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河の上(へ)の いつ藻(も)の花の 何時も何時も 來ませわが背子 時じけめやも(― 河のほとりのいつもの花のように、何時も何時もおいで下さい。わが背子・恋人よ。何時でも時期はずれということはありません) 衣手(ころもで)に 取りとどこほり 泣く兒にも まされるわれを置きて 如何にせむ(― 着物の袖に取り付いて、動かずに泣く子供よりもひどく悲しんでいる私を置いて行って、どうなさるのでしょう) 置きて行かば 妹戀ひむかも 敷栲(しきたへ)の 黒髪しきて 長きこの夜を(― すておいて九州に行ってしまったならば、妹は私を恋慕うであろうか。この長い秋の夜、黒髪を敷いて独り寝て) 吾妹子(わぎもこ)を 相知らしめし 人をこそ 戀のまされば 恨めしみ思(おも)へ(― 吾妹子と知り合うようにさせた人をこそ、今、恋の心のまさるにつけて、かえって怨めしく思うのだが) 朝日影 にほへる山に 照る月の 飽かざる君を 山越(こし)に置きて(― 朝日の光の射し染めた山の辺に残っている月のように、見飽きることのないあなたを、山越に置いて心もとない気持である) み熊野の 浦の濱木綿(はまゆふ) 百重(ももへ)なす 心は思(も)へど 直(ただ)に逢はぬかも(― み熊野の浦の浜木綿は葉が幾重にも重なりあっているが、そのように幾重にも心で思っていても、直接逢う機会がないことである) 古(いにしへ)にありけむ人も わがごとか 妹(いも)に戀ひつつ寝(い)ねかてずけむ(― 昔の人も自分のように妹・恋人を恋うて、寝ることができなかったであろうか) 今のみの 行事(わざ)にはあらず 古の人そ まさりて哭(ね)にさへ 泣きし(― 妻を恋うて泣くのは今の世だけの事ではない。昔の人こそ今にもまして声まで上げて泣いたのだ) 百重(ももへ)にも來及(きし)かぬかもと 思へかも 君が使の 見れど飽かざらむ(― あなたから来る使は見ても見飽きないのは、百度でも繰返して来て欲しいと思うからであろうか) 神風(かむかぜ)の 伊勢の濱荻(はまおぎ) 折り伏せて 旅寝(ね)やすらむ 荒き濱邊に(― 伊勢の浜荻を折り伏せて、今頃は荒い浜辺で旅寝をしていることであろうか) 未通女(をとめ)等(ら)が 袖布留(ふる)山の 瑞垣(みづかき)の 久しき時ゆ 思ひきわれは(― 乙女達が袖を振る山・天理市布留の石上神宮の瑞垣が久しい昔からあるように、ずっと以前から自分はお前の事を恋しく思っているのだ) 夏野ゆく 牡鹿(をしか)の角(つの)の 束(つか)の間(ま)も 妹が心を 忘れて思(おも)へや(― 夏の野をゆく牡鹿の角は短いが、そのように短い間も、私を思う妹の気持を忘れていようか、いつも忘れずに心に抱いている) 珠衣(たまきぬ)の さゐさゐしづみ 家の妹にいはず來て 思ひかねつも(― 家で私を待っている妹にろくに物も言わずに出かけて来て、恋しさにたえないことである) 君が家に わが住坂(すみさか)の 家道(いへぢ)をも 吾は忘れじ 命死なずかも(― 住坂の家道もあなたのことも私は忘れまい、生きている限りは) 今更に 何をか思はむ うちなびき こころは君に よりにしものを(― いまさらに何を思いましょう。私の気持はうちなびいて、もはやあなたに一すじに傾いてしまった) わが背子は 物な思ほし 事しあらば 火にも水にも われ無けなくに(― わが背子・男の恋人は心配なさいますな。もし何か事があったならば、火であろうが水であろうが、私がおりますから) 敷栲(しきたへ)の 枕ゆくくる 涙にそ 浮寝(いきね)をしける 戀の繁きに(― 枕から流れる涙に浮寝をしてしまった。恋心がしきりで止むことがないから) 衣手の 別(わ)く今夜(こよひ) 妹もわれもいたく 戀ひむな 逢ふよしを無み(― 別れてしまう今夜からは、二人共随分恋しく思い合うことだろうね。