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僕は小説家になりたいと思っていた。ということは、小説家になった訳ではないということになる。いつ頃からそう、つまり小説家になりたいと思っていたのか。まだ10代の頃で、高校生で受験勉強をしていた。その合間に小説なるものを書いた事があって、数人の友人に読んでもらったけど、感想としておおむね好評だった。そして私はいつかは小説を書こうと考えたけど、結局今だに一つもまとまった小説と言えるものを書いていない。けれどまだ諦めたのではない。 そもそも、小説家とは何者なのか。そんな事を漠然と考えていた時、手に取って何気なく広げた本に次の文章を見つけた。「何を目指しているのか、叶えられなくとも良いさ、夢を追い歩いて行ければ幸せだから 」偶然にも私の気持ちを押してくれる言葉を見つけた。しかも実はその本を手に取った段階では、私はこの本は処分しようと考えていたのだから、それでもページをめくって見たのは幸運だったと思う。と言ったが私は未だ諦めていない。杜子春という小説に金はもういらないという台詞があるけど、何故か諦めると考えた時このセリフが浮かんできた。 そもそも小説とは何か、作家と言うけれど、小説家も作家なのだ。小説、つまり作られたもので、作者が居る。創作という言い方があるけれど、創造するということには私は魅力を感じる。 世の中は思いがけないことの連続だと言っていいだろう。そして、自分がその渦中にある時もそこから逃げ出すことは出来ない。それでも、必ずしもしっかり向き合っているとは言えない時の方が多いとも思う。結果は必ずなんらかの形で現れますが、結果が全てではない。その結果を受け入れる時もあるし、違った結果を求めてチャレンジする時もあるのは当然だと思う。つまり一喜一憂の繰り返しなのだと、諦めているのかも知れない。 なぜ小説家になりたいと考えたのかという事を記しておくと、小説家の仕事は、どこででも出来る?仕事をするために必要なのは自由な時間。今考えてみると、私は考え違いをしていたと気付いた。だから私は小説家になれなかったのだと、皆さんにわかってもらえるよに説明できない自分に足りないものが多すぎる。自由というのは曖昧模糊なのだろう。
2021.08.19
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きっかけは一通の手紙でした。それから調べてみたのです。そして私は書き残しておきたいと思ったのです。手帳や日記帳をまず整理することから始めました。整理を始めて一ヶ月いろんな記憶が蘇ってきましたし、色々と具体的に思い出したりすることも多くあってそれでも日記を読み返して今とは違ってることも多いものです。サンタのことが書かれているのはサンタが我が家に来てから三日後です。今でも覚えていますが、サンタを初めて抱き上げた時、胸に抱いていると肩に登ろうとするんです。抱かれることを嫌がっていないのです。その時私はこの子を連れて帰りたいと思いました。そしてこれはサンタとは関連しないことですが、その頃私はよく車を洗車し、バイクを洗車していたということが日記から見えてきました。そこで日記に書かれてるサンタのことを抜き書きしてみます。3月31日、サンタは階段を3段登って降りる事が出来ないで、吠えている。午後4時ごろには、二階までボツボツと上がる。
2021.07.19
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私の心の中でこの言葉が繰り返し響いている。そして私は間違いなく幸せを届けてくれたサンタに今も感謝している。サンタが我が家に来たのは2016年の3月23日、それより前に、当時よく言っていたショッピングセンターにあったペットショップで、何度かサンタの様子は見ていた。けれど、私達は
2021.06.22
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サンタのことのついて何度かこのブログに記入しました。その中で、単なる思い出を綴るというのではなく、しっかりと事実を調べて、私にとってサンタがどのような存在だったのか、そしてサンタが届けてくれた幸せを、記しておきたいと思います。そこでふるい日記をもう一度見返して、新しい物語を書きたいと思います。サンタが我が家に来たのは1999年3月23日、サンタが亡くなったのは2016年5月16日でした。まだ、その間の日記とメモが残っている手帳を、探し出した段階ですが、この17年にわたるサンタとの生活を物語として残したいと思います。
2021.06.14
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サンタのことについては、ただ単なる思い出ではなく、日記に書いていたことなど見返して、詳しく書こうと考え準備をしました。まだ模索の段階ですが、一つの物語になればいいかなと思っています。タイトルはサンタの日記なのか、サンタは幸せを届けてくれましたか?としようかまだ決めていません。
2021.06.04
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サンタの物語、今準備を始めてます。単なる随想ではない物語を書きます。少なくとも17年分の資料をしっかりと調べます。そして一週間なかなか進んでいません。
2021.05.17
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サンタは幸せを届けてくれましたか?と聞かれた。即座にはいと答えた。榊ペット霊園での事である。サンタが我が家に来て19年が経っていた。サンタのことについては何度か文章を書いた。 我が家はサンタが来る前にはシーズーという犬種をと書きかけていたのだが、サンタが亡くなった年が何年だったのか?と思っていたけれど、その年の8月15日は月曜日だったということが、榊ペット霊園からの手紙で分かった。
2021.04.05
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確か高橋あきらとコロラティーノではなかったか?
