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数日PCから離れてブログもお休みになってしまいました。 我が家では家族3人で1台のPCを使っています。 優先順位は主人、私、息子…のはずが、実際は主人の次は息子になっています。 夕食後、主人にせきたてられながら息子が使って主人が仕事やメールチェックなど 終わらせて、ようやく使えるようになるのは大体日が変わってからになります。 ここ数日は主人の使う時間が長く、眠さに勝てずにPCにはご無沙汰になってしまいました。 7年前に購入したPCをドキュメント作成用にオフラインで使っていて、これもネットに つなげようかと思いましたが、インターネット閲覧に時間がかかって結局使えない、と いうことになりそうです。 画像が多いサイトが増えて、画像処理のスペックが劣る少し前のPCが使いにくいのも 不便なものです。 Windows以前のシンプルなパソコン、あれはあれで良かったですね~ メモリが256KBくらいですよ~ 1MBも無かったんですよ~ HDなんか40Mもあったら、スゴーイってなもんだったんですよね~ 14、5年前の話ですか…オバサンになるわけです。
December 19, 2010
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北原白秋・作詞 / <中山晋平/山田耕筰>・作曲 海は荒海(あらうみ)、 向ふは佐渡(さど)よ、 すずめ啼け啼け、 もう日はくれた。 みんな呼べ呼べ、 お星さま出たぞ。 暮れりゃ砂山、 汐鳴(しおなり)ばかり、 すずめちりぢり、 又風荒れる。 みんなちりぢり、 もう誰も見えぬ。 かへろかへろよ。 茱萸原(ぐみはら)わけて、 すずめさよなら、 さよならあした、 海よさよなら、 さよならあした。 大正11年(1922年)6月、北原白秋は新潟で童謡音楽会に招かれて2千人あまりの小学生に熱烈な歓迎を受けたことに感銘を受けて作ったのがこの曲だそうです。 わかり易い言葉で、浜の情景がえがかれていて歌詞だけでもじっくり味わいたくなります。 北原白秋氏が当初、作曲を依頼したのが中山晋平氏。 ↓子供達がこのように歌うのを聞いたら北原白秋は目を細めたことでしょう。 先日デイケアセンターで皆様と歌ったのはこちらでした。 少しゆっくりめに歌って、しみじみした感じになりました。 後に山田耕筰氏も曲を付けました。 こちらの方が大人向けのしっとっりとした雰囲気と思います。
December 14, 2010
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過激な性描写漫画を規制する東京都の青少年健全育成条例改正に出版界が反発していると報じられています。子育て真っ最中の世代として、この条例改正、東京都よくやったな~とエールを送ります。出版界が反発するのも理解しますが、まず、見たくもない、子供に見せるなどとんでもない描写がされている本がどうか、中身を確認しなくても良いような措置は必要だと思いますね。例えば、映画でR-XX指定などありますが、それと同様な指定は欲しいです。言葉・表現、そしてそこから作られるイメージが家庭環境、社会環境にどれほど影響を及ぼすのか、数値化して表わすことは出来ないと思いますが、「良い表現」「悪い表現」が何であるかを教えるのは、大人がするべきことです。そうすることが出来るかどうかは、その国の文化による、といっていいのではないかと思います。海外で知り合った友人に、「どうぞ日本に来てください」と声をかけづらくなる理由の一つが、日本ではその手の写真・描写が載った雑誌を電車・バス・飛行機等、公衆の中で平然と読める風潮なのです。(もっとも、公衆の中でのマナー全般、最近急に悪くなってきたようですが。)指摘されて気付いたことですが、他国でそんな本を読んでいる人をまだ見かけたことがないのです。少なくとも訪れたことのある数カ国ではありません。公共交通機関の利用時間にもよるとは思いますが。表現の自由を主張する声が大きいのに比べ、どう受け取るべきかを教える役割はどこが主に担っているか…今のところは家庭と言わざるをえないのではないでしょうか。となると、大人の問題ということになります。しかし、個々人で取り組むには限界が…。東京都の条例改正、是非の結果はともかく一石を投じたという点、良かったと思います。
