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チェン・ユーシュン「霧のごとく」シネリーブル神戸 連休が終わって、なるべく人が少なそうな作品はと探して、1950年代の台湾が舞台か、これなら空いているだろう(笑) やって来てビックリ! 大入りでした。 チェン・ユーシュン監督の「霧のごとく」です。監督さんが、結構人気のある方のようですね。知りませんけど。 1950年代、戒厳令下の台湾 台湾って、中華民国ですけど、蒋介石が1949年だかに戒厳令を布告して以来、その、戒厳令が何年間解除されなかったか? そういう、歴史って、今の若い人たちってご存じなのですかね。韓国もそうなのですが、戦前、大日本帝国が占領統治した国々って、まあ、それぞれに事情は違うのですが、1945年以後、戒厳令とか、軍事独裁とか、戦争とか、大日本帝国による統治の時代に、勝るとも劣らない大変な国情の国が多いんですよね。 ボクは1954年生まれで、戦後民主主義が謳歌される時代に成長したわけで、隣国の事情について、ほとんど知らない恥ずかしい奴だったわけですが、特に、台湾の戦後事情に興味を持ったのはつい最近で、それまでは何も知りませんでした。 で、この映画です。笑わせてもらいながらも、打ちのめされましたね(笑)。 反政府思想を疑われ、逮捕、銃殺された兄の遺体を引き取るために嘉義という田舎の村から、たった一人で台北にやって来た少女阿月(アグエー)ちゃんの想像を絶する苦労体験と、偶然、彼女を助ける趙公道(ザオ・ゴンダオ)くんの七転八倒が、1950年代の台北というか、台湾社会を背景に、そこで生きている普通の人間たちのあからさまな悪意と素朴な善意を、なんと、「笑い」を基調にすることによって描きながら、殺された兄が夢みた生き方を「霧のごとく」という哀しい詩の言葉で見事にうったえてみせた人間ドラマの傑作でした。拍手! ここから、ラストのネタバレです。 何とか、ニーチャンのお骨を受け取った阿月(アグエー)ちゃんなのですが、その後、50年生きのびるのですね。 で、なんと、あの時、警察につかまってしまった公道君、無実の罪で25年も刑務所暮らしをした上で、時代が変わって釈放されるという、数奇とも、悲劇とも、とても笑ってはいえない生涯を生き延びていて、二人はなんと老人病院の待合室で・・・。 おばーちゃんになった阿月(アグエー)ちゃんに奇跡の再会をはたしたへらへら笑いの公道君ですが、ハッと思いだすんです。阿月(アグエー)ちゃんに、もう一度会うことが出来たら返してやらなければならないと、牢屋の中でも大切にしていた、オニーちゃんの形見の時計ですね。 診察室に消えた阿月(アグエー)ちゃんを指さして、看護婦さんに時計を手渡し、そっと消えていく公道君の姿に、見ているこっちは、やっぱり泣いちゃうんですよね。 そのシーンが、ほぼ、ラストですが、40年近く続いた戒厳令の時代を生きてきた台湾の人は、きっと涙されると思いますね。拍手! 実は、耳で聞いてわかっているわけではないのですが、この映画には二種類の中国語が使われているようです。国民党の公用語である北京語と広東語由来の台湾語ですね。 台湾の言語事情については、温又柔さんの「台湾生まれ日本語育ち」で少し知っていたので見ていて面白かったですね。そのあたりにもこの映画の台湾映画らしさがあって興味を深く見終えました。拍手!監督・脚本 チェン・ユーシュンキャストケイトリン・ファン(阿月)ウィル・オー(趙公道)9m88ツェン・ジンホリウ・グァンティンビビアン・ソン2025年・134分・G・台湾原題「大濛」・英題「A Foggy Tale」2026・05・08・no086・シネリーブル神戸no378追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.12
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ヤン・ヨンヒ「ディア・ピョンヤン」元町映画館no190 「スープとイデオロギー」というドキュメントで忘れられない監督になったヤン・ヨンヒ監督の特集「映画監督ヤンヨンヒと家族の肖像」を元町映画館がやっています。 上映されるのは「ディア・ピョンヤン」(2005)、「愛しきソナ」(2009)、「スープとイデオロギー」(2021)の三作品です。 今日(2023年7月27日)にボクが見たのは、三部作(?)ともいうべき「家族の肖像シリーズ」の第1作、「ディア・ピョンヤン」です。 2021年に作られた「スープとイデオロギー」が、いわば「母の肖像」であったわけですが、「ディア・ピョンヤン」は、ほぼ、同じ方法論で撮られている「父の肖像」でした。 映画が撮られた2004年当時、健在だった父を、監督自らがカメラを回しながらインタビューし、ナレーションしながら、父と母、ピョンヤンに暮らす兄たちの家族の姿を映像化した作品でした。いってみれば「ホーム・ビデオ」なのですが、これが胸を打ちます。「父ちゃんの映画作ってんねん」「アホちゃうか!」 もらって帰ってきたチラシの中にあった文句です。帰って来て、この言葉のやり取りを見つけて、涙が出ました。お父さん、お嬢さんはアホちゃいまっせ!監督・脚本・撮影 ヤン・ヨンヒ 梁英姫プロデューサー 稲葉敏也編集 中牛あかねサウンド 犬丸正博翻訳・字幕 赤松立太2005年・107分・日本配給 シネカノン2023・07・27・no97・元町映画館no190追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.07.27
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ヤン・ヨンヒ「スープとイデオロギー」元町映画館 チョット、本が手元にないので確認できないままですが、朴沙羅(パク・サラ)という若い学者が書いた「家(チベ)の歴史を書く」(筑摩書房)の中に「見えない歴史」という言葉があったと思います。 著者の朴沙羅は、自分の伯父や伯母たちにインタビューすることで、自分には見えなかった、1948年以来の家族(チベ)の歴史を発見した好著だと思いますが、今回見た映画は「オモニ(母)」の「見えなかった歴史」を娘が発見する作品でした。作品はヤン・ヨンヒ「スープとイデオロギー」というドキュメンタリー映画です。 ぼくは、この監督の作品を見るのは初めてでした。 「なんか、けったいな題の映画やなあ」 まあ、そういう感じの軽い気分で見たのですが深く胸に残る傑作でした。 映画の主人公(?)1930年生まれのオモニ(母)は、映画が完成したときに91歳です。日本で生まれましたが、敗戦直前の大阪から父母の故郷、済州島へ疎開し、1948年、再び大阪に逃げ帰ってきて以来、70数年、大阪市の生野区猪飼野で暮らし来た女性で、いわゆる在日コリアンです。 映画は、今はなくなっているのですが、まだ、元気だったアボジ(父)が「日本人とアメリカ人以外やったら、誰でもええ。」と、娘ヨンヒ(監督自身)に語るシーンを冒頭に据え、50歳を超えた娘が10幾つ若い「日本人」の男性と結婚することになり、挨拶に来る男性のために、オモニが、おなか一杯朝鮮人参とニンニクを詰めた丸鶏のスープを料理し、振る舞うシーンへ続きます。 その後、このスープの作り手は、そのお婿さんに変わったりしますが、ことあるごとに作られる、このオモニのスープの、想像上の味のイメージが、この映画の傑作の味わいをつくりだしていると思いました。 で、イデオロギーは?ということですが、そこは作品を見て、考えていただくほかないと思います。 映画の終わりのほうで、老人性の痴呆を発症したオモニを連れて済州島に渡り、4・3事件研究所で、応対した職員に、監督ヤン・ヨンヒが「私はアナキストですが、」と凛としたひびきの発言をするシーンがありますが、その響きの中にすべて集約されているとぼくは感じました。 1910年の大日本帝国による植民地化にはじまり、南北朝鮮が現前する現在に至るまで、その時、その時の「国家」の名前で、何万、何十万という無辜の民が命を失い、いわれなき蔑視やヘイトに晒さらされ、「見えない」恐怖と不安の中で生きることを余儀なくされてきたのが朝鮮半島の人たちの200年だとぼくは思います。 監督ヤン・ヨンヒのオモニは、その最も悲惨な事件の一つに18歳で遭遇し、婚約者を失い、幼い妹を背負い、弟の手を引いて猪飼野に逃げてきた中で味わった、娘にさえも「いえない」恐怖に縛りつけられた、その後の70年の人生を生きてきた人です。 そして、いま、90歳を超えるようになって、認知症の混迷にさまよいこみ、その恐怖を共有した亡き夫をさがし、その恐怖が理想の国として夢見させた北朝鮮に差し出した息子たちの名前を呼びながら、幻の家族と共に生きようとしています。 娘のヨンヒの「アナキストです。」という言葉の響きの中に、母や父や兄たち、すなわち、彼女の「家族(チベ)」を抱きとめ、抱きしめるための場所、国家やイデオロギーを超える場所に立とうとしている人間の、文字通りの愛と勇気のようなものを、ぼくは、感じました。涙がとめどなく流れるのですが、受け取ったのはかなしみだけではなかったと思います。 年老いた母と自分自身にカメラを向けることで、ドキュメンタリーの客観を超える作品を作り上げた監督ヤン・ヨンヒに拍手!でした。監督 ヤン ヨンヒ(梁英姫)脚本 ヤン ヨンヒプロデューサー ベクホ・ジェイジェイエグゼクティブプロデューサー 荒井カオル撮影監督 加藤孝信編集 ベクホ・ジェイジェイ音楽監督 チョ・ヨンウクナレーション ヤン・ヨンヒアニメーション原画 こしだミカアニメーション衣装デザイン 美馬佐安子2021年・118分・G・韓国・日本合作原題「Soup and Ideology」2022・09・12-no104・元町映画館no144追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2022.09.26
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想田和弘 「港町」 十三第七芸術劇場 想田和弘の観察映画、 「港町」を見ました。関西では大阪でやっていました。十三第7芸術劇場です。 十三なんて何十年ぶりだったでしょうか。見終わって、同居人チッチキ夫人と二人で淀川の大橋のたもとの河川敷の土手でサンドイッチを食べました。そんなことをするのも、何十年ぶりでした。 広い河川敷には、バーベキューの後片付けをしている人や、ユニホーム姿で。かたまって走っている人たちがいました。 さわやかな、五月の夕暮れでした。一緒に見た映画が映画だけに、ボンヤリ、人の老いについて考えていました。生きるということが哀しいということについて考えていました。 この映画には語らなければならなような事件も物語もありません。にもかかわらず、いや、だからこそでしょうか、こうして映像の断片を思い浮かべていると、河川敷に座って、ボンヤリ佇んでいるぼくたちと、映画の中のじいさんやばあさんとが同じように生きていることを感じさせてくれます。 海岸沿いのコンクリートの道をせかせかと、向こうに歩いて行くばあさんの後ろ姿が浮かんできます。 ぼくたちが座って見ている川の向こうには大きな町があります。二人で黙って座っている間に、町が暮れてゆきます。 港町に夕暮れが落ちてくるシーンが浮かんできました。 結局、十三ではなにも食べず、何も買わず帰ってきました。まあ、映画を観に行ったのですから、いいのですが。2018/06/12 追記 2019-04-13 佐伯一麦さんの作品を読み続けています。私小説と呼ばれているものですが、日記形式のものや、日々のエッセイも一緒に読んでいて、想田和弘というドキュメンタリー映画の監督がやろうとしていることと近しいものを、何となく感じています。 想田さんがやろうとしていることは、ひょっとすると「事実」そのままのドキュメンタリーではないのではないでしょうか。 小説なら書き手ですが、彼の映画であればカメラを回す人、編集する人を兼任しているらしい彼自身、その書き手を「事実」が通り過ぎていることを表現しているんじゃないか。カメラで見ている主体の表現というかんじでしょうか。映画は、結局、カメラを持って被写体の前に立つ映画監督をこそドキュメントしている。そんな印象です。 見当違いなのかもしれませんが、まあ、そこが面白くてこれからも見るだろう、そんなふうに感じています。(S)追記2019・11・20 その後、「THE BIG HOUSE」(感想はここをクリック)を観ましたが、面白かった。「演劇」も見ているのですが、感想は書いていません。
2019.04.13
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ジュゼッペ・トルナトーレ「ニュー・シネマ・パラダイス」元町映画館 まず、シネ・リーブルが閉まりました。それから、元町映画館とパルシネマが閉まりました。2020年4月10日ごろだったと思います。ぼくはその日から50日の間、垂水より東には移動しませんでした。マジメな「自粛」生活をしていたとアピールしたいわけではありません。「行くところ」がなくなってしまっただけなのです。考えてみれば、これは結構哀しいことかもしれません。 5月も末になって、映画館が「復活」し始めました。それでも、土・日に動く気持ちにはなれせんでした。で、今日は月曜日、月も変わって6月1日です。 というわけで元町映画館、「復活の日」に馳せ参ずることはできませんでしたが、気持ちは高揚していました。「こんにちは。久しぶり。今日は、久しぶりに客やで。」「いらっしゃい。そろそろかなあって、お待ちしてましたよ。」 顔見知りの受付嬢、ベンチャラでもうれしい一言。抱きしめたい気分ですが、ビーニールのカーテンが二人の間を遮っておりました。 座席は一つ置きにシートで区切られて、おしゃべりとかお食事の「自粛」がスクリーンに流れていました。そこそこのお客さんで埋まっていましたが、いつもの指定席は空いていて、「ヨシっ!」って掛け声が出そうでした。 映画はジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」、映画ファンならどなたもご存知というべき名画でした。 二日ほど前に、愉快な仲間の一人、ピーチ姫からメールがありました。 元町映画館でニューシネマパラダイスしとるやん! 余裕があったらみてください!80年代のイタリア映画です。 わたしは寝ぼけ眼でしたが、そっちの家で観た映画です。なんかとてもよいものを見た覚えがあるので。 ね、何を観ようかを、あれこれ考える必要がなかったんです。見終わってつくづく、映画館の暗闇が好きでよかったと思いました。こんなに気持ちよく泣いたのは久しぶりでした。 元町映画館の、以前からのプログラムなのか、再開にあたってのそれなのか、あれこれ詮索する前に、神様がこの日のためにこの映画をお創りになったに違いないと、素直に思いました。(キリスト教とか信じていませんが。) ベランダに置かれた鉢植えと海。 少年トトとアルフレッドの表情。 アルフレッドのパクリの名セリフ。 何十本と出てくる懐かしい映画の断片。 パラダイス映画館に集まった人々の百態。 ここで、漸く、「ああ、見たことがある」と気付かせてくれた愉快で、でも、ちょっと哀しいカンニング!初恋。 出発。 死んでしまったアルフレッドが友達トトに残した「捨てられたはずのフィルム」。 そして、何よりも映画に木霊し続ける叫び。この広場は俺の広場だ!とてもよいもの! を見せていただきました。ここはぼくたちの広場、元町映画館です。ふふふ。 さて、明日は何を観ようかな?監督・脚本 ジュゼッペ・トルナトーレ製作:フランコ・クリスタルディ音楽:エンニオ・モリコーネキャストサルヴァトーレ・カシオ:通称トト サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(少年期)マルコ・レオナルディ:(青年期)ジャック・ペラン:(中年期)アルフレード:フィリップ・ノワレ1989年124分 イタリア・フランス合作原題:Nuovo Cinema Paradiso2020・06・01 元町映画館no44ボタン押してね!
2020.06.03
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セサル・ガリンド「今日からぼくが村の映画館」元町映画館 2026年の5月10日(日)です。連休明けの元町映画館が、朝一番に一週間だけしかやらないというので、いつもは出かけない日曜日の、それも午前10時に元町にやってきました。お目当てはセサル・ガリンドという、多分、ペルーの監督の「今日からぼくが村の映画館」です。 ようこそ、天空のスクリーンへ! はい、天空のスクリーンで踊るシストゥ少年、サイコー!でした(笑)。 アンデスに風が吹き、天空の雲が流れ、ケチュアの人たちのニュー・シネマ・パラダイスが始まりました。 ペルーとかアンデス山脈とかいわれても、そこがどのあたりかさえはっきりわからない、インカ帝国の在ったあたりかな?という、わかったようなわからないような、漠然とした気分で見ながら、スクリーンに広がる「風景」にも、シストゥ君たちがトラックで通う通学シーンにも、オンボロの学校のまじめな先生にも、ロバを連れて、いや、連れられてかな?延々と歩いて行く高原の麦畑シーンにも、ドンドン惹きこまれ行きました。すごいやん! 町にトラックでやって来て、荷台に積んだ映写機から民家の壁に直接映し出される映画館、映っているのはドラキュラ伯爵。なんとも言えない、映画のうれしさがあふれていました。まあ、村人総出で見物した映画がドラキュラだったこともあって、あれこれ批判も飛び出して、揉めちゃうんですが、その結果、「今日からぼくが村の映画館」になっていくわけです。 「ぼくの」じゃなくて、映画に魅入られてしまった「シストゥくんが」天空をスクリーンにした映画館になってしまうところが、アンデスの、ケチュアの人たちの、ニュー・シネマ・パラダイスの肝なのですが、この、じつに素朴な「物語」が田舎暮らしの映画少年の始まりの物語であったという結末にケチュア社会の時間の流れを感じさせる構成も悪くないですね。拍手! 作中に出てくるのが「キングコング」、「風と共に去りぬ」、「ドラキュラ」あたりで、1930年代の作品です。セリフは、多分、みんな英語です。というわけで、村の人たちには映画のことばがわからない。字幕は、多分、スペイン語で、学校に通っている子供たちが通訳するんですね。 この作品は2022年にケチュア語映画として初めて作られたようですが、そのあたりの、映画史的な意味も興味深い作品でした。拍手!監督・脚本 セサル・ガリンド脚本 アウグスト・カバ ガストン・ビスカラ撮影 フアン・ドゥラン編集 ロベルト・ベナビデス音楽 カリン・ジエリンスキキャストビクトル・アクリオ(シストゥ)エルメリンダ・ルハン(ママ・シモナ)メリーサ・アルバレス(ルシーチャ)アルデル・ヤウリカサ(フロレンシオ)ベルナルド・ロサードフアン・ウバルド・ウアマン2022年・88分・G・ペルー・ボリビア合作原題「Willaq Pirqa, el cine de mi pueblo」配給ブエナワイカ2026・05・10・no088・元町映画館no365追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.11
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高柳聡子「ロシア 女たちの反体制運動」(集英社新書) 市民図書館の新着の棚で見つけました。高柳聡子「ロシア 女たちの反体制運動」(集英社新書)です。 10代の終わりにロシア革命に興味を持ったのが始まりですが、E・H・カーとか、アイザック・ドイッチャーを夢中になって読んだのですが、並んでいた本書の書名を見ながらロシアの女性の名は「エカテリーナ」と「クルプスカヤ」、「テレシコワ」、そして「スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ」しか浮かばないことに、ちょっと驚きました。 まあ、他の国を考えても女性の名前って浮かびませんから、要するにそういうことにすぎないのですが、興味を惹かれて借り出してきて読みました。 ロシア革命が1917年ですから、ロシア帝国末期、ソビエト連邦、そして、現代のロシア連邦とたどると本書が対象にしている「ロシア」の「女たち」についての記述は、ゆうに100年を越えます。その間、男性優位に何の疑問もなかった帝政時代はもちろんですが、「男女平等」をお題目にした革命政権、そして、戦争を始めたプーチンの現代にいたるロシア社会で「反体制」を闘い続けてきた女性総覧です。 30人をこえる女性と、その時代その時代の反体制活動と、その弾圧の歴史が紹介され、論じられています。 プーチンの、ボクから見れば、異様な圧政の実態の報告が第五章「プーチン政権と戦う女性たち」の内容ですが、その最後、こんな印象的な引用と発言で締めくくられます。 戦争の足音が聞こえたのか、ウクライナへの軍事侵攻直前の二〇二二年二月十八日、ウクライナの詩人リュドミーラ・ヘルソンスカヤ(一九六四―)がFacebookに叫びのような詩を投稿した。「何も起きていないふりをするな」と題されたその詩は戦争が近づいてきている 黙るな 叫べ悪党ども 叫べ 畜生ども 叫べ 死刑執行人ども何も起きていないふりをするな皆を不安にさせることを恐れるな揺さぶれ 起こせ―戦時に起こすことは罪ではない国じゅうに向かって叫べ 他の国々に向かって叫べ窓を広めに開けろ 戦争を飲みこむな 黙るな と極めて強い口調で呼びかけた。「黙ってはいけない 戦争について黙っていてはいけない」というヘルソンスカヤの声は。ロシアの反体制運動の面々にも届いている。だから彼、彼女たちは決して黙らないのである。(P223) ボクに響いてきたのは、著作の最後にこの詩を引用していらっしゃる高柳さんの気合でした。この気合、ボクは好きです。 著者の高柳聡子さんは現代ロシア文学、フェミニズム史を研究していらっしゃる方のようですが、プーチンが始めた戦争に対する危機感から、本書を執筆されたようです。興味深く読みました。引き続き、彼女の翻訳、著作を追いかけようと思います。 ちょっと追記ですが、ボクが思い浮かべた名前ですが、エカテリーナはロマノフ朝の女帝、クルプスカヤはレーニンの配偶者、テレシコワは「ヤ―チャイカ」の宇宙飛行士、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチはノーベル文学賞の女性で、この本に登場するのはクルプスカヤさんとスヴェトラーナさんのお二人でした。2026-no007-1222 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.01.31
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「パパラギ」(岡崎照男訳・立風書房) 今日の案内は「パパラギ」(立風書房)という本です。「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」と副題があります。 1920年だかにエーリッヒ・ショイルマンというドイツ人が出版した本だそうです。副題の様に、その時代、今から100年ほど前に、生れてはじめてヨーロッパ=パパラギたちの国を訪問したサモワの酋長が、サモワの人たち相手に演説した内容が書籍化されたということになっていますが、100年に渡る研究の結果、偽書だということが明らかになっている因縁付きの本です。 どうして、そんな怪しげな本を今? ボクも、そう思って読んだのですが、これが面白いんですよね。100年前の現代文明批判! ボクがこの本を知ったのはかなり以前なのですが、今回、市民図書館から借りだしてきたのは高橋源一郎と辻信一の対談集のどこかで紹介されていたからですね。実は、岡崎照男によるこの訳本が出たのは1980年ころで、その頃一度話題になった記憶はありました。「えっ?どうしたのこの本?家にあるんじゃないの?」 図書館から持ち帰った本を見たときのチッチキ夫人のことばですが、ボク自身も、何となく、そんな気がしていたのです。「うん、でも、どこに突っ込んでるかわからんし。」 というわけで読み始めました。 80年代に話題になったのは、高度経済成長に寄りかかっていく日本という社会について、「パパラギは日本人だ!」 まあ、そんな、振りかえりがリアルだったからですが、それから50年近く経って、徹底的な効率至上主義のコンピュータ社会の成立を目前にすると、ちょっと、シャレにならない迫力で迫ってくる、現代社会批判の書というふうに読めますね。 面白い文明観察の山なのですが、ボクが面白かったのはこういうところです。「精神」という言葉がパパラギの口にのぼるとき、彼らの目は大きく見開かれて、すわってしまう。 中略 考えること、考えたもの、思想、― これは考えたことの結果である― はパパラギをとりこにした。彼らはいわば、自分たちの思想に酔っぱらっているようなものだ。日が美しく輝けば、彼らはすぐに考える。「日は今、なんと美しく輝いていることか!」彼らは切れ目なく考える。「日はいま、なんと美しく輝いていることか」これはまちがいだ。大まちがいだ。馬鹿げている。なぜなら、日が照れば何も考えないのがずっといい。かしこいサモア人なら暖かい光の中で手足を伸ばし、何も考えない。頭だけでなく、手も足も、腿も、腹も、からだ全部で光を楽しむ。皮膚や手足に考えさる。頭とは方法は違うにしても、皮膚だって手足だって考えるのだ。(P108) あのですね、ボクなんて、こういう「考えることの病気」を目標に、自分でも、お仕事相手の学生さんたちにも、一生懸命説いてきていたパパラギだったんですよね。それが、全部、AIとかに任せられることになった今、「からだ全部で光を楽しむ」ことどころか、それ以前に、「考えるという病気」を、まず知らない、現代のパパラギたちはどうしたらいいんでしょうね。 まあ、そういう、ある意味、老人の繰り言にすぎない思いが浮かんでくるあたりに、この本の面白さがあるわけです。 お暇でしたら、100年前の文明批判一度お読みください。ギョッとするかもですよ(笑)。2026-no051-1266 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.10
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藤野知明「どうすればよかったか?」元町映画館 2025年が始まって50日経ちました。で、この映画を見たのは1月24日ですが、一ヶ月の間、感想が書けずに困っていました。 この映画ですが、神戸では元町映画館で年の始めからやっていて、連日「満員御礼」、多分、シネリーブルでは、まだやっていると思いますがボクが元町で見た日も補助席まで出しての満席でした。 で、映画は藤野知明監督の「どうすればよかったか?」というドキュメンタリィーです。 見ていて、終盤あたりの場面ですね、映画製作者、だから監督ですが、が「どうすればよかったか?」 と父親に訊ねるシーンがあるのですが、そのとき、前の席の男性がスマホを開いたんですね。大勢のお客さんが入るということはそういうことがあるということを、ここのところ繰り返し体験してはいるのですが、マナー云々を越えて、「それはないやろ!」 という出来事でした。 で、見終えて、そのスマホ体験に対する憤りのようなものにとりつかれて、帰宅してチラシを読みました。 我が家の25年は統合失調症の対応の失敗例です。 どうすればよかったのか? このタイトルは私への問い、両親への問い、 そして、観客に考えてほしい問いです。 藤野知明 こんな言葉が踊っていました。何だか素直な問いに聞こえるのですが、この「問い」に答えられる人はいるのでしょうか? まあ、無理やりですが、ボクの答えを、誤解を恐れずに書いてみます。、「あなた」が、最初におかしいと思った、あの夜の翌日、あるいは、カメラを回し始めたとき、「あなた自身」がお姉さんを医者に連れていくべきだったのです。それ以外にはありません。 実際にそうできたか、できなかったか、こんなことを口にしているボク自身が当事者であればそうできたのか、と問い返されても答えはありません。ついでにいえば、ボクの答は善悪を判断してはいません。家族であれ、知人であれ、行きずりの人であれ、病気だと気付いたら医者に連れて行く努力をすべきだというだけです。 しかし、チラシで問いかけている映画を作った人にはそれができなかった。その結果、そうできなかった一人の人間の、生きている世界と自分自身に対する問いかけが空前絶後ともいうべき映像を作り出してしまった! というのがボクの、この映画に他する感想です。 弟がカメラが回してることを知りながら、言葉を発しないお姉さん を辛抱強く映し続ける映像の迫力に文字通り絶句したボクは、あれから一か月、ジッとこっちを見ているお姉さんの眼差し を繰り返し思い浮かべてはため息をついています。「何が映したかったのだろう?」 お姉さんもお母さんも亡くなってしまった部屋で、おそらく90歳を越えていらっしゃるであろうお父さんに「どうすればよかったのか?」 弟が、そう、問いかけている、最後のあのシーンが、興味を失ってスマホを開いている観客の前にさらされている場にボクは座っていました。あの時、ボクはどうすればよかった? のでしょうね。 余談ですが、この映画の「鎖のかかったドア」のシチュエーションとよく似た体験をボクは中学生の頃、自分の家で経験しています。 この映画でジッとカメラを見るお姉さんの姿を見たとき、ボクの頭に浮かんだのは、60年前、玄関で正座して「どちら様でしょう?」 と、最愛だったはずの孫に向かって挨拶をする祖母の姿が浮かびました。この映画は、ボクにとっては、そういう映画でした。正直、疲れましたが、公開した藤野知明監督には拍手!ですね。ホントウノコトを撮ってしまった監督 は、やっぱり、人に見せないではいられないし、「どうすればとかったか?」 と問いかけずはいられないのでしょうね。監督・撮影・編集 藤野知明制作 淺野由美子撮影 淺野由美子整音 川上拓也編集 淺野由美子編集協力 秦岳志2024年・101分・G・日本2025・01・24-no013・元町映画館no279追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2025.02.26
