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昨日遠方への出張から帰ってきたのだけど、体重を計ったらとんでもない数字に!出産後最高値をたたき出したよ。これは…さすがに…まずいでしょ…!というわけで、さすがの私もやる気になりました。これまでは「もう年だしなあ」「代謝が落ちてきたなあ、しかたないかな」と、あきらめモードだったのだけど、さすがにこの数値には危機感を覚えた私。このまえ仕事で出会った人に、ウォーキング熱を刺激され、やってみようという気になった。ちなみにその方は、品川から渋谷まで1時間半くらい歩いて帰ったというほんわかした女性。ふつうのふわっとしたスカートをはいて、日傘を持っていたから、ガチでウォーキング!という感じでは全くない女性。「毎日職場まで1時間歩いています。歩くと頭がすっきりして、考えも整理されるし、コレスレロール値も良くなったんですよお」とのこと。もうひとりの男性の方は、もともとランニングをやっていたけど今はウォーキング、という方。ランニングをやるとからだを壊すんですよお、老けるんですよお、とのお話に、がぜんやる気になった。まあそんなこともあり、やってみることにした。ウォーキング用のアプリも入れたし、今日はOストアまで往復3.5キロを歩いて買い物に行ってきた。(風邪引いているにもかかわらず)たしかに歩くと頭がすっきりするような気もしないでもないなあ。確実なのは、歩くことは、家事やToDoなど日常の動きへの「呼び水」になるということ。ウォーキングをすることで、エンジンがかかる。夕食づくりも洗濯物たたみも、さくさくと行った。同じく、これまで6年ほどやめていたお酒を飲み始めてわかったことだけど、最初の一杯は、次の飲酒への「呼び水」になるということ。最初の一杯を飲むことで、飲酒へのエンジンがかかるのだ。そうなると、からだはどんどん動かない方向にエンジン?がかかるのだ。ダラダラの方向へ。ダラダラへの呼び水より、さくさくへのエンジンの方がいいね。というわけで、目的の第一はダイエットなんだけど、「動ける体」のためにもウォーキングをはじめよう。というわけ。今日は風邪っぽいから控えめにしとくけど、元気になったらどんどんいきます。(コロとのお散歩の日々、楽しかったなあ。会いたいよ、コロ)
2018.08.30
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庭のヤマボウシがきれいに咲いているよ。いつもこの季節はキミのおうちの上にたくさんのヤマボウシが咲いていたね。少しだけど、あじさいも咲き始めたよ。パパがいつもお水をあげてくれていたおかげだね。ここはキミの遊び場だった。16年ものあいだ、ここで跳ねて遊んで過ごしたね。雪の日はあちこち喜んで足跡をつけていた。寒い日も、暑い日も、雨の日も、涼やかな日も。ここにはあたりまえのように、キミの姿があった。今はそこに、キミが眠る。こんな日がくるなんてね。本当に想像すらしていなかったんだよ。キミがたくさんかわいがってくれた息子や娘が総出でスコップもって、キミの新しいおうちをつくってくれたよ。そうだ、キミはうちの子どもたちの親友であり、親代わりでもあった。私たち家族のために、たくさんの愛情をありがとう。今はキミに会いたくて仕方がない。触れてなでて抱きしめて、一緒にお散歩したい。もう一度。コロ! 会いたいねえ。2018年5月10日 朝6時10分頃 コロ16歳と7ヶ月 旅立つ
2018.06.11
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1年前は母の介護でてんてこまいだった。朝起きるとおむつ替えからスタートだった。ひたすら排泄とのたたかい。それから朝食を持っていって、デイの準備。子どもや自分の出かける準備をしてから仕事へ。エアコンの予約をすることも忘れずに。仕事が終わると17時には職場を出て、デイの車が帰ってくる前に自宅へダッシュ。洗濯物を取り入れて、食事の準備。食事が終わるとトイレへ誘導。パジャマに着替え。時間をみて消灯。そういう日々を、毎日毎日やってきたなあ。とても大変だった。まだ「なつかしい」というには生々しい。(2015年11月の母の部屋。この頃はまだ自分で寝起きできていた)あの頃の自分にひとこと伝えるとしたら「本当によくやったね」と伝えたい。よくがんばったよ、自分。ベストをつくしていたと思うよ、自分。誇りに思っているよ。自分。いやな自分もあった。ひどい自分にも出会った。でも、よくがんばった自分にも出会った。ぜんぶが自分自身だ。いろんな自分を旅してきたね。これからもいろんな自分に出会えるでしょう。イヤな自分もよい自分も。それでいい。と思えるようになったよ。悪いもいいも、全部自分であり、縁によって生じているだけなんだ。今日はひとりで大掃除をして、夫にケーキを買ってきてもらってお疲れさんをした。子どもたちは大きくなり、母は亡くなった。自分ひとりでのんびりと、好きなことをしてすごしている。こういう1日も、いいね。来年はどんな年になるだろう。●●な自分になりたい!とか、●●を達成したい!とか、そんながつがつしたモチベーションはかなり薄くなった。これ、自分にとってはとても新しい。昨日友人としゃべりながら立てた来年の目標?は1)きらくに2)自由に3)目標はひくくなんだもん(笑)ゆるくていいね。そんな自分もいいなあって思えるよ。新しいね。今年はじめたことのひとつに坐禅がある。これは続けたいな、来年も。何か新しい自分につながっていけばいいなあと思う。あともうひとつ、何か楽しいことを始めたい。ピアノをひいたり、歌ったり、芝居をしたり、したい。表現することが好きなんだな。2018年は、楽しいことをはじめよう。
2017.12.30
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一日30分の不要物抜き取り作業(名づけて30分断捨離)の3日目。 昨日はついダラダラしてしまい、30分断捨離をやらなかったため、早くも挫折か?と思ったが、そこはブログの威力。 ここに書こうと思えば頑張れるのよね。 実はこれまでいろんなことにチャレンジしてきたけど、どれもブログに書くことで続けられた。 さて昨日さぼった分、今日は30分×2セットを行った。 場所は台所。 コトコトとポトフを煮ながらせっせと抜き取り作業。 賞味期限切れの食品が山のように出てきて、流石に罪悪感。 なんて無駄なものを溜め込んでいたのだ。 掃除や片づけは自分の欠点と向き合う作業と聞いたことがある。 まさにそれ! 6年前の震災後に買い込んだ食料備蓄品の数々は、無事使う機会がなく賞味期限を過ぎた。 あの時必死の思いで買い込んだんだよね。あれから大きな地震もなく、家族全員無事に過ごせて本当によかった。 さようなら。ありがとう。 もう使われる機会もなくなった、娘の水筒にコップ。タッパーウェアの数々。 これまでありがとう。 お世話になりました。 使われることなく死蔵されていた数々のものを、どんどん捨てた。 30分だけでもかなり片づく。 30分をなめちゃいけないわ。 今日はやりきった満足感でいっぱい。 かなり加速がついてきたので、明日も引き続きやり続けよう。 今年の年末は、さっぱりと片づいた部屋で、穏やかに過ごせるかな。
2017.10.24
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一日30分の抜き取り作業、2日目。 名称が長いので、この作業、今後は一日一捨と名づける。 今日はリビングの棚その2に取り掛かる。山のような三文判、そして使えない文具類はすべて処分。 リビングのよく使う箇所なのに、ホコリがどっさりたまったガラクタの山と化していた。 このやり方の良いところは、ついでに掃除や整理整頓をしないでひたすら抜き取るのみ、というところ。 捨てるか取っておくか迷ったらまた次回の抜き取り作業のときに抜けばいいし、という気楽さも。 しかしこののろのろした歩みで、果たしてわが家の断捨離は進むのだろうか??という懸念も。 まあ未来のことは案じず、過去を悔いず、とにかく今はコツコツとできることをすすめるしかないな。 今日は台風が近づくなか、のんびりとすごした。 何もしないぼんやりした時間が豊かだなあってかみしめたり。 そして今日は母のお骨を分骨した。 さあ前に前に。少しずつ。
2017.10.22
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ごんおばちゃまの片づけ術というのをやってみることにした。 一日30分だけエリアを決めて不要なものを抜き取るという、それだけのやり方なんだけど、これまでずーっとやろうやろうと思いながら何年も(!)先送りしてきた。 とにかく思い立ったらすぐ行動。 今日はリビングの棚のほんの一角な不要物を抜き取ってみた。 なんとメガネが山なように見つかった。こんなに溜め込んでいたなんて。 今日のところは、これ時代遅れだしぜーったい使わないよねというデザインのメガネのみ抜き取り。 亡くなった母のクスリ、お薬手帳、デイの連絡帳も、もう要らない。 デイの連絡帳は思い出に二冊だけ残した。 介護時代の思い出が蘇る。 抜き取り作業は30分弱で終了。つい整理整頓したくなったけど、そこはぐっとこらえて要らないものを抜いていくだけ。 これだけで、棚の一角がかなりスッキリした。 毎日これを続けていく。 今年の大掃除はきっとラクになるはずだ。そして、私の新しい人生もスタートできるはず。
