ぷーたろ本舗

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2005年01月24日
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カテゴリ: 歴史
皆さん、こんにちわ!すっかりご無沙汰してしまって、ホントに申し訳ありませんでした~!(10日ぶりの日記です・・・。)
実は、先週、書こうと思っていた貴重なネタを、何となく気乗りしなくて、一つボツにしちゃったんですね・・・。
(ちと、もったいなかったかな?また、機会があったら・・・ということで)

今回は、愛知県の知多半島の真ん中にある、美浜町という所に行ってきました!
ここは、あの源義経のお父さんである義朝さんのお墓があることで有名な野間大坊もあるし(また、あとでね~!)、そのほかにも知多四国88霊場があったりして、なかなか見どころの多い場所でもあるんですけど、今回の目玉は、『和訳聖書発祥の碑』を見に行く事だったんです!

皆さん、日本で一番最初に聖書を和訳したのは、学者さんでも、牧師さんや神父さんでもなくて、実は、江戸時代の田舎町出身で、身分もない、唯の3人の船乗りさん達だとしたら・・・?ちょっとびっくりじゃないですか?
私も、はじめ聞いた時は、びっくりでしたよ~!!

その3人の方達の生まれ故郷が愛知県美浜町にあるというので、ちょっと尋ねてみました・・・。

美浜町 小野浦の海
(とても風が強く、波が荒いです・・・対岸に微かに見えるのは、鈴鹿山脈!)

聖書を和訳した岩吉、久吉、音吉の3人の船乗りさんは、江戸時代後期の生まれで、伊勢湾に面した愛知県知多半島の小野浦という港を拠点に、宝順丸という、江戸や大阪に米や海産物など様々な物資を運ぶ千石船に乗り込んでいました。

そして、運命の船は、1832年(天保3年)10月11日、三重県の鳥羽を出発し、江戸に向かう途中だったのでしょうか?静岡県沖の遠州灘で嵐に巻き込まれ、遭難してしまいます・・・。
宝順丸の乗組員14人は、無事に嵐を乗り切ったものの、潮に流されるまま、見渡す限り海以外何も見えない太平洋を、1年もの間、さすらっていたんですね・・・。
でも、千石船ですから、米もたくさんありますし・・・食料に困る事はありません・・・。
でも、人間、新鮮な野菜や果物を食べないで居ると、ビタミンCの欠乏によって、壊血病という体中の血管がボロボロになって、ついには死に至る、恐ろしい病を引き起こしてしまうんですね。
昔の長航路の船員さん、軍隊の人たちは、難破や爆撃でなく、この病気で亡くなる人のほうが多かったらしいです。

宝順丸の乗組員の14人のうち、11人がこの壊血病で亡くなりました・・・。

岩吉、久吉、音吉の墓
(美浜町・小野浦の良参寺にある宝順丸乗組員のお墓)

生き残ったのは、岩吉、久吉、音吉の3人・・・このうち、久吉と音吉はまだ14~5歳くらいの少年でした。
この若さも、生き残った一つの理由だったのかもしれません・・・。

1年ほど漂流を続けた後、やっと、カナダのバンクーバーから程近いフラッタリー岬に漂着します。
これで、何とか助かった~!と安心するのもつかの間、彼らは、アメリカンインディアンに捕まり、奴隷にされてしまいます・・・。
しかし、彼らのこの悲惨な事情を知ったイギリスの商社・ハドソン湾会社の援助によって、彼らは日本へ帰る道が開かれることになったのです!

その後、イギリス軍艦イーグル号に乗り込んだ3人は、1834年11月バンクーバーを出発し、サンドイッチ諸島(ハワイ)に立ち寄り、南アメリカ最南端(南極の方ね!)のホープ岬を通って大西洋に抜け、イギリスに向かいます。

1835年6月、イギリスに到着し8日間ほど滞在した後、今度は、大西洋を南に下り、南アフリカのケープタウン経由でインド洋に抜け、1835年12月、当時、中国最大の貿易港だったマカオに、ようやく到着するんですね!
しかし・・・当時はスエズ運河も、パナマ運河もなかったから・・・すごい遠回りというか・・・まさに世界一周してしまった訳なんだけど、この間にも、彼らはすっかり英語をマスターしてしまっていたんでしょうね・・・。

