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基本的に転倒って無駄かもしれませんが、そんな中でも、”こんなつまらない事でコケた”なんていう物を集めてみました。もちろん”アイスのサジ踏んでコケた”なんていった立ちゴケは論外です。1.MBX 自宅から近くのコーナーを曲がっている最中、出口でバスが止まっていて握りゴケ。 小指の(骨折+脱臼)2.RGガンマ(3型) 前日ノータッチでタイヤを掃除した。自宅から近くのコーナーで当然転倒。タイヤワック スが滑るものということをコレで知った。3.RGガンマ(3型) 雨上がりの●●山。免停明けでうれしくて、しばらくリヤを滑らしながら曲がってい た。ふとした思い付きで外足荷重したとたん、ハイサイドで振り飛ばされる。 足を7針縫う。4.GSX-R750WN ●●山走行時、コーナーを曲がっている最中、出口でいきなり車が停車してて、フロント ブレーキを探りながら握り、ロックしたところでリリースしたら、フロントからのハイサ イド。 停車中の車で背中を強打し、初めての救急車!5.GSX-R750WN ウォーマー無しの真冬の岡国走行。2周目でもまだタイヤが温もっておらず転倒。6.NSR 真夏であったため、面倒でウォーマー無しで出走。 1周目からガンガンパッシングしながら走っていると、マイクナイト(最終の1個手前) で大きくリヤを滑らすものの、立ち直ってしまう。 しかし、向いた先は最終アウトのタイヤバリヤ。 そのままコースアウトしてバリヤの手前で無理やり転倒。 まだタイヤが温まりきってなかったようだ。7.DEGREE タイヤ交換直後の雨上がり。自宅を出て1個目の交差点で立ち上がり、チョイとリヤを滑 らそうとアクセルをやや開けしたところ、新品タイヤのせいで予定よりも大きく滑らせて しまう。持ちこたえようと踏ん張ったら、ハイサイドで振り落とされる。 新品タイヤということを完全に忘れていた。 コレが今回の骨折です。1番=4番7番=2番+3番。5番=6番俺は学習能力がないのか?他にもつまらない転倒は、オイルに乗ったり巻き込まれたりもあるけど、どうも納得いかない転倒ばかりをあげてみました。みなさんは、このようなアホみたいな転倒って、どれくらいしてるものなんでしょう?
2008/01/03
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オートバイに乗り出したのが大学生になってからですが、それまでも、ちょっとしたレースを楽しんでました。それはラジコン。電動ONロードがメインで、年に数回開催されるレースにも参加してました。小学校6年生の正月に、親父に買ってもらった田宮タイレル6輪車をきっかけに、大学2年まで数十台は買い換えました。その中で、思い入れがあるのが、コレ。今は倒産してしまったAYK金属の1/12電動レーシングカーです。当時はこのメーカーが有限会社だったとは、全く知りませんでした。1/12の電動レーシングカーとしては、初めて4輪独立サスペンションを備えたマシンで、非常に美しくかつコンパクトにまとまってます。サスペンション形式はフロントがシングルウィッシュボーン、リヤがダブルウィッシュボーンです。当時のこのクラス、チェーン駆動の4輪駆動車の出始めであり、4独(国産2車)VS4駆(国産4社)の図式が成り立っていました。しかし、サスセットの難しさと駆動ロスの問題をかかえ、4独は下火になってしまいました。結局、2メーカーの3タイプしか発売されず、あっという間に市場から消えていきました。その後しばらくは4駆の時代が続きました。当時持っていたこのマシン、あれこれ自分で改造しており、既に原形がなくなっています。どうしてもオリジナルが欲しく、十数年前くらいに色々なショップを回りましたが、当然そんなものは店頭においてません。半ばあきらめかけていたとき、4年前に某オークションサイトで新品を発見しました。当時価格は25000円でしたが、結局50000円で落札しました。後悔はしてませんが、俺は馬鹿か?と思いましたね。一生手放さないでしょう。
