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「やっぱり帰りはこわかった!」 徘徊日記 2023年8月25日 その6 灘・上野道あたり 天上寺跡の廃墟でノンビリ思い出にひたった後は、いよいよ本格的な下り坂でした。ますは、延々と続く石段でした。 下りはじめた当初は、何段あるのか数えていましたが、膝がふるえはじめたあたりから余裕を失って、一人で歩いていることが不安になってきました。徘徊老人とか自称してうろつき始めて5年、初めて味わう不安です。 まだ 境内のなかです。下り続ける石段の途中に「摩耶の大杉」という矢印が出ていました。石段をそれて西に向かって数十メートル、誰も来る人がいないのでしょうか、うっそうと茂った藪が覆いかぶさって獣道のようになっている小道づたいに歩くと大木が立っていました。 摩耶の大杉だそうです。看板もありました。株本から十数メートルの樹影が木立年に光に浮かびますが、そこから先は折れてしまっているのでしょうか、樹齢も、全体の姿もわかりません。 石段に戻って下り続けると、仁王門跡にたどり着きました。少なくとも漆かなんかが塗られていたに違いないのですが、白木のまま朽ちてきたように見えるのが不思議でした。 もちろん、仁王さんはいらっしゃいません。石段の上だった本堂あたりは焼けてしまって建物は何も残っていませんでしたが、あるじを失った仁王門は残ったのですね。空き家になって50年です。 50年前、このお寺の住職さんは大阪大学の基礎工学部の先生だったはずです。高校時代からの友人が門下生でゼミの集まりとかでやってくることがあって、この下に住んでいたシマクマ君を訪ねてくれたこともありました。まだ、本堂が焼ける前です。 門の下にあった馬つなぎ、下乗の石柱です。参詣の人はここまでたどり着いたら馬を下りるわけですが、ここまで馬でくるなんてできたのでしょうかね。今なら、ケーブルの駅がすぐそこあたりのはずですが。 50年、火が入らなかった石灯篭です。昔は仁王門前の道灯りだったのでしょうね。と、まあ、しみじみと写真を撮ったりお茶を飲んだりしているとどなたか下から登っていらっしゃいました。 ボクより、少しお年を召していらっしゃるご様子の女性と、息子さんでしょうか、50歳くらいに見える男性の二人連れでした。一人歩きに不安を感じ始めていたシマクマ君には地獄(?)で仏(笑)でした。「こんにちは、登っていらっしゃったんですか?お元気ですね。」「はい、こんにちは、上からですか?」「はい。もう、足ががくがくで(笑)。上に行かれるのですか?」「はい、ちょっとそこの摩耶山まで。」「お寺の石段が結構ありますね。ぼくは下りでもへばりそうでした。頑張ってくださいね。」「お一人ですか。気を付けてくださいね(笑)。」「ありがとうございます。でも、まあ、下りですから。」 山歩きのシューズでストックもお持ちのお二人を見送りながら、ただの思い付きの自分が、ちょっと危ないなと自省することしきりでしたが、歩き始めました。 ケーブルの誘惑には打ち勝ちましたが、足腰はよろよろです。休憩所に着くたびに座り込んで、お茶を飲んで一服です。こんなところで熱中症はマジ、ヤバイですからね。 山道ですが、お地蔵さんが祀ってあります。つい先日が地蔵盆だったこともありますが、お花もお供えも新しくて、胸打たれます。ここまで、お地蔵さんのお世話に歩いてこられる人がいらっしゃるんですよね。 もう、そろそろ下界ですね。 たどり着きました。上野道の登山口です。いや、摂州八十八ケ所、四十六番札所、摩耶山天上寺の登り口ですね。 隣に地図の看板があって、見ていると楽しそうですが、この道を登って行くのは「ボクには無理!」 だということがよくわかりました。摩耶山の広場を出発して2時間余りの下り道でしたが、こんなにへこたれるとは想像していませんでした。行きはヨイヨイ、帰りはホントにコワカッタ!💦💦 看板の下は、写真を撮り忘れましたが、そこらあたり一帯、地面をかきまぜたようになっていて「なんだこれは?」なのですがイノシシくんの仕業ですね。 まあ、何はともあれ、無事下山でした。メデタシ、メデタシでした(笑)。じゃあ、またね。ボタン押してね!
2023.09.30
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チェン・カイコー「さらば、わが愛 覇王別姫」(2)シネリーブル神戸 SCC、シマクマシネマクラブの第9回例会です。前回の第8回「薔薇の名前」を「暗いですねえ!」と一蹴されたシマクマ君、かなり焦って💦提案したのがこの映画です。こんどこそ大丈夫! まあ、チョット気合入ってましたね。何といっても、シマクマ君のここのところ数年の映画体験のなかではベスト10に入りそうな作品ですからね(笑)。 見たのはチェン・カイコー監督の傑作、「さらば、わが愛 覇王別姫」でした。 で、結果はいかに? 「あのー、紅衛兵が主人公の二人と、覇王役の妻の三人をつるし上げるシーンを見ていて、この監督には、どこか、非人間的な残忍さというか、見るに堪えない精神的な暗さがあるんじゃないかという気がして、しんどかったですね。」「あわわわわ・・・・」 しばし、絶句!です(笑)。「非人間的というのは?」「いわゆる、人間性の否定ですね。ああいう、表現というか、映像にも、もう、気分的についていけませんね。」「うーん、あのシーンは、一応、史実なんですよね。文革での糾弾闘争という形式は、たとえば、著者は鄭 義という人だったと思いますが、「食人宴席」(光文社)という本があります。その後、中国が買い占めて市場から消えたといういわくつきの本ですが、カッパノベルです。そこで暴露していますが、凄惨極まりなかったということですね。まあ、事実かどうか、よくわかりませんが、ボクは、四方田犬彦がどこかで紹介しているのに促されて読んだことがあります。反革命だと糾弾された人を、最終的には殺してしまい、その肉を食らうという、まあ、中国ヘイトの人が喜びそうな、ほとんど猟奇的な記述がありましたよ。ついでに言えば、日本のなかでも、その闘争形式は、70年代後半の反差別闘争の中で模倣されたようで、もちろん殺すなんてことはしていませんが、批判の対象になる「差別者」のつるし上げは、公開というか、その人の住居を取り囲んでやってました。普段の生活での発言や生活信条に焦点を当てて糾弾し、人格の否定に至るという闘争(?)を、その人間が暮らす町や村の人々を「参加しなければ差別者だ。」という、暗黙の脅しで動員して大衆的(?)にやっていましたよ。村の有線放送で、糾弾会の動員指令が流されたりしていましたから。文革でもそうですが、その後、その闘争団体が自己批判した話は聞きませんから、50年という時間とともに忘れられるに任されているわけですが、正義を標榜したときに、人間というのは酷いことをするものだというのが、当時20歳だったボクに刷り込まれた人間認識ですね。人間性なんて信用できるんですかね?」「芸術表現とヒューマニズムの関係はどうなんですか?」「うーん、ボクはこの作品は主人公、小豆子・蝶衣(レスリー・チャン)と石頭・小樓(チャン・フォンイー)の、究極の愛の物語、だから、実に人間的な作品だと思うのですがねえ。」 というわけで、シマクマ君、チョット、口調がやけくそ気味ですが、人の好みというのものは難しいですね。仕方がないので、ここからは独り言です。 最初に断っておくと、この映画では、多指症の少年の指が切り落とされるシーンから始まりますが、京劇の修行シーンは、ひたすら、虐待まがい、イヤ、虐待かな、の暴力の繰り返しですし、主人公二人の生きた時間は、近代中国が直面した政治的暴力(戦争・革命)の最中です。しかし、そのシーンが映画に描かれることが、映画制作者や監督自身の暴力的な志向の直接的に表現されていたとはボクは思いません。 で、映画ですが、この映画の題名には史記の項羽本紀にある「垓下の戦い」の覇王=項羽と姫=虞美人の別れを、「覇王別姫」(覇王、姫ト別ル)として京劇にしたお芝居の題名が使われています。 映画で、二人が演じる劇中のセリフは、史記ではこの詩です。高校の教科書に出てきます。力拔山兮氣蓋世 力は山を抜き 気は世を蓋う時不利兮騅不逝 時利あらずして 騅逝かず騅不逝兮可奈何 騅の逝かざる 如何すべき虞兮虞兮奈若何 虞や虞や 若(なんぢ)を如何せん 項羽のこの詩に答える虞美人の返歌はこうです。これは教科書にはありません。漢兵已略地 漢兵、已に地を略す四方楚歌聲 四方は楚の歌聲大王意氣盡 大王の意気は盡く賤妾何聊生 賤妾(せんしょう)、何くんぞ生を聊(やす)んぜん 史記には、虞美人の最期は書かれていませんが、京劇では項羽の刀で自刃するようです。映画の中に小豆子が「われは男にして、」と、繰り返し間違えるセリフがあります。「われは女にして、男にあらず」が正しいのですが、そのセリフは虞美人の返歌の賤妾何聊生と響き合っていて、哀切です。 史実、芝居、現実、という三重に重ねられた世界で、父親を知らず、母親に捨てられた小豆子は、生まれつきあった6本目の指を役者になるために切り落とされ、「われは男にして」というセリフの間違いを、相方の兄弟子・石頭によって暴力的に矯正されることで、一人前の役者として成人します。 その結果、史実でも、現実でもない、虚構の芝居の世界に閉じ込められて成人した小豆子・蝶衣(レスリー・チャン)が、「お前は女だ」としつけてくれた覇王役の兄弟子・石頭・小樓(チャン・フォンイー)の賤妾になることは必然というほかありません。 まず、現実の社会と古典芸能の相克を近代中国史を背景に描きながら、その世界で、演じるという「人間的なワザ」を奪われて、人形にすぎない役者の人生を生きるよりほかの方法を知らない、世間から見れば天才役者の悲劇でしかありえない人間の孤独な一生を描いた傑作だと思います。 映画は、薄暗い舞台で、覇王と虞美人の扮装で再会した二人のシーンで始まりましたが、次のシーンでどんな結末を迎えることになるのかを、始まりからの50年をたどるために3時間に及ぼうかという熱演で描いているのですが、じつは、その結末は、1000年以上も前に予告されていたのでした。 四面楚歌の中、大王の意気が儘きた時、姫は死ぬほかなかったのでした。賤妾(せんしょう)、何くんぞ生を聊(やす)んぜん これを小豆子・蝶衣(レスリー・チャン)の人間的悲劇といわずして、何といえばいいのでしょうか?役者でしかない命を舞台の上で絶つシーンに至るまで、悲劇を悲劇として演じ切った、レスリー・チャンの妖艶さに拍手を忘れて目を瞠りました。 ボクは傑作だと思うのですがねえ(笑) この作品で、役者としての頂点に立ったレスリー・チャンが、2003年、自ら命を絶って、この世を去ったことを思うと、やはり、胸が痛みます。 監督 チェン・カイコー陳凱歌原作 リー・ピクワー脚本 チェン・カイコー リー・ピクワー撮影 クー・チャンウェイ音楽 チャオ・チーピンキャストレスリー・チャンチャン・フォンイーコン・リーフェイ・カンチー・イートンマー・ミンウェイイン・チーフェイ・ヤン チャオ・ハイロン1993年・172分・中国・香港・台湾合作原題「覇王別姫」「Farewell My Concubine」日本初公開 1994年2月11日2023・07・31・no99・シネリーブル神戸no203 ・SCCno9!