2021.04.05
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夢を見た。うさぎがいる。うさぎが子供に飛びかかる。うさぎが私にもそれで私は蔦のような。ヒモのようなものを集めてそれに対応しようと思う。
2021.03.27
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最近と言ってももう二ヶ月くらい前になるが、いや三ヶ月になるのかラジオである作家がゲストとして出演。どうして作家になったのかそのエピソードを話された。ラジオのパーソナリティは竹内陶子、インタビューがすごく上手いと言うか、聞いてると楽しくなる。そして作家がの紹介の後、興味深かったのは、何故小説を書くようになったのかと言うことだった。勤めていた会社の仕事で電車に乗ると具合が悪くなる、会議に出ると具合が悪くなる、原因がわからず過ごす中で、雨宿りのために本屋に入り有名作家の本を立ち読みしたところ、こんな小説は自分がもっと上手く書けると思い奥さんに電話したところ、それならやって見たらと言うことになった。今は作家として多くの文学賞を受賞されているのに、私はラジオでこのエピソードを聞くまでこの作家さんを知らなかったんです。新しく出版される小説の事も話がありました。タイトルは灯台からの響き、少し前にやはりラジオで灯台のことについていろんな話を聞いていましたから、早速この本を読もうと考えました。ネットで探すとすぐに見つかり早速発注しました。人生の価値を考える、こんな作家にもっと早く巡り合っていたら、と強く思いました。しばらくはこの作家の小説を読むことにします。 二冊目三冊目と進んでいます。自転車と絵本作家、富山と京都が舞台の小説、縁という不思議な糸が命と命を繋いでいく物語。 読んでしまったけれど、もう一度読みます。
2021.03.22
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本が見つかったのだが、流石に背表紙はやけているが、開いて見ると前書きがあって、文字は小さい感じだが読みやすいと言う感じだった。いずれ少しずつ読むことにする。キリストについていろんな本が出てるし.クリスマスも関連することだが、日本人はキリスト教について宗教と捉えていない人が多いのではと考えてるのは私だけではないと思う。本の話はこれくらいにして、チロは旅行に行く時車で行くことにして必ず連れて行くことにしていた。家内の姉のご主人は発電所に勤めていて、転勤があるので、私たち夫婦はその転勤先を目的地に設定することが多かった。宿泊にお金が掛からず、旅行へ行く時、懐具合を考える必要が無いのは有り難かった。
2021.03.21
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今になって思うのだが、チロを師走の雪のチラつく街で見かけて、何故誰かが飼っている犬だと言う事を少しも考える事なく、私は車に乗せたのだろうか。そして一緒にいた家内も何も言うことは無かったのだろうか。私は犬が好きだとは思ってなかったし、犬は怖いと思う事もあった。それなのにあの日何故私はチロを抱き上げて連れて帰ったのかは、今考えても、わからないけれど、私が連れて帰らないとこの犬は溝とか、川に落ちるとか、車に轢かれるとか悪いことばかりが私の脳裏に浮かんだ、もし少しでも誰かが飼っている迷い犬と考えていたら、気にはなっても連れて帰らないだろうし、普通はそう思うのが当たり前だと今は思う。実はこれより後、娘が犬を欲しいと言ってペットショップで小型犬のシーズーを飼った事があって、その子がある日いつ出て行ったのかわからないで、探して回った事があるのだけど、見つけきれなくて困っていた時に、娘の友達が薄汚れている仔犬を抱えてきてくれた事があったのを思いだした。チロは私たちが出かける準備をしているのを察知するらしく、自分も一緒に行くとアピールしてくる。 ずいぶん前のことだが、チロが一冊の本を齧っていたと言う事を書いた。その時、私はその本を改めて探しても見た。けれど見つける事ができなかった。本棚を何気なく見てるとその本があった。何故探す時に見つけられなかったのか、何度も見たはずなのに、この本はタイトルが気になって購入したわけである。私の場合いわゆるジャケ買いというのが多い。本よりもレコードの方がもっとそうゆう傾向がある。レコードのジャケットは飾るに値する美しいものが多いと思う。
2021.03.13
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海外旅行へ行く準備をしていた。初めての海外旅行、何故行くことになったのか、そtれは、娘が英会話を習い始めて英会話教室の先生はモニカ先生。お隣の奥さんがこの先生を知っていた事が、きっかけになった。英会話教室は型にはまった授業ではなく、楽しそうであって単なる会話だけでなく、外国人の考え方なども学べるのは良い事だと思っていた。そしてその教室に通う子供たちをシンガポールに連れて行くと言う話があった、ほとんどのメンバーが小学生なので、一緒についていくと言う親御さんもいるのだろうか?そう考えてる時に、お父さんも一緒に来ませんかと言われて、行くことにしたわけである。
2021.03.10
