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祥之介は云うのでした。「球磨之介。ご先祖様に熊之助という人がいるぞ」「明治三十三年五月二十四日生まれで明治三十三年六月十五日に亡くなっているね」「ふむ。未熟児ででもあったのかね?熊之助にするかね?」「どっちでもいいよ」ということで靖国神社に向かうのでした。「右膝を痛めてしまって歩くのがつらいのである」「そんなこと云ったら笑われるぞ。これから靖国にいくんだ」「ふむ。行軍をしていたらこんなのは痛くないのである」「そうだ!兵隊さんは文句を云ったってどうにもならないんだぞ」「ふむ。戦地は大変なのである」「とうちゃん。遼陽って寒いんだぞ。黒溝台の会戦では彼我共凍死者続出だそうだぞ」「ふむ。二月の平均気温は零下二十度から三十度だそうである」「更に強風が吹き荒れているんだぞ」「ふむ、歌に出てくる満州も全部寒そうだぞ。♪ 銃に氷の花が咲く ♪である」「上海だよりだな。♪ もずよ寒いと鳴くでねえ アンサはもっと寒いだろ ♪」「もずが枯れ木でであるな。とにかくどの歌も寒いのである」「東京の冬なんて短パンにランニングだ」「ふむ。高校の時はそんな恰好で皇居や武道館の周りを走らされたのである」「どうだ。汗も出てくるだろ」「いや、老人は冷えているのである」「毎月十八日にこようと思ったのに残念だよな」「ふむ。わがままも云っていられないのである。同僚の人が白内障の手術の前検査なのである」「十七日に休みをもらったけれど、十五日のほうがいいよな」「ふむ。実は三月の十八日は目の手術の日なのだそうである。けれど初めて迎える祥月命日であるから休ませてもらうのである」「大体過去帳に二月一日って書いてあるからいけないんだよな」「ふむ。どうしてそうなったんだろうね。役所に死亡届を出したのは七月になってからである」「なんったって明治時代だからな。戦死の知らせがきたのが三か月遅れなら早い方じゃないか」「ふむ。戦死者続出だからね。それを全部人の手で処理していたんでは、三か月くらいはかかってしまうよね」「奉天会戦までに五万人以上の人が戦死しているんだね。記録をとるだけでっ大変そうだぞ」「なあ、球磨之介。熊之助にしよう。拙者は赤紙がきたら割と喜んで行くとは思うのである。けれど三歳の娘がいたら行きたくないのである」「そりゃあそうだろう。靖国で待っている間に流れるビデオでも妻と子供を残して出征する人の遺書が流れるじゃないか」「ふむ。そんな人がいっぱいいるとは泣けてくるのである」靖國は工事中なのでした。「とうちゃん。一年に一回ちゃんとした慰霊の日をつければいいのにな」「ふむ。教科書だと数分で終わってしまう、日清、日露戦争であるが、もし負けていたら日本なんてなくなっていてもおかしくないのである」「というか、なんで中国とロシアに勝ったんだ?調べれば調べる程わからないぞ」「中国は見下しすぎだけど、ロシアなんてあと二年くらい適当に長引かせておいたら勝手に日本は負けたぞ」「ふむ。やっぱり日本海海戦の大勝利が決定打かね?」「神風どころの騒ぎじゃないよな」申し込みにいくと「次回二時四十分」と書いてあるのでした。「とうちゃん。朔日と十五日は参拝の人が多いのか」「わからないのであるが、初めて時間の制限がついたのである」「いつもひとりかふたりでやってもらっているもんな」小一時間あるので一度表に出るのでした。先に拝殿にお参りをするのでした。「球磨之介、今日は祝詞を唱えてもらっている間に兵站病院勤務の人たちにお礼を云おうと思うんだよ」「機関銃の弾の中に突っ込んでいくのも大変だけれど、後方の看護兵も大変だよな」「ふむ。日露戦ではご婦人は戦地にいかなかったようである。四十人くらいの看護婦さんが殉職なさっているようであるが、病院船でひとり亡くなっている以外は内地勤務のようである」「さすがに内地で脚気で死んだ看護婦さんはいないみたいだよ。ほとんどが赤痢、腸チフスなどの伝染病だね」「今だったら抗生物質ひとつで治るのにね」待つ間に休憩所前のベンチに座っているのでした。「とうちゃん、今日は忘れ物はないか?」「大丈夫である。玉串料にお酒に手拭いである」「そろそろいこうか」この日も一番に名前を読んでもらえたのでした。驚いたことに同姓の若い兄弟か従妹か?三人で慰霊にきていたのでした。とてもいい教育を受けているように思うのでした。「とうちゃん。また袋を間違えたのかな」「ふむ。今日はお酒と羊羹にもどているね」「今日は知らない巫女さんだったよ」「ふむ。神饌の中身などどうでもいいが、鳩を大きくしてくれないかね」「そんなの無理だろ」「それじゃ。ジブリに頼もう」「なんだ!?いきなり」「ふむ。日露戦では赤い兵隊が出没したそうである」「記録によると愛媛から香川の狸が決起したヤツだな。天狗の部隊とか甲冑を着た八幡部隊とかいろいろあるぞ」「ふむ、なので蛍の墓みたいな感動巨編を鳩が主人公でつくってもらうのである。そうすれば募金も集まって大きな鳩の像が作られると思うのである」熊之助は思うのでした。「うちのとうちゃんは何を考えているんだ……」
2025年02月17日
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ハンサム団は企てているのでした。「とうちゃん。深川不動には供養の札があるそうだ」「ふむ。それはなかなかないのである」「今日は曾祖母の代の家族のご供養をしてみよう」「ふむ。こまさんと三之助さんだね」ということでふたりは門前中町にやってきたのでした。「球磨之介。山門隣の伊勢屋さんは相変わらず大混雑である」「ここの赤福もどきは美味しいよな」「ふむ。餡子も美味しいし餅も美味しいのである」この日は一月末だったのでお寺は大混雑で護摩修業にも入れないのでした。こまさんとさんのすけさん、子供のりまさんとみつさん、祥之介のおじいさんであるげんじさんのお札を書くのでした。ここはお札を書いてからのお会計で「これは戒名ですか?」「いえ」「そうしましたら上に俗名とお書きください」と云われてしまうのでした。「球磨之介。過去帳をもってくればよかったかね?けれど武徳院義獄良忠居士とかでは誰だかわからないのである」「それにしても嫌味な感じもするな。曾根三之助なんて戒名はあるのか?」「お金が無ければ戒名がつけられないとか、戒名自体をつけない宗派とかあるかもしれないぞ」「球磨之介、混んでいるのである」「どこにどう並んだらいいのかわからないな」お札の申込書とかを聞かれるのですがどこだかさっぱりわからないのでした。ダキニさんにお参りをするのでした。混んでいるので富岡八幡宮に移動するのでした。「それにしても伊勢屋さんは混んでいるね」「おい、球磨之介。これではお参りどころではないのである」「まともに参道をあるけないな」なんとか手水舎にやってくるのでした。拝殿にお参りをするのでした。「そうだ!深川不動の横にお参りをし忘れたのである」ということでお寺に戻るのでした。相変わらず伊勢屋さんは大行列なのでした。こちらはすいているのでした。ひととおりお参りをするのでした。お参りをするのでした。ここにも戦争犠牲者の供養塔があるのでした。「とうちゃん。これくらいなら並んで買えるぞ」「ふむ。かば姐にあんみつを買っていこうではないか」あんみつは売り切れで、赤福みたいなお餅とずんだとごまのお団子を買って帰るのでした。ここの胡麻の串団子はちょっと他で食べたことがないものなのでした。渋谷に帰路をとるハンサム団なのでした。
2025年02月16日
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「とうちゃん、老けたな」「ふむ。本当のおじいさんなのである」ということで御祈願に出かけるのでした。いつものように愛宕・若宮神社からお参りを始めるのでした。「そういえば、伊㔟藏ちゃんが出征したときの娘さんは三歳だったよな」「ふむ。文奏ちゃんと同じくらいなのである」「可愛い娘を残して異国の地で死ぬのはさぞ心残りだっただろうな」「ん~、死ぬときは絶対こまさんとりまちゃんのことを思って死んでいったんだろね」二人は駅でお供物を常香炉でお線香をもとめて上杉堂からお参りを始めるのでした。不動堂にお参りをするのでした。「今度供養の札がある深川不動尊で供養をしようよ」「ふむ。死んだ人も悲しいだろうけれど、残った人だって悲しいのである」権現社にお参りをするのでした。本堂にお参りをするのでした。「不動堂のまわりは混んでいるのに本堂のほうはいつもガラガラだね」「ふむ。こっちが本堂なのにね」六地蔵産にお参りをするのでした。菩薩様にもお参りをするのでした。にこにこ地蔵さんにもお参りをするのでした。「とうちゃん。今年は大根二本だぞ」「ふむ。早めにお供えしようね」聖天堂にお参りをするのでした。大師堂では「南大師遍照金剛」と唱えてお参りをするのでした。八十八番の人にもお参りをするのでした。虚空蔵菩薩堂には十三日が命日のくまをお願いするのでした。お坊さんにお参りをするのでした。お寺は冬景色で更にとても寒いのでした……お稲荷さんにお参りをするのでした。大きな人にお参りをするのでした。弁天橋を渡ってお参りをするのでした。不動堂で募金をしてお参りをするのでした。小さな人にお参りをするのでした。今月は富病平癒でめろんさん、ろぜさん、まりあもにかさん、きてぃさん、みるぷぷさんです。心願成就でちゃおりんさん、ぽにょたさん、るびーありすさん、まるまるぼんぼんさん、きょんきょんさん、同僚女性となっております。「球磨之介、三時のお護摩がないのである」「次は四時になるぞ」「ふむ。今日は大國魂神社にもお参りをしたいのである」ということでお不動をあとにするのでした。「とうちゃん、今年初だな」「ふむ。最近は土日も病院なのである」まず鈿女さんのところにお礼をしにいくのでした。「周子と安産祈願をしたのは遠い昔のことである」「そういえば文奏ちゃんは小さい頃の周子ちゃんそっくりだよな」「ふむ。陽登も健康でなによりである」「近々会いにいかなくちゃな」大國魂神社にも日露戦争の碑があるのでした。「とうちゃん、丁寧にお参りをしよう」「ふむ、境内には軽巡多摩の神社もあるのである」戦争は悲しいだけだと思うのでした。お参りを終えて渋谷に帰路をとるハンサム団なのでした。皆様お元気でお過ごしください。
2025年02月09日
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ハンサム団は前の日にお酒を買って支度をしているのでした。「とうちゃん。今年一年は十八日にお参りに出かけよう」「ふむ。一年は重点的にご供養に出かけよう」「十八日は通院日にして休みをもらおう」「ふむ。いままでは二月一日だけであったが、これからは毎月十八日を通院日にしようではないか」ということでハンサム団は九段にやってくるのでした。「とうちゃん。兵籍簿を請求したら何もわからなかったな」「ふむ、しかしだ、ちゃんとした命日がわかったのである。しかも清国盛京遼陽兵站病院で亡くなったこともわかったのである。ここまでわかるとは思っていなかったのである」ふたりは仲良くお参りに向かうのでした。「とうちゃん、忘れ物はないか?」「ふむ。正月早々忘れ物はいけないのである。ちゃんと御玉串料ものしにつめたのである」「今日はまた混んでいるな」「ふむ。お盆にきたとき以来の込み具合である」「みんな初詣を済ませてないのか?」手水舎で気がつくのでした。「球磨之介。お手ぬぐいを忘れたのである。普通の参拝なら自然乾燥で大丈夫であるが拝殿内で手を浄めるときはきれいな手拭きが必要である」「洋服で拭いたらお浄めにならないよな。靖国の手拭いがあったはずだよ」授与所で聞いたら戻らなければならないのでした。お食事処は大混雑なのでした。「とうちゃん、手拭いを買うのに随分待つな」「ふむ。このあとは帰るだけである。のんびりいこう」今治タオルとコラボしたお手ぬぐいを求めるのでした。「とうちゃん、もう一回のし袋とお酒の確認をしろよ」「ふむ。大丈夫である」ふたりは慰霊をお願いするのでした。「球磨之介、旧字の㔟を忘れたのである」「スマホのブログを見ろよ」無事書き終えて待っているのでした。「とうちゃん、今日は随分待つね」「ふむ。拙者達と同じで慰霊の人がひとり、あとは新年の御祈願の人が何人かいるのである」靖国は相変わらず行列なのでした。「一番に名前を呼んでくれていたね」「ふむ。先月来て過去帳や戸籍を見てもらったから巫女さんも覚えてくれていたようだよ」この日はいつもくれるお酒の奉納書きをくれなかったのでした。座って薬を飲んでいたら声をかけてくれるのでした。「お酒を奉納されていましたよね」「はい」「神饌の交換札をお持ちですか?」「はい、御神饌でしたら頂きましたが」「間違って渡しているみたいです」見ると台の上に紙袋がひとつ残っているのでした。「とうちゃん、中身が違うらしいぞ」「ふむ。最初のはお神酒と羊羹だったのである。こちらは更に鰹節と昆布、和三盆の干菓子が入っているのである」「お酒を持っていくと中身が増えるんだな」「そうでもないと思うぞ。お酒はいつも持っていくのである。最初にきたときはお酒と羊羹だったのである」「何度もきているとおまけも増えるのか」二十分くらい並んでお参りができるのでした。「とうちゃん、正式参拝をしてから普通にお参りをしてもいいんだよな」「ふむ、ネットによると正式参拝したらそれでいいようである」「けれどみんなと並んで参拝するのもいいよな」「ふむ。けれどほとんど初詣の人のようだよ」「外人さんも交じっているよ」「ぎこちないけれど一生懸命お参りをしてくれると有難いのである」「靖国がどんなところか知っている感じの外人さんが多いね」「どこの国とも戦争なんかしてほしくないのである。しかしだ、球磨之介鳩だけ小さいではないか」「とうちゃん、馬は大きいし、犬も鳩の何倍もあるんだ」靖国を出て右を見ると武道館が見えるのでした。「球磨之介。武道館ってこんなところにあったんだな」「とうちゃんは高校の時武道館の周りを走らされていたじゃないか」「ふむ、武道館はコンサートでよく来たのである」球磨之介は思うのでした。「うちのとうちゃんは何も考えてないとしか思えない」なのでした。
