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マスコミ産業論とマーケティングの準備。後期は土日で3本準備しなければならない。ブランドは明日に回すこととし大学を出る。江戸川を渡り、三郷に入ったところで研究室にUSBストレージを忘れたことに気付く。大学まで戻り、常磐道で帰路につくが、これまでにない渋滞。
2006年09月30日
後期の演習は3年生を見る。ACのCMを想定し絵コンテを作らせることに。
2006年09月29日
日本橋で、電機メーカーとマンション業者の件。ジャケットを忘れてしまう。歩いて東京駅に出て煮込みラーメン。千代田線で霞ヶ関。トムのメールを見て電話。スピンアウトとのこと、代官山の後任を打診し快諾を貰う。あとは大学が受け入れてくれるかどうか。記者クラブで杉浦さん。西谷さんにつなぐことにする。
2006年09月28日
大学で剣さんと発表大会の打ち合わせ。1日目の展開イメージをまとめる。早めに大学を出て、車で代官山。宮内先生と来年の件を相談する。替わりはぼくが探すしかないらしい。
2006年09月27日
ゼミの欠席が多い。夏休み宿題に出したA4版10枚のレポートが終わらずにばっくれていると見た。4限を終え、久しぶりのクライアントミーティングで上京。お茶の水と思っていたが、東京だった。雨の中タクシーで走り回る。
2006年09月26日
久しぶりにキャンバスに学生が戻ってきた。2限はマスコミ産業論の初講義。とりあえず好きにしゃべって快調な出だし。そのうちネタ切れになったときに困るんだけど・・・。午後はマーケティング論。こちらは前期の続き。
2006年09月25日
既に秋の気配。今年の夏は、炎天下を歩かずに終わった。サラリーマン稼業から足をあらったメリットか。
2006年09月24日
相変わらずレジュメづくり。土曜日だけど大学はクローズだ。1日自宅。
2006年09月23日
いよいよ来週から後期の授業が始まる。レジュメを本格的に作り始める。代官山のレポートをチェック。
2006年09月22日
汐留。新旧の委員長と、事務局長と弁当で会食。労協も積極的活動を展開するとのこと。時事セミナーを10枚、2割引で引き受けてもらう。喫茶店で時間を潰してから浜松町で駆け込み寺の東京ガス見学。行き届いた対応をしていただいた。
2006年09月21日
大学でAO面接と教授会を済ませてから代官山。ブランド論の初講義。学部の3年生66人が履修登録。レポートを書かせたけれど、本務校よりだいぶ出来がいい。
2006年09月20日
たばこ業界のスポークスマンの活躍を描くアメリカのコメディー。メディアリレーションズ、ロビーイング、映画プレースメント、テレビディベートなどさまざまな手法が繰り広げられてゆく。肩に力を入れずに楽しめる作品に仕上がっている。PRSJ向けの特別試写会を六本木まで見に行った。
2006年09月19日
あさってから後期の授業が始まる。産能大のブランド論の準備。
2006年09月18日
割引チケットを購入すれば、その金額以上の割引を受けられるというシステムに釣られ、焼肉の伊万里。食べ過ぎた。3人で2万円のところを6000円引き。
2006年09月17日
プレスセンターで試写会。オリバー・ストーン監督、ニコラス・ケイジ主演。なかなか重厚感のある映画。試写会の前にメルサの古川でビーフシチュー。
2006年09月16日
大学に行くつもりだったが、小早川さんが上京中とのことで急遽、15時から帝国ホテルで、剣さんを含めミーティング。再来年の大会の開催を依頼。可能性の検討をしてもらう。定年直前の最後の年とか。その足でプレスセンターに移り、18時から中田さん。科研費について打ち合わせ。
2006年09月15日