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チロと暮らすようになったのは、昭和46年だった。川沿いの家に私達は一年ほど住んだ。ある日私達はチロをいつものように車に同乗させて、ドライブに出かけた。何処へ行こうと思っていたか今となってははっきり覚えていないが多分海沿いの街へ行こうと思っていた。途中で新しく出来た団地を見つけて、まだ家の立っていない団地を歩いて見た。団地を販売するための事務所が、公園用地に立っていた。ここで時間を費やして、その日は帰る事にした。その日は多分土曜日だった。次の日新しい団地の事が気に掛かり、もう一度行くことにした。行って見ると売約済みと各宅地に建てられていたその区画の面積を表示した看板の幾つかに赤い文字で表示されていた。たった1日で多くの宅地が売れたと言う事に少し驚いた。そして自分たちもこんな場所に家を持てると良いだろうと思った。そして調べてみたら色々な制度があってその制度を利用すると私たちにも大きな家でなければ立てる事が可能だと分かった。それから職場の友人とか、両親とか相談をした。無論家を建てる事を前提としてだった。話はとんとん拍子に進み、一つの区画を購入契約を交わした。その間に友人とその宅地を見に一緒に行ったりもした。その友人は2人とも若くして病気で亡くなった。家の事を何かにつけて思い出したりすると、その2人のことも思い出す。
2021.03.06
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テレビである天才が紹介されました。人気番組なので見たという人も多いと思います。人には見えないものが見えるという才能。訓練や学習でいろんなことができる様になるし、多くの場合いきなり出来たり理解したりということが可能ではなく、教わったり、学ぶことが必要ですが、そういうことは一切関係が無いように見える人を天才と言うのであろう。
2021.03.01
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チロが私たちと暮らす様になって何か変わったかと言えば、朝の散歩を短い時間であっても必ず毎日、雨が降ってもする様になったことである。散歩の後は足を洗ってやる、何処かへ出かける時必ず一緒についてくるのは私たちにとっても楽しいことだった。それにしても何故なんの違和感もなく彼との生活が始まったのだろうか?と今になって思う。 子供の頃、猫を飼ったことがある。ある日近所で見かけた三毛猫を抱いて家に帰り、猫を飼いたいと両親に言った。その猫は子猫だった。両親は猫を飼ってはダメと言いながら猫に身向もしなかった。猫はいつの間にかいなくなった。ところがまた勝手に我が家に入り込んできた。それで何か食べそうなものを差し出すと食べた。そしてそれからは何処かに出て行ったとしても、帰ってくる日々が続いて、ミミーと勝手に名前をつけて、ミミーと呼ぶとそばに来る様になって、家の中にいる時間が長くなって夜は必ず家にいるという日々が続いた。当然食べ物も与えていて、、ところが一年くらい過ぎた頃帰って来ないことがあった、けれどまた帰ってきたのだが、その後何故か帰って来なくなった。そして二度と猫を飼いたいという気持ちになることは無かった。もしかしたら、交通事故に遭って帰って来れなくなったのかもしれないという事を思ったのは最近になってからだと思う。ある日ドライブに出かけた。当てもなく走るうちに、何故か行き止まりで海沿いの道に迷い込み行き止まりで小さな広場があった。車を降りて海を眺めて一休みと思った。車から降りると黒い猫が居た。それも三匹、振り返って見ると茶色い猫も二匹居た。そして他にも猫が集まってきた。こちらに近づいてくる。私は車に乗って車を方向変換位してその場を離れた。そして思ったのは私は猫を好きではないのかもしれない。そんな事もあったと思い出した。
2021.02.23
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随分昔のことなので、しかもその頃私は日記などつけてないので、チロのことについては、こんなことがあったと記したとしても、思い違いだったりする事もあることはご容赦ください。チロのリードと首輪をいつ購入したのか全く記憶にない。ただ、ペットショップに行ったのは商店街のすぐ近くだった。多分散歩をするのに困った記憶はないので、即行で購入したのだと思う。 ふと思いついたことがある。チロは私たちが留守の間は、家の中にいて、特に制約はなかったのだが、ある日一冊の本を角を噛んでいた。その本のタイトルは何故キリストは殺されたというものだった。多くの本があったけれど、何故この本だったのか?もう一冊置いていた本は午前三時に目がバッチリだった。私が通った幼稚園はカトリック系の幼稚園で敷地内に立派な教会もあった。幼稚園は遠かったけど、楽しかった。通り道に神社とお寺と教会がすぐ近くに立ち並んでいて、石畳の坂道を登って通った。だからキリストに興味を持っていたのだろうと考える。と言いながらその本はいまだに読んでいない。お昼の食事の前にお祈りをするんだけれど、一度お祈りをする前にパンを食べて叱られた事を思い出した。担任の先生は1人はシスターで服装が一般の人と違うし、子供ながらシスターの方が厳しい様に感じていた。私達はマリア先生と言っていたけど、今考えると、洗礼名だったのだと思う。
2021.02.09