2025年01月19日
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ハンサム団は相談するのでした。「とうちゃん、今日は仕事を休んで御祈願とお医者に出かけよう」「ふむ。薬がないのである」「御祈願だって土曜日は混むぞ」医者が遅れて高幡不動には13時ギリギリに到着するのでした。「とうちゃん、今日は神社をあとにしよう」「ふむ。一時から護摩修業である」急いで行ったのですがいっぱいで入れないのでした……「とうちゃん。二時半の護摩修業に出るか?」「球磨之介。今日は三軒医者にいかないければいけないのである」ということで外でお経を聞きながら護摩木を書くのでした。本日は「当病平癒」でまりあもにかさん、みるぷぷさん、めろんさん、ろぜさん、あとで気が付いたのですがきてぃさんも不調続きなんで次は当病平癒にしますね。「心願成就」でちゃおりんさん、ぽにょたさん、るびーありあすさん、きてぃさん、まるまるぼんぼんさん、きょんきょんさん、同僚女性。「お礼」で祥之介となっております。常香炉でお線香をもとめて上杉堂に向かうのでした。「とうちゃん、今度ひいじいちゃんのお塔婆供養をしようか」「おい、球磨之介。ひいじいちゃんであっても27歳で亡くなっているんだぞ」「それでじいちゃんはかわいそうだな」「ふむ。普通に伊㔟藏ちゃんと呼ぼうではないか」「ここにも登場させるか?」「ふむ。考えてみようではないか」素敵な不動三尊にお参りをするのでした。「とうちゃん。なんかお正月だな」「ふむ。なんか空気感が違うね」五部権現社の写真を忘れたのでした。権現社にお参りをして本堂にお参りをするのでした。六地蔵産にもお参りをするのでした。素敵な菩薩様にもお参りをするのでした。にこにこ地蔵さんにもお参りをしてアップで撮ってみました。「とうちゃん。今年は大根二本だ」「ふむ。去年はまるの大根が一本しか売っていなかったのである」「今年は渋谷で買っていくか?」「なんで大根なんか持って電車に乗らなければならないのであるか」「高幡不動のほうが大根はいっぱいありそうだけれどな」「ふむ。大根一本は使い出があるからね」大師堂には「南遍照金剛」と唱えてお参りをするのでした。募金をして八十八番の人にお参りをするのでした。虚空蔵菩薩堂ではくまをお願いするのでした。お坊さんにご挨拶をするのでした。景色がやっと冬の感じになるのでした。お稲荷さんにお参りをして、隣の第二次世界大戦供養塔に手を合わせるのでした。大きな人にお参りをするのでした。土方さんに挨拶をして弁天堂にお参りをするのでした。駅にいく途中で郵便局に寄るのでした。「とうちゃん、山形に兵籍簿を請求するんだな」「ふむ。返信用封筒を入れるのであるが切手を求めなくてはいけないのである」昨今は土日の郵便が停止するので、送る郵便も返信用封筒も速達にしてもらうのでした。いつもとは逆になりましたが「愛宕・若宮神社」にお参りするのでした。「とうちゃん、京王線は新宿に行くから千駄ヶ谷の病院によっていけよ」「ふむ、明大前、笹塚、新宿である」鳩森神社の隣の皮膚科にやってくるのでした。「球磨之介。病院はよくくる神社の近くに分散したのである」「といっても渋谷に耳鼻科はなくなったし、皮膚科だってどこも美容クリニックを兼ねたようなとこばかりだ」「ふむ。エステみたいになっている皮膚科が多いのである」「ここの病院はちゃんと病院だよな」「ふむ。カードが使えないけれど安いのである」病院を終えて鳩森八幡神社にお参りにやってきたのでした。「とうちゃん、鳩森様もまだ参拝規制中だな」「ふむ。わかりにくいのである。人がいないので跨いでいこうではないか」浅間様にお参りをするのでした。甲賀稲荷にもお参りをするのでした。御神木にお参りをしようとしたら、取材の受付中でよけながらお参りをするのでした。「おい、とうちゃん。天照様だぞ」「ふむ、伊㔟藏ちゃんをよくお願いしよう」「なんていったって伊㔟藏だもんな」このあとハチ公バスに戻ってもう一軒病院に出かけるのでした。
2025年01月09日
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ハンサム団は日曜日をのんびり過ごしているのでした。「球磨之介、今日は川崎大師にいこうと思っているのである」「とうちゃん、明日は仕事納めだよ。今日は近くの神社をまわろう」「ふむ。明日は休めないのである。ゆっくりやろう」まずは氷川神社にお参りにやってくるのでした。今年一年のお礼をいうのでした。本日は忠魂碑にお礼をいいにやってきたのでした。無事ご供養ができたことを感謝するのでした。続いて金王八幡宮にやってくるのでした。やっぱり今年一年のお礼をするのでした。「とうちゃん。金王様がご供養してくれたらいろいろ調べなかっただろうな」「ふむ。拙者の名前しか書かないのである。戸籍なんか調べないと思うのである」「結局これも神様の思し召しか?」「ふむ。神様は悪いようにはしないのである」忠魂碑にお礼をいって無事ご供養ができたことをご報告するのでした。忠魂碑の横にとんがったものが見えるでしょうか?砲塔のようなものもあるのでした。豊栄稲荷神社は今の住居当たり豊栄村のお稲荷さんなのでした。道玄坂は大好きなのでした。いつもお礼をいうのでした。六地蔵さんにもいつものように挨拶をして帰路をとるのでした。駅の工事もほぼ終わったようです。一応南口のようです。「とうちゃん、昔の友達が訪ねてきてももうどこがどこだかわからないよな」「ふむ。建物が変わるだけじゃなくて道も大幅に変わったのである」「桜が丘なんて街ごとなくなったもんな」三十日の日は会社に出社して一時間ぐらいで本店に向かうのでした。大手町で降りて将門塚にお参りをするのでした。本店で用事を済ませてお礼を云って東京駅から川崎を目指すのでした。川崎駅から乗り合いバスで若宮八幡宮前で降りるのでした。境内は正月の容易で慌ただしいのでした。馬頭観音や明長寺さんにご挨拶をして大師にやってくるのでした。本堂にお参りをするのでした。写真には写っていないんですが、正月の屋台が並んでいて稲荷神社の鳥居の前にまで屋台があるのでした。屋台を設営する人や、物品の搬入で寺はごった返しているのでした。「球磨之介。いつもしょう塚のばあさんにお参りをするのを忘れるのである」「だから肌荒れが治らないんじゃないか」地蔵菩薩さんにもお参りをして薬師堂を目指すのでした。本日は出勤用のかばんできているので鳩の餌が少なく途中のイオンでもち麦を買い足してくるのでした。大好きな聖観音様にお参りをして金色のお釈迦様にもお参りをするのでした。「とうちゃん。今日は最後だからちゃんと十二神将にもお参りをしよう」「ふむ、お賽銭もたくさん持ってきたのである」そうして帰路に就くのでした。参道を出たところで気がつくのでした。「とうちゃん、なんか忘れていないか?」「……今日は忠魂碑にお礼をしにきたのである。今度じゃダメであるよな」「ダメに決まっているじゃないか」ということでさっきお金を入れた托鉢のお坊さんに挨拶をして大師に戻るのでした。「球磨之介。忠魂碑のまわりも屋台だらけなのである」「というか屋台で全部隠れているじゃないか」斜めから失礼してお参りをするのでした。「とうちゃん、きた道を戻るのもなんだから旧門から出ようよ」「ふむ。子供の頃はこの門だったのである」「いつもはこっちから出ないから色々見られるな」「ふむ、薬師堂がきれいに見えるよ」「いろいろな会館もあるんだね」「たまにはこっちからも帰ろうかね」「こないだこっちから出たら道に迷っただろ」久寿餅をいつものように買って帰るのでした。毎年一日の早朝にやってくる大山稲荷に今年は大晦日の夜にやってきたのでした。「ふむ。これから初詣までは誰もこないのである」「人に見つからないといいな」白い紙を敷き詰めて今年は三方?三宝をしいれました。果物と野菜を用意しようと思ったのですが、皆さんがお供えしている油揚げをお盆に乗せてお酒は左に並べてお礼をして帰るのでした。「とうちゃん。今年の暮れはどこの神様にもいい報告ができたな」「心からお礼が云えるのは有難いね」昨年は有難うございました。今年も宜しくお願い致します。
2025年01月01日
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球磨之介は糠野目村からの文を待っているのでした。「遅い。今日届かなかったら年内の参拝は無理だ」きっかけは日露戦争で戦没したひいおじいちゃんなのでした。「球磨之介。田舎の庭にあるお墓が誰の墓だか誰も知らないのである」「それはいけないよ。お国のために亡くなったんだ。ちゃんとお礼をしなければ」「ふむ。金王八幡宮には戦後記念の碑もあるのである。お願いしてみよう」ということで金王八幡宮にお願いをしたら「うちは死者を供養するところではありません」「ご供養というより感謝をあらわしたいと思っているのです。そこで氏神でもあり乃木大将の筆になる忠魂碑もありますし、こちらでお願いしようと思ったのです」「そういうことなら靖国にいってください」と断られてしまうのでした。ということでふたりは毎年命日と記されている二月一日に正式に参拝をするようになったのです。ところが過去帳を見ると戒名しか書いてないのでした。「すいません。管理が悪くて戒名しかわからなくなっているのです」「それではお名前は空白でいいですよ」去年一昨年と名字だけ書いてご供養をお願いしたのですが「とうちゃん、これじゃ供養にならないよ」「ふむ。名前も知らないとは恥なのである。調べよう」「とうちゃん。インターネットで書類を出せばわかるよ」「ふむ。一応役場に電話をして聞いてみよう。すいません。ひいおじいさんの名前が知りたくてお電話をさしあげました」「はい。どういうことでしょうか?」「日露戦争で戦没したひいおじいさんなんです」「ひいおばあさんのお名前はわかりますか?」「はい、ほまさんです。ひいおじいさんは三之助。私が知りたいのはほまさんの最初の夫、婿養子としてうちに入ってくれた方のお名前です」「はい、確かにありますね。それでは必要書類を送って頂ければよろしいかと思います」「球磨之介。一応父との関係がわかる謄本の写し、過去帳にはおばあちゃん以外の御先祖の実名があるので添付しよう」ということでハンサム団は書類の到着を待っているのでしたが届かないのでした。そうして電話がかかってくるのでした。「すいません。お尋ねの方の命日が違うのですが一応の確認です」「はい。二月一日というのはこちらでも違うのではないかと思っておりました。推測でしかないのですが、山形32連隊は明治38年1月25日より始まった黒溝台会戦に第八師団傘下として援軍でかけつけています。戦死した日は早くて26日戦闘は29日には終わっています。戦場で遺体確認ができたものをまとめて二月一日としたのではないかと考えています。それに一日と十五日は神社ではお朔日参り、十五参りと特別な日です。もしかしたら合同供養でもしたのかもしれません。それと口伝でしかないのですが戦病死とも伝え聞いております」「わかりました。それでは書類に不備はありませんので送ります」「申し訳ない。今からでは年内のご供養が間に合いません。コンプライアンスが厳しい昨今無理を承知でお願いします。漢字二文字か三文字かわかりませんが字だけでも教えて戴けませんか」何度かの問答のあとに教えてくれるのでした。「三文字です。伊東の伊。勢い。旧字で崩してあるので説明はしにくいです。更に倉です」「イトウのイは井伊直弼の伊。勢いは勢力の㔟。倉は倉庫の倉ですか?」「そうです」「ふむ、伊藤の伊に勢いに倉であるか」「とうちゃん。伊勢じゃないか」「そうか伊勢である。倉はゾウかね?」「イセクラではないと思うぞ」「ふむ。いせぞうさんかね?」ふたりは困ってしまうのでした。「球磨之介。お札は何枚か頂いているのであるが、伊勢だけはお参りに行っていないのである。今年から中央は靖国にしようかと思っているのである」氷川神社で聞いてみるのでした。「やはり、中央には神宮大麻を祀らないとダメですかね?」「絶対ということはないんですが、日本の氏神様ですしできれば中央に神宮大麻を祀られてはいかがですか」と言われるのでした。「なあとうちゃん。伊勢倉さんじゃ伊勢のお札は外せないな」「ふむ。間違いなく伊勢からとった名前だろね」ということで今度は靖国のお札の順番に悩むのでした。そうして金曜日にやっと文が届くのでした。「おい。球磨之介。