このマカオに1年半ほど滞在している時に、ギュツラフというプロテスタントの一派であるウェスレー派の牧師さんから、聖書の日本語訳の話を持ちかけられます。
しかし、岩吉、久吉、音吉たちは、日本で、耶蘇教(キリスト教を)に関わる事がどんなに恐ろしいことになるかを良く知っていますから、最初は抵抗があったことと思います・・・。
(戦国時代のキリシタンの悲劇や、お寺の檀家制などもそうですね・・・)
でも、結果的に、この仕事に関わる事を選んだという事は、長い航海の間に、自然とキリスト教を受け入れていったという事なのでしょう・・・。

彼らの翻訳は、今の聖書からすると、非常に面白い言葉に訳されています。
例えば、新約聖書ヨハネ伝では、「始めに言葉ありき」という所を、「はじまりに賢きものござる」と訳しています・・・。
ここで言う「言葉」というのは、単なる言葉ではなく、ギリシア語の『ロゴス』(神の真理のようなもの)ですから・・・きっと、彼らも、かなり頭をひねって考えた挙句出てきたものなんだと思います。
そう考えると、なかなか鋭い言葉だな~と思いますね・・・。

そして、いよいよ、彼らも日本へ戻れる日がやってきます!
それは、1837年7月・・・あの宝順丸で遭難してから、約5年もの月日が流れていました・・・。
いよいよ・・・ふるさとの小野浦も目の前だ・・・!
ようやく生きて帰ってこれた!恐らく、彼らの胸の中は、父や母の顔・・・ふるさとの風景で一杯だったかもしれません・・・。

しかし、当時の日本は、鎖国政策をとっており、外国の船はそう簡単には入れませんでした。
彼らの乗った船は、沿岸で日本からの容赦ない砲撃を受けます・・・。
ようやく日本に帰ってこれたというのに・・・目の前の港にたどり着けない悔しさが込み上げてきたことでしょう・・・船は、やむなくマカオへと引き返さざるをえませんでした。

******************************

その後の、3人はといえば・・・岩吉、久吉の二人はイギリス貿易監督庁(商務庁)で通訳として働いていました。
そして、音吉は、アメリカに渡った後、上海に戻り、イギリスのテント商会の高級社員となって活躍し、1854年の日英和親条約の締結の際には、通訳として長崎に上陸したそうです。
その時、幕府に捕まるのが恐く、身分を中国人として偽って入国した彼の目には、ふるさと日本がどう映ったのでしょうか・・・?

そして、明治に入り、政府からの遣欧使節らが、ヨーロッパやアジアの情勢を聞くために音吉を訪ねたそうです。その中には、あの福沢諭吉も居ました・・・。
しかし、諭吉は、情報収集には熱心だったようですが、音吉の事を「たかが漁村の息子じゃないか・・・」といった感じで、冷ややかな眼差しで見ていたとか?何だか、「天は人の上にも人の下にも人を作らず」などどほざいた諭吉の言葉が、ひじょ~に空しく響きます・・・。

明治になっても、音吉ら3人は日本に帰ることなく、異国の地で亡くなりました・・・。
しかし、通訳を務めるなど、彼らの国際的にも目覚しい活躍振りには、目を見張る物があります。
苦しい中にも、自分自身の人生を輝かしいものに変えていった彼ら・・・恐らく、もともと頭の良かった人たちだったのかもしれませんが、日本に居る限りは、どんなに優秀であっても、ここまで出世する事は出来なかったでしょう・・・。


余談ですが、音吉の息子は、故郷に帰りたい・・・という父親の思いを継ぐために日本に戻り、神戸の商社で働いていたそうです・・・。
また、日本からの難破船の乗組員を助け、本国に帰れるように手配もしたという音吉・・・そこには、「故郷に帰りたい・・・」という気持が、痛いほど込められていたのかもしれません・・・。

岩吉、久吉、音吉の碑
(岩吉、久吉、音吉の記念碑です。この方達は、故郷の誇りなのでしょうね!)

参照:三浦綾子『海嶺』

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今日のネタ:昨日の『笑点』では、波田陽区のネタがたくさん見れて嬉しかったな~!
来週はアンジャッシュだそうですよ~!あの笑点も若手お笑いブームに乗ったか?