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小学生になってよく友達とスケッチに行った。私は漠然と絵描きになれたらいいなと思った。絵描きになれたら仕事に行かなくてもいい。つまり仕事に行きたくなかった。でもすぐに挫折した。一緒にスケッチに行っていた友達の絵が、きれいなのだ。同じ場所を描くからその差がはっきりわかる。絵描きになる事を諦めた私はスケッチにも行かなくなった。
2021.02.03
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これは、最近思うことであって、チロとの生活が始まった頃に思ったことではない。繰り返しになるが余裕が無ければ犬は飼えない。余裕とは時間だけでなく、気持ちも、そして経済的にもである。 チロとの生活が始まった頃、私の生活環境は大きく変わったばかりで、その慣れない環境の中で、チロとの生活が始まった。しかも衝動的に抱えて車に乗せたわけで、それこそ余裕などある意味なかった。けれど、こうも考える。そもそも余裕というのは、自分で生み出すというかつくっていくものではないのだろうか。 ではチロの話に戻ろう。散歩の時間は多分十分では無いだろうと思い、少しでも長くしようと、朝起きてできるだけ早く散歩に出ようとしたのだが、まだ時間が早いと思うのか、寝そべったまま動かない。短い時間だが朝からシャンぽに出るのは、メリットがあった。その日の気温とか空模様とか、自分お肌と目で確かめる事は、その日のスタートにある意味良い習慣だと思ったのは随分時間が経ってからだった。つまりはじめの頃は余裕がなかったのだと思う。私の仕事は夜勤もあった。夜勤明けには、帰ってすぐに散歩に行く。不思議なのは、私に時間的余裕があるのを彼は察知していて、いつもより遠くに行こうとする。私としてはいつもの時間くらいで終わりにしたい。けれど彼の要求もわかるから少し長い時間散歩することになる。すると、滅多に人に会うことはないけど、車が通りかかって、道が狭い事を感じたりする。何事もいつもと同じではないのは当然なのだが、多分散歩する習慣がなかったらこういう感想を持たないのだろう。
2021.01.30
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チロとの生活は私たちの暮らしに大きな変化をもたらしたわけではないけれど、間違いなく楽しい時間が増えたのだと思っていた。車で出かける時は、多くの場合、一緒に連れて行くことが多かった。私たちの動きを見ていて出かけるという事を察知していて、少し離れたところにあった駐車場へ彼は先立って駆けていた。車へ乗り込むと後部座席が彼の指定席で、後部座席の真ん中に腹這いになって落ち着いていた。猫は三日すると忘れるが、犬は三日飼ったら忘れない、と聞いたことがあるけれど、チロは今でも初めて私たちの車に乗せられた時のこと忘れてないのだろうと思う。 よくよく考えると。犬を飼うという事は、生活に余裕が無ければならないのではないか。であるけれども私は咄嗟に、しかも犬について殆ど知識など無いのに、彼を抱えて車に乗せた。これが人間の子供だったらそういう事は絶対にありえない事だ。私は助けてあげるその事しか考えてなかったのであって、もう手遅れだが、今頃になって改めて考えたのは、こうしてチロのことについて書いておきたいと思ったからである。つまり今になって本当にそれでよかったのかと無駄な事を考えてるが、これはさておいて話を進めたい。 余裕とは何か、一言で言うけれども多くのことが絡んでくる。
2021.01.27
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私がこの本を知ることになったのはラジオ放送、竹内陶子の午後カフェという番組に宮本輝さんがゲストでそのお話が印象的で、結果私は本を探して購入した。たくさん著作はあって、少し迷ったけど、最新作から読むことにした。第一章は一気に読んだ。それこそ朝飯前だった。 そしてその日一日中読み続けた。夕方までに半分近く読んだ。何故灯台なのか、
2021.01.25
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朝出勤する前に散歩をするのが日課になった。家の近くには公園はないし、空き地もない。道沿いに小川が流れている。散歩といっても時間はせいぜい十分くらいで、日によって変わる訳ではなく、毎日同じコースを時には少し駆けたりする事もあった。短い時間であっても、リフレッシュすることと、周りの環境とか気候とか感じておく事はいろんな面でプラスになった。チロがいなければ、この時間せいぜいニュースを見るか、仕事に行く準備を確認するとか、必要なことではあるけれど、いわゆる隙間時間である。 話は変わるが、私たちが住んでいた家は、木造の平家建て、風呂は五右衛門風呂ー家の裏手は小川に接していた。雨が降ると川を流れる水は増えて、水に流される石ころの音が聞こえる。それ程すぐ側を川が流れていた。しかしその川が氾濫する事は全く考えた事はなかった。
2021.01.19