2023.09.29
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ヴィム・ヴェンダース「パリ、テキサス」シネ・リーブル神戸 2022年1月にシネリーブル神戸でやっていた「ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES 夢の涯てまでも」という特集の1本として見ました。で、その時に感想を書くのに困ってほったらかしにしていました。で、今ごろ書いてます。 2023年の9月にパルシネマが、なんと、まあ、小津安二郎の「お早う」と二本立てで企画して上映しています。で、そのプログラムを見つけてチッチキ夫人がいいました。「ねえ、この『パリ、テキサス』って見たんでしょ?」「うん、見た、見た。」「見たいねんけど、どうなん?」「ええで、鏡に自分の姿が映ってるとするやろ、それをいきなり粉々に割るような印象やな。」「そんなシーンがあるの?」「いや、ない。ボクがそう感じただけや。」「どういうこと?」「アリゾナ砂漠ってあるやろ、グランドキャニオンみたいなとこ。そこを歩いてんねん。あの、ほら、『ラッキー』やったかの老人な。なんとかスタントン。」「カメ出てくるの映画やんな」「うん、若い頃のあの人が主役。で、ナスターシャ・キンスキーいう、きれいな人が奥さん。」「フーン。」「で、あのジイさんが、記憶喪失で、4年間、パリに行こうって思い込んで、砂漠を歩いてる、まあ、中年のオッサンやねん。」「歩いてパリなんか行けんの?」「うん、行けんねん。見たらわかる。」「その奥さんは?」「うん、子どもおるねんけど、男の子。その奥さんも子供も捨てたらしいんやけど、忘れてんねん。」「忘れたん?」「いや、そのオッサンがや。」「ああ、そうなん。」「ホンで、まあ、砂漠のガソリンスタンドで倒れて、あれこれあって、奥さんと再会するねん。それが、あの赤い服着た女の人のシーン。」「ナスターシャ・キンスキーいう人やんな。」「そう。で、あのシーンでボクの鏡がぶち割れねん。」「鏡のシーンとかないんやろ。」「うん、でも、覗き部屋いうの?あっちで女の人がいるのが見えて、こっちはみえへんみたいな窓のシーンはある。」「そのガラスが割れるん?」「いや、割れへん。」「意味わからんわ。」「うん、ボクも意味わからん(笑)、でも、音楽はエエで。ライ・クーダ―のスライドギターや。ずーっと乾いていて切ない(笑)。」「パリはどうなってるの?」「そやから、見たらわかるって(笑)。」 主人公はトラビス(ハリー・ディーン・スタントン)というのですが、彼が覗き部屋の女で稼いでいる妻のジェーン(ナスタ―シャ・キンスキー)を見て、そっと、その場を去るところまでは確かに覚えているのですが、後は、やっぱり、砂漠を歩いているイメージしか覚えていません。 そのシーンで、涙が出てきて止まらなくなったような、それだけで映画の記憶は止まっています。でチッチキ夫人はまだ見に行ってませんが、ボクは、SCC(シマクマシネマクラブ)のM氏をお誘いしてお先に見に行きました。その感想は、別に書きます。監督 ヴィム・ヴェンダース脚本 サム・シェパード L・M・キット・カーソン撮影 ロビー・ミュラー美術 ケイト・アルトマン衣装 ビルギッタ・ビョルゲ編集 ペーター・プルツィゴッダ音楽 ライ・クーダーキャストハリー・ディーン・スタントン(トラヴィス)ナスターシャ・キンスキー(ジェーン)ディーン・ストックウェル(ウォルト)オーロール・クレマン(アンヌ)ハンター・カーソン(ハンター)ベルンハルト・ビッキ(医師)1984年・146分・G・西ドイツ・フランス合作原題「Paris, Texas」配給:東北新社日本初公開:1985年9月7日2022・01・08-no3・シネ・リーブル神戸no207!
2023.09.28
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セドリック・クラピッシュ「ダンサー イン Paris」シネ・リーブル神戸 シネリーブルの予告編を見てからチッチキ夫人が騒いでいましたが、見てきたようです。セドリック・クラピッシュ監督の「ダンサー イン Paris」です。「少女マンガやったらどうしようって思っていたけど、まあ、大丈夫やったわ。」「なによ、少女マンガて?」「だから、アラベスクとか知らん?山岸涼子。ガンバルやつやん。」「ふーん、ガンバルやつでも嫌いちゃうで。」「まあ、とにかく見といでよ。悪ないから(笑)。」「なに、その笑い?」「それに、出てる人、多分、あれ、みんな、本物のプロよ。」 というわけで、一日遅れでシネリーブルにやって来ました。 本物のプロのなせる業にくぎ付けでした。バレエです!ダンスです! クラシックとかコンテンポラリーとかいわれても皆目わからない素人のジジイが目を瞠りました。パリのオペラ座とからしいですが、クラシック・バレエの、チラシによれば「ラ・バヤデール」という演目の舞台が、練習風景や舞台裏を絡めながら延々と上映されて、まあ、とどのつまりに、映画のドラマのため(?)の事故が起こるのですが、「まあ、そっちの筋書きはいいから、このまま、最後まで映してよ。」といいたくなる迫力でした。 三浦雅士という、昔、「ユリイカ」という雑誌の編集長だった、贔屓の文芸批評家が、90年代に、突如「バレエ評論家」になった時に困惑したことを思い出しました。で、目の前に繰り広げられるシーンに目を奪われながら、「なるほどなあ!」 と、不思議な納得に浸りました。 ところが、後半になって、コンテンポラリー・ダンスの練習風景や舞台の様子が映り始めると、また、少し違ったカンドーに浸りました。ダンスって、スゴイ! まあ、そんな、ありきたりな言葉でしか言えませんが、頭の先から足のつま先まで「美しい」の方へむかって、自由自在に、それも集団で、にもからわらず一糸乱れぬではなくて、優雅で繊細に動いていることが驚きでした。 舞台で着地に失敗し足を折ってしまったバレリーナ、エリーズを演じたマリオン・バルボーをはじめ、登場するすべてのダンサーたちに拍手!でした。 バレエとかダンスとかのドキュメンタリーでも見たかのように感想を書いていますが、映画はもちろん「ドラマ」でした。印象的なセリフや楽しいシーンもあるのですが、やっぱりダンス、バレエのドキュメンタリーなシーンが圧巻!でした。拍手! 見終えて、映画館を出て、チッチキ夫人に電話しました。「オーイ、もう一つ元町回って見るから遅くなるね。」「わかりました。で、ダンサーはどうやった?」「( ̄∇ ̄😉ハッハッハ、笑った意味わかったで。父娘ものやないか。」「ふふふふ。」 監督 セドリック・クラピッシュ脚本 セドリック・クラピッシュ サンティアゴ・アミゴレーナ撮影 アレクシ・カビルシーヌ美術 マリー・シェミナル衣装 アン・ショット編集 アン=ソフィー・ビオン音楽 ホフェッシュ・シェクター振付 フローレンス・クラーク ホフェッシュ・シェクターキャストマリオン・バルボー(エリーズ)ホフェッシュ・シェクター(ホフェッシュ・シェクター本人)ドゥニ・ポダリデス(アンリ)ミュリエル・ロバン(ジョジアーヌ)ピオ・マルマイ(ロイック)フランソワ・シビル(ヤン)スエリア・ヤクーブ(サブリナ)メディ・バキ(メディ・バキ本人)アレクシア・ジョルダーノ(アレクシア・ジョルダーノ本人)ロバンソン・カサリーノ(ロバンソン・カサリーノ本人)2022年・118分・G・フランス・ベルギー合作原題「En corps」2023・09・23・no116・シネ・リーブル神戸no205 !
2023.09.27
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ヴィム・ヴェンダース「ことの次第」元町映画館 12ヶ月のシネマリレーの11本目はヴィム・ヴェンダース監督の「ことの次第」でした。1982年ですから、ほぼ40年前の白黒映画でした。「ハメット」が1982年の製作で、「パリ、テキサス」が1984年ですから、まあ、そのころの作品ですね。 ボクは、昨年だったかに見なおした「ベルリン天使の詩」で爆睡したのをチッチキ夫人に糾弾される失態を犯して以来、この監督の映画は敬して遠ざけさせていただいているのですが、今回は「12ヶ月のシネマリレー」のライン・アップの1本ということで、やって来ました。はい、完敗でした!40年前に見ていたらなぁ・・・。 まあ、そういう負け惜しみに満ちた感想でした(笑)。 ポルトガルの海岸でアメリカのSF映画を撮っている映画撮影隊がいて、まず、意味不明のSFシーンが流れます。それから、撮影隊の話になって、実は、もう、フィルム代もないくらいに資金が底をついていて、金策しているはずのプロデューサーは逃げ出しているらしくて、音信不通で、チームを支えている老カメラマンは妻が危篤で、俳優の誰かと誰かはできていて、苦悩の監督は妻と愛し合っていて、隣の部屋では子役たちが聞き耳を立てていて、主演女優は西部劇論の本なんか読んでいて、俳優たちは夜昼なく飲んだくれ始めて、という、あれやこれやの現場の様子が約1時間続きます。 見ていて、かなり疲れます(笑)。 カット、カットのディテールは興味深いのですが、何が起こっていて、これから「映画」はどうなるのかわかりません。わからなさの中で、眠り込みもしないで座っいるとこんなセリフが聞こえてきました。「本当は物語なんてどこにもないのだ。」 まあ、本当はも少しシャレたセリフだったように思います。正確な記憶ではありませんが、登場人物の誰かが、そんなことを口走るのをきいて、ハッとしました。 思い浮かんだのは、まだ生きていた中上健二とかが、しきりに口にしていた「物語喪失論」、あるいは、「物語解体論」です。1980年代のブームです。 まあ、ボクなりの、多分、デタラメで勝ってな理解ですが、小説であろうが映画であろうが、一つ一つのプロットの連鎖を「物語」として文脈化、全体化するのは人間の勝手な妄想であって、「自然」の時間に「物語」なんてものは、もともとないのである、というわけですが、なぜか、一つのまとまりとして作品が出来上がってしまうと「物語」になってしまうのですね。で、見ている人は、それぞれの「物語」を読み取って納得するんです。要するに、自己満足に過ぎないということです。 この映画の後半は、金策のためにロサンゼルスにやって来た監督が、ようやくのことで、マフィアから逃げているプロデューサを探し出し、行き詰まりの解決法を互いに失っていることを確認し、別れる場面で、何者かに射殺されてしまいます。面白いのは二人共、誰が撃ったのかわらない銃弾で殺されるところですね。 映画製作費をめぐる、マフィアとの確執の「物語」をこの映画が描きたかったのであれば、このラストシーンは丸投げなのです。観客は延々と2時間、何を見ていたのか? 当時のシマクマ君は「物語論」の流行に夢中でしたが、もう忘れてしまいましたね。「あの頃見ていればなあ・・・」 まあ、そんなことを思いながら、完敗でいいや! という帰り道でした。最後まで負け惜しみですね(笑) 監督 ヴィム・ヴェンダース製作 クリス・ジーバニッヒ脚本 ビム・ベンダース撮影 アンリ・アルカン フレッド・マーフィ音楽 ルゲン・クニーパーキャストパトリック・ボーショー(フリッツ・監督)イザベル・ベンガルテン(アンナ・読書する女優)アレン・ガーフィールド(ゴードン・プロデューサー)サミュエル・フラー(ジョー)ロジャー・コーマン(弁護士)1982年・127分・PG12・/西ドイツ原題「Der Stand der Dinge」日本公開1983年11月2023・09・23・no117・元町映画館no205
2023.09.26
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ジョナサン・デミ「メルビンとハワード」元町映画館 ジョナサン・デミという監督の「メルビンとハワード」という作品を見ました。ジョン・カサヴェテスとセットの特集です。 スクリーンが暗くなると、いきなりオートバイで、砂漠ですかねえ、スクリーン全体も暗くてよくわからないんですが、道ではない薄暗い荒野を突っ走って、土手かなんかでジャンプして、二度目にはひっくり返るというシーンが映し出されました。なに?これ? 最後まで、このシーンの意味はわかりませんでしたが、オートバイで疾走していたのがハワード・ヒューズ(ジェイソン・ロバーツ)という、実在の大金持ちだったようです。 で、続いて画面に登場するのが牛乳配達のお兄さん、メルビン(ポール・ル・マット)くんで、彼が仕事帰りの軽トラックで、わき道に入って立ちションします。ことをすませて、車に帰ろうとして、道ばたにひっくり返っている瀕死の老人を見つけて、慌てて介抱して、車に乗せて、あれこれやり取りしながら家まで送るのですが、このシーンがいいですね。 なんだか、見るからに怪しげな老人の相手をしながら、突如、自作のフォークソングを歌いだす、まあ、こっちもかなり怪しげですが、明るい。そのお人好しでトンチキなメルビン君と、助けてくれたものの、その若者の、まあ、親切なんだか厚かましいんだかわからない、トンチキさに辟易しながらも、最後は一緒に歌ったり、運転させてくれと頼む、まあ、謎としかいいようのない、自称ハワード・ヒューズ老人との出会いと別れです。 で、この謎の老人は、映画には二度と現れません。あとは、金が入ったらはしゃぎたい、まあ、いわゆる単細胞で、おバカなメルビンくんの、妻には逃げられるわ、仕事は首になるわの波乱の日常生活映画でした。 とんちき夫のメルビンを捨てて、ストリッパーで稼ぐ妻リンダ(メアリー・スティーンバージェン)も、まあ、「チョットあんたねえ???」というタイプですが、ストリップ小屋までやって来て連れて帰ろうとするメルビンにほだされていったんは帰るのですが、やっぱりおバカな、なんというか、「愛」とか「やる気」とかはあるけれど「生活」がわかっていないメルビンに呆れて、再び出て行ってしまいます。 今はどうだか知りませんが、半世紀前の、映画とかでよく見かけた夢見る貧しいアメリカ! まあ、そういう感じです。80年代の空気です。 で、ダメ男のメルビンですが、妻のリンダに連れられて、一緒に出て行った娘が「ホントはパパと一緒がいい!」 といってくれるのが、ある意味、たった一つの救いのような人物です。「はい、いいやつなんです。ホント!」 とどのつまりは、最初に救った謎の老人が、まあ、ボクでも名前は知っている本物のハワード・ヒューズという大金持ちだったという展開で、彼の遺産相続人として、このおバカなメルビンが指名されていて、大騒ぎになるっていうオチなんです。裁判所とかに引っ張り出されて大変なんですが、実話ネタなのだそうです。 ええ、もちろん、遺産はもらえないんですよね(笑)。 考えてみれば、異様なまでに、もの哀しい話なのですが、なぜか後味はよかったですね。で、やっぱり、ボクはメルビンと娘に拍手!でした(笑)。監督 ジョナサン・デミ脚本 ボー・ゴールドマン製作 アート・リンソン ドン・フィリップスキャストジェイソン・ロバーズ(ハワード・ヒューズ:富豪)ポール・ル・マット(メルビン・デュマー:牛乳配達)メアリー・スティーンバージェン(リンダ:メルビンの妻)1980年・95分・アメリカ原題「Melvin and Howard」2023・09・12・no113・元町映画館no203
2023.09.25
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「おお、伊吹山!」 徘徊日記 2023年9月4日(月) 湖東・湖北あたり 朝起きて、ちょっと琵琶湖あたり行ってみようと思いついて電車に乗ったんです。まあ、新快速、乗ればいいだけだし、青春18きっぷも余っているし。 須磨の海をボンヤリ見ながら、草津から関西本線乗ってみようか、とか何とか考えていたのですね。で、神戸で事故で出遅れていた新快速に乗り換えて、いつの間にか米原です。この新快速、近江塩津行なんですよね。近江塩津ってどこか、ご存知? 北陸本線の特急のようですね。ちょっと乗ってみたいですね。あてもなく新快速に乗るんじゃなくて、特急に乗って温泉に泊まって、金沢文学散歩とか思いつけないんですかね(笑)。 で、車窓に田んぼです。湖北の水田です。稲刈りにはまだ早いようです。向うは琵琶湖です。伊吹山が見えてきました。なんでかわかりませんが、この山が見えてくるとワクワクします。 近江塩津の手前、長浜駅でおりました。琵琶湖に近いかなという気分です。何の下調べもしていませんからわかりませんが、お城があるようです。垂水から、2時間30分ほど電車に乗っていました。 駅の様子です。東出口、琵琶湖口の方からの全景です。 反対の出口、伊吹山口の方に駅の表札がありました。ステンドグラスふうガラスの細工です。 こんな置物(モニュメント?)もありました。葉っぱがガラス細工です。特産品か何かなのでしょうかね?いろんな駅に、それぞれいろんなものがありますね(笑)。 伊吹山が街並みの向うに見えます。今日は、暑くて歩く気になれませんが、冬は寒いんでしょうね。伊吹おろしとかありそうですし。 駅の近所のショッピングモール(?)のガラス窓にこんなお習字、伊吹高校書道部だそうです。書道のことなんて何もわかりませんが、なんとなく元気がいいのでパチリ!でした。 実は改装中で、左側にも何か書かれていたのかもしれませんが、わかりません。暑くて、お腹もすいてきたのでソフトクリームを食べました。まあ、写真を撮るのは忘れましたけど(笑)。結局、お城と琵琶湖には行きましたが、町の方へは歩きませんでした。また来ます。ボタン押してね!