互いに逢うすべがないのだから) 臣女(たわやめ)の 匣(くしげ)に乘れる 鏡なす 御津(みつ)の濱邊に さにつらふ 紐解き離(さ)けず 吾妹子(わぎもこ)に 戀ひつつ居れば 明け闇(ぐれ)の 朝霧隠(がく)り 鳴く鶴(たず)の ねのみし鳴かゆ わが戀ふる 千重の一重も 慰もる 情(こころ)もありやと 家のあたり わが立ち見れば 青旗(あをはた)の 葛木山(かづらきやま)に たな引ける 白雲隠(かく)る 天さがる 夷(ひな)の國邊に 直向(ただむか)ふ 淡路(あはぢ)を過ぎ 粟島(あはしま)を 背(そがひ)に見つつ 朝なぎに 水手(かこ)の聲(こゑ)呼び 夕なぎに 梶の(かぢ)の音(と)しつつ 波の上(へ)を い行きさぐくみ 岩の間(ま)を い行き廻(もとほ)り 稲日都麻(いなびつま) 浦廻(うらみ)を過ぎて 鳥じもの なずさひ行けば 家の島 荒磯(ありそ)のうへに 打ちなびき 繁(しじ)に生ひたる 莫告藻(なのりそ)が などかも妹に 告(の)らず來にけむ(― 女の人の櫛の箱の上に乗っている鏡のように見る三津の浜辺で赤い紐を解き離たずに吾妹子を恋しく思っていると、明けぐれの朝霧に隠れて鳴く鶴のように、ただもう泣けてしまう。私の恋しく思う心の千分の一でも慰められようかと、家のあたりを望んで見ると、葛木山のにたなびいている白雲に隠れている。そこで田舎に真向かいになっている淡路を背に見ながら朝凪には梶の音を立てながら、波を縫って行き、岩の間を行き廻り、印南野の突端の浦の巡りを過ぎて、島のように漂っていくと、家の島の荒磯の上に、ナノリソがなびいて多く繁っているが、そのナノリソのように、どうして恋いしい妹に、ゆっくり別れの言葉も言わず出かけて来てしまったのであろう)
2022年07月26日
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愛(は)しきかも 皇子(みこ)の命(みこと)の あり通(がよ)ひ見(め)しし 活道の路(みち)は荒れにけり(― 惜別の情に耐えないわが安積皇子が常に通ってご覧になった活道山の路は、今は荒れ果ててしまったことだ) 大伴の名に負ふ 靭(ゆき)負ひて 萬代に憑(たの)みし心 何處(いづく)か寄せむ(― 大伴の靭負という名を有するその靭を負って、万代までお仕えしようと頼みにしていた心は、今頼り所を失ってしまった。一体この心を何処に寄せたらよいのだろうか) 白栲(しろたへ)の 袖さし交(か)へて 靡き寝(ぬ)る 我が黒髪の ま白髪(しらが)に 成りなむ極(きは)み 新世(あらたよ)に 共に在らむと 玉の緒の 絶えじい妹(いも)と 結びてし 言(こと)は果(はた)さず 思へりし 心は遂(と)げず 白栲の 手本(たもと)を別れ 柔(にき)びにし 家ゆも出でて 緑児の 泣くをも置きて 朝露の おぼになりつつ 山城の 相楽山(さがらやま)の 山の際(ま)に 往き過ぎぬれば 言はむすべ せむすべ知らに 吾妹子(わぎもこ)と さ宿(ね)し妻屋に 朝(あした)には 出で立ち偲ひ 夕(ゆうべ)には 入りゐ嘆かひ わき挟(はさ)む 兒の泣くごとに 男(をとこ)じも 負(お)ひみ抱(うだ)きみ 朝鳥の 音(ね)のみ泣きつつ 戀ふれども 驗( しるし)を無みと 言問(ことと)はぬ ものにはあれど 吾妹子が 入りにし山を よすかとそ思ふ(― 白栲の袖を互いにさし交わして靡きよって共に寝るわが黒髪は、真っ白になりきるまで、常に新たになっていく世に共に生きていこうと、二人の中は決して絶えまい妻よと、互いに約束したその言葉を果たさずに、また、思っていた気持も遂げずに妻は私の白栲の袖を別れて、馴れ親しんだ家からも出て、赤子の泣くのも置いて、朝露のようにおぼろに姿も薄れて山城の相楽山の山の間に行ってしまったので、何といってよいか何をして良いかわからずに、妻とともに寝た妻屋で、朝は外に出て追憶に耽り、夕方は中に入って嘆きを繰返し、脇に抱えておる子供が泣くごとに、男だのに、背負ってみたり抱いてみたり、朝の鳥のように声を立てて泣きながら、恋い慕っても験がないので、物も言わない山ではあるが、吾妹子が入って行ってしまった相楽山を、今は心の寄せどころと思うことである) うつせみの 世の事なれば 外(よそ)に見し 山をや今は よすかとと思はむ(― 無常な現世の事であるから、妹は死んで相楽山に行ってしまった。