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最終更新日  2005年01月25日 17時30分40秒
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Re:望郷の念・・・(和訳聖書発祥の地へ!)(01/24)  
へぇええええ!満開だー!

意外ですよね。
こうやって、調べてもらって目を通さない限り、
知らないままでした。
もっと、偉い人なんかが訳していると、
普通は、なんの疑問もなしに思っているはずですよ。

今日は私は、「船」がらみの日記に遭遇してますよ。
私の日記の掲示板の方に書きこみなさっている、
「るんた1965」さんの日記も「船」が関係しているんですよ。

こっちでは当たり前に耳にする歌が、
実は、県外の船の唄だったこと。
戦争で沈没して、それを哀れんだ、奄美の唄者が、
戦時下ということもあって、「三線」で伴奏をつけ、
それがいつしか、替え歌となって、今の唄になったとのこと。

船が遭難していなければ、
和訳をした人は、別人だったろうし、
船が沈没していなかったならば、
今、耳にする歌「十九の春」は無かったろうし。

船というものに、人も歌も翻弄されて。

なんか今日は、不思議な日記に出会える日でした。

そうそう、お笑いで思い出した。
「紙芝居」を使ってお笑いをする人、
あの人も結構おもしろいよ~! (2005年01月24日 22時07分35秒)

Re[1]:望郷の念・・・(和訳聖書発祥の地へ!)(01/24)  
プータロ500  さん
くまちゃん888さん、こんばんわ~!

>もっと、偉い人なんかが訳していると、
>普通は、なんの疑問もなしに思っているはずですよ。

そうですよね~!
一番最初に訳された聖書は、船乗りさんが翻訳したなんて・・・
誰も思わないですよ~!
(その後、聖書は文語訳が作られ、昭和に入ってからは、
読みやすい口語訳が普及しています・・・)

>今日は私は、「船」がらみの日記に遭遇してますよ。
>「るんた1965」さんの日記も「船」が関係しているんですよ。

早速、るんたさんの日記を読ませていただきました。
戦時中、そんなことがあったのですね・・・。

>船が遭難していなければ、
>和訳をした人は、別人だったろうし、
>船が沈没していなかったならば、
>今、耳にする歌「十九の春」は無かったろうし。
>船というものに、人も歌も翻弄されて。
>なんか今日は、不思議な日記に出会える日でした。

「十九の春」というのは、もしかして
「ちゅらさん」のドラマで堺正章さんが歌われていた歌ですか?
きっと、その旋律に載せた替え歌なんでしょうね・・・。

音吉さんたちも、きっと、遭難しなければ
ここまで立派な仕事は出来なかったでしょうし・・・
沖縄での軍艦の事故も、また悲しい唄となって残ることも
なかったのでしょう・・・。
船というのは、事故が多かった分、一人一人の運命も
変えてしまう事になったのでしょうね・・・。
悲しいですね・・・。

>そうそう、お笑いで思い出した。
>「紙芝居」を使ってお笑いをする人、
>あの人も結構おもしろいよ~!

あ~知ってます!知ってます!
何だか、やたら絵がきっちりして、うまいんですよね~。
(2005年01月24日 23時11分54秒)

すごいね♪  
まるまる茸  さん
望郷の念、第二弾ですね。
この鎖国ってやつは...海外の様々なものが入ってこなかったせいで、純粋な日本文化を極める役には立っていたのでしょうが、こんなお話を聞くと、なんだかなぁ...

人間の宿命っていうのは、不思議ですね。プータロさんの言うとおり、3人がずっと日本で暮らしていたならば、一生を田舎の漁師として終えたんでしょう。それはそれで、幸せだったのかもしれませんが、違う運命を誰かが与えてくれたんだね。

どんなにか辛い思いや悲しい思いや悔しい思いをしたことかと考えるだけで、胸が痛むけど、彼らは強いね。自分の運命をしっかり受け入れて、その中でせいいっぱい生きてきた。
現代では、こんなシチュエーションにはならないけど、思うようにならないことってたくさんあるから、この3人のこと、思い出しただけでも、頑張れるかもしれないね。

