PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
茨木のり子の詩を読むのに、構えはいらない。そこに差し出された作品を、素手て受け取り、素直に読んでみるに限る。意味不明な部分はない。とても清明な日本語で書かれている。ときには明快すぎ、謎がなさすぎると、不満を覚える人もいるかもしれない。けれど、この詩人の詩が威力を発揮するのは、おそらく、読み終えたのち、しばらくたってから。言葉が途絶えたところから、この詩人の「詩」は、新たにはじまる。遅れて広がる感慨があり、それは読後すぐのこともあれば、何十年か先に届く場合もあるだろう。(P361) で、彼女の 茨木のり子 体験、 出会い はこんなふうに書かれています。
私が最初に出会ったのは、 「汲む ― Y・Yに ―」 という詩だ。読んで泣いた。本書には収録されていないので、数行を拾って紹介してみたい。詩は次のようにはじまる。
大人になるとというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
その素敵なひとは、初々しさが大切なの、と言い、人の 「堕落」 について語る。そこから 「私」 が拾ったのは次のようなことだ。
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
わたしは自分のことが書かれていると思った。赤面恐怖であがり症、思春期はとうにすぎていたにもかかわらず、自意識過剰でがっちがち。私にとって、若さというのは地獄だった。
しかし詩の要は、もう少し先にある。次の三行を、密かに心に刻んだ人は案外多いのではないだろうか。
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナがかくされている きっと・・・・
今、十分に大人になってみると、弱さに安住するのは恥ずかしいと思うし、 「堕落」 せずに生きていくことなんて出来るのかとも思う。でもその上で、この三行には真実があるとわたしは思う。わたし自身が成熟していくのに、力を貸してくれたと思う言葉である。
(P362~P364)
教室で、十代の後半に差し掛かった少年や少女たちに、人が 「文学」
、たとえば 「詩」
と出会うということが、どんな体験なのか伝えたいと思い続けて30数年暮らしました。今、この文章を読み返しながら、こんなふうに語ることの難しさが、やはり浮かんできます。
この後は解説です。せっかくですから、 その1
で案内した 詩集「歳月」
についての解説から引用します。
引用部分は 茨木のり子
が 49歳
のとき、25年間連れ添った 「夫」
を肝臓がんで失った経緯、加えて、その後書きためられていた作品が
「一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさい」
と生前には公表されなかった事情が記され、それらの詩編が Y と書かれたクラフトボックスの中に清書されて入っていたことが 茨木のり子 の死後に発見されたことに触れた後、この詩集に収められている 「月の光」 という詩を引いて語っているところです。
ある夏の
ひなびた温泉で
湯上りのうたたねのあなたに
皓皓の満月 冴えわたり
ものみな水底のような静けさ
月の光を浴びて眠ってはいけない
不吉である
どこの言い伝えだったろうか
なにで読んだのだったろうか
ふいに頭をよぎったけれど
ずらすこともせず
戸をしめることも
顔を覆うこともしなかった
ただ ゆっくりと眠らせてあげたくて
あれがいけなかったのかしら
いまも
目に浮かぶ
蒼白の光を浴びて
眠っていた
あなたの鼻梁
頬
浴衣
素足
月の光に照らされて眠っている 「夫」 は、すでにもう、死んでしまっているように、しんとしている。うたたねからやがて目覚めるとわかっていても、読者のほうには、 「死」 に触ったという感触がしめやかに渡される。詩の言葉が、すべて消えてしまったあとに残るのは、月の光を浴び横たわっている、一人の男の姿である。月光という詩の神に、彼は捧げられた生贄のようだ。茨木は詩の中で自責の念にかられている。 (P372~374)
谷川俊太郎
が 「成就」
という言葉で評した、 茨木のり子
がたどり着いた文学的な境地を、 小池昌代
は 「自責」
という言葉で表そうとしているのではないかというのが、ぼくの感想です。もちろん 「文学」
に対する 「自責」
ですね。
小池さん
はスクラップブックに残されていた 「詩」
と題された作品を引いて、解説を終えています。
詩人の仕事は溶けてしまうのだ
民族の血のなかに
これを発見したのはだれ?などと問われもせず
人々の感受性そのものとなって
息づき流れてゆく
私の耳には聞こえてくる。 茨木のり子 の詩の言葉が、ときにはさびしい笛の音で、ときにはひときは清い水音をたてて、私たちの血のなかに、ひっそりと流れていくのが。 (P384)
実は、 小池さん
の解説は丁寧でとても面白いのですが、そこをお伝えすることがうまくできていません。まあ、しかし、一度手に取ってお読みいただくのがよいかということで 「案内」
を終わります。
週刊 読書案内 谷川俊太郎「みみをすま… 2024.05.15
週刊 読書案内 谷川俊太郎・下田昌克「… 2023.05.24
週刊「ジージの絵本」谷川俊太郎・文 白… 2022.05.26