昔、無縁のものと見ていた相楽山を今は心の寄せどころと思うことであろうか) 朝鳥の 音(ね)のみし 泣かむ 吾妹子に 今また更に 逢ふよしを無み(― 朝鳴く鳥のように、声を立てて泣き暮らそう。恋しい吾妹子に今ふたたび逢う手立てもないから) 一日(ひとひ)こそ 人も待ちよき 長き日(け)を かくのみ待たば ありかつましじ(― 一日だけならば人を待っていられるけれど、長い日数を、こうして待ってばかりいたら、とても待っていられないでしょう。早く帰ってきてください) 神代より 生(あ)れ繼ぎ來(く)れば 人多(さは)に 國には満ちて あぢ群(むら)の 去來(かよひ)は行けど わが戀ふる 君にしあらば 晝は 日の暮るるまで 夜(よる)は 夜(よ)の明くる極(きは)み 思ひつつ 眠(い)も寝(ね)がてにと 明(あか)しつらくも 長きこの世を(― 神代からつぎつぎと生まれ継いできたので、人がたくさん国に満ちて、あじ鴨の群のように行き来しているが、私の恋しい君はその中にいないから、昼は日の暮れるまで、夜は夜の明けるまで、慕い続けて少しも眠れず、この長い夜を明かしてしまったことである) 山の端(は)に あぢ群(むら)騒き 行くなれど われはさぶしゑ 君にしあらねば(― 山の稜線あたりをあぢ鴨が群がって、騒いで飛んで行く声が聞こえるが、私は淋しい。あなたではないから) 淡海路(あふみぢ)の 鳥籠(とこ)の山なる 不知哉川(いさやがは) 日(け)のこのごろは 戀ひつつもあらむ(― 淡海路の鳥籠の山にある不知哉川というが、さあどうでしょうか、このごろ私を恋しく思っていて下さるでしょうか) 君待つと わが戀ひをれば わがや屋戸(やど)の すだれ動かし 秋の風吹く(― 我が君をお待ちして恋しく思っていると、私の家の簾を動かして秋の風が吹いてくる) 風をだに 戀ふるは 羨(とも)し 風をだに 來(こ)むとし待たば 何か嘆かむ(― 風だけでも恋しく思っておいでになるのは羨ましい。せめて風だけでも来るだろうと待っていられるなら、何のなげくことがあろう。私にはかぜさえも吹いて来はしないのです) 眞野の浦の 淀の繼橋(つぎはし)情(こころ)ゆも 思へや妹(妹)が夢にし 見ゆる(― 眞野の浦の淀の継橋というが、絶えずあなたが私を心から思うからか 別解 私があなたを心から思うからか、あなたの姿が夢に見えることだ)
2022年07月15日
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出でて行く 道知らませば あらかじめ 妹を留めむ 關も置かましを(― 妹が出て黄泉の国へ行く道をもしも知っているのだったら、前もって妹を引き止める関でも置くのだったのに) 妹が見し 屋前(には)に花咲き 時は經(へ)ぬ わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに(― 妹が見た庭に花が咲いて、早くも時は経ってしまった。私のなく涙はまだ乾かないのに) かくのみに ありけるものを 妹もわれも 千歳(ちとせ)のごとく 憑(たの)みたりける(― 今思えばこんなことになる筈だったのに、妹も自分も互いに千年も生きられるように思い込んで、当てにしていたのだった) 家離(さか)り います吾妹(わぎも)を 停(とど)めかね 山隠(がく)しつれ 情神(こころど)もなし(― 家を離れて出て行く妹を引き止めたくとも、それができずに山に隠れさせてしまったので、心も虚ろである) 世間(よのなか)は 常(つね)かくのみと かつ知れど痛き情(こころ)は 忍(しの)びかねつも(― 世間というものはいつもこうしたものなのだと、一方で理性的には判断しても、つらい感情はなんともこらえ兼ねるものである) 佐保山に たなびく霞 見るごとに 妹を思ひ出(で) 泣かぬ日はなし(― 佐保山にたなびく霞見る毎に、懐かしい妹を思い出して泣かない日はない) 昔こそ 外(よそ)にも見しか 吾妹子(わぎもこ)が奥つ城(き)と 思(も)へば愛(は)しき佐保山(― 