それにしても、諭吉! ふざけるなよ~~~! お前の下には人はいないんじゃぁ~~~!
す、すいません、取り乱しました(^^;) (2005年01月24日 23時33分22秒)

Re:望郷の念・・・(和訳聖書発祥の地へ!)(01/24)  
ベル愛ゲン  さん
三浦綾子さんの『海嶺』、25歳の頃読みました。
ストーリーでなく、事実だということが結構ショックでした。日本に帰してあげたかった~~。
確か、恋人だか、許婚だか、好きな人だか、
そういう思い人がいたんですよねぇ。心残りだったでしょうねぇ。
でも、本人達にとったらとても辛いことでしょうけれど、残した実績はとても大きいんですよねぇ。
生きている間、大きな仕事を成し遂げられて
いらしたんですものねぇ。
『海嶺』を今また読んだら、違った感想を
持つかも知れませんねぇ。
プータロさんが撮られた3人の記念碑を見て、
やっぱり本当の話だったんだって、実感しました。 (2005年01月24日 23時38分42秒)

Re:すごいね♪(01/24)  
プータロ500  さん
まるまる茸さん、いつもありがとうです!


>この鎖国ってやつは...海外の様々なものが入ってこなかったせいで、純粋な日本文化を極める役には立っていたのでしょうが、こんなお話を聞くと、なんだかなぁ...

う~ん・・・
日本人が日本に帰ってこれないなんて・・・なんだかなあ~?
5年も日本を離れたら、もう日本人じゃないのかな?

>人間の宿命っていうのは、不思議ですね。プータロさんの言うとおり、3人がずっと日本で暮らしていたならば、一生を田舎の漁師として終えたんでしょう。それはそれで、幸せだったのかもしれませんが、違う運命を誰かが与えてくれたんだね。

そうだね・・・親兄弟には会えなくなっちゃったけど
でも、当時の平民の日本人としては、考えられないくらい国際的で・・・
すごい人生を歩んだよね・・・。

>どんなにか辛い思いや悲しい思いや悔しい思いをしたことかと考えるだけで、胸が痛むけど、彼らは強いね。自分の運命をしっかり受け入れて、その中でせいいっぱい生きてきた。
>現代では、こんなシチュエーションにはならないけど、思うようにならないことってたくさんあるから、この3人のこと、思い出しただけでも、頑張れるかもしれないね。

まるまる茸さんは、とっても優しいね・・・。
こんなに優しいまるまる茸さんなら、きっと、どんな環境でも
頑張っていけるよ!
そして、この3人は、1年もの間の漂流生活に生き残っただけあって
精神的にも、ものすごく強い人たちですよね・・・。
そして、強いだけでなく、物事の考え方が柔軟だったんでしょうね・・・。
それが、当時の何も知らない彼らが国際的に活躍できた要因なんでしょうね。

>それにしても、諭吉! ふざけるなよ~~~! お前の下には人はいないんじゃぁ~~~!
>す、すいません、取り乱しました(^^;)

わはは・・・代弁してくれてありがとう!
(2005年01月25日 00時00分45秒)

Re[1]:望郷の念・・・(和訳聖書発祥の地へ!)(01/24)  
プータロ500  さん
ベル愛ゲンさん、いつもどうもありがとう!!

>三浦綾子さんの『海嶺』、25歳の頃読みました。
>ストーリーでなく、事実だということが結構ショックでした。日本に帰してあげたかった~~。
>確か、恋人だか、許婚だか、好きな人だか、
>そういう思い人がいたんですよねぇ。心残りだったでしょうねぇ。

そうですね~。ホントにもうちょっとで日本に帰れるところだったのにね~。残念!
あの海嶺には、フィクションの部分もあったのでしょうが
あの年頃なら、好きな人もいたでしょうし・・・
可哀想ですよね・・・。

>でも、本人達にとったらとても辛いことでしょうけれど、残した実績はとても大きいんですよねぇ。
>生きている間、大きな仕事を成し遂げられて
>いらしたんですものねぇ。

ホントに、すごいと思いますよ~!
当時の日本人からしたら、考えられないくらい
すごい業績ですよね!
きっと、神様に選ばれた人たちなんでしょうかね?