2017.10.21
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母が亡くなって一ヶ月がたつ。写真を見る度に胸がズキンとくる痛みも、時折吹き荒れる悔いの気持ちも、ずいぶん凪いできた。写真の中の母は、はじけるばかりの笑顔だ。今は、前より少しおだやかな気持ちで見ることができる。郷里に帰った時、時間をとって私が通っていた幼稚園のカトリック教会に足を運んだ。ここに通っていたのは、なんともう50年以上前のことだ。今回わざわざ行ってみようと思ったのは、この教会の慣れ親しんだイエス様に母のことを報告したかったから。幼稚園の時はもちろん、小学生のとき、中学生のとき、両親が不仲でつらかったとき、教会は心のよりどころだった。幼稚園を出てからは、教会に入る勇気がなくて、外からじーっと見ていた。私はクリスチャンではなかったけど、クリスチャンに憧れていた。イエス様にお祈りするような人になりたかったのだ。家には仏壇があるし、私は仏教のほうに親しい。でも心の故郷に、あの教会がある。さて50余年以上前とかわらない姿でイエス様はそこにいらした。母のことを報告した。母と私とのことも。良い時間だった。教会で開いておいてあった聖書を読んだ。「ものを与える人がさいわいなのだ」と書いてあった。50歳をすぎて、長年ともに暮らした母が亡くなり、子どもももう少しで手が離れる時期にさしかかり、なんだかうろうろと迷っている。あんなに自由な時間がほしい、やりたいことがやれてない、と不満だらけだった私が、今、「やりたいことって、なんだったけ?」「時間があるんだけど、なにすればいいんだっけ?」状態なのだ。人生って味わい深いもんだなあ。
2017.09.10
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もし未来のブログを見ることができたら、どうだろう。と、過去の自分に言ってみる。たとえば・・・、「母と二人」を書いた頃の自分に8年後のこのブログを見せてみたい。あなたの母は、8年後に突然亡くなるのだと。このブログには、これまで長年にわたる母との葛藤をほとんど記さなかった。同居して20年、母には子育ても家事も経済的にも本当に助けてもらった。そういうことが十分わかっているのに、私は葛藤という名の「自分の都合」を手放すことができなかった。要するに、子どもだったのだ。「~~してくれない」「~~さえしてくれれば」という依存的な思考から卒業することが本当に難しかった。要するに、単に甘えた子どもだったのだ。でも、その体験は私にたくさんの縁をもたらしてくれた。12ステップ、アドラー心理学、仏教、瞑想、キリストの教え、内観。宝物のようなこれらとの出会いは、何物にもかえがたい。常に自分中心でありたいがためにまわりを変えようと感情をふりまわしていた私を、少しずつ少しずつ、変えていくレッスンであった。苦しかったから手を伸ばしたし苦しかったから学び続けた。苦しかったから出会えた数々のレッスンが、今の私の基盤をつくってくれている。母の在宅介護がスタートしての約3年は少しずつ母から自立できていくチャンスのような気がしていた。そして突然の別れが訪れた今、あまりの悲しみと後悔と寂しさに、私がどれほど母を頼っていたかが身にしみてわかった。こんなに頼っていたのだ。あの「母が~~してくれないから私は不幸」という叫びは、母に心底「頼っていた」(依存していた)という証拠だ。今、本当の意味で、わたしはやっと卒業できるのだろうか。これからの私よ。寂しさに耐え、後悔と自責の気持ちを受け入れ、「そうとしができなかった」自分自身をゆるしていこう。これから3年後、5年後、10年後、どんなブログを書いているのだろう。今、それが読めたらどんな気持ちになるのだろう。未来のブログを読むことはできない。10年後の私がしあわせであっても、ふしあわせであっても、1日1日、良い因をつくっていくことしかできないのだ。いや。いつだって、今、良い因をつくっていくことができるのだ。10年後の自分へ。「母の死が、私に良い因(縁)を与えてくれました」と、あたたかく、なつかしく、やさしい気持ちでこのブログに記すことができますように。
2017.08.27
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2017年8月8日未明、母がこの世を旅立った。突然の、ほんとうに突然のお別れだった。出張で家をあけることが多い私や、子どもたちも帰りが遅く家族全員がそろうことが少なくなっていたなか、その日は家族全員がそろっていた。急を知らせる電話を受けて救急搬送された病院にみんな集まり、少し早めに到着していて医師からあらかじめ病状の説明を受けていた私は、子どもたちに「最期のお別れだよ」と伝えた。ICUに入って、家族全員でお別れをした。言いたいことは全部伝えた。お母さん、ありがとう。生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。楽しい時間をありがとう。そばにいるからもう大丈夫だよ。安心していいよ。最期の瞬間まで、抱っこして、手を握って、足をさすって、汗を拭いて、たくさんからだに触れた。じゅうぶん、お別れができたと思った。良いお別れができたと思った。通夜や告別式が終わる頃までは、多幸感でいっぱいだった。母への感謝やいとおしい気持ちがとめどなくあふれ出て、しあわせだった。でも、あれから19日あまりの時間がたっている今、私は悔いてばかりいる。母の死を受け入れられずにいる。昨日は施設に荷物をひきあげにいって、大泣きしてしまった。家に帰って、母の見慣れた衣服をたたんでいたら、涙が止まらなくたった。あんなに葛藤があった母。母にやさしくできなくて、苦しい思いをしてきた20年。介護で心身共にくたくたになり、この先どうなるのかと不安にだった3年間。終わったんだ。こんなに突然に。いや。終わったのだろうか。「終わったんだなあ」と思えるには、きっとまだ時間がかかる。それでいい。
2017.08.27
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今年の目標は大掃除しなくてよい年末! ということで、1月に目標を設定しておきながら、やっとこさ重い腰をあげましたよ。 一日に5分間だけモノを「抜く」というやり方で、コツコツと。 一日5分やれば、一週間で35分、一ヶ月で二時間半。 かなりモノの量が減るはずなんだけどね。
2016.05.19
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お久しぶりです。こんにちは。最後の更新が2年ほど前。ほんとうにほんとうにご無沙汰していました。きょう、ふと書きたくなったのです。あいかわらずうちは散らかりっぱなし。ゴールデンウィーク終了直前の今日、ひとりでお片付けをしていたら、なつかしいものたちが次から次へとあらわれては手を止める私。残された時間が、貴重だと知る一瞬。このブログをはじめたとき、上の子は確か10歳、下の子は7歳。あれから月日が流れ流れ、今や上の子は20歳の大学生、下の子は17歳の高校三年生。時間って、流れるんですよね。私だって10余年の歳月がすぎ、55歳となりました。まだ神様とは出会っていません(笑)。でも、数少ない、かけがえのない出会いがあり、縁があり、今に至っています。私は元気です。家族全員、飼い犬も飼い亀?も、みんな元気です。そしてたぶん、かなりの高い確立で、しあわせです。ひさしぶりにブログを再開してみようと思いました。10年後の65歳のときに、しみじみとなつかしくいとおしく、自分の日々を振り返ることができるように。これまであまりにもいろんなことがあって更新していなかった、このブログのすきまを、少しずつやさしく、埋めていけたら。
2016.05.07
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前回のエントリー(といってももう8ヶ月も前、昨年暮れ)にあるように、52歳で思春期の終わりの兆しを感じ、そしてその予言どおり、53歳は大人になる入り口で葛藤することになった。今年の春に、母が認知症であることが判明した。いつまでも反抗と反発をしてばかりの思春期では当然いられなくなったわけで、これは必然であり当たり前のこと。そのことを受け入れるのにずいぶん時間がかかっている。思春期の後には大人になるイニシエーションが続々と待ち構えているのであって、それをいやだとかつらいとか言っているあいだにも人生は進んでいくのだ。母のことで春からいろいろあって、いろいろありすぎて、パニックになったり不安のあまり眠れないこともあったけど、今はずいぶん落ち着いている。今、つかのまの落ち着きの時間。子どもたちはそれぞれ高校と大学に進み、順調。私も夫も病気せず仕事も失うことなく、順調。母も、認知症(進行性非流暢性失語症)と診断されたが、一時の混乱期を経て今は週三回のデイサービスと週4回の喫茶店通いのリズムができてきて、日常生活は食事も排泄も自分でできるし、洗濯物を干したりたたんだり食器洗いもしてくれるし、特に困っていることはない。まあ、順調。家族に恵まれ、仕事に恵まれ、環境に恵まれ、健康に恵まれている。何も困ることはないではないですか。でも心の奥底で、神様、あなたをずっと探していました。私に信仰があればどんなに良かっただろう、と。今も探しています。昔、ユミちゃんがメールで送ってくれた。「それはもう出会っているんだよ。神様が、もう見つけてくれているよ」ユミちゃんは神様のところに行けたのだろうな。死ぬのがこわくないよって言っていた。今、やけにそんなことを思い出す。私は死ぬまでに、神様に出会うことができるのかな?(もう出会ってるよって、ユミちゃんが言っている気がするけど)