湯川さんから動員についての相談。労協とつなぐことを考え調整。2日前にカブル企画があり、本格アライアンスは困難か?日本橋でWEB2.0の講義。この変形でプレミアムショーと製版所がこなせそう。にんまり。H社の件でプレゼンに参加して欲しいとの依頼。
2006年09月14日
大学に行くつもりだったが、理事会があるのに気付き溜池へ。剣さんと電話で発表プログラムの調整。
2006年09月13日
10時にチェックアウト。宿泊料はトータル30万円。学生からは15000円ずつ計165000円徴収。約5万円ずつを大学に経費として請求する。個人負担は思ったより少なかった。小田原で小休止の後、小田急で2駅の蛍田に行き、焼肉食べ放題。みんな疲れ果て食欲が進まない模様。ここは23000円。
2006年09月12日
朝は小川くんの講義。箱根の入れ込み数は2000万人で500万人が宿泊。彼のところは現在12万人程度で、将来は箱根にこだわり50万人を目指している。旅館の新規オープンの場合、投資に対し年商0.5が標準のところ、彼のところは0.8の水準を達成しているという。なかなかにインパクトのある話しを聞けた。湯本に降りて各自で昼食。登山電車で小涌谷にあがり、バスで箱根の関所跡。雨もよいのため、畑宿までの旧街道ハイキングを断念し、関所資料館の見学。バイパス経由で湯本に戻る。箱根の交通費の高さにびっくり。夕食後は箱根SPI。
2006年09月11日
新宿駅で万世のカレーを食べていると池本と長嶋。ロマンスカーで箱根湯本で集合し、塔ノ沢の一の湯本館へ。ぼくのゼミは男3、女2。剣さんのところは男のみ6人の学生が参加し、総勢13名。部屋に荷物を置いてから、発表大会のイメージ摺りあわせの演習を実施し、夕食。クラブでカラオケ大会。4万円。
2006年09月10日
オープンキャンパス。大学で剣さんと大会の発表申込を整理。オーバーフローしてしまった。これからの調整が鍵。
2006年09月09日
大学から実家へ。暫く顔を出さなかったので、母が心配していたらしい。2~3頃のぼくが胸をはだけて転寝している夢を見て、その都度起こされると姉にこぼされた。その姉のところでは、長男が36歳にしてスッチーとの婚約が整ったとのこと。その双子の弟は、われわれと入れ違いにスリランカに転勤したとのこと。
2006年09月08日
朝一番で鴻巣。フィレンツェで盗られた財布に入っていた免許証を再発行してもらう。13時にガラスを修理した車をピックアップして大学へ、夕方青山に回りオズマで猪狩研。
2006年09月07日
ホテルから次男に電話したところ、自宅の車の左後部のガラスが破損したとのこと。いったいどうしたんだ。不安を抱いて帰国の途に。マルペンサからフランク乗換えで成田へ。フランクではVATの払い戻し。帰国便ではほとんど眠っていた。成田のスカイライナー窓口で聞くと秋篠宮家に男子誕生とか。慶祝。
2006年09月06日
帰りの飛行機は1805のルフトハンザ。ホテルのレイトチェックアウトは1405だから、この時間に空港に向かえば余裕があるだろう。ランチはこれまでの実績からホテルで取り、シャワーを浴びてチェクアウトしよう。午前中をどう過ごすか。郊外のアウトレットに行く時間はない。スフォルツェスコ城も、ブレア美術館もぼくはおととし訪れている。そこで、チェメトリーモニュメンターレへ。アートのお墓がそろった彫刻の森のような公園墓地。ここを訪れるのは、81年、04年に続き3回目だ。もちろん妻は初めて。1時間以上墓を見て回り、市電でチェントレへ出てリシェナンテ。最後のコースはアクセサリーのチェック。ホテルのランチは1230オープン。お約束のミラノ風カツレツ。美味いねえ、このホテルは。腹が膨れたところでタクシーでマルペンサ空港へ。80ユーロ。
2006年09月05日