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隈研吾「日本の建築」(岩波新書) 市民図書館の新入荷の棚で見つけて借り出したのですが、2023年の出版ですから、そんなに新しいという本ではありません。隈研吾という建築家が、最近、流行っている方らしいというくらいは知っていましたが、著者紹介で、1954年生まれ、同い年だということをしって「へえ、そうなんか?」という印象です。あとはよく知りません。 今回、案内するのは隈研吾「日本の建築」(岩波新書)です。 で、本書を借り出した理由というのは、もう一つありました。この春「ブルータリスト」というユダヤ人の建築家を主人公にした映画を見たのですが、ちょっと気になったのがブルータリズムという建築様式用語でした。で、まあ、そういうことが書いてあるんじゃないかと思って手に取った次第です。 隈研吾が、1900年代の、だから20世紀日本建築史について、ボクでも名前を知っている丹下健三とか、黒川紀章とかをやり玉にあげながら通説してはいるのですが、実は、まったく知らない世界のことですから、ちょっと知ったかぶりで読み進めようにも、具体的なイメージとして湧かないので、少々眠いのですが「ブルータリズムはどこだ?どこに書いてあるんだ?」という一心で、読み終えました(笑)。 映画が描いていた時代というのも、多分、60年代だったはずだし、ブルータリズムとかいうのは、戦後すぐ、50年代に話題になったらしい様式だったはずで、建築史の話題として出てくるならすぐだろうと高をくくっていましたが、出てきたのは、「Ⅳ 冷戦と失われた一〇年、そして再生」の章の「縄文からコンクリートへ」と副題がつけられた文章で、すでに、204ページ、もうまとめに入るところでした。 モダニズムと日本との分断には1950年代の新しい状況も影を落としていた。それはブルータリズム建築と呼ばれる、新しいデザインのトレンドである。きっかけを作ったのはコルビュジエがマルセイユ郊外にデザインしたユニテ・ダビタシオン(1952)である。戦前のコルビュジエの、平滑で質感のない白いコンクリートとは対照的な荒々しいコンクリートの外壁。巨木を想起させる太いピロティ柱。コルビュジエはこの縄文的表現を、その後、ロンシャンの礼拝堂(1955)、インドのチャンディーガルの作品群(1955~1962)でさらにエスカレートさせていった。コルビュジエはまたしても時代を先導したのである。 イギリスの建築家スミッソン夫妻は、この流れを1953年にブルータリズムと名付けた。それは、20世紀の工業化社会の産物であり象徴であるコンクリートという素材を、多様な場所、多様な文化へと適合させ、ローカライズするための新デザインであり、コンクリートの延命策でもあった。工業化の波が世界の隅々へ広まっていく戦後的状況に建築家は鋭敏に反応し、コンクリートに荒々しい野生の表現を付与した。縄文は、そのブルータリズムの日本流の言い換えであった。 まあ、こういう感じです。コンクリートを素材として建設されはじめた世界中の戦後建築の、いってしまえば開き直り的な様式名のようですが、ここで、新たに気にかかるのが、「縄文」という言葉ですね。ついでですから、続けて引用します。 日本において発明された縄文は、日本とコンクリートとの安易な野合の別名であった。縄文という便利なキーワードを発明したことによって、コンクリートは何の遠慮もなく、いかなる罪の意識ももたずに日本の繊細な都市を破壊することが許されるようになった。縄文は日本人を決定的に伝統から遠ざけるきっかけをつくり、この国の豊かな伝統を忘却するための言い訳になった。(P205) かなり批判的ですが、具体的にどんな建築のことを言っているのかについては、本書なりをお読みいただきたいのですが、丹下健三とか、黒川紀章とか、まあ、ボクでも名前だけは知っている建築家が名指しされて登場したりで、けっこうスリリングでしたよ。 もっとも、ボクが知りたかった、映画の題名になっているユダヤ人建築家の建造物の特徴については、どうも答えになってくれませんでしたね。しかし、建築というのは、資本を必要とするという意味でも、なんだか、キナ臭い文化分野なんだな・・・ということはよくわかりました。週刊 読書案内 2025-no072-1145 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2025.07.31
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「常世の舟を漕ぎて」(語り・緒方正人・辻信一編・ゆっくり小文庫・SOKEIパブリッシング) 高橋源一郎に惹かれて読み始めた「弱さの思想」→「雑の思想」→「あいだの思想」(それぞれ大月書店)という共同研究をというか、連続対談ですが、一緒に研究というか対談していらっしゃる辻信一という、「ナマケモノ倶楽部」とかの代表をなさっている文化人類学者を面白がるようになって半年ほどたちます。 で、その辻信一が緒方正人という方の聞き書きを本にしていることに気づいて仰天しました。「常世の舟を漕ぎて」(語り緒方正人・辻信一編・ゆっくり小文庫)というこの本です。 緒方正人さんてご存じでしょうか?1970年代から80年代にかけて闘われていた、いわゆる水俣病訴訟闘争で名をはせた若きリーダーでした。その彼が闘争の現場から身を引き、木造の小さな舟を漕いで水俣の海に漕ぎ出していく経緯を辻信一に語っているのがこの本でした。 冒頭に石牟礼道子さんのこんな文章がありました。 神話の海へ 石牟礼道子 それをいうとき正人さんは羞んだ様子になった。 「じつは木の舟ばつくりよるとですよ。村にはまだ内緒ですばってん。」 認定申請をとり下げて以来、なにか容易ならぬことがこの人の心に起きているのを感じていた。若い支援者が来て、 「正人さん、鯛網の仕かけの時にひっくり返ったそうですよ。見舞いに行ってみたら、手足を突っぱって痙攣して、じっさい見れば、恐ろしかですねえ」と言ったことがあった。 おだやかに目をしばたたいている表情を見て、起きあがれる方角を探し当てつつあるのだと思い、わたしは何かしらまぶしかった。 話を聞いているうちに驚くべきことを知った。もの心ついて以来、一度も木の帆かけ舟を見たことがないというのだ。今の舟はみなプラスチック製だそうである。してみれば沖に浮いているのはすべてプラスチック船だったのか。少しはプラスチック船があるかもしれないが、多くは木の舟だとばかり思いこんでいた。これはわたしには深い衝撃だった。そうか、日本はそうなってしまったのか。 リサイクルショップの店で度々見かける、職人たちの手道具の山が胸をよぎった。家電器具の間に山師さんの大鋸(おが)や手斧(ちょうな)、大工さんの鉋(かんな)や曲り尺、左官さんの鏝のいろいろ、鍛冶屋の大鋏、石工の鑿や玄能等が錆をふいて、かえりみる人もない。あの中に船大工の手斧もまざっていたかもしれない。 せきこんでたずねた。 「舟大工さんの、よう居んなさいましたねえ」 「はい、それが運よく見つかって。造船所の親方のおやじさんと、うちの信だおやじつきあいだった縁で、親方が舟大工さんば見つけてくれて。はじめ木の舟ちゅうことば言うた時、たまがらしたです。木の舟つくる者はおらんですし。話すうちわかってくれて、引き受けてもらいました。プラスチックはもとはチッソがつくり出したしなものですもん。海のゴミとおなじごたる気のして、舟もですね」 海の上の溶けないゴミとしての船、とは言っても、その船でなければ現実の漁は成り立たなくなっているのだろうが、強化プラスチック船よりも効率の低い木の舟を、わざわざつくるという気持ちは痛いほどわかった。木の舟に乗らなければ、たどりつけない所があるというわけだろう。「常世の舟、ち、書いてもらえんですか。」 ああそこへゆきたいのかと納得した。一族全て、死神たちの世界に引きずりこまれてきた人なのである。わたしは祈りをこめて書いたが、自信のない字になった。 本書の巻頭に石牟礼道子さんが寄せた「神話の海へ」と題された祝辞の冒頭です。 辻信一さんによる緒方正人さんの「聞き書き」、「常世の舟を漕ぎて」の初版が世に出たのは1995年くらいでしょうか、その後、増補を重ね、「熟成版」として完成したのが2020年のようです。 ボクは70年代に学生生活を送り、石牟礼道子の「苦海浄土」にゆさぶられたわけですが、緒方正人という方は、水俣病認定闘争史の文字通りリーダーであった方として、お名前だけは知っていました。 今回、この本と出会い、緒方正人さんという方が1953年生まれの方で、ご存命であることを知り嬉しく思いました。 二十代のボクが、遠くの星のように仰ぎ見ていた石牟礼道子さんが1927年生まれ、闘争のリーダーであった川本輝夫さんが1933年生まれ、お二人とも、もう、この世の方ではありませんが、ボクにとっては親の世代の方たちでした。「エッ?緒方正人さんてボクの一つ上?」 ボクが、この本を手に取って、最初に感じたのはそういう驚きでした。同じ50年を生きてきた人なのですね。 本書では緒方正人の50年が語られていました。そこで生まれ、そこで生きていくことを余儀なくされた人間のことばが、訥々と語られています。読みすすめながら、彼の「チッソは私であった」という、驚くべき発言の力が読んでいるボクを揺り動かす読書でした。鍵になるのは「常世の舟」という言葉です。石牟礼道子さんが「ああ、そこへゆきたいのか」と納得された舟の名前ですが、できれば、本書をお読みになって納得の意味を知っていただきたいですね。 本書は、何度かの増補の結果出来上がった本のようで、後半には、ここ10年の発言も収められています。たとえば、こんな感じです。 畏怖を取り戻す 水俣病で騒ぎになっているのと並行して、不知火海のちょうど向かい側にある御所浦島で、山を丸ごと削るような採石が進められてきた。それが今、その石を沖縄の辺野古の埋め立てのためにもっていく計画なんです。ここの他にも瀬戸内海、鹿児島、奄美など、あっちこっちからかき集めてくるらしい。だって十メートルぐらいも積み上げて、大型艦船が横づけするような基地を作る計画なんだから、石や土が莫大にいるわけですよ。 採石自体がもう大問題なんです。だって山の天辺まで削ろうっていうんだから。おまけに土砂をとったあとの四十メートルもの深い穴に、今度はどっかの毒性の強い残渣みたいなのをもってきて、二重に儲けようとしている。島の人たちはほとんどが反対で、立ち上がって声を出したんです。俺たちもこっち側で反対運動を起こした。 今のところ動きは止まっています。業者は改めて採石の許可申請を出しているんだけど、恐らくはこれ以上問題をこじらせんようにと、県が抑えているのかもしれない。 あそこはね、恐竜の化石が出るところなんですよ。俺は言うんですよ。「そげんことしたら、恐竜たちの逆鱗に触れるぞ」って。沖縄の辺野古の基地建設は、一見遠く離れていて自分たちとは関係ないように見えるけど、実はもうこうして、すぐ目と鼻の先で起きているわけです。 採石が始まったのは、俺が中学校に上がった頃だから、五十年近く経っている。ものすごくきれいな所だったんですよ。削る前は。キジが多くてね。よく漁の合間に浜に上がって昼飯食ったり、一休みしとったら、キジがすぐそばまで寄ってくる。民家がないせいか、あんまり警戒心ないんでしょう。 うちからも海の向こうに見える。外で喋ってると、天気がいい日にはダイナマイトの音がよく聞こえたりしよったもん。発破の音がして砂煙が上がるのが見える。以前、俺が苦しんでいる時には、心臓をえぐられるようで、もう一番それがきつかった。体が反応するんです。本当に肉体を削られるようで、こたえるんです。自分が苦しかったから、御所浦の人たちはなんであれをやめさせないんだろうか、といつも思っていた。 人間が、長いスパンで物事を考えきれなくなっているんだとつくづく思う。(P336) 目の前の海を眺めながら、人間はどこへ向かっているのか・・・ 多分、そういう問いの日々を生きていらっしゃる方のことばですね。 本書の最後にはこんなことばもあります。 神の体と書いて、「神体性」というのがあるとすると、人間がその神体性を失くしていってるんだろうなって思うんです。どんどん機械化されてきてしまった。情報とかに振り回されないようにした方がいい。一応耳には入れても、自分の判断や自分の感覚を大切にする。そうしないと、人間、オロオロしちゃうんです。「どこで誰が何を捕った」とか、「値段はいくらか」とかろ右往左往して。 機械や情報に頼る。そこで人の力が必要なくなったんですよ。体の力も、心の力も。手漕ぎの頃なんて漁師の体力はそら、ものすごかったですよ。うちの親父たちなんか。それに勘も精神力も我慢強さもすごかった。今の漁師の能力はおそらく昔の人たちの五分の一くらいしかないんじゃないかな。機械がひとつ壊れりゃ漁に出ないんだから。 霊性も神体性も失ってきた。それでも全部失くなったわけじゃない。ゼロになったわけじゃないとは思うんです。だから諦めずに、そこからまた少しずつやっていくしかないんです。(P340) 「神体性」なんて言い方が、少し理解できる年齢にボクもなったようです。ここから少しずつ考えることを続けていきたいと励まされる言葉でした。2026-no042-1257 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.11
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吉本隆明「廃人の歌」(「吉本隆明全詩集」思潮社) 病院のベッドで、まあ、眠れない夜を過ごしながら思いだしたのは吉本隆明の詩でした。で、帰宅して、こんな本があることを思い出して、久しぶりに開きました。 「吉本隆明全詩集」(思潮社)です。箱装で、写真は箱の表紙です。2003年の出版で、その時に購入した詩集です。全部で1811ページ、価格は25000円です。1冊の本としては、ボクの購入した最高値です。なんで、そんな高い本を買ったのか。 まあ、そう問われてもうまく答えることができません。ただ、2003年にまだ存命だった詩人が「現在集められる限りの詩作品を一冊にまとめて全詩集とした。」 と、この詩集のあとがきで述べていますが、彼の書いた詩を一生のうちにすべて読み切りたい。 という、人にいってもわからないないだろうと思い込んでいる願望のようなものが40代の終わりのボクにはあったということですね。「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ」 という詩句と十代の終わりに出逢ったことで始まった、この詩人に対する信頼と憧れがその願望を培ってきたことは紛れもない事実ですね。 病室の天井を眺めながら、この詩人の詩句を思い浮かべている自分に気付いたときに「えっ?」 という驚きを感じたのですが、スマホの画面で、いくつかの詩を読み返していくにしたがって、50年、溜まりに溜まった、なんだかわけのわからない妄想にも似た、忘れていたはずの記憶が、次々と湧いてきて、まだ、やり残していることの一つが見つかったような気がしたのでした。 というわけで、今回は1953年の「転位のための十篇」に収められている「廃人の歌」です。 廃人の歌 吉本隆明ぼくのこころは板のうへで晩餐をとるのがむつかしい 夕ぐれ時の街で ぼくの考へてゐることが何であるかを知るために 全世界は休止せよ ぼくの休暇はもう数刻でおはる ぼくはそれを考えてゐる 明日は不眠のまま労働にでかける ぼくはぼくのこころがゐないあひだに世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ だから夜はほとんど眠らない 眠るものは赦すものたちだ 神はそんな者たちを愛撫する そして愛撫するものはひよつとすると神ばかりではない きみの女も雇主も 破局をこのまないものは 神経にいくらかの慈悲を垂れるにちがひない 幸せはそんなところにころがつている たれがじぶんを無惨と思はないで生きえたか ぼくはいまもごうまんな廃人であるから ぼくの眼はぼくのこころのなかにおちこみ そこで不眠をうつたえる 生活は苦しくなるばかりだが ぼくはまだとく名の背信者である ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでゐる 街は喧噪と無関心によつてぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちようどぼくがはいるにふさはしいビルデイングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お訣れだぼくの足どりはたしかで 銀行のうら路 よごれた運河のほとりを散策する ぼくは秩序の密室をしつてゐるのに 沈黙をまもつてゐるのがゆいいつのとりえである患者だそうだ ようするにぼくをおそれるものは ぼくから去るがいい 生れてきたことが刑罰であるぼくの仲間でぼくの好きな奴は三人はゐる 刑罰は重いが どうやら不可抗の控訴をすすめるための 休暇はかせげる 「転位のための十篇」(1953)(「全詩集」P75~P76) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.06.01
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武田砂鉄「紋切型社会」(朝日出版社) 竹田砂鉄、いつの頃からか朝日新聞の書評欄に登場し始めていたこの名前に、どこか「胡散臭い」ものを感じていたのです(笑)。 一昔前の「自分」なら、そういうタイプはとりあえず読むという感じだったのですが、「もう、いいんじゃないか」という気分の今は、どちらかというと「敬して遠ざける」ヘンテコな若い人の範疇にしまい込まれそうだったのですが、 今年、メディアに問われているのは、オリンピック周辺で巻き起こる熱狂の裏で潰される声を聞き取る力だが、むしろ、熱狂を扇動するメディアが目立つ。東京は、かつてのように過度な憧れを向けられる場所ではないが、東京が盛り上がれば震災復興にも繫がる、との誤認が大手を振る。(松山秀明著「テレビ越しの東京史」朝日新聞書評:竹田砂鉄) こういう書き出しの書評を読むにつけ、「ひょっとして面白いヤツなんじゃないか」と、なじみの図書館で借りだしてきたのが本書、「紋切型社会」(朝日出版社)ですね。 で、読み始めたところだったんですが、全く偶然に「Fukushima 50」という映画を見たらしい糸井重里という人の、こんなツイートを見てしまいました。 戦争映画や、時代劇だと「いのちを捧げて」やらねばならないことがでてくる。いまの時代は「いのち」は無条件に守られるべきものとされるから、「いのちを捧げる覚悟」は描きにくい。映画『Fukushima50』は、事実としてそういう場面があったので、それを描いている。約2時間ぼくは泣きっぱなしだった。(3月6日ツイッター) このツイートは、その後、所謂、炎上しているらしいのですが、ぼく自身は、「へー、糸井重里がねえ、ふーん、なんか変だな」という違和感のようなものを感じました。それは炎上している様々な意見を覗きましたが、それとは少しずれている感じでした。 で、ウソみたいですが、ちょうどその時、本書の「『なるほど。わかりやすいです。』認め合う『ほぼ日』的言葉遣い」という章段に遭遇したという訳です。 竹田砂鉄はまず、糸井重里をこんなふうに定義して議論を始めます。「不思議、大好き」「おいしい生活」「ほしいものが、欲しいわ」を作ったコピーライターはニュアンスのスペシャリストである。ポイントを絞り込むよりもゾーンを開放する言葉の作り手だ。(竹田砂鉄「なるほど、わかりやすいです。」) 次に引用されるのが、糸井の著書「インターネット的」からのこんな記述です。 この頃、対談用原稿なども、しゃべったように書かれるようになってきています。わかりにくい書き手に対して、読者サイドが「あなたの分かりにくさに、付き合っていられません」と思い始めたのだろうと、ぼくは感じています。いわゆる”書き手”とか“読み手”という「階級」が亡くなってきているのに、読み手は書き手より下だと信じている人たちが、難しいことをいかにも難しそうに語っているのでしょう。(糸井重里「インターネット的」) ここからが竹田砂鉄の「からみ」の骨子です。 糸井は、読み手と書き手の中に分け入って、読み手の方を向いて「これまでのって、わかりにくいですよね?」と言い放つ。ふわふわタオルを広げてウェルカム態勢を築く。ズルい。(竹田砂鉄「なるほど、わかりやすいです。」)「ふわふわタオル」という言い回しは、糸井の「ゾーン」の作り方の極意をさしていることばですが、評言として出てきた「ズルさ」がポイントだと思いました。 「ズルさ」の例として、糸井の「ほぼ日」から出ている対談の例をあげて、その「型」についての武田砂鉄はこういいます。 糸井は相手の話を受けた後に自分の言葉をつなげずに「なるほど。」「そのとおりですね。」「ああ、いいですね。じしんをもっていう、というのはすごくいいです。」「なるほど、わかりやすいです。」「そうなんですか。」「なるほど。なるほど。」とひたすら承認を繰り返していく。 確かに、その承認の連鎖によって、すらすら気持ちよく読むことができる。対談の温度感を伝えるために「(笑)」をいれたり、「はははは。」と大盛り上がりする様子を伝えたりするのと、この承認の連発とは位相が異なる。(竹田砂鉄「なるほど、わかりやすいです。」) 互いが理解しあっているムードが充満する開かれた「ゾーン」は確かにある。しかし、例えば「対談」しているお互いの言葉の奥にあるにちがいない、「わからなさ」を巡る躊躇や葛藤、二人の人間のぶつかり合いは、その「場」の「温度感」とは「位相」が違うはずなのに、それはどこに行ったのか。この指摘は鋭い! ぼくはそう思いました。 で、結論はこんな感じです。 人と人の認め合いから肌触りの良さを提供する対話が流行ることで、油でギトギトになった皿の真ん中に注がれる洗剤のように劇的な変化が見込めるプロセスすら、「あなたのわかりにくさには、つきあっていられません」と拒絶されていく。「なるほど。わかりやすいです。」という承認の嵐によって、物事の躍動感が全体的に狭まっているのではないか。 これだけ抽象的な、迂回しまくりの議論をぶつけても、やっぱり「なるほど。わかりやすいですね。」と受け止めて、あるいは「うーん。ちょっとわかりにくいですね。」とかわされて、次の承認に移ろうとするのだろうか。(竹田砂鉄「なるほど、わかりやすいです。」) ちょっと引いてますね。でも、なかなか善戦しています。全くのあてずっぽうですが、「なるほど、わかりやすい」ゾーンの「ことば」による構築は「商品」と「消費者」を結びつける「方法」として作り出されてきたというところに戻る必要がありそうです。この方法を作り出した糸井を、「ことば」に関して、ある種の天才だと思います。ずっとファンなわけですが、「本を読む」とか「映画を見る」という行動は、必ずしも商品の消費活動には収まりきるものではないのではないでしょうか。 読書での理解や納得、映画や美術作品への感動というものは、ありきたりな言いかたですが、お金には代えられない性質を宿しているものではないでしょうか。 ぼくは「本」や「映画」や「音楽」について、いや、他のさまざまなことにおいても、「わからなさ」にどこまでとどまれるかということが、この世界との出会いの基礎だと思っています。しかし、現実の消費社会で「わからない」商品に手を出す消費者はいないのです。 「泣ける」、「心震える」、「怖い」、まあ、その評判で購入して読んだり見たりする、誰でもが同じように「わかってしまう」ベスト・セラーや大ヒット映画が氾濫しています。作り手は「小説」書いたり、「映画」を撮ったりする以前に、売れる「商品」を作ることを目論んでいるかのようです。 という訳で、あのツイートに対する違和感の正体に思い当るのです。あの糸井重里が、どんな「映画」であれ、「泣きっぱなしだった」とツイートするというのは、武田の言葉を借りれば、やっぱり、ちょっと「ズルい」のではないでしょうか。 気付かせてくれたのは竹田砂鉄のこの本でした。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.03.22
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「万事、窮す!」 ベランダだより 2025年8月8日8(金)ベランダあたり 2025年8月8日金曜日のお昼前のことでした。いつものように愛車スーパーカブ号で高倉台目指して、つつじヶ丘あたりを機嫌よく走っていたのですが、集落の奥に向かって登っていく小道、まあ、山道があってふと思いついてしまったんですネ。「この奥には、なにがあるんだろう?」 こういうのを魔がさすっていうんでしょうね。坂道を登り始めたところ、ギヤをローにしても逆進し始めて、慌てました。で、愛車から転がり落ちて写真のような姿になってしまいました。 右肩骨折、左手指日本骨折。ひざ、肘裂傷、その他、あれこれ。 8月の、仕事とか、お出会いとか、すべてキャンセル。トホホ・・・。 愛車の修繕のために引き取りに来てくれたバイク屋の友人Yくん曰く「シマクマセンセー、そのパターンは首の骨をやっちゃうんですよ。いや、不幸中の幸いでしたね(笑)」 よく朝(8月9日)、起きだしてみると、できていたことが、あれこれできない生活が始まりました。早速、キーボードもままなりません。週明けには手術とかも待っているらしくて、かなりメゲテますが、気を取り直しての報告でした。 約束キャンセルしてしまった皆さん、本当に申し訳ありません!。 もう調子に乗った行動は極力慎みますので・・・。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで
2025.08.09
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マイク・フラナガン「サンキュー、チャック」109シネマズ・ハット ボクとしては、実に珍しいことなのですが、この映画の原作者がスティーブン・キングだということに気付いて興味が湧いて見ました。 ホントいうと、スティーブン・キングという人の小説作品は苦手です。知り合いにファンがいて、読み終えると送ってきてくださることもあって、本棚にそろってはいるのですがほとんどん読んだことがありません。でも、「シャイニング」以来、映画化作品は、まあ、その時、その時、評判になったこともありますが、面白がって見ているんですよね。 で、今回はマイク・フラナガンという知らない監督の「サンキュー、チャック」でした。 連休中ということもあって、三宮のキノシネマはほぼ満員、そういうわけで109ハットです。空いてました(笑)。ホント、いい映画館です(笑)。 「The Life of Chuck」というのが原題で、原作もその題なのですが、邦題は「サンキュー、チャック」で、三章仕立ての構成でチャールズ・クランツという人物の39年間の人生を描いた作品でした。 チャックの生い立ちといい、ダンスのエピソードといい、チャックという男の描き方はとてもいい作品だと思いました。 「サンキュー、チャック」の看板が、なぜだか、街に溢れる終末世界が映画のはじまりとして描かれ、そこに至るお話がチャックの人生の時間を遡行して描かれていきます。 路上で大道芸の少女のドラムスに合わせて踊り出す会計士チャールズ・クランツのダンスなんて、何ともいえずいいシーンですし、チャックがダンスを覚える始まりである、台所でお祖母ちゃんと踊る少年チャックといい、ダンスクラブのシーンといい、とてもいいんです。 チャックの話とは別ですが、終末世界を彷徨う教員アンダーソンさんとフェリシアさんのカップルのありさまもとてもいい作品なのです。 でもね、原作が原作なのでしょうね、全三章をまとめる全体の論旨に、ちょっとカッコつけて言いますが「映画的説得力?」を感じないんですよね。 チャックの姿を見ていても、町中の「サンキューチャック」の看板に脅えるアンダーソンさんたちを見ていても、なんか、意味不明でしたね(笑)。 原作を読んだわけではありませんから、まあ、あてずっぽうなのですが、スティーブン・キングの意図はなんとなくわかるんですけど、映画は描き切れていない、まあ、そんな感じでした。 映画そのものは楽しかったので拍手!なのですが、????が正直な感想でした(笑)。 まあ、そういうわけで、不思議な印象で終わっちゃったんですけど、ある意味、とても現代的ともいえる気がしました。実社会の壊れ方に、作家は鋭い終末観を提出しているのですが、映画を作っている人たちに、たぶん、新しい指針がないんですよね。まあ、指針がないのは映画製作者たちだけではないんでしょうけど。 監督・脚本・製作・編集 マイク・フラナガン製作 トレバー・メイシー 原作 スティーブン・キング撮影 エベン・ボルター美術 スティーブ・アーノルド衣装 テリー・アンダーソン音楽 ザ・ニュートン・ブラザーズ音楽監修 ジャスティン・フォン・ウィンターフェルト振付 マンディ・ムーアキャストキウェテル・イジョフォー(マーティー・アンダーソン 教員)カレン・ギラン(フェリシア・ゴードン マーティーの元妻)トム・ヒドルストン(チャールズ・“チャック”・クランツ)ジェイコブ・トレンブレイ(チャールズ・“チャック”・クランツ青年)ベンジャミン・パジャック(チャールズ・“チャック”・クランツ少年)マーク・ハミル(アルビー・クランツ祖父)ミア・サラ(サラ・クランツ 祖母)ザ・ポケットクイーン(テイラー・フランク葬儀屋)ケイト・シーゲル(ミス・リチャーズ)カール・ランブリーコーディ・フラナガン2024年・111分・G・アメリカ原題「The Life of Chuck」2026・05・06・no085・109シネマズ・ハットno82追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.09
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キム・ソンホ「お料理帖」パルシネマパルシネマの二本立て、手帳シリーズでした。もう一本は「最初の晩餐」で、亡くなったお父さんの手帖の料理でしたが、こっちは生きているお母さんが「認知症」で、記憶を失ってしまいつつあるという設定でした。見たのはキム・ソンホ監督の「お料理帖」です。 韓国映画を見始めて、早くも二年たちますが、所謂「ヒューマンドラマ」は初めてのような気がします。 シッカリ者の母と、人はいいのだけれどボンクラ、まあ、どっちかというと「マザコン」で、文学とかやっている息子とその「家族の物語」といっていいのでしょうね。 ところで、予告編を見た時からの興味は、韓国のお総菜屋さんの店先に並ぶ料理についてでした。こういうと、朝鮮、あるいは韓国料理に詳しいと誤解させるかもしれませんが、実は全く知りません。キムチとかナムルとかいう言葉は知っていますが、具体的に白菜やキュウリ以外にどんな種類があって、どんな味なのか、何も知らないのですが、なんか「食べてみたい」という興味はあるわけです。 特に韓国の映画は、小さな食堂や食卓で食事をするシーンがよくあると思うのですが、そういうシーンを見るたびに、料理はもちろんですが、食べるしぐさとかとても興味を惹かれます。 今回の映画はバッチリでしたね。とりあえずマザコン男が友達を夜中に連れてやって来て食べるのがこれです。酔っ払い二人がスープをうまそうに飲んですすり込んでいました。 映画.com 冷麺でしょうかね。出汁のスープでさっぱりいただく感じ。うまそうですね。 下の写真は、お母さんの「エラン」さんが、ボロクソに言う、彼女に苦労だけ残して早死にした夫の好きだったらしい料理。 映画.com キムチの鍋のようなのですが、具はサバなのですね。もちろん、お魚のサバです。かなり、食べてみたいですね。それから、下の写真、これは、日本料理ならおウドンでしょう。横に添えられているキムチがうまそうでしょ。添えられている箸としゃもじが金属製でないのには理由があるのでしょうか。 映画.com 鶏頭の花の砂糖漬けの料理の途中がこれです。 映画.com 砂糖とか、お酒に漬けた「ジュース」がお店の棚にいっぱいに並んでいます。乾燥野菜や植物の根っことかもあるようです。お店の屋上には大きな壺がたくさんあって、コチュジャンや醤油が自家製で作られています。 映画.com 何の飾り気もないお店の中は、お母さんとなかなかいい感じの店員さんが毎日仕込んでいる宝の山という風情です。 たしかに映画では母と家族をつなぐレシピ帖が、「家族の物語」を紡ぎだす大切な役割を担っていますが、本当にすごいのはこの「宝の山」のように思いました。 ボンクラ息子が母の哀しみの秘密を知らなかったところに、筋立てとしては、少し無理があると思いました。 しかし、最終的には、認知症の母の姿に、不愛想だった母の態度の奥にあった「真の愛情」を発見するという「母恋物語」という定型が評価されているようですが、お母さんの財産の処分をめぐって、現代社会全体にとっての「宝の山」であるこのお店の本質を発見しているところに、作品全体の印象に「深さ」のようなもの、飽きさせない面白さが生み出されていると思いました。 上のチラシの、お団子のようにみえるのが子供用のおにぎり、大鍋いっぱいのスープに見えるのが、ボケてしまったエランさんが作り過ぎたおかゆです。 それにしても、画面に登場する韓国の女性たちの、「嫁」とか「姑」とか、軽々と飛び越えた本音が飛び交う闊達な物言いがとても気持のいい映画でした。 監督 キム・ソンホ 製作 イ・ウンギョン 脚本 キム・ミンスク 撮影 ソン・サンジェ 美術 ウン・ヒサン 編集 オム・ユンジュ 音楽 カン・ミングク キャスト イ・ジュシル(母エラン) イ・ジョンヒョク(息子ギュヒョン) キム・ソンウン(息子の妻スジン)2018年・104分・韓国原題「Notebook from My Mother」2020・09・04パルシネマno30ボタン押してね!
