすごい。
ここにいる脳死者はすべて自殺者なのですよ。そうしてみなさん全て
遺書を 遺している。つまりこれらの臓器は世界の人々のものなのですぞ。
小高い場所に墓地があった。 吉里吉里善兵衛の墓だった 。江戸時代、
南部藩の海産商人・前川善兵衛は代々「吉里吉里善兵衛」を名乗り、
三陸の海産物を関東に送るのに大きな役割を果たした。のみならず、
善兵衛は鉄鋼山を発掘して鉄鋼業も起こした。また、良質の大豆を生産
してこれを銚子に送り、野田の醤油の原料ともなった。善兵衛は、津波や
凶作などの災害が起こるたびに、村民救済のために蔵を開放したり、
雇用を確保したり、農業や漁業を振興した。宝歴の大飢饉では3万人
以上の命を救った。 単なる豪商ではなく、この地域の発展に大きく貢献を
した人物として、「国の光り」となっている 。
芳賀さんを含め、地域の人々の 信頼はいまも厚い。
吉里吉里人 第27章 2011.11.05 コメント(24)
吉里吉里人 第26章 2011.11.03 コメント(23)
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