2006/12/11
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N250仕様のVJ22A,ウォーターポンプの水漏れから発覚したフレームの破損であるが、もう22Aの予備フレームはない。N250を続けようとすると、2つの方法しか思い浮かばなかった。 1.フレームを購入→オークションで中古 →同じようなクラックがあるかも →新品を購入 →高いだろうな(^^) 2.別の車両を購入→ガンマ22A→またフレームが折れたらどうしよう。 →NSR →これが無難か。知り合いが手放すと言ってるし...比較した結果、無難にNSRを譲ってもらうことになり、VJ22Aはここで終了した。その後、N250をメインとしNSRで活動しており、なんちゃってRSに乗る機会がなくなってしまった。しばらく盆栽と化し、ブレーキキャリパーからフルードが漏れてきたりFサスからオイルがにじんでくるなど、置き古し特有の症状が出始めた。"これじゃいかん!"と重い腰をあげ、なんちゃってRS再起計画を始める。 1.古くなったゴムパーツの交換 2.VJ22AのFサスペンションおよびエンジンの移植 3.キャブセットそして、それが完成した姿がコレだ。Fサスペンションの倒立化により、更にRS風になっているのがお分かりになるでしょう。うきうきしながら岡山国際サーキットまで持ち込み、走行します。そのときの感想は、エンジン: 1.上まで9000以上回らない。エレメントとエアクリーナーBOX蓋を外してやっと回るレベル。 2.回れば結構トルクフルで速い。 3.パワーバンドが丸々1000rpm上に行った感じで、ギヤレシオが全く合わない。Fスプロケ 1丁かRスプロケ3丁くらい違う。 4.燃料消費量が多すぎるのか、全開区間が続くとガス欠症状がでる。ハンドリング 5.ポジションが悪い。リヤシートが上がりすぎで、腕で支えなければ体勢を維持できない。 6.倒立サスペンションのせいか、F周りが重過ぎる。バランス悪すぎ。こんなの乗れるか!ということで、 1.キャブセッティングでどうにかする。 3.スプロケの変更 4.キャブ側の小さい燃料フィルターを外す。 5.シート取付高さの変更。=ステーの作り直し(ナンバーとってから2回やりました。) 6.正立サスへ戻す。といった対策をすることにした。しかし、3が問題で、チェーン(長さが足りない)とスプロケ変えると2万仕事になる。何回レースに出るんだ?と自問自答したが答えが返ってこない。結局3のスプロケのお金が出せず、再び1年ほど盆栽と化す。そして、このままではいけない。何とか乗らねば・・・と考えたとき、ストリートに戻すことを決意したのです。そして、今に至ります今のなんちゃってRS(VJ21Aガンマ)おしまい(^^)
2006/09/21
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なんちゃってRS(ガンマ21A)、実はストカフェ エバ中目当てに製作したウルフであり、レギュレーションの変更により、ウルフにガンマのフレームを移植した。その結果、ガンマと呼ぶべき車両になった。そして、そのガンマに移植すべく、入手したVJ22Aは...夏休みをどっぷりかけてなんとか動くようになったガンマ(以降22Aと呼ぶ)、部品を移植するシーズンオフまでにはずいぶん時間があり、しばらく21Aに変わる練習用車体としての役割をもってもらうことにした。いざサーキットへ持って行くと全く走らない。そう、90年式モデルはチャンバー口にとんでもない物理的リミッターがついていたのだ。そして、そのリミッターを外して再び持ってゆくと、あっさりと21Aのタイムを更新してしまう。新型ノーマル車の出来の良さに感動するとともに、当然考えるべき野望が..."そうだ!ノーマル250へ参戦してみよう(^^)"数回草レースに参加し、ある程度慣れてきたしげにとっては、当然の流れだったかもしれない。