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2021.10.05
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​週刊 読書案内 谷川俊太郎 選「茨木のり子詩集」(岩波文庫)その2

​​ さて、 谷川俊太郎 が選んだ 「茨木のり子詩集」(岩波文庫) 案内(その2) の登場人物は、詩人の 小池昌代 です。​​
​ ぼくがこの詩集を久しぶりに手に取った理由は、 小池昌代さん が解説を書いていらっしゃるということを思い出したからです。​
​ で、やっぱり、こここでは詩集の巻末に収められた 「水音たかく ― 解説に代えて」 をちょっと紹介するのがいいでしょうね。​
​  小池昌代さん の、 茨木のり子の詩 の解説はこんなふうにはじめられています。​
​ 茨木のり子の詩を読むのに、構えはいらない。そこに差し出された作品を、素手て受け取り、素直に読んでみるに限る。意味不明な部分はない。とても清明な日本語で書かれている。ときには明快すぎ、謎がなさすぎると、不満を覚える人もいるかもしれない。けれど、この詩人の詩が威力を発揮するのは、おそらく、読み終えたのち、しばらくたってから。言葉が途絶えたところから、この詩人の「詩」は、新たにはじまる。遅れて広がる感慨があり、それは読後すぐのこともあれば、何十年か先に届く場合もあるだろう。(P361)​
​  で、彼女の 茨木のり子 体験、 出会い はこんなふうに書かれています。
私が最初に出会ったのは、 「汲む ― Y・Yに ―」 という詩だ。読んで泣いた。本書には収録されていないので、数行を拾って紹介してみたい。詩は次のようにはじまる。

大人になるとというのは

   すれっからしになることだと
   思い込んでいた少女の頃
   立居振舞の美しい
   発音の正確な
   素敵な女のひとと会いました

 その素敵なひとは、初々しさが大切なの、と言い、人の 「堕落」 について語る。そこから 「私」 が拾ったのは次のようなことだ。

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
   ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
   失語症 なめらかでないしぐさ
   子供の悪態にさえ傷ついてしまう
   頼りない生牡蠣のような感受性

 わたしは自分のことが書かれていると思った。赤面恐怖であがり症、思春期はとうにすぎていたにもかかわらず、自意識過剰でがっちがち。私にとって、若さというのは地獄だった。
 しかし詩の要は、もう少し先にある。次の三行を、密かに心に刻んだ人は案外多いのではないだろうか。

あらゆる仕事

   すべてのいい仕事の核には
   震える弱いアンテナがかくされている きっと・・・・

​​ 今、十分に大人になってみると、弱さに安住するのは恥ずかしいと思うし、 「堕落」 せずに生きていくことなんて出来るのかとも思う。でもその上で、この三行には真実があるとわたしは思う。わたし自身が成熟していくのに、力を貸してくれたと思う言葉である。
(P362~P364) ​​

​​​  教室で、十代の後半に差し掛かった少年や少女たちに、人が 「文学」 、たとえば 「詩」 と出会うということが、どんな体験なのか伝えたいと思い続けて30数年暮らしました。今、この文章を読み返しながら、こんなふうに語ることの難しさが、やはり浮かんできます。
​​​​​​​ この後は解説です。せっかくですから、 その1 で案内した 詩集「歳月」 についての解説から引用します。
 引用部分は ​茨木のり子​ 49歳 のとき、25年間連れ添った 「夫」 を肝臓がんで失った経緯、加えて、その後書きためられていた作品が ​​

​​ 「一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさい」 ​​

​ ​ と生前には公表されなかった事情が記され、それらの詩編が Y と書かれたクラフトボックスの中に清書されて入っていたことが ​茨木のり子​ の死後に発見されたことに触れた後、この詩集に収められている ​「月の光」​ という詩を引いて語っているところです。​​​​​​​​

 ある夏の
  ひなびた温泉で
  湯上りのうたたねのあなたに
  皓皓の満月 冴えわたり
  ものみな水底のような静けさ
  月の光を浴びて眠ってはいけない
  不吉である
  どこの言い伝えだったろうか
  なにで読んだのだったろうか
  ふいに頭をよぎったけれど
  ずらすこともせず
  戸をしめることも
  顔を覆うこともしなかった
  ただ ゆっくりと眠らせてあげたくて
  あれがいけなかったのかしら
  いまも
  目に浮かぶ
  蒼白の光を浴びて
  眠っていた
  あなたの鼻梁
  頬
  浴衣
  素足

​​ 月の光に照らされて眠っている 「夫」 は、すでにもう、死んでしまっているように、しんとしている。うたたねからやがて目覚めるとわかっていても、読者のほうには、 「死」 に触ったという感触がしめやかに渡される。詩の言葉が、すべて消えてしまったあとに残るのは、月の光を浴び横たわっている、一人の男の姿である。月光という詩の神に、彼は捧げられた生贄のようだ。茨木は詩の中で自責の念にかられている。 (P372~374) ​​

​  ​​ ​谷川俊太郎​ ​「成就」​ という言葉で評した、 茨木のり子 がたどり着いた文学的な境地を、 小池昌代 ​「自責」​ という言葉で表そうとしているのではないかというのが、ぼくの感想です。もちろん 「文学」 に対する 「自責」 ですね。​​
​  ​小池さん​ はスクラップブックに残されていた 「詩」 と題された作品を引いて、解説を終えています。​

詩人の仕事は溶けてしまうのだ
民族の血のなかに
これを発見したのはだれ?などと問われもせず
人々の感受性そのものとなって
息づき流れてゆく

 ​ ​​私の耳には聞こえてくる。 茨木のり子 の詩の言葉が、ときにはさびしい笛の音で、ときにはひときは清い水音をたてて、私たちの血のなかに、ひっそりと流れていくのが。 (P384) ​​

​ ​実は、 小池さん の解説は丁寧でとても面白いのですが、そこをお伝えすることがうまくできていません。まあ、しかし、一度手に取ってお読みいただくのがよいかということで 「案内」 を終わります。​


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最終更新日  2023.05.09 09:52:17
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