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少し前の話題になってしまうのですが。京都の清水寺で、今年を表す一字というのが、ある坊主によって書かれた模様。「変」。「この世変えてくれ、という民意をくみして表した」とかいう坊主のコメントが新聞に載っていましたが。坊主の皮肉なのか何なのか知りませんけど。変えてくれ、という人頼みでは駄目ですね。私、生来あまりはっきり物申す方ではありませんが、ここははっきり駄目と言っておきましょう。変える、という意志があるならば、まず自分が変わらないと。その結果、無意識的な影響力の連鎖が、風が吹けば桶屋が儲かる式に、おのずと周囲に変化を及ぼすものです。逆に、意識的に他を変える、というのは表面的に適っているように見えるものなのですが。実は落とし穴だらけでね。エネルギーの浪費、無理がかかるし、一方的な圧力というのは見えないところで思わぬ弊害をひきおこしたり、反発、反動という現象が必ず起こるものなのです。それでは「変」が向かうところは何か。それは、双方謙虚さと感謝をもって歩み寄る「和」であると直感しています。地球と人間、政治家と国民、経営者と従業員、生産者と消費者、医療従事者と患者、教師と生徒およびその親、親と子などなど、すべての関係において。不平不満や中傷の行き着く果ては戦争、自壊。相手に求めるばかりではなく。「ないものねだり」から「あるもの探し」へ。来年の干支は丑。闘牛のような暴れ牛ではなく、むやみに角を立てることなく。穏かに野を歩む牛の如きスロー・レボリューションで、八方丸く治まりたいものですね。そして、私は自らの名のとおり、「史」が「和」へ向かうことを目指して、変わっていくことでしょう。それでは皆様、よいお年を!よい変化を!
2008.12.30
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如何に腰に負担をかけず、楽に、かつ埃をたてず箒を操るか…。如何に腕や肩に負担をかけず、楽に、かつ手早く窓や床を拭くか…。如何に手首や指に負担をかけず、楽に、かつ力強く雑巾を絞るか…。そんなことを意識しつつ、身体に問いつつ、朝から鼻歌(ミスチルとアジカン)混じりに一人大掃除。そして閃きは突然に。掃除と古武術が自らの身体を通じて繋がった瞬間。理論と実践が、頭と身体が、大脳新皮質と旧皮質が繋がった瞬間。合気道の太祖、植芝盛平先生は「武農一致」という言葉を残されたのだけれど。「武掃除一致」だな、こりゃ。でも語呂が悪いな、こりゃ。などと一人ほくそ笑んでいると、ふとかつて観た映画のワン・シーンが脳裏に浮かんできた。「ワックスかける、ワックスとる」その映画の名は「ベスト・キッド」。車のワックスがけや、ペンキ塗りを通じて、師(ミヤギさん)が弟子(ダニエルさん)に空手を伝授するというシーンがあるのだ。なるほど、こーゆーことだったのね!脳細胞だけでなく、全身で理解。そんなわけで、一石二鳥のお掃除健康法、半年以内に完成予定。乞うご期待!
2008.12.28
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一生もまためぐりゆく四季の如し。とするならば、逆に、年末はさしずめ臨終前でしょうか。年賀状に宛名やら何やらを書き込んでいると、その方にちなんだ在りし日の思い出が、ぽつりぽつりと浮かび上がってくるものでございます。たくさんのご縁に活かされて、磨かれて、現在の自分があるのだな、と改めて想い返さずにはいられません。ありがたい。想えば、現在の身体にしても、毎日の食事、生命をいただき続けることで、細胞の生死を繰り返し、成り立っている。ですから、これまたありがたいこと。そんな風に万物との繋がりを感じ、自他の境界が曖昧になる時、心にとてつもない幸福感が溢れるのは私だけでしょうか。個の生命を全うし、逝くべくして逝く時はそんな心持ちになるのかもしれないな。さて。あとは週末の大掃除で身辺を正し、一生ならぬ一年を締めくくるとしましょうかね。
2008.12.27
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前回の日記の如く、久しく閑としたわが家の休日。さりとて、寂しさに長々浸るほどおセンチな私ではありませぬゆえ。本日は久々の主婦(夫?)業を堪能(久々だから「堪能」などとのたまえる)。洗濯に始まり、掃除、食材の買い出し、今週分の料理作り置きなどなど。充実していました。いずれも、ただ漫然とやるのではなく、古武術の身体操法を意識しつつ、治療や養生のヒントを想いつつ、かつ効率を考えつつ工夫してやるので、様々な発想、発見があって楽しい(これも、久々だから「楽しい」などといえるのでしょうか)。全てが稽古ですな。主婦業は特に段取り力、創造力が鍛えられますね。おったもんがおらんくなり、改めてありがたみを感じ、改めて鍛えられる部分がある。それは、ちょうど、冬、寒くなって、お日さんの暖かさが身に沁みるように。月や星の輝きが増すように。冬野菜が甘くなるように。また、嬉しからずや。
2008.12.23
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年末年始の帰省ラッシュを避けて、嫁さん&娘、一足先に帰郷。灯が消えたようなわが家。2DKでさえ一人ではもてあます気がします(しかし、木刀や棒を振り回すスペースは欲しい)。やっぱり、家族あっての家。社員あっての会社。民あっての国。生命溢れての地球。ですよね。
