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2022.03.04
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Facebookが社名をMetaに変えたそうだけれど、このメタというやつが人間にとって象徴的なものだと思うので、徒然なるままにメタについて考えにけり。

●メタとは何か

meta-とは高次の〇〇を意味していて、何かの単語の頭にくっつけてメタ認知とかメタフィクションとかという使い方をする。

●人間に特有のメタ認知

動物は仲間に危険を知らせる鳴き声や求愛の鳴き声を出して発音に意味を持たせることができるけれど、名詞や動詞を組み合わせて構造的に言葉を使うことができなくて、構造的に言葉を使えるのは人間だけである。それに動物は道具を使うことはできても道具を作ることはできないけれど、人間は道具を作ることができるだけでなく、道具を作るための道具を作ることができる。このように自分が何を認識しているかを認識するメタ認知が人間の知能の特徴で、人間は海馬から過去の記憶を取り出して前頭葉で思考している。前頭葉がなくてメタ認知がない動物は現実の出来事だけに反応して仮定の話は理解できないけれど、人間は現実では起きていない仮定の認知を作ることができて、あれを作るにはあの材料が足りないけれどそれで代用できるかもしれない、このままそれを消費したら将来はそれが不足するのでいつまでに仕入れないといけない、もしそれの仕入れをあの人に頼んだら嫌がるだろうから別の人に頼もうかな、という仮定に仮定を重ねた複雑な考え方ができる。それゆえに人間は複雑な道具をつくって、分業して協力する複雑な社会を作って、環境を作り変えることで繁栄できた。

・認知のモデル化

人間はメタ認知で何を認識しているかを認識できるので、その認知をモデル化することができる。物の見える姿の事をプラトンはイデアと呼んで、真の認識とは想起にほかならないという。イデアを英語ではアイデアという。ピコーンと思い浮かぶやつである。人間は認知をモデル化できるので、見たことがあるものの模型を作るだけでなく、見たことがないものでも頭の中で形を考えて制作できる。例えば分子の結合とかを人間は肉眼で見ることができなくてもモデルを認知できるがゆえに構造を理解することができる。あるいは健康な状態と病気の状態をモデル化することで、自分の体に何の栄養素が足りなくてどんな病気の症状が出ているとかのメタ的な健康状態を自覚することで健康管理ができる。このように認知能力が高まったことが科学の発展と人間の幸福につながったといえる。

・仮想世界と宗教

人間が現実ではない仮想世界を想像できるようになったことで、過去や未来について考えるようになった。人間はどこから来たのか、死んだらどうなるのか、という疑問を解決する都合のいい存在として万物を作った神をでっちあげて、神がいるのに悪いことが起きるという矛盾を解決するために悪魔や妖怪をでっちあげて、死んだら天国や極楽浄土という別世界に行けると想像することで死ぬことの精神的苦痛を和らげようとした。その認識が集団の中での共通認識となって戒律や儀式が体系化されると宗教となる。しかし修行して神と一体化しようとするスーフィズムとかの人間の認知能力を超えるものを認知しようとした試みは失敗に終わった。
現代のように学問が発展して科学的に合理的に地球の成り立ちと人類の進化の説明がつくようになると、もはや非合理な宗教が必要なくなる。TEDで進化生物学者のリチャード・ドーキンスが「戦闘的無神論」という講演をしていて、トップクラスの学者には無神論者が多いと言っていた。目に見えない法則を抽象的な数式で理解できるようになって、目に見える現実と重ね合わせて矛盾がないことを認識できるのが人間の認知の終着点である。
ただし認知能力が高くなると自分が死ぬ運命を認知してしまうのが問題である。科学的に考えればいずれ人類は滅亡するし、数億年後には太陽が爆発して地球も滅亡して、人類のあらゆる営みは無に帰すことになる。その人生の無意味さを受け入れられない人は死後の魂の救済を求めて未だに宗教にすがっている。あるいは無宗教な人にとってはAIに自分の知識と思考パターンを覚えさせて人格のコピーを残して仮想空間のデータとして死後の世界を生きるのが科学的な救済措置といえるのかもしれない。

・頭の良さを測る指標としてのメタ認知

早稲田大学の入試は暗記問題が多いそうで早く正確に問題を解く情報の処理能力が必要だけれど、東京大学の入試は記述式で暗記だけでは解けなくてメタ的な情報の編集能力が必要なのだそうな。2000年代以降にパソコンが発達してからはハードディスクに膨大な情報を蓄積して検索できるようになったので、暗記能力よりも思考力や発想力のほうが重視されるようになって、東北大学や早稲田大学だとAO入試で入学した人のほうが入学後の成績がよいというデータがでている。じゃあ思考力とは何か。暗記は正解とされる知識を海馬で記憶して引き出すだけだけれど、思考は海馬から引き出した知識を前頭葉で組み合わせて仮定する。思考するときにエポケーして前提とされる条件をいったん外すことで、思い込みを排して考えることができる。思考ができない人は正解とされる知識を暗記して権威主義で正当化して、なぜそれが正しいのかというロジックを考えないので、正解とされる知識が実は間違っていたと判明しても、なぜ間違っているのかどこに矛盾があるのか理解できないので間違いを認めようとしないし、ましてや正解が判明していない問題へはうまく対処できない。前提条件を変えて試行する操作が頭の中で行えなくて古くから正解とされてきたものに固執する人のことを頑迷といって、暗記が得意だからといって頭がよいとは言えない。