2014.08.17
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まるで年報のようになってしまったこのブログ。でも年に一回でも続けることに意味があるよね。なんとなく愛着があるこの「清掃生活」なので、年1のペースでまだまだいくつもりです。さて、今年はほんとうに大変な年でした。母が階段から落ちて、その後遺症で一気に老化が進んだのもこの1年。私と母との母娘関係も、ゆるゆると変わっていきました。私はこんな年になっても、ずーっと思春期だったのだな。親に反発して、親にけんか売って、親のことをずっと排除したくてたまらなかったけど、母が一気に老化したことで、やっと私は自分の思春期を卒業できた気がします。いつまもでも思春期やってる自分がほんと恥ずかしい、、、でも、どうやってこの思春期から抜けたらいいのかずっとわからなくて苦しかったのですが。。。。冷静に考えてみたら、80過ぎた母と50過ぎた娘です(笑)。かたや介護が必要となる寸前のお年寄り。それがはっきりした今となっては、私が大人になって、母を支え助けるしかないのです。そんなふうに考え方が変わったことによって、私の思春期は自然に終わりました。これが大きな変化。そして身近な関係ではもっと苦しいことやどうにもならないことがあり、そんなときに人々の助けを得、これまで出会った賢者の方々の言葉にずいぶん助けられました。人は、ほんとうに苦しいことに出会ったときに、はじめて「自分を変えるために」動き始めるのだなあ、と思いました。52歳にもなって、やっと大人への一歩を踏み出した私です。ずいぶん遅かったけど、これからも一歩ずつ、少しずつ、大人の女性になっていきたいな、と思います。苦しいことは、大人になるために必要なイニシエーション。そう思えば、苦しみもウエルカムなのかもしれません。新しい年、さらなる変化も柔軟に、静かに受け止めていける自分でありますように。
2013.12.31
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あけましておめでとうございます。ほとんど年報と化してきたこのブログですが、年に1~2回でもいいから更新して残しておこうと思っています。昨年(2011年)は、本当に大変な年でした。きっと誰にとっても忘れられない年になるでしょう。個人的には、息子が高校生に。娘は中学生になりました。このブログをはじめた頃は、二人とも小学生だったはず。当時はお正月は必ず家族ではらっぱに散歩と凧揚げでしたが、今やそれぞれの楽しみをみつけ、お正月の散歩は夫と飼い犬との3人(二人と一匹)のみ。昨年あたりから私はスロージョギングでの伴走となり、このお散歩風景もずいぶんと様変わりしました。昨年は、家族より仕事を優先した1年だったため、ずいぶんといろんなことを学びました。良いことも、良くないことも。それは自分がそうしようと決めたことだから、それで良かったと思います。しかし。今年は、自分が本当に大切にしたいものは何か。時間とお金を何に使うのか。何を優先させて生きていくのか。そういうことに本気で対面して、そこに正直でありたいものだと思っています。楽しいことを沢山計画して、ためらわず実行していきたい。今年一年、良い年でありますように。
2012.01.04
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お久しぶりです。こちらのブログをずーっとお留守にしていましたが、元気にやっていました。今年は変化の年でした。減量に成功したりランニングをはじめたり、良い変化にたくさん恵まれました。そのなかでももっとも印象深かったのは、7日間の集中内観に参加したこと。自分のことが、よ~くわかりました。自分がどんなに極悪非道な人間かということが(笑)。そういうことをちゃんと知ることが大事なのだということが、よくわかりました。忘れられない体験です。仕事上は、なんだか忙しく走り続けてきた1年。とにかく「走った」としか言いようがないですね。お疲れさん、自分。アクシデントといえば、職場と家庭でPCが突然壊れてしまい、大事なデータが一瞬にして消えてしまいました。そのことが、とても良かった(笑)。たくさんのデータが大荷物のように重くのしかかっていて、いつどうやって整理しようといつも頭の隅から離れず、知らず知らずのうちに重荷になっていたことに気がつきました。大事だと思っていたデータの数々が、あっというまに強制終了してしまったとき、ショックと同時に、意外にもちょっとほっとしたのも事実。あのように終わってしまわなければ、ずっと手放すことができずに、大荷物を背負い続けてはため息をついていたかもしれません。こういう体験も、自分にとっては大事な体験でした。来年は、もっと上手に手放していくことができるかな。手放したといえば、長くコミットしてきたある領域から距離を置くことにしました。長い年月の執着があったけど、距離をとったら見えてきたものがたくさんありました。手放してはじめて手に入るものがあるということを体験しました。今年は大事なことをたくさん学んだ1年でした。これまで学んだことを、どうか忘れてしまいませんように。来年も、どうぞよろしくおねがいいたします。
2010.12.31
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友人の葬儀から、今帰ってきたところだ。43歳の若さで、二人の子どもを残して、闘病の末に亡くなってしまった。あまりの突然の訃報に、昨日はただ呆然としてしまった。彼女のことは、昨年末の日記で少し触れている。『ここには詳しく書けないが、友人が「闘病記」を出版した。病を得たことで、彼女は自分だけの「神さま」に出会ったのだった。一時期すごく近くにいたのに、絶望と死の淵をさまよっていた彼女の状態を私は知らなかった。その彼女は今、彼女の「神さま」と二人の子どもたちと共に暮らしている。良い本を、ありがとう。』 当時そんなふうに書き残している。そう。私はてっきり、子どもたちとそして「神さま」とともに、元気で暮らしているものと思っていたのだった。彼女が昨年本を出版したとき、私は3回読んで3回とも泣いてしまった。胸に迫る、すばらしい本だったのだ。すぐに彼女に感想のメールを送った。「私はこの本を、『病におかされた不幸な女性の闘病記』ではなく、『病をきっかけにして神さまと出会うことのできた幸福な女性の物語』として読みました」と。このメールを彼女はとても喜んでくれて、「私が伝えたいことが伝わったんだなって思った。すごくうれしい」と返事をくれた。今日のお葬式で会った出版社の方が、「あなたのあのメールを彼女はほんとうに喜んでいて、イベントのスピーチで読み上げたことがあるのよ」と教えてくれた。なんだかとってもうれしかった。彼女からいただいたものがたくさんある。彼女が書いてくれた、神さまとの幸福な出会いのストーリー。人生を恨むのではなく祝福することで生ききった、その姿勢。絶望の淵でこそ、最上の恵みを受け取ることができるのだということ。こんなにたくさんのものをいただいておいて、ちっともご恩返しができないまま、亡くなってしまった。これから私はご恩返しをしよう。残された彼女の子どもたちのために、私にできることをやっていこうと思う。まずは地域の友人知人の出せる力を寄せ集めて、力まずにあせらずに、感謝の気持ちをお返ししていきたい。
2010.03.24
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ツイッターをはじめたら、案の定ブログの更新が遅くなってしまった。最初は未公開で自分のためのメモのような形でやり始めたのだけど、その後友人に誘われて、公開ツイッターの世界へ。いやはや不思議な世界である。なんだかmixiとにちゃんねると交換日記をまぜこぜしたような。流行るはずだよなあ、これ。もうしばらくあっちの世界で遊んでみようと思っている。本日は町の図書館へ。まどみちおと八木重吉の詩集と、伊藤比呂美の前作と前々作と禅の本を一冊借りてきた。こういうアナログな世界の方がすきである。実際にからだが「出会う・触れる」体験がいい。明日からは雪深い北国へ出張。楽しみである。
2010.02.26
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野菜スープ中心の減量を始めてから約1ヶ月経過。結果は、わずかな増減を繰り返しながらも、3キロ減。まあ、よしとしよう。しかし、1年間で増えた分が減っただけの話である。もう少しがんばってあと2キロ減をめざす。体重の減り方を記録していると、法則性があることに気づく。400グラムくらいの増減を1週間ほど繰り返したあと、急に600~800グラム減る。そのあとまた同じような増減を1週間繰り返したあと、急に減る。その繰り返し。からだのホメオスターシスがはたらいているんだな。なので、1週間くらい変化がなくてもクサってはいけない。からだがいろいろと考えて調整してくれているのだから。おかげですっかり胃が小さくなり、外食してもなかなか完食ができない。からだの調子もずいぶん良くなった。こんなかんじでぼちぼちと続けていく予定。春(四月)を迎えるころには、あと2キロ減で、かつてのベスト体重に戻りたい!
