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望遠レンズは、人間の目には見えない自然を映し出す。普段は気にも留めない景色も、ズームしてみると異次元の美しさがある。残雪はほどなく消えるだろうけれど、その微妙な白さは何とも表現できない。
2010.03.15
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山岳の西側斜面に積雪が残っている。東側はとっくに消えているのに、日陰になる西斜面の雪はなかなか溶けない。凍った雪は太陽の光を反射するから、気温が高まらないと消えない。景色を見ている限りにおいては、山岳の残雪は美しい。
2010.03.14
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春の雪は一瞬のざわめきだった。次の日にはほとんどが消えている。3月の気温は、雪の存在を許さないらしい。境内に残されていた残雪が美しい。はかないものゆえに、貴重に感じるのかもしれない。雪に埋もれた草に春の息吹を感じる。
2010.03.12
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突然に大雪が降ってきたので、大騒ぎになってしまった。20センチ近く積っている。春の大雪は美しいが、影響も大きい。見る間に道路が降雪で埋まってしまい、景色が雪国に変化した。一日だけの苦労なので我慢するしかない。
2010.03.10
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雨が連続して降っているので、川が増水している。いつもは枯れている小川も満水の水が流れている。氷のように冷たかった2月の水とは趣が異なる。春になると喜ぶのは人間だけではないだろう。川のメダカだって、オタマジャクシだって、水は温かいほうが住みやすい。それでも、こんなに透明な水が流れているのは、早春までに限られてしまう。
2010.03.07
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冬の間は閑散としていた境内に人の姿が見えるようになっている。いかめしい本堂にも、春の日差しがそそいでいる。普段は気にも留めない本堂の板の張り方や金具の装飾になんとなく趣を感じる。同じ仏教でも、堂塔建設の様式は民族によって大きく異なっている。外来文化である仏教も、日本化する過程において、日本人好みの様式に仕立て上げられたことを実感させられる。
2010.03.05
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この季節の水は澄み切っている。冬も透明だが、冷たすぎて触る気がしない。春の水はぬるくて、指先に触る感覚に違いがある。いつの間にか、氷にも無縁の暖かさになっている。それでも、魚の姿は見えない。
2010.03.01
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朝暗いうちに目が覚めた。外を見ると白い雪が舞っている。雪を見るのは久しぶりなのでむやみにうれしい。夜の雪を撮影したのも初めてだった。ストロボの光に反射して、雪が輝いて見える。
2010.02.03
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夜の雪と朝の雪では風情が異なる。黒い空から降る雪と、朝靄に包まれた空から降る雪では印象がまるで違う。積雪自体が珍しいので、そこらを歩いて足跡を付けて降雪の瞬間を楽しむ。雪景色は確かに幻想的で、町の風景を一変させる。
2010.02.02
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雪はすべてのものを覆い隠す。アスファルトの道路さえも美しく見える。いつもは邪魔な赤信号さえも、その赤い光がたとえようもなく美しい。積もるほどの雪が降ることはめったにないから、生活への不便さを超えて、白い雪の風景が心に刻まれていく。大雪の降る雪国は大変なのだろうけれど。
2010.02.01
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黒いビニールからシンビジウムの根を取り出すと、それはきしめんにそっくりな姿をしている。普通の植物の根とはまったく異なる姿をしている。うどんがとぐろを巻くような感じで樹上生活を送っているらしい。 蘭の仲間は植物の中では遅い登場になる。すでに多くの地面はライバルの植物におおわれていて繁殖することができない。そこで、蘭は樹上生活に活路を見出し、それゆえに風雨に吹き飛ばされない工夫が根に必要になってきた。
2010.01.17
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いつまでも花の芽が出そうにないので、植え替えをやってみた。テーブルシンビの根は小さな黒いビニールにぎっしりと詰め込まれている。それが二本黒い鉢に植えてある。 シンビは根がぎっしり詰まっていないと花を咲かせないらしい。成長の余力がなくなったことを察知して、花を咲かせるのかもしれない。成長すつに伴い、きつそうなので、蘭の土を買ってきて植え替えしてみた。
2010.01.15