●社会が軽薄短小になって認知が衰えている

昔の人間は一代で世界の真理のすべてを理解できるとは考えなかったので、ソクラテスのように無知を自覚して弟子をとって学問や思想を継承して、考える時間が十分にあったので仮定と検証を繰り返して矛盾がないものを定めて少しずつ真理を明らかにしてきた。例えば木星は公転周期が12年なので天文学者は数か月おきに気長に観測したそうな。
ところが現代社会はあらゆる分野で手っ取り早く金儲けを目指すようになって、現代人は長期的な計画を立てて道具を作るための道具を作ってこつこつ日々の訓練することをしなくなって、メタな思考力を使わずに現実と目先の金に反応する動物的な馬鹿になりつつある。
日本の産業は精密機械の部品とかの道具を作るための道具に需要があるけれど、道具を作るための道具を作るための道具を作るための道具である基礎研究はすぐに役に立たないからといって政府や企業が予算を出さなくなって、ものづくりの根源になる部分がないがしろにされて、優秀な研究者が予算が豊富なアメリカに行ってしまうようになった。
あるいは保守点検とかの裏方仕事は直接利益を出さないので冷遇されがちだけれど、これも利益を出すために必要不可欠な道具なので、その道具を捨てたら結局は利益がでなくなる。みずほ銀行がシステムエンジニアを冷遇して営業に回したり派遣の契約を打ち切ったりして保守要員を減らしたらメンテナンスできなくなって送金のトラブルが続出しているのが典型的である。大企業になるほど組織や仕事が複雑になって利益を出す営業マンを支えるための事務マンや情報管理システムを支える保守マンや派遣マンや子会社マンや下請けマンとかの階層が出来上がるけれど、経営者が馬鹿だと道具のための道具というメタ的な視点での道具の必要性を認識できないので、コストカットとして贅肉を落とすつもりで手足を切り落として自滅する。
芸術だとテーマや象徴や比喩を織り交ぜる複雑な認知能力や構成力が必要なので、作者が劣化すると作品の劣化として端的に表れる。例えば純文学だと谷崎潤一郎は小説家になるのは40歳くらいがいいと言っていたし、菊池寛も若者が小説を書いてもしょうがないというようなことを言っていたけれど、芥川賞は最年少受賞商法の話題作りに味を占めて綿矢りさとかの若さが取り柄の作家に賞をあげて、小説家なのに知識人といえるほどの知識がない未熟な作家が増えて芥川賞に権威がなくなった。なろう小説だと描写がスカスカで体言止めのト書きみたいになっていて、もはや小説というより脚本である。小説を作るための道具である文学理論や哲学や古典や歴史の知識を十分に用意しないまま創作するので、言葉だけで複雑な構造を作れなくなったのである。
2000年代からはパソコンとインターネットが普及してデジタル化で軽薄短小が加速して、情報サイトはまとめサイトやコピペキュレーションサイトだらけになって、YouTubeはテレビやラジオの転載や人気チャンネルの切り抜きだらけになって、劣化コピーを有難がる馬鹿を量産している。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』という本が東大で一番売れたそうだけれど、ネットだとファストな直感的な早い思考でべらべら喋るひろゆきやメンタリストDaiGoみたいな人がもてはやされて、スローな論理的思考による検証がないがしろにされている。ニュース番組や野党は何か問題が起きると与党が悪いと一斉に批判するけれど、政策がどれだけ効果があったのかどうすればよかったのかという検証をしないので改善もない。あるいはTikTokみたいな数秒の動画がナウでヤングな若者の間で流行っているけれど、そういう構成がなくてキビキビとした編集と演出で面白がらせるような動画をいくら見ても、動物的な反応をするだけで思考に繋がらないので認知機能は向上しないだろう。

