いよいよ今日で、45歳になりました。
日本人女性の平均寿命が86歳なので、43歳が人生の折り返し地点だったのに対し
いざ40代後半へ突入となると、違った意味で日本最南端での
すがすがしい朝を迎えております。
さて「45歳になっての感想は?」と言われても「ついに40代後半へ
突入した。」と、 実感する以外には一切 no comment なのです。
今秋NHK-FM「歌謡scramble」で、1960年代hit曲がかかりました。
当年代が高度経済成長期だったのは沖縄移住当初から知っておりました。
というのもあの地下鉄Sarin事件があった年で
オウム真理教幹部のほとんどが、1960年代生まれだったからです。
私の場合あと1週間遅く生まれていたら、' 70年代に突入していた。
1969年12月25日と言えば、' 60年代だけでなく
その年にも月に関しても、 Finaleなのだから。
「だから学生時代から最終Classに最終班
また席に関しても最後列が、好きだったんだ。」
それが社会人になって、一人暮らしを始めてからも
最上階・角部屋に、入居したがる傾向となった。
それは今年5月にtitleにした 7月に定年退職を迎えた彼女に
贈った祝電の中に、筑後川組曲「河口」の歌詞からであった。
番組最終回や小説最終章だと、そこでもう終わりになってしまうのだが
川のfinaleは海へと続き、その境界線もはっきりとしていない。
そこがまたprologueに書いた「Positionがなければ、どこまでもが
守備範囲」を 暗示してくれているかのような気がしてならない。
1960年代に生まれたことに、本当に感謝
さて、以前Themaにした「八重山をダメにした権力者」に登場した
とんでもね~奴の件ですが、 「あんな奴に施設長なんかやらせていたら
来年からそこの施設を 利用する人がいなくなってしまう。」というのが
動機でしたが 「公共施設長があんな奴だと、石垣の将来を 背負って立つ
若者たちが みんな悪い方向へ向かってしまうのを防止したい。」と
言う気持ちに変わってきました。
だって私自身がそいつに対して頭に来ていることは我が社の印象を
悪くされたことや ただでおやつを食べさせたり、遊ばせたりされたことではなくて
うちと仲良くなりたいと思ってもいないのに
大事な我が子を毎日来訪させたことなのですから。
子供は親や先生に注意されても「何だ大人だって、やっているじゃないか。」と
言うのが口癖なのに対し「公共施設長からして、夫婦そろってバツイチで
自分のところの宗教団体を激減させただけでなく、店舗入居者にまでも
悪影響を与え、 父親が危篤だと言うのに実家を出て死後は年老いた母親を
ひとり残したままなら、 自分たちだってマネしたっていいんだ。」
現にこちらは「沖縄県石垣市」ではなくて「バツイチクラブ」に名称変更しても
おかしくないところにまで、来てしまっているのですから。
一生続けなくてはならないはずの結婚も、これだけ離婚率が高まってきていると
「じゃあ、自分たちも。」と弱気になってきているに対し
「結婚は一生続けなくても、 いいもんなんだ。」と
最初から一生のPartnerとして結婚相手を 択ばない時代になってしまった。
今年よくこのBlogで舞台になった八重山諸島にある西表島は
一部の人にはcommentしましたが、実は彼の在住する島なのです。
何を隠そう現在も彼からもらった黒糖を食べながら、PCへ向かっているのですが
西表製糖工場改築が遅れ、大変なことになっております。
こちらに移住して12年目にして、今年3月「日本一早い海開き」で
現地へ初debut.
以後何度か足を運び、海辺や彼の牧場だけでなく
「あしながおばさんの会」などにも参加するのだが
8月以降は行っていないし、彼とも2か月以上会っていない。
知り合ってからは永いのだが、正式に交際がstartしたのは
昨年7月OrionBeerまつりからて゛あった。
島も離れているけど、歳も18歳も離れているので
付き合い出した頃には向こうはすでに還暦過ぎていた。
今時決して珍しくもない、いや流行りとも言える年の差coupleなのだが
確かにいろいろあり過ぎると解決しにくい。
11月にあった「急性穿孔性虫垂炎手術」 そして
12月にあった「父親雪山遭難」と言う初めての経験をしたときは
やはりそばにいてくれる人が欲しかった。
そんな背番号のないエースらしい女心が、これから40代後半を迎えるに
あたっての 自他ともへのmessageになるのかもしれない。
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