>『海嶺』を今また読んだら、違った感想を
>持つかも知れませんねぇ。

そうですね・・・私の場合は、三浦綾子さんの歴史作家としての力量を
改めて発見しましたね・・・。
歴史小説を書くって、膨大な史料と現地調査が必要だと思うんですけど
それが、あの体の弱い三浦さんにとって、どれだけ
命を縮めるほど大変な作業であったか・・・
しみじみ、彼女の書かれた一文字一文字が、ありがたく思われます・・・。

>プータロさんが撮られた3人の記念碑を見て、
>やっぱり本当の話だったんだって、実感しました。

ありがとうございます。
私も、実際に小野浦を訪れてみて、土地の空気を吸って
海を眺めているうちに、彼らのことが少しだけ
わかってきたような気がしました・・・。
やっぱり、その土地に行くって、勉強になりますね!
(2005年01月25日 00時20分44秒)

こんちはぁ!!  
haru0225  さん
うーん、ジョン万次郎にしてもそうだし、
鎖国当時の日本の通訳者というのは、平民出身
の人が多いのかなぁ。
(大体が、外国に漂着して、そこでその国の言葉
 を学んで・・・というパターンが多いよね)

ちなみに、私も聖書を訳したのが偉い学者さん
だと思っていた一人でした。(笑)

前回の安倍仲麿にしてもそうだけど、遠い外国で
生を終える人たちの気持ちというのは、どういう
ものなんだろうか。少なくとも、音吉はきっと
帰りたかったんだろうね・・・

歴史を回顧していくと、文明の衝突とかいわれ
てはいるけど、グローバル化がすすむ
時代に生きる私たちは、なんと幸せなんだろうと
思う。

ところで、「笑点」なんかすごいことになってる
みたいね??
アンジャッシュでるの???(笑)
こ、こりゃ見ないとですね!! (2005年01月25日 16時49分42秒)

Re:こんちはぁ!!(01/24)  
プータロ500  さん
haruさん、いつもありがとう!

>うーん、ジョン万次郎にしてもそうだし、
>鎖国当時の日本の通訳者というのは、平民出身
>の人が多いのかなぁ。

通訳が出来るってことは、日本語の能力も優れて
いないといけないわけだから
当時の日本の庶民の教育レベルの高さが伺えるよね!
(昔の古文書とか読んでも、漢字のレベル高いし・・・)
音吉なんて、日本を離れたのは、まだ14歳だったのよ~!
当時、いくら外国語が出来る人が少なかったとはいえ
14歳のまで日本語教育で、政府交渉レベルの通訳が出来るんですから~!

>ちなみに、私も聖書を訳したのが偉い学者さん
>だと思っていた一人でした。

私も、そうですわ~!
えら~い神学者が訳したのだと思ってましたよ~!

>前回の安倍仲麿にしてもそうだけど、遠い外国で
>生を終える人たちの気持ちというのは、どういう
>ものなんだろうか。少なくとも、音吉はきっと
>帰りたかったんだろうね

今は、外国なんて言っても、飛行機でひとっ飛びだけど
昔は、船の定期便なんてものもなかったし
とてつもない程、遠いものだったんだろうね。
それだけに、故郷への想いも、一層募っていったんじゃないかなあ?

>歴史を回顧していくと、文明の衝突とかいわれ
>てはいるけど、グローバル化がすすむ
>時代に生きる私たちは、なんと幸せなんだろうと
>思う。

ホントに・・・色んな情報が一瞬のうちに入ってきて
世界中のことが分かるようになって
外国にも自由にいける・・・
当たり前のようだけど、でも、ここまで来るには、
戦争や摩擦など、様々な歴史があったんだろうね・・・。

>ところで、「笑点」なんかすごいことになってる
>みたいね?
>アンジャッシュでるの?

ホント、私もビックリ!
ちょっと前までは、堺すすむとか横山たかしひろしとか
そんな感じだったのにね~!
(2005年01月25日 17時26分44秒)

望郷の、、、  
ひらぼう475  さん
やはり、故郷は遠きにありて思うもの、、何でしょうか?あれだけ帰りたかった日本にやっと戻れたのにあまり良いことも無かったみたいですね。私も、長崎から転勤で山陰にきてはや6年ですが、(今も転勤願いは出している)実際帰ってみると、期待が大きすぎてガッカリするのかもしれません。元上司からも、『お前が山陰大好き、仕事も順調、友達も増えた、転勤なんかしたくない、と思ったとき転勤の話がある、そんなもんぞ』といわれた言葉が今も忘れられません。   でも転勤したい! (2005年01月25日 17時54分06秒)

Re:望郷の、、、(01/24)  
プータロ500  さん
ひらぼう475さん、書き込みくださって
本当にありがとうございます!!