N250 =改造できない=金がかからないN250=チャンバー交換不可=コケてもチャンバーが曲がりにくい=壊れにくい=金が・・・N250=排気量差がない=車体性能はほぼイコール条件(これは誤算。以外にシビアだった)こんなことを考え、2002年からN250へ参戦することにした。2002年から参戦開始したN250 、やはりレベルが高く面白い。結局このクラスにはまってしまい、VJ21Aに乗る機会は減ってしまった。VJ21Aで参戦したレースは、ウルフで3戦(エバーグリーン大型で2戦、NKモンスター1戦)、ガンマで3戦(TT-F3レトロ2戦、NKモンスター1戦)であった。なんちゃってRS 最後のレース 2002年3月モトルネTT-F3レトロそして、2002年のN250(2レースのみ)を22Aで参戦したが、後半からトラブルに悩まされ続ける。そのトラブルとは、ミッションへ水が流れ込むというものだ。ピンと来る方もいるでしょうが、ミッションへ水が流れ込むということは、ウォーターポンプのメカニカルシールが終わっているということです。しかし、この22A、覚えているだけで4回は交換しました。しかし、一向に直らない。2003年1月になってもトラブルが解消されず、いいかげんうんざりしてきた。"気分転換にエンジン載せ換えるか"と作業に入ると、なにかおかしい。確認すると、フレームのダウンチューブが折れている。"あーあ!ダウンチューブは交換だな!まあ、予備があるから楽勝楽勝"と安易に考え、更に分解を続ける。更に異常を発見!エンジンマウントの後ろ上側のプレートのネジ部分が座屈している。"おいおい!メインフレームも交換ジャン。でも予備があって良かった"しかし、だんだん目の前が暗くなってくる。エンジンを降ろし終え、フロント周り→リヤ周りへと分解(もはや解体か?)してゆくと、Rショック取付部の下側のマウントに大きなクラックが!"あぶねーな。走行中にここが折れたら死ぬぞ!"既にココ以外が折れても大転倒は免れなかっただろうと思ったが、とりあえず、3箇所目の発見は仰天した。結局ミッションへの水侵入の原因は、走行中にフレームがよじれ、エンジン自体もよじれたためだったと思われる。予備のフレームも交換前に一応確認しとかなきゃね(^^)とういうわけで、確認すると、3箇所目の位置にかすかにクラックのような線が・・・・"マジですか?(;_;)・・・・・"さあ、フレームは折れるし予備フレームも難あり。八方ふさがりとなってしまい、困り果ててしまう。いったいどの方向に向かってゆくのかは、次回へ。
2006/09/11
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なんちゃってRS、元々はウルフだったことは先日の説明でお分かりいただけたと思います。では、いつからガンマになったのでしょう。いきなりレギュレーションの変更によって、大型車との混走(しかも同クラス)になった1年間ですが、11月のモトルネNKモンスタークラスでオイルによる多重クラッシュ。鎖骨を骨折してシーズンを終えるという残念な結果になりました。旧型4サイクルと混走する危険性(比較的オイルを吹くマシンが多い)を骨で味わってからは、翌年に同じクラスを走るかずいぶん考えました。そんな時、シーズン始めに朗報が。モトルネ、ストカフェに新たなクラスを新設するという。TT-F3レトロ:89年以前のF3仕様(スリック不可) TT-F3モダン:90年以降のSP仕様まさに悩んでいるしげのために設けられたクラスといって良い。ウルフで参戦できるクラスはTT-F3レトロで、レギュレーションを見ると、 エンジン型式:変更可 フレーム :ガンマでも可ということは、21Aガンマのフレームに22Aのエンジンを載せた仕様でもエントリー可能なのだ。ウルフのフレームはフロントカウルステーの取付穴が無く、ステダンのボス穴もない。転倒した車両の外装を今回一新するわけだが、ついでならフレームもガンマの物に変えてやろうと考えた。