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私たちは郊外に古い一軒家を借りて新しい生活を始めたばかりだった。それで週末には実家へ行くことが多かった。そんな中でチロを見つけた訳だが、一度も犬を飼いたいと思った事はなかったのに、チロを見つけた時は、もうすでに連れて帰ろうと思っていたのだと思う.. 住み始めた家の大家さんは、犬のことに詳しい人で、私たちがこの犬を飼いたいのですがと相談した時、これは一歳くらいだねと教えてくれた。歯のはえ具合で分かるらしいー家の中で飼えるし予防注射もしておいたほうがいいと教えてくださった。私たちに新しい仲間が増えて、私たちは散歩をさせるという仕事が増えた。と言っても散歩の係は私だが、それほど長い時間ではないし、負担に感じる事はなかった。何が必要なのかペットショップへ行き相談して購入した。犬との生活が始まって、最初に気づいた事は、郵便配達の人が玄関に来る前に、彼が吠えるという事、それもうるさくではなくワンと一度だけ、私たちは彼に知らされて、ポストに郵便が入るのを確認する。昼間彼だけが留守番することは多いけど、その時も吠えてるのかなと想像すると、微笑ましく思う。
2021.01.16
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すでに半世紀近い過去のことだから、何一つしっかりした記録があるのではないけれど、年末だった。クリスマスの頃だったと思う。私たちは自家用車で週末によく通った蛍茶屋の電停を過ぎた国道をいつもと変わらず進んでいた。ただ、この日何故か渋滞していて、いつもなら見過ごす通り沿いの小学校をなんとなく見ていた。一匹の小型犬が運動場沿いの道を、行ったり来たりしているのに気づいた。私は脇道に入り車を止めた。毛足の長いグレーの犬は運動場に入って行こうとしたけれど、結局通り過ぎて行った。それからまた戻ってくるが、運動場の入り口まで来てしばらく運動場の様子を見ている様にも見えた。けれどもまたしても何かを探しているかの様に、国道から奥の方へ進んで行く。私は車から降りてその犬に近づいた。私は咄嗟に抱き上げた。何故抱き上げたのか自分でも無意識のうちに、抱き上げていたー何かもがくわけでもなく全く抵抗するそぶりもなかった。私は今までに犬と接するという事はほとんどなかった。せいぜい友達が飼っている犬の名前を読んでみる程度で、抱き上げるという様な事をした事はない。自分でもどうして抱き上げたのかと思う。けれどその時は助けてあげなければと思ったのだろうと考える。その時この犬が誰かの飼っている犬だとか、迷っているのだとか考えなくて、連れて帰らなければ、このままではどうなるのかわからないと思った。だあきあげて車に戻り後ろの座席に乗せた。そして私たちは丘の上の実家に向かった。実家へ向かうコースは大まかには二つある。一つは石橋を通る。もう一つは思案橋のコース。どちらかろいえば思案橋のコースを選ぶ時が多い。こちらが道路が広くて、走りやすい。けれども、石橋のコースは、以前石橋の近くに永く住んでいたので、時には通ってみたくなる。この日思案橋のコースを選んだのは、こちらが急カーブとかなくて、車に乗ったことがあるのかわからない犬を乗せて通るには無難だからと思った。実家に着いて、門の横に車を止めて、一旦家に入った。そして実は犬を車に乗せている事を知らせて、車から抱えて家の中に入れたー初めての家なのに、落ち着いている様に見えた。多分かなり疲れていて、動きたくなかったのだと後で思ったけど、その時は何をどうするのが良いのかわからないながら、水を飲ませてみた。お皿に入れた水を飲んで足りなかったのか、お皿を舐めている。両親が夕食のために準備していたチキンを焼いたものをほぐしてお皿に入れてあげると、すぐに食べてしまった。これで少し落ち着いた様に感じたけど、改めてよく見ると汚れてるてという事に気づいた。私は犬を飼った事もなかったし、飼いたいと思った事もなかった。猫は一度飼ったことがあるけれど、ある日帰ってこなくて、猫は三日したら恩を忘れると近所のおばあちゃんに言われたことがある。その時犬は忘れないけどねとも言われた事を何故か思い出した。しばらくして、洗ってやろうと思ったものの、どう準備をしたら良いのかわからないながら、タライにお湯を入れ準備した。ブラシとかないので手で洗ってやる事しか出来ないわけで家内と二人で洗ってバスタオルで拭いてやった。驚いたことにグレーだと思っていたけど、真っ白だった。その時名前は白だと思ったけど、それではあまりにもそのままだし、チロというのはどうだろうと言ったら、あまり良い反響はなかったけど、もう私は決めていた。この話の続きはその二ということで書いていきたい。
2021.01.11
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あの日からもう何十年経ったのか、今となってははっきりと言えないけど、五十年近く過去のことであるけれども、今でもその状況は細かく覚えている。雪のちらつく日だった。私たちは自家用車で国道を走っていた。小学校の運動場が見える。私たちは郊外に古い一軒家を借りて、新しい生活を始めたばかりだった。郊外から国道を通って、市街地に入り、市の中心部を抜けて丘の上にある実家へ向かう途中だった。いつもなら、スムーズに通る場所なので、学校など大きな建物は知っていたけれど、その日は交通渋滞で、何度も止まったので、一匹の犬が同じ所を行ったり来たりしているのが目に入った。私はすぐに脇道に入り車を止めた。そして犬に近づいていったが、犬は逃げるどころか、私たちに助けを求めているように感じた。グレーの毛の長い犬で、目が毛に隠れてわからない。私は咄嗟に抱き上げて、車に戻りトランクを開けて犬を乗せた。そこで大丈夫そうだったのでそのまま乗せて行くことにした。