2023.09.24
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「草の背を乗り継ぐ風の行方かな 天上寺跡?」 徘徊日記 2023年8月25日(金)その5 灘区・上野道あたり 摩耶山を、少し下って、やって来たのは天上寺跡の廃墟です。摩耶山天上寺と呼び慣れていますが、正式には忉利天上寺(とうりてんじょうじ)ですね。釈迦の母、摩耶夫人を祀ったお寺の跡地です。 ボクはその頃学生で、ちょうどこの山の下、西灘の水道筋あたりに暮らしていましたが、このお寺が焼けました。全焼です。闇の中に煙が立ち登り火炎がゆらめいたのを覚えています。1976年のことです。 で、今では摩耶山の山頂の北に再建されて、ここは廃墟です。首から折れた石灯篭がありました。 青空の向うには青い海が見えます。 本堂の跡地はこんなふうでした。 向うに、道をふさいで倒れていた巨木が見えます。少し大きく撮るとこんな感じです。 向うが、今、下ってきた摩耶山です。 「お百度石」がポツンと、所在なげに立っていました。 手水場の水受けかなにかでしょうか。 ちょっと腰かけて、一服です。海と町が一望です。 もう、40年以上も昔、ボクはここから見える大学をなんとか卒業して、ここからでは、チョット彼方に見える県立高校の教員になりました。初めて担任したクラスに「マヤちゃん」というはっちゃけ少女がいて、摩耶山の麓に住んでいました。ここのすぐ下あたりです。 三者面談だったかにやって来たお母さんにお出会いして、腰を抜かしそうになりました。写真でお顔だけは知っていた「鏡のテオーリア」の著者、ユルスナールの翻訳者、で、詩人の多田智満子さん、ご当人が目の前に登場なさったのでした(笑)。「なんで、カトウのおかんが、タダやねん?!💦💦」危うく叫びそうだったことを覚えていますが、生涯で、最も緊張した三者面談でした(笑)。草の背を 乗り継ぐ風の 行方かな 多田智満子 亡くなられて20年経ちますね。御命日は風草忌というそうですが、その所以の句だそうです。なぜか覚えて句が浮かんできました。 そういえば、あのマヤちゃんも、ああ、それからリュウさんもヨシダさんも、と、はっちゃけ少女たちの名前が浮かんできます(笑)。彼女たちも。もう、そろそろ還暦になりかねない年のはずですね。元気にしているのでしょうか? 海を見ながら、ボンヤリ40年前の思い出にふけりましたが、そろそろ下山です。 本堂跡をたち上がって、降り口からのぞき込むと、この石段です。な、なんなんだ、この石段は!? いよいよ、本格的な下り道です。たかが摩耶山と笑うなかれ!一人で歩いていることに、本気で不安が湧き上がる、オタオタ、ひょこひょこの徘徊体験、つづきはその6です。ボタン押してね!
2023.09.23
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「行きはよいよい、帰りは???」 徘徊日記 2023年8月25日(金)その4灘区・上野道あたり さあ、帰り道です。もう何十年も前の記憶ですが、ケーブルの乗り場に降りる道があるはずです。看板にも「上野道」とあります。 左手の山の中に降りていけばいいのです。ケーブルカー、ロープウェイと乗り継いで登って来たものですから、余裕でした。それにしても、ここからずっと下り坂のはずです。へっちゃらです!(笑)とまあ、このあたりでは余裕でした。 ここから、ごろごろ石の石段、下り道です。道ばたにお地蔵さんというか、石仏というかが祀ってあります。 まあ、こういう雰囲気の山道です。子どものころは但馬の山の中で暮らしていたのです。ずっと下りのはずですから、山道の独り歩きに不安はありません。へっちゃらです!(笑) このあたりでは余裕でした。あたりまえや、まだ10分も歩いてへんやん。 しばらく、下っていると、なんか、石垣が見えてきました。学生のころ焼けて廃墟になっているはずの天上寺の跡地あたりにやって来たようです。 石造りの橋が架かっています。向うが少し明るいのでホッとします。まだ、たいして歩いたわけではありません。 橋を渡ると、大きな杉でしょうか、檜でしょうかが横倒しになっていました。どうも天上寺の跡地に着いたようです。 倒木の下をくぐりました。おおー、海です!青空です! 一気に視界が開けました。天上寺の本堂の跡地の広場に出たのです。 とにかく、ひと休みです。お茶はありますが、残念ながら、腹の足しになるものはありません。無計画な行動は、腹が減りますね(笑)。 実は、ここは、摩耶山の頂上から、おそらく100メートルも歩いていないはずですが、どうも、膝のあたりが不安です。まあ、しかし、まだまだ元気です! 続きは、その5です。じゃあね、バイバイ。ボタン押してね!
2023.09.22
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「あれは長浜城、こっちは琵琶湖」 徘徊日記 2023年9月4日(月) 湖北、長浜あたり ハハハハハ、琵琶湖の北の端に長浜っていう町がありますね。明石から新快速に乗ると、座っているだけでつれて行ってくれます。 湖西線まわりだと敦賀まで行ってくれる場合もありますが、東海道線で米原を経由すると近江塩津という長浜市内で、滋賀県、最北の駅までやって来ます。 今日は、午前10時ごろ神戸市の垂水駅で乗車して、12時ちょうどくらいに、長浜駅に到着です。青春18キップ消化、日帰り旅ですね。長浜駅の西口・琵琶湖口を出てすぐにお城が見えました。 長浜城です。織田信長の家臣だったころに羽柴秀吉が築いたお城らしいですが、石垣はマンマかもしれませんが天守閣は再建されたお城のようです。 お城の公園の敷地の中に檻があって、お猿さんがいました。一匹だけで暮らしているのでしょうかね?暑そうで、ちょっと可哀そうでした。 お猿さんの小屋があるあたりは桜の公園のようです。今は緑の林ですが、季節に来ればかなり大きな桜の園ですよこれは。 で、その公園の向こうに見えてきました。琵琶湖ですね。なんとなく長浜まで新快速に乗ってやって来た目的はこの風景ですよ。琵琶湖を北から眺めたい! もう一度、琵琶湖です。向うに霞んでいるのは京都の比叡山とか北山とかの琵琶湖側の風景ですかね。 白い貝殻みたいな、ベンチみたいな置物があります。多分、座ってもいいのだとおもいますが、歌碑でした。 琵琶湖周航の歌 われは湖の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと 昇る狭霧や さざなみの 志賀の都よ いざさらば 松は緑に 砂白き 雄松が里の 乙女子は 赤い椿の 森陰に はかない恋に 泣くとかや 波のまにまに 漂えば 赤い泊火 懐かしみ 行方定めぬ 波枕 今日は今津か 長浜か いい歌ですねえ。ボクでも歌えます。なんとなく、森繁久彌になった気分で(笑)、鼻歌を歌いながら、ボンヤリ湖を眺めて、持参したおにぎりを頬ばっていると赤とんぼ! です。なんとなくスマホを向けてむやみにタッチを繰り返していると写っていました。実は群れをなして浮かんでいたんのですがねえ。 見えますか?青空と雲の切れ目あたりに写っていますね。で、右手の葦の茂みの方をのぞき込むと糸トンボです。 緑のトンボです。見えますか? さて、これから、どうしましょうかね。湖西線をめぐって帰るのか、東海道線に戻って草津から関西本線に行ってみるか? まあ、ともかく、琵琶湖はこれでおしまいです。トンボとか、トンボとか見られて来たかいがあったというものですね(笑)じゃあ、またね。ボタン押してね!