2020.09.06
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中国引き揚げ漫画家の会「ボクの満州-漫画家たちの敗戦体験」(亜紀書房) 以前「案内」した千葉一郎の「ちばあきおを憶えていますか」(集英社)という本で、こういう本があるということを知りました。 中国引き揚げ漫画家の会「ボクの満州-漫画家たちの敗戦体験」(亜紀書房)です。1995年の初版ですから、今から30年前に出版された本です。市民図書館の棚にありました。 ちばてつやが描き続けている「ひねもすのたり日記」の中で、86歳のちばてつやさんが繰り返し思い出していらしゃるちば一家の戦争体験なのですが、この中国引き揚げ漫画家の会に集まって本書に登場するラインアップを見て驚きました。お一人お一人が、満州とかでの敗戦体験、帰国体験、帰国後の戦後体験を語っていらっしゃるのですが、その顔触れがこれです。上田トシコ ハルビン 「フイチンさん 」(虫コミックス ; 42) 虫プロ商事 昭和44 (1917年8月14日~2008年3月7日)赤塚不二夫 奉天・現瀋陽 『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』(1935年9月14日~2008年8月2日)古谷三敏 奉天・北戴河 『ダメおやじ』(小学館) (1936年8月11日~2021年12月8日)ちばてつや 奉天 『あしたのジョー』(原作高森朝雄・週刊少年マガジン)、『ハリスの旋風』(週刊少年マガジン)、『あした天気になあれ』(週刊少年マガジン)、『のたり松太郎』(ビッグコミック)、「ひねもすのたり日記」(小学館)(1939年1月11日 86歳)森田拳次 奉天 「丸出だめ夫」(週刊少年マガジン)(1939年5月11日~2024年12月23日)北見けんいち 新京・現長春 「釣りバカ日誌(原作やまさき十三、ビッグコミックオリジナル)(1940年12月11日85歳)山内ジョージ 大連 「猫のための漢字絵本」(愛育社)・「トキワ荘最後の住人の記録・若きマンガ家たちの青春物語」(東京書籍)(1940年11月24日~ 2025年2月27日)横山孝雄 南京・北京 『コミックアイヌの歴史 イ シカリ 神うねる河』全2巻(汐文社(1937年2月15日~ 2019年8月31日)高井研一郎 上海 「総務部総務課山口六平太」(作林律雄、ビッグコミック)(1937年7月18日~2016年11月14日)石子順 新京 『漫画は戦争を忘れない』(新日本出版社)(1935年1月10日90歳) いかがでしょう? こんな感じです。今の若い人には知らない、古い、漫画家ということかもしれませんが、70歳を越えても、「プレイボール2」とかで興奮している1960年代から70年代にマンガ少年、少女マンガファンだったような人なら「おーっ!」の連発でしょうね。 最後にお名前がある、司会進行役である石子順という方はマンガや映画の評論をなさってきた方ですが、ボクらの年ごろの人で、この顔ぶれを一人も知らないということはないでしょうね(笑)。 で、お一人、お一人の「体験記」、「回想記」が、まず、読みどころなのですが、巻末に、石子順さんが司会されてる座談会の中継が載せられていて、これがなかなか読みでがありました。ちょっとだけ紹介しますね。 森田 ぼくも、ちばさんと同じ昭和14年生まれです。あっちにいったのは数え年の三歳で、帰ってきたのが、数えだと七つくらいで、一年生す。 弟が四つ違いでした。終戦の時奉天で中国人が弟を買いにきたんですが、売らなかった。たしか五円くらいだった。残留孤児がいっぱいいたでしょう。下手をすると弟はその一人だったんです。 ぼくの親父は、現地で召集されてやっぱりシベリア送りで、途中から脱走して便所のベン壺なんかに隠れたりして逃げてきた。帰る寸前に合流しましてね、それで家族いっしょに舞鶴に着いたんです。(P219)古谷 一番ドラマチックなのは、玉音放送があったあとです。 そのとき親父が手榴弾を持ってきて、ぼくは、親父から安全ピンの抜き方を教わったんですね。そのときには北戴河にいまして、すぐ前は海でした。そこに塹壕を掘っていました。日本軍がそこに機関銃を据えつけていて、敵が上陸してきたらそれに抵抗するという感じだったらしいです。完全な有事状態になっていました。 そのときが必ず来るから、安全ピンを抜いてポケットに入れて、米兵が上がってきたら、おまえ抱きつけ、と。そしたら一人殺せる、と言うんです。それは小学校の二年生の時に父親から教えられました。 実際に上がってきたんですけども、なんにもなかった。みんな万歳でした。みんな「ハーイ」という感じでした。(P224) と、まあ、こんな感じですね。子どもの目で見て覚えている関東軍(日本軍)やソビエトロシア軍の振る舞い、残留孤児、栄養失調、知り合いの中国人の親切。最近「黒川の女たち」という映画で「女たちの満州」、「帰国した日本での差別」が明らかにされていましたが、この本では「子供たちの満州」が語られています。 戦争をすることを絵に描いた餅のように口にする政治家が登場し始めている昨今です。若い人たちに読んでほしい「子供たちの戦争」の、実に、リアルで真摯な証言集です。今、読み返しても古びていないというよりも、今だからこそ読み返すべき本! ではないでしょうか。 本が出てから30年です。証言者の皆さんで、今でも、ご存命なのはちばてつやさん、北見けんいちさん、石子順さんの三人です。語り続け、描き続けてほしいものです。2025-no135-1208 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2025.12.21
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レイモンド・ブリッグス「風が吹くとき」あすなろ書房「エセルとアーネスト」というアニメーション映画に感動して、知ってはいたのですが読んではいなかったレイモンド・ブリッグスの絵本を順番に読んでいます。今日は「風が吹くとき」です。こういう時に図書館は便利ですね。 彼の絵本は「絵」の雰囲気とか、マンガ的なコマ割りで描かれいる小さなシーンの連続の面白さが独特だと思うのですが、ボクのような老眼鏡の人には少々つらいかもしれませんね。 仕事を定年で退職したジムと妻のヒルダという老夫婦のお話しで、彼らは数十年間真面目に過ごしてきた日々の生活を今日も暮らしています。「ただいま」「おかえりなさい」「町はいかがでした?」「まあまあだな。この年になりゃ、毎日がまあまあだよ。」「退職したあとはそんなもんですよ」 こんな調子で、物語は始まります。妻ヒルダのこの一言のあと、無言で窓から外を眺めながらたたずむ夫ジムの姿が描かれています。 小さなコマの中の小さな絵です。で、ぼくはハマりました。当然ですよね、このシーンは、ぼく自身の毎日の生活そのものだからです。このシーンには「普通」に暮らしてきた男の万感がこもっていると読むのは思い入れしすぎでしょうか。 「核戦争」が勃発した今日も、二人はいつものように暮らし続けています。そして・・・。という設定で評判にになった絵本なのですが、読みどころは「普通の人々」の描き方だとぼくは思いました。 例えば妻の名前ヒルダは、読んでいてもなかなか出てきません。彼女は夫に「ジム」と呼びかけますが、ジムは「あなた」と呼ぶんです、英語ならYOUなんでしょうね、妻のことを。そのあたりのうまさは絶品ですね。 物語の展開と結末はお読みいただくほかはないのですが、最後のページはこうなっています。これだけご覧になってもネタバレにはならないでしょう。 「その夜」、二人はなかよく寝床にもぐりこみます。そして、たどたどしくお祈りします。イギリスのワーキング・クラスの老夫婦のリアリティですね。ユーモアに哀しさが込められた台詞のやり取りです。「お祈りしましょうか」「お祈り?」「ええ」「だれに祈るんだ?」「そりゃあ・・・神様よ」「そうか・・・まあ・・・それが正しいことだと思うんならな…」「べつに害はないでしょう」「よし、じゃあ始めるぞ…」「拝啓 いやちがった」「はじめはどうだっけ?」「ああ…神様」「いにしえにわれらを助けたまいし」「そうそう!つづけて」「全能にして慈悲深い父にして…えーと」「そうよ」「万人に愛されたもう…」「われらは・・・えーっと」「主のみもとに集い」「われは災いをおそれじ、なんじの笞(しもと)、なんじの杖。われをなぐさむえーっとわれを緑の野に伏せさせ給え」「これ以上思い出せないな」「よかったわよ。緑の野にっていうとこ、すてきだったわ」 「エセルとアーネスト」でレイモンド・ブリッグスが描いていたのは、彼の両親の「何でもない人生」だったのですが、ここにも「何でもない」一組の夫婦の人生が描かれていて、今日はいつもにもまして、まじめに神への祈りを唱えています。 明日、朝が来るのかどうか、しかし、この夜も「普通」の生活は続きます。 ここがこの絵本の、「エセルとアーネスト」に共通する「凄さ」だと思います。この「凄さ」を描くのは至難の業ではないでしょうか。自分たちの生活の外から吹いてくる「風」に滅ぼされる「普通の生活」が、かなり悲惨な様子で描かれています。しかし、この絵本には「風」に立ち向かう、穏やかで、揺るがない闘志が漲っているのです。 この絵本はブラック・コメディでも絶望の書でもありません。人間が人間として生きていくための真っ当な「生活」の美しさを希望の書として描いているとぼくは思いました。 今まさに、私たちの「普通」の生活に対して「風」が吹き荒れ始めています。「風」はウィルスの姿をしているようですが、「人間の生活」に吹き付ける「風」を起しているのは「人間」自身なのではないでしょうか。ブリッグスはこの絵本で「核戦争」という「風」を吹かせているのですが、「人間」自身の仕業に対する厳しい目によって描かれています。今のような世相の中であろうがなかろうが、大人たちにこそ、読まれるべき絵本だと思いました。追記2020・04・10 「エセルとアーネスト」の感想はこちらから。追記2022・05・17 2年前にこの絵本を読んだ時には「新型インフルエンザ」の蔓延が、普通の生活をしている人々にふきるける「風」だと案内しました。世間知らずということだったのかもしれませんが、今や、絵本が描いている「核戦争」の「風」が、現実味を帯びて吹き始めているようです。 「戦争をしない」ことを憲法に謳っていることは、戦争を仕掛けられないということではないというのが「核武装」を煽り始めた人々の言い草のようですが、「核兵器」を持つ事で何をしようというのか、ぼくにはよくわかりません。「戦争をしない」ことを武器にした外交関係を探る以外に、「戦争をしない」人の普通の暮らしは成り立たないのではないでしょうか。 追記2024・08・04アニメの「風が吹くとき」を見ました。1986年に作られたアニメの日本語版でした。絵本よりもきついです。感想をブログに載せました。上の題名をクリックしてくださいね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!ボタン押してね!【国内盤DVD】【ネコポス送料無料】エセルとアーネスト ふたりの物語【D2020/5/8発売】
2020.04.11
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ジミー・T・ムラカミ「風が吹くとき」シネリーブル神戸 1986年ですから、古い、イギリスのアニメです。日本では1987年に公開されて、評判になったそうですが、ボクは見ていませんでした。「これって、愉快な仲間たち、子供のころ見たのかな?」「さあ、どうかな?私は見た気がするわ。絵本もあるでしょ。」「うん、それは知ってんねん。あんな、ボクのアホブログで「ジージの絵本」って、案内してんねんけど。これだけダントツにアクセス数いうの、あれが多いねん。でな、寒がりやのサンタさんのこの人のアニメやけどな、ボクは見てへんから見てくるわ。」 で、やってきたのはレイモンド・ブリッグズの原作で、ジミー・T・ムラカミという、日系の人らしい監督のアニメ、「風が吹くとき」です。 映画が始まって、主人公の老夫婦がおしゃべりを始められてのけぞりました。森繁久彌さんと加藤治子さんのご夫婦でした(笑)。 英語版だとばかり思いこんで座っていたのですが、今回のリバイバル上映は日本語吹き替え版でした。ちなみに、日本語版を監督したのは、あの、大島渚監督だそうです。 森繁さんも加藤さんも、ご長命でしたが、もういらっしゃいません。大島渚もジミー・ムラカミもこの世の人ではありません。ムラカミさんは、1933年生まれの、日系アメリカ人2世だそうですが、アイルランドで2014年に亡くなったそうです。まあ、見終えて、そういうことを調べていて、何だかしみじみしてしまいました。 ああ、忘れてはいけませんね。原作者のレイモンド・ブリッグスも2022年に亡くなってます。 で、映画にもどります。ラジオや新聞が伝える世界の様子や、公共のパンフレットが教える世間のルールに、あくまでも従順に、健康保険や年金を気にしながら、老後を暮らすジムとヒルダという、イギリスの田舎の村に暮らす老夫婦が、突如起こった核戦争の風にさらされて、自分たちが、なぜ、こんなふうになるのか、全くわからないまま、風にさらわれていくかのような作品でした。 絵本版と同じ展開の悲劇です。ただ、映画には、絵本には、多分、なかった風に舞うタンポポの夢のようなシーン が二度あったと思いますが、印象的でしたね。監督による、登場人物二人に対するいたわりのシーンのように思えました。 森繁さんと加藤さんの演じる老夫婦のセリフは、名人二人の読み聞かせになるのかなと、まあ、それはそれで楽しみにしていていましたが、抑揚を殺した、やはり、名人芸のセリフ回し! で、世界の片隅で、今ふうの方から見れば、世界についても、科学的知識についても、無知蒙昧の暮らしを、最後まで淡々と暮らしていく人間の姿を演じ切っていらっしゃいました。スゴイものです。拍手! で、ちょっと本音をいえば、ホントは英語版を見たかったんです。たとえば、音楽はピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズで、主題歌はデビッド・ボウイなのですが、森繁さんと加藤さんの声とは、ちょっとチグハグですよね(笑) それから、このジムとヒルダの暮らしぶりを無知による愚かしさとして感じる方もいらっしゃるようですが、果たしてそうなのでしょうか? たとえば、福島の原発事故やコロナの蔓延とワクチン騒ぎの中で無知でなかった人間はいたのでしょうか?中東では爆撃やミサイル攻撃、戦争状態が続いていますが、そこに暮らす、普通の人たちの中に、ミサイルにいかように対処すべきかの、有効な知識を持って暮らしている人がいるのでしょうか? ジムとヒルダの、一見、哀れな生活のリアルは、ボクたち自身の生活のリアルとどこが違うというのでしょう。二人に吹き付けてきた風はいまも吹いているのではないでしょうか?「37年の時を経て、あの時の風はまだ吹いている」 まあ、チラシのコピーの意図は知りませんが、風は吹き続けていて、他人ごとのように、それに気づかない無知蒙昧の世界が広がっている。 のかもしれませんね(笑)。監督 ジミー・T・ムラカミ日本語吹き替え版監督 大島渚製作ジョン・コーツ製作総指揮イアイン・ハーベイ原作・脚本 レイモンド・ブリッグズ音楽 ロジャー・ウォーターズ主題歌 デビッド・ボウイキャスト(英語版)ジョン・ミルズ(ジム)ペギー・アシュクロフト(ヒルダ)日本語吹き替え版森繁久彌(ジム)加藤治子(ヒルダ)田中秀幸(ロン)高井正憲(アナウンサー)1986年・85分・イギリス原題「When the Wind Blows」1987年7月25日(日本初公開)2024・08・02・no098・シネリーブル神戸no259追記2024・08・04ついでなので、ジージの絵本、「風が吹くとき」も、覗いてみてくださいね(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.08.04
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温又柔「台湾生まれ日本語育ち」(白水Uブックス) 日本語で書く台湾人である温又柔さんの「台湾生まれ日本語育ち」(白水Uブックス)という、2016年に第六十四回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したエッセイ集を読みました。 わたしの二ホン語事始め はじめまして。ということで、まずはわたしについて紹介いたします。 姓は、温。名は又柔。合わせて「おん・ゆうじゅう」と言います。 続けて言うと「おんゆうじょう」。 ちょっぴり、おまんじゅう、に似ているのが自慢です。 昔は、自分の名前があまり好きではありませんでした。こんなへんてこな名前なんかではなく、もっと日本人っぽい、ふつうの名前だったらよかったのになあ、と思っていたのです。子どもの頃のわたしにとって、「ふつう」とは、「日本人っぽさ」のことでした。 わたしは、一九八〇年に台北で生まれました。生まれた台湾には、ほんの三年足らずしか住んだことがありません。(P8) 本書の最初に収録されているエッセイの冒頭の自己紹介です。下に目次を貼っておきますが、二十数篇のエッセイが載せられています。すべて「コトバとは何か?」という、考えてみれば堂々巡りする他はない「問い」を問い続けるかの、堂々巡りエッセイ集です(笑)。 見事なもんです。もちろん、貶しているのではありません。ほとんど絶賛しています(笑)。 彼女のモチーフは、本書の一番後ろに収められた「Uブックス版に寄せて」という、まあ、あとがきにこんなふうに記されています。 Uブックス版に寄せて 子どもの頃を含めると、あなたの母語は何ですか?と数えきれないほど訊かれてきた。同じ質問をされるのが苦痛な時期もあったが、いまのわたしは、待ってました、とばかりにほほ笑む。 ―タイワン語とチューゴク語の織り交ざったこの二ホン語のことです。 この答えにたどり着けたのは、約四年の月日をかけて、“失われた母国語”を求めつつ、自分にとって言葉とは何かと徹底的に考えぬいた成果なのだと思っている。 わたしにとって言葉について問うことは、いま、この瞬間もそうなのだが、なぜ自分は日本語でものを考えているのかということについて、そして、自分から少なくとも三代遡った台湾人たちの「国語」を考察することと直結していた。本書は、わたしが言葉とむきあってきた“物的証拠”であると同時に、わたしのこれからの作家活動の“基盤”ともいえる。(P307) 「言葉とは何かと徹底的に考えぬいた」人の「ことば」が、やがて、タイワン語とチューゴク語の織り交ざった二ホン語による「小説」という世界を紡ぎ出していきつつあるのが、たとえば、ボクが先だって読み終えた「恋恋往時」とかなのでしょうね。 失われた母国語という問題意識が引き寄せる、過去100年に渡る台湾、中国、そして日本という、それぞれの国とそれぞれのぶつかり合いの歴史と、その結果、今、そこにある社会とを土台にし、その社会で生きてきた、生きている人間の姿を、ことばを問い詰め続けることで描こうとしている!彼女の小説世界の、まあ、ボクにとっての面白さ背景が語られている名エッセイ集でした。 ボクが、今さらいうまでもないことですが、エッセイスト・クラブ賞、当然!ですね(笑)。おススメですよ。目次Ⅰわたしのニホン語事始めなつかしさよ、こんにちはピンイン様の逆襲眠る中国語ママ語の正体南方訛りⅡペーパーガイジン「投票」したい台湾総統選挙を控えて台湾総統選挙の日わたしの国々Ⅲ母「國」語の憂鬱幻の原稿龍の年祖国語、母語、娘語永住権を取得した日Ⅳイマジナジア―馬祖への旅(1)台湾海峡の彼方へ―馬祖への旅(2)「国語」を抱きしめて―馬祖への旅(3)Ⅴ失われた母国語を求めて終わりの始まりⅥ台湾総統選挙を終えて「ママ語」で育ってよかった!―日本エッセイス・クラブ賞受賞のことば生い繁ることばの森へあとがきUブックス版に寄せて このエッセイ集を読んでしまえば温又柔という作家の小説は、まあ、読まんでもいいんじゃない?そんな印象をお持ちになる方もいらっしゃると思いますが、そうでしょうか?彼女の小説はここから始まるのですが、エッセイの向こうにたどり着きたいという、作家の意志は小説にこそ表れつつあるとボクは思うのですよね(笑)。2026-no028-1243追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.03.26
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ナシム・エル・カブリ「哲学者たちの〈ほんとう〉の仕事」(野村真依子訳・晶文社) 晶文社の2026年1月の新刊で、若い人向けの本のようですが、楽しく読み終えました。ナシム・エル・カブリというフランスの哲学の先生がラジオ番組でおしゃべりなさった内容の書籍化の、邦訳「哲学者たちの〈ほんとう〉の仕事」(野村真依子訳・晶文社)です。 書名がいいですよね。「本当の仕事」ってどういうこと?でしょ。「哲学者?なるほど!それはともかく、お仕事はなにをされいるんですか?」最初ページの「序言」でフランシス・ヴォルクという方がおっしゃっている言葉ですが、そういえばそうですよね。「哲学」は仕事じゃないんです。「愛」と「知恵」だけでは生きていけないんですね(笑)。 じゃあ、なんだ? となるのですが、とりあえずあの有名な方は「こんなお仕事」をなさってたんです一覧がこの本です。 最近、よく名を聞くスピノザから、シモーヌ・ヴェイユまで40人の名前が並んでいます。所謂、ヨーロッパ哲学の主要人物たちで、まあ、年のせいもあってにすぎませんが、デカルトとかパスカルとか、一応、名前だけは知っている方が30人くらい、へえ、そういう人がいるの???という現代哲学の方が10人くらい、そういうわけで、哲学ワールド覗きに恰好の内容です。 たとえばハンナ・アーレントさんで6ページですから、10分か15分、電車の座席読書の老人にはピッタリです。 40人のラインアップで、一番偉い職業は「皇帝」でした。神谷美恵子訳の「自省録」(岩波文庫)が懐かしいマルクス・アウレリウスですね。「皇帝」ってお仕事なんですね。他には、それって、あり?と驚いた仕事が強盗です。 ベルナール・スティグレール(1952~2020)というフランスの方だそうで、1978年、20代だった彼は銀行強盗で刑務所に入って「哲学」に目覚めたそうです。出所後は50冊くらいの本を出した学者さんだったようですが、 スティグレールは獄中でソクラテスの姿勢を分析したのだが、そのソクラテスと同様、彼は社会のしくみとデジタル化の弊害を容赦なく批判しつつも、共同体の規則を守っている。 という獄中生活だったそうです。 記述は軽いですが、本質を突く面白さが全編に溢れています。他にも、自転車レーサーとか、市長さんとか、王女様とか、いろんなお仕事が出てきます。パスカルとか、デカルトとか、有名どころは、もちろん勢ぞろい。 で、最後に出てきたのがシモーヌ・ヴェイユ!。 お仕事は「工場労働者」です。なんだか、しみじみしてしまいました。 今から哲学とかも、ちょっと、お勉強なさろうという学生さんとか、まあ、ボクがそうですけど、昔いろいろ読んだけど、哲学か…とかいう、お暇な方には面白いと思いますよ。短い紹介の中に、ピンとくる一言があって、あやふやな記憶を「ああ、そうか、そうだよな!」というふうに揺さぶってくれましたよ。2026-no037-1252 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.04
