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日本の社長の典型のような人に、「無駄を多く持っておくことが重要だ」とよく言われる。
子供の頃に漫画で読んだのですが、徳川吉宗が政治の極意をお坊さんに聞いたときに、「四角い枡の味噌?を丸いしゃもじ?ですくうようなものです」と言ったようなものか。
一見無駄な事業でもなにかに結びつく、という意味だとまだいいのですが、ちょっとした契約などもそのままにしたい傾向が強いと思う。会社間の昔からの業務委託契約とか、個人で言うと、余分な駐車場契約だったり、知人の紹介の保険だったり。
一方、ビルゲイツは、日本マイクロソフト来訪の際、当時7階から上を借りていたビルの1階にもレンタルマットがあったのを見て、「1階(共用部)にもマットがあるんだから、(マイクロソフトの玄関である)7階には余分にいらないだろ」と言って、3千円/月のマットを解約させたとか。売上げ2兆円の会社の会長のすることだと。
バフェットの本にもコストカットする会社の社長は常にその意識があるから、特別に「今日からコストカットするぞ!」なんていわないなんて書いてあった。
どっちが正しいのでしょうねえ。
株式会社の経営者としては、もちろんビルゲイツ・バフェットが正解だし、株式に投資する際にはそういった銘柄を選ぶべきだとは思います。
一方で、人生は無駄で成り立っているということもまた正しいと思うので、日本型の考えも悪くないなあと思ったり。
日本の会社(社会)は、アングロサクソンに比べて未分化であるから上記のような違いが出てくるのではないか。日本人のみの構成のため家族主義的でもあり、また、アングロサクソンのような、がちがちの契約主義ではない。
したがって、カテゴリーにある「リタイア生活(もしくは、独立)」を早めに考える人にとって、アングロサクソンのようにきれいに労働契約の終了というリタイアメントという切り分けが難しいのではないか。
きれいに切り分けられないために、人との友情(しがらみ)や労働観、会社(社会)からの断絶といったことを考えずにはいられないのでは。
メジャーリーガーを目指す日本人が、アメリカ人と違って片道切符のつもりで行くのも、「円満退社」という言葉自体が「退社行為」が契約ではなく、どろどろしたもの(スパッと切れずに無理に切ると血が噴くもの)が前提になっているのも、日本らしいのでは。
私が会社を辞めるときを想像してみると、やっぱり、できるだけきれいに会社に迷惑をかけず、自分が好んでいる人とはこれからも連絡がつくようにしたいと思いますねえ。今はそう思います。
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