December 14, 2010
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今日はNGOグループでお世話になっている先生方のティーパーティに参加してきました。先生方は、一番若い方が還暦、その次が喜寿、そして卒寿…という顔ぶれでしたが、皆様お元気なことと言ったら。歌を歌うのが好きな方ばかりでしたので、クリスマスの曲を数曲、ついでに「お正月」を歌いました。「お正月」、瀧廉太郎氏が作曲したものです。東くめ:作詞 / 瀧廉太郎:作曲もういくつ ねると お正月 お正月には 凧あげてこまを まわして 遊びましょう はやく こいこい お正月もういくつ ねると お正月 お正月には まりついておいばねついて 遊びましょう はやくこいこいお正月 明治34年(1901年)に発表された「幼稚園唱歌」に掲載されました。作詞担当の東くめ女史の夫・東京女子高等師範学校の教授だった東基吉が、それまで幼児向けの唱歌が難しい文語体だったので、わかり易い口語の歌詞による唱歌集を作ろうとしたのでした。東京音楽学校出身のくめ女史が、2年後輩瀧廉太郎氏と「お正月」の他、「鳩ぽっぽ」「雪やこんこん」などをこの時に送りだしています。短命だった瀧廉太郎氏に比べ、東くめ女史は91歳と長寿を全うされ、90歳までピアノを教えておられたとか。ちなみに、日本で初めて「幼稚園」と名付けられて始まってのは、明治9年(1876年)に開園した東京女子師範学校附属幼稚園(現:お茶の水女子大学附属幼稚園)で、その後も幼稚園はさほど数は増えなかったのではないかと思います。上流社会の子女が通う幼稚園のための「幼稚園唱歌」だったのでしょうが、今では定番の童謡になりました。いろいろ普及するのは有難いですね。まだラジカセも普及していない国があることを思えば本当に有難いです。凧揚げ、こま回しはまだ見られますね。対して、まりつき、羽根つきは見かけません。「あんたがたどこさ」を歌いながら、まりつき…しばらく見ないですね。久しぶりに今度のお正月、運動不足解消かねてやってみましょうか。↓こんな絵が描かれているのをつかってました
December 11, 2010
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ようやく冬らしく?なってきました。独身時代は下手の横好きで、スキーを楽しみました。結婚してからなかなか滑る機会がなかったのですが、2003年(だったと記憶しています)「冬のソナタ」にはまった知り合いのオバ様方に引っ張られてロケ地巡りに行った時に、龍平ドラゴンバレーで滑ってきました。当初は滑るつもりは無かったのですが、日本では滑ったことのない4kmと長い距離のコースを見て滑りたくなり、ジャケットの上に持参していたレインコートとジーンズという格好で滑ることにしました。ゴンドラで山頂まで行き、有名なシーンが撮られたロッジを見て、コースに出ました。転倒したら濡れちゃうと思いつつ慎重に、の~んびり降りて行きました。山頂からしばらくは遠くに日本海(韓国では東海・トンヘ)が望める景色を楽しみ、その後しばらく木立の中を抜ける細いコースを行き、ふもと近くは広々とした緩やかなゲレンデ、という感じだったと思います。幸い一度も転ぶことなく、気持ちよく楽しみました。主人もやはりスキーは下手の横好きなのだそうですが、残念ながらまだ一度も一緒に滑りに行ったことがないのです。せっかくの連休を子守をして留守番してくれていた主人に「スキーしちゃった」と報告するとずるい、と言いたげに「いいなあ~」と言っていました。その後も結局行かずじまいでいますが、主人も私も日頃体力維持に励んでいるわけではないので、スキーに行くのは今のうちです。今シーズンはきちんと計画たてられたら良いのですが…
December 10, 2010