ドリアグランドホテルの朝食も良かった。初めてスクランブルエッグとベーコンに出会う。ベーコンは塩気が強いものの脂身の所々に歯ごたえのある部分の入った本物の味。朝食を終え、ドゥオモに。一人6ユーロで上に昇る。リナーテでゲットしたのは400ユーロ弱。帰国時の必要経費は約100ユーロ。となるとカード不着を計算に入れると使えるのは300ユーロ弱。ケチケチ旅行が運命づけられる。安心材料は公共交通のフリーチケットがあること。リナシェンテとビットリオ・エマニュエル2世アーケードを回った後、ペックを覗くが開店前。くたびれたので丁度通った市電に乗り込むが予想と違う方向に走る。メトロの駅近くで下車しモンテナポレオーネ通りへ。金がないせいか妻は乗り気にならない。では、コートレットミラネーゼを食べようといくつかバールを廻るが、お目当ての子牛は無くチキンばかりのため、ヴェノスアイレス通りに移動。バールでハンバーグとパニーニ。ホテルに戻るとVISAからのUPS小包が到着していた!これで、金銭的な心配が解決だ。軍資金が出来たところで勇躍街に繰り出すぞ。妻が小物を見たいとのことで、ガリバルジー駅からディエイチコルソコモへ。3時半開店とのことでジェラートを食べながら1時間暇を潰す。開店したお店はあまり置きに召さないようだ。ならばとモンテナポリオーネの26番地にあるミニアウトレットを皮切りにブランドショップツアー。財布を執られてしまったので途中モンブランで調達。妻にはフェラガモの靴。他に小物をあれこれ。お土産を調達したいとのことで路面電車でチェントロに移りペック。一応の目的を達してホテルに戻った。夕食はホテルのパッケージについているコースディナー。この食事も合格点だ。ペンネ・ポモロード、スパゲッティ・ジェノベーゼ、仔牛のステーキ、ジェラート。満足、満足。
2006年09月04日
エマージェンシーキャッシュは、VISAが提携しているウェスタンユニオンバンクまたはその代理店である両替所に赴き、パスポートとVISAから教えられたコントロールナンバーを提示し現金を受領する。VISAからは641$の現金をイタリア国内で受領するとの条件で承認が降りた。問題はどこで受領できるか。なにしろイタリアでは日曜日は全てが休みなのだ。あれこれメリーランドの担当と話し合い、1)ボローニャ空港、2)ミラノのリナーテ空港、3)マルペンサ空港の順にトライすることに決定。なんとかめどがついたところで、ほっとして24時間ぶりの食事。イル・グエルチィーノのブレックファーストは今までにも増して素晴らしい。ゆで卵は黄身の味が濃く、3個も食べてしまった。金があってのんびり出来ればすばらしいホテルなのだ。メリーランドのVISAとの連絡で、ボローニャ空港の両替所は午後2時からのオープンという。それまでは待てない。こうなれば田舎町のボローニャではなく、一刻も早くミラノに入りたい。しかし、ボローニャ駅にも両替所があるとのことで、徒歩でボローニャ駅に向かうがまったくオープンの兆しが無い。そこでスマートを駆って一路、エミーリア街道をミラノを目指す。モデナ、レッジョ・エミーリア、パルマ、フィデンツァ、ピエツェンツァ、ローディ。途中、レッジョで昔ながらのエミーリアの街並みを見ようとして失敗、大いに妻の不興を買う。ピエツェンツァは駅前を通ったのを幸い両替所を捜すが見当たらない。ピエツェンツァでは車のガソリンが5段階の内2段階。それも暫く走ると1段階に減る。ガソリン残量を心配する妻は車の冷房を切り、消耗戦に突入する。これまであまり設置されていなかった信号が増えてくるとミラノが近づいた証拠。遠くリナーテに着陸しようとする機影を認めた。やがて道案内表示にリナーテの文字が現れ、なんとか空港にたどり着く。よかった、両替所が開いていた。早速手続きをするが、1)名前が違っている、2)キャッシュの受け取り場所指定がフランスになっている。