2023.09.21
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ジョン・カサヴェテス「ハズバンズ」元町映画館 ジョン・カサヴェテス監督の特集に通った2023年の8月でしたが、最後はもう一つの特集、「ジョン・カサヴェテス×ジョナサン・デミ」という特集でやっていた「ハズバンズ」という作品でした。1970年に作られた映画のようです。朝一番ではありません(笑)。 中年の男性4人の友情物語でした。まあ、それにしても、1970年代の男性たちの「女性観」にはあきれましたね。それぞれ仕事もあり、家庭も持っている3人の中年男、ハリー(ベン・ギャザラ)、ガス(ピーター・フォーク)、そしてアーチー(ジョン・カサヴェテス)が、突然亡くなった親友スチュワート(デイヴィッド・ローランズ)の葬儀に集まります。そこから始まったのが、酒場でのバカ騒ぎから、果ては、なんと、アメリカからロンドンにまで繰り出しての「女漁り(?)」の旅でした。親友を失った悲しみとか、人生が終わりに差し掛かっていることを実感した不安とか、まあ、いろいろあるんでしょうがねえ。なんで、そうなるの? 2023年に69歳の老人が、まあ、眉をひそめて、そういってしまうしかない展開が1970年なのでしょうかね。 面白いシーンは、しこたまあるのですが、男性の描き方には、1950年代、60年代の西部劇的なアメリカン・マッチョ(?)な空気が充満していて、まあ、だから、映画に登場する人物たちの「子供っぽさ」が面白いのですが、チョット、うんざりでしたね。 映画というメディアの大衆性を考えたり、ジョン・カサヴェテスという監督の面白さとかを評価したりする場合には、忘れてはならない作品だと思いましたね。 ちょっと余談ですが、ボクが大学に入ったのは1974年くらいだったと思いますが、全共闘が敗北したキャンパスには「~解放研究会」が跋扈(まあ、「跋扈」では言葉は、すこし大袈裟ですが)していた時代で、個々の学生の、学生ゆえの特権に加えて、普通だという無意識に付着した「差別性」が、かなり、ナイーブに問われた時代でした。「あんた、それは、~に対する差別ちゃうか?!」 まあ、そういう自他に対する問いかけが始まった時代だった気がしますが、そのころから、ほぼ、50年の歳月がたちました。「~」に代入すべき項目は増えたのですが、ある種マニュアル化が進行した結果でしょうか、現代の社会意識の愚劣さ(「ヨメが」とか口にするバカ男が充満しているでしょ)は、当時の比ではないと感じますが、この映画を見ながら、まあ、世の中というのは、あんまり進歩とかしないものだと、ちょっとアホらしくなりましたね(笑)。監督 ジョン・カサヴェテス脚本 ジョン・カサヴェテス音楽 スタンリー・ウィルソン撮影 ヴィクター・ケンパー編集 ピーター・タナーキャストベン・ギャザラ(ハリー)ピーター・フォーク(アーチー・ブラック)ジョン・カサヴェテス(ガス・デメトリ:歯科医)デイヴィッド・ローランズ(スチュワート:死亡)ジェニー・ラナカー(メアリー・タイナン: ガスがナンパした大柄の女性)ジェニー・リー・ライト(パール・ビリンガム :ハリーがナンパした女性)ノエル・カオ(ジュリー:アーチーの相手をした東洋人女性)ジョン・クラーズ(レッド)メタ・ショウ(アニー:ハリーの妻)レオラ - レオラ・ハーロウ(レオラ)1970年・142分・アメリカ原題「Husbands」2023・08・30・no111・元町映画館no201
2023.09.20
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ウェス・アンダーソン「アステロイド・シティ」シネリーブル神戸 映画でも、お芝居でも、まあ、小説でも、詩でも、ですが、見たり読んだりしていて、自分が何を見ているのか、何を読んでいるのかわからなくなることってありますね。画面上、舞台上、あるいは、言葉やその文脈として、見たり読んだりしていることはわかるのですが、で、何を読んだとか見たとか聞かれるとわからないんですね。 小説でいえば、大傑作と誰もがいうセルバンテスの「ドン・キホーテ」(岩波文庫・全6巻)ですね。筋の展開も「ここが面白い!」と言われる山場の説明も全部できるのですが、「それで?」と問い直すと、何が何やらわからないんですね。 それでも、全6巻読み終えた自分をホメてあげたい気分ですが、ここの所、映画館を徘徊していて、その手の代表選手がウェス・アンダーソンです。 何本か見たことがありますが、それで?という困惑だけが記憶に残っていて、なんとなく気に掛かるんですね。映画は、小説とかとちがって、見ていればいいだけですから、気に掛かるのでやってきてしまうのですが、今回は「アステロイド・シティ」です。チラシによれば、まあ、ウソかホントか知りませんが、アメリカでは大評判の作品ですね。ぽかーん! でした(笑)。 1955年のテレビ番組で、西部の町「アステロイドシティ」、訳すと「小惑星都市」だそうですが、そこを舞台にしたお芝居をテレビで見せているという設定ですね。 お芝居を見せているわけですから、映画のシーンの背景は書割で、映像的にはアニメっぽいのですが、そこに実写の俳優が登場して、あれこれ、意味ありげな展開です。展開している意味を考える前に、「犬が島」だったかでは人形だった登場人物が人間で実写ですから、テンポというか、そこに見えている人物のリアリティというかがヘンなんですね。で、多分、これがウェス・アンダーソンなんでしょうね。こいつら、なにやってんだ? 最後までわかりませんでしたね。この映画を喜ぶセンスはボクとは無縁だといってしまえば、まあ、もう見ないのですが、やっぱり、ちょっと気に掛かって考えてしまうるわけです(笑)。 アニメの書割を背景にして人間を人形化したことで、何が起こったのですかね。もう一つ、1955年って、やたら水爆実験とか、一方で、宇宙人とかテレビ中継とか出てきましたが、作り手の意図のなかではどういう時代なのでしょうね。 まあ、そういうわけで、結果的には、今回も予想通り完敗の作品でした。 で、今回、面白かったことは、劇場で昔の知人、ボクより少しお若い方ですが、その方が、偶然、真後ろの席に座っていらっしゃたことですね。 まあ、ボクは見ていませんが、今年評判になったインド映画とかがお気に入りだったようで、先日、偶然お会いした時には「見ろ!見ろ!」と元気にすすめらたことがある方ですが、真後ろだったのでちょっとおしゃべりしました。「ウェス・アンダーソンとか、よく見るの?」「うううん、知らない。でもトム・ハンクスとかマーゴット・ロビーとか出てて、面白そうじゃない。」「( ´艸`) 多分、はずれますね(もちろん声なし)。」 場内が明るくなってもう一度声をかけました。「どうでした?」「ずっと、寝たり起きたりしてた。」 ( ´艸`) そうなんですよね。インド映画とかお好きで、トム・ハンクスのお芝居を期待してもカラぶるんですよね、この人の場合(笑)。監督 ウェス・アンダーソン原案 ウェス・アンダーソン ロマン・コッポラ脚本 ウェス・アンダーソン撮影 ロバート・イェーマン美術 アダム・ストックハウゼン編集 バーニー・ピリング アンドリュー・ワイスブラム音楽 アレクサンドル・デスプラキャストジェイソン・シュワルツマン(オーギー・スティーンベック/ジョーンズ・ホール)スカーレット・ヨハンソン(ミッジ・キャンベル/メルセデス・フォード)トム・ハンクス(スタンリー・ザック)ジェフリー・ライト(ギブソン元帥)ティルダ・スウィントン(ヒッケンルーパー博士)ブライアン・クランストン(司会者)エドワード・ノートン(コンラッド・アープ)エイドリアン・ブロディ(シューベルト・グリーン)マーゴット・ロビー(妻/女優)2023年・104分・G・アメリカ原題「Asteroid City」2023・09・12・no112・シネリーブル神戸no204
2023.09.19
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イ・イルヒョン「復讐の記憶」元町映画館 予告もチラシも見ないで、韓国エンタメというだけで見ました。ドキドキ、ワクワク、最後のオチにはハッとしたり、思わず涙ぐんだり、納得でした。 同じレストランでアルバイト(?)するフレディという呼び名の、おそらく、80代の老人とジェイソンという20代半ばの青年が真っ赤なポルシェ で走り回り、順番に殺人を犯していく話でした。 フレディことハン・ピルジュ(イ・ソンミン)という、アルツハイマーと脳腫瘍を患っている80歳の老人が、自らの死を覚悟して決行する復讐・連続・殺人劇でした。まあ、ちょっと、こじつけ・ドタバタ・アクションなのですが、こういうのスキです(笑)。 老人の年齢設定が80歳ですから、1940年代の植民地時代から現代の大韓民国にいたる朝鮮現代史、具体的には大日本帝国による植民地統治、徴用という強制労働、従軍慰安婦、創氏改名と帝国陸軍への徴兵、戦後の軍事政権、ベトナム従軍なんかが、主人公の老人の消えかけている記憶を支える物語の背景ですが、スマホをいじりネットゲームに興じながら、アルバイトでポルシェの運転手を引き受け、いつの間にか相棒として事件に巻き込まれていくジェイソン(ナム・ジュヒョク)という20代の青年には、老人の背景の記憶は「知らない過去」だという設定が、この監督のセンスの良さだと思いました。 物語は60年以上も過去の世界での家族の悲劇の「記憶」が80年の人生の間に育てた復讐劇なのですが、のんきな青年をセットにすることで「現代」の実相を描くこと目論んでいるようで、それが実にうまくいっていると思いました。 で、老人が扱う凶器が26年式拳銃という関東軍の拳銃だというところがまた面白いですね。拳銃そのものは、ある種、オタクネタですが、最後の標的「キヨハラ」という人物の謎を解くカギにもなっていて、うまいものです。 まあ、現代の日韓両国で、過去の欺瞞を隠しながら大物化している「企業家」「親日学者」「日・韓の軍人」を標的にした連続暗殺計画を「真っ赤なポルシェ」というような、目立ちまくる大道具で描くところが「マンガ」なのですが、アルツハイマーの老人と生活苦の青年の二人組が乗り回すのがポルシェというのはエンタメとしては納得ですね(笑)。上手に面白がって映画を作っている印象ですね(笑)。 イ・ソンミンという役者さんは、初めて見るわけではありませんが、とても80歳には見えません。しかし、虚と実の両方を交互にあらわす表情がいいですね。一方、ナム・ジュヒョクさんは初めてですが、あっけらかんとしたアホぶりがとてもよくて、お二人に好感を持ちました。拍手!です。特に、ちょっと、元阪神の能見投手に似ているナム・ジュヒョクさんには、もう一度、拍手!です。イ・イルヒョンという監督も、面白いと思いました。拍手! 従軍慰安婦とかなかったことにしたがっている風潮がどこかの国にはありますが、上から目線の植民地宗主国感覚は、相手から見るとどう見えるかを忘れては笑いものだということがよくわかる映画でしたね。拍手!監督 イ・イルヒョン製作 ユン・ジョンビン脚本 イ・イルヒョン ユン・ジョンビン撮影 ユ・オク美術 チョン・ウンヨン衣装 チェ・ヨンヨン編集 キム・サンボム音楽 ファン・サンジュンキャストイ・ソンミン(ハン・ピルジュあるいはフレディ)ナム・ジュヒョク(ファン・インギュあるいはジェイソン)ソン・ヨンチャン(チョン・ベクジン富豪)ムン・チャンギル(ヤン・ソンイク教授)パク・ビョンホ(トウジョウ・ヒサシ帝国陸軍将校)パク・グニョン(キム・チドク韓国陸軍大将)チョン・マンシク(カン・ヨンシク刑事)ユン・ジェムン(キム・ムジン)2022年・128分・G・韓国原題「Remember」2023・09・15・no115・元町映画館no204
2023.09.18
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「ハハハハハ、ダメトラ、歓喜!」 ベランダだより 2023年9月14日(木)甲子園あたり 朝日新聞、もちろん関西版の、2023年9月15日(金)の朝刊の一面です。昨晩、岡田監督が宙に舞っている姿を見ながらボクには85年以来38年ぶり(?)の気がしましたが、18年ぶりなんですね(笑)あの時、舞ったのは吉田監督でした(笑)。打ちまくるバース、真弓、掛布、岡田、実は同世代でしたからね。あんな面白かった時はありませんね。 まあ、サンデー毎日のトラキチ生活ですが、今年はチッチキ夫人の熱中ぶりが、今までになかったことなので、毎日、テレビ観戦の日々でしたね。夕食の支度の前に番組欄で確認して、山場になるころテレビの前で食事でした。特に、山場の9月に入って、一度も負けないのですからトラキチ二人暮らしには至福の2週間でしたね。 9月14日(木)も同じパターンでしたが、この日大阪の民芸展だかに出かけた彼女は、帰りに阪神デパートによってこんな御みやげを買ってきました。「空き缶が欲しかったのよ。」「中身は何?」「ラスクかな?今日はこれを食べながら見れば勝つのよ。」「なんで?」「????」「阪神デパート、他人ごとみたいやったわよ。」「そうなん?どうせ、明日からは大騒ぎやろ。」「いや、あれは、あかんわ。」「あんたも、道頓堀に行ったらよかったんちゃうか?」「なにゆうてんの、もう、お昼からK察とか一杯やったらしいわよ。」「なんで、アカンのんかな?」「そうやんな、好きにやらしたったらええやんな。」「近所迷惑とかいう人もいてはるんちゃう。」 まあ、三連勝なんてすると思っていなかったので、いつものアホ会話でしたが、勝っちゃいました。虎の背中に翼が生えてたらしいです。 プロ野球が始まって、何年たつか知りませんが、これで6回目なんですね。多分、ほかのどの球団よりも少ない優勝回数、まあ、横浜が、大洋のときの三原監督と、横浜になってからの権藤監督のたった2回ですからビリではないのですが、ようするに、弱いんですね。 岡田監督がえらいのは、そのダメトラを2回も優勝させたところですが、50年近く贔屓していると、彼は学生時代から名前を知っている選手で、その彼が、パインアメかなんか舐めながら、ベンチで丸い頭のない髪の毛をなでているのを見ると感無量ですね。解説者のときの彼は、今一だったチッチキ夫人も、監督の彼は贔屓のようですね。まあ、当分、岡田贔屓が続きそうです(笑)。 ボタン押してね!
