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酒が好き、飲むことが好きという奴にやな奴はいないのはわかりきったこと。僕は、最早40代なので若い頃とはスタンスがころっと変わってしまった。お酒を飲めば、酒自体はおいしいし、でも飲むほどに体はふにゃふにゃになっていってしまうのだから。 とはいえ、そんなオヤジでも飲むときには女性がそばにいるのが最高にうれしいシチュエーションではある。それって、ともすればプラトニック何とかになりかねないけれど、所詮、酒飲みのオヤジというものはそんなもの。 でも、そんなことも省みず、夜な夜な飲んだくれる自分はいったい何なのだろうと思いつつも、こんな年になっても変わらない僕がバカなのだろうかと日々逡巡する毎日です。(ちなみに、妻には相手にされていません)
Sep 30, 2004
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思い入れのあったセリカも次の愛車を物色するに連れて徐々にフェイドアウト。次のターゲットはVWビートルのカブリオレにしたのだけれど、中古車しか買えないのと使い勝手の面を考えて泣く泣く断念(学生の身なので)。結果的にゴルフ1を購入。ちょうど、ポパイが創刊され、黄色いビートル、真っ赤なゴルフが流行り出した頃。僕も若かったし、時代もビビッドだった。 そんなゴルフにスケボー乗せて渋谷の街をぶんぶん走っていました。ファーラーのパンツ、リーバイスのコーデュロイ、マウイのシャツ、ケッズのバッシュ、コンバースにアディダス、みんな懐かしいグッズだし、今はもう、遠い過去の事。 現在の僕は、アルコールですっかり超えてしまったウエストをどうやって絞ろうか、サウナでうなっている情けないオヤジです。若い頃って何でやせていたんだろう?
Sep 29, 2004
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団塊の世代の50代とバブル世代の30代のハザマに挟まれている我等40代。リストラとか、出世とか、何かと貧乏くじを引かされていると思っていませんか。 でもね、僕は思うんですけれど、極端な世代に挟まれながら一番バランス感覚を保っているのは、実は40代だと思っているのです。50代の前時代的な感覚も斟酌してあげつつ、30代の話にも頷ける、そんな器用な世代なんではないかと思うわけですよ。世の中的には、団塊の世代のバックに隠れて日の当たらない世代になっているのかもしれないけれど。 しかし、それは真実ではありません。現在のカルチャーに通じる方向性を作ったのは何を隠そう我等40代の文化なのだ。ポパイ、JJ、を始めとした雑誌カルチャーの発生は昭和50年代だったし、今流行のサンダーバードだって僕らのカルチャーだった。 みんなで、もっと40代パワーを復活させよう!
Sep 28, 2004
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学生時代は、どこに行くにも愛車のセリカと一緒。クルマなしの生活なんて考えられなかった。たとえ電車で行った方がはるかに近くても、絶対クルマで行くというのを信条にしていた。 クルマの良さ。それは、プライベートな空間を移動しながら作れることであり、カップルで行動するに当たっては最も理想的なトランスポーターである。だから、デートには、もってこいの交通手段だが、現代では違ってしまったのかな・・・。「私をスキーに連れてって」、「波の数だけ抱きしめて」などのホイチョイ系作品が、当時の世相を最も色濃く表していると思うが、まさにあんなノリで僕も学生時代を過ごしたものだった。苗場プリンス、軽井沢プリンス、よく仲間同士でいったなあ。今はもう、たまに会って酒を飲み明かす単なるオヤジとバアサンになってしまったけれど。
Sep 27, 2004
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学生時代はどこに行くにもセリカとともに行動をしていた。よく遊んだフィールドは渋谷だけれど、当時の渋谷は今の渋谷とは違って、もっと地味で大人の街だった。代々木体育館の駐車場がただで止められたのでよく利用したものだ。渋谷区役所もうまくすれば止められたけれど。公園通りもまだ、2車線あって少しなら路駐もOKだった。 待ち合わせの喫茶店は「時間割」か「DOVE」。ちょっと小腹がすいたときは、渋谷ホームズ地下の「モンパン」によく行った。なにせ、フランスパンが食べ放題だったので学生にとってはありがたい存在だった。そういう意味では、シェーキーズも同じだけれど。 今と違って、センター街とかではほとんど遊ばず、もっぱら公園通り付近とファイヤーストリート付近で遊んでいた記憶がある。友達が文化屋雑貨店でアルバイトをしていたので、文化屋の隣の「シラノ」にもよく行った。 とにかく、当時の渋谷はクルマで行動するには便利な街だった。まだ、すこしだけ大人のエッセンスが残っていた時代のことである。
Sep 26, 2004
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当時の仲間がどんな車に乗っていたかというと、まずコスモ(12A)。ロータリーでめちゃくちゃノーマルでも速かったけどおそろしく燃費が悪く、そういえばエアコンもつけてなかった。(当時はエアコンなしも当たり前)縦桟グリルが一世を風靡したものだ。もう一台はBMW320。六本木カローラとも後になって言われたあの320です。ちっとも速くなかったけれど、これがドイツ車のテイストかと訳知り顔で論評したものです。 チューニング、ドレスアップをするにしてもオートバックスなんてなかったから口コミでショップを見つけていったものだった。よく行ったのは、青山墓地下のピットイン青山。アクセサリーが豊富にそろっていて、お金のない学生にとっては、見ているだけでも楽しいものだった。後は、目黒通りのGM。今でもあるかな。 もう一度、車に熱くなれる年に戻りたいものだ。
Sep 25, 2004
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都内以外でのドライブスポットは主に湘南。僕は大学1年のときは日吉に住んでいたのだけれど、免許取立てのころはうれしさのあまり毎晩一人で走りに行ったものだった。僕が作ったドライブコースは日吉を出発して菊名から横浜に出て16号を南下、横須賀を抜けて、観音崎で休憩。逗子、葉山を回って帰ってくるという三浦半島一周コース。ユーミンを聞きながら、走りまくったものだ。今はもう、湘南に行く機会もそれほどないけれど、若かりし頃の思い出が、湘南にはいっぱい詰まっている。できたばかりのラ・マーレ・ド・茶屋でお茶するのも当時としてはおしゃれだった気がする。そういえば、九つの井戸という蕎麦屋が原宿の交差点の近(?)にあってよく行ったのだけれど、いまでもあるのかなあ。
Sep 24, 2004
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僕が学生時代、よく遊んだ街は、自由が丘、代官山、渋谷、青山。どこに行くにもクルマがつきもの。クルマなしの生活なんて考えられなかった。当時はファミレスなんて都心部にはなかったし、仲間同士で深夜によく集まったところは、青山のキラーどおりにあったO&Oという24時間営業のレストランダイナーとその向かいの(こちらは今でも健在)サラ。クルマ談義に花を咲かせながら、夜な夜な盛り上がったものです。
Sep 23, 2004
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僕がはじめて自分のクルマを持ったのは、大学に入学した昭和55年。世の中、折りしも排ガス規制の真っ只中で、どのクルマもパワーダウンしていて魅力的なクルマはちっともなかった。でも、その中でもセリカLBのスタイリングの良さは際立っていた。マスタングマッハ1のパクリともいえなくはないが、あのエモーショナルなスタイリングは今の時代にあっても色あせることはない。できることなら、また、所有したいものだ。
Sep 21, 2004
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