2008.12.23
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何やらいろいろあるみたいですな、最近。我が家のTVはずいぶん前に線を抜かれ、地上波デジタル化とやらを待たずして太古の遺産と化しているものの、それなりに情報は入ってきます。経済はもとより、食、教育、医療などなど。今まで誤魔化し目をそらし続けてきた各分野における問題が、ここにきて一度に表面化しつつあるように想えます。これは病気と同じでね。最初はちょっとした身体の違和感に過ぎないのだけど。原因を解決せずにいると、痛みや痺れなど、身体のサイン、訴えはよりきついものへと変化していく。原因を解決しない誤魔化し治療は、あたかも即効性に優れるのですけど。その時一見治めたように見えても(身体に「収めた」という表現が正しい)、それは身体の訴えを無理矢理黙らせただけ。圧縮された不満のエネルギーは身体の内で膨張を進め、身体を内から歪め、別の形で更なる勢いをもって表面に噴き出してくる。例えばね、便秘が続くと、再吸収を余儀なくされた便中の毒は、身体をめぐり、黄色い尿はもちろん、口臭(唾液、呼気)、体臭(汗)、目脂、にきび、粘度の高い月経血と形を変えて噴き出すわけです。腎臓が悪くて小便で毒を出せない人が、大人にもかかわらず小便臭い、というのも然り。別の理由(精神的未熟)で小便臭い大人も多々いる現世ですが。おっと、私の口からも毒がこぼれてしまいました。一部の癌などは圧縮され続けた不満の塊じゃないかな。と、いうわけで問題の治め方は根本的にいずれも同じと想うのです。真なる治療と同じ。その解決法を少しずつここでもつづっていきましょう。というか、もうすでにかなりつづっている気もするのですが。痛みや痺れというのは確かにつらい。けれどもそれは、内なる問題と向き合い、方向転換をはかれ、という身体の声。生きている証拠です。そして原因である問題を、不安を解決したとき、心身ともに成長し、より充実した生が待っています。だから、浮世の問題も、各人がしっかり向き合いあって、解決がなされた時、人は更に充実した生の境地へ進むことができる気がしますね。
2008.12.22
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師走も後半に突入し、のんびり屋の僕も心なしか気ぜわしくなってきたような。頼んでいた年賀状も手元に届き、筆入れをせかされていたりします。今年は娘が生まれたこともあり、異例の写真入り。お世話になった感謝、新年のご挨拶、近況報告などなど、年賀状に込められる想いは様々。最近は便利になって、名前から何から全部印刷で済ますことができるみたいですが。形骸化することなく、忙しいからと心亡くすことなく。心を込めて一筆添えたいものだと想います。一筆入魂。それにしても年賀状の写真をよくよく見てみると、額にシワが。老化ととるべきか、苦悩の跡とみるべきか...。
2008.12.18
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道具にも命がある。そう思えることは今までもたびたびあったのですが。このたび、確信。自然農の師が脱穀する姿を目の当たりにして、至りました。師は旧式の脱穀機と一体になっておられた。足下のレバーを踏むことで、かぎのついたローラーが回転。そこに稲を当てると脱穀が行われる、という仕組み。ただただ脚の上下運動、自力でのみで動かすとやたら疲れるし、体を歪めてしまう。 師の動きは。レバーが戻る力に乗って足が上がり、体重移動でレバーが下がる。まるで脱穀機と呼吸を合わせて、踊るが如く、軽やかに美しく。淀みない力の循環。あぁ、一体。 武術においては剣をはじめ武器と一体になり、時に相手と、天地とも一体となるのですが。そういえば、武術の師が操る刀や棒も、まるで生きている蛇の如く動き回っていたっけ。想えば、道具もまったくの無から突然生じるのではありません。僕らと同じく、地球という大きな生命の一部をもとに形作られている。だから、命が宿るのも道理。愛をもって、大事に接するならば、道具もそれに応えるだろう。逆に、鞭で打つが如く、ただただ酷使するならば、すぐに故障。あるいは接する者へと力は返り、怪我や故障を招く(例えば内職やPC作業の腱鞘炎のように)。最近の道具の故障しやすさは、単なる道具の複雑化のみに起因するのではなく、そういう人と道具の関係性に問題の一端を感じるのです。使い捨て同然に酷使されるサラリーマン。彼らのうつ病、自殺増加も僕の目には重なって映る。人とも道具とも愛をもって接したいものですね。
2008.12.10
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赤、黄、茶色に大地を飾る温かそうな絨毯。上を歩くとカサカサと小気味良い音。樹木の一部として役目を終えた、たくさんの落ち葉。今度は土に還って栄養となり、たくさんの生命を活かし育む。そんな大きな生命のめぐりの中で活かされ、活かし続ける僕はこのうえなく幸せ。
2008.12.02
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