片腕を吊りながらもフレームを21Aガンマへ、スイングアームを22Aへ交換し、00 01年式RS250の外装を取り付けた。今思えば片腕でよくやったものだ。ここでウルフはガンマへ生まれ変わる。しかし、残念ながら3月の開幕に肩が間に合わず、初戦は7月のストカフェとなった。現在よりエントリー数が少なく、レベルが低かったこともあり、いきなり優勝。そのときの写真です。外観は今と同じですが、エンジン・電装は88ガンマのものです。アンダーカウルの膨らみはこの21Aチャンバー形状に合わせて加工したものです。一旦優勝はしたものの、22Aエンジンと倒立サスにあこがれがあり、22Aガンマの部品取り車を探していた。8月になり、御世話になっていたショップ、てんとう虫の社長から、店にある22AガンマSPを格安で譲っていただけることになった。譲っていただいたガンマ、当然不動の現状渡し。部品の移植はシーズン終了後で考えていたので、とりあえず、22ASPはこのまま動くようにすることに決めた。そして・・・・・・この22Aガンマを入手したことにより、これから泥沼に入り込んでいくとは、この時点では思いもしなかった。次回へつづく
2006/09/10
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1週間前、ガンマ関係のサイトに出入りしている、岡山在住の方2名とお会いしました。そのときに出た質問が、”このガンマ、なんで21Aのフレームなの?”そこで、疑問に思われている方が多いだろうと思われますので、なんちゃってRSのエピソードをお話します。岡山国際(旧TI)のライセンスを取ったしげは、手持ちのGSX-R750WNで走って遊んでいました。しかし、タイヤは3時間でスリップマーク、ブレーキパットは・・・重量車のランニングコストにうんざりしてました。更に追い討ちをかけるように 転倒してしまいます。冬場で、コースインして2周目。ウォーマーも持って無い頃だったので、タイヤが温もっていなかったのでしょう。幸い、転倒した場所はWヘアピンなので、スピードは大したことはありませんでした。しかし、GSX-Rはハンドル(ヨシムラ製)が折れ、タンクは溶接部にクラックが入り、ガソリン漏れを起こす。更にステップ(これもヨシムラ)も折れ、スピードの割にはダメージが大きかったのです。重量車はいろんな意味でお金がかかるから駄目だと考え、軽量なバイクを購入することにしました。どうせ買うなら自分でイジれる(かもしれない)2サイクル。更に、何らかのレースに出れる車両を買おうと決めました。候補はN250、GP125、草レース。いきなりN250やらGP125なんて気違いじみたレース(当時は戦国時代でした)に出る勇気も無く、ターゲットはモトルネかストカフェに絞りました。レギュレーションを見ていると、ストカフェのエバーグリーン中型にウルフが参戦可能であるとの事。エバーグリーン中型代表車:RZ250,350、CBR250等のマルチ250、RGガンマ、KR1、KR250、ゼファー400、R1Z、NS250などこれだ!ノーマルでも戦闘力があるので、改造費用もかからない。ということで、あっさりとマシンは決定しました。購入したのはガンマ88年式とウルフ89年式。ガンマは完全なる書無しノーマルでしたが、ウルフは知り合いから購入したもので、既にレースに出れる状態になってました。しかし、入手直後にとんでもないレギュレーションの改訂が!ウルフはエバーグリーン中型の中では戦闘力が高すぎるため、エバーグリーン大型を走るようにとの事。エバーグリーン大型代表車:NS400、ガンマ500、VF750、CB1100F、FZ750、RZV500、刀1100、ゼファー1100等つまり、いきなり大型車の中でレースをするはめになってしまいました。しかし、今更買い換える資金もなく、残念ながらこのクラスで走ることに決めました。基本的に88ガンマは部品取りとし、常にウルフをサポートする役割になってました。この2種類のガンマとウルフでVJ21Aについて色々なことを学びました。ウルフでストカフェのエバーグリーン大型、そしてモトルネNKモンスターへ参戦し、大型車との混走がいかに大変であるかを身をもって経験しました。ここで、疑問に思われる方もおられると思いますが、実はこのなんちゃってRS、基はウルフだったのです。これが、後にガンマへと変わり、今の仕様になってゆくのですが、話が長くなるので数回に分けて記載します。ということで、今回はここで終わります。
