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2014.10.03
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カテゴリ: 小説
昭和17-31年頃に作者が17歳-31歳のときに書かれた短編集。
表題作の「ラディゲの死」はラディゲが死んでコクトーががっかりして阿片に手を出す話。伝記というほど内容の密度はなく、コクトーがラディゲに接する態度がなにやらホモくさい感じがして、実在の人物をモデルにしたやおい小説を読んでるみたいでげんなりした。ラディゲがシャツを脱ぐ場面は「脱がれることに抵抗しているシャツは、身悶えしている白い鳥の翼のようにそこに映り、やがて脱ぎ捨てられて静かになった。」というふうに書かれていて、その後のラディゲの病死を暗示していて比喩としてはよい。しかし物語として短い上に、詩の引用で話が中断されていて、オチも詩の引用で終わるのは詩の印象のほうが強くなってしまってよくない。コクトーの本か評論か何かをネタ元にしたのだろうけど、小説としてエピソードを編成しきれておらず、コクトーがラディゲを見取ったエピソードを事実に基づいて伝記的に紹介したいのか、コクトーとラディゲの師弟愛をフィクションとして書きたいのか、作者のスタンスが中途半端な感じなのもよくない。この短編が書かれた1953年にはまだコクトーは存命だったのだけれど、存命中の人物のエピソードを外国人作家が勝手に小説にするのは作家のモラルとしてどうなんだろう(勝手に書いたかは知らないけど)。「輓近の評論家R・M・アルベレースによると」「後年コクトオはこう書いている」という形の引用をせずに、コクトーに直接会って取材して書くべきじゃなかろうか。直接取材しないで他の本の情報をまとめただけなら伝記としては手抜きだろうし、実在の人物に対して言ってないことを勝手に付け加えてフィクションにしたとしたらそれも問題だろう。モームがゴーギャンをモデルにして『月と六ペンス』を書いたように、コクトーとラディゲをモデルにした完全なフィクションにしてしまうやり方のほうが良かったんじゃなかろうか。
その他の短編は平安貴族の書簡体小説「みのもの月」、ダンス教室で生徒をナンパするダンス教師「山羊の首」、大臣の就任演説「大臣」、安倍晴明が帝の恋愛を見守る「花山院」、巨体姉妹「偉大な姉妹」、妹の幽霊と会う「朝顔」など、様々な時代を舞台にして様々な展開方法を試みているので、飽きずに読めてエンタメ短編集としてはよい。過去をモチーフにした「みのもの月」や「花山院」よりも、同時代を舞台にした「山羊の首」「魔群の通過」「箱根細工」等のほうが時代を反映しているぶんだけ人間がうまく書かれている。しかし「大臣」「日曜日」「復讐」などは昭和が舞台でもプロットありきのようなエンタメ的な仕上がりで、三島の器用な一面が見えるのは三島ファンにとっては面白いだろうけど、私は三島にエンタメを期待しているわけでもないのでいまさら読んで面白いというものでもない。短編集としてはそこそこ面白いものの、個々の短編の完成度としてはこれといって際立ったものがなかった。

★★★☆☆






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最終更新日  2014.10.04 03:33:40
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