すごい名前の御先祖様がいるぞ」「十徳徳之助ってナイフみたいな名前だな」「球磨川球磨之介くらいすごいぞ」「ほまばあちゃんは。明治十九年八月一日生まれだ。けれど、これで本当にほまさんか?」「いいじゃないか。俺たちはひいおばあちゃんとしか呼ばないし」「あったぞ。伊勢蔵ひいじいちゃんだ」「倉じゃなくて蔵だったな」「ふむ。伊勢は旧字もいっぱいあるけれどこれは。生まれるに丸に力。よくあるやつだ。蔵も旧字だね」「おい!とうちゃん没日が全然違うぞ。明治三十八年三月十八日清国盛京省遼陽兵站病院に於いて死亡とあるぞ」「ふむ……黒溝台会戦で負傷して入院していたのか、それとも戦病死なのかここからではわからないな」「とうちゃん。山形県に兵籍簿の請求をすれば最後の様子がわかるかもしれないよ」「ふむ。けれど冷たい雪の中で死んだんじゃなくてちょっとほっとしたのである」球磨之介と祥之介はやまやさんに出かけるのでした。「とうちゃん、お酒は二本しばりだ」「ふむ。こないだ遊就館にいって思ったのである。一本じゃ全然足りないのである」「いつか金持ちになったら一ダースくらいは奉納しよう」「ふむ、一斗樽を奉納できるようになりたいものである」「どうやって持ってくるんだ?」「とうちゃん。役場から送ってくれた資料によると伊㔟藏ひいじいちゃんには長女がいるじゃないか」「本当である養子伊㔟藏長女とあるぞ。りまさんとあるぞ。お子さんがいたんだな」「会ってみたいよな」「ふむ。おじいちゃんは三人兄弟である。姉二人でやっと生まれた男の子として大切に育てられたそうだよ」「とうちゃん。戸籍を見ると伊㔟藏じいちゃんの長女。とうちゃんのじいちゃん。妹になっているぞ」「ふむ。別紙によると昭和二年に神奈川県橘樹郡鶴見生麦町で長女昭子さんを出産して除籍になっているようだよ」「鶴見はまだ横浜市ではなかったんだね」「それに生麦はうちの三人の娘を生んでくれた前妻の出身地である」「日本は狭いよな。栃木の小林さんと結婚したみたいだね」「……ちょっと待って。球磨之介!おじいちゃんの姉がひとりしかいないのなら追浜のおばさんしかいないのである。その旦那さんが小林さんなのである。横浜のうちの家を買うときに保証人になってくれたおじさんで、娘さんの昭子さんってアメリカのネイビーさんと結婚して田舎中大騒ぎになったおねえさんである。拙者のはとこ、青い目の金髪の男の子がふたりいるのである。父が再婚する前にはよく遊んでもらったのである」手水舎でお清めをするのですが、お酒が邪魔で難儀するのでした。「とうちゃん。探すまでもなくりまさんと会っているじゃないか」「ふむ。けれど多分拙者の父も知らないと思うぞ。昔親戚中に庭の墓のことを聞いたことがあるのである。一番上の伯母さん浄子さんが『庭のお墓のおじいさんは家にきて三日で出征したと聞いたことがあるんだよ』と教えてくれた以外、日露戦争で亡くなった人だということしかわからなかったのである」「今度一度本家にいってみよう。おばあちゃんの墓参りも済ませてないのである」「とうちゃん。明日お寺に行ってお塔婆でもたててもらおうか。りまおばさんももう生きていないよな」「ふむ。昭子ねえさんの弟が家をついでいると聞いているよ。昭子ねえちゃんはハワイにいるそうだよ」「まだ生きているかな?」「ふむ。もうあうこともないだろうね」本日はお酒が重たくて地面に置くわけにもいかないので、拝殿に参拝する前に正式参拝をすることにしたのでした。「正式参拝のお申込みですか?」「はい、一年に一度曾祖父のご供養をお願いしております。名前がわからなかったのですが判明したので御祈願をお願いします」「ご遺族への御参拝ですか?」「はい、そうなんですが家にお札をもって帰り家でも来年一年は重点的にご供養をしたいのです。故人の名前でお札を書いてもらったりはできないですよね」「そういうことはできません」「それでは祈願参拝を私の名前で『神恩感謝』にしたらどうでしょうか」「いいと思いますよ」「それと名前がわかりましたので合わせて曾祖父のご供養もお願いします」ふたつ申し込むのでした。「球磨之介。初めて『曾根伊㔟藏』と祝詞をあげてもらったのである」「やっぱり名前を聞くとグッとくるよな」「ふむ。少しは伊㔟藏じいちゃんも喜んでくれたかな?」「来年で120年だろ? とっくに成仏しているさ」「変な子孫がきたと思ってるかね?」「あの世の話のネタにはなりそうだな」そうして並んで拝殿にお参りをして帰路に就くのでした。鳥居をいくつかくぐって思い出すのでした。「球磨之介。鳩の供養塔があるらしいのである。見物して帰ろう」「とうちゃん。案内には書いてないぞ」「スマホで調べよう。軍馬と軍用犬と並んでいるらしい」戻ってみると確かにあったのでした。「球磨之介。なんで鳩だけ小さいのであるか?これでは目立たないではないか、犬や馬と同じ大きさにしてほしいのである」「おいとうちゃん。そんな鳩はおかしいだろ。これだって普通の鳩よりは随分大きいぞ」「ふむ。それなら鳩の群れにしてほしかったのである」「とうちゃん、明日はお寺にいこうか?」「ふむ、しかし予算を使い果たしたのである。お年玉はペイペイにしたら怒るかね?」「お寺の塔婆はカードじゃダメだしな」明日はどこかのお寺に行こうと相談するハンサム団なのでした。
2024年12月28日
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祥之介はいよいよやせ細ってしまうのでした。千尋は大変心配して一緒に御祈願にいくことになったのでした。「おじいちゃん、頂いたかまぼこを食べてでかけよう」「ふむ。レンジで温めてわさび醤油で食べよう」愛宕・若宮神社からお参りするのでした。この日は14日だったのですが、護摩修業の時間がわからないのと家のお札を替えるために申し込みをお願いするのでした。みるぷぷさん、富病平癒で札を書くのを忘れたのでした……左から心願成就でちゃおりんさん、ぽにょたさん、まりあもにかさん、るびーありすさん、きてぃさん、みるぷぷさん、まるまるぼんぼんさん、きょんきょんさん、同僚女性、富病平癒でめろんさんとろぜさんなのでした。お札も申し込んでお参りをはじめるのでした。今回はちょっと急いでいたのでお供物はなしなのでした。献香をしてお参りをするのでした。一年お世話になったお守りやお札を返すのでした。素敵な不動三尊にお参りをするのでした。大好きな権現社にお参りをするのでした。本堂にお参りをするのでした。六地蔵産にもお参りをするのでした。菩薩様にもお参りをするのでした。にこにこ地蔵さんにもお参りをするのでした。聖天堂に長いお参りをしている人がいたので先に「南大師遍照金剛」と唱えて大師堂にお参りをするのでした。聖天堂にもお参りをするのでした。「おじいちゃん。来年は大根二本だね」「ふむ。あっという間に今年が終わってしまったのである」八十八番の人にお参りをするのでした。虚空蔵菩薩堂では毎度のことながらくまをお願いするのでした。お坊さんの後ろの木々がやっと赤く色づいているのでした。お稲荷さんにもお参りをするのでした。大きな人にもお参りをするのでした。弁天堂にもお参りをするのでした。お参りを終えて不動堂で護摩修業を待つのでした。最後の護摩行はお坊さんが少ないのでしたwお願いしたお札も頂いて帰路につく祥之介一行なのでした。次の日は川崎大師にお札を替えてもらいにいくのでした。若宮八幡宮では餅つきをやっているのでした。歳末で小学生たちが声を枯らして募金を募っているのでした。「みなのもの覚悟しろ」「おじいさん、何を覚悟するのですか?」「小学生の集団はたくさんいるのである。少額ずつではあるが全てのグループに入れるのである」一行門の両脇にいるグループ、入った両脇にいるグループ、本堂の両脇にいるグループ…………「お賽銭用の小銭をいっぱい持ってきてよかったのである」「全部入れなくてもいいじゃないですか」「馬鹿者!募金をしているのではない。あの健気な小学生たちをガッカリさせたくないので入れているのである」帰りももう一度全部に入れて歩くよく解らない人になっているのでした。空襲で焼けなかったお稲荷さんにもお参りをするのでした。不動堂にはうる覚えの御真言を唱えてお参りをするのでした。大好きな聖観音さんには二回お参りをするのでした。薬師堂にお参りをするのでした。この日は十二神将にはお参りをご容赦願うのでした。帰りに毎度おなじみの久寿餅を買って帰るのでした。このあとバスで川崎駅に移動するのでした。川崎の総鎮守稲毛神社にやってくるのでした。茅野輪をくぐってお参りをして社務所でお札を替えてもらったらお屠蘇をくれるのでした。御神木の周りにある寅のところでお参りをするのでした。元が山王様なんで珍しい第六天神社にもお参りをするのでした。お稲荷さんも一緒にお参りしました。ここはほとんどの神様がいるのでした。鳥居が金色になっているのでした。どの神様だったか忘れました……お参りを終えて渋谷に帰ってきたハンサム団なのでした。東急がなくなったので、そのまま三菱銀行が見えるのでした。去年まであった大きな横浜銀行ももうないのでした。日が暮れるのが早くなりました。新宿は花園神社で新しいお札に替えてもらうのでした。皆様、寒気が入ってきておりますのでお身体にお気をつけください。
2024年12月21日
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「とうちゃん、靖国からお誘いの封書がきているよ」「ふむ。みたままつりだね。今年は休職中だし出かけてみようかね」「とうちゃん。お酒を買っていこうよ」「そうだね、手ぶらでは悪いね」球磨之介とに祥之介は九段にやってくるのでした。いつもと違って靖国も心なしか華やいでいました。「提灯がいっぱいだね」「ふむ。陽登がもう少し大きくなったら家でも提灯をお願いしようかね」「まだ戦争の話はわからないよな」「戦争の話は拙者にもわからないよ。けれど肉親を失う気持ちはわかると思うのである」「そうだな。俺たちは戦地に行ったこともなければ、内地で空襲にあったこともないもんな」「提灯がずーっと続いているね」「一人でいくつもお願いしている人が多いよ」海外の人も多いのでした。「夜来たら綺麗だろうね」「ふむ。来年は孫と一緒に夜きてみようかね」「戦争のことはわからなくても、将来靖国に行った思い出は残るよ。そのとききっと戦争について考えてくれるさ」「ふむ。こういう歴史があったということを知って自分で何かを感じてほしいのである」「とうちゃん。やっと拝殿が見えてきたよ」「ふむ。人も普段とは違う人が多いね」「なんだか靖国が華やかだな」「本来は暗いところではないと思うぞ」「今だって暗くはないだろ」「ふむ。しかしここに祀られている方々や、当時の人たちのことを考えたら、朗らかにはなれないであろう」「とうちゃん、九段の母でも唄いながらいこう」♪ 上野駅から九段まで 勝手しらないじれったさ杖を頼りに一日がかり せがれきたぞや 会いにきた ♪「海ゆかばも唄おう」♪ 海ゆかば 水漬くかばね山ゆかば 草むすかばね大君の辺にこそしなめかえりみはせじ ♪拝殿にみんなとお参りをするのでした。とても熱心にお参りをしている人が多く祥之介もいつもより心をこめてお参りをするのでした。軍用犬にもお礼をいうのでした。お馬さんたちにもお礼を云うのでした。インドのパール判事さんです。こちらは海防艦の碑です。これは後期型の零戦五十二型(四十二型)ですが、これに乗って護衛に出て敵戦闘機と交戦して、洋上の木の葉みたいな母艦に戻ってきて着艦するってどうやったらできるのか不思議なのでした。球磨之介と祥之介は二階にあがるのですが、ほとんど撮影禁止なので一番見てほしいものが撮影できないのでした。「彗星である。艦爆である」「とうちゃん、固定脚の九十九式艦爆とはえらい違いだな」これは哀しい「桜花」なのでした。藤井中尉とご家族 是非クリックしてください「とうちゃん。戦死した人たちの遺書や手紙がいっぱいだ」「遊就館の二階にくると胸が詰まってしまうね」「とうちゃん、これ……」「これは藤井中尉の手紙とご家族の写真ではないか」「ものすごくきれいに保存してあるんだね」「もしかしたら知覧に本物があってこちらはコピーかもしれないね」「写真を見るのが辛いな」「何にも云えなくなってしまうな」「今の人たちはいろいろいうだろうな」「当時の人たちだっていろいろ云っただろう」「特に特攻で死んだ人は軍神だったのに敗戦と同時に『戦犯・国賊』だものね」祥之介は思うのでした。孫たちに大石伍長と静ちゃん クリックしてください「昔こういう戦争という時代があってこういうことがあったんだよ」と。何も云わず考えるのではなくこういう人たちに思いをはせてほしいと思うのでした。いいとかわるいとかではなくこういうことがたくさんあったと。そしてわからなくてもいいしなにをおもってもいいけれどこういうことがあったんだということをずーっと伝えてほしいとおもうのでした。「これでどうやって米軍の戦車と戦うんだ?」「ふむ。近寄れもしないのである」境内には著名人の作品が並んでいるのでした。子供の頃より慣れ親しんだちばてつやさんの絵を撮ってみるのでした。「とうちゃん、ちばさんだって満州の引揚者だったよな」「赤塚さんや釣りバカ日誌の人もそうだったと思うのである」「とうちゃん、当時は生きているだけですごいことだったんだな」平和な日本をありがとうございます