2010.02.26
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娘は思春期、親(私)は更年期のお年頃。整体の先生によると、更年期になると排泄する力が弱るので、どうしても栄養過多になってしまうのだとか。で、この時期からだのあちこちにあらわれる異常は、栄養過多によるものがほとんど。との話をきいて、人生で何十回目かのダイエットを決意。友人からきいた「脂肪燃焼スープダイエット」というのとをやってみた。これはすごく簡単で、具たくさんの野菜スープを作っておなかいっぱい食べるというもの。まあとにかく始めてみた。1日目。スープをしこたま食べる。炭水化物はなし。みかんとトマト1個ずつ。初日はちょっとつらい。2日目。ひたすらスープざんまい。昼食は外食のスープのみ。炭水化物なし。VI。体重変化なし。3日目。スープざんまい。炭水化物なし。昼に大根の煮物二個。クッキーなどもつまんだ。VI。体重200グラム減(とほほ・・・)4日目。スープざんまい。炭水化物なし。VI半分。体重変化なし。5日目。スープざんまい。炭水化物なし。夕食作りのときにからあげ3個つまみ食い。体重変化なし。(もー全然変化ないじゃん!とややあきらめモード)6日目。朝食と昼食、時間がなくて食べれず。チャイ2杯。夜はスープどっさり。炭水化物なし。体重600グラム減。7日目。朝、体重がいきなり減っていた(昨日より1.2キロ減)。おなかがへこんできた。うれしいなあ。今日もスープ。でもさすがに昼過ぎに低血糖になったのか、頭がくらくらしたので、昼食時に炭水化物を3分の1杯程度を食す。プリン1。この1週間で合計で2キロ減である。今のところ、やや成功。でもこれからリバウンドしたらもともこもないので、もう少し続けてみる予定。この野菜スープはなかなか美味。私はミニトマトをたくさん入れて、セロリと生姜もたくさん入れる。鶏がらスープのだしで味付けして、あとはキャベツやたまねぎ、にんじんなどの残り野菜を煮るだけ。(スープにイモ類は入れないらしい)あつあつスープに、ゆず胡椒を入れるのが好き。この1週間は、炭水化物なし、肉魚もなし、原則甘いものもなしでやってみた。ときどきつまみ食いしたけど。けっこうやれるもんですね。これはスープのおかげかも。とりあえず1週間やってみたので、この後はやはりスープ中心で、少しずつ炭水化物と肉魚も解禁していこうかと。まだまだ油断大敵であります。目標は、あと2キロ減。ひき続き、続行いたします。
2010.01.31
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先日、いつもお世話になっている整体の先生のところにうかがったときのこと。最近気になっている、子どものからだのちょっとした「異変」と症状について相談した。その症状が、思春期のからだの発達と関係あるのか、それとも何かストレスがあるのか。本人(娘)にきいてみると、「別に悩んでいることとかストレスはないけどなあ」との返事。整体の先生いわく。「言葉で言えるようなストレスはないんでしょう。 言葉で言えないような事をからだが表現しているだけよ。 ストレスってそんなものでしょ」そうかあ・・・。そうだよね。「思春期はものすごい変化のとき。 これまでとちがう変化がいっぱい起こっているでしょ」たしかに。娘の言葉遣いも、体の感じも、興味関心の対象も、ものすごく変化している。こっちのほうがとまどってしまうことばかり。そういえば最近、娘は自分の体つきをしきりに気にし始めているなあ。急に腹筋はじめたりして。「それは、性の力がついてきているから。 性の力って、他を意識する力。 自分が他者にどう見えてるのかを気にする力。 それは人間にとってとても大事な力よ」そうか。それって大事な力なんだ!それは目からウロコだな。「そうそう。 性の力は生きる力なんだから。 だから否定するのではなくて、その力を親もいっしょに喜んで、育ててほしい」なるほど~。親としては、つい不安げなまなざしや心配な気持ちで娘の変化を見ていたかもしれない。それって本人にとっては「否定的なまなざし」だよなあ。「この時期に親としてできることはたくさんあるよ。 これからは女の子ではなく、ひとりの大人の女性(レディ)として扱うことが大事。 だって、大人の女性に変化しようとしているんだから」そうか~。そういわれてみると、子どもに対しては、いつまでも昔のようなかわいい子どものままでいてほしいっていう願望が自分にはあったなあ。ぐんぐん変化していく子どもたちの姿は、自分にとって、実は私の元からどんどん遠ざかっていくような不安でありさびしさでもあった。でも親がいつまでもそのへんにとらわれていると、結局子どもの成長の邪魔になるんだな。「あなたも家族の次のステージに入ったんだね。 これからは、子どもたちを手元で大事にお世話していく時期から、徐々に手放していく時期になっていくわよ。 上手に手放していくのよ」・・・はい。「上手に手放していくこと」。私にとっては、大変な修行になりそうです。
2010.01.28
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この人すごい。久しぶりに没頭して読んだ一冊。「心に切り刻むように思い出し、悔いてあやまりたい。 寝たきりの母にになって、はじめてすくわれた。 夫をなくした友人の悲しみを思って、耳を澄ます。 気がついたらまわりは、 老いて病んで苦しんで、死んでいく人でいっぱい」 (本書帯のコピーより)あの伊藤比呂美の新刊が、お経の本だよ。うれしくて飛び上がりそうになる。彼女によるお経の現代語訳は、全編それは美しい詩であった。冒頭の「懺悔文」から、もう完全にやられた。 わたしが これまでに なしてきた いろんなあやまちは はるかなむかしから みゃく みゃく とつながる むさぼる心・いかりの心・おろかな心 をもとにして からだ・ことば・いしき をとおして あらわれて きたものだ。 わたしはいま きっぱりとここにちかう。 そのすべてを ひとつ ひとつ 心をきりきざむようにして 悔いていきます。 (「読み解き「般若心経」」朝日新聞出版社)すごいでしょ。ストレートに入ってくる。書き写して、持ち歩きたい。仏教徒ではないくせに、お経大好きの私。i-podにはもちろんお経が数種入っている。これまで数々のお経解説本を読んできたけど、この本が私のベストワンとなった。病気や介護や看取りや別離や老いなどの、自身の苦しみに満ち満ちた生活から絞り出されたような詩(お経)だからこそ、あっけなく心打たれる。そういう意味では、高史明による「歎異抄」の本もそうだった。血の通ったお経が好きだ。本書にはいろんなお経がつまっている。圧巻は「観音経」の章。胸が痛くなったあとくすっと笑った。「地蔵和讃」では泣いてしまった。最後の「四弘誓願(しぐせいがん)」は、こんな感じ。 ひとびとはかぎりなくいます。 きっとすくいます。 ぼんのうはつきません。 きっとなくします。 おしえはまだまだあります。 きっとまなびます。 さとりはかならずあそこにあります。 きっとなしとげます。 (「読み解き「般若心経」」朝日新聞出版社)力強くてシンプルで、そしてしなやか。ちなみにオリジナルはこちら↓ 衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) 煩悩無盡誓願断(ぼんおうむじんせいがんだん) 法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく) 仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)久しぶりに私のお経熱に灯がついた。特に、本書で観音経の魅力にやられてしまった私は、早速CDを買い求めるつもりである。このノリ、まるでお気に入りのミュージシャンを発見した気分。本書にはこんな風に書かれている。「観音経というのは「般若心経」みたいな独立したお経ではなく、いわば「法華経」というアルバムからシングルカットされたお経なのであった」シ、シングルカット・・・(笑)。ともあれ、年の初めに素晴らしい本に出会えて満足である。ねんぴーかんのんりき
2010.01.25
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お正月はほんとうに良いお天気。朝、近くの公園からは富士山がくっきりと見え、夜は満月に星がきらきら。縁起がいいですねー。2010年、なかなか素敵なスタートです。今年はこれまでの枠にとらわれずに、新しいことをいろいろやって遊びたいです。今年やってみたいことを、すでに3つ決めてあるし(楽しみ~!)、これまであまり着なかった色やデザインの服、新しい髪型も試してみたい。去年はほとんど行けなかったコンサートや芝居も見に行きたいな。なんだかわくわくします。今年のテーマは「新しいことをやって遊ぶ」で決まり。内面的なこと・学びに関することでは、これ以上新しいことを身に付けるよりは、ここ10年自分に投資して学んできたことを、暮らしのすみずみで透徹していくことかな。尊敬、信頼、そして責任を学んでいく1年になるでしょう。信頼とは ただ疑いを動機として生きないということだ存在へのそれほどの信頼、それほどまでにもゆらぐことのない信頼は、あなたが責任を引き受け始めたときに生じてくる。自分のまわりのちいさな物事に対する責任をより感じるようになるにつれて存在は千倍ものかたちで応え続けてくれるあらゆるものへの敬意(OSHO)今年も良い年となりますように。
2010.01.01