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今日は急に冷え込んできて、秋口のジャケットでは間にあわず、コートを出すのに大慌てでした。12月らしくなってきてホッと?するような。昨日デイケアでリクエストがあったのが「ペチカ」でした。北原白秋・作詞 / 山田耕筰・作曲 雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ お話しましょむかしむかしよ 燃えろよ ペチカ雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ おもては寒い栗や栗やと 呼びます ペチカ雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ じき春来ますいまに楊も 萌えましょ ペチカ雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ 誰だか来ますお客さまでしょ うれしい ペチカ雪のふる夜は たのしいペチカ ペチカ燃えろよ お話しましょ火の粉ぱちぱち はねろよ ペチカ「ペチカ」は大正13年(1924)、「満州唱歌集 尋常科第1・2学年」に掲載された、とあります。日露戦争後、ロシアより清国の鉄道経営権を譲渡され、明治39年(1906)、南満州鉄道(株)を設立し、多くの日本人が南満州で暮らしました。先の唱歌集は満州日本人小学校のためのもので、ペチカはこの唱歌集のために依頼されて作られたものです。ペチカは北欧からロシアを経て伝えられたものだそうです。北海道でも使われたそうですから満州でも使われたのでしょう。実際に北原白秋氏が満州を訪れたのは昭和に入ってからだそうで、満州の冬を想像して作られた曲、ということになります。山田耕筰氏の曲も、寒い冬の夜、暖かく照らす光の様子にピッタリです。
December 9, 2010
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今日はデイサービスセンターで絵本の読み聞かせと歌を歌いに行ってきました。読み聞かせは一緒にいったもう一人の方、歌の伴奏は私が担当しました。読み聞かせは、「おごだでませんように」くすのきしげのり:作 石井聖岳:絵そして「ハルばあちゃんの手」山中恒:作 木下晋:絵どちらも私にとって初めての本でした。「おこだでませんように」は、お母さんや先生におこられてばかりの小1の男の子のお話です。学校で七夕の短冊に「おこだでませんように」(おこられませんように、と書きたかったのです。)と書かれたのを見た先生が、その男の子にかける言葉が叱る言葉だけだったことに気付いて…と最後は少しジンとくる内容です。読まれる方の軽妙な語り口と、セリフが関西弁だったりして、とてもウケました。おこられている男の子の気持ちにも、おこるお母さん、先生の気持ちにも共感しながら、笑いながらも最後は思わず涙してしまいました。「ハルばあちゃんの手」は、戦前に生まれた「ハル」さんの一生を描いた大人向けの絵本でした。これはBGM、唱歌をアレンジせしてつければ良さそうです。私の祖母も「ハル」さんで、それだけでも親しみを感じる本です。聞いてくださった方々の年代とも重なり、「私らの場合は…」とあとで話に花が咲きました。歌は、唱歌など懐かしい曲から数曲。もう12月に入りましたが、まだ紅葉が楽しめるので秋の歌も歌いながら、「今年の気候はおかしかったね~」。お部屋はすでにクリスマスの飾りつけされていたので最後は「きよしこの夜~」で終わりました。今回も皆様からたくさん元気いただきました。「ありがとうございました」
December 8, 2010
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初めてアメリカ(USA)へ行ったのは観光旅行で、1995年のことです。ニューヨーク、ワシントンの観光名所をまわりました。ニューヨーク・5番街の、とある教会に寄ると、中ではひざまずいてお祈りしている方々が結構いらっしゃいました。丁度お昼時で、昼休みちょっと祈りに来る、という感じでした。礼拝堂の壁に沿って、マリア様をはじめ数人の聖人の像が置かれていて、その前でも祈っている姿がありました。ニューヨークのど真ん中でも、教会で祈るのは日常の事である様子を見て、やはりクリスチャンの国なんだな~と感じたものです。それからひょんな事がきっかけで、いくつかの教会の礼拝に参加することになりました。