2024年08月07日
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祥之介は毎月のお墓参りに出かけるのでした。「旦那、香取神宮にはいついかれるんですか?」「ふむ、実はどうやって行くのかわからないのである」「私はカエル、旅の安全と無事の縁起物です。心配しないでお出かけになるといいですよ」ということでハンサム団は成田にやってくるのでした。「とうちゃん、バスはダメか?」「土日は数本あるようであるが、普段はほとんどないのである」「降りる駅は香取か?」「徒歩三十分と書いてあるのである」「佐原からバスがいいんじゃないか?」ということで一時間に一本しか出ていない電車に乗るのでした。「とうちゃん、幸いあと十分で発車だぞ」「ふむ。行ったばかりだったら大変だったね」ということで佐原駅にやってきたのでした。「球磨之介、バスの時刻表がよくわからないのである」「よし、それなら駅員さんに聞いてやるよ。とても素敵な駅員さん。香取神宮に行きたくて渋谷からきました」「香取神宮ですか?……今日は日が悪いですね」「香取神社には行ってはいけない日があるんですか?」「そうではないんですが、巡回のバスは火曜日と木曜日だけですし、神宮に行くバスも土日祭日だけなんです。これからですと一時四十分のバスを待たなくてはなりませんよ」「そうなんですか?」「歩いて行くとしても香取駅に行く電車は今出たばかりです」「球磨之介、今出た電車とは拙者たちが乗ってきた電車ではないか」「噂通り一時間に一本だな」「丁度昼時であるから食事をして待とうではないか」「とうちゃん、駅の周りにお店がないぞ。それにお参りを終えたら三時くらいになるぞ。バスも電車もあてにならないし、歩いて三十分だぞ」ということで相談したハンサム団はタクシーでやってくるのでした。「とうやんの一週間分の米代がなくなったぞ」「ふむ。昔はどこでもタクシーだったのであるが、最近は両替所勤めで貧乏なのである」「とうちゃん、立派な鳥居があるぞ」「ふむ。なんだか有難いのである」「これで三大神宮にすべてきたな」「ふむ、伊勢はお参りをしなかったが五十鈴川も綺麗だったのである」「球磨之介、神宮というのはどこもこういう参道なのかね?」「そうなんじゃないか。明治神宮もこういう感じだよ」「とうちゃん、ここは来にくいから逃さずお参りをしようよ」「ふむ。難儀なところであるな。そうそうこれないであろう」ということで奥宮と要石を目指すのでした。鳥居の横には護国神社とあるのでした。階段をのぼっていくのでした。鳥居をくぐっていくのでした。「とうちゃん、ここが奥宮だそうだぞ」「手前にあるのに何故奥宮なのであろうか?」「鹿島と同じで昔と参道が違うんじゃないか」後でわかるのですがやはり旧参道があるのでした。奥宮にお参りをして要石を目指すのでした。要石があるのでした。「とうちゃん、鹿島の要石の下にはなまずがいて地震を抑えているそうだけれど、ここも何かあるのか?」「ふむ、なんでも香取様凸型、鹿島様は凹型だそうであるぞ」「どんな意味があるんだ?」要石の前のお稲荷さんにもお参りをするのでした。再び参道に戻って拝殿を目指すのでした。「おい、とうちゃん。大きな鳥居が見えるぞ」「ふむ。あちらが本殿と拝殿であるな」みんな大きくて見上げているのでした。「とうちゃん、俺たちは大きな鳥居には慣れているよな」「ふむ。東京なら靖国に明治神宮だね」門が見えてくるのでした。手水舎でお浄めをするのでした。「球磨之介、門が修理中なのである」「この時期はみんな修理するのか?」「とうちゃん、茅野輪があるぞ」「はらえたまいきよめたまえかむながらまもりたまいさきわえたまえ」「やっぱり三唱なのか?」末社にもお参りをするのでした。割と早くお参りを終えてしまうのでした。「とうちゃん、バスどころかタクシーもいないぞ」「ふむ。なんでも団子屋や蕎麦屋で呼んでもらうかタクシー乗り場の隣の公衆電話で呼ぶそうである」「観光地でも平日はそんなもんか?」祥之介は歩くことにするのでした。「とうちゃん。三十分も歩けるか?」「何を云っているのであるか。御嶽のお山だって大山だって歩くのである」道すがらの神社にお参りをするのでした。「ところでとうちゃん、道はこっちでいいのか?」「よくわからないがたどり着かなかったらどこかでタクシーに乗ろうではないか」「タクシーは田舎だから手をあげても乗せてくれないぞ」「とうちゃん、二十分くらい歩いているけれど何も見えてこないぞ」「いいではないか。まだ昼過ぎである。一時四十分のバスに乗っていたらまだ駅前なのである」「とうちゃん。標識があったぞ」「ふむ、二キロで三十分であるか?」「ここからすごい階段か急な坂が続くんじゃないか」「大山寺や愛宕神社よりはマシであろう」「とうちゃん。確実に駅に近づいているようだぞ」「ふむ。なんでもっと最初に出してくれないのかね?」「球磨之介。懐かしいな里芋である」「芋煮が名物の米澤が懐かしいか?」「違うのである。里芋などどこでも売っているのである。拙者は手作りの芋がらが食べたいのである」「ズイキとして売っているじゃないか」「ああいう上品のじゃなくて、あく抜きが悪くて喉がイガイガするようなのが食べたいのである。芋がら干しは子供の仕事なのである。夕方入れ忘れると怒られるのである」こちらは入ったら長くなりそうなので体力温存のため礼をして先に進むのでした。神社がふたつ並んでいるのでそれぞれお参りをするのでした。伊邪那岐さんと伊邪那美さんのようなのでした。こちらにもお参りをするのでした。中はこんな感じなのでした。「おい、とうちゃん、鳥居が見えるぞ」「球磨之介。歩いてきてよかったのである。これは香取様の思し召しだと思うのである」「とうちゃん。これは噂の一の鳥居、津宮鳥居か?」「そうである。ふつうに電車できたらここは通らないのである」「昔は船でここからきたんだね」「そのようである。与謝野晶子の歌碑もあるのである」「とうちゃん。電車もバスもなくてよかったな」「ふむ。偶然がなかったら絶対ここにはたどり着けなかったのである」「今度もしくることがあったらちゃんとここからお参りをしようではないか」なんだかとっても有難いのでした。素敵な鳥居を見られたのはよかったのですが駅がわからないのでした。花に水をあげているお婆さんにきいたら、「そこの信号を曲がったらすぐです」と教わったのですが十五分くらい歩くのでした……「とうちゃん、香取駅は無人駅だぞ」「ふむ。誰もここから歩いてこようとは思わないのではないか?」「どうやって行くんだよ」「車がないとお参りがしにくいね」ハンサム団は駅の標識を見て二番ホームで座っているのでした。「とうちゃん、なんだか電車がこっちにこないぞ」「ふむ。なんであろうかね。もう一度見てみよう。なになに、基本的に電車は一番ホームにしかきません……」なんとか成田にたどり着くのでした。「球磨之介。せっかくだから新勝寺にもお参りしていこうかね」「やめておけ。明日起きられなくなるぞ」無理すると寝込むので帰路をとるのでした。帰りの電車が上野行だったので相談するのでした。「とうちゃん、この間買った黑米が美味しかったから買っていったらどうだ」「ふむ。赤米というのも食べてみたいのである」下りたら上野公園の前だったのでちょっと寄り道をするのでした。西郷さんを見ながら鳩に餌をあげて「球磨之介、上野の東照宮にいきたいのである」「相当歩くぞ。それにもう夕方だ」「それじゃまたにしようかね。急に具合が悪くなるからね」千手観音様にお参りをしてアメ横に向かうのでした。アメ横は信号を渡ったらすぐなのでした。「お兄さん毎度!きびと黑米はとても美味しかったです」「そうでしたか、それはよかったです」「今度は煮干しを入れて炊いてみようと思うのであるが」「煮干しはやめた方がいいですよ」「ふむ、そうであるか」「豆を入れる人は多いですよ。大豆なんかよくでます」「大豆であるか?黒豆なんかどうであるか?」「好き好きですよ。煮干しよりはおすすめできます」ということで、赤米、黑米、黒豆、クコの実などをもとめるのでした。摩利支天さんには表からお参りをして帰路をとるのでした。ハンサム団は早速帰って白米、黑米、もち麦、キビとクコの実、黒豆を入れたご飯を炊いてみるのでした。かば姐は豆入りご飯をたいそう気に入ったようですが、祥之介は豆はいらないと思うのでした。そうしてハンサム団は再度鹿島神宮に行く計画をたてるのでした。
2024年06月20日
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球磨之介は告げるのでした。「とうちゃん。孫が終点の逗子駅に行きたいと云っているぞ」「ふむ。逗子は横浜市民としては馴染みがあるのである」ということで待ち合わせをして横須賀線に乗るのでした。この日も人身事故がありダイアは大乱れに混乱しておりまして、車内は非常な混雑をしているのでした。そうして孫が「混んでいて嫌だから降りる」と云い出したのでした。丁度お昼時だったので昼食をとろうと駅を出ると白くて大きなものが見えるのでした。祥之介は「あの白いものを探検に行ってみないかね?」と云うと「賛成、行ってみたい」というのでその方向に向かうのでした。その場所は大船観音というそうでかなり有名なところのようです。一同は拝観料を払って中にすすむのでした。もとは観音経をもとにしたもので日中戦で亡くなった敵兵も平等に慰霊するべく建設がすすめられたようです。あまり知った人はいないんですが頭山満さんなどが名を連ねているようです。工事が始まってすぐに世界恐慌、日中戦の泥沼化、続く対米英戦、敗戦となり計画は頓挫しておりましたが、戦後十年くらいして悪名高い五島慶太などの尽力でやっと昭和も三十五年になって完成を見るのでした。祥之介は云うのでした。「はっちゃん。行き先を決めずぶらりと出かけるのもいいものであるな。ハッチが『ここで降りる』と云わなければこの素敵な場所に来ることはなかったのである」これも神様の思し召しであろうかと思うのでした。本来は立像になるはずだったようですが、地形と地質がそぐわなかったようで座像に変更、それも叶わず独特の観音像になったようです。戦没者とともに原爆犠牲者の供養塔などもあります。この観音像は海外にもファンが多いようです。観音様の中に入れるので探索に行ってみるのでした。やはり海外の人、東南アジアの人も多かったです。千個並んでいるそうです。ここは座禅を組んだりするお堂のようです。祥之介は記念に今年小学校一年生になったはっちゃんに「はっちゃん、ランドセルにこれをつけておくといいよ」と云って交通安全のお守りを渡すのでした。これでブレーキとアクセルを間違えて踏んだ車がきても孫だけはよけていくと安易に思うのでした。そんなに広くはない境内を散策して昼食を一緒に食べる、じいさんとむすめとまごといぬなのでした。文章が遅くなってすいませんでした。
2024年06月13日
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祥之介は霊能者に云われてしまうのでした。「あなたの後ろにたくさんの霊がいます」ハンサム団は相談するのでした。「よくわからないけれどお経がいいらしいぞ」「ふむ、お経を聞くと霊が安らかになるのかね?」「なんか怪しいけれどお坊さんのお経が聞けるお寺に出かけろよ」「ふむ。霊の人もきっと大変であろう。お経くらいでいいなら出かけようではないか」「とうちゃんが避けていた門前仲町に行ってみようよ」「ふむ、なんだかおっかない富岡八幡宮にも行ってみよう」ということでハンサム団は門前仲町にやってくるのでした。「球磨之介、ここが東京の成田山であるか?」「小さいけれどいい感じだぞ」「ふむ。今日は13時と15時のお経を聞こうではないか」「お経の間に富岡八幡宮にいってみようよ」「血まみれの人とか出てこないかね?」お参りを始めるのでした。ここはお稲荷さんなのでした。ここは座席があって脚が悪い人も楽にお経を聞けるのでした。「とうちゃん、太鼓の音がすごいな」「ふむ、サラウンドであるな」「とうちゃん、南無妙法蓮華経と聞こえたぞ」「ふむ、観音経のように思えるよ」「真言宗のお寺で聞くのははじめてだね」「ふむ。浅草寺が混んでいなかえれば聞きにいきたいのである」「人が多くて大変だよな」一時のお経を聞き終えて、近所の富岡八幡宮に移動するのでした。「とうちゃん、とうとうきたぞ」「ふむ。由緒ある神社なのにね」拝殿を目指して進むのでした。「とうちゃん、鳥が胃液をはいているぞ」「ふむ。胃酸過多かね」手水舎でお浄めをするのでした。拝殿でお参りをするのでした。お参りを終えて境内を散策するのでした。改めて手水舎を見てみるのでした。「とうちゃん、ここは相撲とゆかりがあるんだね」「ふむ、江戸の三相撲。金王八幡宮、品川神社は行ったことがあるのである」「今度世田谷八幡宮にもいこうよ」「ふむ、行ってみよう」伊能忠敬の像もあるのでした。このあと三時のお経を聞いて渋谷の長屋に帰るハンサム団なのでした。
2024年06月05日