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テーブルシンビは小型のシンビジュウムを呼ぶ。大きすぎて取り扱いにくいシンビに比較すると、すっと小型で室内の飾りになる。花屋さんでは、テーブルシンビが咲いている状態で販売している。 花後は観葉植物としてそだてるしかないが、葉の形も流れるように美しいので、育てる価値はある。ただし、テーブルシンビを購入後に花を咲かせることは難しいとされる。咲く気配すら漂っていない。
2010.01.12
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ツツジは日本の風土に最も適応した一族だろう。丈夫であり、寒さや暑さに強く、種族によって様々な姿かたちを見せる。公園などに職種されているのは常緑が多い。 ドウダンツツジのように落葉樹もあれば、レンゲツツジのように紅葉が鮮やかな種もある。冬枯れした景色の中で、ツツジの紅葉を眺めるのは心地よい。公園などに植樹されるツツジは増えるばかりなのに、自然種の減少が気にかかる。
2010.01.09
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紅梅の花が1輪咲いていた。枝にあるつぼみも開きそうな勢いを持っている。寒波の中で、けなげに咲く梅が風に揺れている。 梅の早咲きの理由は、フロリゲンとよばれるホルモンに関係している。ホルモンの量が多いほど開花が早い。梅の開花の時期は、気温などの周辺環境や品種によって変動するので、人間は黙ってみているしかない。
2010.01.08
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しだれ桜やしだれ梅は、花の咲く季節と緑の季節には情緒にあふれている。やわらかくて、なめらかな印象を与えてくれる。ところが、冬のしだれは骸骨のように見えて怖い。 しだれが美しく見えるのは、植木職人の絶妙な技によっている。枝を放置しておくと、なめらかな曲線を描くことはなく、成長した樹木の姿を脳裏に描いて、枝を矯正していくという。あの美しい枝ぶりは、人工美の極致なのである。
2010.01.05
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古寺の境内に紅梅の木があり、つぼみが膨らんでいる。ほかの梅よりも1カ月以上も早く開花しようとしている。 開花時期は遺伝子情報によるので、原産地は温暖な気候なのだろう。その梅の枝が挿し木などによって寒冷地帯まで広がっている。この適応力の高さが、梅の繁栄の根源にある。
2010.01.03
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冬の寒さに耐えて咲くサザンカの花は美しい。古来、日本人が山茶花を愛してきた気持ちが理解できる。寒風が吹きすさぶ中で咲く、淡い色彩の花は心を暖かくしてくれる。
2010.01.01
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冬季の樹木は休眠状態にある。葉を落とした植物は光合成ができないから、エネルギーを節約するしかない。蓄積してある養分を少しずつ使いながら、冬の寒さに耐えていく。 太平洋岸の冬は乾燥している。日本海側には大雪が降る。それゆえに、二つの地帯の植生は異なり、環境に適応した植物だけが生き残れる。一番かしこいのは、種を播いて春を待つ1年草かな。
2009.12.30
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南天は常緑の植物なのに、冬になると紅葉する。寒さが葉の成分に影響を与えるらしい。紅葉した葉は春を過ぎると緑に戻る。 南天は縁起物として寺院に植えられている。南天の葉は防腐剤としても使えるほど強い生命力をもつ。色彩の乏しい季節には、小さな南天の存在感が映える。
2009.12.27
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寒波が訪れて氷が張る前の池の姿は風情がある。冬の池は人もおらず、ひっそりと沈黙に包まれている。 池の生物たちも冬籠りして姿を消している。こんな静寂に満たされている期間は短いと感慨にふけっていたら、鴨の声ですべてが吹き飛んでしまった。
2009.12.25
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コケ類は、もっとも原始的な植物になる。海中の緑藻から分化して、地上に進出したらしい。授精に水が必要なために、水辺から離れられない弱点がある。水さえ存在すれば、森や湖の周辺に自然発生的に広がってくる。 コケ類から針葉樹などに至る進化の過程はよくわかっていない。進化をたどることのできる生物が絶滅しているからだろう。コケ類はシダに進化し、やがて裸子植物が誕生する。乾燥した大地に生存できる裸子植物に進化するまでには、多くの難問を乗り越えねばならなかったはずだが、これもよくわかっていない。
2009.12.24
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多くの樹木は、冬の寒さに耐えるために休眠する。梅も休眠しているはずなのに、その枝はたくましく空を突き刺している。梅の枝ほど樹木の勢いを感じさせるものはない。 梅の枝には、すでに芽生えが始まっている。あと少しすると白い花が咲き始める。梅の力強さは、日本の四季に適応した植物のたくましさを感じさせる。