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武田一義「ペリリュー 楽園のゲルニカ(10)」(白泉社) 2020年の秋に「ペリリュー」第1巻から第9巻までをまとめて読みました。感心しました。続いて「さよならタマちゃん」を読んで、すっかり武田一義さんのファンになったのですが、2021年、2月のマンガ便で「ペリリュー(10)」(白泉社)が届きました。 第1巻と「さよならタマちゃん」の感想を書いた時に、2巻から1冊ずつ「案内」しようと考えていたのですが、うまく書けないままほったらかしていると、どうも、あと1冊で終ってしまうようなので慌てました。 とりあえず、やってきた「ペリリュー」第10巻は裏表紙の宣伝を紹介しますね。 終戦から1年半 — 。 昭和22年3月、田丸と吉敷は「生きて日本に帰る」という約束を果たすべく、壕からの脱出に成功する。 投降 ― それは生死を共にしてきた仲間の敵になるということ。では生き残った兵士にとって「正しい行動」とは何か。 全体を危険から遠ざけるための規律か。 全員を救うための危うさのある勇気か。 「仲間」の命がかかる決断を迫られる島田。 混乱の中、島に銃声が響く―。 生き残った兵士それぞれに、譲れない正義がある。 数多の喪失に耐え、思いを繋いだ若者の生還の記録。 表紙の人物は、田丸くんではなくて吉敷くんだと思います。軍から脱走し、米軍に投降する企ての最中、上官によって撃たれます。田丸くんは瀕死の吉敷くんを支えて進みますが…。 眼窩を打ち砕かれた吉敷くんは、南の島の雨の中で故郷の父と再会し、米の飯を田丸くんに食べさせる夢を見ながら絶命します。 「生きて帰る」はずだった吉敷くんは、終わったはずの戦場で、文字通り、「戦死」します。ぼくは宗教を信じることができない人間ですが、彼の魂を祀っている立派な神社は、日本という国のどこかにあるのでしょうか。 アメリカ軍に投降し、1年以上も前の敗戦の事実を知った田丸くんが吉敷くんを思い出すシーンです。 このシーンを引用するかどうか、悩みました。作者はこのシーンを描くために、ここまで描き続けてきたと思うからです。こうして引用しながらいうのも変ですが、この「案内」をお読みいただいている方には、できれば、1巻から10巻まで、読んできて、このシーンに出会ってほしいと思います。 ぼくは、ぼくよりも20歳以上も若いマンガ家である武田一義さんが、このマンガをこんなふうに描いていることに驚きます。 マンガに限らず、あらゆる表現が、売れるか売れないかの空っ風に晒されている「現代」 という時代であるにもかかわらず、、この作品は「売る」ために書かれたとは思えない「まじめさ」 を失っていないように感じるからです。 追悼とは、戦死者を英雄として讃えることではない。 追悼とは、彼らの死の無惨さを、私たちの記憶にしっかりと刻み続けること。もがき、あがきながら死んでいった人々の傍らに静かに寄り添うこと。 生き残った人々の負い目にも心を寄せながら。(吉田裕) これは「売る」ためにつけられた腰巻、帯に載せられた推薦文です。誠実な文章だと思いますが、今、こういわなければならないこの国の「戦後」とは、田丸くんが帰ってきてからの80年とは、一体何だったのでしょうね。 昭和の戦争の研究者である吉田裕さんは一橋大学の先生だった方のようですが、「日本軍兵士」(中公新書)という本の著者でもあります。読んでみようと思っています。
2021.03.06
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朴沙羅「家(チベ)の歴史を書く」(筑摩書房) 2018年に出版された本です。書いたのは朴沙羅、1984年生まれの在日コリアン二世の女性です。出版当時、京大の社会学の博士課程を出て、神大の博士課程で講師をされていた若手の学者さんです。内容は、戦後、済州島から大阪に渡ってきた、彼女の家族、在日一世の伯父さん、伯母さんからの聞き取りの記録です。 こう書くと、なんだか堅苦しいオーラル・ヒストリーを予想されるかもしれませんね。お読みいただければお分かりいただけると思いますが、その予想はハズレれると思います。まあ、とりあえず、著者による執筆の動機が語られている「はじめに」と題されたまえがきからちょっと引用してみます。 ぼく自身は、同居人が新刊当時に購入して読み終えて、棚に並んでいた本書がよろけてぶつかって落ちてきたのを片づけようと、偶然手にとって、この文章を読んで、一気読みでした。はじめに 自分の親戚がどうやら「面白い」らしいことは知っていた。 私の父は在日コリアンの二世で、母は日本人だ。父は10人(早逝した人を含めると11人)きょうだいの末っ子、母は一人っ子で、日本にやってきてから生まれたのは父だけだ。つまり、私には在日一世(日本に移住してきた第一世代)の伯父と伯母が九人(配偶者を含めると一八人)いる。伯父や伯母にはそれぞれ一人から四人の子がいる。彼らはほぼ全員が大阪に住んでいる。 彼らはもともと、済州島(チェジュド)の朝天面(チョチョンミョン)新村里(シンチョンリ)という村から来た。 中略 私が大学を卒業する頃まで、父の親戚たちは年に最低三回(正月・祖母の法事・祖父の法事)は集まっていた。いわゆる「祭祀(チェサ)」といわれるものだ。そこでは、伯父や伯母が口角泡を飛ばして、時に他人には理解できないような内容で争う。最終的には殴り合いになることも少なくなかった。 私が小学生のころは、数年に一度、親戚で集まって済州島に住んでいる親戚を訪ね、墓参りと墓の草刈りをした。そのときの写真は、いまも実家にある。同じような顔と体型の人たちが五〇人くらい、山の中にある墓に行って草を刈り、そのあと草を刈ったばかりの地面にゴザを敷いて法事をしてご馳走を食べる。 祖母の墓は山の中腹の、見晴らしのいい少し開けたところにあった。祖母の墓のすぐそばには背の高い松の木が生えていた。祖母はそこが好きだったらしい。私の生まれる五年前に祖母は亡くなったが、そういう話を聞いて、何も知らないのになんとなく寂しいような嬉しいような気持になったものだ。 私が生まれてほどなく、祖父は他界した。通夜の席で伯父たちは、祖父をどこの墓に入れるか、大阪なのか最終等なのか、祖母と同じ墓に入れるのか、いやあの二人はあんなに仲が悪かったのだから同じ墓に入れてはいけない、と言い争い、祖父の霊前で殴り合ったらしい。それを見ていた母の父は、えらいところに娘を嫁にやってしまった、と思ったらしい。 私がまだ三歳かそこらの頃、その親戚たちがどういうわけか、京都・嵐山で花見をした。そして例によって殴り合いになった。彼らは最終的にビール瓶だか一升瓶だかで殴り合い、見かねた周囲の人が警察に通報した。やってきた警察官は、伯母(伯父の妻)たちに「兄弟喧嘩やからほっといて」と言われて、特に何もできずに立ち去ったらしい。ちなみに、私はそのときみんなの弁当から、好物のハンバーグだけを取り出して食べながら「けんかをしたらいけないんだよ!」と言っていたそうだ。 この本では、こういう面白い人たちが、いつどうやって、なぜ大阪にやってきて、そのあとどうやって生きてきたのかを書いていく。いわゆる家族史と呼ばれるものだ。 このあと、この本では二人の伯父さんと二人の伯母さんにインタビューした記録が、朴沙羅という学者の卵と、その「面白い」親戚たちとの会話のように綴られていきます。 それは、戦後やむなく大阪にやってきた在日一世の70年の生活の思い出の聞き取りであると同時に、1984年生まれの在日二世の朴沙羅にとって、なぜ、「自分の親戚がどうやら『面白い』らしい」と感じるのかを考えるプロセスのドキュメンタリーでもありました。 伯父さんや、伯母さんと朴沙羅さんとのひたすら「面白い」会話のシーンを書き写したい衝動にかられますが、やめておきます。 で、著者が、おそらく書き終えて、そのときの気持ちを綴っているところ、まあ、あとがきみたいものですが、そこから引用してみます。 私は「家(チベ)の歴史」を書こうと思った。彼らの存在を歴史として残したいと思った。それは、遠くない将来に彼らが皆死に、彼らが私に見せてくれた世界が、生きている世界としてはもはやアクセスできなくなるからだった。 彼らが語ってきたことは、日本人にとっての「空白」かもしれない。けれども、私にとってはそれこそが過去であって、他の人から見たら空白であるなどとはそうぞうもつかなかったようなものだからだ。おそらく私が知らないたくさんの空白が、歴史の中にあるのだろう。 敗戦から今日までの時期に限定しても、例えば、引揚者や障碍者、被差別部落出身者が生きてきた戦後の世界やいまの世界は、私にとって空白である。でも、その世界に生きている人々にとっては、自分たちの世界ともう一つの(マジョリティの)世界の二つある。中略 彼らの生きている世界は日本人の築いてきた戦後社会の規範や知識を共有している(そうでなければ、彼らの世界を理解することも記述することも不可能だろう)と同時に、彼らの世界にしかない知識や規範がある(から。読み手が面白いと思える)。 誰のために、何のために、私は「家(チベ)の歴史」を書こうと思ったのだろうか。最初はもちろん、私のためだった。私はなぜここにいて、こんな思いをしなければならないのか知りたかった。けれども、もしかしたら「空白」を埋める一助になるのではないか、とも思っている。中略 しかし、歴史を書くことも、空白を埋めることも、空白を指し示すことも、伯父さんや伯母さんたちのためではない。 だって彼らはきっと、私がもしこの本を「書きました」と言って持って行ったら「読まれへん」「わけわからへん」「こんなもん、おれが読むと思とんか」などと言いながら、本の角で頭をしばきにくるか、あるいは「ほんでこれ売れたらなんぼになるんや」とお金の話を始めるだろうから。 この本は伯父さんたち、伯母さんたちがいなければ書けなかった。あなた方が私をここまで連れてきてくれました。あなた方がいて、話してくれたから、私は今のように生きていくことができるようになりました。どう伝えればいいかわからないけれども、ありがとうございます。(P298) 本文中で、著者のことを「学者の卵」と書きましたが、彼女はれっきとした社会学の学者です。この国の戦後社会の「空白」を、ここまで、その社会を生きた人間にそって描いた学術書を、まあ、素人の歴史好きの浅学のせいもあるでしょうが、ぼくは知りません。彼女は自分のこの著書が「伯父さん」や「伯母さん」を喜ばせることはないだろうと、やや自嘲的に記していますが、偶然手にとった徘徊老人の心をわしづかみにしたことは事実です。久しぶりに見つけた新しい書き手のことを誰かに言いたくてしようがないくらいです。皆さん、まあ、読んでみてください。
2022.08.03
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イド・フルーク「1975年のケルン・コンサート」シネリーブル神戸 チラシのキース・ジャレットという名前というか、1975・ケルン・コンサートというかを見て「まあ、とりあえず、これは見なきゃ。」 で、懐かしさのせいでしょうか、ドキドキしながら見ました。 楽しかったですね。見たのはイド・フルークという監督の「1975年のケルン・コンサート」です。 最近、「ブルー・ジャイアント」というジャズ・マンガにハマっていますが、あれと同じジャズネタですね。まあ、こちらは実話らしくて、なんといっても、あの、ケルン・コンサートの内幕!ですからね。「へえ・・・そうだったの!」なわけで、なんで、そんなにドキドキしたり、感心するかというと、1975年のキース・ジャレットって、別に、コンサートに行ったことがあるわけでもありませんが、50年も経ってしまった今でも、なぜか、リアルタイム体験記憶なんですよね。 映画の中で、主人公で高校生のヴェラちゃんがジャレットの演奏を聴いて、かぶれてしまうシーンがありますが、あれって、実体験な感じなのですよね。もちろん、レコードなんですけど、ああ、断っておきますがCDとか、DVDとかじゃありませんよ。もちろん、何とかチューブなんかでもありません、LPレコードね(笑)。 6畳の下宿でヘッドホンかぶってレコードを聴いていたわけですが、今でも、何となくその時の音と、その音にボーっとしていた自分が思い出せそうなんですよね。 その当時、そういうタイプの大学生ってたくさんいたんです。「これいいよ!」とか、「これ持ってる?」とか、ボソボソ言い合って、で、そういうやつに誘われて、ジャズなんて聞いたこともなかった田舎者が暗いジャズ喫茶にたむろしたりしていたわけです。 この映画、封切られたのは先週ですが、えらく人気だったようです。1週間後の映画館でも、結構な入りでしたが、年寄りばっかりですね。で、あのころ20代だった方たちが、後期高齢者の一歩手間あたりなんですけど、なぜ、この映画にいらっしゃっているか、ホント、よくわかる気がするんですけど、多分、半分以上の人はガッカリなさったでしょうね(笑)。だって、若いオネーチャンのファイト映画!ですもん。キース・ジャレットの音なんて10分も聴こえてきませんから。 でも、ボクは面白かったですね。もちろん50年前の思い出に浸れたという理由もありますけど、主人公のヴェラちゃんのわけわからない突進ぶりが、キース・ジャレットの音楽にかぶれてしまっていたパワーで描かれていたからですね。そこだけは、掛け値なしにリアル!でしたよ。拍手! 見終えて帰って来て調べると、キース・ジャレットさん御存命なのですね。マイルス・デイビスが長生きしたとか思っていましたけど、60歳くらいでしたし。コルトレーンなんて、初めて聴いて感動したときににはもういませんでしたからね。キース・ジャレットは1945年生まれで81歳ですね。お元気なことを祈ります。 映画は、登場人物にジャズのレポーターというか、ジャーナリストを配することで、解説つき的な展開でしたし、ジャレット役のジョン・マガロという人が、結構似ていて笑えました。そういうわけで、イド・フルーク監督にも拍手!でした。監督・脚本 イド・フルーク撮影 イェンス・ハラント美術 ユッタ・フライヤー衣装 オラ・シタスコ編集 アニャ・ジーメンスキャストヴェラ・ブランデス(マーラ・エムデ)キース・ジャレット(ジョン・マガロ)マイケル・ワッツ(マイケル・チャーナス)マンフレート・アイヒャー(アレクサンダー・シェアー)ヴェラの父親(ウルリッヒ・トゥクール)ヴェラの母親(ヨルディス・トリーベル)エノ・トレブスヨルディス・トリーベルダニエル・ベッツスザンネ・ウォルフ2025年・116分・PG12・ドイツ・ポーランド・ベルギー合作原題「Köln 75」2026・04・17・no069・シネリーブル神戸no373追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.21
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萱野孝幸「津田寛治に撮休はない」元町映画館 いよいよ連休に突入して、映画館も盛況です。でも、盛況な映画館が苦手な徘徊老人は困るんですよね(笑)。 で、人がいなさそうな映画を探してやってきたのが元町映画館、見たのが萱野孝幸という監督の「津田寛治に撮休はない」です。 津田寛治という俳優さんがお好きな方には面白い作品だと思います。でも、主演の俳優さんの顏と名前が一致しないボクのような半ボケにはどう面白がったらいいのか、どこが面白いのかわからない作品でした。 ボクは、ここ10年、ようやく映画館には復帰しましたが邦画をほとんど見ません。それから、テレビドラマというもの、朝ドラに始まって、大河ドラマとか、民放の連続テレビドラマというものを見ません。まあ、そういう理由もあってでしょうね、「ツダカン」とかいう呼び名を聞いても、「津田寛治」という名前を見ても、大体、この作品のチラシの写真を見てもですね、「誰、これ?どういう人?」だったんですけど、映画を見終えても、まあ、失礼も甚だしいいい方で申し訳ないのですが、やっぱり、「この俳優さん、どんな映画に出てはるの?」でした(__)。 映画は、実在の津田寛治という、多分、人気俳優さんをネタにして、どうしたら面白く描けるかに苦心した作品でしたし、津田寛治という俳優さんのマルチな演技ぶりも悪くはないのですが、「イヤ、ハヤ、ご苦労様でした!」 まあ、そういう感じでした。 映画そのものが、身内ウケというか、小手先という印象で、もの知らずなボンヤリ老人をギョッとさせる感じというか、ハミダシ感というかがないんですね。せっかく、名バイプレイヤーを主役にして「役者」を描いているんですからね・・・。 まあ、勝手なことを言っていますが、自分がぼんやりとしか映画を見ていないんだなあ・・・ということをつくづく思い知りました。そういう意味で、この作品は拍手!だったんです。 たとえば、この映画の津田寛治さんって、先日見た「ひとはなぜラブレターを書くのか」にも出ていらっしゃったらしいのですが、あの映画で、主人公の青年の可哀想な葬儀に押しかけて来た営団地下鉄の課長の顏なんてちゃんと見ていないんですよね。 まあ、そうはいっても、主役とかする人にまず気づけないんですから、そっちが先ですけどね(笑)。 監督・脚本・企画・編集 萱野孝幸プロデューサー・企画 中村祐美子撮影 宗大介キャスト津田寛治平澤由理一ノ瀬竜こばやし元樹篠田諒中村祐美子井口昇駒井蓮岩崎ひろみ渡辺哲板橋駿谷松林慎司佐藤五郎木村知貴荒木民雄小野塚老2025年・114分・G・日本2026・05・01・no081・元町映画館no362追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.04
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いとうせいこう・奥泉光「漱石漫談」(河出書房新社)掘り出し物でした。だいたい書名がふざけてるんじゃありませんか。最近、こういうお気楽な題名で、軽く紹介、皆さんご購入!という本が多いですね。付き合いきれないので知らん顔してきましたが、「いとうせいこう」の名前に惹かれて、市民図書館の棚から引っ張り出しました。ちなみに「奥泉光」という名前には、「めんどくさいヤツ」という偏見のベールがかかっていて、むしろ手は引っ込む傾向にあるのですが、今回は「いとうせいこう」の勝ち。 その場で、ページをめくってみると最初の話題が「こころ」。この章の表紙がこんな感じです。「遺書が長いヤツってダサイよね‼」 はまりました! 本書の構成は、いとうせいこうと奥泉光という二人の作家が、東京あたりでやっているらしい、文芸漫談のライヴショーの書籍化らしくて、すでに「小説の聖典(バイブル)」とか「世界文学は面白い」などの姉妹編があるようです。なんか、「小説の聖典」は読んだ記憶がかすかにありますが、怪しいですね。さて、とりあえず、「漫談こころ」から紹介しましょう。奥泉:結局、先生は最悪の仕方で死んじゃう。なぜ死んだかも教えず、奥さんを遺して勝手に死ぬ。いとう:奥さん、かわいそう。ほんと先生の「エゴ」!奥泉:なぜそこまでエゴイスティックな場所まで彼は赴かざるを得なかったのか。これと比べると、「暗夜行路」の時任謙作の孤独なんて、ごく軽いものですよ。いとう:志賀直哉ね。飲んだり食ったり、芸者と遊んだりして、たまにじーと考えるだけですから(笑)胃から血が出るほど悩んでいる感じはしない。奥泉:ですね。 こんな感じで、ここは、もちろん、笑うところ。「いとうせいこう」のツッコミ加減が、ちょうどいい加減なんです。知識のフォローもしている。 さて「漫談こころ」の山場はここらあたりですね。奥泉:(先生は)自分が田舎に帰省すれば、Kとお嬢さんが二人っきりになってしまう。それは耐えられない。そこで、Kをry行に連れ出すことにします。房州の方へ。いとう:また海!冒頭の先生と「私」が出会うシーンの繰り返しといってもいい。奥泉:Kが海を見たがって、こうなるんですね。ここでまた変なところがあるので、ちょっと読みますね。《私は自分のそばにこうしてじっと座っているものが、Kでなくって、御嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事が能くありました。それだけならまだ可いのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いて岩の上に座っているのではないかしらと忽然疑い出すのです》いとう:まずいまずい。来てるよ、青春ノイローゼが。相手の心の中を忖度しすぎちゃう。奥泉:《ある時私は突然彼の襟首を後ろからぐいと攫みました。こうして海の中にへ突き落したらどうするといって、Kに聞きました》いとう:先生、嫉妬とか殺意とか。次々と衝動が激しすぎます。しかも、Kも《丁度好い、遣ってくれ》と応答してる。この二人、なんなの(笑)?ちょっと働いてみるとかしてょしいよ。奥泉:とにかく先生はKの心を知りたい。だけどKは鈍い人なんですよ。―略―二十九章のあたまにこうありますよ。《私は思い切って自分のことをKに打ち明けようとしました》この一行だけ読むと、もうわけがわからないよ。いとう:いよいよKに、お前が好きだと告白するみたい。(笑) おわかりですね。ここで話題になっているシーンは、教科書なんかに取られている場面の前にあります。だから、高校の教科書でしか「こころ」を読んだことがない方はご存じないのですが、あの夏、先生とKが房州(千葉県ですね)の海へ出かけた時のやり取りなのです。 先生とKの関係が、下宿暮らしだけの描写で読み取れる「友情」とは少し違うと思いませんか。いとうさんと奥泉さんは「ボーイズ・ラブ」の可能性にも触れながらこんなふうにまとめます。いとう:奥泉さんの指摘してくれたところを読むと、ようやくこの小説が「こころ」というタイトルである意味が分かります。行き場のない心のことを言っているんですね。奥泉:心の空回り。 心の中でコミュニケーションの絶対的不可能性の中に浸りながら、一方の心で、身近な他者を支配したい欲望とでもいうのでしょうか、そういう「不可解なもの」が描かれているのですね。 ご存知のように、この後「先生」はKを出し抜いてお嬢さんを手に入れます。ほかの批評家も書いている説ですが、そこには「Kをとられないために、自分がお嬢さんを手に入れる」という、両方ほしいという願望があったのではないかということが、奥泉光から指摘されると、いとうせいこうがこう続けます。いとう:Kとお嬢さんとの三角関係の構造は簡単ではないです。先生には、両方の項を押さえておきたいという欲望がある。奥泉:そうした潜在的な無意識の策謀は、確かにありますよね。いとう:書生である「私」との関係もそう。「私」は先生の死後、妻と結婚するという読みも、しばしば批評家の間で語られますが、先生は奥さんと「私」の両方をしはいしているといえる。奥泉:なるほど。つまり「不可思議な恐ろしい力」を「倒錯した生のエネルギー」と呼んでもいいし、そこに限定せず、彼のどうしようもなく「不可解な欲動」のはたらきと呼んでもいい。 この後、先生の自殺をめぐって語り合われる内容捨てておけませね。「明治精神」というありがちな解釈に対して、「近代社会」がもたらした孤独を指摘するあたりも、なかなかスルドイ。 ライブショーで笑いを取って遊んでいるというような内容ではありませんね。興味はあるけど、まだ読んでいないなあという人から、漱石は一応読んでいますという、まあ、高等学校の先生のような人まで、飽きさせないし、話もうまい。前編問答ですか読みやすい。偶然の出会いですが、掘り出し物でした。おすすめですね。(S)にほんブログ村にほんブログ村ボタン押してね!