宗派によって集まる人種の構成に特徴があって、ほとんど白人の教会もあれば、白人、黒人、プエルトリコ系バランス良い教会、プエルトリコ系でスペイン語が飛び交う教会…様々です。偶然かどうかは分かりませんが、いずれも聖歌隊が素晴らしかったのには感動でした。「ブルースブラザーズ」「天使にラブソングを」はこんな社会から生まれたんだ~と納得。説教を音楽・歌で盛り上げるので、初めて参加する者にとってはまるで「ライブ」でした。(礼拝で訪れたのはすべてプロテスタント系の教会でした。)礼拝後は皆さん、和気あいあいと交流していました。そんな様子を見ながら、アメリカ民主主義の根幹は「人間は神の下では平等」ということなんだと感じたりしました。日本の民主主義は…いかがでしょうか?最近、明治時代を見直すようになって、キリスト教の本質がもっと浸透していたら歴史が変わったのではないかと思うのです。
December 6, 2010
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ジルヘル(ドイツ)・作曲(1838年)近藤朔風・訳詞(1909年/明治42年「女声唱歌」掲載) 原曲歌詞はハイネによるものだそうです。 なじかは知らねど 心わびて、 昔の伝説は そぞろ身にしむ。 寥しく暮れゆく ラインの流 入日に山々 あかく映ゆる。 美し少女の 巖頭に立ちて、 黄金の櫛とり 髪のみだれを、 梳きつつ口吟む 歌の声の、 神怪き魔力に 魂もまよう。 漕ぎゆく舟びと 歌に憧れ、 岩根も見やらず 仰げばやがて、 浪間に沈むる ひとも舟も、 神怪き魔歌 謡うローレライ。近藤朔風氏は明治13年生まれ。東京音楽学校で学び、「菩提樹」「野ばら」「シューベルトの子守歌」などの名訳があります。瀧廉太郎氏の一つ下になります。日本初のオペラ上演も手掛けたそうです。若干23歳の時ですね。残念ながら35歳でこの世を去ります。瀧廉太郎氏ほどではなくとも短命だったのが惜まれます。瀧廉太郎氏がドイツへ留学しているので、ドイツ音楽はかなり日本に入っていたのでしょう。この頃、多くの人々がドイツへ留学しているので、ドイツはその頃最も親しみのある外国だったと思われます。当時ローレライを歌う人々の心にドイツはどのような国とイメージされていたのでしょう?YouTubeで女声合唱を探してみましたが見当たりませんでした。↓試聴できます。
December 5, 2010
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出身高校は九州・福岡にあります。全国各地に同窓会があって、関西圏でも年に一度、90歳近い大先輩から関西方面に進学した 学生までが集う「総会」の他、様々なクラブ活動(?)も行われ音楽サークルもあります。音楽サークルの活動は年4回集まってそれぞれ練習してきた曲を披露したり、合唱したりするのですが、今日はその日でした。昨日、一昨日と楽器に触っていなかったので、会場に向かう電車の中で楽譜を見ながらせめてイメージトレーニング、と楽器を網棚に置いたのが大間違い。駅に到着して慌てて楽譜をかばんに入れて降りたら、なんと楽器を置き忘れてしまったのでした。幸い、電車の終着駅までは20分ほどだったので取りに行って無事に手元に戻ってきました。会が始まる30分前には行って、ピアノの方々と合わせる予定でしたが間に合わないので遅れると連絡を入れ、30分遅れで会場に到着すると、すでに皆さん(ほとんど先輩)に置き忘れたことが知れ渡っていて、「あ~恥ずかしい(^^;)」中学生の時もレッスンに行く途中、ホームに置き忘れたことがありました。ボーっとしているというか、そそっかしいのは、なかなか治らないようです…今回は、「七つの子」をピアノの先生をしている方に伴奏をお願いして、それからもう一曲(知った人の中で弾くのをいいことに、ずうずうしく)「メンデルスゾーン・Vnコンチェルト」を易しく短く編曲してあるものを、こちらは86歳の先輩のピアノに併せていただいて弾いてみました。烏は、あの大きなくちばしと黒々としたところ、なかなか好きにはなれないでいますがこの曲を作った方々は私とは観点が違ったのでしょうね。しみじみする曲です。そんな風に弾けたんだかどうなんだか。↓編曲は岩河智子さんによるものでした。以前から腕に覚えのかる方、プロの方、最近始めたばかりの方、様々ですが音楽を愛する心、表現したい思い、等が共通項で、和気あいあいと楽しい一日でした。