2009.12.21
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古寺の境内に一か所赤い色彩が残っている個所があり、人目を引いていた。近づくと南天の実がなっている。赤い実は人の目から見ても実においしそうな形と色をしている。 冬の時期まで実をならせておくと、鳥たちを独占することができる。それは種の落ちる範囲をを広げることを意味し、生存競争に勝ち残る要素になる。おいしそうな赤い実は、だてではない。
2009.12.19
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急に寒さがきつくなってきた。久しぶりに森を観察すると、常緑樹以外は冬木立に変身している。寒風に突き刺さる裸の枝は、冬を象徴する景色だろう。 落葉という現象は、地面から吸い上げる水と深い関連がある。広葉樹は冬になると水を吸い上げる導管が凍結し、幹を水分が上昇しなくなる。そこで、水分を蒸散させる役割の葉を落とし、樹木全体が仮眠することで冬の寒さを耐えていく。
2009.12.16
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サザンカとツバキと茶は、同じ系統になる。茶の木は葉が厚くて、濃い緑をしていて、典型的な照葉樹の姿をしている。茶の木が日本に導入された時期ははっきりしないが、中国原産と考えられている。 サザンカやツバキは、江戸時代以来花の多様性を生み出すために、育種に心血が注がれてきた。それに対して、茶の木は1本の株から挿し木で増やされている。日本国内の茶の木の70%が同じDNAを持つという。多様性とは逆の方向の植物である。
2009.12.15
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冬のサザンカと春のツバキは、極めて近い系統の樹木になる。花だけを見ても、ツバキなのか、サザンカなのかを言い当ていることは難しい。 葉の周囲がギザギザしているのがサザンカとされてきたのに、交配種ではギザギザしないサザンカや、ギザギザしている葉のツバキが生まれて混乱している。決め手がDNA鑑定では、あまりに索莫としていないか。
2009.12.13
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水車は江戸時代までは貴重な動力を提供していた。文明開化以降は、電気や石油に仕事を奪われて骨董品として片隅に置かれていた。 滅びかけていた水車を修復して名物にするというアイデアはあまりに商業主義的だが、ほとんど水車が残されていないことを考えると、貴重かもしれない。
2009.12.10
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川の水が驚くほど透明になっている。冬になると水生生物も減少して、水は透明度を増す。池や川の底が観察できる季節になった。多くの小川はコンクリートの水路に変身しているのに、水は元の透明度を維持している。
2009.12.07
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ドウダンツツジの紅葉が枯れた景色の中でひときわ目立つ。ツツジ類は常緑なのが一般的になっているけれど、ドウダンは紅葉して葉が落ちる。四季の変移が色彩で表現できるから、人々に愛されてきた。 ドウダンツツジは強健で暑さや寒さに強い。ほとんど手間もかからないから、緑地帯や公園などに植えられている。数十本が並んでいると、晩秋にあたり一面を赤く染めて、鮮やかさで人を威圧してしまう。
2009.12.04
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冬の花はサザンカだろう。寒風にも耐えて花を咲かせるたくましい樹木になる。照葉樹の葉は堅く小さい。冬に落葉せずに緑の葉を残す常緑樹は、寒さと乾燥に耐えるために葉の構造を進化させた。 サザンカやツバキは葉に光沢があることから、照葉樹と呼ばれる。古代の森は、シイやカシの生い茂る照葉樹林であったと考えられている。人類が森に進出してくると、あまり役に立たない照葉樹林は伐採され、針葉樹などに植えかえられていく。世界に残されている照葉樹林は、ほんのわずかな面積にすぎなくなってしまった。
2009.12.02
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古寺の庭園の枝先にサザンカの花が咲いていた。花の途絶えた時期に咲くサザンカは貴重な存在になる。多くの紅葉も散って、寒々とした光景の中に、白い花の群れが並んでいるのをみると、心が慰められる。 山野に自生するサザンカは白が多いという。庭木には、古来から品種改良された紅サザンカが多い。ツバキや茶と同族であり、厚く光沢のある葉を特色にしている。山茶花という名称と文字はお茶から生まれている。サザンカ茶はどんな味がするのだろうか。
2009.11.29