2019.09.19
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村上春樹「風の歌を聴け」(講談社) シネリーブルで映画を見ていると「ドリーミング村上春樹」というドキュメンタリー映画の予告編が始まって、「完璧な文章などというものは存在しない」というテロップが流れて、ハッとしました。 村上春樹といえば、今や、ノーベル文学賞の有力候補であり、初期から中期の作品は「全作品1979~1989(全8巻)」・「全作品1990~2000(全7巻)」としてまとめられています。その後も「海辺のカフカ」から「騎士団長殺し」まで、長編だけでも、5作という作品の山があるわけですが、この作家のデビュー作「風の歌を聴け」の最初のページを記憶しておられる方はいらっしゃるでしょうか。 「完璧な文章などというものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」 ぼくが大学生の頃偶然知り合ったある作家はぼくに向かってそういった。ぼくがその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとして取ることも可能であった。完璧な文章なんて存在しない、と。 しかし、それでも何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。ぼくに書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。たとえば像について何かがかけたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。 これが、村上春樹が世に出した最初の小説の、最初の文章なのですが、映画はこのセリフを使っていたわけで、まあ、当然といえば当然という気がします。しかし、20代で彼の小説に出会い、以来40年近く、その作品の読者であった人間には、また別の感慨がありますね。 彼の比喩を真似るなら、彼は「象の話をしているのか、象の檻の話をしているのか」いつもそれがわからない。新しい彼の作品を「読むという段になると、いつも絶望的な気分に襲われ」ながら、それでも繰り返し読んできたのは何故だろう。それが、ここから始まったんだなあ、まあ、そんな感慨です。 ぼくは40年前に「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」を続けて読みました。それが始まりです。そして数年後に、出たばかりにの「羊をめぐる冒険」を読んだ時の絶望感を、今でも、はっきりと覚えています。「ぼくは、この人の小説が、何ひとつワカッテイナイノニ、ワカッタフリヲシテイル。」 こんな感じでしたね。でも、ぼくは自分の中によどんでいる絶望を押し隠して、新しく出る彼の作品をくまなく読み続けました。その間に、彼の作品はファッショナブルなアイテムのように、文字通り世界中の読者に受け入れられていきましたが、一緒にはしゃぐ気持ちにはなれませんでした。「みんなは、ナニガワカッテ、読んでいるのだろう。」 そんな感じでした。 映画館から帰ってきて、久しぶりに「風の歌を聴け」を書棚の奥から引っ張り出しました。ここから少し「案内」しますね。 この小説は1978年、29歳になった「僕」が、21歳の夏の出来事を書き記した作品です。書き手の「僕」が文章のお手本にしているのはデレク・ハートフィールドという、1938年にエンパイアステートビルの屋上から傘をさして飛び降りて死んだアメリカの作家だということがまず語られますが、村上作品が初めての方にはこの作家をお探しになることを、まず、お勧めします。きっと面白いことを見つけられると思いますよ。 さて、「僕」の物語です。小説の第2章にこう書かれています。この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ月の8月26日に終わる。 東京の大学の4年生であった「僕」が、海の見える故郷の町に帰郷し、「ジェイズ・バー」という酒場で「鼠」と名乗る青年と、やたらビールを飲み、「小指のない女の子」と出会う。ビーチ・ボーイズをはじめ、おしゃれなアメリカンポップスがラジオやジューク・ボックスから聞こえてくる。「村上春樹ワールド」の始まりです。 この小説には、村上ファンには、誰でもとはいいませんが、かなり知られた謎があります。少し注意して読んでいくと、書き手の「僕」が書いている内容は「19日間の出来事」として収まっていないという事実に気付くはずです。もう一週間余分にかかってしまうのです。 亡くなった、批評家の加藤典洋が「村上春樹イエローページ」(幻冬舎文庫)で、丁寧に分析していらっしゃるので、そちらをお読みいただきたいのですが、「こっちの世界とあっちの世界」、「同時進行する、二つの時間」という、もう一つの「村上ワールド」が、この作品ですでに描かれていたのではないか、というわけです。 この話に関連していえば、今回、久しぶりにこの本を手にして面白かったことがありました。このブログ記事の最初に貼った写真をご覧ください。 「風の歌を聴け」(講談社)の単行本は、「倉庫が並ぶ波止場で座っている青年」を描いた佐々木マキのイラストカヴァーが付いた本なのですが、それを剥ぐった本体の写真です。 真ん中に「HAPPY BIRTHDAY AND WHITECHRISTMAS●」というロゴが入っていますね。 小説の39章にこんな文章があります。これで僕の話は終わるのだが、もちろん後日談はある。 僕は29歳になり、鼠は30歳になった。 鼠はまだ小説を書き続けている。彼はその幾つかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる。昨年のは精神病院の食堂に勤めるコックの話で、一昨年のは「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしたコミックバンドの話だった。相変わらず彼の小説にはセックス・シーンはなく、登場人物はだれ一人死なない。原稿用紙の一枚目にはいつも「ハッピー・バースデイ、そしてホワイトクリスマス。」と書かれている。ぼくの誕生日が12月24日だからだ。 もう、お気づきでしょうか?この小説は「僕」の小説ではなくて、「鼠」が今年送ってきた小説なのです。 加藤典洋の指摘とも関係しますね。作中の「僕」は、作中の「鼠」が書いた小説中の一人称であるということを、カバーに隠された「本の装丁が語っていた」わけです。久しぶりにちょっと興奮しました。 「ハートフィールド」といい、「装丁」といい、たくらみにたくらみを重ねた作品というわけですが、「ワカッタ!」というわけにはいかないところが困ったものです。どうでしょう、懐かしい作品だと思いますが、もう一度なぞ解きを楽しんで見るのも悪くないのではないでしょうか。 村上自身は初期の作品群をあまり評価していないと聞いたことがあるような気がしますが、やはり、ここが始まりだとぼくは思いますね。ちなみに、村上春樹の誕生日は1949年1月19日らしいですよ。(2019・10・06)追記2022・10・26 本読みの集いというか、参加している読書の会で村上春樹の話が出て、「そういえば」と、以前、このブログに書いたことを思い出して、久しぶりに読み直して、修繕しました。 村上春樹という作家には、ここでも書いていますが20代で出会って以来、40年以上付き合ってきたわけです。加藤典洋の「イエローページ」や内田樹の「ご用心」に限らず、多くの人が彼についてあれこれ書いていて、そういうのも追いかけてきたわけですが、やっぱりよくわかりませんね。最近「一人称単数」(文藝春秋社)という短編集を読読みましたが、ナルホドと納得しながら、やっぱり「わからなさが」引っ掛かりましたね。 ただ、彼も、いよいよ、「老い」に直面しているんじゃあないかというのが、新しい印象でした。彼も70歳を越えたはずですし、読んできたこちらも60代をそろそろ終えるわけです。以来、40数年、時が経つのは止められませんね。いやはや・・・トホホ。にほんブログ村にほんブログ村【中古】 村上春樹イエローページ 1 / 加藤 典洋 / 幻冬舎 [文庫]大学での授業がベースですね。【中古】 風の歌を聴け 講談社文庫/村上春樹(その他) この表紙です。村上春樹全作品(1) 1979〜1989 風の歌を聴け/1973年のピンボール [ 村上春樹 ]
2019.10.07
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夏目房之介「孫が読む漱石」(実業之日本社) 今年も、漱石本をあさっています。昔読んだことがあるような気もするのですが、夏目房之介「孫が読む漱石」(今は新潮文庫)を市民図書館の棚で見つけたので、借りてきて読みました。 夏目房之介という人の本業はマンガ家、あるいは、マンガ批評家で、イラスト風のギャグマンガが、ぼくの知っている仕事なのですが・・・。 一時よく読んだという記憶はあるのですが、具体的には忘れてしまったなあと思っていると、この本の挿絵で使われていて懐かしく思い出しました。 そう、そう、こんな感じですね。 房之介さんは漱石の長男純一の息子さんです。1950年生まれですから、1916年に亡くなっている祖父のことを直接知っているわけではありません。祖母の鏡子については1963年まで存命だったわけですから、事情は違うでしょう。 この本は、文豪漱石の孫が、その作品を読むというわけですから、どちらかというと覗き趣味的な興味で「売れる本」を狙ったんじゃないかと思って手にしましたが、読んでみると少々趣が違いました。 「プロローグ」の章ではかなり詳しく夏目家の内情と、房之介さんの父、漱石の長男純一の人柄が、息子の目から語られます。その上で、彼はこう書いています。 僕が書くものは、遺族としての距離から語る作品という興味を持って詠まれるだろう。それは、それでいい。でも、そこから先に本当はいまの時代、社会を生きる、孫であると同時に戦後大衆でもある僕が、その距離感から率直に語る漱石作品という意味があるような気がしている。 個人の「読み」の変化は時代にもよるし、その時の気分にもよる。またどこからが時代的な変化によるもので、どこからが個人的な変化によるものを区別することはむずかしい。 これが批評なら、あんまり変化していては機能しない。精度のおそろしく悪いカメラで動きながら被写体を映すような仕儀になる。けれど文芸批評でもなく、それどころか文学青年ですらなかった僕のレンズが、そんなに優秀であろうはずはない。 精度の悪いカメラの像でも、僕の「読み」の文脈の距離感を計って読んでもらえば、最後にはなにがしか僕にしかできない像を結ぶことができるかもしれない。 筆者がいう「僕の読みの文脈の距離感」が端的に表現されているのが上のイラストですね。笑えますね。笑えますが、この距離の「近さと遠さ」、「出会いに対する焦り」は、まさに「孫」が超絶的にエライ「祖父」に出会ったときにしか体験できないものじゃないでしょうか。これがまず、本書の読みどころの一つだと思います。 さて、ここから房之介さん、いよいよ、えらいオジーちゃんに挑戦です。なんと彼は「坊ちゃん」、「猫」に始まって、小説作品はもちろん、書簡から、おばーちゃんが書いた「漱石の思い出」まで、ついでに言うなら関川夏央・谷口ジローの「坊ちゃんの時代」はもちろん、周辺の批評作品に至るまで、ほぼ、全編読み尽くしているのです。ビビりながら『偉い』オジーちゃんに出会う孫の覚悟と心意気を感じましたね。 文章は、あくまで素人らしい朴訥さをにじませたもので、時折挿入される、一こまマンガのイラストが、まあ、こちらは「プロだねヤッパリ」と思わせるようなつくりの本ですが、はたして、ホントにそうでしょうか? 「修善寺の大患」の後の漱石の様子について、こんなふうに書かれているところがあります。この文章のすこし前に「多分、このエアポケットのような緊張の解除と、与え限り受け身になった自分からみた優位の人々への自然な感情が、漱石にとって大患の意味であった。」と記したうえで、漱石の病後の心理的転回をこう書いています。 大患はそれなりに漱石の観点を転回させただろうと思わせる。これは、晩年の「硝子戸の中」の境地に通じてゆくのだろう。 そんなことを考えた挙句、漱石は自分の考えに「心細く」なり、また、「詰まらなく」なって、同じ年に亡くなった大塚楠緒子への手向けの句を記す。 あるほどの 菊抛げ入れよ 棺の中 まっすぐな思いを感じる、いい句だと思う。 この病床にあって、漱石は俳句、漢詩を多く作り、「思い出すことなど」に収録している。今回初めてこの随筆を読み、僕の好きだった句なども、けっこうこの時期に残していることを知った。 また孫としては、このとき漱石が、解放してくれたものの最初に「妻」と書いていることは、やはり意味のあることだった。 大塚楠緒子の死に際して読まれたこの句は、漱石俳句のなかでも一、二を争う有名な句ですが、病後の心理的転回を視野に入れながら「まっすぐな思い」を感じ取る批評眼は、俊逸だと思います。 通常は漱石の隠された恋の話題で盛り上がるだけで、この句に現れている「死と向かい合った漱石」を見落としがちなのです。つづけて、祖母鏡子に対する祖父の眼差しに言及するバランス感覚はただ者ではありませんね。 そろそろ終わろうと思いますが、折角ですから、「こころ」に関して房之介さんが何を言っているのか触れてみようと思います。 あれこれ引くよりも、このイラストがすべてを語っているようですね。結局、ほかの登場人物はほったらかしにして、「自分の自殺の経緯」を誰かに語りたくいて仕方のない「先生」を書いてしまう、おじいちゃんにあきれ返っているお孫さんなのですが、何となくわかってあげたりするところが、読み手を和ませるわけですね。 もちろん、本書はマンガではありません。ま、しかし、まじめな批評は本文をお読みいただくということで、このあたりで終りたいと思います。2019・10・10(記事中の図像は本書の記事の写真です)追記2022・10・16 毎年、「こころ」の授業の練習をする学生さんに紹介したい漱石本を探して「案内」しようと思う季節が、今年もやってきて、古い投稿を虫干ししています。今年は、新しい本も探し出して「案内」しようと思っていますが、とりあえずこの辺りから、ですね。にほんブログ村にほんブログ村【中古】 古典教養そこつ講座 / 夏目 房之介 / 文藝春秋 [文庫]【中古】 漱石の思い出 文春文庫/夏目鏡子(その他),松岡譲(その他)
2019.10.11
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100days100bookcovers no43 (43日目) 千野栄一『ビールと古本のプラハ』(白水Uブックス) 前回YAMAMOTOさんの選ばれた1冊は『下町酒場巡り』でした。目次を見ていたら、東京下町の味のある居酒屋が多数紹介されています。そのなかには行ったことのあるお店も一軒。そうなると全部行ってみたくなるのですが、こういう本は、写真を見たり、文章を読んだり、ときどき本を開いて、その街に行った気分になるだけでも楽しいものです。行けないところへ旅ができる、というのも、私にとっては読書の楽しみのひとつです。 さて、次はどうしようかな、お酒のことが書いてあって、東京からは離れたい、できれば日本からも、ということで思いついたのがこの本です。『ビールと古本のプラハ』千野栄一(白水ブックス) 聞き慣れない名前のこの著者は、さまざまな大学でチェコ語を主としたスラブ語を研究し、教えた人です。平たく言えば、大学の先生です。 私の手元にはもう一冊、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』(集英社文庫)の翻訳者として、千野栄一の本がありました。買ったときにはそのことを知らず、『ビールと古本のプラハ』に書かれていて初めて気づいたのですが。 1989年にベルリンの壁が崩れたあと、1990年に東欧を旅行して以来、主にハンガリーとチェコに対する興味が細く長く続いているのですが、この本はその興味の一端として買った本でした。むずかしい政治の本などはなかなか読み続けられないのですが、人々の生活の方面から国を紹介する本なら楽しく読めるのです。 とはいえ、ただのプラハの街案内ではありません。ばらばらに書かれたエッセイを集めた一冊ですが、そのほとんどは1990年から1997年頃に書かれていて、それはつまり、共産党政権が倒れてチェコが民主化された1989年の革命、「ビロード革命」の直後に当たっています。 民主化によって街が激変してゆくようすが、異邦人である著者の目を通して、まさに体感として描かれているのです。1958年にプラハに留学し、以後何度もチェコを訪れている著者だから、激変への驚きや感慨がリアルなのでしょう。 「激動プラハの出版事情を見る」の一章は、革命から2ヶ月後のプラハのようすがよく分かります。長い行列を「何だろう」と見に行ってみると、『ビロード革命の記録』というパンフレットを求める人の行列だった、というエピソードなどは、プラハ市民がこの事態にどれだけ絶大な関心を持って暮らしていたかがよく分かります。「かつて官製の新聞には見向きもしなかった人たちが、一斉に新聞を読み始めていた。行列といえば肉という時代もあったのに」 と添えられた一文も、街の空気をよく伝えています。 そして、民主化と同時に、革命前にあった老舗のカフェが次々と無くなり、古本の価格が高騰し、やがて、土地の値段と共に家賃も上がって古書店自体が閉店したり、移転したりしてプラハの中心から消えてゆきます。なんとか残れたとしても、版画や写真や地図を扱う観光客相手の店に変貌してゆくのです。資本主義経済がやってきたからです。 共産党時代にチェコスロバキア国籍を剥奪され、フランスで市民権を得たミラン・クンデラを書いた「愁いに沈む人間クンデラ」も興味深い一章です。 クンデラの著書はチェコで発禁になったのですが、自国で発禁にあった著書をチェコ語で出版する出版社がカナダにあり、クンデラはそこからチェコ語の書物を出版していたというのです。なんと、出版社自体がチェコからカナダへ亡命したのでした。千野が翻訳した『存在の耐えられない軽さ』の底本は、このカナダの出版社から出た本です。 クンデラはまだ存命で、パリ在住のようですが、ビロード革命以後はその著書はチェコで出版されています。もちろんほかに何人もの作家の著書が解禁になりました。民主化にも光と影があり、これはその「光」の部分ですね。 さて、ビールの話はどこへいったのか、ということになるのですが、この本の前半で、たっぷりとチェコビールが語られています。チェコはドイツと並んでビールの美味しい国です。チェコ語なので覚えられませんが、オススメの銘柄もたくさん出てきます。著者はどうやらかなりお酒を愛する人物だったらしく、ビアホールのエピソードも次から次へと出てくるのですが、カフェと違い、革命後の1990年代も存続しているのは、ビールをこよなく愛する市民の力でしょうか。ただ、20世紀末の情報ですので、今現在のプラハがどうなっているのかは、最新の観光案内でしか知ることはできないと思います。 古書店巡りのエピソードも楽しいのですが、書いてゆくと長くなりそうですのでやめておきます。 最後に、心に残ったこのエピソードをご紹介します。1996年の東京国際映画祭でグランプリを獲った『コーリャ 愛のプラハ』というチェコ映画があるのですが、その監督のヤン・スヴェラークに著者がインタビューしたとき、千野は逆にヤンからこう訊かれたそうです。「なんでチェコ語なんかやったんですか?なにか役に立ちましたか?」 それに対して千野は、チェコ語が役に立った具体的な例を挙げて返答をしているのですが、「どうしてチェコ語を勉強したのか」という問いには答えていません。 ヤンは軽い気持ちで訊いたのでしょうし、だから千野も正面からは答えていないのでしょうが、これはたぶん、根源的すぎて答えるべき言葉がなかった、ということではないかという気がします。 役に立てるためにするわけではない、「惹かれる」というのはそういうことではないかと思うのです。 1932年生まれの千野がチェコ語を専攻しようと思うことは、日本ではとんでもなく「つぶしがきかない」ことだったでしょう。もしかしたら今でもそうかもしれません。でも人は「その道」を選ぶことがあるのです。 などと書いているうちに思いだしたことがあります。1990年に私がチェコを訪れたとき、観光案内をしてくれたのはプラハ・カレル大学の女子大生でした。彼女は日本の研究をしていて、留学経験もあり、流暢な日本語を操りました。どうしてチェコの学生が日本語を?と私もあのとき思ったのです。彼女に明確な理由があったかどうかはわかりませんが、彼女も「その道」を選び、爽やかに歩んでいました。 こういう、その人の世間の主流からずいぶん遠いところに興味を持って生きている人を知ることが、私は大好物なのだと思います。 ということで、KOBAYASIさん、次をよろしくお願い致します。(2020・10・05・K.SODEOKA) 追記2024・02・16 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目))いう形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2021.01.21
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100days100bookcovers no60 60日目 アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』 福島正実訳 ハヤカワ文庫 KOBAYASIさんが選んだ村山斉著『宇宙は何でできているのか 素粒子物理学で解く宇宙の謎』は、以前読みました。しかとはわからないながら、「読んでいる間はずっとわくわくしていた。妙な『高揚感』みたいなものがあった。」 とKOBAYASIさんが書かれていたのに同感です。 それにしても、SODEOKAさんの寺田寅彦の『柿の種』にこの本を付けるというのはいいなあ。引っ付けすぎないでつながっている感じ。私もこんなふうにあっさりと付けたいと考えているのですが……。無理。 実は、KOBAYASIさんの選んだ本の題名を見た時から「オッ!待ってました。」 と付き過ぎの本が2冊すぐに浮かんできました。野暮は避けたくて頭を冷まそうとしたのですが……。もはやこの本以外には思いつきません。 『幼年期の終わり』アーサー・チャールズ・クラーク作 福島正実訳 ハヤカワ文庫SF 『幼年期の終わり』アーサー・チャールズ・クラーク作 池田真紀子訳 光文社古典新訳文庫 (もう一冊の方は、 もっと付き過ぎになってしまいますので、また別の機会に。) この有名な作品を今まで読んだことがなくて、この正月休みに初めて読みました。SFは中年以降読めなくなってました。文字だけで理解するのが難しくなって、もっぱら絵柄のすぐ出る映画だけになってしまっていました。でも、おととし世界的大ヒットの劉慈欣の『三体』を読んでから、また気になりだしました。ケン・リュウやらテッド・チャンやSF関連の話をググっていたら「今あるSFの作品の元ネタはほとんど『幼年期の終わり』にあるから、これはぜひよむべき。」とのコメントに出くわし、珍しく素直に図書館にあった池田真紀子訳、光文社古典新訳文庫を読んだという次第。今頃、この歳で、やっと読みました。 必読のSFと言われるのに納得。今まで見てきた宇宙や怪獣ものの映画の発想や絵柄はこの本にあったんですね。(『2001年 宇宙の旅』も『インディペンス・デイ』も『ゴジラ ファイナルウォーズ』も)おかげでそのあともSFクラシック小説を借りてきたり、YouTubeでSF作家会議を視聴したりの毎日です。covid-19パンデミックのせいで現実がまるでSFのようですが、もっと大きな空想世界に浸っています。 作者アーサー・チャールズ・クラーク(Arthur Charles Clarke、1917年12月16日 - 2008年3月19日)は、イギリス出身。1950年代から1970年代にはロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所として活躍した。 “CHILDHOOD’S END”を1953年に発表しているが、現実世界の状況変化に応じて、技術変化や歴史の事実に合わせて書き直したり、あるいは元の版に戻したりと何度か改稿している。ただし根本的な書き直しはほとんどしていない。 日本語への翻訳は文庫本では現在3種類ある。一応全部見ました。解説もどれもよかった。1 福島正実訳がハヤカワ文庫から1964年と1979年に刊行。解説/福島正実2 『地球幼年期の終わり』という題で沼沢洽治訳が創元推理文庫から1969年に刊行。解説/渡邊利道3 池田真紀子訳が光文社古典新訳文庫から、2007年に刊行。解説/巽孝之 1、2のハヤカワ文庫と創元文庫の場合、米ソ冷戦でロケット打ち上げ競争が熾烈な頃、3は冷戦後、国際合同宇宙開発の時代。 ある日、「大きな宇宙船の一群が未知の宇宙の深淵の彼方からひたひたと押し寄せてき」て、「ニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワ、ローマ、ケープタウン、東京、キャンベラなど」の大都市のちょうど真上に微動だにせず静止し続け、人間を震え上がらせる。人間は彼らの圧倒的知性の証である宇宙船を見てまったく勝ち目がないので、つまらない宇宙開発競争をあきらめざるを得ない。彼らは何もしないがずっと上空にいて人間を監視し、国家間紛争も、人種差別も、動物虐待もなくさせる。逆らったときには、その地域の太陽が30分間消滅させられたりする。 このような人間にはなしえない物理学の能力を見せつけて、腕力は振るわずに人間を自ら従わせるオーバーロード(主上)となる。人間界では宗教的対立どころか宗教そのものもほとんど意味を持たなくなり、多数派はオーバーロードの統治に満足するようになる。 ただ一つ人間が引っかかっているのは彼らがいつまでもその姿を見せないこと。自分たちをすっかり安心させ油断させたあげくに地球を乗っ取ろうとするのではないかという疑いはどうしても捨てきれない。しかし、オーバーロードは「自分たちの姿を見せられるほど、人間の知性は高くない。いつか姿を見せられるときはくるが、今はまだそのときではない。」と寂しげに言うのみ。 それから50年後、やっとオーバーロードは姿を現す。角と三角槍が先についたしっぽを持つ悪魔の姿そのもの。(姿はちがうけれど、『未知との遭遇』の宇宙人登場シーンもイメージが重なる?)でも、その時には人間は彼らの良き統治に慣れていて、もはやさほど驚きはしない。その後数世代は平和と安定と繁栄の黄金時代が続く。その間人間は宇宙開発はあきらめるが、今まであった科学技術を洗練させて人類に平等にいきわたらせるようにするし、オーバーロードはそれを見守り(監視)続ける。 オーバーロードの統治のおかげで(?)核戦争など自ら破滅する道を逃れることができ、安定した人類は、やがて大きく変化するときがやってきた。10歳以下の子どもたちすべてが超能力を持ち、次第に今までの人類の記憶をすっかりなくしてゆく。親たちは自分の子が自分の子でなくなっていく運命をなすすべもなく受け入れるしかない。 子の世代を失うというのはつまり自分の未来を失っていくことだから、希望を失い人類はやがて消えていく。世界中の数億人の新しい子どもたちは意識の底では一つの統合体となり、銀河系の外の夢を見るようになり、親と離れて集合するようになる。細胞の一つ一つのように同じような顔をして、食べず、眠らずに一定の動きをするようになる。新しい力を得た彼らは月を回転させて遊ぶことも太陽をおもちゃにすることもある。 これでやっとオーバーロードが地球に来た目的が達成される。彼らが地球に来たのは自らの自由意思ではなくて、その上にいるオーバーマインドの指示だった。オーバーロードはオーバーマインドの単なる手足に過ぎず、逆らうことはできない。オーバーマインドは宇宙全体から超物理的力(神秘的とか、心霊的とか)をもつ種族がいる星を観察し、可能性があればオーバーロードを派遣し戦争や環境破壊などで自滅しないように、順調に超進化するように、栽培、庇護、観察させ、もしうまく超進化することができれば、そのときにはその星やその種族を吸収する。そして今、新しい段階に達した人類もオーバーマインドに吸収されていく。 最後に、地球の黄金時代にただ一人、オーバーロードの宇宙船で40光年先にある星に密航した若者がいる。彼が地球に帰還してからオーバーロードの秘密も説き明かされる。 人間にとってオーバーロードの姿が恐怖と邪悪の象徴(悪魔)とされるのは、有史以前に彼らとの忌まわしい出会いがあったのではなく、地球人類が終焉のときに居合わせた彼らのことを「過去の記憶ではなく未来の記憶」として持っていたのだと。人間にとっての予兆を記憶として持っていたのだと。この解き明かしはゾクゾクしました。 そして、この若者は最後の人間として、地球の最期を見届けるんですが、このシーンは映像で見たいところです。新しい子どもたちだったものは物質ではなくなりオーバーマインドの一部となっていくと同時に、地球も溶解して最後にエネルギーを一挙に吐き出して消滅する。大きな火柱が立ち、嵐も地震もオーロラも見える。マーベル映画で「ハルマゲドン」としてよくやってるような気もしますが。 最後は、オーバーロード目線です。地球を去りまた新たな使命のために遠くの星をめざしているオーバーロードの姿と心情が語られています。 構想が壮大で、久しぶりにこんな大きな小説を読んだなあという気がします。現在の宇宙物理学では確認することはできないけれど、「物質」としての性質を持つ「ダークマター」と、「物質」ではないけれど「ある」と措定しなければつじつまのあわない「ダークエネルギー」は、この小説の中の「物理学」のルールに縛られている「オーバーロード」と、「超物理学的」で宇宙に遍在し、最終的に吸収する「オーバーマインド」に相当するんじゃないかしらと想像したりもしました。 登場人物造形とか語り方とかでは物足りないと思う方もいるかもしれませんが、文体よりもプロットの面白さに先に惹かれる方なので、いやーめっちゃ面白かったです。皆さんはすでにお読みだと思いますが、また想い出してみてください。 まだしっかり理解できていなくて、うまくまとめられませんでした。SIMAKUMAさん、おあとをよろしくお願いします。(E・DEGUTI・2021・01・23)追記2024・04・01 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2021.09.02