2023.09.17
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「木下闇人驚かす地蔵かな」子規句看板 徘徊日記 2023年9月10日(日)その2 松山あたり JR松山駅前から歩き始めると伊予電鉄の踏切りがあったので乗ることにしました。大手前駅です。松山市駅まで、一駅ですが、思いで乗車です。 松山市駅です。高島屋デパートとセットです。神戸に高速バスで帰るならここにバスセンターがあります。 今日は、さかなクンが送ってくれるというのですから、ここから、昨晩のお店、大街道あたりを目指して歩き始めました。さかなクンにラインするのですが返事がないので自由行動です。で、しくじりました! 高島屋と市駅の間の地下通路をくぐって、そのまま真っすぐ、たぶん、南に向かえば大街道あたりに出るはずだと思い込んだのですね。 松山南高校、工業高校、カタリナ大学、行けども行けども繁華街には着きません。 で、道ばたで出合ったのがこのお地蔵さんでした。写真でもお分かりだと思うのですが、炎天下です。木下闇 人驚かす 地蔵かな ] 子規 正岡子規がここで詠んだ句だそうです。「木下闇(こしたやみ)」を作りそうな大木はどこにも見当たりません。暑い!まあ、仕方がないので、どんどん歩きます。目の前に堤防が見えたあたりで思いました。なんか、変だな。道に迷っているのかな? 石手川公園というそうです。犬を連れた女性が歩いていらっしゃったので声をかけました。「あのぉー、ちょっとすみません。」「???」「松山市駅から、大街道に行きたくて歩いてきたのですが、大街道はどっちでしょう?」「ああ、それは、大変でしたね(笑)。大街道はあっちです。」「あっち?」「はい。市駅から大街道は東向きですが、こっちは南です。」 笑いながら、帰り道を教えてくださって、ホッとしましたが、ここからどっちに行くのがいいのかわかっていません。同じ道を帰るのは少々シャクです。 とりあえず、水分を購入したいと思って街に向かって歩き始めると、ようやくラインがつながりました。「おはようさん!今どこ?」 で、下の写真を送りました。「これ、どこ?」 わかっていたら送りませんが、電波塔のようですね、公園にありました。面白いので送りました(笑)。 川の写真も送りました。「あっ、わかった、わかった(笑)。あんた、なんで、そんなとこ歩いてるの?」「なんでて、大街道はこっちかな?って思て、市駅から徘徊し始めてんやん。」「そら、ご苦労さん。90度間違ごうとるな。」 まちごうてやってきた石手川公園の石碑です。俳句ではなくて農地改革かなんかの石碑のようです。「ホンナラ、とにかく、引き返すわ。」「うん、これから店に出るから、もうちょっと中心地に帰って来てくれる?」「了解。」 なんか、立派なビルです。県立中央病院だそうです。ラッキーです!(笑) 熱中症の行き倒れを恐れていました。1階に喫茶店があるようです。ああー駄目ですね💦 病院で、日曜日です。通りすがりでは入れるスキはありません。 とりあえず、ジュースの自動販売機を探しているのですが、前のバス停の近所にありました。木下闇というほどではありませんが、木陰もあります。ようやく一服です。2本買ったお茶とポンジュースのペットボトルでしたが、お茶は一気飲みです。 病院の向こうに、城山が見えます。とりあえず、あっちですね。大街道を目指して立ち上がりました。ボタン押してね!
2023.09.16
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山田洋次「こんにちは、母さん」109シネマズ・ハット 毎月一度、お出会いしてコーヒーとか飲みながらおしゃべりをするお友達がいらっしゃいます。昔の職場で知り合った少し先輩です。「吉永小百合の映画を見たんですが、後姿がおばあさんになってましたよ。」「ああ、山田洋次ですね。」「吉永小百合とか綾瀬はるかとかは見ないの?」「綾瀬はるかとか好きですよ。でも、まあ、自分からは見ないかなあ?綾瀬はるかも見たの?」「見ましたよ。あなた、難しそうな本とかめんどくさそうな映画が好きやからね(笑)。吉永小百合とか綾瀬はるかも、やっぱりいいよ。」「ワッチャー(笑)」 で、見ました。山田洋次監督の92歳だかの新作「こんにちは、母さん」です。そうか、そうか、ナルホド!そうか! 吉永小百合の映画って、キューポラのなんとか以来、見た記憶がありません。湯村温泉の話とか、最近では、山田洋次監督の母ものとかに出ていらっしゃるのは知っていましたが見ていませんね(笑)。 で、見ながら、つくづくスゴイな! と思ったのは、山田洋次って、寅さん映画もそんなところがあるのですが「永遠のダイコン畑」みたいなところがあると思うのですね。で、今回の映画を見ていて吉永小百合さんが、ボクの大昔の記憶にある永遠のダイコン少女! のままだったことですね。永遠のがつくところがミソですよ(笑)。 今回の映画では東京の下町の足袋屋の、夫に先立たれた女房役だったのですが、ミシンを踏んでも、客あしらいをしても、ボクには足袋屋の女房には全く見えない、ただの吉永小百合なのですね(笑)。 で、その空気は映画中に充満していて、息子の大泉君も恋人(?)の寺尾聡も、みなさん、ダイコン大集合状態に見えて、まあ、それはそれで面白かったのですが、恐れ入りました(笑)。 こんなことを書いていると友達をなくしそうな気もしますが、まあ、感じちゃったとこは仕方ありませんね。それに、悪口を言っているつもりもあまりないのです。もちろん東京の下町(全く知らな町です)に吉永小百合はいない!とか言っているわけでもありませんので(笑)。ただ、吉永小百合に老いは感じませんでしたが、山田洋次には、さすがに年をとったと感じたことも事実ですね。チョット、さみしかったですね(笑)。監督 山田洋次原作 永井愛脚本 山田洋次 朝原雄三撮影 近森眞史編集 杉本博史音楽 千住明キャスト吉永小百合(神崎福江)大泉洋(神崎昭夫)永野芽郁(神崎舞)YOU(琴子・アンデション)枝元萌(番場百惠)宮藤官九郎(木部富幸)田中泯(イノさん)寺尾聰(荻生直文)2023年・110分・G・日本配給 松竹2023・09・14・no114・109シネマズ・ハットno33
2023.09.15
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「春や昔 十五万石の 城下町」子規句碑 徘徊日記 2023年9月10日(日)その1 松山あたり春や昔 十五万石の 城下町 正岡子規 デカい石碑がありました。ボクにも読めます。「坂の上の雲」を思い出しましたね。「その春も、今となっては昔のことだ」 ということでしょうか。子規が日清戦争の従軍記者として出発する直前の句だそうです。明治28年、1995年のことですが、帰国の船で血を吐いて子規を名乗りはじめた年ですね。子規というのは、ホトトギスという鳥の別名というか、「鳴いて血を吐く」といわれている鳥の名ですね。子規の苦難の始まりの年ですね。 司馬遼太郎は、傑作「坂の上の雲」(文春文庫・全8巻)の開巻、第1章の章名に「春や昔」を使っていたと思います。 松山は坂の上の雲の町なのですね。ここはJR松山駅の駅前です。 隣に立っているは、松山済美高校の高校生が作った人権啓発ののモニュメントだそうです。 一夜明けた松山駅前です。泊まった、松山ターミナルホテルの前です。 さて、ここからどうしましょうかね。どこかでサカナクンと落ち合うのでしょうが、今のところ連絡はありません。チョット、松山徘徊ですね。じゃあ、行ってきまーす(笑)ボタン押してね!
2023.09.14
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「目的地到着!17時30分!」 徘徊日記 2023年9月9日(土)その4 松山あたり 青春18の旅を挫折して、14時45分だかに高松駅で乗車し、出発した高速バスは、一路、西へ、まだまだ明るい17時30分に松山市、大街道前に到着しました。 おなじみのライオンさんが鎮座していらっしゃる三越デパートの前です。松山は三越デパートと高島屋デパートが、街の顔のように頑張っていらっしゃる懐かしい街です。「オウ、また来たんか?」「あっ、どうも(笑)、おひさしぶりです。お出会いするのは5年ぶりですかね。」「そうなるか。わしも年取ったわ(笑)。また、息子さんのところ?」「はい、1年ぶり?いや、2年ぶりですかね。」 というわけで、本日の最終目的地、ゆかいな仲間、松山組、サカナくんのお店に到着です。正式には、屋号は「肴薫」です。二番町だか、勝山町だか、繁華街のはずれです。「今晩は。着きました(笑)。」「いらっしゃい!」「あっ、おとーさん、お疲れさま。」「バスにしたんかいな?」「うん、ちょとへたったわ。予定より早いから、今からホテル行って、シャワーしてくるわ。」「うん、今日は満席やけん、そうしてくれると助かる。」「うん、そのつもりで、バイトちゃんたちのおやつだけ、とりあえず渡そう思てん。」「なに、これ?」「高松の栗ドラや。」「あっ、お城のとこの湊屋とかやろ。おいしいとこやで。」「ほな、8時ごろ、またくるわ。」「あっ、ちょっと、ちょっと、ここに座って、冷たいお茶一杯飲んでいってくださいな。」「ありがとう、よばれるわ。ハハハ、生き返るな。ほな、行くわ。」「待ってますよ。気を付けてね」 というわけで、JR松山駅まで市電に乗って、駅前ホテルにチェックインです。一休みして、夜の松山に出陣です(笑)。 8時過ぎに「肴薫」に再到着です。まだ、満席ですが、お客さんたちの間のカウンター席が一つ空けてありました。「そこに、席取ってあるから。どうぞ。」「ビールですか?」「うん、ビールやな。」「生で?」「うん、うん(笑)」 突き出しの「サザエとなすの田舎煮」から始まって、ひょいひょいと料理がおかれます。 両隣は感じのいいご夫婦と、お一人で日本酒を楽しんでいらっしゃるご様子のご婦人です。ちょっと緊張しながら、なすびを食べていると、ご婦人から声がかかりました。「大将のお父様ですか?」「えっ?はい、いつもご贔屓にしていただいているようで、ありがとうございます。」「いえ、いえ、楽しくておいしからですよ(笑)。」 嬉しいお言葉ですね。こうなってしまうと、止まりませんね。なにがって?ビールのお代わりをいただきながらのおしゃべりです(笑)。 ワタクシは、親しくしていただいて、あれ、これ、訊いていただいたりして、喋り始めると止まらないひとなのです。性分ですかね?「おとーさん、お刺身がかわいちゃいますよ。」「この、お茄子とサザエおいしい。」「ビール空いてますよ。もう1ぱい?」「瓶ビール、赤星の?」「ありますよ。おかわりですか?」「おしゃべりの仕方、大将そっくりですね(笑)。」 途中から、左隣のご夫婦も加わっていただいて、いやはや久しぶりに、飲みたおし、しゃべりたおして時間を忘れました(笑)。「おい、ソロ、ソロ、日も変わるで。明日、どうすんの?」「うん、昼過ぎにバスに乗るつもりや。」「送ろうか?」「えっ?送るて、どこまで?」「神戸ヤンケ。」「わぉー!」 というわけで、お店の片付けの時間まで、座り込んで、ようやく、宿に引き上げました。 9月9日の徘徊終了です。それにしても、ただの酔っぱらい老人のバカ話に、ニコニコお相手していただいた、両隣のお客様に感謝!感謝!の結末でした。 イヤ、ホント、ありがとうございました!ボタン押してね!
2023.09.13
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「暑いんで、ここで休ましてもろてます。ホナ、さいなら。」 のらくろ日記 2023年9月12日(火)ベランダあたり「ちょっと、今日も来てるわよ。洗濯干されへん。」「寝てんの、起きてんの?」「ベランダに出ると起き上がるけど、知らん顔してると、寝てる。」「ふーん、寝とんな。写真撮ったろ。アカン、ピンボケや。ちょっと網戸開けてみたろ。」「あっ、気づきよったな。なんやねん、エライ敏感ヤンケ。」「ほっといたりよ。」「なんで、だしじゃこ置いたらへんの?」「ダシジャコなんか、食べへんわよ。」「ちくわでもええやん。」「あかんの、食べるもんはやれへんの。」「水は置いたってるやん。」「あっ、いってまうで。」「騒ぐからやん。」「何時ころから、ここで寝てんねやろ?」「夜が明けたころちゃう?」「ここは涼しいんかな?」「その溝に寝そべってるわよ。」「暑い最中に来はじめたとき、毛羽立ってたけど、ちょっときれいになったな。」「胸の辺に、白いとこあるやろ。」「柵のとこで振り向いてるけど、見えへんわ。」「あっ、行きよった!」 とまあ、、そういう状況なのですね。昨年は朝顔日記をつけていたのですが、今年の朝顔は最初に白い花をつけたのを最後に枯れてしまいました。その代わり、ノラ黒、朝寝日記です(笑)もう一か月来ていますが、どうなることでしょうね。ボタン押してね!