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植物の分類は、かつて姿かたちを詳細に比較検討して決められていた。90年代にDNA分析技術が進むと、系統の分類はDNAによって判断されるようになる。姿が似ていても異なる系統のDNAであったり、全く違うと考えられていた種が近縁関係にあることも発見されてきた。 カエデ科はAPG植物分類ではムクロジ科に属するようになった。普通のカエデはムクロジに全然似ていないけれど、沖縄の常緑カエデはムクロジに姿が似ている。進化によってカエデの葉に切れ目が入り、蛙の手のように変化してきたことが理解できる。
2009.11.28
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11月末になると多くの紅葉は散って、黒い枝だけが残されている。赤茶けた数十本のうちの1本だけに真っ赤な紅葉が残されていた。 沖縄には、常緑樹の「クスノハカエデ」という種があるという。沖縄の固有種であり、常緑カエデの存在意義が理解されなかったために、すでに絶滅危惧種になっている。その紅葉しないカエデの木が、観葉植物として見直され始めているのは、何と皮肉なことだろう。
2009.11.26
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花屋さんの菊は人工的な照明により、開花期を調整して出荷する。どんな季節にも菊の花が咲く理由になる。それに対して、自然の環境では短日性が大きく作用する。太陽の当たる時間が少なくなると花芽を出す特性がある。 自然の中で、これほど見事な菊は珍しい。趣味の人が道端に植えたのかもしれない。小道の菊は寒くなった風に耐えて、黄色の花を咲かしていた。やはり、野に置け菊の花かな。
2009.11.23
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ツツジ一族が日本の気候風土に適合していることは間違いない。常緑性から落葉樹までの幅広い種が現存することも、環境に適応していることを示している。ツツジは酸性の土壌に強いという特質を持つ。 火山地帯の土は強烈な酸性を持つこ。そういう不毛の土地にも、ツツジは定着することができる。火山の噴火によって、他の植物種が絶滅に追い込まれても、ツツジはそれを乗り越えて成長できる。異変の多い火山列島が適地とは驚かされる。
2009.11.21
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気温が下がると樹木は葉を落とす。地面に敷き詰められた銀杏の葉は絨毯のような踏みごたえがある。熱帯の植物は常緑の葉で覆われている。温帯では冬になると寒さから身を守るために落葉する。 白亜紀までは、裸子植物が地球を支配していた。熱帯地方にも裸子植物の森が存在していた。白亜紀中期に被子植物が誕生すると、裸子植物は北方の寒帯に追いやられて、葉を針のように進化させていく。銀杏は葉の広い裸子植物の残党になる。
2009.11.17
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自然の体系の中で、熱帯の植物が次第に勢力を北方に拡大してきた。熱帯の植物は常緑だから、寒さに弱い。寒風にさらされると枯れてしまう。身を守るには、落葉してエネルギーの損失を防ぐしかない。 緑の葉のままで落とせば、エネルギーは効率的なのに、紅葉や黄葉に葉を変色させてから落とす。赤や黄色に変色させるメリットがあるはずなのに、人類は解析できずに鑑賞するだけで終わる。自然界を理解することは難しい。
2009.11.15
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紅葉と言えば楓が一番になる。カエルの手に似ているからカエル手と呼ばれていた。これがモミジと呼ばれるようになった理由は、晩秋の紅葉の美しさにある。古寺にはさまざまなモミジが植えられていて、それぞれの個性を演出する。 同じ品種でも色合いは異なる。太陽光線の角度や気温によって微妙な変化を生じる。同じ枝でも、色彩が異なる理由は蓄積した色素が悪戯をするからだろう。黄色や赤や緑が混ざると、言葉では表現できない風情を醸し出す。
2009.11.13
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秋になると落葉樹の葉は赤や黄色に変容していく。植物の葉の色が変化するのは進化の過程に秘密があるらしい。晩秋、光合成で生まれた糖分が葉にとどまるようになると、紫外線などの作用でアントシアンに変化し、紅葉を演出する。 どの植物がどの色素を選択するかは、気温や環境条件などに左右される。カロテノイドが蓄積すると葉は黄色くなる。人類は、落葉する葉が変色する目的を探知できていない。
2009.11.11
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白い椿の花が古寺の庭園に咲いていた。八重咲きなのでサザンカなのだろうか。晩秋の花の少ない時期に貴重な存在になる。常緑の樹木一面に白く咲く姿は、たとえようもなく美しい。 江戸時代まではツバキは春の花、サザンカは冬の花となっていたはずなのに、同族であるがために、さまざまな品種改良がおこなわれ、見分けがつかなくなっている。判別の決め手はDNA鑑定ということなので、秋の白い椿は謎にしておこう。
2009.11.09