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あっというまの一年。子どもたちは二人とも思春期になり、親としての自分を試されることも多々あり。それにつれて、私も「いい年」になってきた。からだの変化と記憶力の衰退がいちじるしい。そんな私のこの一年は・・・【歩きました】万歩計をつけ続けること1年以上。毎日7000~10,000歩は達成。自転車に乗ることが全くなくなり、徒歩圏がかなり拡大。【始めたこと】わけあって朝のランニング。【印象に残った本】「タッチハンガー」三砂ちづる著からだは恩寵。毎日同じことをするということ。思うようにならないことを学ぶ、ということ。ブラジル版アリとキリギリスの美しいお話。他にも「大人のための仏教童話」(東ゆみこ)「なぜ勉強させるのか」(諏訪哲二)など。【心に沁みたこと】ここには詳しく書けないが、友人が「闘病記」を出版した。病を得たことで、彼女は自分だけの「神さま」に出会ったのだった。一時期すごく近くにいたのに、絶望と死の淵をさまよっていた彼女の状態を私は知らなかった。その彼女は今、彼女の「神さま」と二人の子どもたちと共に暮らしている。良い本を、ありがとう。もうひとりの友人、この彼女も今年「神さま」(←こっちは日本の神さま)に出会ってしまった人だ。いさぎよく仕事もやめて、地方に引越しまでしてしまった。はたで見ていて気持ちいいほどのいさぎよさにほれぼれする。彼女に迷いが見えないのはなぜか?それは「神さま」といっしょにいるからなんだね。【心に残った言葉】「同居が毎日お祝いしているようなもんさ」「はたらくことがわたしの祈り」 【心に残った旅】伊勢神宮。京都。円教寺。【一区切り】今年、ここ10年以上勉強してきたことに、一線をひいた。これでよし。来年はまた、新しくなるはず。【このブログについて】検索などで偶然見つけられることがあるらしく、はからずもこのブログを目にする知人もいる(らしい)ことを知り、あまり具体的なことが書けないなあ、と思うようになった。そう簡単に「見つけられる」と思うと、自由に書けなくなる。そういうこともあって、今年もうやめようかと思ったこともあったが、やはり自分の忘備禄のために残すことにした。(もの忘れが激しいもので、自分の記録のために・・・)2005年に始め4年近く続けてきたこのブログで、自分なりに守ってきたことが三つある。・読んだ人が不幸になることは書かない・書いた自分が不幸になることは書かない・うそは書かないこの三つは守れてきていると思う。今年一年、無事終えることができました。来年も良い年でありますように。
2009.12.31
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今年の大掃除、ほぼ無事終了です。26日キッチンの不要品処分27日ガスレンジやフード磨き。ゴミ箱新調。28日リビングの不要品処分。29日トイレと洗面所とお風呂場(娘担当)と玄関を一気に。30日リビング以外の二部屋とガラス拭き(家族全員)。そして障子張替え(夫担当)31日庭まわり(の予定)いや~。腰がいたいっす。日々の不精生活がたたって、年末の大掃除は毎年大変なことになってしまうのだが、今年はわりと大変さが軽減された気がする。さすがに毎年不要品を捨てつづけているので、モノの総量が減ってきているせいかな。それとも掃除道が身についてきたのか?(そうであってほしい)大掃除を始めて三日くらいでエンジンがかかりはじめ、「なんか大掃除って楽しいじゃん!」と思っている自分に驚く。少しは成長しているのでしょうか??いっしょに掃除していた娘も、「きれいな部屋だと掃除が楽しくなるね!」とのこと。そのとおり!掃除を楽しくするために、部屋をきれいにしなくちゃ!あれ?なんか逆?それでは奮闘の記録を写真でどうぞ。まずは娘の奮闘ぶりを。子ども部屋。心臓の悪い方はここから先ご遠慮ください。↓掃除前(うをを~すごいですっ!)↓掃除後はこちらミラクルですね。これ、娘がひとりである日突然ひっそりとやったのであります。誰に言われたのでもなく。娘を尊敬します!それでは例年奮闘しているあの開かずの部屋を。↓掃除前(ケロロ軍曹ひっくり返っています)↓掃除後↓別角度から掃除前↓掃除後よくがんばりました!今年もお疲れさん!!
2009.12.30
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月はじめに、仕事で広島へ。母が被爆者だからなのか、それとも私が日本人だからなのか。爆心地近くを訪れると涙が出る。自分の命が、たくさんの方の犠牲の上にあると改めて思う。自分が日本人であることに複雑な感情を抱いていることがよくわかる。それでも縁あって私は日本人に生まれた。・・・・・・・・・・・・・・・・出張から帰ると、お祝いの日々。12月、パートナーである夫君の誕生日。おめでとう。あなたと結婚できたのは、人生の宝くじに当たったようなもの。それなのに、いつもキツイこと言ったりぞんざいに扱ったりしてごめんなさい~。ふつつかものの妻でありますがこれからもよろしく。そしてクリスマスはこんな感じで。ちょっと変わった飾りがついていますが・・・(息子作)。ケーキがば~ちゃんとかぶってしまって、ダブルケーキ。さすがにもうジングルベルは歌いませんが。それでも聖なる気分になるのは不思議。今年も無事クリスマスが過ごせました。
2009.12.29
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近年まれに見る忙しさのため、ブログの更新が止まっていました。記憶力が衰えてきた今日この頃、自分自身の忘備禄のために過去の記録をまとめておきます。・・・・・・・・・・・・・・・11月、わが家はお誕生日ラッシュ。おめでとう&おめでとう!こんなにやさしくてユニークな子どもたちにめぐまれて、私はほんとうに幸せ者。ふつつかものの母ですが、これからもどうぞよろしく。さて11月は、年に一度の仲間たちとの「お祭り」の日。七夕みたいに1年に1回、ここで再会する人がたくさんいる。ひさしぶりに話がはずんでお酒もはずんで、友だちと踊りまくって、はめをはずし(すぎた)1日。・・・楽しかった!でも久々に再会した友人に「太ったあ?」と言われてショックー!(でも事実よ~)宮迫千鶴さんの個展にも行って来た。ずっと楽しみにしていたのだ。会場に入ると、そこは明るくて陽気で、それでいて静謐な宮迫さんワールド。しばらく宮迫さんの作品に囲まれて、その波動を浴びていた私。やっぱ暮らしにはアートが必要よね。会場にいらした画家でお連れ合いの谷川晃一さんが、きさくに話し掛けてくださった。宮迫さんが亡くなったあと、こんな原稿が出てきてね、と、新しい本についてもいろいろと教えていただき、過去の作品についても「ほら、こんなのもあったんですよ」なんてやさしく解説してくださって、ほんわかと心あたたかな気持ちに。谷川さん、ありがとうございました。私の暮らしにも宮迫さんの陽気で静かな魔女エッセンスがほしくって、ちいさなポスターを買って帰ってきた。それからこちらも↓、年上の素敵な友人の展覧会へ家族一同で出かける。いつ会っても素敵な女性。素敵なご夫婦。久しぶりに会う息子たちは、照れくさそう。・・・・・・・・・・・・・・・さて今年の11月は、仕事上の一大イベントが無事終了。このイベントに向けてひたすら走りつづけてきた1年だったので、とにかく無事成功をおさめられたことに安堵感でいっぱいである。一時は死ぬかと思ったほどの、この類まれなる忙しさとプレッシャーの日々を駆け抜けられたのも、職場のスタッフのおかげ。有能でチャーミングでユニーク、そんな最高のスタッフたちに心から感謝。それから、ずっと協力しつづけてくれた家族にも、ありがとう。
2009.11.30
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昨日は東欧にある小さな国からいらっしゃった女性のお話をききに行って来た。笑顔がほんとうにチャーミングで、柔軟で、勇気を持った女性。「同じであることは私たちをつなげ、違っていることは私たちを成長させる」その実例をたくさんきかせていただいた。私たちは他人と(あるいは他の文化と)同じところや似ていることろを見つけると安心し、親しみを持ち、距離が近くなり、つながりを感じる。逆に他との違いがあると、私たちは不安になり、時には怒りや葛藤を感じる。しかし違いがあるからより自分のことがくっきり見えたり、相手を理解しようという気持になったり、自分の考えや行動を変えるチャンスにもなる。それらはすべてリスキーなこと。リスクを引き受けるには、勇気が必要。つまり、それが成長するということなのだ。・・・となると。成長しないこととは、・自分を見ようとしないこと・相手を理解しようとしないこと・自分の考えや行動を変えようとしないこと・リスクから逃げること(臆病であること)ということか。いや~耳が痛い、ですね。考えや行動をころころ変えるのも考えものだが、それに頑固に固執するのも未熟だ。他民族とのつきあいなしには生きていけない東欧の小国だからこそ、のお話でした。お話の後は、仲間たちとイタリアンレストランで打ち上げ。おいしいワインとお料理。舌のご馳走はもちろん、会話のご馳走もだっぷり味わった。。。。楽しかったー。これまではイベントの打ち上げや飲み会には参加せずに帰宅することが多かったけど、子どもたちも大きくなったことだし、これからは参加しようかな。
2009.11.01