2006/09/09
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いよいよしげも結婚するときが来てしまった。結婚式の前日にバイク(当時GSX-R1100)に乗ってうろうろしてるのを友人に見られ、結婚式で暴露されたのが笑えましたね。新婦は披露宴出席者のためにケーキを作っていたのに新郎はバイクかい!ってね。だって、“俺のバイク生活はこれで終わるのかな”って考えたら乗り収めしたくなったからね。結婚してすぐ、行きつけのバイク屋に行くと、返り咲きの親父レーサー年齢4○歳の方が出入りしており、一緒に草レースやらないかとのお誘いがある。結婚していきなりだからね。さすがに考えた。自分じゃ決断できないので、妻に相談する事にした。そしたら、しげ:F田さんに誘われてるんだけどどうしよう。妻 :やりたいの?しげ:昔からやりたかったけど、お金かかるし…妻 :やってみれば?しげ:トランスポーターもいるし…妻 :なんか安い車ないのしげ:ボロの軽トラならバイク屋の紹介で5万ほどで買えるけど。妻 :じゃあそれでいいじゃない。しげ:じゃあ、いいの?やるよ!妻 :どうぞ!というわけで、この世界に入ることができました。おかげで今、とても充実してます。独身時代よりも充実してるかもしれません。理解があり、しかもしげの背中を押してくれた妻に感謝!妻の後押しがなければ、今の自分もありませんでした。実はこの一言が言いたいためにこのエピソードをつづり始めたんですよ(^^)v長々と読んでいただき、ありがとうございました。
2006/03/16
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ガンマ廃車の事をバイク屋に報告に行く。そして店内で見かけた月刊オート○○。またもやそこに載っていたモーターショー情報。なになに?あこがれのGSX-R750が水冷になってフルモデルチェンジ? 馬鹿な“しげ”は免許も無いのに、その場で予約してしまった。慌てて運転免許試験場に通うが、教習所乗りを忘れてしまっているので、なかなか合格できない。納車間近になっても合格出来ず、バイク屋に“キャンセルできる?”って聞くも、冷たく“NO!”と返事をいただく。泣きそうになりながらも14回目で何とか合格。ぎりぎり納車に間に合った。納車されると、色々なところを走り回った。自宅から蒜山高原(約250km)まで無給油で往復できるのも魅力だった。ガンマじゃまず無理。だから、一度やってみたかった事。それは夜中の蒜山往復。やっちゃいましたよ。夜の蒜山は星が綺麗だった。このバイクが一番長い付き合いです。もちろん今所有してるやつですよ。不動ですが(T_T)お金をかけてチューニングもした。ポート、面研、FCRキャブ、レース管、6ポットキャリパー、オーリンズRショック、オーリンズステダン、クレバーウルフのカウルetc勉強になったのは、総合的に比較すると、新型に乗り換えたほうが安いということだった。(苦笑)今となってはエンジン以外のほとんどの部品をノーマルに戻している。で、某山も走ってたけど、やっぱり面白くない。なんとなく惰性で通っていたようなところもあった。この間、バイクは2台体制でしたね。一時は3台あったかな。GSX-R750はキープしつつ、RGガンマ初期型、RGVガンマ89SP、XJR1200、GSX-R1100M(油冷最終)XJR1200は初めてのアップハンだったけど面白かったね。ノーマルのスタイルが気に入り、フルノーマルで走ってた。