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山寺の南門に、鎌倉時代の仁王像が立っている。運慶や快慶の仏像に与えた影響は大きく、鎌倉以外ではあり得ない迫力のある姿をしている。鎌倉時代に突然に湧きあがった仏像の写実性は、東大寺の消失にあるという。 焼き討ちされた東大寺の再建にあたり、運慶たちは奈良時代の仏像を研究したらしい。平安時代には形式化されていた仏師たちも、奈良時代には先鋭的な創造を行っていた。天平文化から運慶や快慶は写実の重要性を学んだことになる。手法や形式にこだわる仏像製作にも、歴史や時代の変動は起きるものらしい。
2009.11.07
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人間の目には、紅葉は美しく見える。自然の動物たちは紅葉に何を感じるのだろうか。哺乳類は恐竜におびえて夜行生活をしてきたので、色彩を感じる器官が衰弱した。サル族だけが色を識別できる。 哺乳類を相手にするのなら、紅葉もリンゴの赤も無駄になる。しかし、空を飛ぶ鳥類は恐竜の子孫なので、鋭い視力と色彩能力を持つ。美味しそうな赤い実は、鳥のための色かもしれないなあ。
2009.11.05
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季節感というのは不思議な感情になる。池の表面を見つめていると、何か物悲しい。季節が冬に向かうからだろう。水そのものは変化しないのに、人の心は水面に想いを反映する。 古池の情景を言葉で表現することは難しい。池の周りには、すでに近代的な住宅が乱立しているし、派手な広告さえも見える。といって、人間の生活を古池の存在が制限できるものでもない。壁を高くするくらいかなあ。
2009.11.04
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葉が散って、寒そうにしている樹木を見ると、季節の変わり目を感じる。植物は敏感に気温の変化を感じ取って、冬に備えて落葉する。 自然の営みなのに落葉にさみしさを感じるのは、人間の宿世なのだろうか。生命力のある大木も、秋になれば葉を落として、自らを冬に適応させる。何億年も繰り返してきた自然の営みに過ぎないけれど。
2009.11.02
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石を敷き詰めた古寺の庭に枯葉が散っている。石庭に日本人が心を惹かれるのは、その厳しい精神にある。苔でもなく、土でもない、ただの石に美しさを見出すことのできる民族は少ない。 単に石を敷き詰めただけでは、石庭にならないのも不思議に感じる。博物館や公園に小石の敷き詰めてある情景を見ても、そこに精神的なものを感じることは少ない。修行や鍛錬を行う意識が石に何かを投影するのかもしれない。
2009.11.01
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10年前までは、スペックの数字にこだわったエンジンが輩出していた。ハイパワーエンジンは、アルミブロックの強度を上げねばならず、ベースエンジンのパーツを再設計する必要がある。それゆえにコストが高く、なによりも燃費も悪い。 エンジンのスペックや数字ではなく、静音性や燃費に重きを置く現代では、高性能エンジンは干されている。ボンネットの中身など、ほとんどの人が気にもしない。コストや燃費に比重が置かれると、こういうエンジンは終焉を迎えるしかないのかなあ。
2009.10.31
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時代錯誤的なオープン2シーターの魅力は、言葉で表現することは難しい。存在そのものが心に訴えかけてくる。こういうデザインの車に、実用性が兼ね備わっていたらと考えるのは少数ではあるまい。 最先端のエッジだけが工業デザインではない。ぬくもりのある温かさを伝える感性がデザイナーに必要になっている。コンセプト以前の問題なので、この感性を現代の設計に取り入れることは難しいのだが。
2009.10.30
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スポーツカーは何が重要かという問いかけは、どの時代にもなされてきた。コンパクトFRという定義は正解にもっとも近い。4WDの安定性は何物にも代えがたいが、重量とコストが制約になる。 FRと割り切ってしまえば、車体は小さく軽量なほうが走りの切れ味が良くなる。86コンセプトは200万円程度を目指すというから、スポーツカーを諦めていた世代にも朗報だろう。スバルの水平対向エンジンを使うアイデアも面白い。市場に何かが起こるかもしれない。
2009.10.28
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モーターショーは合理化のために、四輪と二輪が併催されている。ホンダとスズキは両方とも生産しているから、魂の差が表面に出てくる。二輪のデザインはガソリンタンクから始まって、アルミのステップに至るまで徹底的にこだわっている。 四輪のパーツはコスト優先で共通化され、こだわりは消えている。そのデザインや素材を見ていると、二輪のほうに心が魅かれる。4輪を製造していないヤマハやハーレーだって、日本製乗用車よりもはるかに魅力がある。乗用車のデザイン部門は刷新されるべきだなあ。
2009.10.27
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