結構汚れていたので、座席に乗せるのは躊躇した。実家に着いて両親に車に犬を乗せていると言った。そして先ずは風呂場で洗ってやった。お湯で流してやるだけでもかなり綺麗になったけど石鹸をつけて洗った。そして思った、白い犬だったんだと、名前はすぐに「しろ」と浮かんだがそれではあまりにもそのままなので、チロはどうだろうと、簡単に決まった。と言うか決めてしまったのだけど。 実は、私は犬を飼った事はない。どちらかと言えば犬は苦手なんだ。それなのにチロを連れて帰ると決めたのは直感だった。連れて帰らないとどこかで車に跳ねられたり、食べるものを何も食べられなくて、衰弱したり、私は悪いことばかり想像した。そのことがこの犬を連れて帰るという決断をした理由であった。そして今思うと私は何も知らなかった。それでも連れて帰った。うそして彼は何も抵抗することなく
2021.01.07
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緊急事態宣言でみんなどう動くのか?緊急事態宣言と言いながら何も拘束力はないに等しいわけでこれでは、意味のない宣言で、全力でとか真摯にとか、誠実にとか美辞麗句を並べてるだけの、責任は取ったこともなく説明責任は果たしたこともない日本をここまでダメにした、いまだにウソをついてるあの人と同じではと思ってしまう。
2021.01.05
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夢を見ているなと思っていて、なぜか台所に行った。いつもの我が家の家の台所だが、広かった。そこへ家内が帰って来た。顔が丸く腫れだして目が異様に大きくなった、しらめをむいた。そこで長い夢から目覚め家内の寝室を覗いてみる。
2021.01.03
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初夢や今年を占う複雑さ 本来ならば2020東京オリンピックが大きな話題として新たな一年のスタートを切るはずだった。今朝方みた夢は夢の中でまず眠ろうとじっとしているところから始まったー夢の中で何かパネルを並べていた。文字が書かれたのが有り、模様が書いてあるものもある。階段を上がって屋上に出るとそこでも誰かがパネルを並べていた。分類しながら並べている。階段を下ると部屋があって。そこで私はまた眠ろうと考えたが、議論している人が数人いて、しばらく話を聴いていた。私はその人たちに次の課題を決めるように言って、また別の部屋に入る。
2021.01.01
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確かこんな言葉で始まる。この物語は、ところがその次の言葉が思い出せない。何度も繰り返し聞いていたはずなのに、不思議な旅の話で、ラジオで聴いていたという事を思い出したけれど、この物語は、クリスマスの話だった。そうだと思うけど。
2021.01.01
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初めよければすべてよし!どんな状況であっても新しい一年は始まる。 覚悟を決めて今年は結果を残す。
2021.01.01
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何故国民はこの人の存在を認めるのだろうか。何故こんな人が政治家なのか、国会でウソを言い続けてそれでもまだ政治家をしてるのは何故だろう。お詫びという意味はなんなのか?真摯とか誠実というのは、どんな気持ちで使うのか?総理大臣を投げ出したそれでも何故まだ相変わらず上塗りを重ねるのか、良心というかけらはないのだろうし、私はどうすればいいのかわかりません。
2020.12.26
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アメリカの医療機関を取材した番組を見て大きな衝撃を受けた。現実から逃げ出すことは出来ない。日本の医療機関も同じようなことだと思う。私たちには何が出来るのか何をしなければならないのか答えは一つ。
2020.12.21
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こんな事を話題にするとは思わなかった。そこから多くの問題が見えて来る。嘘をつくよりは、まだ許せるけど、国会で嘘をつくことは許されないし、立派な犯罪だ。そして上塗りをする説明責任は誠実に謝罪して責任を取る、つまり議員辞職し、無駄に使った税金返せ。
2020.12.14
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テレビ番組のタイトル。この番組最初は何となく見ていたように思う。そこには其々の人生がある。それぞれの事情がある。家というのはポツンと一軒家でなくてもそれぞれの人生に関わってるのだが、ポツンとだとなぜだか特別なように思うのは私だけではないのだろうと思う。そして自分を見直す。
2020.12.13
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タイトルは大事だと思うけれど、否定的な内容が肯定的な思考を起こすきっかけになるのだろうか。説明責任とは、あるのだろうか。説明しないこともあっていいのではないか?