変更点は自作のリミッターカットのみかな。何に乗ってもこんな事してるんですよね。このバイクはストップ&ゴーのジムカーナをイメージした乗り方してたので、本気で攻めたこともないし、転ぶとも思ってないし、まさか膝擦るとは思ってなかったので、ツナギ着て乗ってませんでした。でもやっちゃいましたよ。生膝。(>_<)痛かった。ステップやらサイドスタンドをすぐに擦るので、だんだん体がインに入っていったんでしょうね。それから数回ツナギ着て走ったことがありましたけど・・・とても乗りやすいバイクでした。なんで売っちゃったんだろう(T_T)
2006/03/10
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RGVガンマ90STDを手に入れた“しげ”は感動していた。特にラジアルタイヤと車体の安定性は感動もんだった。皆こんなに乗りやすいバイクで走っていたのか・・・と。Vナシガンマ(RGガンマの愛称)時代の苦労が馬鹿に思えた。こんなにいいバイクに乗っていて遅いのは恥ずかしいので、とにかく練習しまくった。NSRに比べてパワー不足も感じたため、スガヤのストリートチャンバーまで付けた。しかし、やはりこのバイクを買った事を後悔していた。なんでSPがもっと早く発表されなかった?・・・“しげ”がガンマを予約したときにはまだSP仕様の発表がなかったのだ。そして1年経過。SPへの夢を捨てきれず、91年式SP(VJ22A FM)に乗り換えてしまった。同じ形なのでばれないと確信していた親にはすぐにばれ、馬鹿扱いされてどやされるしで散々だったが、夢にまで見たSP仕様だ。そんな事気にならなかった。91SPに乗り始めてすぐに気付いたことは、90よりもずいぶんパワーとトルクがあったことだ。“このバイクは当たりか“と思い、試乗会で友人の乗るSTDとよーい・どんで加速競争してみたが、加速も同じ。あの90ガンマの遅さは一体なんだったのかと感じる。これは後にVJ22 FLでN250に参戦してから謎が解ける。このバイクはレーシングチャンバーの必要性を感じなかった。しかし、一緒に走るバイクも少しずつ減っていき、山走りがつまらなくなってきた。追い討ちをかけるように不幸が連続してやってくる。その1.大山ツーリング中に調子に乗って膝を擦ってると、当然の如くスリップダウンし転倒。バイクはガードレールの隙間から山の法面を滑り落ち、人間はガードレールにぶつかり、膝の靭帯を損傷。このとき、ツーリングでレーシングスーツは不要と判断する。調子にのって攻めるのを封印するためだ。今でもその考えは変わらず、ツーリングではブーツさえ履かない。その2.某山を単独走行中、原因不明のスリップダウン。バイクはガードレールに激突し、ノーマルチャンバーがぺっちゃんこ。その3.新品のノーマルチャンバーを購入して復活を遂げる。そして、友人二人とつるんで走行中、対向のバイクが転倒してきた。そして先頭のバイクと“しげ”のバイクのわずかな間に転がってくる。コーナー進入でフルブレーキ状態でそれ以上ブレーキも握れるはずもなく、無抵抗のまま転倒してきたバイクに乗り上げ前転。バイクは上から降ってくるし後ろのバイクは転がってくるし、死んだかと思った。しかし奇跡的に、けが人は一人もでなかった。早速ガンマを修理するため、F周りを解体してみた。しかし、フロントがフルボトム状態で乗り上げたため、ステアリングヘッドのベアリングの穴が目で見てわかる程長穴になっていた。この頃インターネットオークションなんてものは無かったので、フレームの損傷=廃車であった。このガンマは、わずか半年の命だった。ここで反省結局この時点でサーキットに転向するべきだったと思う。山で面白くなくなって、更に危険に遭遇し、それでも走りたいのであれば当然サーキットだろう。でも、“しげ”の知識には、サーキット走ると大借金して結局レースを止めざるを得なくなるという事しかなかった。しかもサーキットの走行費どころかトランポを買うお金も無く、レースをやるなら やる前から大借金という手法しかなかった。慎重で度胸のない“しげ”は、借金してまでレースの世界に飛び込めるわけも無く、自分はストリートで十分と言い聞かせていた。今となっては悔やまれてしょうがない。若い方で今レースをやってみたいと思う方は是非飛び込んで欲しい。年を経てからでは取り返せないものがあります。