昔はよそ事と見ていたが、愛妻の墓所と思えば、懐かしく、慕わしい佐保山であることだ) 懸けまくも あやにかしこし 言(い)はまくも ゆゆしきかも わご王(おおきみ) 皇子(みこ)の命(みこと) 萬代(よろづよ)に 食(め)したまはまし 大日本(おほやまと) 久邇(くに)の京(みやこ)は うちなびく 春さりぬれば 山邊には 花咲きををり 河瀬には 年魚子(あゆこ)さ走(はし)り いや日異(ひけ)に 榮ゆる時に 逆言(およづれ)の 狂言(たはこと)とかも 白栲(しろたへ)に 舎人(とねり)装(よそ)ひて 和豆香山(わづかやま) 御輿(みこし)立たして ひさかたの 天(あめ)知らしぬれ こいまろび ひづち泣けども せむすべも無し(― 心にかけて思うのも、口に出して言うのも、何とも恐れ多く、はばかられることである。わが安積皇子が万代のお治められるはずであった久邇の京は、春になると山辺には花が繁り、河瀬には若年魚が泳ぎ、いよいよ日毎に栄えている時に、人惑わしの根なし言なのか、皇子はおなくなりになり、舎人は喪服を着て和豆香山に御輿をお停めになって、天界へ旅立たれてしまったので、倒れ伏し輾転して泥にまみれて泣くのだが、何ともするすべもない) わご王(おおきみ)天(あめ)知らさむと 思はねば 凡(おぼ)にそ見ける 和豆香(わづか)そま山(― わが安積皇子がお隠れになって、ここにお墓が出来ようとは思わなかったので、この和豆香杣山をおろそかに見たことである) 懸けまくも あやにかしこし わご王(おほきみ) 皇子(みこ)の命(みこと) もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)を 召し集(つど)へ 率(あども)ひ賜ひ 朝獵り(あさかり)に 鹿猪(しし)ふみ起し 夕獵(ゆうかり)に 鶉雉(とり)ふみ立てて 大御馬(おほみま)の 口抑(おさ)へ駐(た)て 御心を 見(め)し明(あき)らめし 活道山(いくぢやま) 木立(こだち)の繁(しじ)に 咲く花も 移ろいひけり 世の中は かくのみならし 大夫(ますらを)の 心振り起し 劔刀(つるぎたち) 腰に取り佩(は)き 梓弓(あずさゆみ) 靭(ゆき)取り負ひて 天地と いや遠長(とほなが)に 萬世(よろづよ)に かくしもがもと 憑(たの)めりし 皇子(みこ)の御門(みかど)の 五月蠅(さばへ)なす 騒く舎人(とねり)は 白栲(しろたへ)に 服(ころも)取り着て 常なりし 咲(ゑまひ)振舞(ふるまひ) いや日異(ひけ)に 變(かは)らふ見れば 悲しろきかも(― 心に思い口に出して言うのも恐れ多いことである。わが安積皇子が、お仕えしている大勢の男を呼び集め、引き連れて、朝の狩に鹿猪を追い立て、夕方の狩に鶉雉を踏みたてて、御馬の口を抑え留めて景色を御覧になり、御心を晴らされた活道山は、今は木立が繁って、咲く花も散ってしまった。世の中と言うものは実にこういうものであるらしい。大夫の心を振り起し、刀剣を腰におび、梓弓や靭を背負って、天地とともに遠く永く万代までこのようにあってほしいと頼みにしていた皇子の宮殿の、賑やかにお仕えしていた舎人達は、白栲の喪服を衣を替えて、いつもの笑顔や元気な様子が、日毎に変わって行くのを見ると、悲しいことである)
2022年07月08日
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遠長く 仕へむものと 思(おも)へりし 君座(いま)さねば 心神(こころど)もなし(― 遠く長くお仕えしようと思っていた君がもはやおいでにならないので、心の張りをうしなってしまった) 若子(みどりご)の 這ひたもとほり 朝夕(あさよひ)に 哭(ね)のみわが泣く 君無しにして(― みどりごが這い回るように、朝夕這いまわって泣いてばかりいる。君がいなくなられたので) 見れど飽かず 座(いま)しし君が 黄葉(もみぢば)の 移り去りゆけば 悲しくもあるか(― いくらお会いしても、見飽きることもなかった立派な君が、もみじが散るように亡くなられてしまった。