2020.12.12
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本の森と言う図書館があるようです。あまりみることのない教育テレビというチャンネルで、偶然みた番組でした。その番組名も見てなくて後で調べようとした時に手がかりが無くて、それでもどうにか見つけたのですが、そしてもう一度その番組を見たいのですが、再放送などがそうそうあるわけではないので、今のところ諦めています。アラジンの魔法のランプがあればいいのに。
2020.12.07
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職場の同期と旅行に行く夢時々見るが、実際によく旅行に行ったことが夢を見ることにも関係があるのだろうって思う。大きな旅館だった。広い階段を登る。ところが廊下に立つには手すりを乗り越えなければならず、しかも手すりはゆらゆらしていて、それでも強引に乗り越える。
2020.11.24
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夢のような事を言うなと言われることがある。そもそも夢というのは何かと思う。辞書には詳しく載っているだろう。 車を運転してどこかの事務所に行った。駐車場は広いが駐車場と言うよりも空地で井戸があったり、フェンスがあったり、それでも普通に運転して車を止めた。事務所はプレハブの建物で、玄関などなくて部屋の片隅に机が置かれているだけの、本当に事務所なのと思った。
2020.11.23
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今日は昨日やった事を夢の中で繰り返していたように思う。こんな日もある。夢というけどそれを実現させる努力をしている人もいる。がんばれとエールを送る。
2020.11.19
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夢をまたみた。そして今日はそれはまるで夢のようだったと言うフレーズで始まるコマーシャルを思い出させた。いや正確には、すぐに思い出したわけではない。夢のイメージとは、多くの人が良い事に繋がっていると思う。
2020.11.18
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今朝も夢を見けど、これで三日連続かだと思う。今朝の夢は、バイクに何かを張り付けようとしていた。確か父親だと思うけど、手伝ってくれていた。随分昔住んでいた家だった。接着剤を塗っていた。今のようにシールを貼るような簡単なものでなく、面倒な作業だった。そして、作業の途中で、ブーツに貼り付けるネームプレートが出てきた。説明書と一緒にあったのでブーツに付けるんだと分かった。これをいつ買ったのかと夢の中で考えながら作業を続けた。なぜこんな夢を見たんだろうと思ったけど、直ぐに思い当たったのは、テーブルの上に、工具とか接着剤など色んなものを出したままだったからだろうと思う。さて今日も一日が始まる。
2020.11.17
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長い夢だった。二つの夢、いや、続いていると思っていたが、違う夢だったのではないかとも思う。どこだかわからないけど、懇親会に参加していた。参加者は仕事の関係者が多く居たけれど、仕事に関する話ではなく、皆さんいろんな話をしていたように思う。会は終わって、二次会に流れた場所は繁華街ではなく少し山手にある料亭だったー広い庭があって、途中トイレに行った時に、庭に出てみた。庭は薄暗く、他に人はいなかった。なぜだか私は一メートル程の鉄棒を持っていた。少し行くとどうやら犬がいるような気配だった。犬が近づいてくるので鉄棒で追い払ったりしながら歩くうちに道を間違えたらしく、料亭に戻れないでいると大きな犬が飛びかかってきたので咄嗟に鉄棒で犬の頭を一撃したー犬は何匹もいて次々に飛びかかってくるー次の場面で私は公会堂のホールにいて、ギターの演奏会が始まるのを待っていて、演奏者はホールの隅で誰かと話をしているのでしばらく待つことにしてギターを習う相談をしようと思っていた。
2020.11.16
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夢を見ていた。そして目醒めたのは午前1時半、ビートルというクルマだった。私が見ていたのはそのテールゲートだった。車を整備しているのは女性だった。思い出せるのはこれだけで、しばらく考えたけれども、夢の中に戻れない。よく見る夢は建物の中で、出口が分からない夢だと思う。夢に出てくる人物が知っている人であることも多い。多分夢を研究している人もいるだろうと思う。もう一度夢の続きを観る為に眠ることにする。
2020.11.14
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目覚めた時に、夢を見ていた。よくある事だが、今朝もそうだった。不思議なもので夢は時間が経つと曖昧模糊になる事が多いけど、時にはハッキリと覚えてる時もある。戦艦大和のニュースを見ていた、場所は戦艦大和の中にあるシアターのような場所だった。ある公園のことが紹介された。その公園には実物大の戦艦武蔵のオブジェが置かれている。しかも海岸沿いで沿いであたかもオブジェが海に浮かんでいるような印象である。私はこの公園に行ったことがあると思っていた。しかもそれは夢の中だった。しかもその公園長崎港にあって実際に戦艦武蔵が建造された造船所が 対岸に見える。
2020.11.13
