Satokoの徒然きままなときどき日記

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2004.11.11
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カテゴリ: living
きょうは、先日訪問させてもらって、こちらにもきていただいた ぐっどふぇろーさん の日記をみて・・・「家」について考えてみました。

日記の表題にも書いているとおりもう13回も引越しています。学生時代からのマイナーなものを入れたら・・・きっともう20回近いのかもしれません。

普通人はそれだけ引越をするとそれなりに賢くなって、物をためずに、すっきりした生活ができると思われるのが当然でしょう・・・わたしも子供がいない頃はなんとかそれが保てていました。(いや・・・わたしの高校時代の自分の部屋を知る人は・・・「またうそいってる~~」っておもうかも)やればできる!という時期もあったのです。

でも・・実際、大学時代も家をきれいにできなくて、彼氏がやってきては、うちの部屋のじゅうたんに掃除機をかけてくれて、ものを整頓してもらっていたというそういう人ですから。本当はすごくだらしない性格なのかもしれません。

シンガポールにとついで行った頃は、3LDKのマンションに旦那の両親と共に暮らしていました。自分に与えられた空間というのは、本当に限られた8畳間ほどのもの。日本からは身の回りの夏服。箪笥ひとつ。結構快適にしてました。でも・・・いままで多人数でマンション暮らしをしたことのないわたしにとって、それはいたたまれない窮屈なものでした。

しばらくしていて、同じ公団分譲の違う階が売りにでているのを知って、自分が仕事に出たこともあって、旦那と相談して、購入するにいたったのでありました。

ふたりの夫婦にすれば多きすぎるほどの家です。100平米はあったと記憶しています。シンガポールではその当時は公団の分譲は建てたままで、現状ひきわたし、購入者が思うように内装をします。

うちが買い取った前のオーナーはほとんどその家にお金をかけていなかったので、いちどあるものを全部とりはらって、全部内装をしたのでした。当時のお金で200万ぐらいついやしました。それは楽しかったのです。

床は40cmX40cmはあるような、セラミックタイルで埋めて、内装屋さんにちょっとしたパターンも作ってもらい。家に2箇所あったお風呂場にはひとつ「バスタブ」もいれました。シンガポールは暑いので、お湯がでないシャワーが普通なのです。でも・・うちには電気ヒーターもいれました。

台所には自分がたのんだ大きさのキャビネットが入り、好きなシンクがはいり、水のフィクスチャーにいたるまで、念入りに選びました。

あちらの家では窓に「グリル」といって鉄でできた柵を入れるのが一般的なのですが、それも格子のおしゃれな黒のものにしました。

床は白に近かったので、モノクロのちょっとしたおしゃれな家になりました。

50平米ほどある、広いLDKに3部屋ベットルームがついていて・・・その当時でお値段は700万ぐらいだったと記憶しています。

いろんな事情があって、内装に凝ったその家も、1年ちょっとで手放すことになりました。なんとシンガポールがバブルの時期でほぼ倍に近い価格になっていました。

でも・・それをみていた旦那の両親が思い出があって、さびしいからと・・・9階にあった自分たちの家を売って、わたしたちの家5階に引っ越してきたのです。だから・・いまもシンガポールにいけば、わたしたちの家はみることができます。

そのときに買い揃えた大型家具を今でも所有していて、今回も引越のたびにそれを持ち回りました。結構痛んではきていますけど。

日本にもどって、旦那は学生をしていて、わたしも夢に向かって学生していたんですけど、金銭的に詰まってしまって、仕事にでることにしました。そんな矢先、旦那の日本語学習にも一段落つき、就職が決まりました。

大阪の会社の就職したはずなのに、赴任先はなんと「三重」でした。そして見たこともない場所でした。

いってみると、のんびりしたいいところで、しかも大阪へのアクセスは車で1時間半。名古屋へや電車で1時間というところでした。食べ物も美味しいし。人もあったかいので。そこが気に入りました。結局、そこで通算5年ほど暮らすことになるのですけど。

途中、旦那がインドネシアに転勤になったりして、ハンナを出産しに実家にもどったりして、不在にはなりましたが、その地に「家」を構えることにしたのです。

まえまえから、モデルルームをみて気に入っていた「ミサワの『蔵のある家』」を選びました。

当時は・・・ふたりで稼いでいて子供もいなかったので、貯蓄は相当ありました。

床材から凝りに凝って、自分たちのあこがれる「黒いお風呂」までつけて・・・いっぱい贅沢して家を注文しました。

お庭も大好きな会社に造ってもらい、家のまわりのいぬばしりを知り合いにしてもらい、大好きな鳥羽の海でとってきたレンガの流石をセメントにちりばめました。ハンナの手形や足型をガレージに入れました。

草花が大好きだったので、庭のお手入れに毎朝かなり時間をかけて、春には・・・ライラックの花、初夏にはあじさい、通年をとおして、いろいろなハーブが花をつけて、庭には自分の菜園もつくって、いまからおもうとかなり優雅に暮らしていました。

庭

土日となると、友達をお招きして、家でBBQをすることも多々ありましたし・・・この時期本当に心豊かで・・・ゆったりとした気分でハンナを育てていたように思います。

なにしろ、家のまんまえが公園だったので、ハンナは毎日1番乗りで自分のもののように公園を使いこなしていました。


あるとき・・・旦那の転勤で・・家を売ることになるのですが・・・・



横浜に来てからも・・・1年近くその家は売れなくて・・結局建てたときから、かなり安価になって、ヒトデにわたってしまいました。

家が売れるまで、友人がずっと窓を開けにいったり、様子をみたりとしていてくれたのですけど・・

そのご近所の大切なおともだちは今もいますから・・・いまでも家の話は聴くことがありますが・・・自分が住んでいないと・・・もう執着もなくなってしまいます。



もう・・・2度家を買っては売ったので、横浜では「賃貸」と決めて・・・暮らしていました。

でも・・・またアメリカ行きになって・・・「永住」かもという旦那の言葉でまた家を探すことになって・・・・

この日記にもいっぱい書いていますけど・・・この家にはすごく執着がありました。

でも・・・
日本に戻ることになって・・・あっけなくまた手放すことになりました。

そんなアメリカに残してきた家・・・とうとう売れそうなのです。すっきりするけどさびしいです。




・・・・みんなから・・・散々・・・もう家は買うのではないといわれています・・・・・

でもね・・・自分の家ってやっぱり心地よくて・・・・・なにものにも変えがたいですよね。賃貸暮らしをしているとしみじみそう思います。


これから先・・・どうなるのかな。


見守っていてくださいね。








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最終更新日  2004.11.12 23:30:52
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