December 4, 2010
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神戸で今年もルミナリエが始まりました。 阪神大震災からの復興、犠牲者の鎮魂を願って始まり、早いもので16回目です。 今日の日中、神戸は大荒れの天気でした。 快晴の青空が一転、にわかにかき曇ったかと思うと強風に大粒の雨。 JR他、神戸空港へ向かうモノレールも一時運行を見合わせるほどの強風でした。 夜には風もおさまり、ルミナリエにはさほど影響無かったようです。 地上のイルミネーションが美しい冬は、天井の星空も冴々と輝く季節です。 思い出される曲の一つがこの曲です。 「冬の星座」 堀内敬三・訳詞 / ヘイス・作曲 木枯らしとだえて さゆる空より 地上に降りしく くすしき光よ ものみな憩える しじまの中に きらめき揺れつつ 星座はめぐる ほのぼの明かりて 流るる銀河 オリオン舞い立ち 昴はさざめく 無窮を指さす 北斗の針と きらめき揺れつつ 星座はめぐる 高校の頃、冷え込む夜空の下で天体観測したことが思い出されます。 星が一番輝く季節はやっぱり冬です。 原曲は、1871年に作られた Mollie Darlingという恋歌です。 日本語で直訳すると、讃美歌にしても良いようなメロディーには そぐわなかったかも知れません。 第2次大戦終了前のアメリカの恋愛、というとアメリカではないのですが お隣カナダの「赤毛のアン」シリーズで描かれる「恋愛」が連想されて、 このメロディーがぴったり合うように感じるのです。 本当に素晴らしい訳詞です。\(^o^)/
December 3, 2010
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2008年は「朱蒙」「太王四神記」で高句麗の世界に浸り、続いて現在BSで放映中の「善徳女王」で新羅の世界にとっぷりと浸っていましたが、最終回も後1カ月となってきました。こうもとっぷり浸るというかはまってしまうのは、話の展開の面白さ、個性溢れる登場人物、等々あるのでしょうが、挿入歌も素晴らしいのです。少し前に話題になったポール・ポッツさんの歌う曲も良いし。「足音」はハングルならではの味わいがあって…「美味しい」音楽です。【送料無料選択可!】【試聴できます!】善徳女王オリジナル・サウンドトラック / TVサントラ価格:3,150円(税込、送料別)
December 2, 2010
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北原白秋・作詞 / 山田耕筰・作曲 待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日せっせと 野良稼ぎ そこへ兎が 跳んで出て ころり転げた 木のねっこ 待ちぼうけ 待ちぼうけ しめた これから寝て待とか 待てば獲物は 駆けてくる 兎ぶつかれ 木のねっこ 待ちぼうけ 待ちぼうけ 昨日鍬取り 畑仕事 今日は頬杖 日向ぼこ うまい伐り株 木のねっこ 待ちぼうけ 待ちぼうけ 今日は今日はで 待ちぼうけ 明日は明日はで 森のそと 兎待ち待ち 木のねっこ 待ちぼうけ 待ちぼうけ もとは涼しい 黍畑 今は荒野の 箒草 寒い北風 木のねっこ 息子が「待ちぼうけ」を歌っていたので、「よく知ってるね~」と言うと 音楽の授業で習っている、とのことでした、 たなぼたを狙っている人物(たぶん)男の様子が、テンポ良く歌っていると 可笑しくて楽しい見たいです。 毎回繰り返される出だしで「待ちぼうけ」と最後の「木のねっこ」が効いていて 木のねっこで待ちぼうけしている場景が生き生きと浮かんできます。 機嫌良く歌っている息子に、ついつい「毎日まじめに勉強しないと」と言いそうになって 止めました。せっかく歌で理解できるのに…と思わず苦笑いです。
December 1, 2010
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