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小林まこと「JJM女子柔道部物語15」(EVENING KC 講談社) 2023年10月のマンガ便です。小林まことのおバカ柔道マンガ「女子柔道部物語」(講談社)15巻です。ボクには小林まことのマンガは、こうして表紙を見ているだけで楽しいのですが、この15巻は「高校柔道編」完結編で、表紙にはカムイ南高校の女子柔道部で活躍したおバカ少女たちが全員集合!しています。 本巻では、カムイ南高校が極大高校と、インターハイ北海道予選の決勝戦を戦います。主人公、神楽えもチャンは、高校3年生です。で、最後の夏の戦いは、カムイ南高校の中堅です。 よく知りませんが、柔道では高校女子の団体戦は先鋒、中堅、大将の3人で戦うようです。カムイ南高校チームは先鋒が有本直美サン、中堅が神楽えもさん、彼女は61Kg以下級の全日本ジュニア強化選手とかになっています。で、大将が藤堂美穂さん、えもチャンと同じく72kg以下級の全日本ジュニア強化選手です。3人とも3年生です。 相手の極大高校は、先鋒が高梨さん、どうも、1年生の新鋭選手のようです。えもチャンの相手の中堅が笹沢千津さん、66kg以下級ですが、無差別級の北海道チャンピオンで、だから、この時、北海道で一番強い高校生なわけですから、極大高校の絶対的ポイント・ゲッターです。えもチャン、どうするのでしょうかね(笑)? で、大将は岩崎加代子さんです。72kg超級で、女性にこういっていいのかどうかですが、巨漢です。2年生です。 試合経過はお読みいただくほかありませんが、これが神楽えもチャン、高校時代最後の雄姿です。実力に勝る笹沢千津さんとの死闘の始まりです。「うおおおお~っ」 まあ、こういうノリの描き方をする小林まことが好きなのですが、えもチャンの顔が昭和の初年マンガのキャラクターな感じがして笑いました。 結局、まあ、ネタバレですが、北海道を制覇して、全国3位という好成績を残し、神楽えもちゃんの「高校柔道編」は終わります。 で、柔道が終わるとこうなります。 アイスキャンデーを舐めながら石狩川の河川敷を歩いています。何の悩みもないようです。青空と白い雲です。いいですねえ(笑)。左のページには、旭川南高校や、旭川大学高校(今は高名が変わって、旭川志峯高等学校、マンガで昔のまま)の関係者をはじめ、お好み焼き関東、スナック雪女とかの名前が取材協力者一覧で並んでいて、妙に可笑しい。実名なんですね(笑)。 で、完結です。「女子柔道部物語・社会人編」がもう始まっているようですね。たのしみです。追記2023・10・06過去の記事です。クリックしてみてくださいね(笑)。第1巻 第7巻 第8巻 第10巻
2023.10.04
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レオス・カラックス「ポーラX」元町映画館 ここの所、レオス・カラックスというフランスの監督の鬼才ぶりに、翻弄されながら、なんとかついていってますが、今日は「ポーラX」という1999年の映画を見ました。 先週、元町映画館のオニーさんとこんなやり取りがありました。「来週から、カラックスが昼過ぎになるんやろ。気になってんねんけど。」「はい、ありがとうございます。でも、暗いですよあの映画。」「暗いって、画面がか?」「いや、とにかく全体が。」「どうせ、わけわからんのは一緒やろ?」「うーん、それは、人それぞれですけど、そうかも。」「まあ、とにかく見るわ。人はおらんやろ。」「はい。ザンネンですが。 まあ、そんな話で、他にはなんの予備知識もないまま見たのですが、やっぱり鬼才でした(笑)。 で、思いました。「これって、なんか、ネタがあるんちゃう?」 見ながら、そう思った理由は、主人公のピエール君が小説を書いている人らしくて、なにやら、まあ、30年近く昔の作品ではあるのですが、今どきはやりそうもない破滅型だったからですね。 帰って来て調べてみると、あの「白鯨」の作家メルビルの「ピエール」という小説が原作で、まあ、読んだことがありませんからわかりませんが、文学的だか、芸術的だかの、真実があるはずの「向こうの世界」を希求する主人公が、現実なのか幻想なのか見分けがつかない「愛」を求めて・・・。なぜならば、激動の最果てに達すると、人間の魂は溺れかけた人間そっくりだからだ。 ハーマン・メルビル「ピエール」 チラシに引用されている原作の一節ですね。 まあ、そういうわけで、だから、破滅しちゃうわけですけど、そんなふうに描いていくのが面白くてたまないらしいカラックスという人の思惑は浮かぶのですが、物語にはついていけないまま終わっちゃいました。 「暗い」とは思いませんでしたが、「鬼才のすることは、やっぱりわかりまへん!」でしたね。 プロットは、なかなかユニークで、シーン、シーンは映像も音響も印象的なのですが、「これがレオス・カラックス!」なのでしょうね。マイッタ! ところで、この映画の題名「ポーラX」っていうんですけど、登場人物はピエールとかイザベルとかいう名前で、ポーラとか出てきませんし、なんでポーラXとかなんですかね? わけわかんないですよね。 でも、まあ、久しぶりにカトリーヌ・ドヌーブさんの「へーっ!」と叫びそうになる入浴シーンとかも拝見しましたし、記憶には残りそうですね。まあ、そのあたり、とりあえず、拍手!でした。監督・脚本 レオス・カラックス製作 ブリュノ・ペズリー共同製作 カール・バウムガルトナー 堀越謙三 ルート・バルトブルガー原作 ハーマン・メルビル脚本 ジャン=ポール・ファルゴー ローラン・セドフスキー撮影 エリック・ゴーティエ美術 ロラン・アレール衣装 エステル・バルツ編集 ネリー・ケティエ音楽 スコット・ウォーカーキャストギヨーム・ドパルデュー(ピエール・バロンブルーズ 作家)カテリーナ・ゴルベワ (イザベル 謎の姉)カトリーヌ・ドヌーブ(母親マリー)デルフィーヌ・シュイヨー(リュシー 恋人)ペトルータ・カターナ(ペトルーツァ)ミハエラ・シラギ(ミハエラ)ローラン・リュカ(従兄ティボー)サミュエル・デュピュイ(イザベルの弟フレッド)パタシュー(編集者マルグリット)1999年・134分・フランス・ドイツ・日本・スイス合作原題「Pola X」2026・05・04・no084・元町映画館no363追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.05
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由良君美「みみずく偏書記」(ちくま文庫)―フクロウ氏へ捧ぐ― 「ハックルベリー・フィンの冒件」の案内の時に、若い、文学を愛するお友達に「フクロウ氏」などと勝手なニックネームを付けた手前というか、そういえばというか、自ら「みみずく」と名乗ったものすごい英文学者がいたこと思いだして書棚を探したのだけれど、どうもどこにあるのかわからない。 しようがないからアマゾンで「みみずく偏書記」(ちくま文庫)を買って読みなおし。読みながらああ、そうだ!と思いだしたのが四方田犬彦の「先生とわたし」(新潮文庫)でした。 そういえば、学生の頃に現代詩や映画評論の雑誌で名前を知っていた由良君美を、後年ああ、そういう人なの!って教えてくれたのがこの本でしたね。 というわけで、四方田君の「先生」で、つまり、ぼくが「みみずく」で思いだしたのが由良君美という人です。 本人のエッセイ集、たとえば「みみずく偏書記」でも、四方田の「先生とわたし」のどちらでも、お読みになれば、きっと理解していただけると思うのですが、只者ではありません。これは断言できます。 本人が「ミネルバの使い」を自負して「みみずく」と自称していたような人だから、まあ、見当はつくと思うのですが、たぶん、見当の遥か彼方の人だということに呆れるにちがいありません。 もともと、というか、大学の先生としてはイギリスのロマン主義文学の研究者であったわけで、フランスならユーゴーとかバルザック、ドイツならやっぱりゲーテというふうにビッグネームが出てくる時代の思潮ですが、ぼくの場合、イギリスというと、んっ?となってしまうんですね。 まあ、物を知らないのだから仕方がありません(笑)。人生先は長いと慰めるほかに方法はないのですが、横文字はもうだめだろうと思うと、トホホ・・・ 詩人で哲学者のコールリッジとか、画家で詩人のウィリアム・ブレイクが専門だった人であるようですね。こちとら、だいたい、この名前にピンとこないレベルなわけで、こまったもんだ。 付け加えれば、由良君美という名は、ぼくのような、70年代後半育ちのお調子者のミーハーには、三人とも今ではもう亡くなってしまったのですが、フランス文学の澁澤龍彦、ドイツ文学の種村季弘と並んで出てくるヨーロッパ異端文学、奇想文学の御三家ともいうべきビッグネームです。 1970年代の終わりの頃、「ユリイカ」や「映画批評」の紙面で活躍していた、映画、マンガ、絵画、なんでもござれの博覧強記の人という印象です。 そのうえ、さらに、「アリス狩り」の高山宏と映画論の四方田犬彦がお弟子さんだと知って、「なるほどなあ‥‥」 とうなってしまうしかないような人です。 何を紹介しているのかわけがわからないことになってきたが、例えばこの本に書かれている内容は、ぼくのようなミーハーがとやかくいうレベルじゃない面白さで、一度お読みになれば、好きな人はやめられないという、まあ、そういうタイプの、というか、オタク向きのというか、そういえば、お弟子さんの四方田犬彦と高山宏も同じようなタイプですが、得したと思うか、わけがわからんというかは、その人次第という典型ですね。 まあ、一度手にしてみてください。手に入りにくいのですが。2018/07/21ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.07
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酒井隆史「暴力の哲学」(河出書房新社) 今日の案内は河出書房新社の「道徳の系譜」というシリーズの1冊で、今では文庫化されている酒井隆史「暴力の哲学」(河出書房新社)です。 同居人が読んでいて面白いというので、市民図書館の本ですが、引き続き借りっぱなしで、映画を見に出かける行き帰りの電車とかバスで読んだ本です。 20年前の出版で、まあ、暴力一般に対する論考で、なんとなく、プーチンあたりの振る舞いの異様さについて、頭を整理できるかなとか思って読み始めたのですが、イスラエルとアメリカによるイラン攻撃という国家テロが起こってしまって、ドンぴしゃり!の本になってしまいました。 最初から「暴力」をめぐっての、いわば歴史的名著の紹介のようなお名前が出てきて、ボクのような70年代に学生だった人間にはなつかしいことかぎりなしなのですが、なんといって面白いのは第2章以降、「セキュリティー」というキーワードをめぐる、現代社会の戦争についての論考ですね。 本書は2004年に出版された本ですから、ここ数年、世界に蔓延する戦争状態についての論考が直接あるわけではありません。第1章はヴァルター・ベンヤミンによる暴力批判論、ガンジーに始まる非暴力の思想あたりから始めて、暴力を行使する人たちの「敵」に対する、だから、アメリカなら差別していた白人による、差別されていた黒人に対する「恐怖」が生まれてくる歴史的過程の例として、キング牧師の「恐怖の治療法」という考え方を紹介しながら検討し、ハンナ・アーレント、ミッシェル・フーコーあたりの「暴力批判論」へと展開します。 で、第2章では、安全に暮らしたい自分たちにとって、正体不明である他者に対しての「恐怖」 そこを煽ることで「セキュリティー」=「安全確保のための暴力」の正当性を当然視して、先制攻撃する、安心するために危険は始末する、という「現代の戦争論」へと展開するのですが、2026年の今、目の前でイスラエルによる、「ハマス」という宗教的政治組織の危険性を理由に繰り返されているガザ地区へのジェノサイド爆撃、アメリカ、イスラエルによる指導者の危険性を理由にした国家テロ行為としか思えない戦争行為を見ていて、この本を読むと、20年前の著書とは思えない、ぼくたちが暮らしている今の現実の暴力に対するリアルな状況説明になっていることに驚きますね。 一般の家庭でも、玄関先に監視カメラを設置するようなセキュリティーの考え方が常識化していますが、カメラで映し出される「不審」の対象に対する判断の主体が誰なのか?ということが、深く考えられているとは思えません。 で、それが国家レベルになったときに、「危険だ」とか、「敵だ」とかいう判断には、実は何の普遍性もない可能性があることを一般市民に忘れさせ、不安をあおる。不安を醸し出すための情報操作が当たり前にできる。まあ、聞くところによるとネットに限らず、公共テレビによる情報内容にも、かなりな偏りがあるそうで、その結果、一部の政治家による暴力肯定論、戦争必要論がまかり通る社会になっている。 なんだか、とても疲れますね。 まあ、現代という社会における「戦争とは何か?」を考え始めるには格好の入門書だと思いました。ちょっと、難しいかもですが、できれば若い人たちに読んでほしい本でした。 一応、目次を貼っておきます。目次第1部 暴力と非暴力第一章 暴力という問題の浮上第二章 暴力と非暴力 第三章 敵対性について第2部 反暴力の地平 主権、セキュリティ、防御第一章 セキュリティ―恐怖と暴力第二章 防御と暴力―「ポスト人民戦争」の政治?2026-no036-1251 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.13
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佐藤泰志「きみの鳥は歌える」(河出文庫) 以前、佐藤泰志の「海炭市叙景」(小学館文庫)について、この小説がとてもいい小説だと、上手に伝えられたらうれしいと思って案内を書いたことがある。 その佐藤泰志のデビュー作が「きみの鳥はうたえる」(河出文庫)。2018年、映画になったので読み直した。映画は、この小説が描いている決定的な「暗さ」を避けることで、青春映画として成功している。 佐藤泰志の小説の「暗さ」や「貧しさ」が、読者を遠ざけるようなところがあると思うけれど、彼が描き続けた世界には明るさは似合わないのかもしれない。ひとが生きるということを、小説として描く。作家が「生きている人」として描く登場人物の「ぼく」や「静雄」は、どうにもやりくりのつかない「今」を、こちら側の世界から投げ出された人として生きるほかはないという様子だ。 彼らは高校を出て、そのままアルバイト暮らしを始めて、偶然知り合った友人同士として、今ふうにいえば部屋をシェアして暮らしている。学校に通って将来に備えているわけでもないし、「静雄」に至ってはアルバイトもやめてしまい、ポケットにある資金が尽きたときの算段すら放棄している。 「ぼく」がアルバイトをしている本屋の同僚だった「佐知子」も、「ぼく」が放つ、出たとこ勝負のいい加減な快活さに逃げ込むようにして、この部屋にやってきた。しかし、彼女はやがて、「ぼく」との刹那的に繰り返される肉体関係にではなく、深く静かに絶望している「静雄」に惹かれてゆく。 映画が描くことをやめたのは、ここから後だ。 兄と一緒に病気の母を見舞ったはずの「静雄」は、世界から投げ出された人になっていた母を殺し、彼の身を案じた「佐知子」はあとを追うように街を出る。残された「ぼく」はすべてを知るが、アルバイトに出かけ、いつもの酒場に立ち寄る。 小説がここで終わることを、納得できない人たちは、新人作家の失敗小説と評する場合もあるだろう。映画を作った監督が、この結末を予想すらさせない映画的なラストで締めくくったのも、そういう読みの結果だったのかもしれない。 しかし、今、映画の最後で、120数えて佐知子の部屋に向けて歩き出した「ぼく」を思い浮かべながら、このシーンは佐藤泰志には決して描けなかったし、「静雄」の母親殺しと、その顛末の描き方もこれ以上書き込む必然がなかったのではないだろうか。 「投げ出される」とはそういうことだ。佐藤泰志の絶望的な出発点がここにあったのではないだろうか。それでも、彼は、その世界を書くことでこっち側の世界とつながろうとしていた。それだけは確かなことだったと思う。2019/02/03追記2019・11・20映画「君の鳥は歌える」の感想はこちらをクリックしてください。「海炭市叙景」の感想はこちらをクリックしてください。押してねボタン!にほんブログ村にほんブログ村
2019.04.21
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黒川創「鶴見俊輔伝」(新潮社) 今回の案内は黒川創による「鶴見俊輔伝」(新潮社)という伝記です。この本は五百ページを超える分厚い本なのですが、三百ページを超えたあたりにこんな文章が引用されています。 今でも昨日のことのように思い出しますが、真っ白に雪の降り積もった二月の朝、陣地の後ろの雑木林に四十人の捕虜が長く一列に並ばされました。その前に三メートルほどの距離をおいて私達初年兵が四十名、剣付き銃を身構えて小隊長の『突け』の号令が下るのを待っていたのです。 昨晩私は寝床の中で一晩考えました。どう考えても殺人はかないません。小隊長の命令でもこれだけはできないと思いました。しかし命令に従わなかったらどんなひどい目に会うかは誰でも知っています。自分ばかりでなく同じ班の連中までひどい目にあわすことが日本軍隊の制裁法です。け病を使って殺人の現場にでないことを考えてみました。気の弱い兵隊がちょいちょいやる逃亡という言葉も頭をかすめました。しかし最後に私の達した結論は「殺人現場に出る、しかし殺さない」ということでした。『突け』の号令がとうとう下された。しかし流石に飛び出していく兵隊はありません。小隊長が顔を真っ赤にしてもう一度『突け』と怒鳴りました。五、六人が飛び出してゆきました。捕虜の悲鳴と絶叫と鮮血が一瞬のうちに雪の野原をせいさんな修羅場に変えました。 尻込みしていた連中も血に狂った猛牛のように獲物に向かって突進してゆきました。 私はじっと立っていました。小隊長近づいてきました。「続木!!行かんか」と雪をけちらして怒鳴りました。私はそれでもじっと立っていました。小隊長は真っ赤な顔を一層赤くして「いくじなし」というが早いか私の腰を力任せに蹴り上げました。そして私の手から銃剣をもぎ取ると、銃床で私を突き飛ばしました。 小隊長の号令に従わなかった男は私以外にもう一人だけいました。丹波の篠山から来た大雲義幸という禅坊主の兵隊で、二人はその晩軍靴を口にくわえ、くんくん鼻をならしながらよつばいになって、雪の中を這いまわることを命ぜられました。これは「お前たちは犬にも劣る」ということだそうです。 しかし大雲も私も「犬にも劣るのはお前たちのほうだ」と心の中で思っていましたから、予想外に軽い処罰を喜んだくらいでした。これを機会に二匹の犬は無二の親友になりました。 個人の戦争体験の記録として、今読んでも、実に印象的なこの文章は、京都の駸々堂というパン屋の社内報に、経営者の一族で専務であった続木満那(まな)という男性が「私の二等兵物語」という物語として連載していたらしいのですが、その1961年新年号の記事です。 本書はここまで、鶴見俊輔の出生からの家族関係、少年時代のアメリカ体験、軍属としての従軍、戦後の「思想の科学」という雑誌の発行、1960年の安保闘争との関わり、というふうに、時間を追って丁寧に記述されています。 特に、晩年の鶴見俊輔が、繰り返し語った、少年時代の母との関係や、アメリカ暮らしにおける「一番病」 といった、人格形成におけるトラウマのような部分について、実に客観的で公平な視点で書き進めている点で、ぼくのような鶴見フリークの偏った理解をただしていく、冷静な好著として読み進めてきました。 ただ、著者が「何故この伝記を書こうとしたのか」という、執筆のモチベーションに対して、かすかながら疑問は感じていました。ひょっとして、よくいえば冷静だが、悪くすると平板なまま終わるのではないか。そういう感じです。 そこに、この引用でした。この伝記を通読すれば理解していただけると思いますが、この文章が、この伝記のちょうど峠を越したあたりで引用されているのには、結果的に二つの大きな意味があると、ぼくには思えました。 一つは鶴見自身を苦しめてきたアイデンティティ ― 自分とは何者か ― の問題を解くカギになる、生い立ちとは別のポイントを著者黒川創は示しそうとしているのではないかということです。 鶴見俊輔には戦地で体験した「人が人を殺すことを強いる国家」に対して、もしも、あの時、命令が自分に下っていれば、自分は引用文の続木二等兵のような抵抗の勇気を持つことができなかったのではないかという形で現れる自己否定的な疑いが終生あったと思います。 この疑いが、日米安保条約という軍事同盟・再軍備に抵抗する中で「死んでもいい!」 と考えるような極端な思い込み。例の樺美智子の死に対して、国立大学教員を辞職して抗議するという果敢な行動。少年時代の自己や家族に対してくりかえされる自嘲的発言。ひいては、再三苦しんできたうつ病の引き金を引いてきたという、鶴見俊輔の自意識の実像 を、黒川創が、ここで再確認しようとしているという印象を強く持つ引用なのです。 若き日の鶴見が学んだ論理実証主義の哲学によれば、「もしも」の仮想に捉われて悩むのは妄想というべきことにすぎません。しかし、この「どうしようもない」妄想の中にこそ人間の真実が潜んでいると考える中から、「もう一度生き直す」 という積極的な契機をつかむことを見出していく哲学者のターニングポイントとしてこの挿話があるというのが、本書に対するぼくなりの実感です。 続木二等兵の回想は、妄想に苦しんでいる哲学者にとって「救いの光」 だったのではないでしょうか。その光は、マッカシーの赤狩りに抵抗した、リリアン・ヘルマンについて鶴見俊輔自身が、別の著書の中で、こんなふうに語っています。 リリアン・ヘルマンは、マッカーシー上院議員の攻撃にさらされた結果、米国知識人であると否とを問わず、何人もの人たちと彼女が分かちもっている彼女自身のまともさの感覚に寄りかかるようになりました。彼女は、いま私がここで述べたと同じような直観を持っていたのかもしれません。 生き方のスタイルを通してお互いに伝えられるまともさの感覚は、知識人によって使いこなされるイデオロギーの道具よりも大切な精神上の意味を持っています。 (「ふりかえって」1979年12月6日の講義) 「まともさの感覚(the sense of denncecy)」という、70年代に学生生活を送ったぼくにとって、吉本隆明の「大衆の原像」とともに心に刻み込んだ鶴見俊輔のキーワード! が、この時点で実体を獲得し、「ベ平連」以後の彼の行動を支えていくという、この伝記の展開には、瞠目というような似合わない言葉を、思わず使いたくなるものがあります。 ここから、いわば、「後期鶴見俊輔」の始まりが予告されているのではないでしょうか。 さて、この引用の二つ目の重要なポイントは、この挿話の載っている冊子を鶴見俊輔の許にもたらした北沢恒彦という人物の登場です。 北沢恒彦は大学を出て駸々堂に勤めはじめたばかりで結婚し、1961年6月15日、樺美智子の一周忌の当日に、長男、北沢恒が生まれます。 その後、同志社大学で教え始めた鶴見俊輔とともに京都で活動し、やがて「思想の科学」に寄稿する評論活動へ進み、鶴見の晩年の著作を出版することになる「編集グループSURE」を始めた人らしいのですが、1999年に亡くなっています。「なぜ、この人物についてだけこんなに詳しく書くのだろう?」と不思議に思って読み進めていると、なぞは解けます。 実は、61年に生まれた北沢恒こそが、のちに「鶴見俊輔伝」の著者となる黒川創、その人なのです。伝記にはここから、著者である黒川創自身と鶴見俊輔とのかかわりという、ここまでとは、すこし色合いの違う一本の横糸が張られます。 ここから、読者であるぼくは、この評伝の最後も読みどころとして、この少年が老哲学者の伝記を書くに至る動機に目を凝らすことになるのです。 やがて、最終章、残すは十数ページという所まで読み進んだところに、こんなエピソードが記されています。 心臓などに持病のある横山貞子は、自身も加齢する中、鶴見俊輔への介護を続けながらの暮らしに、体力の限界、そして不安を感じるようになっていた。そこで、夫婦揃って老人施設に入所しないかと鶴見に提案し、彼も同意する。だが、翌日、鶴見は同意を撤回、やはり自宅で暮らしたいと話した。「私はどうなってもいいの?」と、横山は夫に尋ねた。「すまないが」と、鶴見は答えたという。 これを書き付けた黒川創の真意を知ることは、もちろん、できません。しかし、ここに、筆者のモチーフが凝縮して表れているのではないかというのが、ここまで読み進めてきた、ぼくの感じたことでした。 このシーンは、生涯で初めて、老鶴見俊輔が他者に心をひらき、「もうろく」に身を任せ、甘えを口にしたシーンだったのではなかったでしょうか。 「まともである」ことに緊張し続けてきた自意識から解放され、意識的に自分を律しつづけることから、初めて自らを許した瞬間だということもできるかもしれません。 ぼく自身は、このシーンを読みなおしながら涙が止まらなくなりました。鶴見俊輔の書物はぼくにとっては「青春の書」であり、その生き方は指標でした。その人物の「老い」を目の当たりにしたような感動でした。こういう読書体験はそうあることではありません。 おそらく、書き手黒川創は、書き手自身が備えている「まともな」目によって、「すまないが」という言葉の、鶴見俊輔にとっての重さを正確にとらえていて、この場面を書き残すことこそが、ここまで書き継いできた鶴見俊輔の生涯に、一人の「ただの人間」としての眸(ひとみ)を書き加えることだと考えたのではないでしょうか。 少年時代から見上げ続けてきた哲学者を「ただの人間」として描くことによって、90年間にわたる「一番病」の苦しみから彼を救うことができるのではないか。この「救い」こそが、書くべきこととしてある。黒川はそう考えたに違いないというのが、ぼくに浮かんだ思いでした。 黒川創が、鶴見俊輔という哲学者の苦闘の人生を冷静に描くことを目指しながら、「ただの人間として生きたかった男」を見事に描いた傑作評伝でした。(S)追記2020・02・09 「まともさ」などかけらもない人間が、大手を振って歩きまわる社会が始まっています。吉本隆明や鶴見俊輔を読み直す、あるいは、若い人が読み始めればいいればいいのになあとつくづく思います。名著だと思ます。 時々集まる、本を読む会の、次回の課題になってうれしいのですが、でも、鶴見俊輔の「ことば」に出会うのがつらくて読みなおし始めることができていません。まあ、ぼくは、そういうやつだということですね。追記2024・01・07 鶴見俊輔を読み直そうかと。まず、手始めは「身ぶりとしての抵抗」(河出文庫)です。追記2025・03・19 「若い人たち」と、繰り返し口にすることが多くなりましたが、こうして読書案内を続けながら、その「若い人たち」がどんどん遠ざかっていく寂しさをかみしめる日々です。今頃になって、鶴見俊輔なんて、いったい、どんな若い人が読むのだろう。 そういえば、愉快な仲間のチビラくんたちの先頭バッターのこゆき姫が、春から高校生だそうです。たとえば、彼女が、偶然、このブログを見て、「ジージがこんな事を云ってる!」 というキッカケで、手に取って、あの頃のボクのように・・・だってあるかもしれないじゃないですか(笑)。 読み直して「案内」するのは、どうしても思い出語りになってしまうのですが、誰かのきっかけになれば、という期待は失いたくないですね。にほんブログ村にほんブログ村考える人・鶴見俊輔 (FUKUOKA Uブックレット) [ 黒川創 ]すぐ読めます。【新品】【本】日米交換船 鶴見俊輔/著 加藤典洋/著 黒川創/著図書館でどうぞ。