2023.09.12
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「青春69”挫折!(笑)」 徘徊日記 2023年9月9日(土) 高松あたり 高徳線の栗林駅からJR四国の高松駅に帰ってきました。隣のホームに13時52分発の観音寺行の普通が停車していました。まだ、誰も乗っていないその電車の座席に座って、冷たいお茶を飲みながら、考え込んでしまいました。「これに乗ると、松山に着くのは、19時10分か・・・・。」「そうや、高速バス乗り場を探そう!」 というわけで、ようやく駅前に出てきました。親切な青鬼くんの石像がありました。で、そのすぐ横に高速バスの営業所です。一時間ほど後に松山行きがありました。到着は5時過ぎです。もちろん、青春18きっぷでは乗れません(笑)。 青春69、高松にて挫折!というわけで、ちょいと高松駅前見学です(笑)。 高松駅の正面です。 駅前広場です。四国の炎天下、初体験! 駅前広場にある、海水池です。魚もおらんし、なんか意味があるんかいな? と、ケチをつけていたら、後ろの岩の口から、大波が噴き出してきました。ちょっとたじろぎました、で、やっぱりウーン、なんか意味があるんかな? 少し歩くと、城跡のようです。入り口の門柱に「高松城址」とあります。 中は、庭園のようで、有料です。かなり広いらしくて面白そうです。入場料200円ですが、残念ながら時間がありません。 玉藻公園というらしいです。 石碑の隣にあった彫刻に笑いました。井上麦という人の「地表より 森」という作品です。 決して、笑いの対象になるモニュメントではありません。真面目な作品です。実は、この人の彫刻は、我が家の近所にある公園にもあります。だいたい同じような趣向で、一目見てわかりました。おお―、ここにもあるやん! おもわず笑った所以です。 公園の入り口から振り向くと「湊屋」という和菓子屋さんでした。お土産購入ですね。 色々おいしそうですが、これでした。「栗どら」です。一つ180円で、なぜか、10個2000円でした。えーっと、バラで、8つ!ああ、それから、その羊羹の切り落としと。 というわけで、四国高速バスの松山行きで、しばらくお昼寝ですね。朝6時に出発して、14時40分くらいです。ようやく一息つきましたよ。じゃあ、続きはその4で。バイバイ。ボタン押してね!
2023.09.11
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「これ、うどん?ちゃうやん!」 徘徊日記 2023年9月9日(土)その2 高松あたり JR高松駅から、高徳線に乗り換えて栗林公園北口駅に向かいました。駅のベンチには懐かしい男女のお二人連れが座っていて、電車を降りると手を振って迎えてくれました。 今日の目的の一つは、このお二人にお出会いすることでした。お二人とも、お出会いしたのはチガウ職場でしたが、昔の同僚です。うどん好きが高じて、退職と同時に讃岐に移住したつわもの夫婦です。「まず、うどん屋行こか?」「うん、高松途中下車は、それが、目的や(笑)。」 やって来たのは松下さんという。うどん通には有名なお店でした。「ボクは、ここでは中華やな。」「わたしも中華。」「ホンナラ、ボクも中華で。」 というわけで、どんぶりに中華麺を受け取り、お二人に倣いながら湯通しし、ツユと天かす、きざみ葱を載せていただきました。 中華麺に、うどんダシです。素朴で、味わい深い、さっぱりとした中華そばでした。ごちそうさまでした!(笑) というわけで、本日の讃岐うどん体験は中華そばでした。250円です!なんでやねん! まあ、そう思われるかもしれませんが、実は、以前から、食べたくて、ズット期待していたのが、うどん屋さんの中華そばなのでした。 で、そのあと新居にお邪魔して、コーヒーなんぞをいただきながら、おしゃべりでした。「息子さんのとこ行くの?」「うん、せっかくやから、青春18も残ってるしな。」「松山まで、普通で行くのは大変やで。」「うん、ちょっと調べて知ってる。」「今からやと、着くのは夜の7時すぎるなあ。高速バスやと5時過ぎにつけるけど。」「でもなあ・・・、一応、青春18で、がんばろかな、やし。」「そうか、でも、無理せんときよ。」「駅まで送るわ。」「近所って、さっきの駅?」「ううん、栗林いう駅が、すぐそこやねん。」 ご夫婦で送っていただいて、高徳線の栗林駅です。 ホームから、屋島の島影が遠望できます。手前の高層ビルがちょっと邪魔ですが、もんくを言っても仕方がありませんね(笑)。 ホームの端に、喫煙コーナーです。今どき、プラット・ホームでタバコが吸えるのがうれしいのですが、雨とか降っていたら哀しい場所です。 ここから振り返ると、こんな風情の駅です。向うの山の麓が栗林公園です。ここまで来て、うどん屋さんでは中華そば、日本三大庭園(?)は素通りです(笑)。まあ、常々、そういう旅です。 反対車線に徳島に行く、なんだか、ちょっと立派な電車が入ってきました。特急かしら? 反対方向から、一両電車!がやって来ました。これに乗って、高松に戻ります。そこから。半日かけての松山行です。 さて、栗林駅から、高松駅へ、旅は続きます。高松からの旅程、シマクマ君、どうするのでしょうねえ?それは、その3でご報告です。じゃあね(笑)。ボタン押してね!
2023.09.10
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「ここはどこ?」 徘徊日記 2023年9月9日(土)その1 瀬戸大橋あたり小島の島影の間に広がる青い海です。上に広がるのは青い空です。ただ今、午前10時です。ここはどこでしょうね? 2023年の9月9日土曜日、まあ、重陽の節句ですが、それはともかく、朝6時に自宅を出発してやって来て、最初に見た海はここでした。青空に明石大橋が美しく聳えています。 JR舞子駅午前6時46分の快速電車で西に向かいました。 いつも、乗り降りする最寄り駅なので、写真を撮ったりすることは、まずないのですが、まあ、せっかくですから、出発駅の駅標を撮っておきましょう。 姫路駅で新見行の普通電車に乗り換えて岡山を目指します。この電車が地獄でした。その昔、電車で通勤していたころの、朝の満員電車を彷彿とさせる混み合いかたでした。つり革にぶら下がるしかない立ちんぼうで、姫路ー岡山間立ちっぱなしでした。所要時間は、ほぼ1時間30分です。当然、写真なんて撮っている余裕はありません。実は2023年の夏の青春18きっぷ最終の土日ということで、危ないとは思っていたのですが、これほどとは思いませんでした。重陽の節句だからというわけではないでしょうが、じじ、ばば、ばっかりです!(笑) 自分もそうですから、不満は言えませんが、参りました。 というわけで、姫路から満員電車に立ちっぱなしで、ようやく岡山に着いたのはこの時間です。 で、高松行のマリンライナーに乗りました。で、今度は杖と菅笠のジジババ軍団で満員でした。何とか座ることができましたが、窓際に座った菅笠老人は座るや否やブラインド下げ、なんと「ナンプレ!」に熱中しはじめたと思いきや、居眠りのようで、思うように写真も撮れません。 ようやく、海に差し掛かるとブラインドが上がったので、この写真です。 太い鉄骨が海を区切る車窓の風景が続き始めました。そうです、瀬戸大橋を渡っているのです。 陸地が見えてきました。もうすぐ四国に上陸するようです。 さて、シマクマ君、青春18、最後の1枚を使っているようですが、どこに出かけているのでしょうね。続きは、その2です。じゃあね。ボタン押してね!
2023.09.09
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「須磨の海!」 徘徊日記 2023年9月5日(火)その2 須磨浦公園あたり 須磨の海です。右端委みえるのは淡路島です。 須磨の海です。海の向こうに見えるのは泉州の山々です。目がよければ関空も見えます。 さっき、下で撮った写真です。海釣り公園が解体工事中でした。ボクはこのところの、王子動物園の売却とか、あちらこちらの駅前広場からのベンチの撤去とか、ここの所の神戸市の公園行政に納得がいかない人間ですが、この公園も、これからどうなるのでしょうね。 まあ、そんなことを考えながら高台から下を通る電車見て喜んでいます(笑)。 すぐ下にJR山陽本線が走っています。見えている国道2号線を挟んで、手前に山陽電車の線路もあります。 須磨の関といいますが、鉢伏山が一番海に迫っているのが。このあたりです。この写真を撮っている場所は、鉢伏山の麓の高台です。須磨浦公園の西の端です。日差しはきついですが、涼しい風が吹きわたっています。 そういえばこんな歌もありましたね。旅人はたもとすずしくなりにけりせきふきこゆるすまのうらかぜ 在原行平 JRの貨物列車が通過してゆきます。手前の山陽電車は真下にになっていて見えませんが架線はみえています。 愛車、スーパーカブ号です。本当は、向こうの鉄柱から原付も進入禁止ですが、止めるだけならいいかなと思って、ここに止めています(笑)。 多分、ノラ猫くんです。写真は撮りませんでしたが、動物を捨てないようにという看板がありました。ノラ君は、なかなか、こっちを向いてくれません(笑)。 鉢伏山のロ-プウェイ乗り場が下に見えます。かなり上の方まで来ていることはお判りいただけるでしょうか。 ちょっと、山越しの須磨の海です。振り返ると鉢伏山です。 まあ、それにしても、なかなかな絶景スポットでした。山から歩いて降りていらっしゃったと見えるハイキングの方が、一人、二人と四阿で涼んでいらっる姿がありましたが、ほかに人は誰もいません。 あまりの日差しに9月になっていることを忘れそうですが、まあ、学校の仕事もある火曜日の午後のことでした。じゃあ、またね、バイバイ。ボタン押してね!