2006/03/07
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ミーハーな"しげ"は漫画ではまってしまった。そう!バリバリ伝説だ。当然全巻揃っている。87年、初めての中型バイク、RGガンマ4型を購入する。すでに市場にはTZRやNSRが出回っていたにも関わらず、なぜかRGガンマだ。赤男爵の店に行き一目ぼれしてしまった。トルネードカラーとサイレンサーまで覆ったカウリングスタイル、そして名前が気に入ったからだ。ちなみにお気に入りだったサイレンサーまで覆ったアンダーカウルは納車後数ヶ月でサイレンサー部分を失う(T_T)無知な"しげ"は例のタイヤワックス"吹き付けるだけで真っ黒だ!!"を事もあろうにバイクのタイヤにかけてしまう。家を出発して最初のカーブで当然転倒。250ccバイクでの初転倒だった。この件は友人にもかなり馬鹿にされた。ガンマ購入後からバイク雑誌を読み始め、ちょっと不安になる。どの雑誌を見てもRGガンマがTZRやNSRに勝っているところがないのだ。残念ながら学生の分際でそんなに金もあるわけも無く、しばらく乗ることになる。とはいっても一目ぼれで決めたバイク。こうは言いつつも実は気に入っていた。納車後間もなく、例の漫画の影響で岡山の某山へ通いだす。それほど才能もないせいか転倒こそしないが、なかなか速く走れない。それでもあきらめずに通い続けた。そして時は過ぎ、周囲はNSRやRGVガンマがうようよいるようになった。それなりにうまく走れるようになり、そいった新型とも対等に走っていたと思う。88年式のNSRなんかを抜いた時は最高の気分だった。一人並列ガンマで頑張った。中山サーキットの走行会も何度か参加した。しかし、通学も含めて77686kmの走行距離となったRGガンマは突然息絶えた。ミッションが砕け、コーナーでのRタイヤロックにて転倒。某山では初の転倒だった。何が起こったかわからないまま路面を転げ、ガードレールにぶつかって止まった。どうなったかはわからないが、初めての救急車、鎖骨骨折で初めての手術を体験した。学生生活最後の年の12月の出来事だった。残念ながら、残りの学生生活は家のスーパーカブで通学する事になる。もちろん怪我が治ってからの話だけどね。その頃、ふとバイク雑誌を見ると、モーターショウの発表で衝撃的な写真が!同じガンマの名を持つもののマフラーが右から2本も出ているバイクだ。今度は現物を見てもいないのに一目ぼれしてしまった。もうすぐ社会人ということもあり、ローンが組める。ここぞとばかりに予約を入れる。学生生活の最後の最後で最新型のガンマVJ22ALがとうとう納車された。ナンバーは666だ!そして社会人生活???が始まった。つづく独り言 今になって思えば人と趣味が違うのか不人気車種ばかりに縁がある。 唯一所有した超人気車種はXJR1200だけだね。 過去のバイク(全部新車です) RGガンマ4型(この頃の人気車種はNSR MC16) RGVガンマL型(この頃の人気車種もNSR MC21) RGVガンマFM型(この頃の人気車種もNSR MC21) GSX-R750WN(この頃の人気車種はCBR900) 現在所有 XJR1200(これは当たり) ―以下中古― RGガンマ1型 RGVガンマFK GSX-R1100M RGVガンマJ 現在所有 NSR250 MC21 1号車 現在所有 NSR250 MC21 2号車 現在所有 ジェベル200 現在所有 これも不人気車種。でも気に入っている。
2006/02/09
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