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「とうちゃん、明治神宮のお守りを拾っただろ?」「ふむ。道玄坂で拾ったのである」「それを返しにいこうよ」「ふむ。ちょうど表参道に出かけるのである」ということで久しぶりに明治神宮にやってくるのでした。二番目の鳥居をくぐっていくのでした。拝殿が見えてくるのでした。「とうちゃん、なんかよくなったな」「ふむ、一時期観光客でひどいことになっていたのである」「ここが観光名所じゃないことをわかってくれたのかな」拝殿にお参りをして御神木にお参りをするのでした。そうしてお守りを返そうとお払い箱を探すのですが見つからないので職員の人に頼むのでした。「とうちゃん、古いお札は手水舎の横に納めるところがあるぞ」「ふむ、勉強になったのである」「明治神宮もいいね」「ふむ。特別な神社だからね」「家から近いんだから一年に一回はこようよ」奉納されたたくさんのお酒なのでした。ワインもたくさん奉納されtいるのでした。お参りを終えてハチ公バスで帰路に着くハンサム団なのでした。いつもありがとうございます。
2024年06月05日
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球磨之介は叱咤激励をするのでした。「とうちゃん。どうなるかわからないんだ。鹿島神宮にお礼にいかなきゃいけないんだろ」「ふむ。死んだらいけないので頑張るのである」ハンサム団は相談をするのでした。「とうちゃん。バスがいいみたいだぞ」「ふむ。拙者は電車が好きなのである」「鹿島に行く電車は一時間か二時間に一本だぞ」「ふむ。バスしかないではないか」ということでハンサム団は東京駅八重洲口にやってきたのでした。「結構本数があるんだね」「ふむ。二十分に一本くらいあるね」「とうちゃん。バスのくせに結構スピードを出すね」「ふむ。ほかの車を追い抜いているのである」「お城みたいのが見えるぞ」「ふむ、掃除をするのが大変そうである」何やら最初のバス停に着くのでした。いくつかのバス停を経由して鹿島神社のバス停に着くのでした。「球磨之介。どっちにあるんだろうね?」「大きな神社だから方向さえ間違わなければ必ず着くさ」「とうちゃん、あったぞ」「ちょっと小さくないか?」「間口は小さく中は広いに違いない」「伊勢と書いてあるように見えるぞ」「お参りをしようよ」しばらく行くとまた神社があるのでした。「ここはお稲荷さんだよな」お参りをしてみるのでした。「とうちゃん。なんとなく参道に入ったんじゃないか」「ふむ。鹿島の人は商売っけがないんだね」「普通の民家が並んでいるよ。けれどお蕎麦屋さんもあるよ」「どれ神社があるではないかお参りしよう」「球磨之介、鳥居が見えてきたのである」「また小さいやつじゃないか」「そんなことはないのである。大きく見えるぞ」「とうちゃん。鹿島神宮って書いてあるよ」「本当である。やっぱり立派な神社だね」境内の案内を見てみるのでした。手水で浄めるのでした。あいにく門は修理中なのでした。拝殿があったので並んでお参りをするのでした。お参りをするのでした。どんどん進んでいくのでした。「球磨之介、懐かしい茨城訛が聞こえてくるのである」「故郷の訛懐かし鹿島様の中にそを聞きにきたか?」「ふむ、ここは茨城なのである」「球磨之介、ここの神社はとてもいいね」「そうだな、平地にあるのにすごいね」「東京だと明治神宮に印象が似ているのである」「こちらは天然の山だからなんか御神気が違うような気がするね」「そんなに苦にならないから一年に一回はお参りにこようかね」こちらはさざれ石だそうです。売店で人参を買って鹿に食べてもらうのでした。お参りをするのでした。いよいよ奥の方に入っていくのでした。階段を下りていくのでした。こちらは名物御手洗池なのでした。「とうちゃん、水がいいね」「ふむ、こういう空気と水で育ったら健康になるね」「とうちゃん、ブレスやお数珠をお浄めしろよ」「ふむ、少し飲ませt頂こう」とても美味しい水なのでした。お参りをするのでした。とても歩いていて気持ちがいいのでした。「とうちゃん、武御雷と建御名方と間違えただろう」「ふむ、名前が似ているのである。それにしても大国主さんって素戔嗚さんの娘婿だろ?そしたらタケミナカタさんって天照様の甥っ子じゃないのか?なんか神話がおかしくないか?」「とうちゃん。歴史というのはみんな違うじゃないか。大東亜戦争だってアメリカと韓国とロシアと中国じゃ全く違うだろう。みんな自分の立場で書いたら矛盾がでるもんだよ。氷川神社に行ったら氷川神社に従って、鹿島に来たら鹿島に従えよ」「ふむ、そうすると大国主さんと恵比須さんは親子でいいのか?」お参りをするのでした。奥宮は混んでいるので並んでお参りをするのでした。お参りを終えて戻ってくると稲荷社があるのでした。そうして鹿島神宮をあとにして帰りのバス停を探すのでした。「また迷うんじゃないか?とうちゃんは最近方向音痴だ」「ふむ、けれど大きな通りに出ればいいだけだからね」と云いながら通りに出ると丁度バスが走ってくるのが見えるのでした。「走れとうちゃん!」ハンサム団は速やかにバスに乗れるのでした。「とうちゃん、いいところだったね」「ふむ、今度は霧島神社に行ってみたいんだよ」「九州だろ? いけるかな」「お遍路も行きたいし、伊勢にも行きたいんだよ」四時過ぎに東京駅に着いたハンサム団は相談するのでした。「球磨之介、黍を買い求めたいのである」「渋谷の百貨店などにはなかったんだよな」「飴屋横町にはあるらしいのである」「渋谷から上野は遠いからな。東京からなら近いよな」ということで御徒町にやってくるのでした。「とうちゃん、摩利支天ののぼりが見えるぞ」「ふむ。豊川稲荷で有名なのである、お参りをしていこう」黍を探して雑穀屋に行くと……休みなのでした……「とうちゃん、アメ横なんだ他にも売っているところがあるよ」「ふむ、世の中便利になったのである、スマホで調べよう」「あるじゃないか。しかもアメリカ屋から一分。すぐだぞ」木の実や雑穀を揃えたお店がガード下辺りにあるのでした。「おねえさん。私たちは黍を買いにきたのです」「黍ですか、こちらが北海道産、こっちが中国産です」「味は違いますか?」「どちらも変わらないですが、みんな国産を喜びますよ」「味が変わらないのなら中国産でいいです。それと黍と比べて粟はどうですか?」「粟は黍より小粒で硬いです、黍の方が無難だと思いますよ。ところで黍や粟をどうするんですか?」「はい、貧乏なんで鬼に宝を分けてもらおうと思っているんです。お供を集めるのに黍団子と粟団子のどっちが喜ばれるか考えていたのです」ということで黍を買って帰るのでした。ハンサム団は本堂にお参りをして末社をまわるのでした。摩利支天の縁日は猪の日だそうです。「とうちゃん、俺たちは寅年だから毘沙門天さんだと寅の日だぞ。かあちゃんは猪年だから摩利支天なのか」「それにしてもさりげなくここは三大摩利支天だそうである」「いいお寺だよね、これからもいろいろ行こうね」こちらは石橋稲荷神社だそうです。「球磨之介、これはお馴染み寛一お宮であるか?」「とうちゃん、足蹴にされていないぞ」「ふむ。昔の女性はか細いんだね」こちらは七面大明神様だそうです。法華経を守護する天女さんだそうです。迫力のある日蓮上人に御挨拶をして帰路をとるのでした。渋谷に帰ったハンサム団は餅黍でおかゆを作って食べるのでした。その晩から身体が思いっきりだるくて三日ほど寝込む祥之介なのでした。「とうちゃん、鹿島神宮の波動は強烈だったのかな」「ふむ、身体が浄化されているのかもしれないね」「とうちゃん、なんかいい方向に向かっているように思うぞ」「ふむ、なんだか身体もよくなりそうなのである」今週中に香取神宮と成田山新勝寺にお参りに行こうと思っている祥之介と球磨之介なのでした。身体の滋養をつけるために米ともち麦ともち黍のおかゆを食べていることにしたのでした。
2024年05月28日
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球磨之介は諭すのでした。「とうちゃん、具合が悪いからといって寝ていてはダメだぞ」「ふむ。身体を動かさないとなまるのである」「大山に出かけよう」ということで伊勢原にやってくるのでした。バスに並んで乗るのでした。混んでいるようで座れたのでした。バスはケーブルカー乗り場に着くのでした。「とうちゃん。今年はペースを落とし目でいけよ」「ふむ。ゆっくりペースを落とさず進むのである」「こま参道に入るぞ。具合はどうだ?」「ふむ。悪いけれど大丈夫である」階段を上っていくのでした。「道を知っていると楽だよな」「ふむ。知らないところだと、ゴールがわからないので気疲れするのかね?」ちょっと足が怠いのですが元気に上っていくのでした。とにかく上るのでした。「とうちゃん、一昨年できた神様だぞ」「ふむ。神様はなくならないけれど増えるね」「渋谷の神社は減ったじゃないか」「球磨之介、本気で上ったら十分でこられるな」「一昨年は調子がよかったけれど、あとは毎年具合が悪いよな」「来年は元気に上りたいと思うのである」ケーブルカーの駅でお参りをするのでした。ケーブルカーに乗り込んで座っていると老夫婦が乗ってきたので席を譲ったら「そこに立ったら前が見えないじゃない!」などと云われて仕方がないのでしゃがんでいるのでした。途中の大山寺でケーブルカーを下りてお寺と十一面観音様を目指すのでした。ハンサム団は駅からの近道を覚えるのでした。今年もお参りができるのでした。石尊権現の本地十一面観音菩薩立像なのでした。「とうちゃん、鐘は静かにうてよ」「ふむ、強く突くと耳がキーンとなるのである」しばし山の空気を吸って休憩をするのでした。たくさんあって全部は入りきらないのでした。十一面観音様を後にして大山寺を目指すのでした。山道を歩くのでした。こんな山道をひたすら歩いてみたいと思ったりするのでした。最初の不動明王にお参りをするのでした。六地蔵さんにお参りをするのでした。お参りをするのでした。去年はここの不動明王が光っていたのでした。どういうわけかわからないのですがお参りをするのでした。「球磨之介。ここが大山で一番きつい階段なのである」「ひたすら下を見てマイペースで上れよ」本堂が見えるのでした。「今年は池の周りが工事中だね」「ふむ、ひどく壊れていたところがあるのである」「来年は綺麗になっているだろうね」「こっちは壊れたものがなくなって新しくなっているぞ」「ふむ。新しいものもいいけれど、古い方が有難味があるように思うのである」お稲荷さんにお参りをするのでした。塔にもお参りをするのでした。「球磨之介。少しだけお水を飲んげみようかね」「あまり飲むとおなかを壊すぞ」「ふむ。なんか有難い水なのである」「山の水は美味しいね」「とうちゃん、左手に錫杖右手に宝珠。これは地蔵菩薩か?」「何かで千手観音と読んだような気がするのである」「けれど手がいっぱいないぞ」「ふむ。不空なんとか菩薩さんもいたけれど、手がいっぱいあるからいろいろ持っていたと思うぞ」「やっぱり地蔵菩薩様かな?」「ふむ、それが一番しっくりくるね」こちらはお大師様なのでした。「これは火消しの人たちが建てたやつだよな?」「ふむ、確かそう書いてあったと思うのである」お参りを終えて階段を降りようとするのですが急すぎて怖いのでした……「とうちゃん、隣に駅への道があるぞ」「そうであるよな。年寄りは落っこちると思うのである」「とうちゃんだって落ちそうだ」「ふむ、階段が不規則なので踏み外しそうである」上りのケーブルカーを待っているとすぐにやってくるのでした。頂上にやってくるのでした。ケーブルカーが急こう配なのがわかるのでした。「とうちゃん、ここからはすぐだぞ」「ふむ、あっけないくらいすぐなのである」階段を上って阿夫利神社を目指すのでした。最後の鳥居が見えてくるのでした。「とうちゃん、阿夫利神社だ」「ふむ。大山はお寺以外は階段であるから楽なのである」まずふたりして今年も来られたお礼をするのでした。日本一の獅山なのでした。「球磨之介、いつか親子になれたらいいな」「今だって親子と変わらないじゃないか」「ふむ、まあそんなもんであるな」 「とうちゃん、昔の人たちはみんなこの大太刀をもってきたんだろ」「そうらしいね。みんな体力があったんだろうね」「そりゃそうさ、だってみんな歩かなければいけないんだぜ」「ふむ、なんでも人力だものな」「ケーブルカーができる前には年寄りを担ぐ人がいたらじいぞ」「ふむ。拙者も年寄りひとりくらいならまだ担いで登れるぞ」「相手が百貫デブでもか?」「それは無理である。それと上りはいいのであるが下りは自信がないのである」神社から江の島方面を眺めるのでした。「とうちゃん、今度江の島神社にも行こうよ」「ふむ、確か小学校三年生の遠足で行ったきりである」天神様にお参りをするのでした。川崎の人が建てたらしい像なのでした。浅間様にもお参りをするのでした。下の方に入っていくのでした。大黒様と恵比須様なのでした。これは仲のいい夫婦だそうです。こちらはさざれ石なのでした。お参りを終えたハンサム団は帰路をとるのでした。ケーブルカーで麓を目指して駅に着くのでした。帰りはゆっくり下りていくのでした。綺麗な滝を見ながら歩いていくのでした。みんな下っていくのでした。「とうちゃん、来年もまたきたいね」「ふむ、身体を治して元気に走りたいのである」仲良く帰っていくハンサム団なのでした。
2024年05月28日