悲しいことである) 栲縄(たくづの)の 新羅(しらき)の國ゆ 他言(ひとごと)を よしと聞(きこ)して 問((と)ひ放(さ)くる 親族(うから)兄弟(はらから) 無き國に 渡り來まして 大君の 敷きます國に うち日さす 京(みやこ)しみみに 里家(さといえ)は 多(さは)にあれども いかさ まに思ひけめかも つれもなき 佐保の山邊に 泣く兒(こ)なす 慕ひ來まして 布細(しきたへ)の 宅(いへ)をも造り あらたまの 年の緒長く 住(す)まひつつ 座(いま)ししものを 生ける者 死ぬとふことに 免(まぬ)かれぬ ものにしあれば 憑(たの)めりし 人のことごと 草枕 旅なるほとに 佐保河を 朝川わたり 春日野(かすがの)を 背向(そがひ)に見つつ あしひきの 山邊を指して くれくれと 隠(かく)りますぬれ 言はむすべ せむすべ知らに たもとほり ただ獨りして 白栲(しろたへ)の 衣手干(ころもでほ)さす 嘆きつつ わが泣く涙 有馬山 雲ゐたなびき 雨に降りきや(― 日本はよい国だという噂をお聞きになり、新羅の国から話をし合う親族も兄弟もないこの国に渡っておいでになり、わが大君のお治めになる国にはは、都に一杯に里や家は多くあるのに、何と思われたのか、縁もない佐保の山辺に、まるで泣く子が親を慕うように慕っておいでになって、家も作り長く住まっておいでになったのに、生者必滅ということは免れないことだから、頼みにしていた人が皆、有馬に旅に出ている間になくなられて、佐保川を朝渡り、春日野を後ろに見ながら、山辺を指して心細くも隠れておしまいになったので、何と言ってよいのか、何をしてよいか分からず、ぐるぐると歩き回って、ただ一人いて喪服の涙も干さずに嘆いては私の泣く涙が、有馬山の辺りに、雲とたなびいて雨に降ったでしょう) 留め得ぬ 命(いのち)にしあれば 敷栲(しきたへ)の家ゆは 出でて雲隠(くもがく)りにき(― 留めえない寿命であるから、住み慣れた家から出て、雲隠れてしまった) 今よりは 秋風寒く 吹きなむを いかにか獨り 長き夜(よ)を宿(ね)む(― 今からは秋風がきっと寒く吹くであろうに、どのようにして長い秋の夜を一人で寝ようかしら) 長き夜(よ)を 獨りや寝むと 君が言へば 過ぎにし人の 思ほゆらくに(― 長い秋の夜を独り寝ることであろうかと、あなたが言われるので、亡くなってしまった人が新たにおもいだされることである) 秋さらば 見つつ偲(しの)へと 妹(いも)が植ゑし 屋前(には)の石竹花(なでしこ) 咲きにけるかも(― 秋になったならば、花を見て賞美なさいと妹が植えた庭のなでしこが、見れば咲いてることだ) うつせみの 世は常なしと 知るものを 秋風寒み偲(しの)ひつるかも(― この世を無常の世であるとは知っているものの、秋風の寒さに亡き人への恋情に堪えないことである) わが屋前(には)に 花を咲きたる そを見れど 情(こころ)も行かず 愛(は)しきやし 妹がありせば 水鴨(みかも)なす 二人並びゐ 手折(たを)りても 見せましものを うつせみの 借(か)れる身なれば 露霜(つゆしも)の 消(け)ぬるがごとく あしひきの 山道(やまぢ)を指(さ)して 入日なす 隠(かく)りにしかば そこ思(も)ふに 胸こそ痛め 言(い)ひもかね 名づけも知らず 跡もなき 世間(よのなか)にあれば せむすべも無し(― 我が家の庭に花が咲いた。それを見ても心も慰まない。いとしい妹が起きていたならば、水に浮く鴨のようにニ人並んでいて、その花をたおって見せもしように。この世の仮の命であるから露や霜が消えてしまうように、妹は山道を目指して夕日のように隠れ入ってしまったので、その事を思うと胸が痛むが、何とも言葉に表現したくても出来ず、何と名づけてよいか分からない…。無常なこの世であるから何ともしようがないことである) 時はしも 何時(いつ)もあらむを 情(こころ)いたく 去(い)にし吾妹(わぎも)か 若子((みどりご)を置きて(― 死ぬときは今でなくとも、何時でもあろうだろうに、緑児を置いて悲しくも死んでいった吾妹であることよ)
2022年07月01日
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