2023.09.08
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角幡唯介「裸の大地第二部 犬橇事始」(集英社) 毎日、暑い! そういう時には、零下30度の氷の世界を行く犬橇の話なんぞがピッタリ!だと読み始めたら熱い! 話でした(笑)。 角幡唯介という人の文章を読むのは初めてです。読んだのは「裸の大地 第二部 犬橇事始」(集英社)、市民図書館の新刊の棚で出合いました。ハマりました! 350ページにわたる、かなり分厚い、まあ、冒険日記です。第1部、第2部とあるシリーズの第2部です。 オレンジ色の街灯がともる冷え冷えとした暗がりのなか、私はよたよたと五頭の犬のところへむかった。 犬たちがけたたましく吠える。 風はなく、快晴。といっても一月二十日のシオラパルクは極夜の真っ只中である。午前十一時とはいえ、空には星がにぶく瞬き、太陽は二十四時間姿を見せない。地平線の下からにじむ光は弱弱しく、空が黒から群青色にそまる程度だ。闇の世界でいよいよ犬橇開始となった。まずは犬の引綱を橇につなぐ必要があるが、初心者の私にはそれすら大仕事だ。「アゴイッチ、アゴイッチ・・・・」 〈伏せ〉という意味のイヌイット語を静かにつぶやきながら鞭をふるうと、ウンマ(ハート)とキッヒ(隼)の二頭は大人しくうずくまった。 おお、言うことをきいてくれた…‥。自分の鞭の動きに犬がしたがうだけで、胸に静かな感動がひろがる。(P16) シオラパルクというのは、グリーンランドの最北、だから、まあ、たぶん、地球で一番北にある町(?)のようです。角幡唯介という人は、ボクが知らなかっただけで、かなり有名は探検家らしいのですが、この町を起点にして、一匹の犬とともに、自分で橇を引いて極地を歩く、歩くといっても1キロ、2キロではなく1000キロに及ぶ行程を歩いて踏破するという冒険にチャレンジしていた人らしいですが、その彼が、今度は犬橇で、もっと遠くまで! と考えて新たなチャレンジを始めたドキュメンタリー日記でした。 冒険日記の主役は、最終的には13頭になった犬です。本書の巻頭にはその13頭の犬の写真が掲げられています。 ウヤミリック、彼が最初に出合った相棒です。ウンマ、角幡犬橇チームの最初の先導犬です。そして、ボス争いの主役の一頭、いかついウヤガン。 キッヒ、チューヤン、ポーロ、プールギ、ナノック、ダンシャク。語り始めるときりがない個性的な面々です。 キンニク、カヨ、カルガリ。カコットは一頭だけいる雌犬です。カルガリは最後に加わった一頭。カヨは女性ではなくて茶色という名前です。 それぞれ、所謂、エスキモー犬ですが、写真を見ていて、同じ犬種かどうかなんて、ボクにはわかりません。しかし、読み進めるにしたがって、登場する犬たちについて、繰り返し、最初の写真で見直すうちに、一頭、一頭の犬の、実にユニークな個性にひきつけられていく1冊でした。 犬橇事始、始まりはこんな感じです。 先導犬のウンマは「アイー(止まれ)」の指示だけは初日のうちにわかってくれたが、「ハゴ(左)」、「アッチョ(右)」という方向への指示はしばらく理解できないままだった。たとえば、村を出発して八キロほど離れた対岸に向かって一時間ほど直進するとする。対岸に近づいてきたところで方向を左に変えようと「ハゴ、ハゴ!」と鞭をふるが、犬はその指示が理解できないためそのまま直進を続ける。そうすると、やむなく私は橇を止めて、犬たちの前を歩き、左に導き、そして「デイマー」と出発させて橇に乗る。しかし、方向を変えても犬はまたグィーンと右に曲がって元の直線方向にもどってしまうのだ。「そっちじゃねえだろ、ハゴ、ハゴ!」 私はまた絶叫する。「左だっつてんだろ、この野郎!ハゴ、ハゴ、はごぉっ!はごおおおっつ」!!!!」 犬橇なんて、そのあたり(グリーンランドとか)に暮らす人たちには、誰にでもできるんじゃないかと、たかをくくって読み始めた、ド素人読者であるボクが、一気に引き付けられたシーンです。 2年にわたる苦闘の始まりです。目次をご覧いただくとお分かりになるかもしれませんが、角幡唯介の犬との出会いから、哀切極まりない別れまでが記されています。最後は、グリーンランドの果てまで猛威を振るうコロナとの戦いの記録でもありました。 しかし、この本の読みごたえを支えているのは、角幡唯介の独特の文章力と、おそらく、その底にある冒険哲学です。ボクは、当分この人を追いかけることになりそうですね(笑)。早速ですが、順番が逆になってしまった第1部に取り掛かっています。〈目次〉泥沼のような日々橇作り犬たちの三国志暴走をくりかえす犬、それを止められない私海豹狩り新先導犬ウヤガンヌッホア探検記"チーム・ウヤミリック"の崩壊角幡唯介(かくはた ゆうすけ)1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大卒。探検家・作家。チベット奥地のツアンポー峡谷を単独で二度探検し、2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第8回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第42回大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。その後、探検の地を北極に移し、11年、カナダ北極圏1600キロを踏破、13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第35回講談社ノンフィクション賞。16~17年、太陽が昇らない冬の北極圏を80日間にわたり探検し、18年『極夜行』(文藝春秋)で第1回Yahoo! ニュース 本屋大賞 ノンフィクション本大賞、第45回大佛次郎賞。ほか受賞歴多数。19年から犬橇での旅を開始、毎年グリーンランド北部で2カ月近くの長期狩猟漂泊行を継続している。近著に『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』(集英社)。
2023.09.07
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ジョン・カサヴェテス「こわれゆく女」元町映画館 朝一、元町映画館、「ジョン・カサヴェテス・レトロスペクティヴ リプリーズ」5本目です。1975年のカラー作品です。見たのは「こわれゆく女」でした。ノック・アウト!でした。 ジーナ・ローランズとピーター・フォークのお芝居というか演技が、まずスゴイ! カメラが撮って、モンタージュするということを全く感じさせません。迫真という言葉どうりですね。壊れそうな妻と、壊しそうな夫の絶妙のコンビネーションです。多分、監督もカメラマンも凄いんでしょうね。監督といえば、なんといっても結末が優れていると思いました。 ストリーも展開も違いますが、ほぼ、同時代に書かれた「死の棘」という島尾敏雄の小説を思い出しました。そして生活は続く!のです。 帰宅して、1975年当時の評価を調べました。当時のアカデミー賞の監督賞、主演女優賞にノミネートされていますが、受賞を逃しています。1975年、いったいどんな映画があったのか?それが気になりました。 で、納得というか、びっくり仰天でした。 まず、作品賞を取ったのが『ゴッドファーザー PART II』でした。ノミネートされていたのが『チャイナタウン』、『カンバセーション…盗聴…』、『レニー・ブルース』、『タワーリング・インフェルノ』だそうです。同じ年なんです! で、このボクが、それらをみんな、その当時に見ていて、ストーリーを覚えている作品ばかりです。 というわけで、ジョン・カサヴェテス『こわれゆく女』がノミネートされていた監督賞は、まあ、フランシス・フォード・コッポラですが、しかし、残りの作品と監督がボクにはスゴイ!としかいいようのない作品ばかりです。 ボブ・フォッシーが『レニー・ブルース』、ロマン・ポランスキーが『チャイナタウン』、そして、フランソワ・トリュフォーが『映画に愛をこめて アメリカの夜』を撮っているのです。 人によって、まあ、すきずきですが、ロマン・ポランスキーの「チャイナタウン」は、ボクの生涯ベスト10にかならず入る作品です。鼻をナイフで切り裂かれたジャック・ニコルソンと頭を吹っ飛ばされたフェイ・ダナウェイを見た興奮で、田舎から出て来た二十歳の青年が映画から離れられなくなった作品です。あんなに興奮したのは二十歳だったからかもしれませんが、あの時に見ていなかったら、この年になって映画館を徘徊するなんてことにはなっていなかったと思う作品です。 「レニー・ブルース」は、ボクにとってはダスティン・ホフマンのベストで、「アメリカの夜」は「映画とはインチキである」ことに唖然としてトリュフォーという名前を覚えた作品です。 主演男優賞が『ハリーとトント』のアート・カーニーで、競ったのが、ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソン、『オリエント急行殺人事件』のアルバート・フィニー、『ゴッドファーザー PART II』のアル・パチーノです。主演動物賞は猫のトントでしょうか?(笑) 主演女優賞は『こわれゆく女』のジーナ・ローランズといいたいところなのですが、競争相手にはフェイ・ダナウェイ、『愛しのクローディン』のダイアン・キャロル、『レニー・ブルース』のヴァレリー・ペリンといて、『アリスの恋』のエレン・バースティンの勝ちだったようです。 調べていて面白かったのは、男優さんはすぐに浮かぶのですが、女優さんが浮かばないことでした。もう一つは、上に書き上げた作品のほとんどは、その当時に見ていたのに、「こわれゆく女」は知らなかったことです。 まあ、こちらの理由は簡単です。この作品が日本で公開されたのが1993年だからですね。ボクが映画を観なかった20年の間のことだからですね。 なんだか、「こわれゆく女」の感想から離れましたが、メイベルとニックの夫婦を演じたジーナ・ローランズとピーターフォークに拍手!です。もちろん、その夫婦と家族を描いたカサヴェテスにも拍手!。それから、メイベルの姑を演じたキャサリン・カサヴェテスにも拍手!見事な鬼ぶりでした(笑)。監督 ジョン・カサヴェテス製作 サム・ショウ脚本 ジョン・カサヴェテス撮影 キャレブ・デシャネル ミッチ・ブレイト マイケル・フェリス編集 トム・コーンウェル美術 フェドン・パパマイケル音楽 ボー・ハーウッドキャストジーナ・ローランズ(メイベル:妻)ピーター・フォーク(ニック:夫)マシュー・カッセル(トニー:二人の息子)マシュー・ラボート(アンジェロ:二人の息子)クリスティーナ・グリサンティ(マリア:二人の娘)キャサリン・カサベテス(ニックの母)レディ・ローランズ(メイベルの母)1975年・147分・アメリカ原題「A Woman Under the Influence」日本初公開1993年2月
2023.09.06
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「須磨、一の谷、敦盛塚」 徘徊日記 2023年9月5日(火) 須磨浦公園あたり 2023年も9月になりましたが、暑さは、一向に和らぎませんね。久しぶりに須磨の高倉台に用事があって、愛車スーパー・カブ号で、少々遠出しました。 あんまりお天気が良いので、須磨の街並みの一番西の果て一の谷町の丘の上にやって来ました。原付だとこれができるので楽しいですね(笑)絶景! 須磨の海の向こうに泉州の山並みが見えます。白い雲が山並みに沿って浮かんでいます。もう少し西にカメラを振ると淡路島です。 立っている場所の後ろは須磨の山です。ロープウェイの鉢伏山の一つ北の鉄拐山です。目の前は谷になっていて、この谷が一の谷なのですかね? ここから、海に向かって下り、山陽電車の線路をくぐれば国道2号線です。すぐ西がわに須磨浦公園があります。公園に沿って2号線を走っていて、公園のはずれの「敦盛そば」というお店の看板で、ふと思い出して須磨浦公園の方に入ってみるとありました。 敦盛塚です。一の谷の合戦で討ち死にした、あの、平敦盛の塚です。須磨の浦公園の駐車場の裏手、すぐ西側にありました。敦盛そばという、ダジャレみたいな名前の蕎麦屋さんが隣にありますが、閉まっていました。 入り口には「史跡敦盛塚」と彫られた立派な石柱があって、その奥にかなり大きな五輪塔があります。掃除も行き届いていて、花も枯れていません。 近くには無縁仏の供養のの石碑のようなものもありました。どうせ読めないので、写真だけです(笑)。 解説の掲示板です。まあ、写真は撮りました読んだわけではありません(笑)。まあ、半分は英語なので読めないようなものです(笑)。 日陰になっていたので、座りました。そういえば、お腹がすいてたので、まあ、バイクを止めたついでです。お弁当を食べました。最近、徘徊にはおにぎりかトーストしたサンドイッチを持ち歩いていますが、今日はタッパに保冷剤が入った卵サンドでした。水筒の氷お茶が甘露です。目の前の海も素晴らしく青くて快適です。公園の上の方を伺うとバイクで行けそうです。一休みして、ちょっと上の方にも行ってみようと立ち上がりました。 帰宅してチッチキ夫人に報告しました。「敦盛塚って、どこにあるか知ってる?」「敦盛って、熊谷なんとかいう人に殺された子でしょ。」「子て、あんた。まあ、十、五六やったらしいけど。」「須磨にあるん?」「うん、須磨浦公園のはずれ。ロープウェイの乗り場の、チョットと西な。ええ、五輪塔やったで。」「敦盛の首が埋まってるの?」「いやー、それはないやろ。首塚とは書いてなかったで。」 と、まあ、タイガースも勝って、平和な一日でした(笑)ボタン押してね!