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球磨之介は問いかけるのでした。「とうちゃん。今年は秋にでかけられないぞ」「ふむ。調子が悪くても身体を動かさないといけないのである」「御嶽のお山にいこう」ということでハンサム団は御嶽にやってくるのでした。この日は人身事故の影響で三時間もかかってしまったのでした。「ただでさえ調子が悪いのに困ったのである」「今日はゆっくり登ることにしよう」遅れていた人がいっぺんに到着したのでバスも二台満員で三台目に乗るのでした。「とうちゃん、いつも急いでケーブルカーに向かうけれど、具合が悪いんだからゆっくり行こうよ」「ふむ。次のケーブルカーを待たなければならないけれど仕方ないね」「とうちゃん、最初のケーブルカーに乗れなかったけれど座れるぞ」「ふむ、座れると楽だね」「みんな徒歩で登っているのかな?そんなに混んでいないぞ」あっという間に終点に着くのでした。早速御嶽神社を目指すのでした。「遅くなったから結構人がいるね」「ふむ。急がずペースを落とさず行こうではないか」二番目の鳥居が見えてくるのでした。「とうちゃん、半分くらいきたぞ」「球磨之介。山菜のおにぎりが売っているよ」「頂上で食べようよ」刻んだ木の芽と中に山椒の佃煮が入っているのでした。人を追い越しながらマイペースで進むのでした。最初のお参りをするのでした。今年もご神木に御挨拶ができるのでした。手水舎でお浄めをして先に進もうとしたら犬用の柄杓でお浄めをしている人がいるのでした。「とうちゃん、ちょっと整理していけよ」「ふむ。ペット用の方に大きな柄杓を置いて、真ん中に人間用の柄杓をふたつ並べておこう」最後の門が見えてくるのでした。いつも思うのですが、門にいる人は誰なんでしょうか?どんどん階段を上っていくのでした。お参りをするのでした。続いてお参りをするのでした。最後の鳥居をくぐって進むのでした。社務所が見えてくるのでした。「とうちゃん、あれは本堂と呼ぶのか?それとも拝殿か?」「ふむ。蔵王権現なら本堂だろうけれど神社だからね」今年もお参りができたお礼をするのでした。日本一の狛犬だと思うのでした。「とうちゃん。豊川稲荷の狐さんと同じくらいでかいな」「ふむ。向こうは狐さんで、こちらは絶滅した日本狼なのである」お参りをするのでした。今年は丁寧にお参りをするのでした。たくさんの神様がいるのでした。お参りをするのでした。お参りをするのでした。とにかくお参りをするのでした。お参りを続けるのでした。お参りをするのでした。お参りをするのでした。ここは昔の本堂だったと思います。「とうちゃん、前に見えるお山が御神体だそうだぞ」「ふむ、初めて知ったのである」「山岳信仰のお寺なんだよな」「それではお山にお礼を云おう」丁寧にお参りをするのでした。人がくるので避けて……何度か丁寧にお参りをするのでした。お参りを終えたハンサム団は帰路に着くのでした。二番目の鳥居が見えてくるのでした。「とうちゃん、まが来年もこような」「秋に休みがとれたら今年もう一度きたいね」ケーブルカーで麓に降りてバスに乗って駅に向かうのでした。田舎の駅で電車を待つのでした。田舎の山々はいいなぁ~と思う祥之介なのでした。それにしても国分寺までの電車が長いのでした。もう少し電車が早ければもっと頻繁にきたいと思うのでした。いつもありがとうございます。
2024年05月28日
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弁天様にお参りしそびれたハンサム団は相談するのでした。「弁天様が悲しんでいるようだぞ」「ふむ、一年に一回しかお参りしないのである。お参りをし直そうでははないか」ということでハンサム団は成田を目指すのでした。渋谷駅から日暮里を経由して成田にやってくるのでした。まず最初に旧本堂のお薬師さんに御挨拶をするのでした。手水舎でお浄めをするのでした。「とうちゃん、お薬師さんは三尊かな?」「ふむ。真言宗で三尊はあまりみないね」「お大師も十二神将だもんな」隣の家にいそうななんとも素敵な狛犬さんなのでした。この狛犬を見るとほっとするのでした。いつ来ても成田のお不動さんは混んでいるのでした。素敵な門が現れるのでした。本堂に向かって階段を上っていくのでした。とても立派な提灯なのでした。お馴染みの壊れ不動さんなのでした。常香炉でお線香を焚いて先に向かうのでした。本堂に御挨拶をして、真っ先に弁天様を目指すのでした。「球磨之介。この間はこっちの方を通り忘れたんだね」「天神様にもお参りをしなかったぞ。まず俺が弁天様にお詫びをするよ」球磨之介に続いて祥之介もお詫びをしてお参りをするのでした。相当古い成田の弁天様を宜しくお願い致します。山門左側の方に鎮座しております。わりとわかりやすいです。「とうちゃん。こっちの方は初めてかな?」「ふむ。広いからね。お参りをしよう」お馴染みの出世稲荷さんに向かうのでした。ここのお稲荷さんもいつも混んでいるのでした。この日はお参りだけで先に進むのでした。こちらは釈迦堂と聖天堂があるのでした。ハンサム団は階段を上って進むのでした。ここにはなんおお堂だったでしょうか?ここは藍染明王だったでしょうか?お坊さんにお参りをして先に進むのでした。不動明王に御挨拶をして進むのでした。ここは天神様だったと思います。 一通りお参りをして帰路に着くのでした。「とうちゃん、無理してもお参りをすると気持ちいいだろ?」「ふむ。電車もそんなに苦にならないね」「清流権現さんがいるらし いぞ」「今度来たらさがしてみよう」渋谷の長屋に帰っていくハンサム団なのでした。
2024年05月27日
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球磨之介はいうのでした。「とうちゃん、もし入院なんかになったら大山にいけないぞ」「ふむ。しかし身体がえらいのである」「無理しても行かなきゃだめだ」「ふむ、そうだね、伊勢原は一時間あれば着くのである」「それからまた一時間かかるけれどな」とういうことで下北沢から小田急線に乗り換えて伊勢原にやってくるのでした。「とうちゃん、電車がスムーズで助かったな」「ふむ、座れたのが有難いのである」バスもすぐやってきてみんなが座れるのでした。「球磨之介。コロナが終わったから人も多いね」「コロナは大流行じゃないか」「ふむ、慣れというのはおそろしいね」祥之介は重い足取りでのぼりはじめるのでした。「とうちゃん。今年もなんとかお参りができたぞ」「ここを見るとほっとするのである」ひたすらのぼるのでした。疲れてものぼるのでした。「とうちゃん。めしを食っていないからお団子でも買えばいいぞ」「球磨之介、下痢になったらイヤなので降りるまで食事はしないのである」「大丈夫か?」「ふむ。往復二時間というところではないか」「まあ、富士山で遭難する人もいるんだから倒れたら誰かが助けてくれるだろ」「とうちゃん。去年できたやつだぞ」「ふむ、お参りしよう」「球磨之介。今年はケーブルカーが遠いな」ひたすらのぼるのでした。「とうちゃん、もうすぐケーブルカーの駅だぞ。がんばれ!」「とうちゃん、今年もお参りできたね」「ふむ、有難いね」往復の切符を買って待つのでした。「球磨之介、どこから人がきたんだろうね」「満員だぞ。子供に席を譲ってあげろよ」大山寺駅でおりて石尊権現さんにあいにいくのでした。「とうちゃん、一昨年はわからなかったんだよな」「ふむ。もっと頂上にあると思っていたんだよ」相変わらずのたくさんの仏像なのでした。半分くらいしか写らないのでした。「とうちゃん、石尊権現様の本地十一面観音菩薩だぞ」「とてもやさしそうな観音様であるな」「とうちゃん。誰もいないからちょっと休んでいこうよ」「ふむ、今年はちゃんと鐘をつこうと思うのである」「去年は加減がわからなくて凄い音がしたよな」「とうちゃん、今年は紅葉が遅いのかな?」「ふむ。去年は紅葉の真っ只中だったのである」空襲で亡くなった方に哀悼の意を表すのでした。お寺に向かって歩いていくのでした。「とうちゃん、今度夜にきてみないか」「球磨之介、夜きたら下山できなくなると思うのである」本日最初の不動明王にお参りをするのでした。六地蔵さんなのでした。続いて不動明王にお参りをするのでした。「とうちゃん、大山で一番疲れる階段だぞ」「ふむ、ここはのぼれるかね」「一気にのぼらないとのぼれないぞ」のぼった頃にはヘトヘトなのでした。ちょっとよくわからないのですがお参りをするのでした。続いてお稲荷さんにお参りをするのでした。こちらは千手観音菩薩だと思うのです。 本堂の不動明王にお参りをしてお守りをかえてもらうのでした。そうして大山の駅に戻るのでした。すぐケーブルカーがやってきて中社を目指すのでした。ケーブルカーはのぼるのでした。駅に着いて少し休憩をして阿夫利神社を目指すのでした。駅からは近いのでした。「とうちゃん、また急な階段だぞ」「急がず休まずいくのである」手水舎でお浄めをするのでした。もうすぐ拝殿が見えてくると思うのでした。「とうちゃん、なんとか着いたね」「ふむ。早速お参りをしようではないか」確か日本一の獅子山なのでした。「今年も虎の親子に会えたな」「ふむ、おかあさんはいいね」「とうちゃん、きっとお父さんと子供だよ」立派な拝殿なのでした。社務所で寅のお守りをもとめるのでした。お江戸スタイルの若い衆なのでした。天神様にお参りをするのでした。浅間神社にお参りをするのでした。ここは地下の方になるのでした。大黒様と恵比須様にお参りをするのでした。細石にお参りをして帰路をとるのでした。急な階段を下りていくのでした。のぼるよりおりる方が結構大変化もしれません。ケーブルカーには大行列ができているのでした。満員電車のようなケーブルカーで下山するのでした。みんなもくもくと歩いていくのでした。「とうちゃん、お団子を買ってかえろうよ」「ふむ、汽車を待つ間に食べようではないか」バス停に着くとバスが待っているのでした。ケーブルカーは大混雑だったのですがバスはみんな座れるのでした。駅に着くとすぐ快速特急がやってきて団子を食べそびれるのでした。「とうちゃん、これで今年も関東三大不動にお参りできたな」「ああ、これで入院でしても死んでも大丈夫なのである」今年は非常に弱っているのでした。連日続いている検査も来週の金曜日で終わるのでした。
2023年09月30日
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コロナで弱ってしまった祥之介は寝込んでいるのでした。「とうちゃん、大山のお不動にご挨拶にいこう」「球磨之介、山はちょっと無理なのである」「それじゃ成田のお不動にご挨拶にいこう」「ふむ。もう有休もつかい果たしてしまったのである。無理してでも成田山にいこう」ということで渋谷から日暮里に到着するのでした。「とうちゃん。二時間もしないで着いたぞ」「ふむ。電車で座れたので助かったのである。立っていたら今頃倒れていたのである」「とうちゃん。死んだらお世話になるんだ。よく挨拶をしておけよ。とうちゃんは悪人なんだから」「とうちゃんの好きな薬師堂だぞ」「ふむ。お薬師さんはいいね」「川崎大師のお薬師さんは変な髭が生えているぞ」「ふむ。ここのお薬師さんはどうだろうね」中は見えないのでした。「ここの狛犬は可愛いのである」「少し崩れかけているぞ」「氷川様の八幡様はこなごなになっていたのである」立派な門が見えてくるのでした。「コロナも終わったから人も多いな」「球磨之介、コロナは増えているんであろう?」「そういえばそうだな。みんなマスクもしなくて大丈夫なのかな」本堂に向かってみんな歩くのでした。「とうちゃん。川崎大師の提灯も立派だけれど新勝寺の提灯もすごいね」「ふむ。なんでも立派なのは見ていて気持ちがいいね」有名なこわれ不動尊です「とうちゃん。壊れても大事にされるのはいいな」常香炉で献香をするのでした。「新勝寺のお線香は折れたお線香なんだよな」「ふむ、長いお線香はあるかれど短いのは見たことがないね」この日はお守りをふたつ返しにきたのでした。「とうちゃんn。お守りやお札がベルトコンベアーで流れていくぞ」「とうちゃん、健康になるように新しいお守りを頂こうな」「ふむ。別に健康でなくてもいいんで人に迷惑をかけない程度にお願いしたいのである」ふたりは本堂で普段のお礼をいうのでした。「とうちゃんは何をお願いしたんだ?」「いつも同じだよ。困難なときに助けて頂きありがとうございます。である」「とうちゃん。もう出世はしなだろうけれどお参りをしよう」「ふむ、ここはダキニさんなんだよな」「習合しているんだからどっちも同体じゃないか」ここはなんだかお参りをしてはいけないような雰囲気なのでした。ご挨拶だけをして先に進むのでした。鳥居が見えてきたのでした。お参りをして先に進むのでした。急な階段をおりていって先に進むのでした。ここは大師堂だと思うのでした。日頃の感謝を込めてお参りをするのでした。数年前にできあがったところに向かうのでした。「とうちゃん。きつかったら帰るか?お不動さんだって具合が悪かったら許してくれるさ」「球磨之介。たくさんの老人が杖をついたり、介助してもらったりしてお参りをしているじゃないか。あと数年後には拙者だってああなるのである」「よし、その日のための予行演習だな」お参りをさせて頂くのでした。ここは歌舞伎の人たちが奉納したのかな?藍染明王にお参りをするのでした。お坊さんにもお参りをして先に進むのでした。「とうちゃん。ここは健康にしてくれるお堂だそうだぞ」「ふむ。有難いところだね。不健康でもいいので痛くないようにお願いしたいのである」迷惑にならない程度に中を撮らせて頂くのでした。急な階段を下っていくのでした。ちょっと怖いくらい急な階段なのでした。なんとかお参りを終えて渋谷に帰路をとるのでした。「球磨之介、平地を歩いても疲れるんだな」「年寄りというものはそういうものさ」家に帰ってパソコンを開いたら……「とうちゃん、これは成田山の弁天堂の写真だぞ」「そういえば天神様や弁天堂を通らなかったのである」「弁天様が怒っているんじゃないか?」「ふむ。成田山は山じゃないので冬になっても行けるのである」「じゃあ、今年中に行って謝ってこよう」広いところはどうしても抜けてしまうところがでるのでした。