ええーっ!!両替所で0.5ユーロコインを借りてトールフリーでメリーランドに電話。間抜けなことにコントロールナンバーを取り違えて連絡されていた模様。電話つなぎっぱなしのまま、新しいコントロールナンバーで申請し始め、無事キャッシュをゲット。懐が豊かになりほっとしたところでレンタカーをリナーテで返却。最悪に備え、火曜日のマルペンサ返却と連絡していたが、ミラノ市内の運転はイヤなので当初の予定に戻したもの。タクシーでドリアグランドへ。伝統的な建物のすてきなホテル。優先グレードアップ、48時間交通パス、2杯目のドリンク無料、食事1回無料、14時半レイトチェックアウトがセットになったパッケージで申し込んでいたが、これが正解。部屋をグレードアップしてもらい、広いスペースだ。部屋で安堵の旅装を解き、まずは中央駅へ。レストランを捜すが適当な店が見つからず、スーパーで食材を求め、ホテルで食べようとしたが、食指が動かず、水だけ買って交通パスでホテルに戻り、ホテルのカフェで夕食。ぼくはグラッパを2杯とスパゲッティラグーソース、妻はビールとキールロワイアルとペンネポモドーロ。このパスタが素晴らしかった。イタリアではじめてのアルデンテのパスタ!
2006年09月03日
ドゥオモの隣といっていい場所にあるアルディニホテルからウフィチ美術館までは徒歩で5分。予約の8時15分を少し過ぎてから中に入る。ボチッチェルリのヴィーナスの誕生、プリマベーラ、ミケランジェロ、レオ10世やジュリオ2世の肖像画など。2階の特別展示はレオナルド・ダ・ビンチ。レオナルドの世界を模型の復元やVTRで説明されておりすばらしい。ウフィチを終えて一旦ホテルに戻り、チェックアウトし呼んでもらったタクシーでAVISのオフィスへ。ベンツ+スウォッチのスマートを借りた。るるぶを見ながらフィレンツェ郊外のアウトレットを目指すが、なかなか見つからない。途中何度も道行く人に尋ねるが誰も知らない。捜しあぐねて諦め、ボローニャを目指す。アウトストラーダにのり、途中セルベッソゾーンでトイレ休憩。ポテトチップとアクア2本を購入。売店は非常に混んでいた。ボローニャ降り口の料金所で財布を出そうとするが見つからない。しかも妻まで。二人そろって財布を掏られてしまったのだ。ポケットに裸で入っていた10ユーロで何とか高速料金を払い、すぐ出口で路傍に寄せ探し回るがやはり無い。セルベッソゾーンで無防備すぎたのだ。しかし、二人そろって財布ごと掏られるとはなんてことだ。パスポートは無事だったが、クレジットカード、キャッシュカード、日本の免許証、職員証、ユーロと円の持ち金をすべてやられてしまった。呆然自失のまま、とりあえずホテルを目指す。ホテルはボローニャ駅の北にあるイル・グエルチィーノ。幸いここの料金は既に払い込んでいた。フロントがクレジットのフリーダイヤル番号を教えてくれ、クレジットをとめてから警察へ行けと教えてくれる。VISAとマスターとダイナースに連絡をとり支払をストップ。さらにVISAにエマージェンシーカードを要請。エマージェンシーカードの発券には土日を除いて2日かかるという。今日は土曜日。しかも一文無し。火曜日には帰国だ。何とか月曜日に手配してもらえるよう依頼。現金なしでは暮らせない、マスターカードにはエマージェンシーキャッシュを要求。こちらは月曜日に可能という。とりあえず依頼だけを出して警察へ。担当のクルーゾ警部のような警官はいちおう管理職のようだがイタリア語しか話せない。そこで登場したのがSIIの翻訳機。クルーゾ君大喜びでみんなに見せまわる。クルーゾ君と訳あり風な婦人警官も寄ってきて大喜び。単語の翻訳だと言うのに文章を入れ始めるものだから全く役に立たない。絵を描き、翻訳語を見せ、身振り手振りで何とか盗難証明書を作成する。