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最近は小田急線で男性が刃物を振り回してサラダオイルをまいて火をつけようとしてして10人が怪我をした刺傷事件が起きて、犯人は職業不詳の36歳のおっさんで、「以前サークルでばかにされ、出会い系でも断られるなどし、勝ち組の女や幸せそうなカップルを見ると殺したくなるようになった」と供述していて、万引きを女性店員に見つかって殺そうと思って夜に店に戻ったら閉店しているので電車で人を殺す計画に切り替えて、逃げ場がなくて大量に殺せる快速急行を狙ったそうな。サラダオイルでなくて可燃性が高い物をまかれていたら大勢死者が出る凶悪な犯行である。アメリカでもインセルによるテロが起きていて問題視されているので、これについて考えることにした。
●ミソジニーとは何か
ミソジニーは女性嫌悪や女性蔑視の事で、逆の男性嫌悪や男性蔑視はミサンドリーという。ミソジニーの原因のとらえ方も様々で、フェミニストは家父長制の男性の支配に抗う女性を罰することだととらえる人がいるし、あるいはアメリカだとインセル(インターネット上に集う女性蔑視主義者)と呼ばれる恋愛対象として選ばれない貧乏でぶさいくで頭が悪い男性弱者が成就できない恋愛感情をこじらせて女性を敵視すると言われている。森喜朗は男性優位のために女性蔑視をする人の典型で、蔑視している自覚がないあたりが特徴的である。小田急線の刺傷事件の犯人のほうは家父長制云々とは関係なさそうなので、不幸な男性である自身と対照的な幸せな女性に憎しみを募らせたのかもしれない。
●異性への嫌悪や蔑視をなくすにはどうすればよいのか
人類は男女両方がいて成り立つし、嫌悪や蔑視で社会がよくなることはなくて社会が荒廃するので、ミソジニーにしろミサンドリーにしろ嫌悪に基づいた偏見が広がるのはよくない。自分が不幸だからといって、うっぷんを晴らす対象として異性を憎しみの対象にすること自体が間違っているし、相手を不幸の道連れにしたところで誰も幸福にならない。
では異性を嫌悪するに至った人にはどこに原因があるのか。そういう人は家族を含めて異性を尊敬したり異性に助けられたりする経験が乏しい一方で、異性に虐げられた経験が多いので、極端な異性嫌いの考え方になるのかもしれない。
しかし人間は個々人によって性格も思想も様々で、男性だから云々女性だから云々というのは認識対象が大雑把すぎる。誰かを嫌悪するにしても自分と直接因縁がある個人に向けるべきで、面識のない人を性別を理由に憎むのは筋違いである。なぜ異性全員を嫌悪の対象にするのか不明だけれど、頭が悪くて現状認識がうまくできないので自分が不幸な原因を自分以外になすりつけて誰かを敵視するようになるのかもしれないし、周囲にちやほやされておしゃれをして恋をして人生を謳歌しているように見える若い女性が嫌悪の対象になりやすいのかもしれない。こういう認知のゆがみは周りに諭す人がいれば矯正しうるけれど、極端な異性嫌いになる人は一番身近な異性である親でさえ嫌悪して家族関係も崩壊しているのだろうし、SNSの人間関係ではエコーチャンバーが起きてかえって異性嫌いをこじらせてしまう。
男性が事件を起こしたときに女性が「これだからキモオタは~」と蔑視すると性別間の対立を煽ってミソジニーを増やしてしまう。不幸な人を救済しない限り逆恨みのテロはなくならないので、不幸な人には愛情や同情で接するほうがよい。臆病な野良猫を懐柔するときに怖くないよーとアピールして辛抱強く慣れるのを待つように、異性は怖くないよーというメッセージを出すことで異性への嫌悪を少なくできるかもしれない。
あと社会の男性の扱いもひどくて、おっさんが公園のベンチで休憩しているだけで通報されたりするので、無駄に男性を敵視して社会的に孤立させるのはやめるべきである。防犯意識が高いのはよいけれど、偏見で差別するのはよくない。社会的に孤立した人は社会に復讐しようとしてテロを起こしかねないので、孤立させないように対話を増やすほうがよい。