>やはり、故郷は遠きにありて思うもの、、何でしょうか?
私も、長崎から転勤で山陰にきてはや6年ですが、(今も転勤願いは出している)実際帰ってみると、期待が大きすぎてガッカリするのかもしれません。

私も、故郷を離れて20年あまりになります。
最初の10年は、田舎に帰りたくて帰りたくて・・・
「必ず、帰るんだ~!」って気持で一杯だったんですけど
最近は、何故だか分からないんですけど、
あまりそう思わなくなってきました・・・。
もしかしたら・・・家族ともほど良い距離を置いて付き合ったほうが
いいと思っているのかもしれません・・・。

元上司からも、『お前が山陰大好き、仕事も順調、友達も増えた、転勤なんかしたくない、と思ったとき転勤の話がある、そんなもんぞ』といわれた言葉が今も忘れられません。   でも転勤したい!

その上司の方のお話、分かります!
やっと慣れた頃に、何故か転勤の話が持ち上がるんですよね~。
(転勤は、サラリーマンの宿命なのでしょうか?)

ひらぼうさんも6年も山陰におられるのでしたら、
きっと、近いうちに九州に帰れますよ~!
今は、旅行気分で、山陰を楽しんでください。 (2005年01月25日 19時12分40秒)

こんばんわ  
美浜町にもこんな場所があるんですね!本当いつもいつもプータロさんのブログは勉強になりますね。我が県にも色々と歴史がこんなにあるなんて驚きの連続です。
学校ではこんなに詳しく教科書で教えてくれませんでしたから・・・・残念!(笑)
(2005年01月25日 19時49分16秒)

Re:こんばんわ(01/24)  
プータロ500  さん
ともキッチンさん、こんにちわ!
いつもどうもありがとうございます。

>美浜町にもこんな場所があるんですね!本当いつもいつもプータロさんのブログは勉強になりますね。我が県にも色々と歴史がこんなにあるなんて驚きの連続です。

私の拙い日記を誉めて下さって、本当に恐縮です。
実は、この間美浜町に行ってきたのは、この理由からだったんですよ~!
(もちろん、ランチも美味しかったよ~!)
美浜町は、一見、閑散とした感じだけど
南知多ビーチランドや、義経さんのお父さんのお墓がある野間大坊、
和訳聖書の碑など、いろいろ見どころが多くて
ホントにすごい場所でした~!
私は、愛知県に来て、まだ3ヶ月程なのですが、知れば知るほど
愛知県の歴史の奥深さに驚かされっぱなしですよ~!

>学校ではこんなに詳しく教科書で教えてくれませんでしたから・・・・残念!(笑)

私も、学校の歴史の授業は、年表を覚えさせられてばかりで
楽しいと思ったこと、あんまりなかったな~!
でも、先生!歴史は年表じゃなくて、人間ドラマですから~!斬り!! (2005年01月26日 10時30分06秒)

映画になった  
海嶺みましたよ。
全体がイマイチだった。
でも、「いのちの水」のシーンは覚えています。
難破船では「水は命」だったのですね。

フィルムは今、どこに眠っているやら。。

(2005年02月03日 06時51分23秒)

Re:映画になった(01/24)  
プータロ500  さん
ヤマトカケルさん、こんにちわ!
いらして下さって、ありがとうございます。

>海嶺みましたよ。
>全体がイマイチだった。

映画・・・確か、西郷輝彦さんが主演されたというものですよね・・・?
私は、見たことないんですけど、イマイチだったんですか・・・残念!
(一度、見てみたいと思って調べたら、いのちのことば社からDVDが発売されていたみたいです・・・。
http://www.wlpm.or.jp/cgi-bin/db/kiji_t.cgi?keys23=ビデオ評54>

でも、本だけでも、十分伝わってきますから・・・
買わなくてもいいかな?
(2005年02月03日 11時16分38秒)

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