2023年09月27日
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祥之介は会社の健康診断で胆嚢腫瘍が見つかったのでした。「とうちゃん、蔵王権現にお参りしにいこう」「ふむ、なんでもいいけれど痛いのは嫌なのである」ということで渋谷駅から立川経由で青梅にやってくるのでした。「とうちゃん、駅がずいぶん変わっているぞ」「ふむ、レトロな看板も見当たらないのである」御嶽駅に到着するのでした。「球磨之介。こんなに空いているのは初めてなのである」「今日は午後から雨の予報だし平日だからな」「しかし誰もいないのである」「とうちゃん、のんびりしていると雨にふられるぞ」「ふむ、油断をしないでお参りをしにいこう」バスの中で一緒だった親子さんと一緒にのぼっていくのでした。階段をのぼるとケーブルカーの駅なのでした。少し待つとケーブルカーがやってくるのでした。深い山の中をあがっていくのでした。ほどなくして終点の駅に着くのでした。道を間違えないようにして先に進むのでした。 「とうちゃん、今年は十分でのぼるんだろ?」「とても無理なのである」「だからって止まると動けなくなるぞ」「ふむ、ゆっくりのぼってきつくなったらスパートである」まず最初の鳥居が見えてくるのでした。この日最初のお参りをするのでした。今年もこられたことを感謝して御神木にお参りをするのでした。「とうちゃん、二番目の鳥居が見えてきたぞ」「ふむ、もう歩けないのである」「引き返すか?」「寝込むことになるかもしれないが行こう」手水舎でお清めをするのでした。「この門をくぐると境内なのかね?」「広いからどこからどこまでなんだろうね?」「なんとなく山全体のような気もするのである」いっぱいあるのですがお参りをするのでした。ひたすらお参りをするのでした。「球磨之介、こんなに苦しいとは思わなかったのである」「去年はおそろしい勢いでのぼったもんな」「あと、十年後はのぼれるかね?」「とうちゃんは生きているのか疑問なのである」社務所が見えてきたのでもうすぐ拝殿が見えると思うのでした。今年もやってきました武蔵御嶽神社なのでした。渋谷の金王八幡宮と一緒で、春日局さんが寄進したものなので非常に似ているのでした。ブログで宣伝すると約束してきたので、機会がありましたらお参りに出かけてください。そんなにきつい道中ではありません。立派なニホンオオカミの狛犬さんなのでした。ここからは動物は入れないのでした。コロナで蔵王権現の蝕拝所がなくなって久しいのでした。お参りをするのでした。「とうちゃん、どこにでも神様の長屋のようなものがあるな」「ふむ、なんでまとめてしまうんだろうね?」いっぱいあるので気をつけないと見落としてしまうのでした。ここはアマテラス様なのでした。狛犬は狼なのでした。ここは東照宮だったと思います。ひたすらお参りをするのでした。ここはいつも工事をしていてなかなかお参りができなかったのでした。「とうちゃん、俺たちがいく神社に豚の狛犬はないよな」「ふむ、中国では豚は太っているので富の象徴だそうだよ」「小野神社でぶたの根付を買ったときに教えてもらったよな」狛犬ですから対なのでした。ひたすらお参りを続けるのでした。お参りをするのでした。「とうちゃん、遥拝所だぞ」「ふむ、ここはいいね。とてもいいと思うのである」何回か時間をおいてお参りをするのでした。裏に隠れていて見落とすところでした。お参りをして帰路をとるのでした。最後にもう一度拝殿にお参りをしてくだっていくのでした。「昔はこういう格好をして馬ででかけたのか?」「ふむ、人間も大変そうであるが馬はもっと大変そうなのである」「人間はもっと動物に感謝しろよ」ここも見落としていたのでお参りをするのでした。おなごり惜しいのですがくだっていくのでした。「とうちゃん、栗がおちているぞ」「ふむ。たくさん落ちているね、拾っていこうかとも思うのであるが、むくのが大変であるから持ち帰るのはやめよう」「とうちゃんは田舎から栗を送ってもらっても食べないじゃないか」「ふむ。食べるのが面倒くさいのである」きれいな柵ができたら道が狭く感じるのでした。最後の鳥居が見えてきたのでした。「とうちゃん、来年もこようね」「ふむ。がんになっても生きていたらこよう」「一緒についてきてくれる人がいるといいな」「ふむ、こんな調子だとあと五年後は無理かね?」バスを待つ間に景色を眺めるのでした。バスはまだこないので近くを散策するのでした。綺麗な水が流れているのでした。水の綺麗なところはとても好きなのでした。駅について、今年こそは何かを食べようと思っていたお店が休みなのでした。「とうちゃん、北京料理って書いてあるぞ」「ふむ、思ったより美味しいのかもしれないのである」「来年は食べられるといいな」御嶽駅で帰りの電車を待つのでした。雨にもあわずに電車に乗れたのですが、二時過ぎには雨が降り出し、渋谷についたときにはゲリラ雷雨になっているのでした。ハンサム団は駅で雨宿りをして、小降りになったところを地下を迂回しながら濡れないで帰れたのでした。初めて御嶽神社に行って疲れたと思ったのでした。
2023年09月26日
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二月一日にハンサム団は早起きをして足りない薬をもらうべく日赤に出没するのでした。「球磨之介。また長く待たされたら靖国に行けなくなるのである」「とうちゃん。今日はひいおじいさんが戦没した日だ。絶対に靖国に挨拶に行こう。それが残されたものの務めだ」「ふむ。なんとか早くならないであろうか」「俺が云ってやろう。素敵な受付のおねえささん。いつも三時間くらいは待たされますがとうちゃんはこのあと遅刻ができない用があるんです。なんとか十一時までにお願いできないでしょうか」「それは大変ですね。お薬だけなんで空いている先生にお願いしてみますね」ハンサム団はなんとか十一時に病院を出られるのでした。「球磨之介。今日は氷川神社に寄らないで出かけよう」「本当は金王様と氷川様の忠魂碑にもお参りをしたいところだな」ハンサム団は半蔵門線で九段下にやってくるのでした。靖国神社広いのでした。「球磨之介。病院が何時に終わるかわからないので、予約はしなかったけれど大丈夫かね?」「ダメだったら丁寧にお参りをして真榊を奉納しよう」何しろ靖国神社は広いのでした。靖国神社にお参りする人は若い人も年寄りもみんな丁寧なのでした。やっと門にたどり着くのでした。鳥居をくぐって皆さんとお参りをするのでした正式な参拝をお願いしに行くのでした。「すいません。今日は日露戦争で亡くなったひいおじいさんの命日なんです」「そうですか。こちらの用紙をご記入ください」「…………」「どうされましたか?」「すいません。管理が悪くて戒名しかわからなくなっているんです。ここに過去帳があるのですが戦没した日は間違いないんです」「戒名では困りますので空白でいいですよ」「それでは名字だけ書かせて頂きます」大型スクリーンを見て順番を待つのでした。館内は撮影禁止なので写真はないのですが……「とうちゃん。ここはテレビで見た安倍首相が歩いていた廊下だ」「ふむ。テレビと同じなんだね。随分長い廊下なのである」「おい、とうちゃん。俺たちのためだけに神主さんが神事をとりおこなっているぞ」「安倍さん並みの扱いである。恐縮するのである」お土産にお神酒と羊羹をもらって九段をあとにするのでした。ここから川崎大師に向かうのでしたがまたもや迷走しだすのでした。「とうちゃん。どうやってお大師にいく?」「ふむ。ちょっと調べてみよう。品川経由がいいかね?」「それじゃ渋谷に戻るか?」しばらくして気がつくのでした。「とうちゃん。メイプルちゃんのお土産はどこで買うんだ?」「川崎駅がいいんではないであろうか?」「それじゃ、東海道線で行った方が早いだろ」「そうか。それでは国会議事堂前で降りて丸の内線だ」東京から東海道線に乗って川崎に着くのでした。若宮八幡宮にお参りをして馬頭観音にお参りをしてメイプルちゃんに会いに向かうのでした。相変わらずメイプルちゃんは大騒ぎで写真が撮れないのでした。兎年なんですが寅年ハンサム団は寅の置物などをもとめるのでした。「とうちゃん。手水舎が復活しているぞ」「ふむ。日常が戻りつつあるのである」御礼の護摩木を書くのでした。本堂にお参りに行くのでした。「とうちゃん。今は三時半のお護摩があるぞ」「ふむ。もうすぐだね。これも天の思し召しであろう。冥福と平和を祈ろう」お護摩を聞いて稲荷社と不動堂にお参りをするのでした。お釈迦様にお参りをして鳩を探すのでした。「おい球磨之介。鳩が四羽しかいないのである」「今日はいっぱい食べてもらおうと思ってたくさん持ってきたのにな」大好きな聖観音様にお参りをして薬師堂にいくともう閉め始めているのでした。「おいとうちゃん。誰もいないぞ」「それじゃお薬師様だけにお参りして帰ろう」駅に向かうと商店街が閉まっているのでした。「球磨之介。久寿餅屋さんも閉まっているのである」「戻って違う店で買うか?」「そこまでして食べたくはないのである」川崎大師のお店は閉まるのが早いと思うのでした。
2023年02月04日
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ハンサム団は相談するのでした。「とうちゃん、今年は天気が悪くて遅れているけれど成田山にいこう」「ふむ、休みはいっぱいあったのに雨ばかりなのである」方向音痴祥之介は間違って西日暮里で降りてしまうのでした。「とうちゃん。西日暮里から行くのか?」「ふむ。それでもいいのであるが去年と同じにした方が間違いがないと思うのである」ということで日暮里で乗り換えて成田山を目指すのでした。佐倉止まりの列車だったんですが変な電車に乗りついてしまうのでした。それでも少し遅れて京成成田駅に着くのでした。早速駅を超えて参道に入っていくのでした。最初に旧本堂のお薬師さんに挨拶をするのでした。「とうちゃんはここが気に入っているんだろ」「ふむ。狛犬が可愛いので大好きなのである」とても素敵だと思うのでした。どっちも素敵だと思うのでした。「とうちゃん、田舎は柄杓があるんだね」「ふむ。コロナもこんな田舎まではこないと思うのである」「どこまでくるかな? 渋谷はくるだろ?」「渋谷にはやってきて罹患したのである」「新宿なんかコロナは好きそうだよな」「ふむ。新宿は都会だからね」「巣鴨はどうだ?」「あれはいいよ」今年も無事にこられたことに感謝をするのでした。参道を進んでお不動を目指すのでした。三味線の発表会でもあるのかあっちこっちで三味線の音が聞こえるのでした。立派な門が現れるのでした。今年はコロナも関係なく人が多いのでした。人がいないところを狙って写真を撮るのでした。「とうちゃん。神社もお寺も年寄りには優しくないな」「ふむ。寺や神社は年寄りが好きなところなのにね」「年寄りは寺や神社が好きなのか?」「ふむ。若者は海や山だよ。初詣くらいしか行かないさ」「立派な提灯だな」「ふむ。お大師の提灯とおなじくらい立派だね」「門が狭いぞ。初詣は大変そうだね」「ふむ。お大師も小さい頃は小さな門だったのである」行けど進めど階段なのでした。「ここは何度修復しても壊れるお不動さんなんだろ?」「そうらしいね。暴れん坊のお不動さんなのかね?」「おとなしいお不動さんもいるのか?」「日本で一番多いお寺の御本尊は不動明王だそうだよ」「やっぱり青森のお不動さんはなまっているのか?」「狛犬も素敵であるな」「とうちゃん。まため組じゃないか?」「どこにでも出没するがこれは違うのである」「とうちゃん、うちも奉納ができるような身分になりたいな」「ふむ。どこに何を奉納するかね?」成田山のお線香は折られたお線香なのでした。やっと本堂が見えてくるのでした。「とうちゃん。川崎大師は老人にやさしいんだね」「昔は凸凹していたんだよ、薬師堂なんてなかったしさ」中は撮れないのでよくわからないんですが、普通の不動三尊じゃないようなのでした。境内には五重塔などが見えるのでした。ダキニさんがいる稲荷社にお参りにいくのでした。「とうちゃん、大体真言宗は伏見稲荷じゃないか?」「ふむ、習合しているからどっちでもいいんだろうけれどめずらしいね」蝋燭をもとめて胸の悪い水戸の娘の健康を祈るのでした。出世稲荷さんにお参りをしてみるのでした。ここは大師堂だったかな?何やら完成したらしいので上ってみるのでした。ここは愛染明王だったかな?」お坊さんにもお参りをするのでした。ここはなんだったかな……ここは不動堂でした。立派な不動明王がいらっしゃいまいした。ここは天満宮です。ここは聖徳太子堂です。弁天様にお参りをして帰路をとるハンサム団なのでした。帰りは迷わず帰れたのでした。