2019.06.25
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芥川龍之介「地獄変、その他」(芥川龍之介全集 ・ちくま文庫) 高校一年生の国語の教科書に『絵仏師良秀』(宇治拾遺物語)という説話が出てきます。 自分の家が燃えるのを目の当たりにして「あはれしつるせうとこかな」、つまり「ああ、もうけ(所得)たものだ」と嘯(うそぶ)いた絵描きの話ですね。「こいつ、ちょっと、大丈夫かいな。」と言いたいところなのですが、「宇治拾遺物語」(新潮古典集成ほか)の中では、「そののちにや、良秀がよぢり不動とて、今に人々愛で合へり」 と、まあ、かなり好意的なニュアンスの結論になっています。 お不動さんの絵を上手に書けることが、何より優先する価値だと信じているこの絵描きのことを、当時の語り手はそんなに悪くは言っていません。 そこの所は現在の「人間観」と比べてどうでしょうね。「宇治拾遺物語」の編者の世界観にもかかわるのでしょうか、ぼくには面白いのですが。 ところで、今から千年ほども昔の世間で語り伝えられていたらしいこの人物に興味を持って、小説まで書いている作家がいます。御存知、芥川龍之介ですね。 彼は「地獄変」(ちくま文庫・芥川龍之介全集)という短編小説で、実に「人間的」な良秀を描いています。「その後の良秀」とでもいうべき物語ですね。 リアルな現実の直視こそが「芸術の肥やし」と信じたこの「絵描き=芸術家」は地獄を描くためにこの世の地獄を見る事を願うのです。 結果、誰もが驚嘆する屏風絵「地獄変」を描きあげた絵仏師=芸術家は・・・・・。 その結末が実に「人間的」なのですね。つまり、鎌倉時代の、今昔物語の編集者なのか、語った誰かなのかの「良秀像」とは違うのです。まあ、そこに近代人である芥川龍之介がいるのだと思いますが、あとは読んでのお楽しみということにしますね。 ところで、教科書に出てくるといえば、彼の「羅生門」という小説は高校現代文の定番教材ですね。 お話は皆さんよくご存じだと思いますが、同名の映画もあることはご存知でしょうか。 名画の誉れ高い作品で、黒沢明が監督し、三船敏郎が主演しています。おそらく見たことのない皆さんに、こんな言い草もなんですが、この頃の三船敏郎はホントによかったなあ、と思いますね(長いこと見てないけど)。高校の授業とかで、小説「羅生門」をお読みになった若い皆さんにも、是非ご覧になっていただきたい作品です。 こう紹介すると、小説に登場する「下人」と「老婆」の醜悪な対決のシーンとかを思い浮かべる方がいらっしゃるかもしれませんね。「老婆」は誰がやっているのかとかね。 申し訳ありません。じつはこの映画「羅生門」のストーリーは、小説「羅生門」とは違うんです。同じ芥川の「藪の中」という別の小説を原作にした映画でした。事件の犯人は調べれば調べるほど「藪の中」という、これまた芥川龍之介の好きそうなお話しで、「下人」の行方の話ではありません。 そういえば、この映画では、殺された旅の武士が出てくるのですが、その武士を演じた森雅之という俳優は、ひょっとしたら、みなさんが教科書で出会っているかもしれない「生まれいづる悩み」や「小さき者へ」の作家、有島武郎の息子ですね。 有島武郎と芥川龍之介といえば、ともに、自ら命を絶った作家ということで有名ですが、なぜか教科書は自殺したり、病気で早死にした文学者が好きですね。太宰治しかり、梶井基次郎、中島敦しかり。まあ、梶井や中島敦は病死ですが。 話がどうも変なほうに行っていますが、「死」をめぐる感じ方というのは、その昔と明治時代以後の社会とでは異なっている面があるようです。 それは裏返して言えば、「生きる」という事をめぐる考え方も時代や社会によって異なっているということではないでしょうか。 自我や自意識について執拗に問いかけることを作品群のテーマの一つとして小説を書き、若死にした作家がいます。 人が存在することや、他者との関係についてこだわりつづける軌跡を小説として残した芥川龍之介や有島武郎のことです。 彼らは大正から昭和の前半、今から100年前に生きた作家ですが、彼らが、「生きること」よりも「死ぬこと」と親しかったように見えるのはなぜでしょうね。ぼくにはそこがわからないところです。 生き続けることが、上手だったとはいえなかった彼らの作品が、「人間について」真摯に問い掛けているスタンダードとして教科書には載っていて、高校生になって初めて出会う近代ブンガクとして君臨しています。別にいやみを言いたいわけではありませんが、いかがなものでしょうね。 たとえば「羅生門」という作品について、物語の歴史的背景、平安時代の風俗や門の形に拘泥してしまいがちな作品解釈が教室の普通の風景だと思います。 しかし、有島武郎の場合はほぼ定説ですが、「生真面目」一方に見える芥川にしても姦通罪を恐れて命を絶った可能性を否定しきれません。 そういう時代の、そういう作家の作品であるというコトも頭の片隅に置いておく事は、教室での仕事を目指すみなさんには無意味ではないかもしれませんね。なんか偉そうですみませんね。追記2020・07・05 この文章は、国語の教員を目指している大学生の皆さんに向けて書きました。今年も同じような出会いをしています。 「良秀」についてなら、「芸術至上主義!」、「羅生門」の「下人」については、それぞれの経験とてらしあわせてでしょうか、「理解できない境遇」と言い切る若い人が増えました。 学校の「国語」も「近代小説」も危機ですね。追記2022・05・13 本当に、もう、安全なのか?、感染の蔓延は収まったのか?、何か釈然としないまま、ゴールデン・ウィークの人出におびえ、インチキ臭い政治家の「マスクはいらない」とかいう、公衆衛生上、なんの根拠もないだろう発言がネット上に踊っているのに唖然とする2022年5月です。 久しぶりに出かけた学校の教室では、相変わらず、友だち会話の感染の危険性が話題です。どうなっているのでしょう。 国語の先生を目指す女子大生の皆さんへ、励ましの言葉を追記するつもりが、老人の愚痴になってしまいました。ここからが伝えたいことです。たとえば、「羅生門」なんていう作品は、100年前に1000年前のことを書いたような、まあ、古い作品なのですが、できれば作家が生きた時代と、作品が描いた時代と、そして皆さんが生きている「今」という時代の、それぞれの社会を考えながら読んでみてはいかがでしょうかということです。 今の感覚だけで判断したり、鑑賞しても、なかなかたどり着けない「面白さ」もあるかもしれませんよ。まあ、ぼく自身、あんまり好きな作品じゃないのですが(笑) にほんブログ村にほんブログ村教科書で読む名作 羅生門・蜜柑ほか (ちくま文庫) [ 芥川 龍之介 ]年末の一日・浅草公園 他十七篇 (岩波文庫) [ 芥川龍之介 ]小さき者へ/生れ出ずる悩み改版 (岩波文庫) [ 有島武郎 ]羅生門 デジタル完全版【Blu-ray】 [ 三船敏郎 ]いつでも、自宅で観られるんですね。
2019.07.03
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2004年《本》の旅 金城一紀『GO』(講談社文庫) これは15年前、現場の教員だった頃、高校生に向かって「諸君!本を読みましょう!」 とアジテーションしていた「読書案内」の記録。「2004年《本》の旅」と銘打って案内したいと思いますが、15年前に「今」だった人たち。隔世の感というべきでしょうか!? ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 本当は連休中にお暇にしている高校生諸君に薦める本というわけで、書き始めていたんだけど間に合わなかった。 高校一年生のTくんと話していると、「『GO』はええで。」 ということだったんですよね。 金城一紀 1968年生まれ。第123回直木賞受賞作家。『GO』(講談社文庫)・『レボリューション3』(講談社)・『フライ、ダディ、フライ』(講談社)・『対話編』(講談社)というふうに作品集が出版されているけれど、なんと言っても窪塚洋介くんの主演で映画になった『GO』がダントツに知名度があります。 ところで原作のほうは読んでいるかな。金城一紀の作品で、僕が知っているのを並べてみたけど、どれもほぼハズレなしでおもしろい。とにかくオススメですね。主人公は全部少年という訳ではないけれど、出てくる少年達のキャラクタ-がいい。読んでいると元気になる。中年のおじさんが元気を出す話もある。ブルーハーツというバンドがかつて「ルールー破っても、マナーは守るぜ」と歌ったことがあるが、そんな感じ。 中場利一という作家の『岸和田少年愚連隊』(講談社文庫)というシリーズがあるけれど少年達の匂い、血と汗の混じった若さの匂い、それが共通している。 こっちの小説も「ナインティ・ナイン」のお二人が主演して映画になって評判を取った。見たことがある人もいるだろう。小説は映画より常軌を逸していて、笑える。コトバで描くムチャクチャの世界というのは映像にするとうそ臭くなることが結構ある。リアルというコトは絵に描いたようなとばかりは限らないのだと思う。原作を読むと得した気になる映画というのは結構ある。もっとも逆もたくさんあるからどっちがどっちとは言い切れない。 映画になったけどこれも原作が勝っているとボクが思う青春小説の一つに芦原すなお「青春デンデケデケデケ」(角川文庫・河出文庫)がある。1960年代の高校生のバンド狂い小説。 <むかしむかし、ラジオを聞きながら、みんながギターをほしがりましたとさ> という時代があって、中島みゆきなんて人はそういう時代から生まれてきた人だと思うんですが、この小説はギターにトチ狂った田舎の高校生の世界をやがて来る出発と別れの日まで描いたドタバタ青春小説。おそらく自伝的小説なんだろうけれど文藝賞・直木賞と立て続けに受賞し、小説家になってしまった作品。とにかく馬鹿馬鹿しくて笑える。でも、ちょっと泣ける。 同じようにドタバタ高校生活を描いているけど、やってることが音楽や喧嘩だけじゃなくて「政治」活動だったりするのが村上龍の「69」(集英社文庫)。 「13歳のハローワーク」(幻冬社)で評判のあのエエカッコシイのおっさんの私小説的青春小説。いつまでもお兄さんぶった様子が少々鼻につく人だけれど「69」の少年達は悪くない。1969年という時代から「69」という題をつけているくらいだから、当然<誰もがギターを>の時代で音楽もたくさん出てくる。しかし1969年、佐世保といえば原子力空母エンタープライズ入港阻止闘争。「海の向こうで戦争をやってる」国と向かい合おうとする少年達。いわずと知れたベトナム戦争だ。 そういえば村上龍には「希望の国のエクソダス」(文春文庫)という近未来小説もある。現代社会と対決する中学生を描いた佳作。傑作と呼ぶ人もあるが僕はそこまで思わない。しかし、SF的醍醐味もあってたしかにおもしろい。 村上龍のおもしろさは主人公が高校生や中学生であっても、現実の社会と向き合おうとする姿勢に支えられた人を書こうとしていることだと思う。「13歳のハローワーク」だってそういう意図から作られた本だろう。もっともデビュー作で芥川賞の「限りなく透明に近いブルー」(講談社文庫)を最初に読んだりすると、案外うんざりする可能性があるから要注意。(S)追記2019・10・24 ここで案内した作家たちは、当時僕が好きで読んでいた人たちだが、今も書き続けているのだろうか?それぞれ、映画化された作品について、ぼくは映画館で見たものはほとんどない。せっかくだから映画館で見ればよかったと今になれば思うが、当時は、そういう余裕がなかった。 いいか、悪いかの判定も大切かもしれないが、見たり読んだりしていることは、うっすらではあるが残る。最近、この、残ることが、妙に大切に感じられている。ただ、次々と読んでいく気力のようなものが衰えていることは確かで、それはそれで、さみしい。追記2019・10・25 2001年に公開された映画「GO」。監督が行定勲、脚本が宮藤官九郎。窪塚洋介、柴咲コウ、山崎努、大竹しのぶ、それにもう一人、今を時めく山本太郎というキャスト。2019年の、今、このメンバーが勢ぞろいしている映画は夢ですね。映画は「爽快!」 と一言称賛すれば、後は心の中という出来でしたが、原作の小説もガッツ!を感じさせる、題名そのままの爽快な出来。 この作品を読み、映画に胸がスッとしたあの頃、クソのようなヘイトが横行する、こんな時代が来るとは、夢にも思わなかった。ところで「2004本の旅(その2)」はここをクリックしてくださいね。 ボタン押してね!にほんブログ村69 sixty nine (集英社文庫) [ 村上龍 ]【中古】 希望の国のエクソダス 文春文庫/村上龍(著者) 【中古】afb
2019.10.25
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「あの塔はなんでしょう?」徘徊日記 2021年10月18日 大開通あたり 数日前に東山商店街の北を会下山まで歩いた帰り道に見かけた「塔」です。今日はJR兵庫駅で降りて、新開地に向かっていますが、見えてきました。塚本通りを東に歩いて、兵庫カトリック教会のあたりです。 もう少し近づいてみましょう。 このアングルがよさそうです。手前の看板には「神は愛です!」と断言してあります。ちょっと、新手の新興宗教みたいでいいですね。 まあ、謎ときというわけではありませんが、NTT大開ビルの屋上にそびえている電波塔(?)、テレビ塔(?)です。神戸から西に向かって歩くときには、目印にするランドマークですね。 まあ、それにしても、こういう塔の、たぶん、修繕工事もネットをかけるのですね。すると「謎の五輪塔」に変身するというわけです。 ネタが割れると、さほどのこともないで、もう一枚写真を載せますね。 新開地本通りのアーケードです。ルビンの壺みたいですが、錯視のたくらみはなさそうです。チャップリンですね。ぼくは「淀川長治さんかな」とずっと思っていましたが、そんなわけないですよね。映画の町新開地の一番南の入り口です。 今日は、このすぐ北側、KAVC、神戸アートヴィレジ・センターで「戦火の馬」です。 じゃあ、またよろしく。追記2021・11・12 兵庫区の大開通り、NTTビルの電波塔の修繕工事の様子ですが、せっかくなので真下に行ってみました。 ビルの北側から見上げたら、こんな感じでした。天気が悪くて、暗いので写真写りが悪いのが残念です。大通りを北に渡って撮るとこんな感じでした。 少し離れたので、ビルの屋上に塔が立っているのがよく分かりますが、この塔の土台というか、基礎の部分がどうなっているのか、ちょっとビルのなかを見てみたいですね。 かなりでかいのですが、基礎部分はビルのなかを貫通しているのでしょうか。まあ、元町から帰りにここまで歩いて見物しているぼくも、ヒマですねえ。
2021.11.05
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ベランダだより 2022年7月27日(水)「朝顔日記」7月27日のアサガオ 朝起きて、ちょっと心躍りました。赤い花が五つと青い花が四つです。 空を見上げている後姿もりりしいですね(笑)。 ここの所見かけていなかったので、青い花がとりわけ清々しい気がします。まあ、実際の気温は、半端なく暑いわけで、アサガオぐらいで「清々しい」とかいっていられる状態ではありませんが、こうして写真を見ると、やっぱり清々しいですね(笑)。 ひっそりというか、こっそりというか、外を眺めている風情の赤い花です。後姿が健気です。「今日みたいなカンカン照りのお日さんの方ばかり見ているとあっという間に萎れてしまいますよ」とか声をかけたくなるような気分です。そうでなくても、もう、1時間もすれば萎れてしまう花ですから、サクラとは、また、違うあわれがありますね。 上の方の青い花も、空が恋しいようですね。スマホの写真は青い花の方が自然に撮れるようです。赤い花は赤色にカメラが自動的に反応するようで、画面のピントがうまく合いません。 こんな感じで、花の形の立体感が出ませんね。まあ、それにしても朝から嬉しいベランダでした。明日も両方咲くと楽しいのですが、さてどうでしょうね。ボタン押してね!
2022.07.29
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山里絹子「『米留組』と沖縄」(集英社新書) 市民図書館の新刊の棚で見つけました。2022年4月の新刊です。西谷修の「私たちはどんな世界を生きているか」(講談社現代新書)という本の案内にも書きましたが、自分が生きているのが「どんな世界なのか」、その輪郭があやふやな気がして、まあ、ちょっとイラつているのですが、そのあたりの触覚に触れたのがこの本でした。 「『米留組』と沖縄」(集英社新書)です。著者の山里絹子という方は琉球大学の先生で、社会学者のようです。 書き出しあたりにこうあります。 戦勝連合国による日本の占領は、一九五一年のサンフランシスコ平和条約により終わったが、沖縄島を含む南西諸島は、日本から切り離され、アメリカ軍政による直接的な支配下に置かれた。 沖縄の住民による「限定的」な自治を認めるため、琉球政府が発足したのが一九五二年。米軍の統治期間は琉球列島米国軍政府(軍政府)から琉球列島米国民政府(民政府)と名を変えたが。占領軍が決定権を持ち続けるという支配構造は、沖縄の施政権が日本へ返還される一九七二年まで続いた。 ここまでは、あやふやではあるのですが、ボクでも知っていることでした。しかし、その時代、初等、中等教育を終えた沖縄の若者たちにとって、高等教育・大学教育の機会はどのように保障されていたのかについて、何一つ知りませんでした。この文章をお読みの方で、この時代に少年期、青年期を本土で暮らした方でご存知の方はいらっしゃるでしょうか? まあ、1954年生まれのボク自身は1972年に18歳ですから、ぴったり重なるのですが、何も知りませんでした。 本書によれば、当時の沖縄の青年が高等教育を受ける方法は、本土の大学への留学、沖縄本島にアメリカ軍政府が設立した琉球大学への進学、そしてアメリカの大学への留学という三つの道があったようですが、もちろん知りませんでした。 本書の記述は、そのうちの「一九四九年から、アメリカ陸軍省はアメリカ政府の軍事予算を用いて、沖縄の若者を対象にアメリカの大学で学ぶための奨学制度」「戦後沖縄社会において米国留学制度は「米留」制度、そして米国留学経験者は「米留組」と呼ばれ、合計一〇四五名の沖縄の若者がハワイやアメリカ本土へ渡り大学教育を受ける機会を得た」 というアメリカの大学への奨学生留学について、「米留組」と呼ばれてきた人たちに対する具体的な聞き取りによる、事例の考察を目的とした論考です。 読んでいて驚いたことは、現在も沖縄本島にある国立琉球大学が、アメリカ陸軍の占領統治資金で設置された占領地教育の大学であったこと。米国の大学への奨学生選抜が、占領地に対する思想統制、あるいは分断化を目的として行われていたことの二つです。 読み終えて、こころに残ったのは、二人の米留組のその後についての記述です。 一人は、太田昌秀さん、2017年に亡くなりましたが、1990年から2期、沖縄県知事を務めた方についての記述です。 太田さんは一九五四年に「米留」した第六期生だ。一九九〇年に沖縄県知事に就任し、一九九八年まで八年間の任期を務めた。 一九九五年少女暴行事件が起こり、沖縄に大きな衝撃が走った。基地外に出かけた米兵三人に小学生が車で連れ去られ、暴行されたのだ。当初米兵の身柄を日本側が拘束できなかったことを受け、事件の1か月後には、日米地位協定の見直しと米軍の整理・縮小を求める抗議集会として「沖縄県民総決起大会」が開かれ、主催者発表で八万五〇〇〇人もの人が集まった。 同年、大田さんは代理署名拒否という形で、県民の怒りを日本政府に突き付けた。当時、米軍用地を所有する地主が契約更新を拒否しても、政府は強制的に使用手続きを行おうとしていた。そこで代理署名が大田さんに求められたが、拒否を表明したのだ。(P205) これに対し、当時の内閣総理大臣が原告となり、大田知事を被告として訴える「職務執行命令訴訟」を起こした。 一九九六年七月一〇日、大田さんが法廷で意見陳述したことは次の通りだった。 復帰に際し沖縄県民が求めたものは、本土並みの基地の縮小、人権の回復、自治の確立であるが、現在も状況はほとんど変わっていないこと。また、沖縄の基地問題は単に沖縄という一地方の問題ではなく、安保条約の重要性を指摘するのであれば、基地の負担は全国民で引き受けるべきであること。 日本の民主主義のありようを問いただしたのであった。 しかし、最高裁の法廷で裁判員は誰一人として大田さんを支持しなかった。最高裁の判断は「署名拒否によって国は日米安保条約に基づく義務を果たせなくなり、公益を害する」というものであり、敗訴という結果に終わった。(P206) いかがでしょうか。で、もう一つは、著者山里絹子さんの父親である方についてのこんな記述です。父は最後の「米留組」だった。出発したのは1970年、アメリカの独立記念日7月4日。(P234) ふと父が私にゆっくりと聞く。「もし、僕の足が自由に動いたら何をしたいと思う?」会話の流れから外れた唐突な父からの質問に、私は息が詰まった。― え?何だろう。また旅行に行きたい? 私は冷静を保とうとしながらそう言った。「旅行もいいけど、思い切り走りたい」と父が言った。 そして、またゆっくりと私に聞いた。「もし僕の両手が自由に…動いたら…何をしたいと思う?」ととぎれとぎれの声だった。― うーん、なんだろう。私は喉の奥が熱くなり小さい声で言った。「もし、僕の両手が自由に動いたら…お母さんを両手で抱きしめたい」 私には言葉がすぐに見つからなかった。お茶を一口飲んでから、静かに息を吸って、声を整えて、ようやく言葉を発することができた。― お母さんにも伝えてあげたほうがいい。(P240) 今や、老いた「米留組」の父と、自らもアメリカに学んだ娘の会話です。戦争をしかねない、愚かとしか言いようのない風が吹いています。沖縄の島々にミサイル基地を作るなどということが現実化しつつある時代です。歴史を知ることの意味を静かに、真面目に、考えることを訴える本でした。 著者のプロフィールと目次を載せておきます。山里絹子(やまざと きぬこ)琉球大学 国際地域創造学部准教授。1978年生まれ、沖縄県中城村出身。琉球大学法文学部卒業。2013年ハワイ大学マノア校大学院社会学学部博士課程修了。名桜大学教養教育センター講師を経て現職。専門分野は、アメリカ研究、社会学、移民・ディアスポラ、戦後沖縄文化史、ライフストーリーなど【目次】はじめに ――戦後沖縄「米留組」と呼ばれた人々第一章 「米留」制度の創設と実施第二章 「米留組」の戦後とアメリカ留学への道のり第三章 沖縄の留学生が見たアメリカ第四章 沖縄への帰郷─「米留組」の葛藤と使命感第五章 〈復帰五〇年〉「米留組」が遺したものおわりに ――もう一つの「米留」あとがき
2023.09.04