ホテルに戻るとフロント担当が替わっており、日本にあるクレジットカードで夕食とインターネットを提供しろと交渉するが峻拒される。インクルードの朝食まで空腹を抱えて過ごさなければならない。しかもホテル内は禁煙と来ている。LANがつなげられないためダイアルアップでインターネットにつなげた。対応の良かったVISAに的を絞り本格的交渉に取り掛かる。トールフリーダイヤルで日本のVISAにつなげ相談。世界のVISAの会員登録はシドニーで統括しているという。妻のカードがどこのものだったか覚えていないというのでここで登録をチェック。可能性のありそうなものをストップする。エマージェンシー対応のセンターはアメリカのメリーランド州だ。発券のためにはまず銀行から承認を受け、宿泊先のホテルにUPSでカードを送ると言う手順になる。センターのあるアメリカ、銀行のある日本、ホテルのあるイタリアの間で連絡を取りまわるということで必然的に時間がかかる。日本の銀行からは比較的容易に認証が降りたが、問題はホテル。ボローニャ1泊の後はミラノに2泊する予定になっているが、ミラノのホテルにわれわれの予約が入っていないという。もうひとつ混乱の原因は名前の表記、ANAのVISAカードはANAが勝手に綴りを決めたため、『ITU』と表記しているが、パスポートは『ITSU』。何度もメリーランドに電話して確認。入り組んだ話は英語では到底無理だし、あいまいな理解は混乱の元であると、その都度ジャパニーズサービスをリクエストする。営業時間中は日本語のしゃべれるスタッフが、また、多くの場合は契約しているインタープリターを捜してくれ、三者通話で確認する。メリーランドのセンターはエマージェンシー対応ということが徹底して教育されているのだろう、電話の都度相手は替わるがいずれも親身に対応してくれ素晴らしい。漸くミラノのホテルの予約も確認でき、月曜日の夕方までにはホテルにエマージェンシーカードを届けてくれることになった。しかし、日曜日一杯をしのがなければならないということで、カードと並行しエマージェンシーキャッシュを要求。この段取りを整えるのがまた大変だった。
2006年09月02日
今日はベンツを借り切りトスカーナドライブ。ドライバーは当初予定のアレッサンドロに替わりジュゼッペ。ポルタローマを抜けシエナ方面に。途中サンジャミニャーノを遠望。シエナを迂回しモンタルチーノを抜けて最初の目的地はバルビのワイナリー。老年期の山にぶどうとオリーブの畑が広がる美しい田舎のワイナリー。早口の英語をしゃべる女性がワイン樽の並ぶカーブを案内してくれる。製造プロセスの説明はなく、十字軍に始まる家系の説明が入る。一周してからワインのテスティング5種。39ユーロの赤を2本、オリーブオイルを2本購入。続いて世界遺産の街ピエンツァ。山のてっぺんの小さな町。ペコリーノチーズが名産品。街中のトラットリアでプロシュートとペコリーノのパニーニで昼食。最後の訪問地はモンテプルチアーノ。急坂の斜面につくられたワインの街。伊香保の参道がどこまでも続いている感じ。上り下りする元気が到底出ずにそそくさと切り上げた。帰路、ジュゼッペが路傍のぶどうの房を取り渡してくれる。ミケランジェロ広場からフィレンツェを眺め、4時半にホテル帰着。5時からウフィチの予約が取れているはずとローマの横山氏にテレ。明日の朝8時15分の予約とのこと。夕方はメルカート方面に足を伸ばす。浅草の観音裏を思わせる屋台が立ち並ぶが、市場そのものはすでにクローズ。インターネットポイントでメールチェック。帰りがけにリストランテでビステッカアラフィオレンティーナ。初めてまともな食事をした感じ。デザートはホテルの隣でジェラート。
2006年09月01日
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