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昨日の夕刊に、「魔女の宅急便」が24年経て完結という記事が出ていた。13歳だった魔女のキキは、その後大人となり双子の母となったそうだ。作者の角野栄子さんのお話が載っていた。「私自身、5歳のときに母を亡くし、何も継げなかったとずっと悩んでいたから」そうだったのか。。。そんな角野さんは、「姿は見えなくてもお母さんがいつも見守ってくれている」と信じ、<見えないもの>に思いをはせた。それがやがて「お話作り」へとつながったという。「母は、<見えない世界を想像する力>をくれたと、今やっと思えるようになりました」素敵だなあ…。私が大好きな角野さんの作品は「ライオンくんをごしょうたい」。この本に出てくる「おかあさん」が、好き。私のあこがれの「おかあさん」なのだ。おひさまのようにあったかくておおらかで、子どもたちの味方で。そして子どもたちや、ライオンくんとも一緒に遊びを楽しめる「おかあさん」。夜ごと子どもたちにこの本を読んであげながら、私自身が誰よりも癒されていた。あの「おかあさん」を描いた角野さんの、母を亡くした話と、亡くしたからこそ得られた宝物のお話に、感動してしまった。「今は魔法のように便利なものに囲まれ、自分の力、<自分のなかの魔法>に気づきにくい時代。でも、誰にも必ず何かひとつはあると、伝えたいですね」(by角野栄子さん)<見えないもの>に思いをはせる力と<自分(ひとの)のなかの魔法>に気づく力母になったキキのお話、読んでみようかな。
2009.10.29
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昨日、隔週で通っている整体の先生に、からだをみてもらった。このブログにもときどき登場するこの先生には、心身ともにほんとうにお世話になっている。昨日は私のからだに触れたとたんに「あららどうしたのこんなになっちゃって」「こんなに首がまがっちゃって」とおっしゃる。えー。そんなにひどい? 忙しかったからかなあ?でもひょっとして…と、ふと思い当たることをお話してみたら、つぎからつぎへと言葉が出てくる自分にちょっと驚く。気がついたら、ここ数日気になっていたささやかな「悩み」をつらつらとしゃべっていた。こんなときの先生は、まさに的確なことをおっしゃってくださる。「あはは。あなたはだいじょうぶよお」「その方向は、あなたに合ってるわよお」と、だいたいまずはそうおっしゃるのだが、それが単なる励ましや気休めでないことがよくわかるのは、「あなたのからだ(野口整体で言う「体癖」)は、それを乗り越えられるようにできているから」とか「あなたのからだ(体癖)は、それに取り組むことでより健康になれる」とか、わたしのからだにきいたうえでアドバイスしてくれるからだ。決して一般論ではなく。野口整体は、その人固有の内側にある力(健康になりたい力、生きる方向の力)が、その人らしく伸びていけるように働きかける(これが愉気、かな)。その人が伸びていきたくない方向にいくら働きかけても、それはその人を殺す方向にしか働かない。(それを「強制」もしくは「矯正」という)そのとき深く「そうなのか!!」と思った。そして、私の子どもたちへの日々の対応をちょびっと反省。。。愉気(勇気づけ)の方向ではなく、強制・矯正(勇気くじき)の方向でつい接してしまうよなあ、と思って。先生からのアドバイス。「まずはからだをととのえなさい。 息を深く吐き、背骨に息を吸い込みなさい。 ゆがんだからだのままで何を考えても、ゆがんだ考えしか出てこない。 そうすると後ろ向きになり、堂々巡りから出られなくなる。 ちゃんと考えて決断するには、まずはからだをととのえること」はい。わかりました。と、深々と頭を下げて、帰宅したのでした。
2009.10.28
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毎回楽しみにしている朝日新聞の文芸時評@斉藤美奈子。今朝の回も楽しませていただいた。ひょっとして在日文学のパロディ?と紹介してある「ボーダー&レス」(藤代泉)、読んでみたい。時代は変わっているんだよなあ。。。金城一紀の「GO」が出たときもそう思ったけど。あと10年後、20年後の世界が、もはや私には想像できない。それにしても、斉藤姉の文章はイキが良い(毎回ですが)。最近の若い小説家の作品をほめつつも、「断片的なエピソードを次々と投入してくるあたり、もしかして退屈恐怖症?」というくだりが笑えた。「そう、このノリはお笑いの世界に近いのだ」「加えて言えばマジレス(まじめに応答すること)恐怖症?」するどいなあ。そして締めは次の言葉。「これはこれで悪くない。ただし、『少し落ち着け』ともいっておこう。地に足をつけて個々の逸話をじっくり書く方法もあるんだからね」はい。そうします。なんだか自分のことを言われているようだったので。
2009.10.27
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ごぶさたです。9月に始まった多忙な出張の日々が終わるとすぐに、子どもたちがインフルエンザにかかり、とにかく日々がやるべきことをこなすことで過ぎておりました。さて、昨日は息子の学校での合唱コンクールへ行ってきました。。。。そりゃあもう、素晴らしかったです。とてもとても感動してしまった。。。その中で特に印象に残った歌に、「虹」という曲がありました。(上級生が歌った歌だけど)特に曲の中の次のフレーズに耳が釘付けになり・・・「僕らの出会いを 誰かが別れと呼んだ 雨上がりの坂道 僕らの別れを 誰かが出会いと呼んだ」がーーーん!と頭の中に鐘がなり、その次につづくのは「僕らの喜びを 誰かが悲しみと呼んだ 風に揺れるブランコ 僕らの悲しみを 誰かが喜びと呼んだ」泣きましたね。忘れられないフレーズです。帰宅して調べてみると、森山直太朗が中学生合唱用につくった歌のようですね。出会いは別れと表裏一体で、喜びと悲しみも表裏一体で。そう思うと、生きることは死ぬことと表裏一体で、成長することは老いることと表裏一体で。そばにいることは、離れることと表裏一体で。どちらが欠けても一方は成立しない。目の前の愛しい人とも、いつかは別れのときがくる。子どもたちや家族とも。そんな冷酷な現実が美しいメロディーにのって伝わってくる歌でした。いや。それは冷酷ではなくて、そうだからこそ美しい現実なのだな。きっと。しかもさいわいなるかな、別れは出会いであり、悲しみは喜びなのだから。なんてことを考えながら、終日こちらを流しっぱなしにしている私。
2009.10.25
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クレヨンしんちゃんの原作者がお亡くなりになったそうです。漫画本としては読んだことはなかったけど、TVアニメは子どもたちとよく見ていました。クレヨンしんちゃん、最高です。私は大好きです。しんちゃんの大人への風刺はするどくて、毎回笑わせていただきました。また、子育ての大変さをにじませる母みさえや、サラリーマンの悲哀をにじませる父ひろし?など、いつも共感なしには見れません。アニメの中でしんちゃんの家が火事になってしまったときは、ほんとうに悲しかった。。。PTAが「子どもに見せたくないアニメ」とか言ってるらしいですが(笑)、いじめや暴力シーンのないアニメとしては稀有の存在です。アトムだって、アンパンマンだって、よく見ると暴力シーン満載ですよ。(まあ正義が悪をやっつける暴力なので、あまり気がつかないのだけどね)臼井儀人さんのご冥福をお祈りいたします。
2009.09.22
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大型連休中はずっとお仕事続行中。さすがに心身ともにしんどくて、帰宅後夜9時半には横になってしまう私である。昼間は暇をもてあましていた娘は、夜は仕事帰りの母とたっぷりおしゃべりしたい様子。疲れて横になろうとする私に、「もう寝るの?」とさびしそう。ごめんよ。娘。おいら今寝ておかないと、あと2日のお仕事、からだがもたないよ。いや~すまんすまん、と思いつつ布団にもぐりこむと家族みんながお布団のまわりにごろごろと集まってくる。寝ているそばで逆立ちの練習をはじめる娘。横に寝転がろうとする夫にのしかかって、プロレス技をかける息子。あったかいなあ。ありがたいなあ。こうやって私はいつも、家族に支えられているなあ、と思う。(睡眠のじゃまされているんだけどね…笑)見たいTV番組が始まると、家族は三々五々リビングへと移動していった。「いつもお仕事ご苦労さん。感謝してるよ」とは、リビングへ去り際の夫の言葉。こちらこそありがとう。いつも感謝を忘れてしまう私だけど、みんなにささえられてあることに、今とても感謝しています。
2009.09.21
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秋の大型連休、いわゆるシルバーウィーク、どこにも出かけず家族と一緒にのんびりしたいな♪ と思っていたところだったのですが。。。お仕事です。。。(涙)5連休中4日連続でお仕事という素晴らしい展開になってきました(とほほ)。しかしまあ、このご時勢に、いただけるお仕事があるというだけでもありがたいことです。そう思って家族にこの衝撃の事実を伝えると、「…がんば」と一言、息子からレスポンス。ありがとう。息子よ。ところで、四連続のお仕事に入る前日、つまり明日はもっと大変なお仕事です。150名ほどの方を対象とした講演のお仕事。しかも二時間半も。内心、大変いやがっております(泣)。しかし、しようがありませんな。昨日整体の先生にそう泣きついたら、「あら、あなたには合っているのよ、そういうお仕事」「じゃんじゃん働いて、人々のお役に立ちなさいな」と、ばっちり背中を押されてしまいました。はい。。。わかりました先生(泣)。そんなわけで、来る四連続+一仕事=合計五日連続大仕事週間に突入します。明日の講演の草案は、今日の午前中にあらかた決定したので、あとはやるだけです。度胸と根性で?やりきるしかないですね。
2009.09.17