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時には何何のようにというタイトル覚えがありませんか。確か少女のようにだったと思いますが随分前の歌で最近は忘れられてる。いや私が忘れてた。今日はでは調べるという気分ではないので、この話は終わりにします。 私がブログを始めたきっかけは、定年退職し、自由な時間が増えたというよりも、ほぼ毎日が自由だったから。しかし、その時は本当に嬉しくて、ただ散歩するだけでも何だか嬉しくて、と思ったのですが、それが日常になるとこのまま時間だけが過ぎていくという事が不安になって、日々の日記の代わりに始めたのですが、その結果何か為になったというわけでもないーという事を改めて思った時に、このままでは終われないという気持ちになった。今のところ目標はまだないけれど、何か見つけたい。
2020.11.12
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最近、ユーチューバーは何かと話題になるけれど、昔はブロガーの事がよくいろいろと取り上げられていたように思うが、今はどうなんだろと思っています。 有名なブログは徒然草ではないですか?これを超えたブログがあるのだろうか。 でも私はそこを意識してブログを続けることにする。何事も心意気は大事だから。 国会中継を見ましたか。ラジオも国歌中継だし、テレビで見ましたが、与党側の質問は、単なるコマーシャルだと思った。もっと建設的な意見はないのだろうか。すべての国会議員にその歳費に見合う仕事をして欲しい。国会議員になる為に一億以上も配るなんて腹立たしい。そのお金本当に困っている人の為に使うなら犯罪も減るだろう。美しい国とは何かもう国民の多くは気づいている。
2020.11.07
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雨が降っているようだ。ふと、まどのそとはあめ、あめがふってる と言う歌詞が浮かんだ。でも続いての歌詞は思い出せない。今の時代は便利になってわからないことはすぐに調べられる。何か手がかりがあれば、そして気になったから調べた。雨の物語という歌だった。誰が唄っていたかはすぐに思い出しその歌声も浮かんだ。そしてその歌をすぐに聞ける、そしてまた忘れる。すぐに調べられるのに調べてないこともある。いちご白書をもう一度、と言う歌も部分的にしか覚えていない。そしていちご白書とは何か知らないのは、知りたいと思わなかったから、でも今日は少し気になってちょっとは調べることだろう。いつの頃なのか定かな記憶はないけれど、19歳の頃が自分は正確に世の中の動きをみていた、あの頃に戻れないかと思っていた。
2020.11.02
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この歌は角瓶のコーマーシャルで流れる。でも私には曲が流れていたと言う印象は残っていない。なぜだろう。
2020.11.01
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いつか君と行った映画がまた来る 授業を抜け出して2人で出かけた 私は実際に授業を抜け出して映画を観に行ったことはない。これはいちご白書をもう一度と言う歌の歌詞。もう若くないさと君に言い訳したねと言う部分も好きで時々心の中で口ずさむ。うろ覚えの歌詞を調べると髪を切った僕は若くないと言い訳した。人はいつまで若いのだろうか。人生100年と言われる今と、人生50年と言われてた時代とでは、当然違うだろう。この曲の作詞が誰なのか知らなかったけど、今回調べて知ることになった。映画で何度も見たのはベンハーです。お前の名前は何と言う。41番と言う台詞は英語で覚えている。昔の映画は良かった。映画を観て好きになった歌手もいる。エルビスプレスリー。コンサートのドキュメンタリー映画だった。この映画を観に行ったのは、いつか君といった行った友達に誘われてのことだった。プレスリーは大スターだが私はあまり興味がなかった。けれどこの映画の中でコンサートが始まるステージに向かう途中、いつも緊張するんだと言う場面があって、なぜかそのことに感動して、そしてステージは素晴らしくて、私は初めてプレスリーのレコードを買った。今思い返すとレコードの時代だった。私たちはビートルズ世代と言われるけど、もう少しプレスリーの話を続けたい。プレスリーがスイートキャロラインという曲を、唄った。ニールダイヤモンドが作った有名な曲、このことがキャロラインを知るきっかけだ。ケネディ大統領の愛娘、駐日アメリカ大使だった。そして、ニールダイヤモンドという歌手を知ることになったのはプレスリーオンステージだった。改めてオンステージのDVDを観た。エルビスの歌も素晴らしけど、バックコーラスもバンドの演奏も素晴らしいと再認識した。
2020.10.11
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夏休み、座卓の上に角瓶があった。ウイスキーの代表的銘柄、サントリーの角瓶と呼ばれるその瓶が一つのコップと一緒に置かれている。そのほかにテーブルには何も置かれていない。すっきりとしていて良いなと思った。その日長い夏休みも残り少なくなり、母の実家から1週間ぶりに帰って、いつもより片付いている座敷のテーブルに見たのが今でも印象が記憶に残っている。その頃私は小学生、確か二年生だった。今思えばいろんな変化を新鮮に受け止めていたように思う。 角瓶は今もサントリーから相変わらず販売されている。瓶の形は微妙に変化してるように思うが、調べてみなければ断定できない。
2020.10.04
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