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鮎川信夫「近代詩から現代詩へ」(詩の森文庫・思潮社) 神戸の元町の古本屋さんの棚にありました。腰巻もついていて、新品といっていい状態ですが、2005年ですから、ほぼ、20年前の本です。もっとも、親本は1966年に思潮社から出された「詩の見方」という本らしいですから、半世紀以上昔の本で、まあ、純然たる古本です(笑)。 著者の鮎川信夫は1986年に亡くなりましたが、ボク自身にとっては、学生時代に、だから1970年代ですが、そのころに出た「鮎川信夫著作集 全10巻」(思潮社)を、買おうか、買うまいか 本屋さんの棚の前で悩んだ結果、結局、買わなかったという思い出の人です。ようするに、ボクは親本の「詩の見方」の世代なのですね(笑)。 どんどん古い話になります(笑)。実は、後ろに引用した「あとがき」にもありますが、創元社から1960年くらいに刊行された「現代名詩集大成」の解説で書かれた文章を集めた本です。「現代名詩集大成」とか、あの頃、図書館で見かけた気がして市民図書館とか近所の大学の図書館の蔵書で検索しましたがありませんでした(笑)。図書館も新陳代謝するのですね(笑)。 で、内容ですが、それぞれの詩人について、なんというか、一筆描き風のポートレイト集になっています。ボクのように、思い出に浸るタイプには、ちょうどいい加減なアンソロジーです。 まあ、若い人には入門のための石段からの風景、お年寄りには思い出の小道の眺めふうで、チョット、いいんじゃないかという案内です。 この本自体も古いので目次を探してもネット上に見つかりません。折角ですから書き上げてみました。島崎藤村から安西冬衛まで、50人です。読んだことのない詩人も数名いらっしゃいましたが、おおむね懐かしいラインアップです。明治の詩人島崎藤村 おくめ 若菜集序詞 8土井晩翠 星落秋風五丈原 14薄田泣菫 ああ大和にしあらましかば 20蒲原有明 朝なり 24北原白秋 邪宗門秘曲 接吻 27河井酔茗 魚の皿 32木下杢太郎 築地の渡 34三木露風 接吻の後に 36大正・昭和の詩人 Ⅰ高村光太郎 道程 典型 40山村暮鳥 岬 46日夏耿之介 心を析け渙らすなかれ 48堀口大学 砂の枕 50千家元麿 自分は見た 52佐藤春夫 秋刀魚の歌 54室生犀星 小景異情 60西条八十 胸の上の孔雀 63萩原朔太郎 竹 小出新道 67宮沢賢治 春と修羅 71佐藤惣之助 ふしぎなる大都会を欲して 77大手拓次 藍色の蟇 80吉田一穂 死の馭者 82尾崎喜八 大地 85大正・昭和の詩人 Ⅱ金子光晴 女たちへのいたみうた 90高橋新吉 壊れた眼鏡 93萩原恭次郎 日比谷 96小熊秀雄 蹄鉄屋の歌 99壷井繁治 風船 103小野十三郎 工業 106中野重治 しらなみ 109草野心平 聾のるりる 111中原中也 正午 春日狂想 115八木重吉 明日 119岡崎清一郎 仮寓春日 121逸見猶吉 ウルトラマリン 冬の吃水 123尾形亀之助 五月 125山之口獏 数学 128大正・昭和の詩人 Ⅲ三好達治 雪 駱駝の瘤にまたがって 134丸山薫 鴎が歌った 141田中冬二 蚊帳 142立原道造 やがて秋 145富永太郎 恥の歌 147菱山修三 夜明け 懸崖 149伊東静雄 わがひとに与ふる哀歌 151西脇順三郎 失われた時 155村野四郎 塀のむこう 体操 161北園克衛 煙の形而上学 166北川冬彦 馬 174安西冬衛 春 172 いかがですか?同世代の方はくすぐったいんじゃないでしょうか?「日夏耿之介 心を析け渙らすなかれ」なんて、詩人の名前はともかく、題が読める方は相当ですね(笑)。ちょっとパラパラしてみたいになりませんか? で、チョット、読書案内も兼ねて、この本でラインアップされている詩人と詩の内容を、それぞれ、まあ、ボクが気に行ったり、面白がったりを案内しようと思います。上の目次の名前をクリックしていただくと、そのページについての案内につながるという趣向です。よろしければクリックしてみてください。最初は八木重吉です。 親本「詩の見方」のあとがきが入っていたので、後半を載せます。懐かしい鮎川信夫がいるとボクは思いました。 あとがき(前略) 七、八年前、創元社から刊行された「現代名詩集大成」の解説を依頼されて引き受けたときの私の気持は、ただ明治以降の新しい詩の概念が、個々の詩人においてどのように発現しているかを、この機会に調べてみたいということであった。それはまた、近代の個々の詩人の努力が、読者のいかなる期待と結びついているかをさぐってみたいということでもあった。 そのような機会は、詩の特殊な専門家でないかぎり、そうたびたび訪れるものではない。現代詩に関する自分自身の考えからはなれて、いわば任意気ままに他人の詩を読んでみるのもおもしろいかもしれないといった気楽な気持ちで引き受けたのであった。 もちろん、私は純粋に鑑賞的態度に終始した詩の見方が可能であるとは信じていない。たとえ、早急な価値判断を抑制して、能うるかぎり作者の意図と結果の領域にのみ分析の範囲を限定したとしても、おのずから「ある評価」によって左右された感情のバイアスはあらわれるのである。 しかし、それにもかかわらず、自分自身の詩的基準や価値判断からはなれて、他人の詩の領域に自由に立ち入ってみたいという気持ちは強かった。それまでの自分の興味の限界に、あるあきたらなさを感じていた、ということもあった。近代詩の成果といわれているものに故意に背を向けていたわけではないが、自身の詩的経験からして、積極的関心を持つに至らなかったという事情もある。 人は誰でもそれぞれ違った詩の観念を持っている。近代詩にあっては、特にその傾向がつよい。位置や姿勢の違いにすぎなくても、根本的な立場の違い、詩概念の違いとなってあらわれてきて、相互に全く理解しえないというような、混乱した状況を呈することがある。ちょっと先入観を抱いているだけで、評価がまるで逆になるというようなこともしばしば経験するところである。 詩に何を求めるか、ということも、もちろん大切である。だが、そのまえに詩とはどういうものかを、ありのままにさぐってみる必要があるであろう。個々の詩人の仕事についてそれを見れば、詩は個性的経験の高度の凝集であることの証であり、時代の影響、流派の制約を越えた表現である。そのことを信ぜずして、詩を読んだり、書いたりすることは、およそ無意味であろう。 解説的な文章を私に書かせた心理的背景を要約すれば、だいたい以上のようなことに尽きる。(1966年10月) 繰り返し、思い出に浸ったことをいいますが、ボクは、こういう啖呵の切り方をする鮎川信夫が好きだったんですね。懐かしいです(笑)。
2023.05.18
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鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく 5 」(文藝春秋社) 2023年、10月のマンガ便です。司馬遼太郎の原作を鈴ノ木ユウがマンガ化している「竜馬がゆく」(文藝春秋社)、第5巻です。2023年8月30日の新刊です。ヤサイクンもはまっているようですね。そりゃあそうですね、マンガの展開も面白いのですが、原作が面白いのは、今更いうまでもないわけですからね。 今回の山場は二つ、一つは土佐、井口村の地下浪人、岩崎弥太郎との出逢いです。地下浪人というのは士分を売ってしまって、一応、身分は武士なのですが、藩士ではないというか、そういう最下層の武士ですね。 この方ですね。明治の政商、三菱の創始者になる人で、ここで坂本龍馬と出会ったことは歴史的事件でした。「すべては金じゃ」「物も人間も政ですら金で動かんもんはないき」 司馬遼太郎が作ったセリフなのか、実話なのかわかりませんが、なかなか味わい深い(笑)セリフですね。もっとも、彼は、この時、獄中の人ですけどね。このあたりで、とりあえず、登場することは、もちろん知っていましたが、さて、どんな顔の人物にするのか、興味津々でしたが、まあ、悪人面もいい所で、笑ってしまいました。 さて、第5巻のもう一つ読みどころというか、見所は、江戸の剣術大会ですね。幕末の江戸には、神道無念流の斎藤道場、桃井道場の鏡心明智流、千葉周作、千葉定吉兄弟の北辰一刀流、というのが、まあ、三大剣術指南所というわけで、そこで名を挙げた幕末の有名人では、4巻で龍馬が出会った、長州の桂小五郎が斎藤道場の、竜馬の同郷の先輩武市半平太が桃井道場の、それぞれ塾頭、そして、主人公龍馬が、当時、実力の小千葉と呼ばれていたらしい、北辰一刀流の千葉定吉道場の免許皆伝ですね。 戦いの描写はこんな感じで、剣術マンガですね。結構な迫力で、面白いですよ。こういう場面は、原作を読んだ記憶には全く残っていませんが、上に書いた千葉定吉道場の話とかは、原作からの知識以外にあり得ませんから、原作も、そういう剣術小説の面があったのでしょうかね。 今回の剣術大会に武市半平太は出場しませんが、桂小五郎と坂本龍馬の決戦は第5巻後半の山場ですね。まあ、お読みください。鈴ノ木ユウ君、絶好調! まあ、そういう感じですよ。
2023.10.02
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中野重治「雨の降る品川駅」(「中野重治詩集」岩波文庫より) 雨の降る品川駅 中野重治辛よ さようなら金よ さようなら 君らは雨の降る品川駅から乗車する李よ さようならも一人の李よ さようなら君らは君らの父母の国にかえる君らの国の河はさむい冬に凍る君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる君らは雨にぬれて君らを逐(お)う日本天皇をおもい出す君らは雨にぬれて 髭 眼鏡 猫脊の彼をおもい出すふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがるふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる雨は敷石にそそぎ暗い海面におちかかる雨は君らの熱い頬にきえる君らのくろい影は改札口をよぎる君らの白いモスソは歩廊の闇にひるがえるシグナルは色をかえる君らは乗りこむ君らは出発する君らは去るさようなら 辛さようなら 金さようなら 李さようなら 女の李行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれながく堰かれていた水をしてほとばしらしめよ日本プロレタリアートの後だて前だてさようなら報復の歓喜に泣きわらう日まで重治 近代文学を勉強なさっている20歳の女子大生の方が「プロレタリア文学って面白いですね。」とおっしゃるの聞いて、「エッ?」と、まあ、ちょっと絶句することが、この秋にありました。で、ほとんど、何の脈絡もなく思い出したのがこの詩です。 作者の中野重治は1989年生まれの芥川龍之介より3歳年下、1902年、福井県に生まれた詩人です。20歳の女子大生の方は名前も御存じないのではないでしょうか。 「雨の降る品川駅」というこの詩は、1931年に決定稿が出来て、今では岩波文庫の「中野重治詩集」で読むことが出来ます。戦後、1979年まで生きた詩人であり、小説家であり、評論家でもあった中野重治の初期の傑作ですね。 ボク自身は、50年ほども昔ですが、昭和初期のプロレタリア文学に関心を持っていたころ、初めて読んで以来、忘れられない詩の一つです。 余談ですが、彼には「村の家」(講談社文芸文庫所収)という転向文学の傑作もあります。転校じゃなくて、転向です。プロレタリア文学に関心を持つと避けて通ることができない言葉です。今の若い方がそのことばとどんなふうにお出会いになるのか、ちょっと気になりますね。 2025-no111-1184 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2025.12.19
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フリオ・リャマサーレス「黄色い雨」(木村榮一訳・ソニー・マガジンズ) 今日の読書案内は、今では河出文庫で読むことができますが、ソニーマガジンズから2005年に出た本で読みました。スペインの作家フリオ・リャマサーレスの「黄色い雨」(木村榮一訳・ソニー・マガジンズ)です。 最初のページにこんな文章が記されています。 アイニェーリェ村は存在している 村は一九七〇年に完全に廃村になった。けれども、家々は徐々に崩れながらも、ソブレプエルト呼ばれるウエスカ地方の山の中で、忘却と雪に包まれて、今も沈黙したまま建っている。 しかしこの本に登場する人物はすべて作者の純粋な想像から生まれてきた。にもかかわらず、作者自身は気づいていないが、彼らが実在の人物である可能性は大いにある。 これを書いているのはこの作品が書かれた当時、33歳だったフリオ・リャマサーレスという、スペインの作家です。詩を書いていたそうですが、小説を書き始めた初めころの作品だそうです。もちろん、まだ、生きていらっしゃる現役の作家です。 ボクは友人にすすめられて、初めてこの作家を知りました。書き出しからしばらくのあいだ読むのに難渋しました。こんな書き出しです。 彼らがソブレプエルトの峠に着く頃には、たぶん日が暮れはじめているだろう。黒い影が波のように押し寄せて山々を覆って行くと、血のように赤く濁って崩れかけた太陽がハリエニシダや廃屋と瓦礫の山に力なくしがみつくだろう。以前そこにはソブレプエルトの家が一軒ぽつんと建っていたが、家族のものと家畜が眠っている間に火災に見舞われて、今は瓦礫と化している。一行の先頭に立っている男がそばで足を止めるだろう。そして廃墟とひどく暗くて寂しいその場所を眺めるだろう。男は何も言わずに十字を切ると、他のものが追いついてくるのを待つだろう。その夜は全員がやってくるだろう。ホセ・デ・カサ・パーノ、レヒーノ、チュアノルース、炭焼きのベニート、アニエートと二人の息子、ラモン・デ・カサ・バーサ。寂しくもの悲しいこのあたりの山を知り尽くしている勇敢な男たち。しかし、その夜の彼らは棍棒と猟銃で武装しており、不安げな足取りで歩くその目にはおびえたような表情が浮かんでいるだろう。彼らも焼け焦げた廃屋の崩れた壁にちらっと目をやり、その後仲間の一人が手で指し示した方をみるだろう。 男たちの視界の向こうに見えているのがアイニェーリェ村です。で、この書き出しを語っているのが、いったい誰で、どこにいて、何よりも、いったい何が起ころうとしているのか、アイニェーリェ村を目指して峠を下って来たらしい彼らは何者で、何故、棍棒や猟銃で武装しているのか、それは、ここから180ページ読み終えることによってようやくわかることです。 訳者の木村榮一氏は巻末の「解説」の中でこんなふうにいっていらっしゃいます。 死が深々と暗い影を落としているというのに、この作品には哀切で透明な美しさが漂っている。どこにも出口のない悲惨で絶望的な状況におかれた農民の姿を描いた作品といえば、すぐにメキシコのファン・ルルフォの「燃える平原」やロシアのプラトーノフの短編が思い浮かぶし、死者の語りということなら同じルルフォの「ペドロ・パラモ」という作品がある。しかし、これらの作品も正直言って「黄色い雨」から受けたほど大きな衝撃と感動をもたらしてはくれなかった。(P193) これ以上、いうことはありませんが、降りしきる「黄色い雨」という描写とともに、題名のことばの意味していることが「ああ、そうだったのか!」とわかった瞬間のなんともいえない「哀しさ」こそがこの作品の世界のすべてでした。読んでいる自分自身が、語り手と、ほぼ、同じ年齢であるからこその「哀しさ」の実感であることは疑いないのですが、その作品を1955年生まれですから、実は、ボクより一つ若いこの作家が、なんと、33歳の時に「純粋な想像」によって書いていることに心底驚きました。 作品が描いているのは、お読みになればわかることですが、スペインの山の中の村で一匹の犬とともに暮らしてきた老人のひとりごとの世界です。 もしも、この作品を50歳の時に読んで、こんなに打ちのめされたかどうか、まあ、そういう作品でした。 世界には、まだまだ、恐るべき作家がいて、驚くべき作品があるんですね。 2026-no016-1231 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.02.19
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キリル・セレブレンニコフ「死の天使ヨーゼフ・メンゲレ」シネリーブル神戸 久々のナチス映画です。見たのは、キリル・セレブレンニコフというロシアの映画監督の、たぶん最新作「死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ」です。原題は「Das Verschwinden des Josef Mengele」で、「ヨーゼフ・メンゲレの失踪」ですね。 アウシュヴィッツ収容所で「人体実験」を繰り返して、まあ、ボク程度の知識でも「ああ、あの人か…」と、名前を知っている医学者ですが、ナチス崩壊後、南アメリカに逃亡して生きのびた人物の逃亡生活を描いた作品でした。「暗いだろうな・・・。」まあ、そう、覚悟して見たのですが、情け容赦なしに暗くて圧倒されました。「皆さんもご覧になったら、楽しいよ。泣けるよ。」 最近、そういう映画を観たがっている徘徊老人なのですが、まあ、真反対でした。しかし、映画としても、メンゲレの描き方としても、実によくできた作品だと思いました。 1940年代の、あの時代から202年代の今に至る80年の時間を重層化させた構成で、プロット、プロットでのモノクロ画面とカラー映像の使い方も、主人公、メンゲレの記憶、そして、その底にある思想性を抉り出す演出意図に基づくものであることを感じさせて、「目をそむけたくなる美しいカラー映像」が、監督の情け容赦のない断罪の意志を感じさせてド迫力!でした。 映画は、今や歴史的存在であるヨーゼフ・メンゲレと、逃亡生活をしている父を探し出した再会する息子ロルフ・メンゲレという、「父と息子」の物語を枠組みとして描かれているのですが、メンゲレを演じているアウグスト・ディールという俳優さんも、息子のロルフ・メンゲレを演じているマックス・ブレットシュナイダーさんも、いいお芝居でした。 老いさらばえて、逃げ続けている父親を支えているのがアウシュヴィッツでの栄光の記憶であるということを知る息子、見ているこっちも驚くしかない「父と息子」の出会いと別れの物語には言葉がありませんでした。 最近、あれこれ見る映画の中で、わがままな自己主張を続ける、老いたる「父親」像に、自分を重ねて見ることがよくあるのですが、この作品の父親には、驚くばかりで、自分を重ねたりすることは、ちょっと無理でしたね。むしろ、和解の可能性に断念して去っていく息子の姿に同情しましたね。 というわけで、暗い気持で拍手!です(笑)。 帰り道、監督のキリル・セレブレンニコフという名前を呟きなおしていて、ようやく思い出しました。数年前に見て困惑した「レト」と「インフル病みのペトロフ家」の監督です。実は彼はプーチンのロシアでは弾圧の対象だったはずです。この映画も、たぶん、フランスかドイツで作っているようで、だから、これってドイツ語の映画ですよね。 で、やったと気づきました。 この情け容赦のない、批判的視線の向こうにあるのはロシアなんじゃないかって。そう思うと、いろいろ謎が解ける気がしますが、今、あれこれ言う力はボクにはありません。でも、この監督は見続けますね。拍手!です。 監督・製作・脚本 キリル・セレブレンニコフ製作 シャルル・ジリベール イリヤ・スチュアート 原作 オリビエ・ゲーズ撮影 ウラジスラフ・オペリアンツ美術 ウラジスラフ・オガイ衣装 タチアナ・ドルマトフスカヤ編集 ハンスヨルク・バイスブリッヒ音楽 イリヤ・デムトスキーキャストアウグスト・ディール(ヨーゼフ・メンゲレ)マックス・ブレットシュナイダー(ロルフ・メンゲレ)デビッド・ルランド(ゼードレマイヤー)マルタフリーデリーケ・ベヒトミルコ・クライビッヒ(アロイス・メンゲレ)ダナ・ヘルフルト(イレーネ)カーロイ・ハイデュク(ミクロス・ニースリ)ブルクハルト・クラウスナー(カール・メンゲレ)2025年・135分・R15+・フランス・ドイツ合作原題「Das Verschwinden des Josef Mengele」2026・03・06・no045・シネリーブル神戸no364追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.03.08
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Ryuichi Sakamoto「Trio Tour 2012」109シネマズ・ハット 昨年の年末から坂本龍一にハマっています。 今日は109シネマズハットがやっているRyuichi Sakamoto「Trio Tour 2012」でした。いつもは家を出ない日曜日の夕方5時からのプログラムでしたが出かけました。100人くらいの会場に数人というお客で、快適この上ない映画鑑賞でした。 どういういきさつで作られた映画なのか知りませんが、まあ、この映画館の場合、上映中の作品のチラシもありませんから、作った監督が誰なのかとかいうことについて、ボク的には映画館で得られる情報はゼロです。 帰ってきて来て、慣れないネット検索で2012年に赤坂ACTシアターでの演奏会を全て収録したフィルムで、ピアノ、坂本龍一。チェロ、ジャケス・モレレンバウム。バイオリン、ジュディ・カンのトリオが演奏しているのは全部で17曲だったようで、下にリストを貼りました。 亡くなってしまった後で、後追いしているファンなわけで、彼の音楽について何も知らないのですが、演奏の音も映像も、とてもクオリィティが高いというか、気持ちの良い100分でした。 要するに映画は10年前の坂本龍一の音楽と姿を記録した、まあ、いってしまえば音楽ビデオなのですが映画館の大きな画面と音響で見るのは、時代が移りかわっていくさみしさを忘れさせてくれていいですね。知っている曲なんて数曲しかないのですが、在りし日の坂本君のおしゃべりも観客とのやり取りも「そういう時代があったんだよな・・・」という懐かしさと、レベルの高いトリオの音楽の楽しさ!で堪能しました。拍手! 曲目は以下の通りだったようです。1. Kizuna World2. 19003. Happy End4. Bibo no Aozora - Instrumental5. A Flower is not a Flower6. Tango7. Castalia (Piano)8. Shizen no Koe9. Still Life in A10. Nostalgia (Piano + Violin)11. Merry Christmas Mr. Lawrence12. The Last Emperor13. 191914. Yae no Sakura15. Theme for Yae16. Rain17. Parolibre坂本龍一(ピアノ)ジャケス・モレレンバウム(チェロ)ジュディ・カン(ヴァイオリン)2026年・105分・G・日本 WOWOW2026・04・05・no063・109シネマズ・ハットno78追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.06
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高倉台は満開!徘徊日記 2026年4月16日(木) 須磨あたり 新学期2度目の高倉台です。 サクラは散ってしまいましたが、お庭は満開です。これネモフィリアっていうのかな? 新学期ですね。なんか、小学校みたいで笑ってしまいましたが、新入生の人たちが学内見学とかで、先生に引率されて散策なさっていました。 鉢植えのガーベラ(?)。ここの丘の上の学校で学んでいる方たちの笑顔のようです。いや、ほんと、可愛らしいんですよね(笑)。 カモミールっていうんですかね? 手入れが行き届いていて笑顔が集まっている風情がまぶしいです。 ボクはこの青い花が好きですけど。どの花も、お名前を覚えるのが大変です(笑)。追記2026・04・22 この青い花はネモフィラだそうです。記事を読んでくださった方が教えてくださいました。徘徊老人生活が10年近くになって、花の名前とかいいかげんになってしまっています。最初は「身近な自然の観察図鑑」(ちくま新書)とか、繰り返し見ていたんですけど、困ったものですね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.04.20
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ブランドン・クレーマー「ホールディング・リアット」元町映画館 神戸では元町映画館が、昨日4月18日(土)から1週間限定!の予定で上映しています。昨年のベルリン映画祭で最優秀ドキュメンタリィー賞だった作品です。 今日は、いつもは出かけない日曜日ですが「なにはともあれ、見てみよう!」 まあ、そういう気分で、朝の10時に駆け付けました。 ブランドン・クレーマー監督の「ホールディング・リアット」です。 2023年、10月7日、ハマスの武装部隊によるイスラエル襲撃に際して、人質として誘拐拉致された、アメリカとイスラエルの国籍を持ち、襲撃されたキブツに暮していた女性、リアット・ベイニン・アツィリさんと、そのご家族を事件直後から撮り続けたすばらしいドキュメンタリィーでした。 復讐ではなく人間性への道を示し、フェンスの向こうを見据え、隣人を殺すのではなく慈しむよう私たちに問いかける作品 ペトラ・コスタというベルリン映画祭の審査委員長のことばです。映画は、圧倒的に不幸な現実を映し出していましたが、見終えたボクには、このことば以上の感想も、説明も、できません。心から納得、共感しました。 この事件以降、ガザに対する虐殺というほかない攻撃を続けながら、ハマス=テロリスト=悪というレッテルによる自己正当化の宣伝に奔走する政治家たちが、襲撃で夫を失い、自らも人質として誘拐されたリアットさんによって、どのように批判されているか、実に、衝撃的でした。 事件直後から撮り続けている監督、製作者もスゴイですが、彼女自身、そして彼女のご家族の筋の通った発言や行動にも唸りました。拍手! ガザへの空爆が始まったころから、関心は持ち続けていたのですが、イスラエルという国で生きている人の「殺すな!」の叫びを聞くのは初めての経験で強く打たれました。 できれば、若い人たちに見てほしい作品ですね。拍手!監督 ブランドン・クレーマー製作 ランス・クレーマー ダーレン・アロノフスキー ヨニ・ブルック ジャスティン・A・ゴンサウベス アリ・ハンデル撮影 ヨニ・ブルック編集 ジェフ・ギルバート音楽 ジョーダン・ダイクストラキャストリアット・ベイニン・アツィリイェフダ・ベイニンハーヤ・ベイニンジョエル・ベイニンタル・ベイニンアビブ・アツィリネッタ・アツィリオフリ・アツィリアヤ・アツィリ2025年・97分・アメリカ原題「Holding Liat」2026・04・19・no071・元町映画館no357追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.20
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藤原稔三「ミックスモダン」元町映画館 この日は2026年4月25日。いつもは人出を恐れて三宮とかには近づかないことにしている土曜日ですが、5時から人と出会う約束が入って、その時刻にちょうどいい作品を探していて見つけました。 藤原稔三という監督さんの「ミックスモダン」です。 15時上映開始で、100分ちょっとですからピッタリです。受け付けで「お好み焼き屋さんの話かな?」「いや、ちょっと違いますけど(笑)。」という会話をかわして坐りました。いや、いや、とても味わい深いお好み焼き屋さんの話でした! 大阪のお好み焼き屋さんの木内さんというオジサンと園子さんというオクサン、そこで働くおばちゃんとか、おニーチャンたちとかの話でした。 少年院帰りの18歳の少年勇人くんが一応、主人公です。彼を始め、ネンショウガエリや、ムショガエリの若い人たちに仕事を世話し、人として出会おうとする木内さん。うそも隠し事もない、正直なオクサンで、女将さんである園子さん。シャブ中の女の子。孤独死してしまう元金持ちの老人。なかなかな人物たちが木内さんの経営するお好み約屋さんのまわりに登場します。 見ていて、ずっとハラハラし続けでした。まじめになると誓った勇人くんなんて見ていて「あかん、あかん、そっちに行ったらあかん!」 まあ、そんなふうにこころの中で叫んでしまうシーンの連続です。すっかり、浸って見入ってしまった作品でした。 理由はよくわかりませんけど、例えば、勇人くんが少年院行かなあかんようになったいきさつについて、直接の犯罪内容はともかく、彼の人となりをきちんと描こうとしているように思えたからでしょうね。 保護司なんていう、考えてみたら面倒くさいことをしている木内さん、どうしても子供を産みたい、育てたいと木内さんに迫る園子さん、それぞれの心の中というか、なんで、彼や彼女が、今、そこで、そんなふうにしゃべって、そんなふうにふるまっているのかということを、それぞれの人の、ここまで生きてきた時間を描くことで何とか浮かび上がらせようとしている映画の作り方の丁寧さに引き込まれたからですね。 監督の藤原稔三という人の人間観が素直に伝わって来て、まあ、彼は劇中では口下手な木内さんを演じていたわけですけど、それもあって、余計にそう思ったのかもしれませんが、見終えてホッとしました。拍手! 実は、この日、映画館の前でチラシ配りをしていた方がいらっしゃって、映画が始まると、その方がボクの前の席にお座りになって、ボーっと横顔を拝見していると木内さん、だから、監督の藤原さんだったんですね。上映終了後にはトークもあったようですが、ザンネンながら、ボクは約束の時間があって帰ってしまいました。 いや、しかし、まっすぐな、それでいてあたたかい、いい作品でしたよ。拍手! 監督・脚本・プロデュース・編集 藤原稔三脚本 三国鈴撮影監督 五味護撮影 澤江篤編集 三国鈴キャスト井戸大輝(西村勇人)藤原稔三(木内博之)常石梨乃(木内園子)サーシャ(布川幸杷)藤田朋子(梅本聖子)津嘉山正種(松井謙治)川平慈英(医師)二階堂智2025年・106分・PG12・日本2026・04・25・no077・元町映画館no361追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.28
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