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先日、兵庫県は姫路にある圓教寺という素晴らしいお寺に行ってきました。山の上までロープウェイで上ると、そこは俗世間からはちょっとばかり隔絶されたような空間。圓教寺というところは、映画「ラストサムライ」のロケ地で有名だそうで、西国三十三観音霊場第二十七番札所でもあるそうです。縁あってお仕事でこの地を訪れることができて、しあわせでした。早朝の座禅は、千年の歴史があるお堂の中で行われます。お堂の中は真っ暗で、ろうそくの灯だけがたよりです。大仏様のお膝元に座らせていただきました。座禅中に、まぶたの裏側で、祖母が会いに来てくれました。祖母は私が小学生の頃に亡くなりました。晩年はさびしい思いをさせてしまったことを、子供心に悔いていました。しかし、このとき再会した祖母は、若くて元気な姿をしていました。エプロン姿で、幼かった私の名前をにこにこと呼びました。こんなふうにありありと祖母の笑顔を思い出したのは、ほんとうに何十年かぶりのこと。私はこんなに愛されていたのだなあ、と感じたしあわせな時間でした。まあしかし、良い思いも悪い思いも、すべてはまぼろし。せっかく座禅をさせていただいているのだから、しがみつかずに反芻せずに、静かにその「思い」から「離れる」ことにいたしました。厭離一切倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)↑なんて般若心経の一文を思い出しつつも、やはりあのあたたかな祖母の笑顔が、いつまでもからだに残っていて、しあわせなのでした。
2009.09.14
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昨日の新聞で、演出家の竹内敏晴さんが亡くなったことを知った。私が竹内さんのレッスンをはじめて受けたのは、20代後半の頃だった。新宿にあった竹内演劇研究所ではじめて竹内さんにお会いしたときのことを、よく覚えている。やわらかい空気をまとったお方で、竹内さんに「あなたの声、いいねえ」とほめられたことが、いまだに自慢である。あそこで学んだことが何だったのか、なんだかいまだによくわからない。よくわからない、というか、いまだにうまく言葉にできないのである。それでも、強烈に影響を受けたお一人である。後に私が鍼灸指圧などの「からだ方面」に進んだのも、竹内さんの「こころとからだのレッスン」との出会いが、最初のきっかけだったと思う。そして今、コミュニケーションに関する仕事をしているのも、ひょっとして出発点は竹内演劇研究所だったのかもしれない、とふと思った。竹内先生、ほんとうにお世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
2009.09.11
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あっというまに夏が終りに近づき・・・今日は娘の提案で、花火をすることにした。今年最初で最後の花火。家族総出で、(蚊にくわれながら)庭に集まって線香花火に興じるわが家。この地球の悠久の歴史を思えば、私たち家族がともにすごせる時間なんて、この線香花火のように、ほんの一瞬にすぎないんだよなあ。そう思うとなんだかせつなく、家族ってやっぱりいいよなあ。と、しみじみとしあわせに思った夜。さて、9月に入って私は仕事のほうが大忙し。先週から出張の嵐シーズンに突入中である。明日からは、とある関西の山の上のお寺にて、お仕事。朝は5時起きで、座禅と写経つきのお仕事?である。嗚呼、楽しみ…のようなちょっと怖いような。ともあれ、明日はお寺です。
2009.09.07
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三重県の四日市市、伊勢松本駅の近くにある大好きな本屋さん「メリーゴーランド」に行ってきました。最初に訪れたのが、もう二年ほど前のこと。あれから二年かあ。かの地に出張のたびに、時間をみつけては二駅余分に乗っては訪れていたのです。そんな二年間ずっと続いた三重県への出張も、あと1回で終り。最後の出張の日は、ついでにちょっと足を伸ばして伊勢神宮を再訪したいと思っているのです。そうなると、メリーゴーランド詣では、これで最後になるかもしれません。ここでは何冊も本を購入しました。なかでも清水真砂子さんの本は、忘れられない一冊。この書店で過ごした、なんともいえないゆったりした空間と時間は、忘れられない宝物です。子どもたちがわらわらとやってきては、勝手に座り込んで本を読みふけったり、はしごに登って本を探したりしているかんじが、いいんですよお。平積みの本の上に、「この本はぜひ立ち読みをおすすめします」なんて書いてあったりしてね。記念に?雑貨コーナーで小さなポーチと白いスカーフを購入。それから本も一冊。これまでお世話になりました。と、スタッフの人にお礼を言い、お店をあとにしました。三重なんて一生行くこともないだろうと、メリーゴーランド訪問を完全にあきらめていた10年前。今の仕事のおかげで、その夢がなんなくかなってしまったことが、いまだに信じられない。今度は、京都店に行ってみたいな。↑お日さまのディスプレイが素敵でした↑帰り道。夜の伊勢松本駅。だ~れもいないんです。
2009.08.19
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思いがけず、なつかしい友人から手紙が届きました。「60才まであと3年!」を胸に、そこへむけて準備をしていること。これまでのことを「完」にして、何かとっても新しく、また素の自分に戻れることを胸にみていること。それがなんだかわからないけど、とてもわくわくしていること。そんなことが書いてあり、私のほうまでわくわくが伝染してしまいました。「コレまでのことを『完』にして、何かとっても新しく」という言葉が、胸に響いてとても素敵!そういうスタートも切れるよね。これから。私だったら、どんな新しいスターをきろうかなあ。…なんて考えていると、ほんとうに心の底からわくわくしてきて。いつも新しくて、でもニュートラルで柔軟な、この年上の友人の存在に、私はこれまでときおり支えられてきたのでした。10年後の自分、どんな風になっているのだろう?「コレまでのことを『完』にして、何かとっても新しく」生きていくためにも、健康に気をつけて長生きしなくちゃ(?)ね。
2009.08.18
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仕事から帰ると、娘が自分のものを片付けていました。捨てるものをせっせと捨て、リビングの一角がすっきりきれいに!モノがないって、すっきりしますね。ほんとう~~に。自分まで浄化された気分です。夜は、息子の要請を受けて、英作文の宿題につきあいました。「え~と、『ぼくは亀を飼っています』から始めたいな」「う~ん、I keep the turtle. かな。have でもいいんじゃないかな」一文一文電子辞書と首っ引きになり、ああでもないこうでもないと取り組む息子をひたすらサポート。「『僕の亀の種類はミシシッピアオウミガメといって、アメリカ原産ですが日本ではわりとポピュラーな種類です。友人が飼っていた亀にならって、僕は似たような名前をつけることにしました』」…もうそのへんにくると、もうお手上げで、二人して頭をかかえてうなりながらの英作文。できあがったのは、なんだか微妙にへんな英作文となりましたが、本人は満足そうです。今秋、仕事関係でイギリスからのお客様をお迎えすることになっており、プライベートで勉強している分野でも、ラトビアからお客様がいらっしゃるので、なんとか簡単な英語はしゃべれるようになっておきたい私です。息子も頑張ってることだし、わたしもそろそろ英語プロジェクトを始動しなければ。ともあれ、子どもたち二人のがんばりに触発された夜でした。
2009.08.17
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かの有名なハチ公のお話。娘に「観にいこうよ~」と言われていて、「ううん…ハチ公かあ。。おつきあいするかなあ。。。」などと思っていたものの、その映画「HACHI 約束の犬」の監督が、「マイライフ・アズ・アドッグ」「ギルバートグレイブ」の監督と同一人物ときき、がぜん観る気になりました。(単純です)そりゃあ物語もわかっているし結末もわかっているし、ただ犬がご主人を待ち続けるだけのお話なんだけど、しみじみと、とても良かったです。ただ「待ち続けるだけ」のお話だから、感動してしまうのかな。館内は意外にお年寄りの方々が多く、それもよくわかる気がします。誰しも、誰かをずっと待ち続けた経験はあるにちがいないのですもの。私も。これまでも、これからも、きっとあるのでしょう。「待つ」ということは、尊いことでもあるんだよなあ。娘と涙ぼろぼろになって、映画館を後にしました。夫に車で迎え居に来てもらい、これで楽しいお盆休みは終りです。↓わが家のHACHI(コロ)
2009.08.16
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昨日は、子どもたちがそれぞれ出かけてしまったので、やることのない私たち夫婦は、自然発生的にお掃除を始めたのであった。私は台所へ。夫は庭へ。もくもくと。ひたすら淡々と。それなりにきれいになって満足。本日は、息子にはっぱをかけて、子どもたちも巻き込んで大掃除。ちょびっと息子の机を動かしただけで、ものすごい埃の堆積がわんさか。あまりのすごさに、息子も私もマスクを装着。動き始めたらもう止まらない。放出されたがらくたたちの山積みは、高くなるばかり。佳境に入ったところで、この日は外に出ていた夫からお誘いの電話。う~~ん、佳境なんですけど。。。しかし誘惑に負け、友人たちとピクニック(というか単なる飲み会)を楽しむ夫に合流。当然、大掃除は途中でストップしたままである。