2023.09.05
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山里絹子「『米留組』と沖縄」(集英社新書) 市民図書館の新刊の棚で見つけました。2022年4月の新刊です。西谷修の「私たちはどんな世界を生きているか」(講談社現代新書)という本の案内にも書きましたが、自分が生きているのが「どんな世界なのか」、その輪郭があやふやな気がして、まあ、ちょっとイラつているのですが、そのあたりの触覚に触れたのがこの本でした。 「『米留組』と沖縄」(集英社新書)です。著者の山里絹子という方は琉球大学の先生で、社会学者のようです。 書き出しあたりにこうあります。 戦勝連合国による日本の占領は、一九五一年のサンフランシスコ平和条約により終わったが、沖縄島を含む南西諸島は、日本から切り離され、アメリカ軍政による直接的な支配下に置かれた。 沖縄の住民による「限定的」な自治を認めるため、琉球政府が発足したのが一九五二年。米軍の統治期間は琉球列島米国軍政府(軍政府)から琉球列島米国民政府(民政府)と名を変えたが。占領軍が決定権を持ち続けるという支配構造は、沖縄の施政権が日本へ返還される一九七二年まで続いた。 ここまでは、あやふやではあるのですが、ボクでも知っていることでした。しかし、その時代、初等、中等教育を終えた沖縄の若者たちにとって、高等教育・大学教育の機会はどのように保障されていたのかについて、何一つ知りませんでした。この文章をお読みの方で、この時代に少年期、青年期を本土で暮らした方でご存知の方はいらっしゃるでしょうか? まあ、1954年生まれのボク自身は1972年に18歳ですから、ぴったり重なるのですが、何も知りませんでした。 本書によれば、当時の沖縄の青年が高等教育を受ける方法は、本土の大学への留学、沖縄本島にアメリカ軍政府が設立した琉球大学への進学、そしてアメリカの大学への留学という三つの道があったようですが、もちろん知りませんでした。 本書の記述は、そのうちの「一九四九年から、アメリカ陸軍省はアメリカ政府の軍事予算を用いて、沖縄の若者を対象にアメリカの大学で学ぶための奨学制度」「戦後沖縄社会において米国留学制度は「米留」制度、そして米国留学経験者は「米留組」と呼ばれ、合計一〇四五名の沖縄の若者がハワイやアメリカ本土へ渡り大学教育を受ける機会を得た」 というアメリカの大学への奨学生留学について、「米留組」と呼ばれてきた人たちに対する具体的な聞き取りによる、事例の考察を目的とした論考です。 読んでいて驚いたことは、現在も沖縄本島にある国立琉球大学が、アメリカ陸軍の占領統治資金で設置された占領地教育の大学であったこと。米国の大学への奨学生選抜が、占領地に対する思想統制、あるいは分断化を目的として行われていたことの二つです。 読み終えて、こころに残ったのは、二人の米留組のその後についての記述です。 一人は、太田昌秀さん、2017年に亡くなりましたが、1990年から2期、沖縄県知事を務めた方についての記述です。 太田さんは一九五四年に「米留」した第六期生だ。一九九〇年に沖縄県知事に就任し、一九九八年まで八年間の任期を務めた。 一九九五年少女暴行事件が起こり、沖縄に大きな衝撃が走った。基地外に出かけた米兵三人に小学生が車で連れ去られ、暴行されたのだ。当初米兵の身柄を日本側が拘束できなかったことを受け、事件の1か月後には、日米地位協定の見直しと米軍の整理・縮小を求める抗議集会として「沖縄県民総決起大会」が開かれ、主催者発表で八万五〇〇〇人もの人が集まった。 同年、大田さんは代理署名拒否という形で、県民の怒りを日本政府に突き付けた。当時、米軍用地を所有する地主が契約更新を拒否しても、政府は強制的に使用手続きを行おうとしていた。そこで代理署名が大田さんに求められたが、拒否を表明したのだ。(P205) これに対し、当時の内閣総理大臣が原告となり、大田知事を被告として訴える「職務執行命令訴訟」を起こした。 一九九六年七月一〇日、大田さんが法廷で意見陳述したことは次の通りだった。 復帰に際し沖縄県民が求めたものは、本土並みの基地の縮小、人権の回復、自治の確立であるが、現在も状況はほとんど変わっていないこと。また、沖縄の基地問題は単に沖縄という一地方の問題ではなく、安保条約の重要性を指摘するのであれば、基地の負担は全国民で引き受けるべきであること。 日本の民主主義のありようを問いただしたのであった。 しかし、最高裁の法廷で裁判員は誰一人として大田さんを支持しなかった。最高裁の判断は「署名拒否によって国は日米安保条約に基づく義務を果たせなくなり、公益を害する」というものであり、敗訴という結果に終わった。(P206) いかがでしょうか。で、もう一つは、著者山里絹子さんの父親である方についてのこんな記述です。父は最後の「米留組」だった。出発したのは1970年、アメリカの独立記念日7月4日。(P234) ふと父が私にゆっくりと聞く。「もし、僕の足が自由に動いたら何をしたいと思う?」会話の流れから外れた唐突な父からの質問に、私は息が詰まった。― え?何だろう。また旅行に行きたい? 私は冷静を保とうとしながらそう言った。「旅行もいいけど、思い切り走りたい」と父が言った。 そして、またゆっくりと私に聞いた。「もし僕の両手が自由に…動いたら…何をしたいと思う?」ととぎれとぎれの声だった。― うーん、なんだろう。私は喉の奥が熱くなり小さい声で言った。「もし、僕の両手が自由に動いたら…お母さんを両手で抱きしめたい」 私には言葉がすぐに見つからなかった。お茶を一口飲んでから、静かに息を吸って、声を整えて、ようやく言葉を発することができた。― お母さんにも伝えてあげたほうがいい。(P240) 今や、老いた「米留組」の父と、自らもアメリカに学んだ娘の会話です。戦争をしかねない、愚かとしか言いようのない風が吹いています。沖縄の島々にミサイル基地を作るなどということが現実化しつつある時代です。歴史を知ることの意味を静かに、真面目に、考えることを訴える本でした。 著者のプロフィールと目次を載せておきます。山里絹子(やまざと きぬこ)琉球大学 国際地域創造学部准教授。1978年生まれ、沖縄県中城村出身。琉球大学法文学部卒業。2013年ハワイ大学マノア校大学院社会学学部博士課程修了。名桜大学教養教育センター講師を経て現職。専門分野は、アメリカ研究、社会学、移民・ディアスポラ、戦後沖縄文化史、ライフストーリーなど【目次】はじめに ――戦後沖縄「米留組」と呼ばれた人々第一章 「米留」制度の創設と実施第二章 「米留組」の戦後とアメリカ留学への道のり第三章 沖縄の留学生が見たアメリカ第四章 沖縄への帰郷─「米留組」の葛藤と使命感第五章 〈復帰五〇年〉「米留組」が遺したものおわりに ――もう一つの「米留」あとがき
2023.09.04
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ジョン・カサヴェテス「フェイシズ」元町映画館 朝一、元町映画館、「ジョン・カサヴェテス・レトロスペクティヴ リプリーズ」4本目です。見たのは「フェイシズ」です。1968年制作ですから、初期のモノクロ映画です。「フェイシズ」ってなんやねん? 見始めて、ようやくフェイスの複数形だと気づきました。顔、顔、顔、です! 見終えて思ったことですが、この映画でカサヴェテスがやろうとしていることは「顔」の持っている力の追求でした。 それも女性の顔の、だと思ったのですが、夫リチャード(ジョン・マーレイ)が切り出した離婚話の場面での妻マリア(リン・カーリン)の、セリフとは裏腹な顔、酔っぱらってはしゃいでいた客の男性が「一晩いくら?」と尋ねた瞬間の、娼婦ジェニー(ジーナ・ローランズ)の表情の変化、慣れない男漁りをしているマリアとその友人たちの困惑と怯え、どれもこれも、セリフではなくて顔で勝負! でした。 監督カサヴェテスが、これでもかとでもいうように、セリフではなく、まず、顔を差し出してくるところに、この監督の方法意識というか、映画に対する思想が凄まじい唸りを発して迫ってくる印象です。凄い! 映像に、どう語らせるか?この年になって見ているからかもしれませんが、息が詰まるような迫力でした。やっぱり、疲れました(笑) 見始めたときのお目当ては、上の写真の、若きジーナ・ロランズだったのですが、この映画はマリアを演じたリン・カーリンという女優さんに尽きると思いました。拍手!でした。 それにしても、ドラマに出てくる男性たちが、ホント、カス野郎ばかりなのはどういうわけなのでしょうかね?1960年代の、まあ、今でもそうかもしれませんが、アメリカの、まあ、日本でもそうですが、男性!ということなのでしょうかね(笑)。笑ってますが、笑えません。監督・脚本 ジョン・カサヴェテス撮影 アル・ルーバン編集 アル・ルーバン モーリス・マッケンドリー美術 フェドン・パパマイケル音楽 ジャック・アッカーマンキャストジョン・マーレイ(リチャード:夫)リン・カーリン(マリア:妻)ジーナ・ローランズ(ジェニー:娼婦)シーモア・カッセル(チェット:青年)1968年・130分・アメリカ原題「Faces」日本初公開1993年2月2023・08・25・no109・元町映画館no199
2023.09.03
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ジョン・カサヴェテス「ラブ・ストリームス」元町映画館 朝一、元町映画館通いの3本目は「ラブ・ストリームス」でした。1984年の作品だそうです。ウィキペディアによれば、カサヴェテスという人は1989年に肝硬変で亡くなったそうですが、この作品が、自分も俳優として出ている最後の1本のようです。 彼の役はロバートという作家で、結構、深刻な作品で有名らしいのですが、日常生活は、複数というか、さまざなというか、「ハぁー?」 というしかない女性との共同生活です。ベッドにも複数いますが、ほかの部屋にもいるようです。「ちゃんと使ったものは片付けろ!」 といううふうに、あっちの部屋、こっちの部屋で、若いおねーちゃんたちに怒鳴っています。 で、一方で、サラという中年の女性が中学生くらいな娘を連れて、離婚の調停かなんかのシーンです。亭主の浮気が原因のようですがよくわかりません。切れまくってますね。やがて、娘が「パパと暮らす」とかなんとかの展開になって、ブチ切れです。 画面の展開を見ていて、女狂い(?)のロバートと、離婚訴訟ブチ切れのサラという二人の登場人物、二つのお話が、いったいどういう筋立てでつながっているのか、このあたりではわかりません。 「ラブ・ストリーム」という言葉はサラの口から、割合、早く出て来てはいたと思うのですが、なんのこっちゃ?! という感じでした。 ところが、夫からも娘からも見捨てられて、山盛りのトランクのヨーロッパの旅行先から、サラが電話しているのがなんとロバートなのでした。二人は姉さんと弟なのです。エッ?そうなの? ようやく、映画の輪郭が見えてきました。鍵言葉はきっと「ラブ!」、「愛」ですね。 カサヴェテス特集、3本づつけて朝通いしたご利益です。ただのストリームで終わるはずがありません。愛をめぐって渦巻きストリーム、a swirling streamという展開にきまっています。 で、予想通り、ハチャメチャな展開から結末に突入です。「いや、おばちゃん、それで、あんた、どうすんねん!?」 で、嵐の中、やって来た時と同じように、トランクの山を車に積んで弟ロバートの家を出ていく、サラことジーナ・ローランズの姿を見ながら、このド迫力女優が、あの「グロリア」の、あの、おばちゃんだということにようやく気付いたのでした(笑)。 好きか嫌いかわからんようなことを「オープニング・ナイト」の感想で書きましたが、あのおばちゃんなら「大好き!」 なんですよね(笑)。拍手!拍手!です。 まあ、しかし、それにしても疲れますね。なんででしょうね(笑)。 監督 ジョン・カサヴェテス原作戯曲 テッド・アラン脚本 テッド・アラン ジョン・カサヴェテス撮影 アル・ルーバン編集 ジョージ・ビラセノール音楽 ボー・ハーウッドキャストジョン・カサベテス(ロバート:弟・作家)ジーナ・ローランズ(サラ:姉)ダイアン・アボット(スーザン)シーモア・カッセル(ジャック:サラの夫 )マーガレット・アボット(マーガレット)1984年・141分・アメリカ原題「Love Streams」日本初公開1987年10月2023・08・24・no108・元町映画館no198
2023.09.02
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ペーター・ハントケ「左ききの女」元町映画館「12ヶ月のシネマリレー」の10本目です。このシリーズは、なかなか、渋い作品ぞろいなのですが、なんというか、まあ、チョー、シブイ! 作品でした。 見たのはペーター・ハントケ監督の「左ききの女」です。1978年の映画だそうです。 ペーター・ハントケという人がビム・ベンダースの「ベルリン・天使の詩」の脚本家であることくらいは、まあ、知っていましたが、小説家で映画も撮っていらっしゃることは忘れていました。ノーベル賞作家ですよね。 鉄道の駅のシーンから始まって、同じ駅のシーンで終わりました。実は、このシーンが妙に印象的なのですが、映画の筋立てと何の関係があるのかわかりませんでした(笑)。3月から5月までの3カ月ほどの出来事ですが、何も起きません。立派な家に8歳の子どもと、やり手(?)の夫と暮らしていた妻が夫を追い出す話です。 夫に、夫婦生活を解消しなければならない、これといった過失があるわけではなさそうですし、妻にも、これといった理由があるわけではありません。しかし、夫は妻の提案に従い出ていきます。夫には妻に対する腹立ちはありますが、気遣いも、また、あります。妻は、小学生の息子と二人暮らしをはじめます。生活のために始めたのは翻訳です。で、旧知の編集者とかが登場しますが、何も起こりません。子どもは母親とだけの生活に、これといって反抗したりするわけではありませんが、父親の不在は少し寂しそうです。 何を見ていればいいのかわからないので、とても眠いのですが主人公の一人ぼっちの生活の姿はフェルメールの絵のようで、時々、ハッとさせられます。 最後に、妻の老いた父親と出会って会話します。謎が解かれるわけではありませんが、「まだ書いているの?」 という娘の問いかけに父親がうなづくシーンがありました。 勝手な得心ですが、主人公のこの女性が、まあ、翻訳ということもそうですが、何かを書くという生活 に親和性のある思考の人だということを感じました。夫に対しても、子どもに対しても、自分は自分で一人であることを求めている、それは「自立」というよりも「孤独」を求めるといった方がいいんじゃないかという、チョット、共感に似た納得でした。 いかにも、1970年代後期の空気を感じさせる作品でした。チッチキ夫人とかが見ると、妙に納得してヤバいんじゃないかという気がしましたね(笑)。 主人公の女性を演じていたエディット・クレバーという女優さんは知りませんでしたが、ブルーノ・ガンツとか最近、メグレ役で見たジェラール・ドパルデューとか、ベンダースの「都会のアリス」のリュディガー・フォグラーとか出てきて「おっ!」 とか思うのですが、ブルーノ・ガンツは、まあ、夫ですが、残りの二人は、その場面のそこで何をしているのかよくわからないところが不思議な映画でした。 まあ、筋立てとかはよくわかりませんでしたが、父親役をやっていたハンス・シェーラーという人がよかったですね。拍手! それから、この映画はカメラマンのロビー・ミューラーという人ですね。随所に、印象深いショットがあって感心しました。拍手!監督 ペーター・ハントケ製作 ビム・ベンダース原作 ペーター・ハントケ脚本 ペーター・ハントケ撮影 ロビー・ミューラーキャストエディット・クレバー(マリアンヌ:妻)ブルーノ・ガンツ(ブルーノ:夫)マルクス・ミューライゼン(シュテファン:息子・8歳リュディガー・フォグラーアンゲラ・ビンクラージェラール・ドパルデューベルンハルト・ビッキハンス・ジシュラー1978年・114分・G・西ドイツ原題「Die linkshandige Frau」2023・08・31・no112・元町映画館no202
2023.09.01
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