●人間のエンリッチメント

エンリッチメントは動物園とかで飼育動物が正常な行動を見せて異常行動を減らすための工夫を指すけれど、人間も動物として考えると現代文明は体や精神にさまざまな病気を引き起こす異常な環境なので、人間にもエンリッチメントが必要である。
一時的に文明を離れて登山やキャンプをするのもよいけれど、それは原始的で動物的な野生への回帰であって人間性を発揮するエンリッチメントとは違う気がする。人間は二足歩行するようになって脳が大きくなって言語能力を発達させて高度なメタ認知能力を手に入れたのだから、人間が本来持つ能力を引き出すには言語能力を訓練する必要があるだろう。となると、複雑な構造を持つ文学を楽しむことこそが人間のエンリッチメントに適していると私は思う。認知症の予防でも脳トレよりも他人と会話したり読書や読み聞かせをするほうが効果があると言われている。
認知心理学から考えてみると、読書の際中には脳のあちこちの部分が働いているので認知機能を高めるのに向いているといえる。まず視覚情報としての文字を認識するには小脳が働いているし、読んでいる文章の意味や文法を理解するためには側頭葉のウェルニッケ野が働いているし、長い文章の意味を理解するにはワーキングメモリが働いているし、登場人物が作中で何度も出てくることで意味記憶として名前を覚えるし、登場人物の性格や行動を把握してメンタルモデルが形成されるし、ある程度物語が進むとストーリーを要約してエピソード記憶として長期記憶に残るし、内容が面白くて感情が刺激されると扁桃体が働くし、気分状態依存効果でいっそう記憶に残りやすくなる。論文とかの実用的な読書だと意味記憶には残ってもエピソード記憶には残らないし、感情が動く要素がなくて偏桃体が働かないので、小説のほうが脳を広範囲に使っているといえる。

・日本語の特異性

日本語は外国人にとって習得が難しい言語と言われているように、他の言語とは違う特徴を持っている。表音文字のひらがなと表意文字の漢字があるだけでなく、漢字に音読みと訓読みがあって文脈に応じて使い分ける必要があるし、主語も文脈から明らかなときはしばしば省略されるし、感覚を表すオノマトペが無数にある。それゆえに英語とかの表音文字よりも脳を使うので、見ようによっては燃費が悪い言語と言えるし、あるいは表音文字と表意文字のハイブリッドでより複雑な表現ができるともいえる。文明が発展するとたいてい言葉の遊戯として詩や歌や演劇が作られるように、平安時代に優れた和歌や随筆が作られたり、江戸時代に優れた俳句が作られたりしたのは日本の文化の発展度合いを示す目安となる。現代に古典として残るほどの優れた日本語の文学があまりないのは、たぶん漫画や映画やゲームとかの視覚的な娯楽が優勢になって読書量が減って語彙も減って認知能力が落ちたのかもしれない。それにコンピューターもプログラミングも英語がベースなので、日本語的なあいまいなレンマの思考がなくなって、西洋的なロゴス的な思考が優勢になっているのかもしれない。

●メタバースの危険性

小説の世界は一方向的で読者が作品の内容を変えることはできないけれど、メタバースの世界は双方向的である。メタバース内で活動するほど世界が充実していって、メタバース内で人間関係や仕事が完結するようになると現実に持ち越せないメタバース内の資産が増えてメタバースから抜け出せなくなって、人間の肉体は現実世界の探索をやめてパソコンを操作するだけの道具に成り下がってしまいかねない。FF11が流行した時に仕事をやめて一日中ゲームをする廃人と呼ばれる人が出現したけれど、現実よりも仮想世界のほうの比重が大きくなってしまうとそのぶん現実が疎かになる。ではそれの何が駄目なのかというと、現実世界なら引越ししたり転職したりして自分で環境を変えることができるけれど、仮想世界ではアップデートの内容は運営のさじ加減で決まるので、人生の主導権を他人に握られることになる。その主導権を握る他人が民主主義で選ばれた政治家なら納得できるだろうけれど、企業が運営する仮想世界はいわば仮想独裁国家である。アメリカの大統領選挙やコロナに絡んでTwitterやFacebookで言論統制があったように、企業にとって都合が悪い発言は検閲されてアカウント削除されることもありうる。メタバース内で土地を買って運用すれば儲かるとかのメタバースを新しいマーケットとしてとらえたビジネス的な視点で好意的に語られがちだれど、その財産が不当に奪われる可能性があることも考慮するべきだろう。

というわけで外国資本に仮想世界を作らせるのでなく、日本は自国でメタジャパンという国営仮想国家を作るとよい。そんで伝統芸能をモーションキャプチャーで保存して仮想世界で見れるようにするとか、国会図書館のくずし字の本をAIが画像認識して読み上げソフトと連携して朗読できるようにするとか、360度カメラで撮影した世界遺産の風景を残すなりして、少子化で継承者がいない文化も仮想世界に残せばよいと思う。つまり日本人が日本の文化や歴史をどう認識しているかという集団的メタ認知をモデル化するわけである。そんでチケット制にして外国人の入国料をとったらデジタル観光地として長期間外貨を稼げるコンテンツになるかもしれないし、未成年だけ投票権があるメタ少年政府サーバーや女性だけ投票権があるメタ女性政府サーバーを作ったりして社会実験ができるかもしれないし、南海トラフ地震や富士山の噴火とかで日本がうっかり滅亡しても日本の良い所は世界の歴史に残せると思う。






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最終更新日  2022.03.07 00:45:01
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