2009.08.15
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昨夜は夫とふたりで外食。ふたりだけで出かけるのは久しぶり。1軒目、息子のクラスメートのお父さんがやっているお店へ。お店を手伝う息子のクラスメート君を見て、ふたりとも感心のまなざし。混んできたので2軒目へ。そこで話はあらぬ方向へ。子育てや生き方の方向性をめぐり、なぜか口論になってしまう。あれれ?なぜだろう?と冷静になったのは、夜中のこと。あんなことを話すつもりではなかったのになあ。昨夜の私の言葉は全く真意ではなかったなあ、と思い、言い過ぎたことを謝った。年をとり、子どもたちも大きくなり、いろんなことを不安に思っている自分がいるのだなあということが、よくわかった。まったく。いつまでたっても未熟な私である。こんな私と文句も言わずに暮らしてくれている夫や子どもたちに、心から感謝。
2009.08.14
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大阪出張~京都帰省の旅から、無事帰還。ほんとうに楽しい家族旅行&帰省だった。さて、旅行中宿泊したホテルでのこと。朝、ベッドや浴衣をぐちゃぐちゃに放り出したまま出かけようとする娘に「少しきれいに整えてから出かけない?」と提案した。「どうしてしなきゃならないの? だってお掃除の人がきれいにやってくれるでしょ?」と、娘。「たしかにそうだね。でもそれは、人としてさあ…」そのあと、どう言葉をつなげたのか覚えていない。でも、ふと思ったのだ。「どうして掃除しなきゃならないの?」「どうして家事をしなきゃならないの?」「どうして挨拶しなきゃならないの?」「どうしてごはん食べるときにちゃんと座らなきゃならないの?」「どうして勉強しなきゃならないの?」それらの問いは、私のなかにも若い頃からずっとあったものだ。今だってある。それらの問いから逃げたくて、あるいは反発して、掃除も家事も礼儀作法も親戚づきあいも勉強も、やりたくないことはずっと忌み嫌って避けてきたのだ。人は、やりたいことだけをやればよいのだと思って生きてきた。だから近所づきあいも親戚づきあいも、意見価値観がちがう人との交流も、めんどうくさいことやしんどいことは、ずっと避けてきた。そういうわけで夫や自分の親戚づきあいも、無意識的に避けてきた。「どうしてつきあわなくちゃならないの?」と。まったく子どもだよなあ、と、今は思う。最近息子が、学校の三者面談の場で「どうして英語の勉強しなきゃならないんですか」と先生に問うていた。そのときも、私は思ったのだ。『大事な問いだね。 だから、ちゃんと答えていくんだよ 時間がかかってもいいから』と。自分がちゃんと答えられているかどうか、はなはだ自信はない。しかしそういう問いに、真正面から答えていけるよう手助けしたり、その問いにちゃんと答えながら生きている私自身の姿を見せることが、親としての大事な役割なのだと、最近つくづく思う。掃除や家事や挨拶や人付き合いや勉強やなんやかやと日々どうつきあっていくかが、すなわち生きていくことなんだから。
2009.08.12
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義母と合流して、金閣寺。金閣寺からのぞむ山には、くっきりと大文字焼きの大の字が。午後からは夫の弟家族も加わり、みんなで清水寺へ。千日詣りの真っ最中で、すごい人の数。阿弥陀堂は、文治4年(1188)法然上人が常行念仏を修されたところ。千年近くの時を想い、しばし法然上人と対話(…といいたいところだけど、相変わらず私の内側は小言がうるさくてあまり対話にならず。。。)昨年は、法然、親鸞にはまって本をよみあさった年だった。その熱がある程度さめてから、こんなふうにゆかりの地を訪れることができて、幸せである。帰り道、かねてから欲しかった鳥獣戯画のお皿を購入。満足です。
2009.08.11
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午前中、お寺と仏像を堪能した私たち家族は、午後二手に分かれて行動。男組(夫と息子)は、歴史探訪グループとして、二条城をはじめ歴史遺産をめぐる。女組(私と娘)は、四条河原町でショッピング。私はぜひとも行きたかったお店、伊勢木綿の衣料品を扱うsousouへ。sousouとの出会いは、伊勢神宮内宮を訪れたときだった。神宮前のおかげ横丁にあった干物屋さんで、偶然見つけて衝動買いした麻のパンツと木綿のスカートが、sousouのものだった。それ以来、京都に行ったらぜひとも本店に行きたいなあ、と思っていたのだ。小さなお店だったけど、よだれが出るほどうれしかった。麻のキュロットと、麻の小巾折を購入。娘にも、かわいい柄の小巾折バッグを購入。満足です。以下、sousouという店名の由来について(ホームページより)。私たち日本人は自分自身や物事を考える時、人との会話の中で「そう、そう」と肯定しながら、又、相手の事を「そう、そう」と認めることによって、お互いを確認・発見・発展させ、そして社会を築いていくように思います。外国の方から「日本人同士の会話には、“ソウソウ”という音が多い」という事を聞いたことがあります。意識してみると、ありとあらゆる人が毎日そこら中で使っている言葉だということに気づきます。そう思ってみると、会話の中で「そうそう」という言葉が、なんと多いことかと気づかされる。それだけ、互いの話を肯定しあいながら会話を交わしているのだと思うと、なんともうれしい。旅の間中、身に着けるものはずっとsousou。これからの日常も、「そうそう」と、ささやかに肯定しあえる日々でありますよう。
2009.08.10
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朝一番に、東本願寺へ。三十三間堂へ。息を呑むような荘厳さ。千手観音様があれだけの数(千人)で勢ぞろいしていらっしゃるお姿に、いにしえの人々の願いがひしひしと伝わってくる。私たちは、こんなにもたくさんの御手に助けられて生きている。なにかあったとしても、きっとこれだけのたくさんの御手が差し伸べられるだろう。だから私も、そんな御手のひとつとなろう。
2009.08.10
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大阪へ出張。仕事が終わり次第、夫や子どもたちと京都で待ち合わせ。合流して夜の京都の街を歩く。娘は滞在するホテルのベッドの上で飛び跳ねて大喜び。私はというと、仕事疲れと京都の暑さにへとへと。さて、これより夫の実家がある京都滞在が始まる。「里帰り」的に京都に帰るのは、なんと6年ぶりのことだ。昔、結婚して間もない頃は、京都の実家に帰るのが重荷だった。義親とは結婚当初からぎくしゃくしていたこともあるが、「嫁」の役割と「自分らしさ」のはざまで、どうしてよいのかまるでわからず、ひとりで困っていた。相談できる人もいなかったし、近しい人にもどう相談していいのかもわからなかった。「実家の人々」とどうつきあったらいいのか、まるでわからなかったのだ。しかし私も年をとり、役割上の自分と素の自分とを、それほど矛盾もなく共存させることができるようになった。今となってみれば、それほど難しいことではなかったのだ。しかしここまでくるには、相当の時間と経験とが必要だったなあ。痛い結末を体験したことも、大事なことだった。少しは成長したのかもしれない、と思う。
2009.08.09
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出張先の仕事に出かける朝、5時に起きて、再び伊勢神宮外宮に出かける。霧雨がだんだん本降りになる中、傘をさして早朝の伊勢の森を歩く。そういえば…中学生の頃、早朝学校へ行く前に、神社にお参りに出かけていたことを思い出した。しかしその神社は、電車に乗って3~4駅もあるところで、駅からも徒歩20分ほどかかっていたはず。なんでそんな遠方の神社に、ひとりで出かけていたのか不思議である。中一の女子がである。(謎だ)まあ、そんなことを思い出しながら伊勢の森の中をお散歩させていただいた。本日も、まことに雑音だらけの私である。今度訪れるときには、少しは神さまのお声が届くように、今より少しばかり静かに澄んだ内側でいられるようにお掃除しておきます。…と、伊勢の神さまにお約束してきました。また、近々訪れることでしょう。
2009.08.02
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念願の伊勢神宮へ。伊勢市近郊への出張が決まったときから、伊勢神宮を訪れようと決めていた。これまでも何度がチャンスがあったものの、やっと訪れることができた。雨の中、傘をさして参拝。友人のSちゃんは、伊勢神宮にお参りしたときに「お告げ」が聞こえて、それから人生が変わってしまった。しかし「お告げ」以前から、ちょっとずつ彼女の生き方が変わってきているのは周囲にはわかっていた。だから、神さまが彼女にお告げをなさったのではない。彼女がそれを、「聞いた」のだ。私にはなにか聞こえるかな? …なんて、半分まじめに思って訪れたのだった。もちろん、なんにも聞こえやしない。あたりまえだ。私の心の中は雑念でいっぱいで、いつも内側はわんわんとうるさくて、神様の声なんか聞こえないのだ。「嗚呼、なんてうるさいの?私」伊勢神宮の中をひとり歩いていると、そのあまりにも澄んだ空気と静けさに、自分自身の内側にある騒音が、はっきりとあらわになる。どうか、私自身が静まりますように。清まりますように。そう手を合わせてお祈りした。
2009.08.01
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