2022年10月17日
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「とうちゃん。今年の連休は散々だったな」「ふむ。九月の十七日から二十五日の連休は晴れた日が三日。十月十一日にやっと大山にやってきたのであるがまた木曜日は雨らしいのである」「それでも大山にこられたな。前に素敵な老夫婦がいるぞ」「ふむ。年をとって仲のよい夫婦は素敵である。後姿を撮らせてもらおう」渋谷駅から下北沢経由小田急で伊勢原までやってきて乗り合いバスを待つのでした。「とうちゃん。伊勢原止まりの列車がきてよかったな」「ふむ。空いていたので座れたのである」「これから山登りだから座れると助かるな」バスは大山ケーブル駅に到着して、ハンサム団は歩き出すのでした。「球磨之介。去年は写真を撮り過ぎて半分データーが壊れたのである」「今年は必要最小限でいこう」こま参道に入っていくのでした。早速稲荷社にお参りをするのでした。「とうちゃん、少し早すぎないか?」「ふむ。いきなり歩くものではないな。ふくらはぎがえらいのである」それでもハンサム団はみんなを抜かして素晴らしい勢いで進むのでした。「とうちゃん。新しいのができているぞ」「ふむ。戸隠神社であるな。お参りをしよう」「球磨之介。ここを渡ったら駅だったであろう?」「今年はすごく早くないか。十分くらいで着いたぞ」「ふむ。身体は調子がいいからね」切符を買ってお参りをするのでした。ケーブルカーの受付が始まるのを待つのでした。車内は混んでいるのでした。「とうちゃん。すぐ降りるんだから座らなければよかったな」「ふむ。立つに立てず、降りるとき困るね」大山寺駅に着くのでした。「とうちゃん、駅から十一面観音様に行けるんだね」「ふむ。けれどちゃんと表から入ろうではないか」「最初に来たときは見つけられなかったのである」「こんなに近くに石尊権現様があるとは思わなかったよな」「ふむ。いろいろ探したのであるが足元暗しであるな」「人がいないうちに鐘をつけよ」「ふむ。七回つけと書いてあるのである」が~~~ん!!!!「耳が聞こえなくなったのである」「老人頑張れ!あと六回だ」耳がキーンとなりながら石尊権現様の由緒を読んでみるのでした。「なんだかここは素敵なのである」「景色も空気もいいし少し休んでいくか」遥かかなたの相模湾を見ていると人がやってきたので下りるのでした。「この仏像群も素敵だよな」「最初は不気味にも思ったのであるが優しい人ばかりである」急な階段を降りていくのでした。東京大空襲の碑なのでした。ウクライナで戦争をしておりますが、日本もあんまり安全ではないような気もするのでした。不動明王様にお参りをするのでした。六地蔵さんにもお参りをするのでした。また不動明王にお参りをするのでした。「球磨之介。拙者は思うのであるが、こま参道よりここのお不動の周りを歩いた方がよっぽど疲れるのである」「この階段だけでこま参道より疲れるよな」「着いたのである。有難い不動三尊を拝みにいこう」「先に他のところをまわろうよ」「球磨之介。手水舎に柄杓があるのである」「久しぶりだね。もうここだけになっちゃったね」「蔵王権現の触拝所もなくなってしまったのである」お参りをするのでした。池から柚ココさんが現れたので孫の動画を見てもらうのでした。お参りをするのでした。何やら新しいのができているのでお参りをするのでした。稲荷社にお参りをするのでした。お参りをするのでした。こちらは大師堂だと思うのですがお参りをしました。このあと本堂でお参りをしてカード式のお守りを探すのでした。「とうちゃん、鯉の餌が売っているから買おうよ」「ふむ。すいません。カード式のお守りはもう売っていないんですか?」「ありますよ。これでいいですか?」「ありがとうございます。鯉の餌もください」一度池に戻って鯉に餌をやって駅に向かうのでした。「大山のお坊さんはいい人だね」「ふむ。どこのお寺の人も親切だし優しいよ」「あそこのお寺意外な」「ふむ。いいところなのであるが行く気になれないのである」ケーブルカーを待つ間にしばし下界を眺めるのでした。ケーブルカーがやってきて阿夫利神社を目指すのでした。「大山は駅から降りたらすぐ神社だ」「ふむ。そんなにきつくないように思うのである」「とうちゃん。前から可愛い行列がやってくるぞ」「ふむ。田舎の子はたくましいね。まだ幼稚園児に見えるが大山に登るんだね」手水舎に柄杓はないのでした。「鳥居が見えてきたぞ」「ふむ。こんなに楽な登山だったっけね?」「それだけ今年は身体の調子がいいんだろ」「これで心が晴れやかならいいんだがね」鳥居で挨拶をしてお邪魔するのでした。獅子山にお参りをするのでした・「とうちゃん。あの世に行ったら虎の親子になろうよ」「ふむ。親虎の方が間抜けそうなのである」「とうちゃんと俺みたいじゃないか」「……」「犬の親子もいいではないか」「けれどこっちはお母さんと子犬って感じだぞ」「球磨之介。このお馬の親子は痩せてないかね?」「草ばっかり食べているからだろ」「球磨之介。龍の親子は無理がないかね?」「パーマをかけた関西のおばさんみたいじゃないか?」「ふむ。龍が台無しである」拝殿にお参りをするのでした。「おい、とうちゃん護摩木があるぞ」「ふむ。記念に一枚書いてみるかね」火に入れたとたんに写真を撮る間もなく燃えてしまうのでした。浅間様にお参りをするのでした。天満宮にもお参りをするのでした。「なあ、とうちゃん。昔はこの大太刀を持って江戸からやってきたんだろ」「そうらしいね。昔の人は体力があったんだね。それと昔は禊ができる滝がいっぱいあったみたいなんだよ。夏だったら拙者も褌できて全身を浄めたいのである」大山の名水を頂くのでした。さざれ石にお参りをするのでした。大黒様と恵比寿様にお参りをするのでした。妻はいないんですがお参りをしてみるのでした。ボケないようにお参りをしてみるのでした。お参りを終えたハンサム団は帰路に着くのでした。こま参道を駆け下りていくのでした。バス停近くで幼稚園児に追いつくのでした。「球磨之介。今年は御嶽も大山も早くお参りができてしまったのである」「来年から徒歩を増やすか、神社でゆっくりしようよ」「とうちゃん。幼稚園の子供でも徒歩で往復するんだね」「ふむ。子供にはちょっときついように思うのであるが偉いね」「こんな空気と水のいいところで育ったらいいだろうな」「ふむ。渋谷はすっかり高いビルだらけになってしまったからね」なんとなくお名残り惜しく、どこかに寄ろうかと相談するのですが、身体のことも考えて渋谷に帰るハンサム団なのでした。
2022年10月12日
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祥之介は前の日に体調を崩してしまうのでした。「おじいちゃん。お山にでかけるのか?」「ふむ。明日から雨が続くのである。傘をさして山を登るのは辛いのである」祥之介はさえない団と散歩をして麓の駅に向かうのでした。渋谷駅に立って宮益パークなるものを眺めているのでした。「とうちゃん、今日は混んでいるな」「ふむ。コロナの頃とは違うね」なので写真が全然とれなかったのでした。新宿駅に着くと「ホリデー快速」なるものが停まっているのでした。「とうちゃん。出遅れてよかったな」「ふむ。これはいいね。青梅線に入って立川、西立川、拝島、福生、青梅、御嶽なのである」「七時四十四分発、奥多摩九時十八分着だぞ」「凄いのである。三十分は早いのである」御嶽駅から大急ぎでバスに乗ってモノレールの駅に着くのでした。ハンサム団は急いでいるのでした。人が多いので遅れるとモノレールに乗れないのでした。「球磨之介。ふくらはぎがつりそうなのである」「とうちゃん。お山はこれからだぞ」急いで行っても前に乗れなかった人がいていっぱいなのでした。「とうちゃん。朝飯を食っていないんだろ?」「ふむ。かば姐がまたパチンコでお金を使い果たしたのである」「きび餅が売っているぞ。買おうよ」「ふむ。買おうではないか」きび餅を買ってモノレールを待つのでした。しばらくしたらモノレールがやってくるのでした。御嶽神社は眷属がニッポンオオカミなので犬も乗れますし、犬の御祈願にくる人も多いのでした。車内は可愛いワンコがいっぱいいるのでした。「とうちゃん。随分かわったね」「ふむ。入り口に焼き団子と鮎の塩焼きが売っているのである」「鮎でいっぱいやってくか?」「絶対息切れがするからいやなのである」鳥居が見えてくるのでした。「早くに着いたからお山には人がいないな」「ふむ。急いでいこう。体調が悪いのである。こういう時は一気にいかないと疲れるのである。股関節をまわして惰力で登っていくのである」「ゼンマイ仕掛けのタンクみたいな歩き方だな……」「球磨之介。随分改装したんだね」「ホントだ。こんな柵なかったよな」「誰か落ちたのかね?」「とうちゃん。歩くのが早くないか?」「ふむ。体調が悪いのである。息切れもするのである」「ペースを落としたらどうだ?」「いつもは周りの人にあわせているのであるが、人が全然いないのでだんだん早くなるのである」この日最初のお参りをするのでした。御神木にもお参りをするのでした。「人がいないと気持ちがいいね」「ふむ。やっぱり空気がいいね。肌で感じる空気も、吸う空気も空気なのである」「なんだ?そりゃ?」「球磨之介。手水舎と門が見えてきたぞ」「とうちゃん。ここまで十分かかってないぞ」「ふむ。社務所まで十五分以内に着くのである」「大丈夫か?」「具合が悪いのである。休まず一気にいくのである」手水舎でブレスなどもお浄めするのでした。横にはお犬様用の手水舎もあるのでした。「球磨之介。一気にいくそ。まずは前の人を抜かすのである」「とうちゃん。本当に大丈夫か?」「球磨之介。ここは駆け上がるのである」「とうちゃん、脚が上がっていないぞ」「ふむ……バス停からケーブルカー駅までで足がダメになったのである」「二回きているから距離感がわかるのである。急ぐぞ」「最初はいつ着くかわからなかったから疲れたよな」「ふむ。御嶽のお山は距離が短いのである。来年は十分で登れるようにトレーニングをするのである」お参りをするのでした。この階段を登ったらすぐなのでした。「球磨之介。随分いろいろなところが綺麗になっているね」「見えたぞ。社務所だ」「登ったら少し休んでいいかね?」「勝手に休めよ。ジジイ」拝殿が見えてくるのでした。「やっぱり大きいね」「迫力だと豊川稲荷の狐さんとどっこいだね」お参りをする前に、麓でもとめたきび餅と麦茶で休憩をするのでした。「とうちゃん。今年も無事にこられたことに感謝しよう」「ふむ。感謝しよう」ハンサム団は動物禁止のエリアに入って首をかしげるのでした。「球磨之介。なんかないのである」八柱神社にお参りをするのでした。「とうちゃん。蔵王権現の蝕拝所がなくなっているぞ」「コロナだからかね?去年は九月の二十日にきたんだね」「今年は還暦のお礼をしたかったんだろ?」「ふむ。蔵王権現は山形にもあるのである。幼馴染なのである」二柱神社にお参りをするのでした。神明社にお参りをするのでした。常盤堅盤社にお参りをするのでした。なんでも昔の本殿だそうです。東照宮にもお参りをするのでした。豚の神社は工事をしているのか、邪魔になると思ってお参りを遠慮するのでした。巨福社にお参りをするのでした。大口真神にもお参りをするのでした。遥拝所で今年一年の無事を感謝するのでした。「とうちゃん。今年もこられてよかったね」「ふむ。あと何年こられるかね」人がいないので何回もお参りをしていたら縦に赤っぽい光の帯みたいのが出るのでした。「球磨之介。歓迎されているのかね」「赤い光だから退場じゃないか」「…………」天神様にもお参りをするのでした。拝殿に御挨拶をして帰路をとるのでした。下っていくと気がつかなかった三柱社にお参りをするのでした。改めて感謝の意を表すのでした。「とうちゃん、来年もこようね」帰りはゆっくり歩いていくのでした。「球磨之介。人がいっぱい登ってくるぞ」「俺たちもいつもこのくらいの時間だよな」「けれど去年の遥拝所の時刻を見ると九時二十分になっているのである」「とうちゃん、九時二十分じゃないぞ。九月二十日だ」「一時間違うと随分人が多くなるんだね」「またのお越しをお待ちされているぞ」「ふむ。またお越しになるのである」「球磨之介。焼き団子を食べようかね?」祥之介は体調がよくないのであきらめるのでした。御嶽神社に十一時に着くのでした。「とうちゃん。また駅前の拉麺が食べられなかったね」「ふむ。今年は調子がよかったのに残念だよ」「ここのところの残業で疲れたんじゃないか?」「ふむ。年なんだね」山の駅はいかにも田舎の駅なのでした。「とうちゃん。帰りは長いぞ」「ふむ。青梅まで各駅で乗り換えて国分寺まで各駅なのである」青梅駅で毎年恒例の看板を眺めるのでした。また来年もお山に登れるか不安に思う祥之介なのでした。大山の阿夫利神社と成田山新勝寺に行きたいのですが天気が不安定で困っているのでした。明日は日赤にいくので、でかけられるか不安なのでした。
2022年09月19日
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