2003年10月29日
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伊藤智仁が引退を表明した。
結局、最後の2年間は公式戦登板なしという寂しいことになってしまい、やはり、1シーズンぐらい「ダメなシーズン」を送って、「投げて決着」をつけたかったのではと思う。

伊藤といえば、93年のデビューが最も鮮烈なのだが、その前にオリンピックの話をしたい。
きのう、Nステを見ていたら、オリンピックでの野球の成績を振り返る企画をしていた。
その中で、バルセロナ五輪(92年)のところで紹介されたのが、伊藤。
3位決定戦で好投し、ジェイソン・ジオンビなどを擁したアメリカを下した。(と紹介されていた。)
調べてみると、ジオンビはこの試合、2番・ファーストで2安打放ち、メンバーには、パドレスのフィル・ネビン、Rソックスのガルシアパーラなどもいた。

伊藤は92年のドラフトで指名されたのだが、この年の目玉はなんといっても、松井秀喜。
松井指名が4球団。(中日、ダイエー、阪神、巨人)
伊藤指名が3球団だった。(広島、オリックス、ヤクルト)

93年の伊藤はというと、開幕こそ2軍だったが、5月以降ローテーション入りし、7月4日まで14試合、7勝2敗、防御率0.91という成績を残した。
中でも伝説的なのは、6月9日金沢で行われた巨人戦、プロタイ記録の16三振を奪いながら、篠塚のサヨナラ本塁打に泣いた試合だ。
実質、この2~3ヶ月が最も輝いた時期であり、この期間の短さで新人王が取れたことだけでも、その凄さが分かろうというものだ。

・・と偉そうに書いてみたもののこのあたりの時期、僕はあまり野球を見てなかったので正直記憶にないのだ。
名前を知っているぐらいで。惜しいことをしたものだ・・。

だから、僕の中で伊藤のベストな状態というと97年にストッパーをしていたころになってしまう。
この年は、高津が故障&不振でシーズンのおおかたを伊藤がストッパーに回った。(最後の日本シリーズは高津が締めた)

98年以降は再び先発に。石井一久、川崎とともに三本柱と呼ばれたりした。
防御率はよくともなかなか2ケタ勝利が挙げられないなど、
ファンとしてはもっとできるのでは・・と、不満を持ってみていた時期だ。

このころのヤクルト3本柱って、「自立できてないよな・・」と言う印象をもってたんだよね。
巨人の3本柱(斉藤、槙原、桑田)って全員が「自分がエース」という自負を持っていたと思うけど、
ヤクルトの三人って自分はエースじゃないよって感じで
「巨人戦の川崎」
「奪三振の石井」
「防御率の伊藤」
って個性を分け合ってたイメージがあった。(あくまで主観)

今思えば、思い通りにならないところをごまかしごまかしやっていた時期だったのかもしれない。

伊藤は今後2軍でリハビリ担当のコーチに就任する予定という。
この球団ほどリハビリ担当のやりがいがあるチームもないだろうというぐらい、故障者は続出する。
故障者にとっては、故障を克服し復活を果たした経験のある人がそばにいるというのは励みになることだと思う。
昔荒木、今伊藤・・って感じか。
故障している若い選手も多いので、ひとりでも多く一軍に送り出せるよう頑張って欲しい。





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最終更新日  2003年10月31日 17時20分01秒
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