そもそも異性だけでなくて同性同士でさえ全員に好かれるのは無理で、性格や考え方や外見の好みの違いで嫌いな人や相性が悪い人が必然的に出てくる。嫌いな相手をどうにか罰しようとして貶めるのでなくて、自分のやるべきことに集中して、どうでもいい相手のことは放っておけばいい。不幸な男性は会ったこともない女性を敵視する暇があったら勉強や仕事や筋トレや趣味に励んで幸福になる方法を模索するほうが健全である。成功した人を妬んだところで自分の成功にはつながらないし、異性を憎んだところで恋愛成就にはつながらないし、幸せそうに見える金持ちや芸能人だって離婚訴訟したり子供がぐれたり誹謗中傷されたりして何かしらの苦労や不幸を抱えている。それぞれ違う人生を生きていて他人と比較しても意味がないので、自分の幸福は自分で見つけないといけない。
●宗教と女性蔑視
歴史的にいろいろな宗教で女性は生理があるので不浄なものとみなされて蔑視されてきたけれど、このような宗教に基づく女性蔑視はなかなか改善しにくい。日本は女性の社会進出が遅れていると言っても信仰心が薄くて宗教に基づく女性蔑視が少ないのでましなほうで、信仰心が強い外国だと女性蔑視が根強く残っている。
インドだと保守的な宗教観が強くて、ヒンドゥー教の下位カーストの女性を蔑視して人命を軽んじたレイプ殺人が頻発して社会問題化している。ジーンズをはいた女性が父親に殺される事件が起きたりして、家父長制で女子は親の所有物のように扱われている。仏教国のタイだと1928年に女性の受戒が禁止されて正式な僧侶になれるのは男性に限られているそうで、尼になりたい女性は国外で受戒するそうな。仏教だと女性は体力的に厳しい修行についてこれないから女性を保護するために女性の修行を認めないという考え方があるようだけれど、女性を保護してやるという一方的な言い分で権利を認めないのは家父長制と同じ構図である。
女性を保護するという大義名分で女性の権利を侵害しているという点ではイスラム教が顕著である。アフリカだとイスラム原理主義のボコ=ハラムが女性に教育は必要ないと主張して学校を襲撃して女子学生を殺害していて、こうなるともはや女性を保護するという大義名分さえない。一方でイスラム教圏でも欧米と交流して宗教が世俗化しつつある国だと女性の社会進出が進みつつあって、サウジアラビアだと男女が同じ職場で働けるようになったそうな。東ヨーロッパやロシアのタタール人はムスリムでしばしば高齢の女性が頭を布で覆っているけれど、世俗化していて厳しい戒律とかはないそうで、これはヨーロッパと陸続きで異文化交流が多かったからかもしれない。
宗教は人間が幸福になるための指針として昔の人が残したもので、教育水準が低かった昔はある程度役に立った部分もあったのだろうけれど、高等教育をうけて自分で物事を考えられる人ならばわざわざ宗教に頼るまでもない。しかし現代でも人類の大多数は高等教育を受けていない発展途上国の人なので、いまだに合理的な科学よりも非合理的な宗教を重んじる人が多い。昔の宗教指導者が教育を受けていない頭が悪い人に牛は農耕の役に立つので殺して食べるなとか豚は寄生虫がいて危ないから食べるなというのを理解させるために牛は神聖だから食べるなとか豚は不浄だから食べるなという方便を使ったら、現代でもそのうわべの方便だけを絶対視して頑なに守って衛生的に飼育された牛や豚を食べないようなもので、昔の宗教的戒律は現代ではたいてい非合理的である。女性蔑視に対してもそうで、昔の経典や戒律がどうだろうが、現代人が幸福であるために女性を蔑視して権利を制限する合理的な理由はない。本来は人々を幸福に導くのが宗教のはずなのに、宗教の戒律を守るために他人の権利を侵害して不幸な人を生み出すのでは本末転倒である。こうした宗教的な因習は知性によって打破しないといけない。
●文化が女性の社会進出を促進させる
企業が男性中心で女性の管理職や正社員が少ない一方で、スポーツや芸術といった文化では女性の社会進出を促進している。芸術ではよい作品を作れば性別にかかわらず評価されていて、例えば大ヒットした『鬼滅の刃』の作者は女性だし、スポーツでは女子選手が大勢活躍している。男性と女性は体格とか脳の特徴とかで性差があって、将棋とかの女性が男性に勝てない分野もあるけれど、だからといって女性が劣っているわけではないし、男性より優れている点も大いにある。文化的に活躍する女性が増えれば女性を蔑視する人が減っていくのではないかと思う。あと読書は他人を理解するのに役に立つので、もっと読書や創作をするほうがよい。
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